推しの水神 作:八重堂の小説家
その点をご了承の上、閲覧してください。
たった1時間は、すぐ過ぎ去るものだ。
20分前にフリーナ様は、カッコいい水神らしく腕を組んでスタンバっていた。
対して、蛍ちゃんやリネ君たちはギリギリまで相談でもしていたのだろう。今はその2人が隣り合って、こちらと向き合ってきた。パイモンやリネットちゃんも斜めに控えていて、まさに1vs4みたいな構図だな。
周囲は飲み込まれ、スポットライトを浴びるメインキャストたちを見つめるだけだ。野次どころか、観客は誰も言葉を発することができない。先程までの審判とは何かが違うと、ひしひしと感じられるな。
休廷中もずっとその場にいたヌヴィレット様は、目を開いた。
「双方、元の位置に戻ったな。それでは、審判を続ける。」
ざわ……と、俺でさえ背筋が伸びる感覚だ。
「休廷前、魔術団側はフリーナ殿が提出した新しい証拠をすべて事実だと認めた。次は、フリーナ殿から事件の状況について述べてもらおう。」
ほんの少し俯いていたフリーナ様は。
ゆっくりと、両腰に腕を当てた。
「さあ諸君、よく聞きたまえ。今から、リネ君の視点から事件全体を再現しよう!」
彼女は歌劇もミュージカルも、演じてきた経験がある。緊張や不安を微塵も見せないほどに、仮面で包み隠すことができる。今は、俺が知っている繊細な少女の姿はどこにもないように見えるが。
「登場人物は3人、魔術師リネ君、誘拐されている少女ホールジー、それに亡くなってしまった青年コーウェルだ!」
第1幕では、参加型マジックショーにおいて、60秒という観客のカウントダウンが始まった時には、すでにリネ君は地下道で待機していた。
第2幕は、マジックボックスが地下道を通る間に、彼は箱から出したホールジーを暴行し、あの鈍い物音はその時に鳴ったものだろう。
第3幕は、花瓶を使って気絶させたホールジーを誘拐するため、変装させる目的で衣服を別のものへ変えたのだが、しかし。
第4幕には、物音を聞いて何かアクシデントが起こったのかと、様子を見に来たコーウェルに、誘拐現場を目撃されてしまったのだ。
そして終幕、気絶したホールジーを通気口を使って協力者に誘拐させ、不幸にも目撃者となったコーウェルは事故に装って殺害する。
「どうだい、これこそが事件の全貌さ」
推理した事件を演じるように語るフリーナ様はそう言い残して、手のひらを胸に当て、そして片腕を掲げた。
あくまで言葉だけであるのに、これほど鮮明に事件を想像させるには、彼女の声の響きや語り方、それに身振り手振りがあるからこそだろう。
だが。
これでは演技が完璧すぎる。
「……原告側、他に主張は?」
そうヌヴィレット様が尋ねるも。
どこか幼く、か細い声で『よしっ、僕なりに推理してみたけど、これで伝わったかな』って聴こえてきて。
少し前へ進んだ俺は、隣にいる少女の肩に手を置いてから、拡声器のマイクへ顔を近づけた。
「以上、こちら側が、現時点の情報から推理した内容です。反論や質問があれば、気軽におっしゃってください」
カッコよくなくて、予防線を張るような、そんな発言を俺は重ねた。
「現段階の推理という点を踏まえて、先程の状況説明を受け取ろう。」
俺の言葉にも、『公平』にヌヴィレット様は頷いてくれた。
前を向いたまま、表情が固まっているフリーナ様は、観客に見えないよう背中をパンパンしてくるのだが、貴女の柔らかすぎる手のひらが痛くなりそうなのだが。
「では、原告側の状況説明に対し、魔術団側から反論を述べてもらう」
蛍ちゃんたちが話し合っている間に、俺はフリーナ様の後ろへ下がっておく。
両腰に手を当てるポーズをしながら、片方のエナメル質な靴のつま先で、床をツンツンしているのはなんだろう。さすがに表情が見えないと、何を伝えたいのか分からないが。
「ここは私から」
透き通るような声で、蛍ちゃんがそう始めた。
第1に、確かにリネは地下道に入ったけど。すぐに通気口を通って、歌劇場の地下室にある諭示裁定カーディナルのコアがある部屋に向かった。
第2に、その部屋で女性の声を聞いて引き返したリネにとって、すでに事件は終わった後だった。だから物音は聞くことができなかった。
第3に、割れた花瓶や女性の衣服、そういったものも見たけど。まさか誘拐事件が起きているとも思えず、状況確認よりもマジックの成功を優先した。
第4に、リネは観客側のマジックボックスへ登場し、残りはコーウェルとホールジーがステージ側にいる状態を待つだけだったのに。
しかし終幕、何者かがステージ側に仕掛けたトリックによって、マジックボックスの中にいたコーウェルの死亡事故が起きてしまった。同時に、ホールジーは行方不明になってしまった。
「というのが、リネの証言を踏まえて、状況説明を組み直したもの」
「単に少女を誘拐するだけなら、水槽を落とすことまで準備する必要はないからな。それに、コーウェルの立ち位置はマジックボックスの側だったって話だ。決して、地下道じゃない!」
蛍ちゃんが胸に手を当てて騎士のよう告げて、パイモンも指をふりふりしながら、そう補足してくれた。
それにしても、たった60秒で諭示裁定カーディナルのコアの部屋に、行って帰ってくるって、それは緊張するな。まして、あの地下室の中身まで知っているということは、そっちがファデュイの命令だったのだろうし。
にしても女性の声って、そういや諭示裁定カーディナルは500年前からずっとあるんだっけ。そんなことを思いながら、天秤を見つめていると、どこかで知っているような微笑みを向けられた気分になった。
「要するに、リネ君はまったく事情を知らなかった、ということかな?」
「フリーナ殿。まだ魔術団側が話している最中なのだが。」
口を挟んだことについて咎めるヌヴィレット様に対して、『分かってる。』と軽口を叩いてから、手をヒラりと動かす。
そして、体の向きを変えてから俺を見て、フリーナ様はやれやれという仕草をした。
「すごいね、彼女は」
「ああ。たった1時間で彼に自白させた」
こっちは何百年も嘘をつかれて、その嘘について自白することを待っているのに、たった1時間でそこまで楽になれるなんて、羨ましい限りだ。たぶん貴女も、今のリネ君は『もう蛍ちゃんへ嘘をつくことはない』って分かるのだろう。
向こうはどんどん彼の無実を主張して、明るい声で観客たちを納得させているのだから、これじゃあ原告側が負け濃厚の振り出し状態なのだが。
フリーナ様のメンツがある以上、俺は負けっぱなしってのは気が進まないな。
「魔術師リネが無実という主張に対して、原告側は何か意見はあるかね。」
「彼が本来の罪を自白したんだ。それを踏まえて考えれば、彼個人をこの事件の犯人とするような主張は、取り下げるさ」
フリーナ様は肩をすくめて、『まあ別に、あの部屋に忍び込んだくらいじゃ、警備員にお叱りを受けるだけだからね』と続けて告げる。
そして、困った表情で振り向いた。
『キミには真犯人が分かるかい?』と。
俺の調査が不十分なせいで貴女へ恥をかかせているのに、買い被りが過ぎると思う。それに、ほんと、スポットライトを浴びるのは好きではないのだが。
まあ、貴女のためなら何でもしてやる。
「改めて、魔術団側のコーウェルが真犯人であると主張する」
観客たちを中心に驚きの声が
蛍ちゃんもヌヴィレット様も分かっていたか。
「この事件の犯人は、リネ君のマジックを知っている必要があるから、魔術団の者に限られる。そして、地下道にいた登場人物は変わりなく、魔術師リネ君、誘拐されている少女ホールジー、それに亡くなってしまった青年コーウェルだけだ」
ただ、まだ彼を真犯人にするには足りない。
よし、ヌヴィレット様に丸投げするか。
「マジックボックスの横に立っていたはずのコーウェルが自ら、地下道へ行ったことは確かだ。地下という密室でホールジーさんといた時間が数十秒はあった。コーウェルの調査が進めば、何か分かるものがあるかもしれないでしょう?」
「合理的な主張だ。今時点で、リネ殿を含め魔術団側の誰も、怪しい点はなかった。ならば、新たな情報を取り入れるべきだ。死者コーウェルの手荷物を捜査した者をここへ。」
ほんと『公平』で柔軟な思考を持つ人で助かる。
数分のうちに、警察隊員2人が現れた。
……ん? 隣の怯えている隊員は何があった。
そういや昨日も緊張していたが。
「私が改めて、彼の遺留品を確認し、その結果を報告いたします。ノートによれば、コーウェルは違法薬物の密売組織に協力していたようです」
熟練という風貌の警察隊員が今ノートを読みながら、即興で話をまとめてくれているが、重要な情報がどんどん出てくるな。筆跡鑑定は恐らく後で行うだろうが、コーウェルを
「こちらの試験管に入った『原始胎海の水』でしょうか、その使用の際の注意事項に『溶かす』というキーワードが何度も出てきます」
少女の衣服だけ残っていたはずだ。
おいおいまさか。
「この溶解特性は、フォンテーヌ人に対してのみ効果を発揮すると記載されており、残念ながら……恐らくホールジーという少女は実験台に選ばれたのでしょう」
あの予言の『人々はみな海の中に溶け、水神は自らの
フォンテーヌの民は誰もが動揺して話し合い始め、他の国の人間でさえ恐怖を感じている。誘拐事件の解決が観られるかと思っていたが、蓋を開ければ非人道的行為だった。遺体すら残さず、試験管の水だけで殺人が起こせるのだ。
違法薬物の密売組織に属して、この事件を起こしたともなれば、いまだ未解決となっている『連続少女失踪事件』も、その大きな組織が行っている可能性がある。20年経過してようやく、尻尾が見えてきたか。
少女は見えないよう、強く腕を掴んできた。
ほんと、責任感が強い女の子だ。