天狗の抜け穴によって左之助さんと毎日会えるようになった事を喜びつつ、しとりも長谷川君達に会えて嬉しそうです。このまま東京に繋げることが出来れば薫さん達に会えるんですけど。
ドクトル・バタフライの技術を総動員して、天狗の抜け穴の時空間の繋がりを固定するには二十年ほど時間を掛ける必要と実験と試行錯誤を繰り返す等、本当に色々と時間を費やして、ようやく自由に好きな場所へと行き来出来るそうです。
「左之助さん、あの本は?」
「ん?ああ、清国のヤツが交易にいきなり来てな。拳法の指南書を売りに来たんだよ」
「拳法?」
首を傾げながら冊子を手に取って見る。
左之助さんは喧嘩殺法の戦いを好んでいますし、こういう型や流儀を覚えることはないんだろうけど。本場の拳法書を見るのは少しだけ楽しみです。
そう思って本を見下ろした瞬間、私の頬は引き釣った。堂々と大々的に民明書房と達筆で記された題名に頭を抱えてしまう。
私の描いたものではないから問題ないけど。よくもまあ、こんなものを書いている人がいたものですね。いえ、人の趣味嗜好を否定するのは良くない。
「景、大丈夫か?頭が痛いのか」
「い、いえ、少し驚いただけで」
「そうか?それなら良いが…」
左之助さんが心配してくれることを喜ぶ私の真横に移動してきたドクトル・バタフライは冊子を見た次の瞬間、思いっきり噎せて咳き込み、プルプルと肩を震わせて笑いを堪えている。
……珍しいこともあるものですね。
「い、糸色君、それは何処で?」
「左之助さんが交易に来ていた清国の方に譲って貰った拳法の指南書なんです」
「なんだ、そんなにヤバいのか?」
「ゴホン。
そう言って誤魔化す今の彼の考えていることは分かります。どうせ四百年前の戦国時代、当時の中国に渡った戦骨が書いたものだろうと言いたいのでしょう。
あの人は戦えるなら何でもしますし、ひょっとしたら戮家の方々にも喧嘩を売って一族全員を叩き伏せていた可能性も捨てきれません。
現に、左之助さんと中国を巡っていたとき、蛮竜を見つけるなり襲いかかってきた事もある。まあ、誤解は解けて謝って貰いましたけど。
あの時は本当に怖かった。
「しかし、清国か。
ふとポツリと呟くドクトル・バタフライの言葉に思わず、私は顔をしかめる。
銀という言葉は彼が決めた特定の「物語」の動向を知らせるときに使用する単語。おそらくドクトル・バタフライも接触したのでしょう。
私の産まれて四年後、慶応四年にやって来た白面の者に次ぐ狂気の理想家ディーン・メーストル、そして去年の明治十六年、私達の家にやって来た時は既に才賀貞義を名乗っていた。
才賀貞義は私と彼の知識を狙っているのでしょう。
それほどまでに私達の知識は危険なのだ。
でも、私の記憶は消えない。
だって、左之助さんが寄り添ってくれるから。