令嬢の帰還【前篇】
──そして私は半年ぶりに、
寝転んだまま、見上げた青空。どこからか聞こえる喧噪が耳障りだけれど、寝心地はとてもよかった。
それは、たくさんの柔らかな羽根の上に寝かされていたから。それらがレイジョーガーと
宿っていた仄かな白光はすでに消えて、ただの羽根になってはいたけれど、これ自体は私や
「おねえちゃん、おきたのー?」
「だいじょうぶ? 痛いとこない?」
青空を背景に覗き込んできたのは、心配そうに眉を寄せた子供たちの顔。それぞれの額や、頬や、あるいは瞳のなかに、
「ええ。だいじょうぶ。──ありがとう」
ゆっくりと上体を起こしながら、するりと唇からこぼれた感謝の言葉。驚くくらい当たり前のように発することができるそれを、かたくなに拒んでいた半年前の自分は、なんと幼かったのでしょう。
まずは、自分の置かれた状況を理解しなくてはと思うのだけれど。
衿沙の世界で「オーエル」として必死にお仕事をこなす日々から、目覚めたら唐突にパラディオン王国に戻されていて、混乱しないわけがない。
確かに、その間に衿沙が経験したことは記憶としては残っています。でも、衿沙の中には
おかげで、私は知らない世界でも生きることができた。そして、本当にたくさん成長できたと自負しています。
──今。その繋がりを感じられなくなったことが、不安となって私の胸を苛むのでした。
「はい、これ! キツネさんが、おねえちゃんにって」
ふと鼻腔をくすぐるのは、なつかしい香り。帝国の小さな少女が慎重に運んできてくれたのは、琥珀色の液体が注がれたティーカップでした。口元に運べば、拡がるのは向こうの世界でどんなに探しても得られなかった、華やかで芳醇なあの香りと味。
もうほとんど冷めてしまっていたけれど、間違いなくそれは、ミオリが毎朝欠かさず淹れてくれた紅茶そのものでした。
なぜかこぼれそうになる涙を必死に堰き止めつつ。紅茶のおかげで安らぐ胸と、同時に冴え渡ってゆく思考のなかで、私は周囲に視線をめぐらせます。
荒れた庭園、不安げに私を見ている帝国の子供たち、そして私の傍らで静かに寝息を立てるのは聖女マリカ。どうやらまだあの決戦の直後、時間はそれほど経っていないことがわかります。
──ありがとうマリカ。いまはゆっくり体を休めて。あとでたくさん、二人でお話ししましょうね。
しかし、なぜ私たちは庭園に放置されているのか? その答えは、ずっと聞こえていた喧噪の先にありました。
めちゃくちゃに破壊された式典舞台の残骸のなかで、衿沙が私に贈ってくれた頼れる仲間たちが、こちらに背を向けて戦っています。私と
敵は、剥き出しの上半身で隆々たる肉体を晒す一人の巨漢です。おそらく、彼が上空の
オールバックの白髪は
そして首から下の、鍛え上げられていながら生気を感じさせない青白い肌のすべてに、小さな
「あれは……」
「
答えてくれたのは、私の傍らにちょこんと正座した先ほどの少女。
「わたしたちのおとうさん。だけど、みんなをいじめる悪いやつなの」
「でも、ライルにいさまがやっつけてくるって」
別の少年が言葉を継ぎます。
その視線の先では、当の
「……ライルにいさま、かてるかな?」
「……かな?」
不安そうな子供たち。私は、傍らの少女の頭を左腕で包み込むように抱きよせます。うっすらとしか残っていない記憶だけれど、泣いているといつもお母様はそうしてくれたものです。
「大丈夫、安心なさい」
囁くように口にしてから、私はゆっくり立ち上がります。背をさらりと流れる長い髪の感触が、なつかしい。
「悪いやつは、おねえちゃんがこらしめて来るからね」
そうして、アズライル帝の姿をまっすぐ見据え言い放つのです。自分自身を奮い立たせるため、それ以上に、誰より守るべき
しかし、なぜこの皇帝は上半身裸なんだろう。下半身のレザー素材らしきロングパンツも筋肉ではち切れそうだ。こんなのが治める国、ぜったいに嫌なのですが……。
『──お目覚めになられたのですね!』
そんな思考を遮って、ミオリの風話が耳元に響きます。
そういえば、世界と世界の境界を跨ぐなかで混線したのか、衿沙の記憶にまぎれて、ミオリの記憶の断片らしきものもちらりと見えてしまった気がするけど──本人には、内緒にしておきましょう。
「ええ、
『……エリシャ……さま? おからだ、どこか痛みますか? どうか、どうかご無理なさらず……』
怪訝な反応は、私の変化を感じ取ったのでしょうか。本当に、いつも私のことを一番に考えてくれる彼女には、感謝しかありません。けどそれを伝えるのは、また改めて。
「大丈夫。だから、状況を教えて」
『はい。エリシャさまが、気を失われたあと──』
──そして
さすがに、アズライル帝その人が
けれどもしそこまでが、王国を攻める上での障害である「絶聖の加護」を排するための、彼の策だったとしたら?
そして、その恐ろしく用意周到な男が、単身で一国を制圧できる凄まじい力の持ち主だったとしたら。
そんな事態に直面しても、誰も諦めはしなかった。それはきっと全員の胸に、衿沙が点していった炎が燃えているからなのでしょう。
魔刀
……それに、赤黒い魔瘴装甲をまとったリヒト先輩……いいえ、ミハイル王子……。
それでも戦う彼らの方へ、ドレスの裾を翻して歩を進める私。
頭上を、
「……眠り姫はようやくお目覚めか」
さきほど放り投げられた
「あら、もっとゆっくり休んでいてもよくてよ」
彼はその返しに苦笑しながら肩をすくめて、歩を緩めない私の後ろに従います。
「あいつが
「──ええ、もちろん。私は、諦めない」
彼の問いかけに即答したそのとき、真正面から凄まじい濃度の魔力を伴った
「おまえが
それは鼓膜を揺るがすアズライル帝の
「わかっているぞ。こやつらが絶望せぬは、おまえがこの国の精神的支柱だから。ゆえにこの国を
同時に、皇帝の全身の魔紋が蒼く輝く。瞬間、対峙していた
生身でも、まったく歯が立たない。にも関わらず、彼は自身の言葉通りに絶望を──右腕に嵌められた黄金の腕輪を天に掲げるのでした。
「纏装──」
そして厳かに言い放つ。全身の魔紋が放つ蒼い輝きと、腕輪から溢れた
獣とも蟲ともつかない異形の仮面の額には、
「見るがいい! そして絶望せよ! これぞ
両腕を拡げ、まさに魔神のごとき威容を誇示しながら皇帝が名乗る──
「アスラデウス、だったかしら?」
──のを遮って、私はその名を言い当てるのでした。
「……あ……?」
いましがた神を名乗ったばかりの皇帝が、事態を呑み込めずに固まる。実に申しわけないけれど、私はそんなもので絶望などしないのです。
なぜならば、つい先日発売された分厚い「パラディン★パラダイス
その巻末にモノクロで載っていたゲーム未実装のボスキャラこそ、いま目の前に立つ魔鎧神アスラデウス。
それは同じく未実装の攻略対象キャラ「エリオット・ダンピール」、つまり男装した
そう。私はすべて知っています。だからなにひとつ恐れることなどない。
──右の手首の黒い