ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第7話▶最強の戦士なら出来たぞ

 

 

――中央諸国クレ地方

 

 

見渡す限り木々が鬱蒼と生い茂る、緑一色の世界。

湿った土と腐葉土の匂いが立ち込め、絶えず聞こえる木々のざわめきと虫の羽音は、文明社会から隔絶された土地であることを物語っていた。

 

一行が野営の準備を始めたその場所も、例外ではない。

茂みの奥からは、正体不明の何かが葉を踏む音、カサカサと動く魔物や、飢えた肉食獣の気配が絶え間なく漂い、肌を粟立たせるような緊張感が満ちている。

 

 

しかし、その不穏な空気は、ソリテールが魔力制限を解いた瞬間に霧散した。

彼女の身体から放たれた、生物としての格の違いを明確に示す圧倒的な魔力の波動。

 

獣も虫も、息をすることすら許されぬかのように気配を殺した。

森全体が、一つの巨大な生き物のように身を竦め、沈黙する。

 

 

「さて……暫くは此処を拠点にする準備が整いましたね。今回も、伝承魔法をお探しですか?」

 

 

フルーフが焚き火の準備をしながら、隣で古地図を広げるソリテールに尋ねる。

彼女の声には、未知の探求に対するほのかな期待感が滲んでいた。

 

 

「えぇ、フルーフ。文献によれば遥か昔に、この辺りで魔王軍によって滅ぼされた里があったそうなの。マハトを囲う結界の解析には不要だけど、貴重な人類の魔法だし失伝させるには惜しいわ」

 

 

今回の寄り道は、旅の目的とは直接関係のない、ソリテールの純粋な知的好奇心から始まったものだった。

 

 

これまでの旅路で偶然手に入れた、遥か昔の人類の魔法。

現代の魔法体系とは全く異なる、解析不能な術式と不可解な構成は、人類研究者であるソリテールの心を強く惹きつけていた。

フルーフもまた、その古代魔法の中に、自身の特異な体質を活かせるものが見つかるかもしれないと、密かな期待を抱いている。

 

 

「……」

 

 

しかし、そんな探求心に燃える二人を、冷え切った視線で見つめる者が一名。

魔族一行の一人、リーニエである。

 

 

かつてはフルーフと出会ったばかりの、世間知らずで野蛮な田舎者の魔族だった彼女も、数十年にわたる人間社会での生活と、二人の過保護なまでの甘やかしによって変貌を遂げていた。

今や人類文明の恩恵を心ゆくまで享受する、洗練された――かどうかは怪しいが――シティーガール系魔族へと。

 

 

汗で上質な服が汚れる不快感。

一日一度の湯浴みが出来ない劣悪な衛生環境。

調理法も何もない、ただ火で炙っただけの素焼きの料理。

 

彼女にとって、この野営生活は苦痛以外の何物でもなかった。

現状への不満が頭の中で膨れ上がり、今にも破裂しそうだ。

 

 

「……フルーフとソリテール様はこんな所で寝泊まりして平気なの」

 

 

ついに我慢の限界に達したのか、リーニエは焚き火の煙を見つめながら、感情の乗らない平坦な声で呟いた。

 

 

「え……何がですか?」

 

「質問の意図がよくわからないかな。どうかしたのリーニエ?」

 

 

フルーフはきょとんとし、ソリテールは魔導書から顔を上げずに問い返す。

その悪びれない二人の反応に、リーニエは天を仰ぎ、深く、そして長い溜息を吐いた。

信じられない。侮蔑と憐れみが入り混じった視線が、何も理解していない二人へと突き刺さる。

 

 

「ソリテール様……今回はどれくらい探すつもりですか」

 

「おおよその目星はついているから。長くても二週間程になると思う」

 

 

無理。

 

その一言が、リーニエの思考を完全に支配した。

 

いや無理……無理無理無理。

脳内で「無理」の二文字が警報のように鳴り響き、彼女の忍耐力は完全に限界を超えた。

 

 

「安心して下さいリーニエ師匠!食材も家具も大量に用意していま――

 

「黙れ……」

 

 

フルーフがいつものように宥めようとするが、その言葉は地を這うような低い声に遮られる。

 

 

「あ……はい」

 

 

ブチ切れておられる。

フルーフは、リーニエの瞳の奥に宿る温度のない絶対零度の怒気を感じ取り、蛇に睨まれた蛙のようにスゴスゴと引き下がった。

 

 

「ソリテール様、申し訳ありませんが私には、ここでの野宿は無理です。絶対に無理。断固拒否」

 

 

普段であれば、魔族としての絶対的な力の差を前に、決して逆らうことのないリーニエだったが、もはやそんな理性が働く余地はない。

不快指数が振り切れた彼女は、大魔族であるソリテールを前にして、堂々と反旗を翻した。

 

 

「へぇ……私に逆らうんだ。リーニエ」

 

 

ソリテールの身体から、再び魔力が静かに、しかし確実に溢れ出す。

威圧のオーラとなってリーニエを包み込む。

齢百年そこそこの魔族では決して抗えない、圧倒的な魔力差と実力差。

しかし、今のリーニエには、その圧すらもはや些細なことだった。

 

 

「無理無理無理無理」

 

 

全力で首を横に振り、ただ拒絶の意思だけを示す。

その尋常ではない様子に、ソリテールも流石に呆れたのか、ふっと魔力を引っ込めた。

 

 

「ふふ、本当に駄目そうだね……いいよ。今回は私の都合だし、自由にして。それでどうするつもりかな?」

 

「え、ホント?ソリテール様……大好き」

 

 

威圧が消えた途端、現金な言葉を宣う少女魔族。

ソリテールは仕方ないとばかりに肩を竦め、フルーフは「無理は良くない」と頭を撫でながら、よく言えました、と甘やかす。

リーニエという魔族が、何故これほどまでに我儘な甘ったれに育ってしまったのか。

その答えが、手に取るように分かる光景だった。

 

 

「う~ん。この辺りの森を抜けたなら小さな村は幾らでもあると思います。リーニエ師匠、暫くそちらでお世話になるのは如何でしょう」

 

 

フルーフの提案に、リーニエはこくりと頷く。

 

 

「そうする。終わったら知らせて……私から行くから」

 

 

二人の了承を得たリーニエは、フルーフから自分のカバンを受け取り、手早く旅支度を整え始めた。

ソリテール直伝の収納魔法がかけられたカバンに、民間魔法で腐らないように保護された人肉。

金貨という名のお小遣い。水が湧き出る魔導具。その他、快適な生活を送るためのアイテムが、次々とフルーフの手から渡され、カバンの中に収まっていく。

 

 

そして、数十年という長い時間を共に過ごした二人の元を離れ、一時的に一人旅に出る。

カバンを手に握り、フルーフとソリテールに別れの挨拶をする。

 

 

「うぅ……ぐす……リーニエ師匠。い、いってらっしゃいませ」

 

「うん……フルーフも元気で」

 

 

まるで嫁に行く娘を見送る母親のように涙ぐむフルーフを見て、リーニエは内心で呆れた。

だが、波風を立てないよう空気を読んだ返答を返す。ここで本音を言えば、面倒なことになるのは目に見えていた。

 

 

「ねぇ……リーニエ」

 

「なんでしょう……ソリテール様」

 

 

リーニエが踵を返そうとしたその時、ソリテールから声をかけられ、全身をビクっと硬直させる。

ソリテールは人差し指を顎に当て、何を言おうか少し迷うような素振りを見せた。

 

 

「勝てないと判断した相手と出会ったなら迷わず逃げて。魔族は生存本能が強い生き物だけど恐怖で判断が鈍る前に逃げるんだ。それでも立ち向かうなら……昨晩私達が言っていた言葉を思い出してくれると嬉しい」

 

「……?わかりました」

 

 

よく分からない言葉だった。

ソリテールはどこか遠くの景色を見つめながら、静かにリーニエを見つめている。

その言葉に込められた真意は理解出来ずとも、それが大魔族から駆け出しの魔族へと贈る、ささやかな助言であることはリーニエにも理解出来た。

 

 

「出会わなければそれで良いわ。貴女の死という最悪の結果だけは避けてね。この居心地が良い世界を壊したくも、壊されたくもないの。それじゃ行ってらっしゃいリーニエ」

 

「はい。ソリテール様……いってきます」

 

 

リーニエは、号泣しながら手を振る人間と、静かに佇む大魔族の視線を背に受けながら、一人、野営地から旅立っていった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

何不自由なく育った温室育ちの魔族リーニエ。

徒歩であれば森を抜けるのに数日はかかるであろう距離を、果たして一人で無事に抜けられるのか。

そんなフルーフの心配をよそに、リーニエは道なき道を驚くべき速度で進んでいく。

 

 

土を踏む音を一切立てない、羽のように軽い足取り。その進行スピードは一切落ちる気配を見せない。

密集した木々の枝から枝へと、まるでリスのように軽やかに飛び移り、行く手を阻む川も、サーカス団員のようなアクロバティックな跳躍一つで飛び越えていく。

 

 

旅の中でソリテールが未知の魔法に触れ、その造詣を深めていったように。

リーニエもまた、大陸各地で目にした武術、所作、技術――それらすべてを捉え、吸収し、己の技へと昇華させていた。

その結果として、彼女の体捌きは異次元の領域へと進化を遂げていた。

 

 

「……邪魔」

 

 

進路上に現れた魔物の首に、勢いのまま戦斧が振り下ろされ、鮮血と共に宙を舞う。

魔力量の少ないリーニエを格好の獲物と定めた魔物たちが次々と襲いかかる。

だが、その群れごと、最小限の動きで効率的に叩き斬り、惨殺していった。

 

 

そして、野営地を出てから一日も経たず、森の出口へと到達する。

ほぼ垂直に切り立った崖を、特殊な歩法で重力を無視するかのように駆け上がり、高所から周辺の地形を把握。すると、リーニエの優れた視力が、遥か先に一つの小さな村の影を捉えた。

 

 

「規模が小さい……だけど、あそこでいいか」

 

 

町とは到底呼べない、集落のような小さな村。

しかし、連日の野営生活に心底うんざりしていたリーニエにとって、文化的な生活が送れるのであれば、その規模など些細な問題だった。

 

 

魔力を右半身に集中させ、躊躇なく崖から飛び降りる。

重力に従い落下スピードがぐんぐん上がっていく。地面と衝突する寸前、リーニエは体勢を捻り、地面に掌を叩きつけた。

一瞬にして全身にかかった落下の衝撃を、完璧な受け身と魔力制御で地面へと流し込み、その反動で高く舞い上がる。

空中で数十回スピンしながら姿勢を立て直し、傷一つなく地面へと着地した。

 

 

「……決まった」

 

 

誰も見ていないというのに、リーニエは完璧な着地にドヤ顔をキメる。

その無表情の奥には、確かな満足感が浮かんでいた。そのまま再び地面を数回蹴りつけ、凄まじい速度で目的地へと向かって移動を始める。

 

 

その村の名前は――戦士の村。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

村に着く頃には、既に日は傾きかけ、空は茜色に染まりつつあった。

村の外で一呼吸おいたリーニエは、変身魔法をかけることもなく、堂々と村の中心目掛けて歩を進めた。

 

 

躊躇などなかった。

村を少し遠巻きに観察しただけで、リーニエはそこが普通の村ではなく、戦士だけで構成された特殊な村だと見抜いていた。

 

 

リーニエは自身を、いずれ最強に至る戦士だと信じている。

だからこそ、魔族でありながら、戦士という生き物の性質をよく理解していた。

 

彼らは野蛮で、思考はシンプル。

強さと勝利こそが全てだ。ならば、人間に化けて面倒な交渉をする必要などない。

正面からその力を叩き伏せ、要求を飲ませるのみ。

 

 

リーニエは、その可憐な容姿に反して、実に脳筋であった。

 

 

村は小規模ながらも活気に溢れ、魔物討伐から帰還したであろう屈強な戦士たちが闊歩していた。

そんな場所に、巨大な戦斧を担いだ、二本角を生やしたファンシーな少女が突っ込んでくれば、当然目立つ。

一瞬、村全体が水を打ったように静まり返り、次の瞬間、怒声が鳴り響いた。

 

 

「魔族の襲撃だぁ―――ッ!!」

 

「全員剣を持て!敵は魔族一人、取り囲め!」

 

「威勢がいいね……それじゃ、少し指導して上げる」

 

 

無数の剣先を向けられたリーニエは、担いでいたカバンを適当な家の軒先へ放り込むと、戦士たちが持つ剣と同じ寸法、同じ形状のものを魔力で瞬時に作り出し、その手に握った。

 

 

戦士たちの間に、凍てつくような静寂が走る。

自分たちの戦士としての象徴である剣を、目の前の小娘は玩具のように模倣してみせたのだ。

 

一人のこめかみに青筋が浮かび、剣を握る指が白く変色する。

それは、戦士としての誇りを土足で踏みにじられたことに対する、燃え盛るような殺意だった。

 

 

戦士たちが剣を構え、戦闘態勢へと移行する。

しかし、リーニエからすれば、指導は既に始まっていた。魔力探知では捉えきれない、体内の微細な魔力の流れを、その眼で正確に読み取り、一人一人の戦闘スタイルを瞬時に割り出していく。

 

癖、練度、性格、そして彼らの間にあるであろう立場や関係性。それら全ての情報を、これまで蓄積してきた膨大なデータに当てはめ、瞬時に分類していく。

 

 

後方の男は前傾姿勢が深い。先に仕掛けてくる。

手前の男は重心が後ろに寄っている。臆病だ。

右後方は常に隙を伺っている。警戒心が相当強い。

流派は全員統一、剣を主体とした魔物狩り特化の戦闘スタイル。

代替わりしたばかりか、魔族との戦闘経験は浅そうだ。

 

 

入り口に集まった戦士たちを値踏みし、準備を終えたリーニエは、彼らに向かって挑発的に口を開いた。

 

 

「もういいよ、打ってきて……ボコボコにして上げるから」

 

 

プツン、と何かが切れる音がした。

魔族の魔法を警戒し、動けずにいた戦士たちの理性の糸が、リーニエのその一言で呆気なく切れた。

先陣を切って、一人の戦士が突っ込んでくる。

幼少の頃より鍛え上げられたであろう鋭い剣閃が、魔族の少女に向かって振り下ろされる。

 

 

リーニエは、それを自身の作り出した剣の腹で滑らせるように受け流す。

戦士の剣は軌道を変えることもできず、導かれるまま地面へと突き刺さった。

 

 

「初手で大振り?……素人が。私を魔法主体の魔族だと舐めたな」

 

 

そのまま滑らせた剣を打ち払い、返す刀で戦士の首元へと剣を振り下ろす。

しかし、戦士が恐怖で全身を硬直させるのを合図に、その刃は薄皮一枚のところでピタリと静止した。

リーニエは剣を引くと、戦士の顔面を無造作に殴りつけ、気絶させる。

 

 

一瞬の出来事に、他の戦士たちの間に唖然とした空気が流れる。

魔族なのに魔法を一切使わず、単純な剣技だけで仲間が打ち負かされたのだ。

まだ若い彼らは、これまで学んできた常識とのあまりのギャップに、完全に思考が停止していた。

 

 

「……少し待って……気が散る」

 

 

リーニエは、そんな彼らの反応を一切気にすることなく、手で制止すると、物陰へと歩いていく。

そして、何かを掴み上げると、再び戦士たちの前に戻ってきた。その手に握られていたのは、赤髪の子供だった。

 

 

リーニエは子供の首根っこを掴んだまま、一瞬だけその小さな喉元を見つめた。柔らかそうだ。

だが、彼女はそのまま、全身をガクガクと恐怖に震わせる子供を、無造作に近くの家の中へと放り込んだ。

 

人間は同族の子供が殺されると厄介なことになる――その程度の知識は、フルーフとの生活で嫌というほど叩き込まれていた。

それに、そのような蛮行は最強の戦士であるアイゼンの姿を目に焼き付けたリーニエの美学に反する。

 

 

「よし、再開」

 

「……何?速く打ってきなよ」

 

 

リーニエの一言で、我に返った戦士たちが一斉に斬りかかってくる。

その猛攻を、リーニエは柳のようにしなやかに逸し、的確なカウンターを決めていく。

 

 

「死ね!魔族!!」

 

「……違う、踏み込みと剣を振るタイミングがズレてる。正しくはこう」

 

 

上段からの兜割りをヒラリと躱し、剣の柄をがら空きになった顔面に叩き込む。

鼻血を出しながら後退する戦士に向かい、まるで手本を見せるかのように飛び上がり、全く同じ技を繰り出した。戦士は咄嗟に剣で防御を図るが、いとも簡単に刃が手から溢れ落ちる。

 

 

気づけば、魔族は既に別の戦士の攻撃を受け止めており、目の前にはいなかった。

落ちた自分の剣を見れば、その断面には凹凸一つなく、まるで鏡のように綺麗に切り裂かれていた。

 

 

「馬鹿な……」

 

 

戦士は、己の剣技に絶対の自信を持っていた。

だが、リーニエが放った一撃は、その自信を木っ端微塵に打ち砕いた。同じ技のはずなのに、その質が根本から違う。

彼の剣が鉄を「砕く」のが限界なら、彼女の剣は鉄を「切り裂く」。

破壊と切断という、似て非なる絶対的な隔たり。その残酷な事実が、彼の戦士としての心を、無慈悲にへし折った。

 

 

目の前が真っ暗になった。

積み上げてきたものが、たった一瞬で崩れ去り、どうしようもない無力感に襲われる。

 

地に膝をつき、目の前の魔族を見つめる。

他の戦士たちも同じように心を折られているのか、次々と戦意を喪失し、その場に崩れ落ちていく。

そして同時に、彼らの技を模倣したリーニエの動きは、より洗練され、鋭さを増していった。

 

 

それでも、気骨のある戦士たちは何度も食らいつく。

しかし、そんな彼らも、徐々にその数を減らしていった。

 

 

気づけば、最初に集まっていた戦士全員が、地に膝をつき、項垂れていた。

 

 

「不思議だね……お前達は今深く絶望している。それも私にじゃない……自分に対してだ」

 

 

魔族は、人間を欺くための捕食者としての本能から、その感情の機微に鋭敏だ。

リーニエは、戦士たちの絶望に共感することはできない。

しかし、その魂が発する明確な敗北の色は、彼女に手に取るように伝わってきた。

 

 

「この根性なし共……たかだか数十年鍛えてきた技で、どうして百年以上鍛え続けている私に勝てると思い込んでいる」

 

 

十数名の戦士たちが、膝を折り、言葉を失っている。

リーニエには、この村で無意味な殺戮を行うつもりはない。

だが、この腑抜けどもを再起させるには――一度、死の淵を覗かせてやる必要がある。

 

 

「戦士としての誇りが無いなら、此処で殺してあげる」

 

 

膝をつく一人の戦士の前に歩み寄り、剣を振り上げ、本物の殺意を込めて振り下ろす。

しかし、鮮血が舞い上がることはなく、甲高い金属音が木霊した。

戦士が、最後の力を振り絞り、その一撃を受け止めていたのだ。

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 

荒い息をつきながらも、戦士はよろめきながら立ち上がる。

その瞳に、もはや先程までの絶望の色はなかった。

 

 

「――お前は、何?自分が何者なのか……言いなよ」

 

 

リーニエの問いに、戦士は魂の底から叫ぶ。

 

 

「俺は……俺達は……――誇り高き、戦士の村に生まれた戦士だッ!!」

 

「そう……私達は戦士」

 

 

その言葉に、リーニエは満足げな笑みを浮かべた。

そうだ、それでいい。

 

優れた戦士とは、心が折れようと、魂がその本分を忘れないものだ。

生存本能と反骨精神が、絶望を乗り越える燃料となる。再び構えられた剣には、先程とは比較にならないほどの気迫が宿っていた。

 

 

「深く考えるな。何も考えず打ってきて。私が戦士としてより高みに登らせてあげる。……己が成長していることが実感出来る瞬間が一番愉しい……そうでしょ?」

 

 

その後は、リーニエなりのやり方で、戦士たちの心を再起させていく。

かつてフルーフとの師弟関係の中で培った、独特な教育方法を、今度は彼らに叩き込むのだ。

徹底的に心を叩き折り、欠点を的確に指摘し、正しい動きを身体に覚え込ませる。

 

 

確実な成長と、それを実感できる喜びは、戦士たちの心に再び希望の灯をともした。

成長と挫折の浮き沈みを強制的に作り出し、短期間で驚くほどの進化を可能にしていく。

一人一人の修正すべき点を的確に潰し、彼らの技は、リーニエが放つそれへと、少しずつ近づきつつあった。

 

 

「だいぶマシ……もう鉄も切れるレベル」

 

「ほ、ほんとか!?」

 

「油断するな」

 

 

剣戟の音が変わった。

憎悪に満ちた金属音は消え、互いの技量を確かめ合うかのような、澄んだ音が響き始める。

戦士たちの瞳には、いつしか闘志とは異なる活力が宿り、その剣筋は驚くほどに洗練されていた。

 

 

だが、リーニエは眉一つ動かさない。

敵を前にして一瞬でも気を抜いた愚か者の額に、剣の柄を容赦なく叩き込む。

蹲る戦士を一瞥し、彼女は内心で舌打ちした。

 

 

殺意が薄れている。

これでは普通に指導した方が効率的だ。

急激な成長とは、死線の上でこそ掴み取れるもの。これではいけない、殺す気でなければこれ以上の成長は見込めない。

 

 

リーニエはそう判断すると、今日の稽古を一方的に打ち切った。

もはや用はないとばかりに、彼女は戦士全員の意識を的確に刈り取り、その場に眠らせた。

 

 

そして、彼らのマントを鷲掴みにして村の隅へと引きずり、入り口に戻った瞬間――ヒュン、と空気が裂ける鋭い音が鼓膜に響いた。

リーニエは上半身を翻し、バク宙で後退すると同時に、手にしていた剣を音のした方向へと投擲する。

当然のように、その剣は弾き返された。

 

 

「やっと出てきた……」

 

 

リーニエが視線を前に戻すと、そこには白と黒のマントを羽織った二人組が立っていた。

赤髪の男は抜身の剣を手にし、その佇まいだけで、先程の戦士たちとは比較にならない手練れであることが一目で分かる。

 

そして、片目に傷を持つ黒装束の男は、まるで一つの流派を体現したかのように、その構えには一切の無駄がなかった。

 

 

「魔族相手だがまずは礼を言ってやろう。貴様のおかげで魔物相手に醜態を晒していた奴らが少しはマシになった」

 

 

黒装束の男が口を開く。その口調は威圧的だが、どうやらリーニエの戦士としての技量は認めているのか、内容は意外にも普通のものだった。

 

 

「少しの間住める住居が欲しい……これはその指導料」

 

「親父……この魔族はシュタルクを殺さなかった。戦士も殺していない、話を聞いてみるか?」

 

「あの失敗作のことはどうでもいい。重要なのはこいつが他の戦士の教育に役立つか、それだけだ」

 

 

魔族相手にも関わらず、その思考は極めて合理的だった。

村の戦士たちとリーニエのやり取りを見て、彼らがリーニエを、戦士たちの成長に大いに役立つ存在だと認めたのは明らかだった。

 

 

「俺の見立てであれば、あそこに転がされている戦士は既に頭打ちだ、成長の見込みなど既に無い筈だった。だがコイツは短期間でそれを可能にしやがった。魔族だろうが関係ない……殺意も害意も無いのなら役立たせるまでだ」

 

 

黒装束の男の言葉の端々から、強さこそが全て、というシンプルな思想が滲み出ていた。

 

 

「俺も異論は無い。この魔族なら、愚弟を一流の戦士へと引き上げられるかもしれない」

 

「時間の無駄だ。シュタルクの修行にコイツを使う価値は無い。他の戦士の面倒を見させる」

 

「……わかったよ親父。この魔族が暴れる心配はしなくていいのか?」

 

「コイツを受け入れ、裏切るならそれでいい。村の若い奴らは魔族を知らん……良い経験になるはずだ。こいつに騙されて喰い殺されるならそれまでだ……それも今後の教訓になるだろう」

 

 

既に交渉が成立した前提で、話が好き勝手に進んでいく。

リーニエは、そんな二人をどうでもよさそうに見つめ、再び剣を構え直した。

 

 

「それじゃ……まずはお前ら。強いけど……私ほどじゃない」

 

 

まるで手招きをするように、剣先をちょいちょいと揺らして見せる。

どうやらリーニエにとっては、この村の最強格である二人も、指導の対象に過ぎないらしい。

 

 

「親父……どうやら俺達も指導対象に入っているらしいぜ」

 

「シュトルツ、殺す気でやれ。これで死ぬのなら……村に置く価値もない」

 

 

二人は、リーニエの挑発的な態度に怒りを見せることもなく、ただ冷静に剣を抜き放ち、構える。

リーニエの眼が、二人の内面を流れる魔力を正確に捉え、その動きを分析する。

 

立ち姿、剣の構え。それらの情報を、大陸中の剣技のデータと瞬時に照合し、改善を加えていく。

より鋭く、より完璧な剣技へと、リーニエの中で昇華させていく。

 

 

そして、三人が同時に地を蹴り、剣閃が交差したのを合図に、その試合は始まった。

 

 

二対一という不利な状況にも関わらず、リーニエは互角以上の戦いを繰り広げる。

その試合は、日が完全に暮れた後まで続いた。一撃打ち込まれれば、更に鋭さを増した一撃が返ってくる。

 

自身が長年研鑽してきた技を、目の前の魔族は一瞬で上回り、完璧な形で放ってくる。

戦士にとって、リーニエという存在は、まさに悪夢そのものであった。

 

 

しかし、これは殺し合いではない。

二人組は、死力を尽くしてリーニエの技を上回ろうと、その剣技に更なる気迫を込めていく。

リーニエもまた、そんな二人の戦士としての姿勢に応えるように、完璧な手本を見せつけ、彼らの剣技の粗を的確に矯正していった。

 

 

日は落ち、周辺が深い暗闇に包まれる中でも、甲高い剣戟の音だけが、いつまでも鳴り響いていた。

 

 

技が冴え、成長を実感できるのは、戦士にとって何よりの喜びだ。

それは、魔族であるリーニエにも理解できる。

しかし、いつまでも童心に帰ったように、無限に斬りかかられては堪らない。

 

 

丸二、三日も風呂に入っていないリーニエは、猛烈に湯浴みがしたかった。

むさ苦しい男どもとの手合わせは、もう十分だ。

彼女は、いい歳をしてハッスルする二人組を制止するように、それぞれの腹に拳を叩き込み、試合を強制的に中断させた。

 

 

そうして、腹を抱えて呻く二人組が落ち着くまで待ち。黒装束の男との交渉の末、リーニエはしばらくの間、この村に滞在する権利を勝ち取った。

 

 

黒装束の男は、この戦士の村を束ねる長。

そして、白いマントの男は、その息子シュトルツであった。

 

村長は、物凄い勢いで風呂を要求するリーニエの処遇に、息子の家を充てることを即決する。

この村で、得体の知れない強力な魔族を自宅に招き入れ、冷静に対処できるだけの度量を持つ者は、シュトルツしかいなかった。

 

 

何か小言を言っている厳つい隻眼のオッサンをガン無視し、リーニエは白マント男の尻を蹴り上げ、家まで案内させる。

そして、家具一式の使用方法を聞き出した後、慣れた手つきで薪を割り、発火させ、湯を沸かし始めた。

 

 

弟であるシュタルクを迎えに行くため、そして入り口に放置された戦士たちの後処理のため、シュトルツが家を出て行ったことなど気にする素振りも見せず、リーニエは沸き立つ湯船の中で、冷えたシードルを飲みながら、リンゴを心ゆくまで貪り食っていた。

 

 

そうして数十分後、本来の家主が帰宅する。

 

 

家に魔族がいると兄から聞かされ、恐怖に震えながら帰宅したシュタルクは、自宅の扉を開いた瞬間、青ざめていた顔を真っ赤に染め上げ、鼻血を吹いてその場に倒れた。

 

 

そこには、バスタオルを首に掛け、豪奢なベビードールを身に纏ったリーニエが、瓶をラッパ飲みしながら、帰宅した二人を出迎えていたのだ。

 

 

色気も何もない、ただただだらしないその光景。

だが、残念ながら、その外見は絶世の美少女なのである。

純朴な少年シュタルクには、些か刺激が強すぎたようだ。

 

 

ちなみに、兄であるシュトルツは、そんな光景にも一切反応を示さず、ただ黙って自身のマントを外し、リーニエに巻きつけ、注意するだけだった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

リーニエが戦士の村に居着いて一週間。

当初は遠巻きに様子を伺っていた戦士たちも、彼女が一日中ゴロゴロしているだけの干物魔族だと知ると、次第に警戒を解き、距離を縮めてきた。だが、その安易な接触こそが命取りだった。

 

 

「馴れ馴れしい。死にたいの?」

 

 

リーニエにとって、気安い態度は油断そのもの。

彼女はそんな「平和ボケ」した愚か者を見つけるや否や、再起不能寸前まで徹底的に叩きのめした。

 

 

それは魔族という捕食者の恐怖を骨の髄まで刻み込む、彼女なりの指導だった。

殴られた者は例外なく丸一日寝込むことになるが、不思議なことに翌日にはケロリと復活し、懲りずにまた集まってくる。

その異常な打たれ強さと学習能力の無さに、リーニエはこの村の人間は犬か何かではないかと本気で疑い始めていた。

 

 

午前の指導を終えたリーニエは、シュタルクと共に、心地よい日差しが降り注ぐ茂みの上で寝転がっていた。

 

 

「なぁ……姉ちゃん」

 

「なに……愚弟」

 

 

木漏れ日が降り注ぐ穏やかな昼下がり、茂みの上で寝転がりながら、シュタルクは隣にいる不可解な同居人に、ずっと気になっていた疑問を投げかけた。

 

最初は心底恐れていたはずなのに、その強さとは裏腹の、あまりにもだらしない私生活を目の当たりにするうち、シュタルクの警戒心はすっかり毒気を抜かれていた。

一方のリーニエも、シュトルツの頼みもあって、定期的に彼の面倒を見るようになっていた。

 

 

リーニエはシュタルクを「愚弟」と呼ぶ。

それは、彼の兄がそう呼んでいたのを真似ただけで、特に深い意味はない。

シュタルクもまた、なぜか姉のように振る舞う彼女を、ごく自然に「姉ちゃん」と呼ぶようになっていた。

 

 

「魔族ってことはさ……姉ちゃんも人を喰ったりすんの?」

 

「別に食べなくてもいいけど、定期的に食べると落ち着く。……昨日食べてたあれがそう」

 

 

シュタルクの脳裏に、昨日の夕食の光景が蘇る。

食卓には、いつものリンゴではなく、肉厚でジューシーなステーキが並んでいた。

 

 

「あのステーキ……人肉かよ。フライパンで焼いて塩とレモン掛けてたじゃん……魔族の人喰いってああいうものなのか?」

 

「私はグルメな魔族。野蛮な田舎魔族と一緒にするな愚弟」

 

 

シュタルクの中にあった魔族のイメージが、ガラガラと音を立てて崩れていく。

もっとこう……人間を生きたまま踊り食いするような、残忍な化け物を想像していたのだ。

だが、目の前で「人肉を食べている」と直接口に出されても、そのあまりの日常感に、正直、現実味がなく、恐怖心は全く湧いてこなかった。

 

 

「へー……意味わかんね。じゃさあれは……嘘ばっかつくんだろ?普段は、どういう嘘をつくんだ?」

 

「フルーフみたいなこと言うな愚弟。はぁ……メンドくさ」

 

「フルーフって誰だよ……。……なぁ、姉ちゃんは魔族なんだよな?そう言わずちょっとやって見せてくれよ」

 

 

シュタルクのしつこい要求に、リーニエは心底面倒くさそうに溜息を吐くと、寝そべったまま、その身体をシュタルクへと擦り寄せた。

 

 

「仕方ない愚弟。ゆでダコにしてやる………――シュタルク君……今日はリーニエお姉さんが一緒に寝て上げる♡」

 

 

無表情のまま、やたらと艶のある声色で、リーニエはシュタルクにしなだれ掛かる。

その日常とのギャップがあまりにも激しく、不気味だった。

 

話に聞いていた魔族のイメージと、目の前の存在が、あまりにもかけ離れている。

シュタルクは、目の前の少女が本当に魔族なのか、本気で疑い始めていた。

 

その正体を確かめるため、しつこく色々と聞き出そうとするも、余りの豹変ぶりに、思わず本音が漏れてしまう。

 

 

「え、キモ――痛ッ!?」

 

 

 

瞬間、唐突に尻に痛みが走り、彼の口は閉ざされる。

寝そべったままのリーニエが、シュタルクの尻を膝で何度も蹴り上げていたのだ。

 

 

シュタルクは知る由もない。

残念ながら、人類文明の恩恵を遺憾なく享受するために、幼少期からフルーフによる特殊な学習と教育を施されたリーニエという魔族は、もはや「普通」のカテゴリーからは、遥か彼方に逸脱していた。

 

 

「本気で蹴っただろ……あ、じゃあれは!?魔法だよ魔法!魔族は凄いのが使えるって兄貴が言ってたぜ」

 

「私の魅力が分からない糞餓鬼が……。魔族にとって魔法は身体の一部。その強さが誇りみたいなものだから使えて当然」

 

「じゃ姉ちゃんも猿真似以外出来るのか!」

 

「なんだお前、その言い方。愚弟、私は魔法なんかに誇りは持ってない。便利な道具程度」

 

「はぁ?意味わかんねぇ……」

 

「魔族が優れているのは魔法だけじゃない。私は人間より遥かに優れたこの身体の方が誇らしい」

 

「……よくわかんねぇよ」

 

「大魔族すら殺す人間が編み出した最強の技。それを魔族である私が完璧に使いこなせたのならどう思う」

 

「うーん……最強なんじゃね?」

 

「そう、つまり私はいずれ最強。私を最強たらしめてくれる技にこそ誇りを持つの。逆らう奴は拳で叩きのめす。立て……そろそろ指導の時間」

 

 

リーニエの思考は、まさしく脳筋オブ脳筋。

なまじ幼少期に、規格外の最強の戦士であるアイゼンの戦いを目の当たりにしてしまったせいで、彼女はどんな強力な魔法も、物理的な技術と圧倒的な力で叩き潰せると、本気で信じていた。

 

 

「あ、あぁ……今日は何するんだ?」

 

「立ってるだけでいい……痛みを感じたら言って」

 

 

二人は芝生から立ち上がると、静かに向かい合う。

リーニエは、茂みが抉れるほど地面を強く踏み込み、その衝撃をシュタルクへの腹部へと叩き込んだ。

 

 

「……どう?」

 

「いや、なんかビリビリきた……だけだけど」

 

「硬っ」

 

 

リーニエは、その反応に内心、本気で意味が分からなかった。

今の衝撃は、並の戦士を内部から吹き飛ばすのに十分なほどの衝撃量だったはずだ。

内臓は潰れ、骨は粉々に崩壊し、筋繊維ごと風船のように弾け飛ぶ。それが可能な攻撃だったのだ。

 

 

しかし、シュタルクの全身は、異常なほどに頑丈だった。

叩き込まれた衝撃は、確かに彼の筋繊維を駆け巡り、骨を震わせた。――しかし、それだけ。

数秒もすれば、全身を駆け巡っていた衝撃は収まり、何が起きたのか理解できないシュタルクは、頭にハテナマークを浮かべるだけだった。

 

 

「うん……人間辞めてる」

 

「人間じゃないのは姉ちゃんだけだろ」

 

 

耐久力の限界が気になるところだが、流石に魔力を上乗せした攻撃を叩き込む気は、リーニエにはなかった。彼女は、取り敢えず茂みの上へと、魔力で作り出した三種類の戦斧を置いていく。

 

 

「手に持って……どれが馴染む?」

 

「え……俺、兄貴みたいな剣がいいんだけ――

 

「黙れ」

 

「え、怖ッ……」

 

 

減らず口を叩くシュタルクに、リーニエは無表情のまま瞳孔を細め、有無を言わさず黙らせる。

シュタルクは渋々、差し出された戦斧を一つずつ拾い上げ、その感触を確かめていく。

 

 

「えっと、この中ならこれか……。姉ちゃん、これが一番しっくりくるぜ」

 

「……う、わぁ……ゴリラ」

 

「え、なに!?選べっていわれたから選んだのになんでドン引きされてんの!?」

 

 

他者への感情が希薄なリーニエであったが、これには流石に、割と本気で引いていた。

差し出された三本の戦斧は、それぞれ銅、金、そして黒銀の色をしており、その重量は全く異なっていた。

 

順に、一桁、二桁、三桁の重量となるように作り出されており、リーニエが引いている理由は、まさにそこにあった。

 

 

シュタルクが選んだ戦斧の色は、黒銀。つまり、数百キロはあるであろう超質量の斧を、彼は片手で軽々と担いでいたのだ。

少し巫山戯た武器で、この愚弟をからかってやろうと思っていたのに、まさか軽々と持たれてしまうとは。

 

というか、なんで持てるんだ……魔力強化がないと私でも持てないぞ。

リーニエの内心は、シュタルクという未知の生物への困惑で満ちあふれていた。

 

 

「……それ、振れる?」

 

「あぁ……少し重い気がするけど問題ない」

 

 

そう言いながら、シュタルクは担いでいた戦斧を両手で握り、大きく振りかぶった。

 

その瞬間、暴風が吹き荒れる。

茂みは衝撃でなぎ倒され、戦斧の直線上にあった木々は、その凄まじい風圧だけで、まるで小枝のように圧し折れていく。

たった一振りで、とんでもない惨状が作り出されていた。

 

 

「それあげる。愚弟……お前剣捨てろ」

 

「え……なんでッ!?」

 

――なんでじゃないだろう、いい加減わかれ。

 

 

この日から、リーニエはシュタルクに対する剣の指導を一切止め、ただひたすらに、その重い戦斧を振らせ続けた。

最強の戦士アイゼンの技こそ教えなかったが、その基礎となる部分は、くどいほどに叩き込んでやった。

 

 

自己評価が地の底まで落ちているシュタルクを、強制的に魔物狩りに連れ出しもした。

泣きわめくシュタルクに戦斧を振らせれば、案の定、魔物はその風圧だけで、肉片一つ残さず磨り潰されていった。

 

 

リーニエは、魔物討伐の顛末とシュタルクの非凡な才能について、あの黒一色の頑固親父――彼の父親に淡々と報告した。

すると、驚くべきことに、父親は無言のまま、その無骨な手でシュタルクの頭をそっと撫で、一言「よくやった」とだけ呟いた。

 

結果さえ示せば、過程や感情など問わない。

その極端なまでの実力至上主義が、今回は、シュタルクの心を救う最良の薬となった。

 

 

生まれて初めて、父親から認められた。

その事実に、シュタルクの思考は完全に停止する。

 

ぽかんと開いた口からは言葉も出ず、ただ熱いものが込み上げ、視界が滲んでいく。

静かに涙を流す息子を前に、どう接していいか分からなくなった父親は、どこか気まずそうに眉を歪めると、長男であるシュトルツに後を丸投げし、そそくさとその場から逃げ出してしまった。

 

 

その日は、偶然にもシュタルクの誕生日だった。

 

キッチンからは、兄シュトルツが父親から貰ったという高級な肉で、巨大なハンバーグを焼く香ばしい匂いが漂ってくる。

そして隣では、リーニエが慣れた手つきで生地を捏ね、アップルパイの準備をしていた。

生地を捏ねるリーニエの手つきは、戦斧を振るう時とは別物のように滑らかだった。

 

 

「兄貴と姉ちゃん。何作ってんだ?」

 

「はぁ……哀れな愚弟。誕生日には特製アップルパイ、これは常識」

 

 

魔族に誕生日などという概念はない。

だが、フルーフが「出会った日」を誕生日と定め。毎年リーニエを祝い続けた数十年の歳月は、彼女の中に「誕生日とは、特別なご馳走で祝うもの」という、魔族らしからぬ温かな常識を根付かせていた。

 

 

「ハンバーグ。誕生日だろ。親父も祝ってやれって普段出さない高級な肉をくれたんだぜ」

 

「嘘。あのオッサン、言うまで忘れてた」

 

「……そういうことは言わなくていい。実際にこうして祝の品をくれているんだ」

 

 

兄の言葉で、シュタルクは今日が自分の誕生日なのだと、ようやく思い出す。

父親からの突然の承認、そして兄と姉からの不器用な祝福。感情の洪水に耐えきれず、彼の瞳からは、また新たな涙が静かに零れ落ちた。

 

 

「泣くな愚弟」

 

「シュタルク。安心しろ……これからは親父も含め祝ってくれる」

 

 

慰めているのかすら分からない、いつも通りの無表情な二人。

しかし、シュタルクはその光景に、なぜか可笑しさが込み上げてきた。

涙はいつしか笑顔に変わり、目の前に置かれた巨大なハンバーグと、焼き立てのアップルパイを、彼は夢中で頬張り始めた。

 

 

そんなシュタルクの姿を、リーニエはどこか満足げに見つめ、その頭を優しく撫でる。

 

 

「気持ちわりぃな姉ちゃん。なんで頭をなでるんだよ」

 

「フルーフが誕生日に毎回してくる。誕生日とはこういうもの」

 

「そっか……」

 

「生まれてきてくれてありがとうシュタルク。誕生日おめでとう」

 

 

その言葉に、シュタルクはリーニエを見つめ返す。

彼女が、こんなにも優しい言葉を、自分から言うはずがない。

 

 

「それも。その人が言ってたのか?」

 

「そう。よく分からないけど毎回言ってる」

 

 

リーニエは、シュタルクの頭を撫で回しながら、フルーフの受け売りであるその言葉を、まるで呪文のように、何度も、何度も繰り返す。

その言葉だけの愛情表現に、シュタルクは、どうしようもなく照れくさくなり、その顔は、まるで熟したリンゴのように真っ赤に染まっていった。

 

 

見かねたシュトルツが、いい加減にしろ、とリーニエを止め。ようやく、その少し変わった誕生日の宴は、再び穏やかな時間を取り戻したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

リーニエが戦士の村で生活を始めて、早くも二週間が経った。

 

村中の住人が寝静まったその夜、リーニエは、膨らませていた鼻提灯が弾ける音を合図に、目を覚ました。同時に、村中の戦士たちが一斉に布団を蹴り上げ、飛び起きる気配を感じ取る。

 

 

リーニエは手早く着替えを済ませ、戦斧を担ぐ。

シュトルツもまた、剣を腰に差し、マントを羽織って家の外に出た。

 

 

「リーニエ。ここに向かってきている奴は敵か?以前言っていたお前の仲間じゃないのか」

 

「聞く必要ある?……殺気を隠してない、皆殺しにする気満々」

 

「それでどうする。二方向からの挟み撃ちだぞ」

 

 

シュトルツの言う通り、まるで村を前後から挟み撃ちにするように、二つの巨大な気配が感じ取れる。

前方からは大魔族クラス、そして後方からは、将軍クラスの魔力量を持った魔族が、明確な敵意を持って迫ってきていた。

 

 

「全員で入り口から来ている奴の相手をして。私は裏」

 

 

リーニエは、冷や汗を流しながら歯を噛み締める。状況は最悪だ。

いくら村全体の戦士が、彼女の指導によって数段成長したとはいえ、大魔族を相手にするには、あまりにも心許ない。

 

 

「一人で大丈夫……じゃなさそうだな。逃げろ。咎めはしない、余裕があればシュタルクだけでも一緒に連れて行ってくれ」

 

 

シュトルツは、尋常ではないリーニエの様子を見て、逃げることを提案する。

しかし、リーニエは、その提案に首を縦には振らなかった。

 

 

「誰が……此処は私の住処。喧嘩を売ってくる奴には容赦はしない……。それより自分の心配をしなよ」

 

「死ぬだろうな。だが俺は俺のすべきことをする」

 

 

リーニエの顔に、苛立ちの色が宿り。歪んだ独占欲にも似た感情が胸の内から湧き立つ。

一時的とはいえ、自身が戦士として育てた者たちが、敗北を前提とした戦いへと赴くことが、酷く不快でたまらなかった。

いずれ最強の戦士へと至るこの私から直接教えを受けておきながら、そんな負け犬じみた思考に至るなど、断じて許容できない。

 

 

「私は負けない。逃げない。愚弟も連れて行かない……お前が死ねばアイツは一人。それでも死ぬって?」

 

 

シュトルツの眉が、ぴくりと跳ねる。

相手が魔族であることは分かっていても、同じ戦士として、彼女が何を考えているのか、ある程度は理解できた。

 

 

「勝利以外認めないつもりか……身勝手な先生だ」

 

「刺し違えるだけの手段は貸してあげる。はぁ……こういう小細工は嫌い」

 

 

そう言うと、リーニエは二本の剣を魔力で作り出し、そして、胸元に吊り下げていた血の塊のようなペンダントを、シュトルツへと投げ渡した。

 

 

「おい、なんだコレ。剣ならもう持ってるぜ」

 

「黙れ、聞け。それはソリテール様の知識と私の魔法で作った剣。魔力で構築された魔族の身体を直接分解出来る。魔法も切れる……その鉄屑と一緒にするな」

 

 

シュトルツは、目を見開いた。

なんだそれは――御伽噺に語られる魔剣そのものではないか。

 

 

「確かにな……俺の腰に刺さったものと比べれば魔剣同然だ。このペンダントはなんだ。肌身離さなかったものだろう」

 

「……一度だけ。どんな致命傷を受けても再生出来る……それで勝ち筋を見つけろ」

 

 

シュトルツは、手渡されたペンダントを、まじまじと見つめる。

到底信じられない効果だが、リーニエの真剣な様子が、それが真実だと物語っていた。

命綱とも言えるそれを、自ら手放した魔族の少女は、いつもとは違い、どこか心細そうに見えた。

 

 

突き返そうにも、この行動原理の何もかもがズレた魔族は、絶対に受け取らないだろう。

シュトルツは、性格のネジ曲がった一時的な師匠へと、静かに頭を下げ、村の入り口へと向かった。

 

 

「無駄にはしない。必ず……勝つ」

 

 

可能性を示されたのなら、負けるつもりはない。

村最強の戦士の証であるマントを翻し、彼は、堂々とした姿勢で、迫り来る大魔族を出迎えにいった。

 

 

後に残されたリーニエは、何かを考え込むように俯きながら、戦士たちとは反対方向の、深い闇へと一人、静かに歩いていった。

 

 

愚弟の斧に五年分、二本の魔剣に十年分。魔力鍛錬で鍛えた魔力を十五年分を完全に切り離したうえ、魔剣生成自体に半分以上の魔力を消費している。保険ももう無い。

 

 

――逃げるか?

 

 

 

「馬鹿が。最強の戦士は、敵前逃亡なんてしない」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

戦士の村が、紅蓮の炎に包まれる。

木材で出来た家々へと、次々と炎が燃え移り、夜空を赤く染め上げた。

パチパチと、炎がまるで拍手をするかのように音を立て、その中で、鋭い剣戟の音だけが、絶え間なく鳴り響いていた。

 

 

シュタルクは、リーニエから貰った戦斧を両手で強く握りしめ、部屋の隅で、ただただ震えていた。

外に出て戦う?家族を置いて、一人、森の暗闇へと逃げ出す?どちらも無理だ。シュタルクにできたのは、ただ怯え、震えていることだけだった。

 

 

戦いが始まってから、既に数十分が経過している。

未だに、剣の音は聞こえてくる。

全滅はしていない。ただ、その事実だけが、シュタルクの心をかろうじて支える慰めだった。

 

 

遠くの方から、激しい衝突音が聞こえてくる。

ドン、ドン、と鳴り響くその音は、徐々にこちらへと近づいてきていた。

 

 

「な、なん――うっわぁ!?」

 

 

ドンッ、と一際大きく音が鳴り響いた瞬間、家の壁を突き破り、何かがシュタルクのすぐ横に転がり落ちてきた。

それは、二本の角を持つ、見覚えのある魔族だった。

 

 

「ね、姉ちゃん!?だ、大丈夫かよ……それ」

 

 

そこには、一人、魔族との戦いに挑んだリーニエの姿があった。

リボンで結ばれた可愛らしいツインテールは解け、その額や肩には、痛々しい大きな切り傷があり、そこから絶えず血が流れ落ちている。

 

 

「なんだあの剣……かなりふっとばされた」

 

 

リーニエは、滴り落ちる血をものともせず、いつもの無表情で立ち上がると、シュタルクの対面にどっかりと座り込んだ。

 

 

「先に手当しなきゃ死ぬぞ姉ちゃん」

 

「私に舐めた口をきくな……愚弟」

 

 

リーニエは、口の中に溜まった血溜まりを吐き捨てると、全身の調子を確かめるように、己の身体を調整し始める。

ズレていた全身の骨が、ゴキゴキと嫌な音を立てながら、元の位置へと嵌め込まれていく。

 

 

「なぁ。まだ戦いにいくのかよ。姉ちゃんがそんなになるなんて、どんな奴なんだ?」

 

「レヴォルテ……偉そうな四本腕の奴だった。で、正面から来てる奴が、大魔族リヴァーレ」

 

 

千切れかけた服の袖を、腕や肩の傷口にきつく巻きつけていく。

血管を圧迫し、これ以上の出血を抑えるための、応急処置だ。

 

 

シュタルクにとって、大魔族などという存在は、あまりにもスケールが違いすぎて、その脅威を正しくイメージすることすら出来なかった。

ただ、得体の知れない恐怖だけが増していき、全身の震えは、もはや収まる気配を見せなかった。

 

 

「姉ちゃんも怖いのかよ」

 

 

シュタルクは、自分と同じように震えている魔族の手に気づいていた。

その表情には、いつもの余裕は一切なく、ただただ、極度の緊張感が漂っていた。

 

 

「当たり前。魔族同士の戦いでは魔力量が絶対、嫌でも全身が竦む。まぁ、私は気概が違うから、情けなくビビんないけど」

 

「そ、そうなのか」

 

「愚弟。剣一本持たされて巨大なドラゴンと戦えって言われた人間の気持ちで考えろ」

 

「――そりゃ……怖いな」

 

 

リーニエは何も言わず、ただ震える掌を見つめ、それを開いたり閉じたりと繰り返す。

魔族としての本能が、逃げろ、とけたたましく警鐘を鳴らしていた。だが、リーニエは逃げない。

 

 

「やっぱりわからない。愚弟……もう考える時間はない。お前の意見で決めることにするよ」

 

「え……急にどうしたんだよ姉ちゃん」

 

「フルーフとソリテール様が言っていた。恐怖こそが生物に進化を齎す。フルーフは己の本能的恐怖を乗り越え望むものを手に入れた。ソリテール様は人類への脅威を忘れず魔法を進化させ続けている……」

 

「……」

 

「これは、いい機会だと思った。恐怖に向かい合った時、私は二人のように大きな成長が出来ると考えた。だけど分からない……これをどうすればいい?」

 

 

恐怖のあまり鼻水を垂らし、歯をガタガタと震わせている子供に聞くことではなかった。だが、他に誰もいない。

 

 

結局、リーニエには分からなかった。

フルーフやソリテールのように、恐怖を力に変える方法が。

格上との戦闘中、ずっと考えていた。だが答えは出ないまま、魔剣の生成で魔力を使いすぎた身体は、もう限界だった。

 

 

「そのままでいいと……思うけど。だ、だって無理だろ、怖がるなとかさ」

 

「そう……。そうだな、そうする」

 

 

フルーフやソリテールのように、恐怖そのものをねじ伏せ、力へと変える。

それが、リーニエが抱く理想の戦士像だった。

それに比べ、ただ恐怖を「受け入れる」という選択は、あまりにも消極的で、子供じみた彼女のプライドがそれを「格好悪い」と断じた。

 

 

しかし、脳裏に、あの愚弟の姿が浮かぶ。自分よりも遥かに格下の魔物を前にして、情けなく震えながらも、決して逃げずに斧を振るっていた、あの姿。

 

恐怖に屈しないのではなく、恐怖と共に戦う。

その愚直なまでの在り方は、あるいは、今の自分よりもずっと「戦士」として正しいのかもしれない。

リーニエは、初めて、愚弟の中に、ただの弱さではない、確かな強さの片鱗を見出した。

 

 

家の外から、何かがズルズルと地を這う音が聞こえてくる。

リーニエは立ち上がり、スカートについた土を払った。

 

 

「こんな気持ちは戦士として相応しくはない。だけどわからないし……素直に従うことにするよ」

 

 

突き破られた壁に、四本の大剣が突き刺さり、それを切り払うようにして、巨大な影が姿を現した。

 

そこには、リーニエやシュタルクの三倍はあろうかという、巨大な魔族が立っていた。

下半身は蛇。腕は四本。

大魔族の一歩手前まで至っているであろう、その魔力量。

魔族レヴォルテが、目隠しの奥からリーニエをその冷たい瞳で見据えていた。

 

 

「魔族の小娘。私がリヴァーレ様から下された命令は戦士共をこの村から逃さぬこと。立ち去るのなら追いはしない」

 

「此処は私の家。……出てけ全裸の変態。文明魔族である私の眼を汚すな、この田舎魔族」

 

 

どこで覚えたのか、彼女は中指を立て、レヴォルテに対して、堂々と喧嘩を売る。

しかし、その指先は、プルプルと、小刻みに震えていた。

 

 

「……愚かな。恐怖に身を震わせ強がるな小娘。その人間を守る義理など無いだろう……退け」

 

「恐怖はある……。だけど、お前を殺せないとは言っていない。それに、勘違いしている」

 

「また先程と同じく斧で私に抗うのか。同じ魔族の戦士としての忠告だ……貴様の振るう一撃は軽い。私の魔力で練られた剣を受け流すことすら不可能だ」

 

「愉しくなってきた」

 

「――なにを言っている」

 

「自分が圧倒的に強い、優位が覆らないと信じている。それがお前。こんな思考は戦士として相応しくはない……。だけど、お前みたいな奴を斬り殺せたなら。それは――凄く気持ちよさそう」

 

 

恐怖?確かに、全身は震え、肌を刺すような寒気が、全身を支配している。

消せない。無視できない。克服もできない。

 

 

「恐怖を克服したかった。二人のように乗り越え成長したかった。だけど、もういい……手段は選ばず殺してやる」

 

 

深い絶望、深い暗闇。

一歩踏み出すことすら、得体の知れない不安が付き纏う。

 

だが、そんなものは、端から問題ではない。

リーニエの中には、あの日、その魂に焼き付いた、目指すべき光がある。

進むべき道を指し示す灯台が、彼女に教えてくれる。

 

 

あの人類は、恐怖に支配されて逃げるのか。

否。逃げない。必ず立ち向かうはずだ。

 

あの背中は、実力差如きで折れるのか。

否。不屈の意思で何度でも立ち上がる。

 

あの拳は、命乞いのために人間を差し出すのか。

絶対に、否。全てをねじ伏せ、全てをその手で掴み取る。

 

最強の戦士なら出来る……最強の戦士なら出来るはずだ。リーニエの魂の奥底から、確信にも似た声が沸き立つ。最強の戦士なら出来たぞ、と。

 

 

なら私も出来て当然。

 

 

恐怖は、恐怖のまま、ただ飼い慣らす。

 

 

腹が立つ。

自分の意思に反して怯え、縮こまる。この惰弱な精神に反吐が出る。

目の前のレヴォルテは、今この瞬間、リーニエが感じている恐怖そのものだった。

 

 

恐怖する本能。しかし、それとは正反対に、彼女の理性では、この不条理で不快な存在を、思う存分叩きのめせるという、倒錯した悦びが溢れ出していた。

 

 

「最強の技も斧は使わない。……不本意だけど今の私じゃ身に余る」

 

 

リーニエの脳裏に焼き付いて離れない、最強の戦士アイゼンの絶技。

本来ならば、簡単に全てを終わらせられるはずだった。

 

しかし、今の自分では、その技の真価を発揮できない。

技が劣っているのではない、ただ、己が未熟なだけ。その事実が、リーニエの心を苛む。憧れの技を汚すことは、彼女のプライドが許さなかった。

 

 

「最早、何も言わん。リヴァーレ様がこの村の戦士を殺し尽くす前に、貴様と後ろの子供を殺す」

 

 

殺す必要のない同族への忠告を諦めた四本腕の魔族は、剣を構え、振り下ろす。

 

 

レヴォルテの振るう魔剣は、人知を超えた殺意の塊だった。

軽く、鋭く、そして重い。

その矛盾した性質を併せ持つ刃は、鉄すらもバターのように切り裂く。

しかし、リーニエはその必殺の連撃を、まるで舞うように容易く躱し続けた。

 

 

「何故当たらん……まるで空を切るように手応えがない。先程までの動きとまるで違う」

 

「技は荒い癖に単純に速い……疲れるな」

 

 

四本の腕から繰り出される変幻自在の剣術。

一歩でも踏み外せば即死は免れない惨殺空間の中で、リーニエは、まるで道楽でも楽しむかのような軽やかなステップで無傷を保ち続ける。

しかしその代償は、彼女の肉体を内側から蝕んでいた。

 

 

「……小娘。貴様……私が剣を振る前から既に軌道を読んでいるな」

 

「お前と私の間には明確な能力の差がある……だけど私は眼の良さだけは誰にも負けない。我流のつもりだろうけど、剣の一振りは人間の振るう技術と同じ。型が染み付いたお前の動きは分かりやすい」

 

 

その言葉に偽りはなかった。

リーニエの眼は、レヴォルテの体内を巡る魔力の流れを、まるで広げられた回路図を俯瞰するように詳細に捉えていた。

優れた戦士は、思考よりも先に身体が動く。

剣を振るうという意思が生まれる僅か前に、その腕には既に魔力が収束し、動きの予兆となって現れるのだ。

 

リーニエの脳内で、レヴォルテの体内を巡る魔力の流れが、膨大な剣技の記録と瞬時に照らし合わされていく。

腕が四本あろうと関係ない。

剣を振るという動作の本質は、人間も魔族も同じだ。

まるで楽譜を読むように、リーニエは次の一手を完璧に予測していた。

 

 

「何百年剣を振ったかしらないけど。……お前の剣は人間の後追いをしてるだけ。人類の剣術にもう少し敬意を持ちなよ」

 

「手を抜いていたのか……それは戦士として私に対する侮辱だぞ」

 

「さっきまでは少し……他のことを考えていた。これは疲れるし集中力がいるんだよ……手を抜いたつもりはない」

 

 

恐怖によってアドレナリンが絶えず分泌され、彼女の集中力は極限まで高まっていく。

 

しかし、その代償として、彼女の視神経は焼き切れんばかりの熱を帯び、眼球からは血が滲み始めていた。視界の端が、赤く滲んでいる。

涙ではない――血だ。

酷使しすぎた眼球が、限界を訴えている。

だが、まだ見える。まだ、敵の動きは読める。それで十分だった。

 

 

瞳孔は開ききり、その眼は、もはやレヴォルテの肉体を透過し、その内なる魔力の奔流だけを捉えていた。その予測精度は、戦闘を重ねるごとに飛躍的に向上し、もはや単なる「先読み」ではなく、寸分の狂いもない「未来視」と呼ぶべき領域に達していた。

 

 

「読み取れた……そろそろ終わりにする。来世では盾でも持つといいよ」

 

「驚嘆に値する能力だ。だが全力の一撃を持ってしても、私の剣に傷一つつけられなかった貴様に今更何が出来る」

 

「手段は選ばないと言ったはず……癪だけど魔法で小細工させて貰う。魔法はイメージ。私にはその魔力量の剣を壊せるイメージは出来ない。けどソリテール様は言った……それなら物理的に破壊してイメージを掴めばいいと」

 

 

 

高速で移動する魔法(ジルヴェーア)

 

 

 

長剣による連撃の嵐から、リーニエの姿が掻き消える。

次の瞬間、彼女はレヴォルテの懐深くに潜り込み、その掌を構えていた。

レヴォルテは、咄嗟に四本の魔剣をクロスさせ、完璧な防御の姿勢を取る。

 

 

「粉々にしてやる」

 

 

大地を操る魔法(バルグラント)

 

 

ドンッ、と、リーニエの踏みしめた足元から、大地そのものが悲鳴を上げるかのような衝撃音が響く。

リーニエの震脚。それは、地を割るでもなく、突き上げるでもない。ただ、大地に眠る膨大なエネルギーを、その一点から根こそぎ汲み上げるための、武の極致。

 

 

汲み上げられた振動は、魔力によって熱を帯びた奔流へと変わり、リーニエの脚を駆け上る。

メキメキと、骨が軋み、その衝撃に耐えきれなくなった皮膚の下で、毛細血管が次々と破裂していく。

 

――しかし構わない。

 

その膨大なエネルギーは、足首から膝、腰の回転を経て、螺旋を描きながら上半身へと伝達されていく。

力が肩から腕、そして掌へと到達した瞬間、リーニエは、その全ての破壊衝動を込めた掌底を、レヴォルテの魔剣へと叩きつけた。

 

 

「喰らえ」

 

 

リーニエの掌底が、レヴォルテの魔剣に触れる。

一瞬の静寂。掌から腕へ、腕から肩へ――伝えきれなかった力が、自分の骨を砕かんばかりの反動となって跳ね返ってくる。

だが、それ以上の何かが、魔剣の内部で暴れ狂っているのがわかった。

金属が悲鳴を上げるように軋み、カタカタと震え始める。そして、許容できる衝撃の限界を超えた魔剣は、あっさりと、四本全て、同時に砕け散った。

 

 

「――ッ!?なにッ……まさか全ての剣を同時に砕くとは。それで次はどうする、剣は私の魔法……いくらでも再生出来る」

 

 

驚愕のままに、地を這うように後退するレヴォルテ。

即座に剣を再生させ、油断なく構え直す。

ここにきて、ようやくリーニエを油断ならない敵だと認識したようだ。

しかし、この勝敗は、既に決していた。

 

 

「イメージは掴めた。お前はもう殺せる」

 

 

リーニエの掌には、いつの間にか、無骨な刀が握られていた。

大きく股を開き、前傾姿勢で鞘を握り、柄に手を添え、居合の構えを取る。

 

レヴォルテが、再生した剣を構え向かってくる。

その最中、リーニエは深く息を吐き、身体を捻り、柄を強く握りしめた。

 

 

「居合……――抜刀」

 

大体なんでも切る魔法(レイルザイデン)

 

 

同じ魔法であっても、それを扱う者のイメージによって、その効果は、全く異なったものとなる。

ソリテールから、半ば強制的に、数多の魔法を習わされたリーニエは、自身が目指す魔法への姿勢の通り、その力を、己の技を補助するものとして、完璧に使い熟していた。

 

 

「さようなら」

 

 

リーニエの背後で、その光景を見ていたシュタルクは、恐怖すらも忘れ、ただ、その一太刀に魅入っていた。

鞘から抜き放たれた刃が、月光に煌めいた、その瞬間。

紫色の光を放つ剣閃が、世界そのものに、何重にも、無数の線となって走り、切り裂いていく。

 

認知の及ばない、圧倒的な速度で抜き放たれる抜刀術。

いつ、切り返したのかもわからない、魔法によるイメージと合わさった、超高速の斬撃。

 

 

シュタルクの耳に、キン、と、静かに刀が鞘へと納刀される音が響く。

世界に描かれた線は、やがて現実に形となって現れ、全ての物体が、斜めへと、音もなくズレていく。

 

レヴォルテは、一言も発することなく、その剣と共に、静かに崩れ落ちる。

背後にあった家々や、生い茂る森林までもが、同じように、その形を失い、崩れ落ちていった。

 

 

その光景に、シュタルクは、興奮したようにリーニエへと近づいていく。

 

 

「スゲェ!姉ちゃん今の何やったんだ!?」

 

「愚弟。ちょっと……」

 

「どうしたんだよ姉ちゃん!」

 

 

シュタルクが、その視界に映り込んだ瞬間、ギョロリ、と、リーニエの眼球が、彼の方を向いた。

その瞳には、もはや理性の光はなく、ただ、獣のような飢餓感が宿っていた。

リーニエは、シュタルクの肩を掴むと、その首筋に、思いっきり噛みついた。

 

 

しかし、何度も、ガツガツと咬みつくものの、シュタルクの頑丈な皮膚は、一向に噛み千切れず、フガフガと、唾液が垂れ落ちるばかりだった。

そんな行為を、数分、繰り返しているうちに、リーニエの瞳に、少しずつ、理性の光が戻ってくる。

 

 

「硬ッ……不味い――ッ!?……はぁ……糞。ごめん」

 

 

リーニエは、自分が何をしていたのかを、正しく理解した。

 

極限状態の中で、完全に、魔族としての本能に飲まれていたのだ。

リーニエの中に根差した、誇り高い戦士としての理想像は、決して、このような誓いを破るような真似はしない。

この村では、殺しはしないと決めたにも関わらず、子供を喰い殺そうとした。

その事実に、リーニエは、猛烈な羞恥心に駆られた。

 

 

最強の戦士は、決して本能なんかに飲まれたりはしない。

何時だって、理性的で、立ちふさがる敵を、ただ、粉砕するのだ。

最強の戦士なら出来たはずだ。彼女は、強く、己を戒める。

 

 

誓いを破ることは、リーニエの中では、決して許されない行為だ。

善悪の問題ではない。

ただ、己の誇りを汚す、明確に罰せられるべき行為だと、彼女は認識していた。

 

 

罪悪感など、初めから存在しない。

本心では、相手に悪いとも思っていない。

ただ、戦士なりのケジメと、戒めのために、彼女は謝罪の言葉を口にする。

 

 

肩から口を離せば、そこには、粘ついた唾液と、何重にもついた、痛々しい歯型が、くっきりと残っていた。身体が、ふらつく。

魔力、肉体、そして精神。その全てを、限界寸前まで酷使したリーニエの意識は、もう、限界だった。

 

 

「愚弟……限界。疲れた。寝る……」

 

 

吹き飛んだ民家の木材を退け、瓦礫の中から枕とシーツを引っ張り出すと、リーニエは、その身にシーツを被る。

硬い地面の上で、身体を丸め、彼女は、まるで冬眠するイモムシのように、深い眠りについてしまった。

 

 

「汚ねぇよ姉ちゃん。え、ちょっと……!こんな所で寝たら風邪引いちまうよ……」

 

 

シュタルクがシーツごとリーニエを肩に担ぎ、まだ無事だった家へと彼女を運び込む。

扉を閉め。真っ暗な空間で、息を潜める。

まだ敵がいるかもしれない。と、再び警戒心を顕にする。

しかし、そんなシュタルクも既に限界だった。その瞼は鉛のように重く、垂れ下がっていく。

 

 

緊張の糸が、ぷつり、と切れてしまった。

気づけば、シュタルクもまた、リーニエの横で、深い眠りに落ちていく。

 

 

村に響いていたはずの剣戟の音は、いつの間にか静まりかえり、長い夜の戦いは、こうして静かに終わりを告げていた。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

後日、シュタルクが目を覚ますと、真横に兄であるシュトルツの姿があった。

目立った怪我もなく、健康そのものだ。流石は村最強の戦士だと、シュタルクは兄に尊敬の眼差しを向ける。

 

しかし、シュトルツはその視線を受け止めることなく、どこか気まずそうに目を逸らした。

そして、あの夜の後に起きたことを、静かに語り始めた。

村の戦士たちは皆、重傷を負い。里の長である父親は――片腕を失った。

 

 

リーニエから貰った魔剣と、一度きりの再生の保険。

その命がけの賭けによって、ようやく大魔族に深手を負わせることができたのだ。

勝利とは言えない。

大魔族が自ら退いたことで、かろうじて事なきを得た。それが正確なところだった。

 

その話しを聞いても、シュタルクは兄を、そして村の戦士たちを心から褒め称えた。

そして自分もまた、リーニエが見せたあの神懸かった技の数々を、興奮気味に語って聞かせた。

 

 

――そして、リーニエが自分に噛みついてきたことまで嬉々として報告した瞬間、シュトルツの表情から一切の感情が消えた。

魔族に首筋を噛まれておきながら、「歯型がついた」程度の認識しかない弟。

兄は、その将来を真剣に心配した。

 

 

 

 

リーニエが目覚めたのは、その二日後のことだった。

三日三晩眠り続け、その間に傷は完全に塞がり、すっかり全快していた。

 

 

しかし、目覚めたリーニエは、あれこれと世話を焼こうとするシュタルクの姿を見るや否や、再びベッドに寝込み、そこから一歩も動こうとしなかった。

あれをしろ、これをしろと、シュタルクをまるで召使いのようにコキ使い倒す。

 

 

シュタルクが文句を言えば、わざとらしく咳き込み、「傷が痛む」と棒読みで呻き出す。

根負けして言う通りに動き出せば、何事もなかったかのようにケロッとした様子で、リンゴを丸かじりし始める。

リーニエは、そんなクソしょうもないところで、魔族としての本領を存分に発揮していた。

 

 

 

そうして一週間。

食べては寝て、というだらけきった生活に満足したのか、ようやく彼女は外に出て武器を振り回し始めた。

 

 

だが、魔族であるリーニエとは違い、人間の戦士たちは未だ身動きもできないほどの重傷を負っていた。

 

 

不甲斐ない弟子たちが自分と同じようにサボっているとでも思ったのか。

リーニエは指導していた戦士たちの元を訪ね、その様子を見た。

 

 

被害状況は、想像以上に酷かった。

魔力がまともに流れていない。戦士としての未来は、既に閉ざされていると言っていい。

 

 

彼らは涙ながらに「先生」と呼び、リーニエに謝罪してくる。

 

 

リーニエは、どう反応すればいいのかわからなかった。

こういう時、どうすればいい?

 

――いや、違う。こういう時、あの人ならどうするか。

 

人間への対応がわからない時、善悪の区別に迷った時。

リーニエの行動指針は、常にその物差しで決まる。

 

 

この場で、戦士としての慈悲を与え、殺す?

いや、きっとあの人はそんなことをすれば怒るだろう。

 

ならば、どうする。

 

あの人は、仲間が敵を倒し、疲れきった時、何をしていたか。

そうだ、恐らく――彼らをただ労う。哀れみや、同情を感じさせず。

 

 

こいつらは疲れている気がする。

 

 

「……お疲れ様。ゆっくり休め」

 

 

空想の偶像。最強の戦士アイゼンを真似るように思い浮かべ、戦士たちを労い、頭も撫でてやる。

それだけのつもりだった。なのに、口が勝手に動いた。

 

 

「私は……私の磨き上げてきた全てが誇り。私は……私の一部をお前達に教えて…分け与えた…。つまり…私の弟子は、私の一部。だから、礼を言うよ。お前達は負けなかった。私の、誇りを守ってくれた。だから、ありがとう」

 

もっと何か言うべきな気がする。だが、それ以上は出てこなかった。

 

戦士たちは、更に号泣し、感謝の言葉を述べてきた。

リーニエは、想像とはかけ離れた、意味不明な展開に、思わずその場から逃げ出してしまった。

 

 

「最強の戦士への道のりは遠い……。最強の戦士アイゼンなら上手く出来たはず」

 

 

そう呟きながら、リーニエは、シュタルクとシュトルツの待つ家へととぼとぼと帰っていった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

それから、更に数日が経った。

戦士たちの傷は未だ癒えず、村は先の襲撃の爪痕を生々しく残していた。

いつまた大魔族が襲来するとも知れない。村の長は、苦渋の決断の末、村を一時的に離れることを決めた。

 

 

その決定が下された日、示し合わせたかのように遠くからリーニエを探る魔力探知の感覚が、断続的に、しかし執拗に彼女の元へと届き始めた。

それは、まるで家のインターホンを連続でタップするかのような不快な感覚だった。

 

 

「フルーフ……あの馬鹿。呼び方が雑過ぎる」

 

 

どうやら、予定の日時を過ぎても連絡を一切寄越さなかった、あの変態夫婦の用事も、ようやく終わったらしい。

 

 

戦士たちは近くの村に身を寄せ療養するという。

リーニエは途中まで彼らと旅路を共にしたが、数日後には別れの時がやってきた。

 

 

「なぁ……姉ちゃん一人で生活なんて出来るのかよ」

 

「自称母親を名乗る変態がいるから大丈夫。面倒事は全部押し付ける」

 

「別の意味で心配だぜ、姉ちゃん」

 

「あれは便利な人間。ソリテール様に喰われてる時の喘ぎが煩い以外は使える。何時でも喜んで殺されるし、肉も喰わせてくれる」

 

「そりゃ……とんでもない変態だな」

 

「そう。フルーフは変態女。私を愛しているから逆らわない」

 

「えぇ……」

 

 

シュタルクは、若干……名残惜しそうにリーニエを引き止める。

だが、彼女の口から箇条書きのように、しかしどこか楽しげに語られるフルーフという人間の、そのあまりのヤバさに、彼は思わずドン引きしてしまった。

 

それでも、その口ぶりはどこか家族を自慢しているようにも、そして、早くその「家」に帰りたがっているようにも聞こえた。

 

 

だから、もう、引き止めない。

シュタルクの、戦士としての直感が、また、いつか会えると、そう、囁いていた。

 

 

彼は、リーニエから貰った戦斧を担ぎ、彼女に背を向ける。

顔を合わせず、ただ、片手を上げ、精一杯カッコつけて、「じゃあな」と、別れを告げた。

 

 

「うわぁ……ダッサ」

 

「ダッサくねぇーーよッ!!」

 

 

シュタルクは顔を真っ赤にして勢いよく振り返る。

魔族と人間の子供との、その少し変わった、しかし確かな絆で結ばれた関係は最後まで締まらない展開で静かに幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

リーニエが、しんとした茂みを歩く中、その反対側から、見慣れた人影が見えてきた。

彼女は、無言でカバンをその場に置くと、一気にダッシュする。

 

 

「あ、お~い。リーニエ師匠おひさ――ぶごッ!?」

 

 

両手を広げ、満面の笑みで待ち構える女。

その懐へ、飛び込む……のではなく、リーニエは、その勢いのまま、彼女の顔面を蹴り砕き、再会の挨拶とした。

吹き飛び、大樹の染みとなるフルーフを一瞥すると、リーニエは、何事もなかったかのように、ソリテールに帰りの挨拶をした。

 

 

「へぇ……リヴァーレの襲撃から生き残ったんだ。リーニエもやるようになったんだね」

 

 

リーニエの眉が、ぴく、と動く。

どうやら、一連の騒ぎについて、最初から全て知っていたらしい。

 

 

しかしリーニエは特に何も思わない。

フルーフのせいで感覚が麻痺しがちだが、この大魔族は同じ魔族から見ても、とんでもなく腹黒で、性格が悪いのだ。

そんなことは初めから分かっている上で、一緒にいる。

 

 

「ソリテール様の言っていたことは理解出来ませんでした。恐怖は恐怖、それだけ……です」

 

「そうだね。だけど貴女は確実に成長している。言葉や感情で表さなくていいよ、リーニエなりの捉え方で成長し、人類に追いつかれないように進化を果たせるかどうか……それが大事」

 

「はい……ソリテール様」

 

 

結局、リーニエは二人のように、恐怖を克服し、成長できなかった。

しかし、恐怖と正面から向き合い、それをあるがままに受け入れ、立ち向かうことに確かな意義を見出すことはできた。

これはきっと、自身を更なる高み、最強の戦士へと押し進めてくれる大事な経験になるだろう。

 

 

恐怖を感じずにはいられない格上を完膚なきまでに叩きのめす、あの緊張感と爽快感も、素晴らしく癖になる。

だから、これからもリーニエは恐怖で震えながら強者を叩きのめし、成長し続けるのだろう。

 

 

血塗れのまま笑顔で駆け寄ってくるフルーフにカバンを持たせ、三人は、再び歩き出す。

魔族一行の長い旅は、こうして少しずつ終わりへと近づいていた。

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