死にたがりの讃歌   作:椿芽

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第7話 行きつく先がたとえ行き止まりでも(射撃練習の話)

「──誰かと思えば、この間のお嬢ちゃんか」

 

 ふいに聞こえた声に、エレンは構えていた銃を下ろし声のした方を振り返った。

 砂利を踏み鳴らして、黒いコートを纏ったその男はこちらに歩いてくる。

 

「……張維新(チャン・ウァイサン)

 

 エレンはつい最近知ったばかりのその男の名前を、確認するように口にした。

 この街を支配するマフィア、香港三合会のタイ支部の長であるこの男、張維新とエレンが会うのはこれで二度目だ。

 

 余裕綽々の表情を崩さぬまま、張はエレンに近づいてくる。そしてすぐ間近まで来たところで足を止めた。

 

 この街で初めてコンタクトを取った人間である張はまるで読めない男であった。

 見た目は若く見えるし、愛想よく笑っているが、その奥にある真意は何一つわからない。

 

「会うのは二度目だな。……また会えたのは、運命かな?」

 

 エレンを見下ろして微笑む張に、彼女は表情を変えず答える。

 

「……何が望み?」

「おや? 俺は別に何も?」

 

 そう言って首を傾げる張に、エレンは小さくため息をつく。──やはり読めない男だ。一体何を考えているのか……。

 エレンは警戒心を募らせるのだが、張は構う様子もなく、懐から煙草を取り出し火を着けながら気安く問う。

 

「どうだい、この街には慣れたかい」

「お陰さまで」

 

 彼の呑気な問いかけに、どうにも調子が狂ってしまう。まるで掴みどころがない。しかし、彼が油断ならない人物だということは理解している。それでも今は危害を加えるつもりもないらしい。エレンは張の様子を窺いながら、手を止めていた作業の続きを再び始めることにした。マガジンに弾を一つずつ込めていく。

 

「ほう、そりゃ何よりだ」

 

 そう言うと張は、白い煙を吐き出した。その匂いはエレンが今まで嗅いだことのない独特なものだった。

 

「──射撃の練習とは感心なこった」

「どうも」

 

 張が何気なく目をやった先に散らばった無数の空の薬莢、9mmパラベラム弾の空箱────彼女がついさっきここに来たのではないということがわかる。

 

「この街に腰を据える気になったってわけかい?」

「……私に何か用なの?」

 

 エレンがそっけなく答えると、張は苦笑し肩をすくめた。

 

「まあそう邪険にせんでくれ。俺は君に興味があるんだ。どうだい、少し話でもしないか」

 

 そう言われても素直に応じる気になどなれず、エレンは無言のままじっと張を見つめる。その視線を受けて、彼は(ひょう)げた調子で肩をすくめてみせた。

 ため息をついてエレンは答える。

 

「……別に。まだここにずっと住むって決めた訳じゃないわ」

「そうかい。じゃあ何処へ行く? アテがあるのか?」

「……だったら、何? 貴方に関係ないでしょう?」

 

 そう言って腕組みをすると、そっぽを向いた。

 そんなエレンを張は気にする様子もなく、むしろ微笑ましく見守るかのように眺めている。

 

「行くところがないのなら、この街にいりゃいい。この間も言った通り、ここはどんな人間でも受け入れる、そんな場所さ。……エキサイティングな街だぜ?」

「行くところがないなんて、誰が言ったかしら?」

 

 ──行くところなんてない。なにより自分がどこから来たのかすらエレンは覚えていないのだ。

 

 そう、目を覚ました時には船の中にいた。

 自分はどこから来てどこへ向かっていたのか? 

 これまで何をしていたのか? 

 何も思い出せない、頭の中は霞がかったようにぼんやりとしている。

 港に降り立って辺りを見回せばムッとした湿度のある熱気と、辺りに響く罵声、銃声──

 

 この街に降り立ってほんの十分程度歩き回っただけで充分だった。エレンにはハッキリ分かったのだ。

 ──まったくこの街はイカれてる。

 エレンがいた場所から遠く離れているであろうこの南国の街は、おかしな人間ばかりだった。みんな銃を携帯している。安い屋台でヌードルを啜る連中も、港で小舟に揺られてるジジィも、誰も彼もが銃を持っていてしかも、あろうことか目の前で人が撃たれても気にする様子すらない。警官ですら、昼間から街の人間と一緒になって酒を飲み馬鹿騒ぎする始末だ。

 

 ここはタイらしいが、この街はまさに張の言っていた通りの別天地(エルスウェア)だ。

 

 これまでのことを思い出そうとする度に頭が痛くなる。

 だけど、これだけは体が覚えている、銃の扱い方を。

 だから、今、信じられるのはこの銃──自身の父のものであった銃、これだけだ。

 

 ──これから、どこへ行きどう生きていけばいいのか。そんなことを考えながら射撃をしていたところに、張が現れたのだった。

 

「…………」

 

 しばらく何も喋らなくなっていたエレンの、その横顔を張は見ていた。

 顎辺りまでの短さの髪は癖が強く、あちこちが跳ねていて切りっぱなしのようだ。だが、伏せられた長いまつげに、肌は透けるように白く、細く高い鼻筋。

 まだどことなく幼さが残るものの、美しい顔立ちである。

 

「ほう、この間は気が付かなかったが、明るいところで見たらなかなか綺麗な顔をしてるじゃないか。きっと、あと数年すりゃ立派ないい女だ。誰か金持ちの愛人にでもなりゃ、贅沢三昧の生活ができるんじゃないか?」

 

 冗談めかして言う張の言葉に、エレンは首を振る。

 

「私にはそんなことできないわ。それに、贅沢がしたいわけじゃない」

「まぁな。君みたいな不器用なガキにゃ無理だろうな」

 

 その言葉に苛立ちを覚えて張を睨み付けた。

 しかし、そんなエレンとのやりとりを楽しんでいるように、張は煙草を咥えた口元をニヤニヤと緩めている。

 

 エレンは馬鹿馬鹿しくなって、何度目かわからないため息をつく。そして、張がその場を立ち去る気配もなさそうだと感じて、自分の作業に戻ることにする。

 愛銃を握った右腕を持ち上げると、指を引き金にかけた。

 20ヤードほど先の木の幹に、あらかじめ貼り付けておいた、的を記入した板──それに狙いをつける。

 あとは指先にわずか数十グラムの力を掛けるだけ──

 

 少しばかり癖のある射撃音が空に吸い込まれるように昇る。

 放たれた弾丸と引き換えに、いささか強い反動が痺れとなってエレンの腕を伝い上がり、無意識のうちに上下の奥歯がミシリと音を立てた。

 続けて引き金を引き続け、9発全ての弾が的を焦がしたあと、空になったマガジンを落とし手のひらで受け止める。

 

「──ほう、若い割になかなかの腕前じゃないか。その高級品は飾りじゃないってわけだ」

「──どうも」

 

 右腕をこっそりとさすりながら、世辞かどうか分からない張の言葉に返事をした。

 

「どこで習った?」

「……さあ」

 

 エレンとて、はぐらかした訳ではない。だが、はぐらかしたと思われるならそれでも良かった。

 

「君のお師匠の教え方が良かったんだろうな」

「どうかしら」

 

 エレンは無表情で張を一瞥すると、新しいマガジンと弾を取り出し、装填する作業を始める。

 

「──だが、」

 

 張は身を屈めて、弾丸の箱や薬莢にまぎれて無造作に置いてあった板を拾い上げた。

 張が現れるずっと前までエレンが的にしていた板だった。ダーツの的のようなそれは、すでに穴だらけであったが、中心部には傷ひとつない。

 

「照準が少しばかり左にずれているようだな。──まァ、これだけ当たりゃ許容範囲だろうが──

 この街に腰を据えるつもりならこれじゃあ及ばん」

 

 自分でも気になっていたことを指摘されて、エレンはムッとした表情を隠さずに表す。

 

「……やれやれ、そんなに睨むなよ。あのな、何事にも順序ってもんがあるのさ」

 

 いいながら、おもむろに張は握手をするようにエレンに手を差し伸べた。

 目の前のエレンは怪訝そうな顔をしながらも、出された手を握る。

 

「ふむ」

 

 自分のものよりもだいぶ小さなその手を握ったまま、張は言う。

 

「──グリップが甘いせいだろうな。

 もっと筋力をつけろ。それまでは、きちんと両手で握るスタンスを取るんだな。こんな柔らかい手のひらじゃ、片手撃ちなんざ十年早いってもんだ」

 

 ──両手で握る──スタンス──アイソセレススタンス、ウィーバースタンス。

 エレンの表情に翳りが差す。

 誰かに、どこかで教わったような気がする。誰だっけ──

 誰かの面影が脳裏を横切ると同時に、頭がズキンと痛んだ。

 まただ。思わず頭を押さえる。

 

 そんなエレンの姿に、張は一瞬、不思議そうな表情になったが、すぐにまたいつもの飄々とした笑みを浮かべ、言った。

 

「さっそく実践だ、さ、構えてみろよ」

 

 不信感を滲ませた表情のままのエレンであったが、先程と全く同じように、的に向かって握った銃を構える。

 

 ──突然、背後から煙草の匂いがエレンを包んだ。

 

 ドクンと心臓が大きく揺れて、思わず振り返ったエレンの顔のすぐ近くに、真っ直ぐ先を見つめる張の顔があった。

 背中を抱かれるような体勢で、張の手がエレンの左手を掴んで、そして銃を握った右手に添えさせる。

 包まれた大きな固い手のひらの感触、似つかわしくないその温かな温度に戸惑いながら、エレンは黙って張の言葉を聞いた。

 

「──そう。両手の親指を重ねるように──しっかり握るんだ。肩に力を入れすぎるなよ」

 

 張がそっと離れていって、エレンは的に向き直る。

 一呼吸ついて、引き金を引く。射撃音と共に、弾丸が放たれる。

 ──反動が、軽減されている! これなら──高揚感に任せてエレンは引き金を引き続けた。

 

 マガジンを空にしたときは、的のど真ん中にはいくつもの穴が空き、いびつな模様を描き出していた。

 

「やった……!」

 

 思わず呟いたエレンの言葉に、隠しきれない歓喜を感じて、張は笑いを堪えずに漏らす。

 ハッと振り返ったエレンは、先程までのように気丈な表情で張を見ているが僅かに頬は紅潮していた。

 

「どうして──私に助言を?」

 

 張は煙草をもう一本取り出して火を着け、大きく紫煙を吐き出しながら言った。

 

「お嬢ちゃんをこの街に誘ったのはこの俺だからな。まあ、子供に──それも可愛い女の子に死なれるのは気分のいいもんでもない」

 

 (ひょう)げた仕草で肩をすくめて、相変わらず彼の言葉のどこまでが本気なのかはエレンにはわからない。だがそれよりも――

 

「──あ・の・ね」

 

 両手を腰に当てると、肩をいからせてエレンは張を挑むように見つめる。

 

「あ?」

「前にも言わなかったかしら。私にはちゃんと名前があるの。

 私の名前はエレン。エレン・リーフェンシュタールよ。それに私はもう17よ。子供じゃないわ」

 

 自分の胸を手のひらで叩きながら彼女はそう言う。

 小さなレディーが背伸びをするさまに、思わず張の口元には含み笑いが浮かんだ。

 

「ああ、そうだったな。こいつは失礼。覚えておくよ、エレン・リーフェンシュタール」

 

 話の区切りに煙草を地面に落とすと、弱く煙を立てるそれを踏み消した。

 

「じゃあな。そのうち君が一人前になったら三合会(ウチ)の仕事を回してやるさ」

「ほ、本当に……?!」

 

 背中を向けて歩き出した張に、エレンは声を投げる。

 

「その言葉、忘れないでよ! 約束だからね!!」

 

 足を止めることなく、張維新は片手を上げると、エレンに向けてヒラヒラと振るのだった。

 

 

 その場で一人になったエレンは決意する。

 生きてやる、この街で。

 あの男に仕事をもらえるようになるまで、生き抜いてやろう。

 そしていずれ、必ず自分を認めさせてやる、あの男に。

 エレンは銃を構え、しっかりと両手で握る。

 

「……よし!」

 

 放たれた弾丸は的のど真ん中をぶち抜いた。

____

(Alle Guten, alle Bösen Folgen ihrer Rosenspur.)(すべての善も、悪も、バラの香りを辿る)

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