死にたがりの讃歌   作:椿芽

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第2話 願わずにはいられない(張が助ける話)

 漆黒のロングコートを身に纏った東洋人──“(チャン )”と呼ばれていたその男は、目を閉じて身動ぎしなくなったエレン・リーフェンシュタールの身体を抱き上げると、踵を返してその場を後にした。

 

 少し離れたところに待たせてあった黒塗りの高級車から、彼の部下たちが降りてきて出迎える。しかし、エレンを見るとすぐに顔をしかめた。

 

「……なんで張大哥(アニキ)がこの女を助けなきゃいけないんです?」

 

 張の部下達は不安げに顔を見合わせた。

 

「張大哥。ミス・リーフェンシュタールを助けてあとあと厄介なことにゃなりませんかね?」

 

 部下の中のひとりである(ビウ)という男が、苦言を呈する。あんたがその場限りの感情で動くわけないと思っちゃいるが……と、彪は付け足した。

 張の腹心の部下である彪は、張が一度決めた物事を曲げないことをよく知っている。しかも、その物事の判断材料が面白いかどうかであることも。

 

「ん? 生かしておいたほうが、あとで面白いことが起きるんじゃないかと思ってな」

「面白いって……」

 

 別の部下が困惑したようにつぶやく。

 

「いやなに、見殺しにするのも寝覚めが悪くなるかもしれんだろ?」

 

 剽げた調子で肩をすくめる張。

 いつものことである。そんな張に、部下たちは顔を見合わせて各々ため息をついた。

 

「……何を考えてるのか知りませんがね、俺たちはあんたのやることを黙って見てるしかないんで。あんまり危ないことに首を突っ込むのは勘弁してくださいよ」

 

「ああ、わかっているさ」

 

 張は車に乗り込むと後部座席にエレンを座らせた。彼女は意識を取り戻すことなく、ぐったりとその身をシートに預けている。

 彼女をみすぼらしく見せている泥だらけの服や、ぼさぼさに乱れた髪の毛を指先で軽く整える張。くらり、と力なく傾いたその顔に、彼はポケットから取り出したハンカチを当てると、雨や泥を拭ってやった。

 汚れが取れると、血の気が失せて青白くなっていてもなお美しい顔立ちが露わになる。

 

「こんな殺し屋ひとり、ほっとけばいいじゃないですか。第一、大哥が助けなくても、こいつは自分でなんとかしますよ」

 

 まだ納得のいかないらしい張の部下はそう言って抗議したが、張はその言葉を無視したままエレンの隣に腰を下ろす。

 

「そう喚くなよ、(チャオ)

 すまんが、たまにゃ俺のワガママに付き合ってくれ。

 ……彪、出せ。黄大夫(医師)のところにやってくれ」

「はい、大哥」

 

 車窓の向こうのロアナプラの街は、灯り始めた色とりどりのネオンを、雨粒に滲ませている。

 三合会お抱えの医師である黄を訪うのは、張にとってめずらしいことではない。

 

「彼女は幸運ですね。このまま放っておいたら間違いなく死んでたでしょう」

 

 診察台の上に横たえられたまま、ぴくりとも動かないエレンを見下ろしながら、(ファン)はつぶやいた。

 張よりも一回りは歳上に見える黄医師は、その見た目に違わぬ温厚な口調と柔らかな物腰の男である。

 

「まぁ、運が悪けりゃそれまでだな。あんたに診てもらった後にも生きてた患者は運のいいヤツってことだ。……俺もその一人だが」

 

 張はそう言って、黄の言葉に笑った。

 

「天が味方をしてくれれば、あるいは。……助けられない人間を診るのは、私も好きではないのです。この街で仕事をしていると、そういう人間ばかりを相手にすることになる。しかし、彼女は助けられますよ」

 

 黄はため息を付きながらそう答える。張はその言葉に、愉快そうに口の端を吊り上げた。

 

「さすがだな。そう言ってくれると思ってあんたのところに連れてきたんだ」

 

 黄はその言葉には応えず、無言でエレンの治療を始める。助手を呼び寄せ、彼女の腹部の傷を診る黄を目で追いながら、張は独り言のようにつぶやいた。

 

「あんたはいつも、人を生かすことだけを考えてる。

 俺は、俺が気に入ったやつらだけ生きてりゃそれでいいと思ってるだけだがね」

 

 愛飲のジタン・カポラルをポケットから取り出し、その口に咥える。

 

「……こんな道に堕ちても、私は医者です。私は、生き残った人間に救いがないことをわかっていながらも、それでも生かすことしか考えていませんよ。

 ……診察室で煙草は遠慮してください、張先生(張さん)

 

 黄は手を止めずに静かにそう言う。張はそんな黄に鼻を鳴らすと、そのまま踵を返して部屋を後にした。

 

 さて、次はエレンの怪我が治るまでの間のことだ。

 彼女はフリーランスの殺し屋であり、大っぴらに三合会で匿うのも難しい。

 

 張はふと、馴染みであるラグーン商会にエレンの身柄を預けることを思い付いた。

 あそこなら、腕利きの用心棒もいるし、なにより、他人の世話を焼くのが得意な優しい水夫がいる。

 

 張はさっそく、その足でラグーン商会の事務所に赴き、商会のボスであるダッチという男に話を持ちかけた。

 

「何? 女を匿って欲しいだと?」

 

 ダッチは張の言葉に、怪訝そうに眉をひそめた。

 レイバンのサングラスの陰にその眼差しを隠した黒人の大男は、筋骨逞しい身体をソファに沈め、腕を組んだまま微動だにしない。

 このロアナプラに幅広い人脈を持ち、常に冷静沈着な判断を下すことができる、運送屋・ラグーン商会のボス、ダッチ。張も彼に対しては信頼を置いている。

 

「張さん、うちは便利屋じゃないんだぜ」

「まぁ、そう言わんでくれ。怪我が治るまでの間さ。報酬は弾む」

 

 張はそう言って肩をすくめたが、ダッチはなおも渋い顔をしている。

 

 そこにひょっこりと顔を覗かせた東洋人の男が、一人。およそこの街には似つかわしくない真っ白なワイシャツにネクタイというビジネス・スタイルの彼が手にしている盆には、人数分のコーヒーカップが載っている。

 その表情にどことなくあどけなさが見えるくらい年若い青年だが、さり気ない気遣いができるのは、彼が元日本のサラリーマンだからという理由もあるかもしれない。

 訳あって日本を離れ、この街で水夫見習いをしている彼は、ロックと呼ばれていた。彼の本名をもじって、ダッチが名付けたという。

 

「……その匿って欲しいという女性って、どんな人なんですか?」

 

 ロックは興味深そうに張に尋ねた。

 

「美しき殺し屋──エレン・リーフェンシュタール、さ」

 

 剽げた調子で張が答えると、ロックは驚いたように目を見開いた。

 

「エレン? エレンなら、俺の友人ですよ。張さん、エレンと知り合いなんですか?」

「ま、ちょっとしたご縁があってな。……俺が慈善で人助けをするような男に見えるか?」

 

 張はそう言うと、おどけた仕草で肩をすくめた。ロックはそれをみて苦笑する。

 

「いえ、見えません」

「だろう?」

 

 張はそう言ってロックの言葉に笑うと、改めてダッチのほうに向き直った。

 

「……どうだ? 受けてくれるか?」

「うーん……あんたのとこ(三合会)ラグーン(ウチ)にとって大事なお得意様だ……、俺たちが断れるわけがないとハナから分かってて頼んでるんだろう?」

 

 ダッチは困ったようにその禿頭(とくとう)をぼりぼりと掻くと、改めて張に向き直った。

 

「……わかった、いいぜ張さん、引き受けよう」

 

 ダッチが渋々といった様子でそう答えると、張はにやりと笑ってみせた。

 

「助かるぜ、ダッチ」

 

 そう言いながら、エレンの血で汚れたスーツの懐から分厚い封筒を取り出し、それをダッチの前のテーブルの上にポンと投げ置いた。

 

「前金と成功報酬だ。足りなきゃ言ってくれ」

「いや、これだけもらえれば十分だ」

 

 ダッチはそう言うと、受け取った封筒を自分の懐にしまい込んだ。

 

 ***

 

 ラグーンの事務所をあとにして、車は走る、夜の街はネオンに彩られ、その輝きが雨粒に反射してギラギラと眩いばかりに輝いている。

 

 張維新(チャン・ウァイサン)は車窓の向こうを流れる景色を眺めながら、これからエレンに起こるであろう出来事について考えていた。

 さて、彼女はどんな反応をするだろうか? 張は自然と口の端に笑みが浮かぶのを感じた。

 

(あいつを拾ったのが俺でよかったと思ってくれりゃいいんだがな)

 

 そう思いながら彼は頬杖をつくと目を閉じ、ゆっくりと息を吐き出した。

 

 ***

 

『私に仕事を依頼してほしいの! 』

 

 弾けそうに明るい表情と声で、そう言ったエレンのことがはっきり思い出された。

()()()()から今日まで、俺に腕を認めてもらうため、そして仕事を依頼してもらうために生き延びてきたのだ、というようなことを彼女は語っていた。

 

『あのとき約束したでしょう? 私が一人前になったら、三合会の仕事を回してくれるって』

 

 つまりは俺が三合会の張維新であると知った上で、恩を売ろうとしていたとも言えるわけだが、そんな小狡い知恵を回せるようには、少なくとも俺には見えなかった。

 行動としちゃあ、間違いなく打算的と言えるのだが、それに似つかわしくない清々しいくらいの明るさというか、無邪気さのようなものが彼女にはあった。

 そのときの彼女の眩しいくらいの瞳の輝きに、不思議と目を逸らすことができなかったくらいだ。彼女は少し珍しい色の目をしていてな。ああいうのをヘイゼルアイと言うんだったか。

 

 そういや、あれが初めてエレンに仕事をやった日になったわけか。

 

 俺の縄張りで、よりにもよって安く仕入れた模造品の武器を売りさばいてた阿呆がいたんで、そいつを片付けてこい、と命じたときの彼女の仕事ぶりは傑作だった。

 

 エレンのやつ、見かけによらず細かいことを気にしない性質らしく、締めるくらいで良いってのに、そいつの潜伏していたビルを丸ごとぶっ飛ばしやがった。

 エレンが瓦礫の山と変えたビルの、その隣のビルのオーナーときたらそれはそれはご立腹で、三合会に直談判してきたくらいだ。

 

 ビルの修繕費は経費として払えん、とエレンに告げると、みるみる彼女の表情が萎れていき、叱られたガキみたいに首を垂れて小さくなっていった。

 あのときのエレンは面白いくらいにしょげ返っていたよ。

 おいおい、あの爛々と輝く目はどこへいったんだよ。まるで、花が枯れたみたいだ。

 

 俺たちの世界は、常に腹の探り合いであるはずだろう? なのに、こんなに簡単に心の動きを見せてどうする。

 本当に、こいつは殺し屋なのか? こんな甘ちゃんで、今までどうやって生き残ってきたんだ? 

 

 三合会との取引だって、俺の気まぐれで成り立っているだけだ。この俺の気まぐれで、お前は始末されても文句は言えないはずだろう?

 

 そんな命のやり取りをする世界で今まで生きてきて、どうしてこいつはこんなに無垢な目をしていられる? こいつには野心というものがないのか? それとも単にバカなのか?

 

 変な奴だ、と思った。──だが嫌いではない。

 まぁものは試しだ、もう一件仕事を頼んでみれば、エレンは喜び勇んで首を縦に振った。

 

 名誉挽回、射撃の腕はなかなかのもんだった。いらんことさえしなければ、実に正確で丁寧な仕事ぶりだ。

 

 エレンの愛銃はスイス製の高級品で、初めてそれを見たとき、持ち主の歳の割に使い込まれた銃だといささか不思議に思ったもんだ。こんな小娘がどこで手に入れたんだろうな。

 だが彼女はそれを自分の片手のように使いこなしていて、それが妙に様になっていた。

 

 跳弾を利用して目標を仕留めたのはなかなかのもんだ。

 彼女の腕前は、天性の才能というよりも、訓練で身についた──もっと言えば染み付いたもののような印象を受ける。もっとも、生まれつきの勘の良さなんかはスキルに影響するだろうが。

 

 それから、いくつもの仕事を与えたが、ときどきヘマをやらかしたり、かと思えばこちらの期待以上の働きをみせることも何度かあった。

 だが、そういう意外性のあるところが、エレンらしいとさえ思えるようになっていった。

 

 俺が「よくやった」と褒めると、エレンはその頬を薔薇色に染めてぱっと顔を明るくする。まるで主人から褒美の菓子でももらった子犬のようにだ。そういうとき、やけに胸がざわつくような気持ちになる。

 

 自分ではいらん詮索をするタイプじゃないと思っているが、一体、今までどうやって生きてきたのか──

 この世界の人間にしては不器用がすぎる。

 

 ──案外、そういうのが人に対する興味の始まりだったりするのかもな。それに、勘違いでなければ彼女も俺になんかしらの興味を持っているように思える。それが何かまでは知らんが。

 人間関係は鏡のようなものだと言うし、こんな裏稼業にだってちゃんと当てはまるもんさ。

 

 気がつきゃ、エレンとはそこそこに長い付き合いだ。無論、現れては消えた有象無象の殺し屋たちと比べて、ではあるが。

 

 なんだかんだで、この街で生き残れるスキルを持っている(腕が全てとは言わん、悪運なんてもんもあるだろう)ようだし、エレンとはこの先も関わっていくことになると──思っていた。

 

 なのに、らしくもない。腹をぶち抜かれて死にかけるとはな。

 

 まだ興味があるから、彼女に死んでほしくはない。そうだ。俺はエレンに死んでほしくはないんだ。この俺が、だ。

 まったく、こんな青臭い感情は久しく忘れていたもんだ。だが悪くない気分だな。

 

 あの変わった色の瞳の奥にあるものに興味があるからだと思っていたが、どうもそれだけじゃなかったらしい。

 

 ***

 

 ──張維新が長い物思いから我に返るころ、彼を乗せた車は、この街の中でひときわ大きなビルの前にたどり着いた。

 ビル前の看板には、“熱河電影公司(イツホウディンイェンゴンシ)”とあり、ケーブルTVの配給会社を装っているが、実際はチャイニーズマフィア・香港三合会の隠れ蓑であることはこの街の人間なら誰でも知っていることだ。

 

「張大哥! ご無事で」

 

 出迎えられた張は、雨でずぶ濡れ、おまけにシャツは血まみれときたので、部下達を大層心配させた。

 

 自分が何ともないことを簡単に説明して自室に戻ると、コートとスーツを脱ぎ捨てソファに深く身を埋めた。ネクタイも緩めて煙草に火をつける。

 指に挟んだ煙草から立ちのぼる紫煙を眺めながら、ふとエレンの面影を感じた。

 その手を開き見つめれば、そこに彼女の感触を今も残しているように感じるのだった。

_____

(zeigt sich alles Wunderlich im Spiegelbilde)(すべてのものが鏡像のように奇妙に映っている)

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