「雨、やまないね」
「そうだな」
目線を送ることなく相槌を返す。窓際からは先ほどから絶えることのない雨音が聞こえる。”バケツをひっくり返したよう“とはこういう雨のことを言うのだろう。いつもなら遅くまで明るい街灯も雨と雲によって遮られていて窓まで届かない。まるで黒い絵の具が塗りたくられたような闇だけがそこにあった。
「雷まで鳴ってきたよ。イオリは雷は平気?」
「ああ、そうみたいだな。私は別に問題ない」
書類にペンを走らせながら、先ほどから手を止めて窓を眺める先生を嗜めるように、少し冷たげに言い放つ。
「と言うか先生、外に目を向ける暇があるなら目の前の業務に目を向けてくれないか?」
「いやはやごもっとも。でもちょっと集中力が…ね?」
先生は苦笑を浮かべ、5本の指で器用にペンを回しながら積み上げられた書類の山をぺらぺらとめくる。次から次へと積まれていった書類の枚数は風紀委員会での事務業務と負けず劣らず。1枚終わったかと思えば20枚は増える業務に最初は唖然としたものだった。
私だって正直うんざりしているけど、当番だから我慢してるのに。
はぁ、先生は大人なのに何でこんななんだろう…。
疲れた目頭を抑えながら自分も窓辺に目を向ける。
その瞬間、カッと窓が光る。雲と景色の間に青白いラインが姿を現す。
かと思えば、続く轟音と地鳴りに思わず肩がびくりと跳ねる。
「うわッ!な、なに?!」
続いてふっと部屋の電気が消える。
(もしかして停電…?)
正面のモニタは電源表示灯が消えているし動いていた空調も止まっている。先ほどの衝撃は落雷だったのだろう。それも近くに落ちたのか、天井の電灯は割れていないが復帰する気配はない
「先生、大丈夫か?」
「大丈夫だよ。イオリこそ平気かい?結構大きめに声あげてなかった?けがしてない?」
「私も大丈夫、ちょっと驚いて声が出ちゃっただけだ」
***
「気づかなかったけどヘイローってほんのり発光してるんだね」
「ん?ああ。原理はわからないけどな」
復旧には1時間ほどかかると連絡を貰った。仕事再開はそれまではお預けだ。
その間話し相手になってくれているイオリのヘイローからは周囲をぼんやりと照らす程度に発光しているのが見てわかる。
こんなとき私にもヘイローがあれば、その明かりで仕事ができそうだ。
冗談まじりにそう思った。私はキヴォトスの人間ではないからヘイローなるものは持っていないが。そもそも格好良いヘイローが暗闇でも光るなんて男の浪漫を押さえているとしか思えない。今度エンジニア部で作れないか相談してみようかな
「先生、ちょっと椅子引いて」
「え」
「いいから椅子引いて」
「あ、ああ」
どんな形がいいかな なんて考えていたらいつの間にかイオリが隣までやってきた。
言われるがままにデスクから体を離す。
「先生の仕事をサポートするのが当番の仕事だから」
引いた隙間にイオリが滑り込み腰を落とす。つまり私の膝の上に座ってきた。布越しに伝わる少女特有の柔らかさと鼻先の甘い匂いが嗅覚と触覚に訴えかけてくる。
「いい匂いがするね。シャンプー変えた?」
「馬鹿なこと言ってないで」
茶化そうとした一言をぴしゃりと戒飭される
イオリが両手を掴んでデスクに引っ張る
「これで仕事できるんだろ?」
(あれ、声に出てたかな)
イオリはこらちを仰ぐ様に上目遣いで見つめてくる。
ヘイローのぼんやりとした明かりでは表情までは読めない。
理性が持つかなぁ…
抱き枕よりも柔らかい肢体は徹夜続きの私の身体にはいささか刺激が強い。しかし彼女がここまでやってくれているのに無碍にするわけにはいかない。それに、献身的に接してきた彼女に対してここで邪な感情を持つのは彼女の信頼に対する裏切りだと思ったから。
やるのならばやる、然るべきタイミングというものがある
「そうだね、ありがとうイオリ」
半ば諦めて、全身に感じる体温の意識を捨て去るように手を動かし始めた。
***
心の準備は済ませてた、はずだったのに。
お尻から先生を感じる。少しゴツゴツとした男の人のカラダ、こちらに負担を減らそうと足の形を崩さないように力を入れているのがわかる。預けた背中から先生の体温を感じる。肉つき、一定のリズムを刻んだ鼓動、呼吸による胸の浮き上がり。
視覚という情報が失われている分、普段触れられている時よりも意識してしまうのは仕方ないこと…とは頭では理解しているが。先生は仕事をしているのに、自分だけ悶々としていて何だか恥ずかしい。
でも
(あったかい)
それ以上に心地よさを感じている
そう、心地がいい。ブランケットのような大きな体に包まれ、先生がペンを走らせる音が一定のリズムを奏でる。書類仕事で掠れた両眼を癒すかの様な暗闇。そんな中での心地よさは次第に眠気を誘う。前を向いていた体は次第に先生へともたれかかるように崩れ、開いていた目は閉じがちになり、首は船を漕ぐ。
「イオリ、眠いのかい?」
先生が耳元に囁いてくる。こそばゆくって少し身じろぐ。
「そんなこと…ない」
「せんせぇがしごとしてるのに…わたしだけ…」
船を漕ぐ首を止めようと先生の体に頭を擦る。
「ありがとう。でも大丈夫。必要な時には声をかけるから。」
いつもヘンタイなくせに、こんなときばっかり…。
私の目は完全に閉じ切り、暗闇の温もりにその身体を預けた。
***
暗闇に目が慣れてきた頃、チカチカと音がしたのでイオリの両眼を手で覆う。しばらくして天井の明かりが点灯した。
急な光に目を細める。壁にかけてあるアナログ時計に目をやるときっかり1時間。
華奢な体に手を回し、なるべく触れる面積を減らす様にして抱きかかえて部屋を出る。
隣の仮眠室の布団に彼女を降ろし、ネクタイとグローブ、ブーツを脱がせる。
目の前で寝転ぶ彼女の顔はスヤスヤと気持ちの良さそうなものだ。思わず手の甲で頬を撫でると彼女は頬擦りで返してきた。少し驚いたけれど、そんなふうに甘えてくる彼女も愛おしい。
「ふふっ…」
思わず笑みが溢れる。指でくりくりといじめてあげると帰ってくる反応が面白い。
ひとしきりイオリの頬を堪能してからするりと手を抜き去る。
名残惜しいがこれ以上は私の理性が持たない。
「おやすみイオリ。」
明かりを消して部屋を後にする。
外の雷は鳴り止み、しとしとと降る雨が窓を撫でていた。