推しの水神 作:八重堂の小説家
数日もすれば、面会の日はやってきた。
こんなに早かったのは相手方の手腕だろう。
彼の意識が戻った報告と同時に手紙が届き、それを読んだフリーナがビリビリに破くということもあったが。
幸い、あの時以降、フリーナはある程度持ち直している。
執事が会釈して一歩離れた以上、ここからはフリーナとヌヴィレット、そして召使だけのステージとなる。客人である召使の特徴的な赤い瞳は、まるでグサグサと刃を突き刺してくるようで、ビクビクとフリーナの表情が引きつっていた。
さて、頼りのヌヴィレットはというと、あまりこういった経験はない。だが、付き人という立場でありながら、主賓の2人と同じテーブルを囲んでいる現状は、何か予定と違う気がしていた。
それに、1人に1つずつワンホールのケーキが用意されているのだが、まさかこれを、まるでステーキのように切り分けながらお茶菓子とすることが普通であるのか。
何か思惑があるのかもしれないが、テーブルを囲んでいる召使という女性が、この高級なケーキを用意してくれた。その好意を無下にするわけにもいかないだろう。
「私は今日の面会はただのお茶会だと思っている。あなたもそうだろう、フリーナ殿?」
ようやく口を開いたと思えば、社交辞令のようで、まるで沈んだフリーナの顔を強引に向けさせるような台詞だった。もうフリーナは内心『おうち帰りたい』である。
「こほん、その通りだ。ヌヴィレットもただのお茶会だと思ってくれていいよ。いやー、それにしても、こんな美味しそうなお菓子を持ってきてくれるなんてねー」
フリーナは慌てて、ケーキナイフを手に取って切り分け始める。フリーナからすれば『何の嫌がらせだ』と思いつつも、表面的にはニコニコと表情を作るしかない。
頼りになるヌヴィレットは、裁判や捜査以外では真面目で天然なところがある。彼も丁寧な所作で小皿に置いたケーキを口に入れていて、召使の意地悪な社交辞令を、ご厚意としてありのまま受け取ってしまっているようだし。
「うん、とても美味しいからどんどん食べてしまうよー でもこんなには食べきれないなー」
「どういたしまして。朝から並んだ甲斐があるというものだ。もしケーキが残ったとしても、持ち帰って食べてくれれば嬉しい」
フリーナは味を感じる余裕なんてないのだが。
召使は満足そうな笑みを作って、カップを指に挟む。
「ふむ、いい香りの紅茶だ。最高級の水を使っていると見受けられる」
「私もそう思う。此度のお茶会にあたって、紅茶の種類に適した中でも極上の水を使ってくれるようにしてくれたようだ。この水は―――の地域のもので―――」
しかもヌヴィレットの水オタクなところも出ちゃって、丁寧に相槌を打つ召使とも、なんだかんだコミュニケーションを取れているし。
「さすがは尊き最高審判官だ。たとえ給士たちへ厳命せずとも、貴殿にとって最上級のおもてなしを用意してくれるのだからな」
「私は私のできる範囲のことをしているに過ぎない。賞賛すべきは、彼ら彼女らの職務に対する情熱というものだろう」
(ヌヴィレットって何でもできちゃいそうなくらい完璧すぎて、僕なんて……)
フリーナは無理やりケーキを喉に通す。
最近は食事量もさらに減ってしまっていて。
(彼が作ってくれるスープが恋しい……
失ってから気づくってホントだったんだ)
「そうだ。お二方にはお礼を申し上げなければならない。私がフォンテーヌを離れているときも、壁炉の家の支援をしてくれたようだからね、どうかしたかフリーナ殿?」
「えっ、あー、当然だよ。あの子たちも我がフォンテーヌの民だからね!」
目線を切り替えて、今はフリーナだけに話しかけてくる。
召使は髪と同じ色で灰色のスーツを着ていて、カップを握る指もまるで爪のように鋭く、暗殺者のような雰囲気を隠すつもりもないようだ。今だって器用にフリーナへ対して、まるでナイフのように言葉をグサグサと刺してくる。
「我が子リネやリネットのマジックショーも、本来は観に行きたかったのだがね。どうしても外せない仕事があった」
「あ、ああ……あのマジックショーはとても素晴らしいものだったよ。ヌヴィレットもそう思うよね?」
フリーナは応援要請を出すも、援護は来ない。
脇役に徹しているらしいヌヴィレットはただ頷くだけだ。
「えーと、あの告発については……その……」
「何も無実の罪を課せられた件について、特に気にすることはない」
前任と違って、噂通りこの召使という女性は壁炉の家を大切に思っているのかもしれない。すべてがフリーナのせいというわけでもないが、魔術団側を告発した身としては申し訳なく感じてしまった。
「連続少女失踪事件は、フォンテーヌ人である私としても、子どもたちの『父親』としても、むしろ解決してくれて礼を言わなければならないからね」
召使にとって、『仕事』を果たしてくれて、無事でいるならそれでいい。しかも結果的にリネやリネットの成長に繋がったので、本音は責める気もない。ただフリーナを揺さぶるのにちょうどいい武器として使っているわけだ。
「は……はは…… さすがはヌヴィレットだよね」
「ふむ。身に余る光栄だな」
いつの歌劇のセリフを参考にしたかは知らないけど、今はそうじゃないんだ、ヌヴィレット。
フリーナはカップを手に取って、ほんの少しでも、召使の特徴的な瞳から逃げる。
「あはは……」
「……」
ヌヴィレットからすれば、全く本題が出てこないままで、今はどういう時間なのか分からない。フリーナに誘われてお茶会やパーティーに出席したとしても、まるで子どもたちを見守るような立場となる。
ただ、フリーナの表情を見ればこれは楽しいお茶会というわけでもないと判断した。本来は付き人の代役として、主賓たちの会話に水を差すわけにもいかないが。
あの青年も、主人に助け船は出す場面は多い。
先日の告発の時も、たとえどんな時も。
ならばと。
彼は一度目を閉じて、最高審判官として話し始める。
「……貴殿はタルタリヤ殿の件で来たのであろう。」
「フッ……どうやら最高審判官殿は、このような社交辞令よりも、迅速に本題へ切り込むことが好きなようだ」
面白いという風に、召使はヌヴィレットに矛先を切り替えた。
召使は、昨夜の時点でフリーナが『神の心』を持っていないと予想した。また、彼女はどこか神らしくない面が多く、戦闘経験がほとんどないと断定している。
逆にヌヴィレットの実力は、神に匹敵するほど非常に高いと直感させるほどだ。恐らくタルタリヤもそれを感じ取って、暴れた末に逮捕されたのだろう。常に冷静な彼女からすれば、自業自得で恥ずかしいことだが。
ともかく、ヌヴィレットと対話する機会こそが、此度の真の目的なのだが。
「そちらの言う通り、公子の状況を明らかにすること、確かにこの度の目的の1つだ」
「こちらとしては―――」
まず召使はタルタリヤの身柄をスネージナヤに引き渡すことを要求する。
対してヌヴィレットは、規定通りにフォンテーヌ内で起こった事件に対する判決が出たのだから、その処罰に関して変更することはできないと主張する。
「ほう……」
召使本人からすれば、どうでもいい交渉で試してみたが、やはり『神の心』の在処について揺さぶることはできないと判断した。数百年間、ヌヴィレットの最高審判官の地位は強固なものだ。彼の瞳は決して揺らぐことはない。
召使は自分以上の強者に対して最大限の礼儀を払うこととする。
「いいだろう。フォンテーヌの法廷におけるすべてのルールを尊重しよう」
しかしここは交渉の席であり、言葉で語る場所だ。
外交面において、最高審判官は本職ではない。
「ならば、こちらから改めて要求させていただこう」
同じ舞台にいるとはいえ、今はスポットライトを浴びていないから、フリーナにとっては気が少し楽に感じていた。今のうちに、甘いもので少しでも英気を養おうと、ケーキへ手を伸ばそうとするが。
「こちらとしてはメロピデ要塞に入り、公子に会って状況を確認させていただきたい。私としては彼が穏やかに監獄生活を過ごしているかどうか心配でね。どうだろうか、フリーナ殿?」
「ふぇ!?」
城を落とすのなら、脆い場所から攻めればいい。
召使にとって、今のフリーナは狩人から逃げ回るウサギのようなものだ。水神と最高審判官には一定の信頼関係はあっても、どこか距離を感じさせる。この少女は青年にとって、弱点となるかどうかを確認するべきだ。
「あー、あれは公爵の管轄で……」
フリーナは基本的に、その分野の有能な人物へ一任することが多い。
代表を集めて会議を行うこともあるが、そのほうが各分野は伸び伸びと成長してくれる。つまりメロピデ要塞に関してリオセスリに一任していて、フリーナはともかくヌヴィレットさえも詳しく実情は知らないだろう。
「メロピデ要塞はかねてより自治状態にある。そのため、政治的な意味で我々は干渉することができない。それがたとえ外交問題であってもだ。」
毅然とした態度で、最高審判官ヌヴィレットは召使に応対する。
そして代わりに誰か別の者に調査させ報告することを約束し、細かい段取りを説明し始めた。
「……いいだろう」
召使もその提案を了承し、彼女個人としてもフォンテーヌとスネージナヤの外交関係が悪化しないようにはしておきたい。
今日の収穫はあって、ヌヴィレットが『堅牢で厄介な存在』だと認識することもできた。『神の心』については、自力で探っていくしかないだろう。幸い、メロピデ要塞にはすでにリネたちを送ったため、隠し場所の候補は絞られていっている。
それにしてもフリーナの守護は、あの青年に信頼があるらしく、生かしておくべきではなかったかもしれない。このフォンテーヌの生活で少し甘くなったなと、召使は自嘲した。
「お二人のおかげで懸念点は払拭されそうだ」
いまだ、ケーキはそれぞれ1切れずつしか、手をつけていないが。
「さて、宴もたけなわと言ったところだろうか?」
(これのどこが!?)
フリーナは声に出してツッコミたかった。
「1人のフォンテーヌ人としても、こうして水神と最高審判官殿にお会いできたことは光栄に思う。非常に有意義なものであったため、是非とも2回目のお茶会を希望させていただきたいのだが」
2回目があるのか、とフリーナは青ざめた。
「えっ……まあ、そのうちにね?」
「こちらとしても、タルタリヤ殿に関する報告も含めて、改めてこういった場を設けさせていただきたい」
(ヌヴィレットぉ……)
社交辞令できっぱりと断れないこともあって言葉を濁したというのに、次回の開催が決定されてしまった。ヌヴィレットは最高審判官として有意義な会話であったため了承したのだろうが、このままではフリーナも再び参加することとなるだろう。
せめて次回は彼が戻ってきてからにしてほしい、と願うばかりだ。
「感謝する。次回も楽しみだ」
さて、召使は瞬時に考える。
予言に対する無策について、彼女も疑問に思う。
いや、まだ武器は隠しておくべきか。
ならばと、召使は席を立った。
「昨夜もフリーナ殿は、街でヒルチャールを討伐したと街で噂されていた。さすがはこのフォンテーヌの水神といったところだろうか」
「ぼ、僕の手にかかれば、赤子の手をひねるようなものだよ。……あと、厳密には討伐じゃないけどね」
召使に挑発され、フリーナも思わず立ち上がる。
見上げるほど身長差もあって怖いけど。
「今日のうちに何か伝えておきたいことでも?」
「それは……」
昨夜の件を問い詰めるべきか。
いや、あれは無かったことにすると決めた。
昨夜も彼に護られるだけで、自分は涙を流して『殺さないで』と命乞いをすることしかできなかった。そして、お情けで自分たちを見逃してもらったため、今日も生きることができている。
もし襲撃者にもっと非道な者が選ばれていたら、たとえ神を名乗っていても殺されていたことだろう。稲妻では人体実験を、スメールにおいて監禁を、そういった悪行をいとわない執行官だっているのだ。
「こほん… そういえば僕も言っておきたいことがあったんだ」
でもたとえ虚勢であっても。
彼を傷つけたことは許せないから。
「僕はフォンテーヌの水神で、魔神名はフォカロルス、正義の神だ」
固く握った拳で両腰に手を当てて。
しっかりとその瞳を見つめる。
「もしスネージナヤが国を挙げて、これから先フォンテーヌの民へ被害を出すようなら、僕は神としての力を振るうことにする。そう、たとえキミたちが崇める『氷の女皇』であっても、僕は裁くことができるからね」
神として偉そうに指差す。
これは命令なのだと。
「そのような戦争となる自体は、私個人としても避けたいところだ。他の執行官が他国で引き起こしたような問題を、私はこのフォンテーヌで行わないと神に誓おう」
背を向ける前に一瞬だけだったが。
今日初めて召使が本心から笑った気がした。
「ではまた会おう。最高審判官殿、そして水神様」
「うん! それじゃあ、また会おう!」
解放感で思わず大きな声が出てしまった。
別れ際にはフリーナを肩書きで呼んでくれたのは、少しは認めてくれたからかもしれない、とはいえ。
(次で会うのは最後にしたいよ……)
泣き言を誰か1人でいいから聞いてほしかった。
それにしても本当に疲れた。
口をつぐんで涙が流れないように。
緊張がとけたことで震えないように。
「じゃあヌヴィレット、僕も帰ることにするね。キミのおかげでスムーズに終わったよ。あっ、残ったケーキは、僕の屋敷に届けるように言っておいてくれ」
せめて自室に戻るまでは、しっかりと歩く。
水神がたった1人の『人間』の不在で調子を崩すなんて、そんな姿を民に見せてはいけないからね。