推しの水神 作:八重堂の小説家
数百年の中で起きた刑事事件の1つに過ぎない。
3年前のことだが、ヌヴィレット様は、ついこの間あったかのように語った。
その1、事件が起きた日、
その2、パーティーの最中に、2発の銃声が響いた。すべての参加者が耳にしており、
その3、警備員が駆け付けたところ、棘薔薇の会における当時の会長、カーレスが銃を手にしていた。そして、被害者ジャックは、1発の銃弾で何者かに殺害されていた。
その4、当時の警察隊による現場検証によれば、カーレスが手にしたもの以外、銃を所持した者もおらず、周囲に捨てられた形跡もなかった。故に、容疑者の放った弾丸は1発目は外れ、2発目でジャックを殺害したという結論に至る。
そして、容疑者もカーレス以外に現れることはなく、彼自身も反論を行わなかった。周囲から勧められるも、彼は告発を受け入れることはなく『決闘』によって己の名誉を守ることを選んだ。
「しかしこの数百年、決闘を乗り越え、自らの正当性を訴えることができた者はそうはいない。カーレスもまた、決闘代理人に敗北し、命を落とすこととなった……」
当時でさえ、頭角を現していたクロリンデだが、彼女はその決闘代理人だったな。気丈に振る舞っているが、いまだそのことは引きずっている。フリーナ様や、ご婦人たちのボディーガードとして派遣されることも多くなっているが。
「……以上が、当時の事件のあらましだ。」
彼女は いざ決闘となれば、容疑者の意志を尊重するために、本気で職務をこなす。それが模擬戦でも伝わってくるから、彼女はまだ決闘代理人という肩書きを持ち続けていた。
それに、国と親友を守り抜くために、彼女は剣士であり続けるだろう。
「原告側は、もし新たな証拠があるのなら、それに基づいて、反論があれば述べてもらいたい。」
「大審判官様、説明ありがと。過去の状況から見れば、今の推論は最も可能性が高いでしょうね」
推論、と強調づけてナヴィアさんは話し始めた。
これから始まるのは、当時行われなかった審判の続きだ。
彼女は亡き父に代わって、そこに立っているように思える。父の決闘を最期まで見守り、それでも泣き崩れてしまった少女は、立派に成長して父の名誉を取り返そうとしていた。
「原始胎海の水が人を溶かすと知った今なら、状況は大きく変わってくるでしょ」
その言葉に、ヌヴィレット様も深く頷いた。
今日こそ、連続少女失踪事件に決着をつける。
「その前提に基づいて、私はこう考えるわ」
1つ目、実は被害者となったジャックが、父カーレスを殺害することを命令されていた。これは彼の遺族からの証言だから、すぐに確認できるということ。
2つ目、ジャックは、カーレスに対してそのことを正直に伝え、人質となっている妻と娘を守ってもらう約束をした。当時から今も、その2人を保護しているということ。
3つ目、しかし黒幕は、もう1人の刺客を送り込んだ。その人物が1発目の銃でジャックを殺害し、次にカーレスを殺そうとした。だが、カーレスは反撃して、銃を奪った、そう推測されるということ。
4つ目、ならばもう1人の刺客はどこへ行ったのか。それは、事件現場に服が残されていたことが、先日の事件で起きたことと一致する。それが証拠になりうるだろうということ。
そして、当時は雨が降っていたから、刺客が溶けた水は隠蔽されてしまった。そうして黒幕によって口封じをされたと同時に、濡れ衣をカーレスに被せたということ。
「私の推理は図星でしょ、マーセル?」
「では被告人、原告側の主張に対して、反論はあるかね。」
ヌヴィレット様は、ナヴィアさんの推理に対して、次はマーセルへ発言を促した。
当時、カブリエール商会の屋敷でパーティーを行ったとされる。つまり、あの場所に立っている会長は、犯行を計画することは容易であっただろう。さらにはジャックの遺族が証人になってくれて、彼に脅されていたことを証言してくれるかもしれない。
この数日で、ナヴィアさんはかなり調べ上げてきたな。
「実に理にかなっている。なるほど、カーレスさんもジャックも、お互いに手を出してなかったのか……」
だが、一筋縄ではいかないようだ。
自分も被害者だという風に、推理を認めた。
「しかし、それでなぜ私がここへ立っているのかが分かりませんな。私がその刺客を送り込んだ証拠でもあるのでしょうか?」
テンプレっぽい発言だが。
彼は冷静であり、焦りも感じさせない。それは本心から罪を犯していないからか、それとも証拠が出てくるわけがないと思っているか、どちらにせよ、確かにさっきの推理ではマーセルを、黒幕だと特定する判断材料がない。
どうせ黒幕だったとしても、事件の当日はアリバイ作りをしていそうだしな。
「発言いいかい、ヌヴィレット?」
「了承しよう、フリーナ殿。」
観衆や天秤は、ナヴィアさん側へ傾きかけていたが、少しずつ元に戻ってしまっていた。
確かにジャックの遺族の証言で、カーレスの無実は主張できるかもしれないが、そこからマーセルを首謀者だと告発することは、まだ証拠不十分で強引すぎることは感じてしまう。
たぶんフリーナ様は、自分含め観衆の誰もが気になっていることを尋ねたいのだろう。
「
「申し訳ありません。証拠はまだないんです」
「ハハッ! それは大きく出たね! そういうの俺は好きだよ」
「審判の途中だ。静かにしていろ」
さてはタルタリヤ、わざと大声を出したな。
おかげさまでクロリンデが本気で叱るものだから、観衆が野次を入れる余裕がないじゃないか。だが、これでスムーズに議論を進めることができる。
「原告側、引き続き回答をお願いしたい。」
「……今はまだないけど、見つける方法はあります。例えばあの日、現場に残されていた服をちゃんと調べて、身元を洗えばきっと証拠になるでしょう。それに、行方不明になったカブリエール商会の者もいるはずです」
「うん。合理的な主張だね。ただ、現状で告発まで持っていくには、なかなか勇気がいることみたいだけど?」
フリーナ様の試すようば言葉に対して、ナヴィアさんは『何より相棒たちを信じていますから』と答えた。最近の彼女の交友関係から察するに、部下ではないなら、たぶん相棒ならば蛍ちゃんたちだろうな。
フリーナ様もそれが分かったのか、ますますこの審判へ興味が湧いたようだ。
「ならば、もう1つだけ質問だ。なぜカーレスは何も反論しなかったんだい? 彼は『人が溶けた』ことを、目の前で見ているはずさ」
もしその証言があれば、少なくとも連続少女失踪事件の手がかりにはなったはずだ。今日まで、『フォンテーヌ人が溶ける』なんて、俺たちは実際に目にすることはなかった。
しかしなぜ無実だと主張しなかったのか。
あの時点で、事件は解決したかもしれない。
「ええ。パパは……カーレスはそれを暴露することもできた。けど当時、世間は誰もがカーレスを犯人だとみなした」
『公平』に状況を判断できる人間はそう多くなかった。今までの功績や評判でさえ、本当は『仮面』だったのだと世間は決めつけて、棘薔薇の会の評判は地に落ちた。そんな状況になってでも、命を捨ててまでカーレスは機を待つことを選んだということか。
「そんなタイミングで、その重要な手がかりを
彼は自分の娘へ『剣』を託したか。
まさに今が、黒幕を追い込む時機というわけだ。
「黒幕の意表をつくことでしか、みんなを……あたしたちを守ることは無理だって、パパは分かってたんです」
「当時、お嬢様も連続少女失踪事件のターゲットとして選ばれてしまったと、そうボスからお聞きしております。3年前の混乱時では、お嬢様を守りきるには、不確定要素が多かった」
「それに、もし原始胎海の水の秘密を公にすれば、犯人はそれを武器にして、激しい争いが起きたことでしょう。犯人は棘薔薇の会だけではなく、国全体を人質にすることが可能だ」
ナヴィアさんの付き人たちは、そう回答へ補足した。
だが、それでは。
彼女が言いたいことは。
「……それで? 僕たちは信じてくれなかったということかい?」
たとえ警察隊や特巡隊であっても、被害はとても大きなものになっていただろう。それが分かっていてなお、フリーナ様はフォンテーヌを束ねる者の1人として、そう尋ねた。
「……警察隊は事件の真相を明らかにしてくれて、棘薔薇の会は無実だと判決してくれたでしょうね。そうすれば、時間がかかったとしても、私たちの名誉を回復させてくれたでしょう」
『でも。』と彼女は言葉を紡ぐ。
涙をこらえて、俺たちへ訴える。
「そんな公正に何の意味があるんです? 争いが起きてからじゃもう遅いの!」
争いを未然に防ぐ、か。
それができればどれだけ理想だろう。
この数百年でたくさんの問題を解決してきたが、それでも平和は訪れない。それは決して予言のことだけでなく、暮らしの格差は埋まらず、安全な城壁内は人口問題を抱えており、それこそポアソン町のように災害対策ができていない場所へ住む人も多くなった。
1つ問題を解決すれば、別の問題が出てくることだってある。審判に基づいて、2度と悲劇を起こさせないために、どれだけ対策を重ねようと、何かしら事件は起きてしまう。
ヌヴィレット様を中心として、どれだけ金銭面で彼女たちを支援しようと、世間から受けた傷はそう簡単には癒えない。彼女たちは自らの手で、信用を回復させてきた。
「どれだけ審判を重ねようと、失われる命はある。フリーナ様やヌヴィレット様だけでは、全てを救うなんて、無理でしょ?」
だからこそ、2人へ『正義』を宣言する。
メリュジーヌの子も、彼女たちの名誉のために尽くした彼も、そして、警察隊・特巡隊・決闘代理人も、
ナヴィアさんは腕で、涙を拭った。
「だからパパも己の『正義』のために、
水神様たちだけでは、救えない人々を救う。
人間は、ただ神に守られるだけではないと。
「パパは……カーレスは、争いを起こさないために、秘密を隠すことを選んだんです。黒幕と互いに弱みを握ったまま、私たち棘薔薇の会は、睨み合いの状態を維持してきました」
「つまり、彼は無罪を勝ち取るためではなく、自ら死を選ぶために、決闘を選んだということかな」
そうしてフリーナ様は、『さて、どうかな、クロリンデ?』と最前席にいる決闘代理人へ尋ねた。
そして彼女は舞台へ上がる。
振り向いた瞳は、どこか罪人のようだった。
「ねぇ、クロリンデ、あんたの謝罪も、自責も、世話も、あたしには必要ない。あたしに負い目を感じる必要もない。でもパパに頼まれたなら、期待を裏切らないで」
ナヴィアさんの言葉に、一度目を閉じたクロリンデは、やがて本気の
「決闘代理人として、数えきれないほどの戦いを経験してきました。この手で、多くの者を処してきています。私は、彼ら彼女らの名誉と生命、それに対する渇望を感じてきた」
稲妻の統治者も、己の信念のために戦い続けてきたと聞くが、クロリンデもまた、信念を持って決闘へ身を置き続けている。スメールの友人の1人もそうだが、雷元素の神の目の所持者は皆、芯の強さを感じさせるのかもしれないな。
「それ故、私には一目で分かります。だから私は、決闘代理人としての立場と名誉に懸けて、カーレスさんは生きようとする意志は持っていなかった」
「うん。クロリンデとカーレスの決闘は、僕も見届けた。事件が起きる前、彼とは何度か話したことがあるけど、とても義を重んじる男だったよ」
最期までカーレスは善人だったと俺も思う。
その決闘でも、罪を認めた表情でもなかった。
彼は命を散らすために、決闘を選んだ。
「正義の神として、彼を不義と呼ぶことは僕が許さない。これは事件直後、僕が新聞社を通して、報道してもらったはずだよ」
先生に叱られたように、何人も俯いたな。
「このフォンテーヌでは、被告人が告発内容に不服をもった際、命と誇りをかけて告発取り下げの決闘を挑むことができる。だって、人それぞれに『正義』があるからね。だから、決闘に挑んだ者を不義と呼ぶなんて、この僕が許さないというわけさ」
カーレスという男の正義を、俺は認めているからこそ、手のひらを返したように影口を叩くことが我慢できなかった。
フリーナ様もまた、決闘で亡くなった人々の名誉のため、そうやって何度も主張してくれている。
「さて、今日という日は、連続少女失踪事件に終止符を打つ日になりそうだよ。カーレスという英雄が、未来に希望を託してくれたならば、事件を再調査する価値はあるよね?」
皆の意志を1つにするように、高らかに宣言したフリーナ様に続きを促されて、ヌヴィレット様は深く頷いた。
「それでは引き続き、審判を続ける。」
ヌヴィレット様の声で、誰もが前を向いた。
そしてフリーナ様は、『ふふん、どうだい』と、こちらへカッコよさを主張してきたが。そんなに前向きで自信たっぷりになっているのは、さっき俺が褒めたからだといいな。