推しの水神 作:八重堂の小説家
目が覚めたはずだが、まだ身体は全快とは言えない。
数百年ぶりに眠ってしまった気がするのだが、ここまで体力を消耗させられたということも珍しく、久しぶりに疲労を感じていた。意外にも、身体の主導権どうこうは特になさそうだ。
てか、この身体って本当にヒルチャールなのか?
人間らしく変身できるなんて都合がよすぎる。
まあいいか。
知っている声と少しコミュニケーションを取って、フリーナ様の安否は知れたからな。今日も俺は安心して、仮面の下はぬぼーっとした表情をしていることだろう。
なんとなく思い返しても本能のままに全力で立ち向かったが、『本物』を相手には完敗したらしい。この時間を利用して、少しでも強くなろうと思っても、腕立て伏せをしたところでこの身体は『成長』なんてしないしな。
そんなとき。
この牢屋の扉の鍵が、ガチャリと開けられる。
クルクルと指で鍵の束を回しながら、まるで友人に会うかのようにリオセスリは入ってくる。
扉を閉める前に見えた看守は怯えているようだな。
「どうも。気分はどうだい?」
「やることがなくて暇だな」
彼相手なら、別に仮面を外しても気にしなさそうだが、こちらとしても見せたい顔ではない。ただし仮面のせいで、相手に声が届きづらいのは難点だ。
「そいつは羨ましい限りだな」
そう言って、全身灰色や黒色っぽくて、ワインレッドのネクタイを身に着けたスーツの青年が、ドサリと椅子に腰を下ろした。がっしりと腕組みをしているが、その美しい筋肉には多数のお嬢様たちがメロメロになっていることだろう。
「さっき看護師長と確認したが、ボロンゴさんの療養については、あと40日ほどで済むと伝えておいた」
「……あの罪状でそんなに早く出れるのか?」
まるでフリーナ様が、街に迷い込んだヒルチャールを討伐したように見える現場を、多くの人々に発見されたと聞いていたし。
『それは』と彼が口を開きかけた時。
俺は『待った』をかける。
「そう、俺はヒルチャールレンジャーのゲレゲレだ。そのボロンゴってやつの話は関係がなかったな」
って数日前に作った設定を再び話したら、目の前の男に『やれやれだぜ』って表情をされた。
「ボロンゴさん……いや、あんたの事情に踏み込むつもりはないが、こちらとしてはあんたに関する罪状が特にない。刑期が終わったら釈放するだけだ」
「……今回トラブルを避けられたとはいえ、ファデュイ関連のほとぼりが冷めるまで、ここにいたほうがいいって書面で伝えなかったか?」
隠し通してきた嘘が、ファデュイの暗殺者にバレた以上、もしそのまま俺が隣にいたとしたなら『神の心』関連でフリーナ様を揺さぶる材料になりうる。護衛はクロリンデやシュヴルーズちゃんたちへ引き継ぐようにして、『あらかじめ俺を解任すべきだ』と進言したはずだが。
まさしく俺は住む場所が違っていて、別れはいつか来るものだと、貴女も覚悟していたはず。
「ちゃんとあれは渡したよな?」
「ああ。だがヌヴィレットさんの話によれば、あんたが書いたやつは、フリーナ様が先に読んで破いてしまったらしい」
フリーナ様には却下されたか。
まあ、無事でいてくれて、貴女が元気そうで何よりだな。
「そして俺はこう伝えてほしいと命令されている。快復すれば戻ってきてほしい、と」
となると、リオセスリも俺も、それぞれの上司には逆らえないわけだ。
「つまりだ。ここへあんたが護送されたのは、何も囚人としてじゃない。重傷患者としてあんたを、看護士長に診せるためだ」
まあ定期観察もシグウィンにしてもらっているから、主治医ではあるものな。
「あんたの正体なんて、お二人はとっくに受け入れているんだろう。俺や看護士長がすでにそうしているようにな」
だいたい事情が分かったらしく、イケメンの
シグウィンたちと一緒に、今度ステッカー貼り大会に参加したら、俺も怒られないかもな。
「俺からしても、予言や、ファデュイの件に比べれば、あんたの正体なんて些細なことにすぎない。あんたらが何百年も隠し通してきて、特に問題も起きなかったことだ」
そういうものなのだろうか。
彼ら彼女らにとって生まれる前から、俺の存在は当たり前になっていたのかもしれないな。
それに気づかせてくれるなんて。
本当にこの男は。
「……なぁ。俺がそのマントにステッカー貼ったら、さすがに怒るか?」
思わず失言したら、握り拳を向けてきたので。
あの大会はメリュジーヌ限定だったみたいです。
「冗談だ。話が逸れたが、俺はボロンゴとゲレゲレ、どっちで過ごせばいい? なんなら別の設定を作ってもいいぞ?」
「ふむ……冗談を言えるくらい元気なら、1つ仕事を頼みたい」
そう言って、机に置いてあった特大の手錠を手に取り。
俺が両腕を前へ突き出せば、ガチャリと嵌められる。
俺は部屋の外へ連れ出され、怯えている看守たちに『どうも』って会釈したら、さらに怯えられた。
「そう怯えなくていい。こいつから敵意は感じない」
視界には氷元素の神の目はゆらゆらと揺れているが、前を歩くリオセスリのマントに付けられている。う、羨ましくなんてないんだからね。
「お前たち、もう持ち場に戻ってもいいぞ。こいつは俺が地下の独房に移動させておく。今まで通り、別に見張らなくてもいい」
「「「はっ!!」」」
リオセスリの命令を全く疑うこともなく、看守たちは散り散りに離れていった。リオセスリの実力があれば、もし俺が暴れたとしても鎮圧できるからだろう。まさしくカリスマって感じで、そこに痺れる憧れる。
だだっ広い廊下を歩くが、たぶんまだ早朝だから、他の囚人がいなくてよかったな。
「着いたぞ」
中はどう見ても更衣室だが。
「ここに来たばかりで、まだ若い囚人たちのことを気にかけてやってほしい。それがあんたの仕事だ」
そう言って、彼はロッカーから看守の制服を手渡してきた。俺はそれを了承するべく、人間の姿に戻ってから、決闘代理人の制服を脱いでその服に着替え始める。
デザインは全体的に灰色で、かなり着心地は良さそうだな。
「探せばそのうち何人か見つかるだろう。例えば、海の外で最近話題らしい、旅人たちって言えば分かるか?」
「……え? あの
まじでビックリした。
例えば爪が、明らかに人間のそれではないため、サングラスや黒い手袋を身に着けてから、そう尋ねる。
「勝手にフリーナ様のケーキを食べたとかで、刑期45日という話だ。……どうした?」
「ぷーくすくす、いや、続けてくれ」
リオセスリがギャグを真顔で言うものだから、フリーナ様のケーキを食べるといった偽の罪状と合わせて、腹を抱えて笑ってしまった。これは今度、セノに向けて、旅人の近況としてその言葉を手紙を書いてやろう。
「……? 何にせよ、ヌヴィレットさんに頼まれごとをされたんだろう。45日間で用があるとすれば、大方、行方不明になったファデュイ執行官に、内緒話でもあるんじゃないか」
「ほほう。それは蛍ちゃんたちが適任だな」
もし2人が再会できたのなら、今から茶化すのが楽しみでニヤニヤが止まらないな。
「他にも何人かいるが、旅人たちが優先でいい。表向きには囚人だが、ヌヴィレットさんが招待した客人というわけだからな。もし何かトラブルに巻き込まれていたら、手助けしてやってくれ」
「世界を旅してきた彼女たちからすれば、十分ここは過ごしやすい場所だと思うが……お休みついでにその仕事を引き受けられるなら願ったりかなったりだな」
ただここでも蛍ちゃんたちは、いい意味でトラブルの中心になりそうだから、慌ただしい日々になりそうだ。
そして、更衣室を出てから。
ここのルールをあれこれ聞いていた時。
「……?」
ふと、子ども2人がすれ違っていったが。
「あんな小さな子どもたちもいるのか?」
「ああ。あの少女はここで産まれた子だが」
少年のほうは目を見開いていた。
光を宿さない瞳には、とても既視感があったが。