バレンタインデー二日目———なんてトンチキなイベントは起こるはずもなく、今日は二月十五日。好意を抱く相手へ、日頃お世話になっている人へ、あるいは既知の友人へ、日頃の思いをチョコレートに込めて贈る素敵な日から21時間以上が経過した。
今、書類と格闘している私の隣には大小さまざまな箱が並べられており、どれも甘くとろけそうな香りを放つ。終わらない仕事に悩殺されていた私はすっかり忘れていたが、そんな私の元にもチョコレートが届いた。ある生徒は手渡しで、ある生徒は郵送で、中にはメッセージカードを添えてくれる生徒まで。
すべてを確認できたわけではないけれど、こうやって思いを形にして相手に伝えることのできる生徒たちはきっと将来素敵な大人になるだろうな。楽しみだな。 なんて考えていた。42枚目の書類に手をかけて、手元の端末から無機質なベルがけたたましく鳴る。画面には”救援要請”との文字。手元の書類を戻し、暗い端末の画面を入れ直してコールを取った。
「所属学校もしくは部活名、名前、要件を手短に。」
『ゲヘナ学園 風紀員会所属の銀鏡イオリ!不良生徒鎮圧のために先生の手を借りたい!』
バックで聞こえる銃声と爆発音からして屋内戦闘だろうか?この時間までお疲れ様だとしか言いようがない。すこし親近感を覚える。椅子に掛けてある制服をつかみ取り、袖を通してドアへと向かう。
「要請を確認、受領した。場所は通信のログを辿るから電源は入れたままで。相手の数は?」
『およそ十五から二十人、こっちは私含めて八人。廃棄された建物の中で行動がしづらい』
「オーケー、今確認できた。それじゃあ屋内用の自動ドローンを飛ばしてもらえるかな。」
シッテムの箱に映されたのは廃ショッピングモール。相手の人数とこちらの練度を考えれば十二分に勝機はあるが、今は夜で場所は屋内。しかも相手の手中であることを考えると遠距離の戦闘指揮ではいささか不安が残る。
「今からそちらに向かいながら戦闘指揮を行う。八人全員インカムから私の声が受け取れるようにしておいて」
『了解した。先生は気を付けて来てくれ!』
「そちらも皆気を付けて。無茶だけはしないように。」
一拍おいて、八人全員と通信が繋がったことを確認して続ける。
「最小限の戦闘で相手を無力化する。みんな私の指示に従って動いて。大丈夫、勝てるよ。」
「「「「「「「「了解!」」」」」」」」
小型の通信機を耳に差し込んで、シッテムの箱を片手に走る。やはりバレンタインデーなどはすでに終わってしまったらしい。日常ともいえる非日常にどこか安心感を覚えながら現場へと向かった。走っている最中、「そういえばイオリからはチョコもらえなかったな…」なんて考えが脳裏を掠めたが、それは今考えることではない。戦闘指揮に集中するように頭の片隅へと押し込めた。
「二十三時十八分、戦闘終了…っと」
袖についた砂埃を払い、写真を撮ってシッテムの箱へと記録を残す。救援要請は応答、非応答問わず必ず記録を取り、結果を連邦生徒会へ報告することになっている。これもシャーレが一つの学校へと肩入れしすぎないようにするためのものらしいが、私はあまり機能してないと思う。
「お疲れ様先生、おかげで助かったよ。」
柱の陰から急に話しかけられてびくりと肩を震わせるが、聞きなれた声と姿に緊張は闇夜へと溶けた。
「イオリもお疲れ様。他のみんなは?」
「ああ、他七名は不良生徒の移送が確認できたから直帰させた。時間も時間だしな。」
結構遅くまでかかったから今度何か用意しておかないとな なんて呟く彼女の顔も疲労感がぬぐえていないのが伺える。制服のところどころは破けているし、トレードマークともいえる輝く銀の髪は硝煙と砂埃が飾り付けられ、照らす月夜を鈍く反射させる。
「あ、膝…」
「これ?血も止まってるからなんともない。いつものことだ。」
「そっ…か。」
血はすでに止まっているようだが、大きく膝をすりむいている。キヴォトスの皆は私よりも丈夫だから、少しの傷では動揺もしなければ慌てもしないが、やはり子供が傷を負っている姿を見るのは痛ましい。自分の能力の至らなさに情けなくなる。
「ごめん、もっと私がうまくやれていれば———」
そう謝ろうとする私の口を、彼女の手が止めた。唇に触れた彼女の爪はキャンディのように硬くて、それでいて整えられているのが分かる。丸みを帯びた指先だった。
「先生は十分よくやってる。前回も、今回だって後輩の誰一人銃撃を受けなかった。」
「そもそもこの膝は…先生に要請を出す前にやっちゃったやつだし。」
自分に呆れたように苦笑する彼女の笑顔に、情けなくもいくらか救われたと思う。私の肩は震えるのをやめて、同時に思わず吹き出してしまって、穴が開いたボールのように体から力が抜けた。
「イオリは優しいね。」
「ふん…」
「じゃあ帰ろうか。送るよ」
「その前に先生、こっち向いて目をつむって口開けて」
「? こうでいいかな?」
出口へと向かおうとすると呼び止められたから、言われたとおりに軽く口を開ける。数秒立って何かが口上へと押し込まれた。えづく私の口を抑えるイオリ。振り払おうにも今の彼女に万が一があってはいけない。観念して投げ込まれたものを噛むと、四角くて、ほろ苦い。さらに噛むとほろりと崩れて広がる甘い汁は唾液と混じって舌を絡めとる。まぎれもなくチョコレートの味だった。
「イオリこれって」
みなまで言うなと言わんばかりに、イオリは顔をそらしてポケットに手をしまう。それなのに、揺れた前髪から除く赤い相貌は私を捉えて離さない。
「一昨日のバレンタインに渡せなかったからってここで渡してきたってことでok?」
いわずと言われてしまっては、言葉に出してしまうのが性というもの。特にイオリのような生徒には。
「なんで全部言っちゃうんだよバカ!」
月しか光源がないというのに、彼女の顔が瞬間赤くなったのがよくわかる。
胸を叩いてくる。ぽかりぽかりと力なく胸を叩き、尻尾ではたいてくる。
彼女なりの照れ隠し。
振られる両腕につられて私の心臓のスピードを上がる。
どくんどくんと、気持ちが昂る。
あまりにも愛おしいその姿を前に、ついつい頭を撫で、顔を撫で、喉をくすぐり、ひたすらに彼女を愛でる。
気にもせず私の胸にじゃれつき、尻尾を絡めてくる彼女。
お互いに互いを求めるような、何ともない、ただの触れ合い。
時間を忘れてお互いの気持ちを伝えるように、ただ触れ合う。
その心地よい時間に
何よりも癒される心が
あなたに伝わればいいな と 月光に希う。
月があたりの建物に深い影を落とす頃。お互いに制服を整える。
「にしてももう日付超えちゃったね。今日はシャーレに泊まっていったら?」
「…そうしようかな。」
銃を担ぎなおし、私の横に並んで歩きだす。
「一応言っとくけど、今日は変なことはするなよ。」
カツカツと二人分の足音が廃墟に鳴り響く。
月夜に照らされた足元には砂ほこりが雪のように散る。
「しないしない。」
「返答の間が長くない?!今日はほんとのほんとにダメだからな?!」
口の中で転がしたチョコレートは苦めで、味わうと奥深くに甘さがあって。
彼女の贈り物としてこれほど似合うものもないだろうと。
また味わえるといいなと思う。
来年も、再来年も。
願わくばその先も。