ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第10話▶シンビオシス

 

 

――シンビオシス 海岸。

 

 

日が登ったばかりの早朝。どこまでも続く純白の浜辺を、黒い外套を纏った女と、木箱を抱えた数人の使用人たちが静かに歩いていた。

 

 

寄せては返す穏やかな波の音が、彼らの足音を優しく飲み込んでは消していく。視線の先には、砂浜に座り込む小さな人影があった。

先頭を歩く女――フルーフ以外の者たちは、その人物に気づくと、歩みを止めて恭しく頭を下げた。

 

 

「おや、リーニエ師匠。こんな浜辺でなにをしているんですか?」

 

「弟子に稽古をせがまれた……なのに、アイツら私を待たせるとかいい度胸」

 

 

砂浜の上で瞳を閉じ、座禅を組んでいた魔族――リーニエは、フルーフの声に反応すると、ゆっくりと瞼を開いた。

気怠げな視線を向けながら軽い調子で返事をする。しかし、フルーフの背後に控える使用人が持つ木箱に目をやった途端、整った顔を露骨に顰めた。

 

 

「フルーフ……前に言ったはず、汚い人間の肉を家に持ち込むな……」

 

「い、いえいえ、大丈夫ですよリーニエ師匠。実験部屋は別に移しましたからご迷惑をおかけすることはありません」

 

「はぁ……。興味は無いけど聞いてあげる……今回は死なせず改造できそう?」

 

「改造って人聞きが悪い……まぁ、いいです。それより聞いてくださいよ!リーニエ師匠!」

 

 

フルーフの目が爛々と輝く。まるで珍しい宝石を見つけた子供のように、木箱を指差しながら早口でまくし立てた。

 

 

「これ……めっちゃレアな死刑囚なんです!強姦、殺人、器物破損、反逆、貴族殺し、とまぁ……色々やらかした生粋の外道魂。中々お目にかかれない純度100%のサイコキラーの魂……これをなんとか工夫して成体の魔族に植え付けられれば、可能性はあります」

 

「へぇ……フルーフみたいに腐ってそう。そのまま混ぜれば?」

 

「私は至って健全な魂ですッ!」

 

 

思わず声を荒げてから、フルーフは咳払いをして居住まいを正した。

 

 

「ゴホン、失礼……何年か前に少し説明しましたが、魂っていうのはとても脆いものなんですよリーニエ師匠」

 

 

指を一本立てて、講義でもするように語り始める。

 

 

「生物というのは他種族の血を流し込まれただけで死に至る程繊細なんです。種族も違う他人の魂を混ぜるだなんて……即死ですよ即死」

 

「そう。色々やっても、結局魔族の子供にだけしか成功しないなら意味ないね」

 

「そうなんですよね、最終的にクヴァールみたいに発狂しちゃいますから。殺しもやってない魔族の幼体なら楽々出来てしまえるのですがね……」

 

 

リーニエは興味なさげに砂を弄りながら、ぽつりと呟いた。

 

 

「それにしても最近魔族の子供が増えすぎ。どこから攫ってきたか知らないけど子供相手に自分の寄生虫植え付けまくるとか……フルーフキモ過ぎ。キモいんだよ近づくなロリコン」

 

「は、はぁっ!?」

 

 

フルーフは飛び上がらんばかりに驚愕した。

 

 

「こ、子供達のあれはソリテール様に頼まれて仕方なくです……。ロリコンは私ではなく監獄所で働いている愚息……いえ、彼であってっ!私ではありません!!」

 

 

両手を振り回しながら、必死に弁明を続ける。

 

 

「私の寄生魔法の土台となった接合技術……まだ空想段階、それを何百年か前に一度だけ子供の魔族に試して成功したのを話したら……やってみてと言われて、それで……。数が増えちゃったのもソリテール様にお願いされたからで他意はありません」

 

 

謂れのない変態扱いに、普段は温厚なフルーフも黙ってはいられなかった。背後で苦笑いを浮かべる使用人たちを余所に、数分間にも及ぶ言い訳がましい弁明が、静かな砂浜に響き渡る。

 

 

それを受けるリーニエは、もはや我関せずとばかりに瞼を閉じ、静かに瞑想を再開していた。元凶であるにも関わらず、煽るだけ煽って無関心を決め込む。やはり、魔族に人の心は分からない。

 

 

かつてクヴァールに使用した魂の魔法――それは、成体の魔族にとっては猛毒以外の何物でもない。だが誕生したばかりの魔族の子供に限定すれば、その凶暴性を取り払い、無害な存在に変えるものだった。

 

仕組みは単純だ。自身の魂をベースとして作り出した魔法の「寄生生物」を、対象に植え付ける。それだけで、魔族が生まれ持つ殺戮本能は綺麗に切除され、代わりに人間性が根付く。まるで万能な血液のように、一切の拒絶反応もなく適合する。いわば「魔族矯正パッチ」とでも呼ぶべき代物だ。

 

ただし、被験体が成体の魔族になれば話は180度変わる。

 

移植する人間性の根本は、フルーフのまっさらな魂が元となっている。それは、「壊れる前」に持っていた、ごく普通の人間としての価値観だ。生まれながらの捕食者である魔族にとって、それは耐えがたいアレルギー反応を引き起こす異物でしかない。

 

魔族にとって殺人とは、呼吸と変わらない。無意識の日常行為だ。しかし、移植された人間性は、その無邪気な残虐行為に「罪」という猛毒を塗りたくる。

 

嘘を吐けば心が痛む。人を殺せば罪悪感に苛まれる。人肉を喰らえば吐き気を催す。

 

人間性を獲得した瞬間から、魔族が永い生で積み上げた「業」は、凄まじい勢いで精神を蝕む毒となり、魂を内側から腐らせていく。過去の記憶が牙を剥くのだ。殺してきた人間の顔、耳に残る断末魔、消えることのない幻聴、舌にこびりついた血の味。それは痛みですらない、未知の精神的負荷となって彼らを磨り潰す。

 

現状の課題は、この「毒」を無害化し、魔族を自壊させることなく人間性を植え付けること。殺人鬼の魂を興奮気味に紹介していたが、正直なところ、フルーフは始めからこの実験が成功するとは考えていなかった。

 

感情という毒は、あまりに多種多様だ。一つの毒を制しても、また別の毒が牙を剥く。魔法に対し凡才以下を自称するフルーフにとって、この複雑怪奇な毒の処方箋を見つけ出す研究は、既に半ば諦めの境地に達していた。

 

 

「煩い……――落ち着け馬鹿弟子、私が悪かったよ」

 

 

リーニエの声が、フルーフの思考を現実に引き戻した。どうやら、思考しながらも、べらべらと弁明を続けていたらしい。

 

 

「どうせ悪いとか思ってないの丸分かりですよ……。はぁ、街の人達と関わるようになってから悪い意味で口の上手さ随分上達しましたね……リーニエ師匠」

 

「興味無いから適当に頑張れ」

 

「全く……まぁ、どうせこれからの人生も長いですし、出来たらいいな程度に気楽にやっていきます」

 

 

フルーフは肩の力を抜くと、背後で控える使用人達へと振り返った。

 

 

「あ、皆さん……ソレは実験室まで運んでおいて下さい、私はもう少し此処に残ろうと思います」

 

 

使用人達はリーニエに再び一礼すると、足音も立てずに歩き出した。白い砂浜には、リーニエとフルーフの二人きりが残される。

 

潮風が髪を揺らす。波の音だけが、静かに時を刻んでいた。

 

 

「で……その成功した子供って今どうしてるの」

 

 

唐突な質問だった。

 

 

フルーフは、きょとんとした顔でリーニエを見つめ返した。初めて人間性の獲得に成功した、あの魔族の子供。ポロッと漏らした、もう何百年も前の、忘れたはずの過去。まさか、その一言から、こんな質問が飛んでくるとは。

 

 

フルーフは目を閉じた。脳裏にこびりついた記憶の断片を、必死に掘り起こす。霞む思い出の糸を手繰り寄せていく。

 

 

瞼の裏に、ぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。

 

 

あれは五百年前――いや、もっと前だったか。

人間性は他所で補えばいい、という狂った発想に辿り着き、色々と実験を繰り返す中で出会った、一人の魔族。特徴的な、モッサモサな紫色の髪。眼にまで掛かるその前髪の奥から、怯えた瞳がこちらを見上げていた。

 

 

ソリテールやリーニエと出会う前のフルーフは、控えめに言っても、人間性が今よりも大幅に欠如していた。

 

先の見えない研究への嫌気。出口のない迷路を彷徨う苛立ち。その鬱憤を、八つ当たりとばかりに出会う魔族へとぶつけた。執念深く追い回しては、雑な実験を繰り返す日々。それは、相手が子供であろうと同じことだった。

 

 

幼体であることなど、全く考慮しなかった。

 

 

抵抗されないようにと魔力で威圧し、馬乗りになっては無理やり魂を弄り回した。術式も手順も何もない。なんとなくの魔法と、これまでの経験則だけを頼りに、切除と縫合を繰り返す。危険な状態になる度に応急処置を施しては、プロトタイプの移植用の魂を無理やり馴染ませる。

 

 

非人道的な行為の繰り返しだった。

 

 

どうせまた失敗だろうと思っていた。

 

 

だが、結果はまさかの成功。

 

 

経過観察をする中で、成功の原因を探ろうにも、何をどうやったのか全く覚えておらず、頭を抱える羽目になった。それだけは、今でもよく覚えている。

 

 

魔族の子供は、生き方を知らなかった。人間としても、魔族としても、あまりに中途半端な存在となってしまった子供。フルーフは経過観察のついでに、少しの間だけ面倒を見ることを決めた。

 

 

魂を弄った影響か、あるいは元々の才能か。その子供は、フルーフと同じように魂を知覚し、魔法として使用することができた。

 

 

自分以外の魂を知覚できる存在。本来であれば、知的好奇心に強く惹かれるはずだ。しかし、その時のフルーフは、未だその姿を拝むことすら叶わないソリテール以外に、興味の欠片も湧かなかった。

 

 

ただ淡々と、自身の編み出した魔法を教え込み、育児に精を出した。

 

 

――フランメって確かこんな感じでフリーレンに教えてたよなぁ。

 

 

そんなことを考えながら、生物を殺すことへの忌避感を徐々に薄れさせた。一人でも生きていけるようにと、魂という概念を利用した独自の戦い方を学ばせた。

 

 

およそ十年少し。もしかしたら二十年近く。フルーフと魔族の子供は、一つ屋根の下で奇妙な共同生活を送った。

 

 

フルーフにとって、彼女は貴重な実験の成功個体だった。

 

 

そして、魔族の子供は、フルーフを実の母と呼んで慕うようになった。

 

 

子供が成長するにつれ、フルーフの荒みきっていた心は徐々に回復していった。気づけば、魔族の子供への確かな情が芽生えていた。

 

 

しかし、いつまで経っても、成功した原因の切っ掛けすら掴めない。時間だけが過ぎていく。何も得られるものがない環境。色々な感情がごちゃ混ぜになり、フルーフは、その歪な親子関係に耐えられなくなった。

 

 

逃げ出した。

 

 

最終的に、フルーフは置き手紙と数年分の金銭を家に残し、子供の前から黙って姿を消したのだ。

 

 

それ以降は、また、ひたすらに実験を繰り返す日々。当初は、あの成功体のことを気にかけていた。だが、いつしか、あまり思い出さないようにしていた。何もかもを考えたくなくて、全ての時間を研究に費やした。

 

霧がかかったようにボヤケていた記憶が、いきなり鮮明になる。

 

 

そう……リーニエにこうして聞かれる今の今まで。おかしな程、完全に忘れきっていた。

 

 

いや、その表現は正しくない。

 

 

無意識に、思い出さないようにしていた。魔法で思い出さないようにして貰っていたことを、思い出した。そう言う方が正しい。

 

 

始まりと終わりは大雑把に憶えていても、肝心の中身を、こうして話し出すまで、完全に記憶の底から抜け落ちていたのだ。

 

 

「え……い、いやぁ。どうしてるんでしょ……」

 

 

声が上擦った。

 

 

「確か魂関連の魔法が使えたので少し面倒みてましたけど……もっと優先すべきことがあったので……逃げ、あ、いえ……暫くしてお金と住処を上げて別れたきりです。生きてたら大魔族くらいにはなってそうですけど」

 

 

リーニエの瞳には、明確な蔑みが宿っていた。普段は感情が希薄なはずの彼女の眼に、虫けらを見るような色が浮かんでいる。

 

 

「フルーフ……お前なんでも金だね……成金臭いから近づかないで」

 

 

言葉が、刺さる。

 

 

「児童暴行の上に最期まで面倒みずに育児放棄して恥ずかしくないの」

 

 

リーニエは淡々と続けた。

 

 

「名前は?」

 

 

フルーフの背筋を、脂汗が伝い落ちた。

 

 

そうだ、全て……思い出した。

 

 

猛烈な吐き気が、腹の底から込み上げてくる。

 

 

子供の名前は、確か――

 

 

「え、な、名前……き、君とか貴女って呼んでましたかね?候補を出した覚えはあります……」

 

 

そう、確か――■■■。

 

 

「……名前もつけてないのか……この、カスがよぉ……」

 

 

リーニエは足元の砂を鷲掴みにすると、フルーフの方へと力任せにぶん投げた。

 

 

別に、本気で怒っている訳ではない。魔族に、同情などというナイーブな概念は存在しない。ただ、魔族は魔族なりに、目の前の相手を「カス」だと思った時に、相応しい行動を取っているだけなのだ。

 

 

「チョ、うわぁ゛――す、すみませんリーニエ師匠。止めて下さい……ここ数年でボキャブラリーに磨きが掛かり過ぎててメンタルが持ちません」

 

 

家族同然の魔族からの、容赦のない言葉の数々。フルーフの心に、それは余程効いたのか、彼女は土下座をするように、その場で蹲ってしまった。

 

 

砂に顔を埋めながら、止まらない動悸を必死に抑える。

 

 

心を殺すことには、もう慣れている。数秒後には、表面上すっかりと元通りの調子に戻っていた。

 

 

「わかったなら私の面倒は最期まで見なよ?口答えせずさっさと言うことを聞くの」

 

「えぇ……」

 

「文句ないよね」

 

「はい……リーニエ師匠。これからも働いて面倒見させて頂きます」

 

 

結局、やることはこれまで通りと同じ。少しだけ不満が芽生えそうになるも、師匠からの無言の圧に逆らえず、あえなく屈服した。

 

実に情けない。

 

 

気まずい空気が流れる中、ドタドタと複数の足音が近づいてきた。

 

 

リーニエは残像だけを残して姿を消すと、遅れてやってきた男達の脛に向け、的確にローキックを叩き込んだ。男たちは全員同時に苦悶の表情を浮かべ、その場に蹲る。

 

 

「ッ~~~わ、悪い……遅れたな」

 

 

その中でも、鮫のように一際凶暴な顔つきをした男が、代表してリーニエに謝罪した。そして、ついでとばかりに、砂浜に額を埋めるフルーフへと視線を向ける。変態を見るような、冷ややかな目だった。

 

 

「……何やってんだアンタ」

 

「見て分かりませんかヴィアベルさん。土下座です」

 

 

もぞぉッと、砂を掻き分けながら顔を向け、さも当然のように返すフルーフ。

 

長年に渡り魔王軍の残党と戦ってきた北部魔法隊隊長といえど、この奇妙な光景には言葉が出ない。ヴィアベルは何と言えばいいのか分からず、ただ空返事を返すしかなかった。

 

 

「あ、あぁ、そうか」

 

「あ、そうでした。戦争孤児や諸々を送ってくださってありがとうございます。後ほど人数分の代金を支払います」

 

「いらねぇ……代わりに作物が育ちにくくなった土地があるから出張を頼むぜ。アンタの魔法があれば年中喰うものに困らないからな。金よりよっぽど良い」

 

「はぁ……まぁ構いませんが。塩水でも作物が育つように奮発してあげますよ。なのでソチラで受け入れられない人材はどんどんこっち寄越して下さいね。生け捕りが難しいようであればリーニエ師匠が育てた戦士の方々を破格のお値段で追加派遣してあげますので」

 

「そりゃいい……。安心しろ、分かってる」

 

 

ヴィアベルは肩を竦めた。

 

 

「こっちのお偉い様にどんな脅しを掛けたか知らねぇが……俺の隊には生け捕り命令しか来てないからな。師匠のおかげで前衛は十分過ぎる程だ、命令通り殺さず捕らえて此処に送ってやるよ」

 

「いやぁ……やはり持つべきものは人間を体良く使える弱みですね」

 

「……相変わらず薄気味悪い奴だ。餓鬼は教育、大人は奴隷でもなく住民として受け入れ仕事に従事……たいした稼ぎにもならないのによくやるぜ」

 

 

――お前が言うな。

 

 

口には出さず、フルーフは内心で毒を吐いた。

 

長年、魔族と殺し合ってきただけあって、ヴィアベルの実力は控えめに言っても上澄みだ。加えて、いつの間にかリーニエに目をつけられ、今では前衛を務められる程、接近戦にも強くなっていた。

一級魔法使いクラスの実力者であり、責任感が強く、常識もあり、勤勉で真面目な男。引く手数多な人材だ。場所を選ばなければ、金や地位など望むがままだっただろう。

 

 

だというのに、彼はこの北の果てを守るという一点だけは、一切妥協するつもりがない。命の危険に見合わない僅かな稼ぎでも、淡々と、しかし確実に、魔族の脅威から人々を守り続けている。

 

 

だからこそフルーフは思う。お前が言うな、と。

 

 

「ご存知の通り私は損得よりもソリテール様の満足度最優先ですし、更に街を安定させて大きくするには人手が全然足りませんから」

 

「イカれてるぜ……本当にあんな化け物相手によくやる……」

 

 

互いに遠慮のないやり取り。

ヴィアベルとフルーフの関係は、もう十年来にも及ぶ。

 

北部魔法隊の隊長を務めるヴィアベルの部下を蘇生させることを対価として、大陸魔法協会が発刊する魔導書や魔法に関する情報を買い始めたのが、全ての切っ掛けだった。

 

 

見た目に反して、ヴィアベルは最新の魔法や戦術、情報戦についてとにかく勤勉だ。この過酷な北部を守り抜くだけの才覚を、学びにおいても遺憾なく発揮していた。

 

 

魔族との争いは日常茶飯事。時には、国同士の小競り合いによって、人間相手にも戦い続けていた。

命は軽く、流れる血は止まることを知らない。まだ若かったヴィアベルにとって、その日々は地獄そのものだった。

 

 

そんな年若い隊長の前に現れたのが、フルーフだった。

 

 

今と変わらない姿。シルクハットを被った、見るからに胡散臭い女。ヴィアベルが言葉を一つ掛ける前に、矢継ぎ早にペラペラとまくし立て、終いには「サービス」と称して息絶えていた部下をその場で蘇らせてみせた。

 

 

信頼も信用もしていない。そんな女との奇妙な関係は、そこから始まった。

 

 

空を飛ぶ魔法について頻繁に聞きに来たり。ダブってしまった魔導書をヴィアベルが活動拠点とする村へと、気まぐれに置いていったり。付かず離れずの交流が何年も続いた。

 

 

フルーフが旅に出てからは、暫くの間、平穏だった。

 

 

あの騒がしい変態がいなくなり、仲間の治療のために連絡を取れば、どこからともなく全裸で現れては、用事を済ませて去っていく。その意味不明な神出鬼没っぷりから目を背ければ、何の文句もなかった。

 

 

しかし、そんな束の間の平穏も、フルーフがこの地へと帰還してからは一変する。

 

 

久しぶりに村を訪れたかと思えば、満面のドヤ顔で村全体に強固な結界を張り、雪の積もる不毛の荒れ地を一夜にして緑生い茂る草原へと作り変えるという、とんでもない所業をやらかした。

そして、頼んでもいないのに恩着せがましく、「街を作るから、子供とか、大人とか、老人とか、殺す前に下さい」などと、常軌を逸した要求を叩き付けてくる始末。

 

 

あの時ばかりは、ヴィアベルも思わず、無言でフルーフの頭に拳骨を叩き込んでしまった。

 

 

だが実際、フルーフの常軌を逸した「やらかし」は、村人から大いに歓迎され、村の発展に大きく貢献した。

 

気候や土壌という自然の摂理すら無視する彼女の魔法は、種を植えれば僅か数日で収穫できるという異常な豊作をもたらした。

果物や穀物など、品種に関わらず、大地から命を吸い上げるように急成長する作物。最早ホラー以外の何物でもなかったが、人々の生活を確実に豊かにしていった。

 

 

――実際に、フルーフの命を肥料代わりに使われているのだが、その事実が村人に知れ渡らなかったのは、不幸中の幸いである。

 

 

一年も経てば、村人達もその異常現象にすっかり慣れ、フルーフの魔法を当たり前のように享受し、活用するようになった。村に魔族や野党がどれだけ群れを成して攻めてこようと、一歩たりとも中には入れず、北部の過酷な環境が嘘のように村は右肩上がりに発展していった。

 

 

魔物の討伐や人間同士の殺し合いに駆り出されるのは相変わらずだが、部隊の死傷者や損耗率は大幅に低下していた。

 

 

ヴィアベルはフルーフに深い恩義を感じてはいた。

だが、国の命に従う軍人として、その常識外れの要求を呑むことはできなかった。殲滅命令を命じられた敵を密かに捕らえ、引き渡すなど言語道断。彼は極めて常識人としての対応で、その申し出を丁重に、しかしきっぱりと断った。

 

 

しかし、ヴィアベルはまだこの時、理解していなかった。

 

 

フルーフという人間が、国家という巨大な権力すらも命知らずに脅す、倫理観ゆるゆるの規格外の変人だということを。

 

 

彼の断りから、わずか数日後。事件は起きた。

 

 

北部魔法隊の隊長に命を下す上役。その更に上の、また上の、本来こんな辺境の村に訪れるはずのない大物役人が、苦虫を噛み潰しまくったような顔で現れた。

 

 

そして、ヴィアベル達へと一つの命令を下す。

 

 

「人間と魔族の子供は、可能な限り生け捕りにしろ。後は……わかるだろう……?」

 

 

その一言だけを残し、役人はまるで何かに追われるように、そそくさと馬車に乗り込み、逃げるように帰っていった。

 

 

数日後、追い打ちをかけるように、年々重くなっていた村への税が数年間免除になるという、あり得ない知らせが届いた。

 

 

ヴィアベルの思考は、完全に限界を迎えた。

 

 

部下のシャルフがその肩を叩くと、ヴィアベルはただその場にしゃがみ込み、無心で木の枝を使って土に落書きを始めてしまった。理解不能な事態の連続に、彼の常識は音を立てて崩れ去ったのだ。

 

 

それからというもの、ヴィアベル達は半ば諦観の境地で、人間を出来る限り捕らえ、フルーフが開拓中だという奇妙な街へと送り届けた。

 

 

そこには、何隻もの船が停泊する巨大な港と、真新しいレンガが敷き詰められた美しい住宅地が広がっていた。未だ建築途中の場所はあれど、十分に一つの街として機能している。

 

 

死んだ眼をした大人達を指定の場所に引き渡し、最後に残った子供たちを、フルーフの旦那がいるという場所へと運び込む。そこは魔法を学ぶ場とも、戦士を育成する場とも取れる、立派な設備が整った場所だった。

 

多くの子供達が元気に走り回る中、その中心に人影が見えた。子供達から「先生」と慕われ、抱きつかれている。

 

 

ヴィアベル達は、あのフルーフが「旦那様」と慕う存在に興味津々だった。施設内に足を踏み入れる。

 

 

しかし、その行動を僅か数秒で後悔することとなった。

 

 

川底の深い緑を思わせる美しい翠色の髪。額から控えめに伸びる二本の角。静かにこちらを振り向いたその魔族に、ヴィアベル達が補足された瞬間――歴戦の魔法部隊の顔から、サッと血の気が引いた。

 

 

魔族相手に日常的に戦い続けてきた彼らが、まるで蛇に睨まれた蛙のように、何もできずに硬直する。唯一、隊長であるヴィアベルだけが、震える指をコートの中の杖に掛け、最大限の警戒心を剥き出しにするのが精一杯だった。

 

 

その視線は、まるで底なし沼に沈む獲物を値踏みする大蛇のように、ねっとりと絡みついてくる。

 

 

本来、魔族であればあり得ないほど、その魔力は微量で、不気味なほど静かだ。しかし、ヴィアベルとその部下たちは、戦士としての直感で悟っていた。

 

 

このまま戦闘になれば、間違いなく皆殺しにされる。

 

 

目の前にいるのは、自分たちの理解を遥かに超えた、絶対的な捕食者だった。

 

 

「なんだ……?コイツは……」

 

 

ヴィアベルは呟く。

 

 

「記録でも見たこともないな。最低でも大魔族……異質過ぎてヤベー魔族ってこと以外、なんにもわからねぇ」

 

 

必死に現状打破の方法を模索するも、何が面白いのか、悍ましい気配を放つその魔族は、ヴィアベルへとゆっくりと歩み寄り、言葉を掛けてきた。

 

 

「フルーフから頼まれたのかな?ご苦労さま」

 

 

鈴を転がすような声だった。

 

 

「安心して、私はフルーフの友達に酷いことはしないよ。今は、人類が魔法体系を、どんな風に学んで発展させるのかに興味があるの」

 

 

穏やかに微笑む。だが、その目は笑っていない。

 

 

「才能のない子供、才能がある子供、感情を得た魔族の子供がどういう思考を経て学び、進化させるのか……それを観察しているだけでとても愉しい。だから安心して」

 

 

一拍、間を置いて。

 

 

「それでも安心出来ないのなら……君達の死に際の言葉を、聞かせて貰うわ」

 

 

ヴィアベルは理解した。

 

 

この頭のイカレ具合と、親しげにフルーフの名を口にするこの女魔族。間違いない、フルーフの旦那だ。

 

 

――旦那って女かよッ!?

 

――魔族かよッ!?

 

 

部隊全員の内心で、フルーフに対するツッコミの嵐が巻き起こる。しかし、とにかく無理やりにでも、この現実を理解するしかなかった。

 

 

当然、理由もなくこんな化け物と争う気は微塵もない。ヴィアベルは連れてきた子供たちを前に出すが、相手が魔族だとわかると、子供たちは怯え出す。

 

 

しかし、そんな様子を見た女魔族は、ニコリと聖母のような笑顔を浮かべるだけで、子供たちの警戒心を解いてしまった。小さな手を取り、施設内へと優しく連れ去っていく。

 

 

思うところは山ほどある。だが、見たところ此処なら、北部の前線で殺し合いを強要されるよりも、遥かに上等な暮らしができるだろう。不要な殺しや、必要な殺し。そんな考えを抱いてしまう地獄で、ただの捨て駒にされるより遥かにマシだ。フルーフがいれば死ぬこともない。

 

 

ヴィアベル達はあまり深く考えず、これも仕事と割り切り、何も考えないようにその場を後にした。

 

 

それはそれとして――その後、呑気に顔を出してきた伝達不足のフルーフは、ヴィアベルが放った拘束魔法で縛り上げられ、魔法部隊の全員から日頃の鬱憤を晴らすかのように袋叩きにされた。

 

 

奇妙な交流は更に数年続き、現代へと至る。

 

 

リーニエに叩きのめされて弟子にされた夜。リンゴ園で汗を流した昼。シードルを酌み交わした夕暮れ。そんな日々が、いつしか当たり前になっていた。

 

 

ソリテールに遭遇することは全力で避けていたが、リーニエに対しては、むさ苦しい大の男共が「師匠」と呼び慕い、頻繁に会いに来ていた。

 

 

とにかく、ここ数年でフルーフやヴィアベルの周りでは、到底語り尽くせない程、色々なことがあったのだ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

見渡す限りの赤、赤、赤。

 

 

そこは、今やシンビオシスの四分の一を占める巨大なリンゴ園だった。

 

 

遅刻したヴィアベル達に対する罰として、リーニエは今日の鍛錬を中止し、自身が管理するリンゴ園の収穫を手伝わせることに決めた。

 

 

男たちはコートを脱ぎ捨て、慣れた様子で作業着へと着替えると、黙々とリンゴを収穫していく。その姿は、北部で魔族相手に苛烈な殺し合いに身を投じる魔法部隊とは程遠い、完全に手慣れた農夫そのものだった。

 

 

「まさか少し遅れただけで訓練からリンゴの収穫を手伝わされる羽目になるなんてな」

 

「そう言うなヴィアベル。師匠の手解きは必ず結果に繋がるから惜しむのもわかる……が、この仕事も悪くない」

 

 

不満を漏らしながらも、男たちの手際は良い。ハサミを器用に使い、次々と収穫カゴへとリンゴを入れていく。

 

特に、シャルフは選別するように、特定のリンゴだけを見極めては丁寧に刈り取っていた。一見しただけでは見分けのつかない、熟成度が一定に達したものだけを選び抜いている。その技は最早匠の域だ。

 

リーニエは彼らの働きぶりを見て思う。

 

 

――早く魔法部隊なんて辞めて、うちに就職してくれないかな。

 

 

「よっ……ふぅ。どうして男達が収穫で私は運搬の肉体労働なんですか……」

 

「黙って働けバカ弟子のフルーフ。だって、お前手先雑なんだよ……」

 

 

黙々と脚立の上でリンゴを収穫する魔法部隊の下では、フルーフがただひたすらに肉体労働へと従事していた。

 

収穫されたリンゴで満たされたカゴが次々と地面に置かれる。フルーフはそれを軽々と持ち上げ、魔力切れなど考慮しない無茶苦茶な魔法で宙へと浮かせた。いくつものカゴが、まるで意思を持ったかのように列をなし、倉庫で待機する作業員たちの元へと滑るように運ばれていく。

 

 

やがて、作業員たちがひときわ甘い香りを放つシードル用のリンゴを選別し終えれば、今度はそのカゴがフルーフの手によって加工場へと運ばれていく。

 

 

それを、かれこれ数時間。

 

 

ようやく一区切りついたのか、リーニエの指示の元、その日の作業は終了した。フルーフは腰が痛いとでも言いたげに自身の腰を何度も叩き、ヴィアベル達は空を仰ぎ、背を伸ばしながら、やりきったとばかりに爽やかな笑顔を浮かべていた。

 

 

「やっぱり平和に仕事出来るなら、それが一番だな。それじゃ……師匠ッ!次は勿論アレですね」

 

「勿論……ほら、行くよ弟子達。試飲会だ」

 

 

リンゴ園で汗を流した後は、リーニエが監修する特製シードルの試飲会。この場の恒例行事だ。

 

 

つまりは――太陽もまだ高く登る昼間から、盛大な宴の始まりである。

 

 

リーニエの一言と共に、シャルフを含めた男達が待ってましたとばかりに歓声を上げ、リーニエの後をついていく。

 

 

「あ~腰痛。ヴィアベルさん、ちょっと肩貸して下さい」

 

「知らねぇ。助けて欲しいなら化け物同士化け物にでも助けてもらえ」

 

「人の旦那様を化け物呼ばわりしないでいただけますか。それを言うならリーニエ師匠も十分化け物なんで、師匠じゃなくて化け物と呼んで上げて下さい」

 

「いや、師匠はお前らの中でも十分常識がある方だろ」

 

「勘違いしてますね……リーニエ師匠は脳味噌が最強の戦士で汚染された変テコ魔族なんですよ。常時自身にセルフ洗脳かけ続けるだなんてどうかし――ぅ゛ッ!?」

 

 

ヴィアベルと並んで歩きながら、フルーフはくだらない軽口を叩く。リーニエという魔族が如何に常軌を逸した化け物であるか、不毛な持論を熱っぽく力説しようとした、まさにその瞬間だった。

 

 

ヒュン、と空気を切り裂く鋭い音。

 

 

フルーフの言葉が途切れる。彼女の眉間には、どこからともなく飛来した投げナイフが深々と突き刺さっていた。

 

 

手首のスナップだけを利用した、ノールックでの正確無比な一撃。フルーフは白目を剥いて膝から崩れ落ち、あっさりと絶命した。

 

 

しかし――次の瞬間にはナイフが額に突き刺さったまま、彼女は何事もなかったかのように立ち上がり、ヴィアベルへと振り向く。

 

 

「――……見ましたかヴィアベルさん?あの人生きてる人間に何の躊躇も無くナイフ投げて殺しましたね。魔族オブ魔族……あれこそ化け物の所業です」

 

「…………化け物はアンタだろ」

 

 

見慣れた光景だ。ヴィアベルはフルーフの額からナイフを引っこ抜き、呆れた声で一言だけ返した。

 

 

やがて一行がたどり着いたのは、甘く芳醇なリンゴの香りが満ちる広大な醸造所だった。

 

 

ひんやりとした石造りの空間。試作品から完成品まで、様々なラベルが貼られた数百もの樽が整然と並べられている。その中には、ヴィアベル達のアドバイスを元に考案された特別なブレンドのものも、誇らしげに鎮座していた。

 

 

人数分のワイングラスが用意され、リーニエが自ら黄金色の液体をトクトクと音を立てながら注いでいく。

 

 

最初に振る舞われるのは、もう決まっている。高級感漂うボックスボイテル型のボトルに詰められた、特別なシードルだ。ボトルの表面には、リンゴから二本の角が生え、ファンシーなリボンが巻きつけられた可愛らしいラベルが貼られている。酒名を表す表記には「Linie」の文字が、優雅な書体で記されていた。

 

 

驚くべきことに、この魔族リーニエ。戦いしか能がないと思われた彼女の、行き過ぎたリンゴ好きは、ここ数年で思わぬ才能を開花させていた。

 

 

自身でオリジナルブレンドのシードルを開発し、今やその販売まで手掛ける、新進気鋭の醸造家へと変貌を遂げていたのだ。

 

 

街に訪れる商人が、偶然リーニエの作った酒を飲んだことから全ては始まった。

 

 

「貴女のシードルで、人間の歴史に名を残しませんか?」

 

「貴女こそ、稀代のリンゴマイスターだ」

 

「これ、絶対金になるわ……売りましょう」

 

 

意味の分からんお世辞を真に受けたリーニエは、ノリノリでその提案を承諾した。

 

魔族が虎視眈々と人間共の世界征服を目論む中、リーニエはただひたすらに人間共の「リンゴ市場」の完全支配を目論んでいた。

 

人間を、暴力で打ち負かすのではない。特製リンゴと自家製シードル、その圧倒的なまでの旨味で人間共の作るリンゴを完膚なきまでに打ち負かし、味覚の領域で頂点に立つ。魔力ではなく、味で勝負する。

 

彼女は魔族としての有り余る闘争本能を、致命的に間違った方向へと全力で注ぎ込んでいた。

 

 

面倒な交渉や販売は、全て昔から馴染みの商人に丸投げした。その結果は驚くべきもので、今や彼女のブランド「Linie」は、貴族御用達の高級シードルとして、その名を大陸中に轟かせていた。

 

 

人間共が己の作ったシードルを絶賛している――その報告を商人から受けるたび、リーニエは「むふぅ~」と鼻を鳴らし、無表情の奥に隠しきれない満足感を滲ませる。それが最近の恒例行事となっていた。

 

 

そして今、全員のグラスに琥珀色に輝く自慢のシードルが注がれる。

 

 

リーニエはまるで凱旋将軍のように、お決まりの乾杯の音頭を取った。

 

 

「お前たち……私の作ったお酒は?」

 

「「「「最高ぉ~~~ッッ!!」」」」

 

 

待ってましたとばかりに、男たちは高らかに叫びグラスを打ち鳴らした。

 

リーニエは相変わらずの無表情だ。だが、長年共に過ごしてきたフルーフにははっきりと分かる。それは魔族が自ら鍛え上げた魔力を見て悦に浸るが如き感情。

 

つまり、今のリーニエは――めっちゃくちゃ、上機嫌だった。

 

 

男達は運び込まれてくる塩気の効いたブルーチーズや、飛龍のジャーキーを肴に、次々と酒を煽っていく。

 

 

最初の一口で、蜜のような甘さが舌に広がる。喉を過ぎる頃には、かすかな酸味が後を引いた。リンゴの花を思わせる香りが鼻腔をくすぐり、思わず目を閉じてしまう。

 

 

ヴィアベルも部下たちの息抜きには丁度いいと、試飲会の際には何も言わずに、ただ静かに酒を楽しむ。フルーフはその体に染み付いた奉仕根性が疼くのか、空になったグラスを見つけては、甲斐甲斐しく酒を注いで回っていた。

 

 

試作品を口にしながら、甘口、中辛、辛口。圧搾方法や発酵方法。どれが口当たりがいいか、香りはどうか、味のコクは、まろやかさは。専門家のような意見を交わしながら、リーニエと男達は、この試飲会を心の底から全力で楽しんでいた。

 

 

――北部魔法隊とは、魔族とは、一体……?

 

 

気分良さげに人間と飲みにケーションを行うリーニエの姿を見つめながら、フルーフはふと思い出したように、懐からリボンで包装された小さな箱を取り出す。

 

 

「あ、そうだヴィアベルさん婚約おめでとうございます」

 

「ゴホッ――だ、誰から聞いた」

 

「誰って……魔法部隊の皆さんですが」

 

 

その反応から、ヴィアベルがこの話題をあまり知られたくなかったことは明らかだった。フルーフは申し訳ない気持ちになりながらも、今も絶賛ゲラゲラと笑いながら宴を楽しむ彼の部下たちをそっと指差して答える。

 

 

彼らから聞いた話では、なんでもヴィアベルには幼少期に交わした約束を今でも守り続けるほど、一途に想っている相手がいるらしい。村の異様な発展具合をどこかで耳にしたのか、偶々里帰り中にバッタリと再会し、めでたく良い仲になったのだとか。しかも、そのお相手は相当な腕を持つ一級魔法使いだという。

 

 

聞いてもいないのに、次から次へと耳に入ってくる惚気話のような情報に、フルーフはてっきりヴィアベルが自慢して回っているのかと考えていた。しかし今、額に青筋を浮かべ部下たちを殺さんばかりの形相で睨みつけている様子から、その予想は全くの見当違いだったようだ。

 

 

「あいつら……人のいない所で随分べらべらと喋ったみたいだな」

 

「ま、まぁまぁ……きっと悪意はありませんよ」

 

「戻ったら死に目に遭わせてやる。それで……祝の品を無下にするつもりはねぇが……これはなんだ?」

 

「何って、婚約祝いに決まってるじゃないですか」

 

「驚いたな。アンタにそんな世間一般の常識があったのか」

 

「この鮫顔男失礼すぎませんか。友人の婚約を祝う感性ぐらい持っています」

 

 

フルーフは胸を張った。

 

 

「良いものですよこれ……宮廷魔法使いであるデンケンさんのツテを頼って特別に作って貰ったヘアブラシの魔導具です」

 

 

ヴィアベルは唖然とした様子で、フルーフと彼女から差し出された婚約祝いの品に視線を彷徨わせる。

 

人間寄りの、どこか常識の欠けた魔族モドキ。それが、彼のフルーフに抱いていた認識だった。まさか、こんなにも人間らしい、常識的な対応ができるとは考えてすらしていなかったのだ。

 

そのあからさまな驚きに、フルーフは全てを察した。頬がぴくぴくと苛立ちに引きつる。

事前に婚約者の好みまで入念にリサーチし、心を込めて祝の品を用意したというのに、この態度はあんまりではないか。

 

 

フルーフは半ば腹立たしげに、ヴィアベルへと箱を押し付け、その品がどれだけ素晴らしいものなのかを熱っぽく力説し始めた。

 

 

民間魔法が複数刻まれており、静電気の除去から髪のツヤ出し、果ては傷んだ髪の復元までこなす、最高級のオールインワン・ケアブラシなのだと。「これで髪を梳いてあげれば、どんな気難しい女性もイチコロなのになぁ」などと、安っぽい煽りを交えながら、ぐいぐいとその箱を押し付けた。

 

 

観念したのか、ヴィアベルは「悪かった」と短く謝罪し、フルーフからの婚約祝いを素直に受け取った。

 

 

「……あの爺さんの弱味も握ってるのかよ。そういや何度か見かけたな、結構な頻度で来てるみたいだが何しにきて……おい、答えるんじゃねぇぞ。これ以上面倒事はごめんだ」

 

 

ヴィアベルは箱を眺めながら呟いた。

 

 

「こりゃ……ブラシか。どうやらアイツら想像以上に口が軽いらしいな」

 

「弱みって……向こう側の奥さんと仲がいいだけですよ。あぁ……まぁ、そこは許してあげて下さい。私もちょっと圧かけて聞いた所はあるんで」

 

「ところで特注の魔導具なんて一体いくら……」

 

 

ヴィアベルは言いかけて、首を振った。

 

 

「いや、いい。聞きたくない。もう何も聞かねぇ」

 

 

ヴィアベルとフルーフは、そんな他愛のない世間話を交わしながら、友人同士酒を酌み交わした。

 

 

徐々に酒が入ってくれば、フルーフはソリテールとの惚気話を話し始め、ヴィアベルはそれに釣られるように婚約者の自慢話を話し始める。

 

 

試飲会という名の飲み会は、夕方まで続いた。いつしか他の作業員まで巻き込みながら、宴は翌朝まで続けられた。

 

 

 

 

 

翌朝、担当の作業員が倉庫に出勤してくれば、そこには大量の二日酔い患者達が水を求めて呻いていたという。

 

 

勿論、その中にはフルーフとヴィアベルの姿もあった。二人して頭を抑え蹲っている。

 

 

そして、その宴の主催者であるリーニエだけが、一人リンゴを齧りながらケロっとした顔をしていた。

 

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