死にたがりの讃歌   作:椿芽

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第6話 それが二人の赤い糸(ロアナプラで初めて会った人の話)

 医者の見立ては、あと2、3日もすれば動けるだろう、とのことだった。

 包帯でぐるぐる巻きにされた腹部を撫でて、エレンはベッドから体を起こす。だいぶ、体が(なま)ってしまった気がする。

 愛銃を手に取り、何度か構えては腕を下ろす。少しだけ傷が引きつる気はしたが、問題なく動ける。──これでまた、仕事ができる。

 エレンは少しの安堵を覚えた。

 

 大きく息を吐いて銃をサイドテーブルに置いたとき、何となく傍らにあった薬の袋に視線が行った。

 解熱剤を押し出した後の、ぐにゃりと曲がった、ブリスターパック状のシート。

 カプセルが十個連なるシートに入った解熱剤の残りは、三個。中身が空になった部分は、上から六つあり、そして──最下段に、ひとつ。

 なんだか不自然な並びだ。

 

(あら……?)

 

 エレンは首を傾げるも、深く考えることはしなかった。

 部屋の隅の洗面台へ行き、蛇口の水を両手にすくって顔を洗う。水滴るままに、目の前の鏡を見れば、そこには見慣れた自分の顔があった。少しやつれた気がして、エレンは指で頬に触れる。

 

(──……?)

 

 指を唇へと移動させてふと動きが止まる。

 ──やわらかな感触。嗅ぎ慣れた匂い。誰かの面影が頭をよぎった気がした。

 誰かが自分の名前を呼んでいた気がする。

 あの声は────

 いやまさか。きっと夢だ。エレンは浮かんだ考えを否定すると、その紅い唇をキュッと締めた。

 

 ***

 

 エレン・リーフェンシュタール。

 大きく波打つ長い髪をなびかせ闊歩するその風体と、どこか品のようなものを感じさせる美しい容貌。しかしひとたび仕事となれば、正確な射撃で目標を仕留める冷酷な殺し屋となる。

 

 ロアナプラで殺人稼業を営む神出鬼没な彼女は、どこの組織に属するわけでもない、いわゆるフリーランスで、依頼を受ければ誰でも殺す。

 老若男女、善人悪人問わずだ。

 しかし、当の本人はどこか呑気なところがあり、評判を聞きつけて依頼をしに来た人間が彼女と話してみると、そのイメージの違いに驚くという。

 

 殺し屋ではあるが、殺すべき相手以外を殺すことは好まない性質である。一度引き受けた依頼は完璧にこなすものの、殺しそのものを楽しむような素振りは一切見せることはない。彼女はあくまでビジネスとして標的を殺すだけであり、それ以上のことは何もしない。報酬さえ貰えればそれでいいのだ。

 しかしそれでも恨みを買うことは日常茶飯事であり、命を狙われることもあるのだが、彼女はあっさりと攻撃をかわし、命を取らない程度に反撃すると、こう言うのだった。

 

「私を殺せるようになったら、また来るといいわ」

 

 ロアナプラに巣食う殺し屋達の中でも、そこそこ名の知れた人物であることは間違いないだろう。顔なじみの依頼人の中には香港三合会などこの街の勢力となるものもいる。

 

 そんな彼女がなぜ殺し屋を始めたのか──彼女の過去は誰も知らない。だが、五年程前、ロアナプラに流れついたエレンが、この仕事を始めることになったきっかけに関わる者がいた。

 

 ***

 

 雨が降る。

 先程から降り出した雨は、全てをかき消すような音と共に大地を濡らしていく。

 

 その埠頭近くの荷揚げ場の傍らは、倉庫街となっていて、あたりには人の気配はない。

 

 遠くで雷鳴が轟いた。

 まるでこの世の全てを揺るがすような音と共に、一際強い閃光が空を走る。

 

 倉庫街のそのコンテナの陰に、一人の女の姿があった。膝を抱えてうずくまるその女は、年の頃は十代後半といったところか──まだ少女と呼んでもおかしくないようなあどけなさを残していた。

 

 少し離れたところに、黒塗りの高級車が静かに停まる。

 その後部座席の車窓から視線を投げ、何かを見ている男が一人──その男は、手にしている煙草の灰が長くなっていることを気に留める様子もなく、静かに煙を吐き出しながら、ある一点を注視していた。

 

大哥(アニキ)? どうしました?」

 

 運転席の男が、窓から外を見ながら黙ったままの彼に声をかけた。

 

「あぁ、すぐ戻る」

 

 大哥と呼ばれた男は車から降り立つと、短くなった煙草を投げ捨て靴で踏み消した。

 そして、どこかに向かって雨の中を歩いていく。

 

 

 突然耳に飛び込んできた微かな足音に、うずくまっていた少女は弾かれたように顔を上げた。

 その足音は、徐々に大きくなってくる。

 

 その背から鉄の塊を取り出してしっかりと握り締めると、少女はおぼつかない足取りでヨロヨロと立ち上がる。

 ──どこ? どこから? 

 

 倉庫内に反響するせいで足音の方向が掴めずに、その照準をせわしなく移動させる。

 彼女の勘が告げていた。──絶対、近くにいる。

 そしてそれは、自分の命を奪うに足りる程の相手であるということを。

 少女は、雨と冷や汗で濡れた顔を恐怖に歪めて、なおも移動する足音を捉えようと神経を集中させる。まるで全方位から狙われているような緊張と恐怖で身が竦むようだ。

 

 そして、──突然、背後に何者かの気配を感じて、振り向こうとしたその刹那。

 銃を握る手首を掴まれたと思ったら、高く吊り上げられる。──いつの間に! 

 

「っ!!」

 

 反射的に後ろ足を蹴り上げるが、 背後の人物に足払を食らわされ、 雨に濡れた固いコンクリートに膝をつくことになってしまった。

 ぐっ、と頭を押さえ付けられ、振り向くことすら許されない。掴まれたままの手首が痺れ、必死にグリップを握りしめるが、今にも銃を取り落としてしまいそうだ。

 

 少女の背後の人物は、大きく紫煙を吐き出した。強いその香りが少女の鼻をくすぐる。

 

「──落ち着けよ。何も殺そうってわけじゃあない」

 

 低く響くその声で男が言ったのと同時に、少女の手からこぼれ落ちた銃が、ガチャン、と音を立てて地面に叩き付けられた。

 

 手が放され、ようやく自由になった体を素早く翻すと、少女はその男から距離を取ったが、 サブアームもなく今の自分は丸腰である。おまけに遮蔽物もなく、少女は2mほどしか離れていない距離で男と対峙することになった。

 

 見るからに高級そうな漆黒のスーツとコートを身に纏い、暗いレンズのサングラスをかけたその男は、咥えた煙草を慰むように舌で動かす。そして、ゆっくりと身を屈め地面に落ちた少女の銃を拾い上げると、まるで品定めをするかのように眺めた。

 

「……こりゃ君の銃か? 相当使い込んでいるようだが、ずいぶんとまた高級品だな」

 

 場違いに呑気な口調で離すその男を、少女は気丈に睨み付け、一挙一動に目を凝らす。

 

「ほう……」

 

 手にした銃を様々な角度から観察する男の真意が読めず、少女は一層警戒心を露わにして身構えた。目の前の男にはまるで隙がなく、下手に動くと一瞬で殺されるような気がしたのだ。

 

「ふむ……子供が持つには少々勿体無いシロモノだな」

 

 男はそう呟くと、手にした銃をくるくると回して弄ぶ。

 この緊張感が漂う場面で、あまりにも場違いな行動を見せるその男に、少女は苛立ちを募らせる。

 

「──か、返せっ!」

 

 少女の声に反応して男が銃口を向ける。しかしそれは一瞬のことですぐに降ろされた。その余裕ぶった態度に、少女は奥歯を噛み締めながら男を睨みつけた。

 

「いい目だな」

 

 男はニヤリと笑うと地面に向かって煙草の吸い殻を弾く。少女はさらに強く男を睨みつけた。

 

「そうビビるなよ」

 

 男はそう言うとコートの内ポケットから新しい煙草を取り出して火を点ける。

 紫煙を吐きながら少女の方を向き直った男は、どこか楽しそうな表情を浮かべている。やけに余裕ぶった態度で悠然と立っているこの男が不気味で仕方がない。その感情が、少女に悪態をつかせた。

 

「……なんなんだ、一体、お前は」

「おいおい、年長者に向かってその口の聞き方は感心しないな。それとも、躾がなっていないのは媽媽(ママ)の教育が悪かったのか?」

 

 男はわざとらしく肩をすくめながら煙を吐くと、さらに続けた。

 

「まあ、躾をされるような育ち方はしていないだろうな。その歳でこんなものを振り回すとは恐れ入る」

 

 少女の眉がピクリと動き、同時に拳を握りしめる手に力がこもる。しかし何も言い返さずにただじっと男を睨みつけているだけだ。

 そんな少女の様子を見て男は鼻で笑うと、ゆっくりとした足取りで少女の方へと近づいていく。

 少女は後退りしようとするが後ろは既に壁だった。逃げ道がないことを悟った彼女は覚悟を決めると歯を食い縛って身構えた。

 

「そう警戒するなよ、先刻(さっき)も言ったろう。殺しゃしないさ」

 

 完全に相手のペースに嵌っていると気付きながらもどうすることもできず、ただ自分の銃を手にしたままの男の姿を視界に捉え続けるしかない。

 

 もはや、逃げられるチャンスなどないのだと、少女にもわかった。

 だから、身構えていた体をその場に崩した。力が抜けた少女の身体はビシャッ、と音を立てて水溜りに崩れ落ちる。

 膝から座り込んだ少女を見下ろして、男は続けた。

 

「この街の人間じゃあないな? どこから来た?」

 

 疲弊しきった少女は、顔を上げることもないまま答えた。

 

「わからない……どこをどうしてここに来たのか……ここは何処なのか……」

 

 ──流れ者の殺し屋か。未熟なだけで筋は悪くない。この歳でここまでの反応ができるようになるには相当訓練を積んでいるのだろう。彼の目はそう見抜いているようだった。

 男は少女を一瞥して、再び問う。

 

「いつからここにいる」

 

 少女から戦意は微塵も感じられず、すべてを諦めたように目を伏せたまま従順に答える。

 

「今日、着いたばかり」

 

 男は手にしていた銃をデコッキングすると、くるりと向きを変え少女へ向けて差し出した。

 少女はゆっくりと顔を上げると、困惑しつつも手を伸ばし愛銃を受け取った。

 

「ここはロアナプラ。硝煙と暴力の都だ。歓迎するぜ、お嬢ちゃん」

 

 煙草を咥えたまま男は、口角を上げ笑ってみせた。不思議とその笑顔には悪いものは感じられず、むしろ清々しいくらいだった。

 

 状況が飲み込めず目をパチクリさせている少女に向かって、男は言葉を続ける。

 

「この街は物騒なのが多いからせいぜい気を付けるんだな。お嬢ちゃんみたいなガキを一人で歩かせるには少々荷が重いぜ」

「……私を殺さないの?」

 

 少女が尋ねると、男は一瞬意外そうな表情を浮かべたあと、ニヤッと笑い紫煙を燻らせながら答えた。

 

「殺す理由もないしな。それに、ガキを殺すなんて寝覚めが悪くなるだろう? そんな趣味はねぇよ」

 

 少女は眉根を寄せて、目の前の男を見つめた。

 男は少女の視線に気づくと、再び笑みを見せる。

 

「なぁ、お嬢ちゃん。この街は慣れりゃ悪くないもんだぜ。俺たちみたいな人間にゃ住みやすい街さ。なんせここは無法者の楽園、別天地(エルスウェア)だからな。お嬢ちゃんみたいな人間だって受け入れてくれるさ」

 

 言葉を失っている少女に向かって、男は続けた。

 

「この街はな、食うか食われるかだ。弱い者は死に強ければ生きていられる世界だよ。ガキでも、運さえありゃいくらでも食っていける。それにな……」

 

 男はそこで言葉を区切ると、煙草を捨て靴底で揉み消しながら続ける。

 

「……ここはいろんなヤツが集まるところだ。ここでの強さは腕っ節だけじゃない。お嬢ちゃんの持っている銃みたいに、そいつの使い方次第さ」

 

 少女は自らの手の中にある愛銃に視線を落とすと、強く握りしめた。

 

「…………」

 

 やがて顔を上げた少女の、緑掛かった淡いブラウンの──ヘイゼルの瞳が、男を見つめる。

 

「それ、やめて」

「ああ?」

 

 新たな煙草に火を点けようとしていたところで、男は動きを止めた。

 

「お嬢ちゃんって呼ぶの」

 

 少女は立ち上がって、真っ直ぐ男を見据えた。

 

「エレン。私の名はエレンよ」

 

 その眼差しにはもはや弱々しさなど欠片もなく、強い光がみなぎる。

 男は煙草を咥えたまま、さっきよりも大きな笑みを見せた。

 

 

 男の正体が香港マフィア・三合会のタイ支部の長、張維新(チャン・ウァイサン)であると知ったのは、エレンがこの街で暮らし始めて2日後のことだった。

 ____

(Enchanté mademoiselle)(アンシャンテお嬢さん)





【挿絵表示】
シーンをコミカライズしてみた。
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