死にたがりの讃歌   作:椿芽

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第14話 せめてサヨナラの時まで(2度目の依頼のその後)

 先日の件──エレンと共に目標からディスクを受け取る任務の、その報告書を書き上げた(リュウ)は、(チャン)の元に赴いていた。

 

「ご苦労」

 

 そう言って受け取った張は、部下を下がらせ二人きりになると、さっそく手元の報告書に視線を落とす。

 彼が文字を目線で追っている間、ずっと劉は落ち着かない様子で、体の後ろで組んだ手を意味もなくもじもじと動かしている。

 

「……ふむ」

 

 張はしばらく思案するように腕を組んだまま動かなかったが、やがて小さく息を吐くと、劉に向かってこう切り出した。

 

「お前の言いたいことはよくわかった。──だが、もう少し落ち着いて書けないのか? 誤字脱字が酷いぞ」

 

 そう呆れたように言ってから、張はくるりと椅子を回転させると、窓の外を眺めながら煙草の煙を吐き出した。

 

「えっ……あ、すみません……」

 

 張のデスクの前に立って、劉は肩を竦めて小さくなっていた。

 興奮冷めやらぬ内にしたためたその報告書は、本人的には会心の出来だと思っていたのだが、どうやら張の目にはそうは映らなかったらしい。

 

「それに何だ。お前にしては随分と大仰な物言いをするじゃないか」

 

 煙を燻らせながらそう言う張に、劉は不思議そうに聞き返す。

 

「大仰……ですか?」

「そうだとも」

 

 そう言って張が振り返ったので、劉は思わずどきりとした。まだおかしな部分を指摘されるのだろうかと不安になる。

 

「エレンの働きについてだよ。『自分がいる必要があったのかと思うほど見事な動きだった』だと? お前なぁ。仮にも組織の人間だという自覚が足りていないんじゃないか?」

 

 張は呆れた様子でそう言うと、短くなった煙草を灰皿に押し付け、それから新しい煙草を口に咥える。

 

「す、すみません……」

 

 消え入りそうな声で劉が謝ると、張は再び溜息を吐いてから続けた。

 

「この件にはお前が適任だと思ったから、俺がお前を選んだ。お前は自分でその判断を下したのか? 違うだろう?」

「……はい」

 

 張の言葉に劉はますます小さくなってしまう。彼の言う通りだったからだ。張はもう一度溜息を吐くと、デスクの上で手を組んで言った。

 

「いいか劉、よく聞けよ」

 

 劉がごくりと唾を飲み込むと、張は淡々とした口調で告げる。

 

「お前には組織の中で生きていく自覚が足りていないんだ。──お前は優秀な人材だ。だが圧倒的に足りないのはな──自信だよ。謙遜がいつも美徳とは限らん。無害なだけの人間は、同時に組織にとって不必要な存在になりかねない。

 それにな、自己評価が低い奴は、その裏返しで他人を見下すようになることもある。そんな奴に背中を預けられるか?」

「……!」

 

 劉の背筋がぞわりと震えた。張の言葉は容赦なく彼の心を抉る。彼は俯いて拳をぎゅっと握り締めた。張の声だけが淡々と響く。

 

「俺がお前を部下に選んだのはな、お前の実力を認めたからだよ、劉」

「……はい」

 

 その声には深い愛情が込められていて、それを聞いた途端に劉は目頭が熱くなるのを感じた。

 張は椅子から立ち上がると、劉の肩にぽんと手を置く。そして静かな声で言った。

 

「だから自信を持て。お前は強い男だ」

 

 その言葉を聞いた途端、堪えきれなくなった涙が頬を伝った。嗚咽が漏れそうになるのを必死に我慢しながら、劉はこくりと一度だけ頷く。

 

「……はいっ、……ありがとうございます、大哥!」

「よし、それでいい。……鼻水垂れてるぞ、しょうのない奴だな」

 

 張はやれやれといったふうに笑うと、デスクの上にあったティッシュの箱を差し出した。彼はそれを受け取り涙を拭うと、鼻をかんでからゴミ箱に捨てた。

 

 再び椅子に腰掛けた張は、デスクの上の報告書を改めて手にした。

 

「まぁ確かに……報告書にあるエレンの動きは充分だ。俺から見ても特に文句のつけようはない。

 ──それで、お前から見て、エレンはどうだった。お前自身を引き合いに出すことは置いておいて、今後、彼女は三合会(ウチ)にとって役に立つと思うか?」

 

 張の言葉に、劉は思わず姿勢を正した。緊張しているのが自分でも分かるほどだった。

 それはまるで自分が審査されているような感覚で、劉はごくりと唾を飲み込んだ。

 

「正直……まだよくわかりません」

 

 自分の語彙の少なさが恨めしかったが、それが正直な気持ちだった。

 ただ、言えることがあるとすれば──。

 

「でも、すごい人だと思いました。

 銃の腕だけじゃなく、何かが起きても、ずっと落ち着いていられるところとかも。

 ……彼女の力を借りれば、きっと助かることもあると思います」

 

 劉はそう言って真っ直ぐに張の目を見据えた。彼はその視線から逃れることなく受け止めると、静かに頷いてみせた。

 

「そうか……」

 

 張はそれだけ呟くと、再び報告書へと視線を戻した。

 

「……しかし、ほぅ、跳弾で仕留めたってのか、エレンは」

「はい! 僕、初めて見ました、あんなの」

 

 にわかに、劉の表情が輝く。

 劉の目の前には、あのときのエレンの姿が浮かぶようだった。

 のんきな様子だったエレンの瞳が、急に無機質なものに変わる。その瞬間、劉には、エレンがそれまでとは全く違う存在になったように感じられたのだ。

 

「エレンさん、どこで訓練を受けたんでしょうね。なんていうか……銃を扱ってる彼女は兵士かなにかみたいでした」

 

 劉はその時を思い出すように視線を宙に投げて、独り言のように呟いている。

 

 それを聞いた張は、以前、彼女に似たようなことを問うたことを思い出す。正確な射撃をするエレンを目の当たりにして、張はどこで習ったかと尋ねた。しかし彼女は張の質問に答えることなく、曖昧に濁すだけだった。

 

「さぁな、どうやら秘密らしいぜ」

 

 張は短くなった煙草を灰皿に押し付けると、再び劉に向き直った。

 

「……よし。エレン・リーフェンシュタール嬢には今後も仕事を依頼していくとしよう」

 

 それを聞いた瞬間、劉の顔に満面の笑みが広がる。まるで自分のことのように嬉しかった。これでエレンと一緒に仕事をする機会が増えるかもしれないと思うと、わくわくした気持ちが込み上げてくるのを抑えられなかった。

 

 そんな劉の様子を見て取ったのか、張はふっと笑みを浮かべるとこう続けた。

 

「お前と同じで、エレンもまだまだ青二才だ。まぁ、また組む機会があったときにゃ、半人前同士、上手くやってくれ」

「はい!」

 

 劉は元気良く返事をすると、弾むような足取りで部屋を出ていった。その足取りからは隠しきれない喜びが溢れている。

 

「やれやれ……」

 

 張は苦笑しながら頭を掻くと、再び窓の外へと視線を移した。

 眼下には夕暮れの港町、ロアナプラが黄金色に染め上げられて、ただいつもと変わることなくそこにあった。

 

 ***

 

 路南浦停泊場(ロアナプラヨットハーバー)

 無数のカモメの声が辺りに響き、淡い紫色に染まった空では、力を弱めた太陽が雲間に紛れ、もうすぐ地平線へと姿を消そうとする、そんな暮れのひととき。

 

 ホテル・モスクワと三合会の抗争で見るも無惨に破壊された桟橋も、すっかり修理が済んで元通りになっている。

 エレンは桟橋に立ち、手すりに(もた)れて夕方の海を眺めていた。亜麻色の長い髪が、夕陽を浴びてきらめき、潮風に舞う。

 

(目標は達成したわね、きっと……)

 

 さんざめく波の音の合間に、桟橋を踏む、木の軋む音が耳に届いた。

 

「よう、エレン・リーフェンシュタール」

 

 エレンが視線だけを投げた先には、風に煽られるコートの裾もそのままに、張が立っている。

 

「こんにちは、張維新(チャン・ウァイサン)

 

 エレンは振り返ると、手すりに背中を預けた。

 

「オフィスに顔を出そうと思ってたのよ。この間の仕事の件でね」

 

 張は懐から煙草を取り出すと、塩気を含んだ風からライターの炎を庇いながら、先端に火を点す。

 

「あぁ。劉から聞いたよ。申し分ない働きだったそうだな。よくやってくれたよ」

「ありがと」

 

 エレンは嬉しそうに笑顔を見せる。少女のように、どこかはにかんだ笑みだ。

 

「なぁエレン。俺はあんたの仕事が──この目で見てみたくなった。

 機会があったら、ぜひ頼むよ」

 

「あら、光栄だわ。こちらこそよろしくね。その時には──」

 

 そう言ってエレンはトンと、つま先を踏み鳴らす。

 

「私と一緒に、踊ってもらえるかしら。そうね、ワルツでも」

 

 それを聞いた張の、そのサングラスの下の口元がにやりと笑みの形に吊り上がった。

 

「あぁ、喜んで」

 

 潮風が、二人の間を吹き抜け、エレンの髪を、張の煙草の煙を、コートの襟を揺らめかせる。

 ふと、それまで静かに凪いでいたエレンの眼差しが、突然何かを思い出したかのようにぎらりと光った。

 

「あ! そう言えば、劉に聞いたわよ、貴方よくも私のトマトを食べてくれたわね」

 

 目尻を吊り上げたエレンが、張を恨めしそうに見つめていた。

 

「あ? あぁ、あんたが忘れていった荷物のことか。……取りに来ないのが悪いぜ、腐ったら勿体ないだろう?」

「それはそうだけど!」

 

 納得いかないといった表情を浮べたエレンは、まだ言いたい言葉を苦々しげに噛み潰している。張は皮肉めいた笑みを浮かべると、さも愉快そうにからかう言葉を投げかけた。

 

「なら、次の依頼料は、金の代わりに全部トマトで払えば満足かい?」

「え……?」

 

 エレンの頭の中では即座に依頼料の計算が展開され、おおよそのトマトの個数が換算される。バーツではなく、ドルに換算した場合だ。

 どーんと目の前に置かれる、山のようなトマトを思い浮かべて、動きが止まってしまう。

 

 想像の中で、積み上げられたトマトがひとつ、ごろりと鈍い動きで転がり落ちる。

 

 ──パイスープ作り放題ね! ……じゃない。

 

「……それは、困るわ……やっぱり、お金で貰わないと……」

 

 悩んだ様子で真面目に答えるエレンに、堪えることもなく張は吹き出す。

 

「ははは、本気にする奴があるか。可笑しな奴だな、あんた。……風が冷えてきたぜ、そろそろ帰るとしよう」

 

 

 先を歩く張の背中を眺めながら、エレンは物思いに耽る。

 

(人間って欲張りなのね……望みが叶ったら、また次の望みが出てくるわ)

 

 あの日から、張に認めて欲しくて頑張ってきた、心を奮い立たせ、これまで生きてきた。そう、目標のために生きてきた、と言っていい。しかし、その高揚感は目的を達成した今、みるみる(しぼ)んでいった。

 ゴールに辿り着いた以上、 これで、()()()()生きている理由はなくなった──はずだった。

 

 記憶をなくしこの街に流れ着いたエレンにとって、生きることに大した執着はなく、()()()()()()()()()()()()という本能で動いていたから、生きていく理由を見つけたときは嬉しかったものだ。それは人生に確かに彩りを与えてくれた。

 

(……叶うまでは、生きてみようと思ってたわ。この街で生きてみようと……。でも……叶ったら叶ったで、あともう少し、この人の姿を見ていたい、声が聞いていたいと思ってしまう)

 

 いつの間にか、賑やかだったカモメの群れも姿を消している。

 ──きっと家に帰ったのだろう。そう考えて、ふと悲しいような気分になる。

 自分には帰り着くところなどないのだ。

 

(私はいつまで、生きていればいいのかしら? 死なないために生きていくだけじゃ、本当に生きているって言えるのかしら? 私が赦される日は……いつなのかしら。ここまでよく頑張った、だから、もう、いいよと──)

 

 こんな日は、普段心の中にしまっている思いが浮かんできてしまう。

 

(……次から次へと望みが湧いてくることが、それを叶えていくことが、生きていくってことなのかしら……)

(たとえ目的がなくても、どうして人は生き続けたいと思うの?)

(目的がなくなったら、どうやって……何のために、生きていけばいいの? 私にはわからない……)

(私が生かされている理由は何?)

 

 ふと足を止め、張が振り返る。

 何も言わずこちらを見ている彼の姿を見て、エレンは大きく息を吸い込んで、そしてそれをため息に変えて吐き出した。

 

 

(……私たちみたいな生き方の人間には、きっとすぐに、そう、嫌でも終わる日が来るわね。それまでの間……)

(生きている限りは、彼を見ていたい)

 ___

(Dunkel ist das Leben, ist der Tod.)(生は暗く、死もまた暗い)

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