ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第13話▶遠い天秤の記憶▶中

 

 

お母様が失踪してから、380年という歳月が流れた。

その長い時間の中で、私は多くのことを経験した。凍てつく北の果てから、灼熱の砂漠が広がる南の大陸まで、世界を隅々まで歩き続けた。

 

 

お母様の手掛かりを掴むため、私は人間が住まう喧騒の街から魔族が潜む深淵の森まで、あらゆる場所で情報を集めた。

 

だが、そのすべてが空振りに終わった。

誰もお母様の存在を知らず、その名は風の噂にすら上らなかった。

長い年月は、彼女という存在がこの世界に残した痕跡を、綺麗に消し去ってしまっていた。

だけど、思えば原因はとても単純で、簡単なことだった。

 

 

そもそも、あの人は一つの場所に定住するような性分ではない。

魔族に至っては、出会う魔族のほぼ全てを、研究のための実験材料として利用し、最後には無慈悲に皆殺しにしていたのだから。

 

 

そのおぞましい痕跡として、私は何度か、原型を留めた魔族の死体を発見したことがある。

 

 

本来、魔力で構築された魔族の肉体は、死を迎えれば粒子となって世界へと還る。

しかし、私が発見した死体は、その理から外れていた。

 

 

魂を視る私の眼には、それが見えた。

黒く細い糸のようなものが、幾重にも魂に絡みつき、締め上げている。

まるで獲物を繭で包む蜘蛛のように、あるいは宿主を喰らう寄生虫のように。

行き場を失った哀れな魂は、もがくことすら許されず、腐りゆく肉体という檻に縫い止められていた。

 

 

それを初めて介錯した時――魂は歓喜とも悲鳴ともつかない叫びを上げて霧散した。

あの感触は、今でもこの手に生々しく残っている。

 

 

あの悪趣味さは、間違いなくお母様のものだ。

娘として、確信せずにはいられなかった。

 

恐らく、かつて私にしたのと同じ、魂の移植実験の失敗作なのだろう。

殺し殺されが日常のこの時代で、命の価値についてどうこう言うつもりはない。

 

だけど、お母様の倫理観は一体どうなっているのかしら。

娘である私ですら、本気で引いてしまうほどに狂っていた。

 

 

そんなお母様の悍ましい犠牲者の数も、歳月と共に減っていった。

あの狂気的な実験に、何らかの進展があったのだろう。あるいは完全に停滞したか。

 

皮肉なことに、それは手掛かりの消滅を意味している。

お母様の新しい痕跡を、私は未だに見つけられずにいた。

 

 

その他にも、知りたくないことも沢山知った。

死の淵を彷徨うこともあったし、この世界が私が思っていたよりもずっと冷たく、無情な場所であることも知った。

お母様が「優しさを大事にして欲しい」と言った理由も、今ならよくわかる。

 

 

魔力の研鑽と制御を怠ったことはない。

その力で人間達を何度も救ったこともある。

 

けれど、それで返ってきたのは感謝の言葉なんかじゃなくて、憎しみに満ちた石ころだった。

この魔族と人間が、まるで子供の喧嘩のように、馬鹿みたいに長年戦争を続けている時代だ。

変身魔法も使わず、ありのままの姿で生きる私を受け入れて貰える筈がなかった。

 

 

人間からも、魔族からも、受け入れられない。

どっちつかずの私には、この広い世界のどこにも居場所は無かった。

 

あの時、お母様の言葉が無かったら、私はきっと、あの恩知らず共の魂がぶっ飛ぶまでブチのめしていたことだろう。

拳で顔面に一発ずつで、済ませてあげた私を誰も責めはしないはずだ。

 

 

まぁ、今更そんなことどうでもいい。

他者の感情に振り回されて、自分を見失うなんてことはしない。

 

 

お母様は私に言った。

「見えないものが見えるからこそ、迷った時はリスクを承知で自分の魂に従え」と。

「自己理念や意志は魂そのもの。だから絶対に他者に委ねるな。それは魂を捧げるのと同義、自分に自分で泥を塗る愚かな行為だ」と。

「後悔や不安という負の感情は魂を腐らせる猛毒だ。だから、クヨクヨするな」と。

「失敗は経験となり、反省は魂に新しい指針を与えてくれる。だから臆せず進め」と。

 

 

お酒と薬に魂を捧げ、自堕落の限りを尽くしていた分際で何を偉そうな、と……そんなことを内心思ったことをよく覚えている。

だけど、いつもダメダメなお母様でも、想い人であるその人を探すことは絶対に諦めていなかった。

会ったことも無い人を探して、数百年もの間、諦めずに探し続けたお母様の言葉だ。

説得力は無くても、不思議と信じられた。

 

 

だから――私の主人は何時だって私。

 

私を服従させられるのも、支配出来るのも、何時だって私自身。

過去の自身に対する後悔なんてしない。

心の天秤は、何時だって私に傾いている。決して第三者に傾くことは無い。必要なのは、反省と改善だけ。

 

 

それは、常に変えることのできない、私の中にある普遍の真理。

それを教えてくれたお母様に報いるために、これからも、お母様の娘として恥じない生き方をするだけよ。

 

 

だから覚悟しなさい。

私を一度でも駒扱いして、利用した奴は決して許さない。

 

 

『全知のシュラハト』

 

 

魔王の腹心であり、お母様が心底嫌っていた奴。

流石と言うべきかしら。四百年という時を生きた私でも、絶対に勝てないと断言出来るほどの底知れなさがあった。

同時に、初めて対面した瞬間から、お母様の言っていたあの嫌悪感が、手に取るように理解出来た。

 

 

あれは、生理的に無理ね。

開口一番、『不死の軍勢』なんて言葉を吐くだなんて、喧嘩を売っているのかしら?

とっさに誤魔化したけど、これで確信出来たわ。

私が一度考えついて即座に破棄した、あの悍ましい魔法の存在を、なぜ知っているのかなんて、態々聞くまでもない。

 

 

ずっと前にお母様が言っていた話は、本当だっただけ。

アイツは、私じゃない私を見ている。

 

 

向こうも私に対して多少の疑念を持っているようだけど、どうやら私はアイツが望む結末に必要なようね。

不穏分子なんてさっさと排除するか、関わらないのが正解でしょ。

 

なのに、私を容認するだなんて。

お母様が嘲笑っていたように、確かにあれは必死過ぎるわ。

 

 

勿論、魔王軍への加入なんてお断り。

それも七崩賢だなんて……悪名以外に何の得もないじゃない。

お母様の元までその名が届く可能性もあるけど、あの鈍感な人のことだもの、きっと同名の魔族がいる程度にしか思われないわね。

 

 

なのに……『七崩賢 断頭台のアウラ』。

 

 

はぁ〜……本当に断りたかったわよ。

だけど、あの場で断れば確実に殺されていた。

 

 

今は晴れて人類の天敵、魔王軍の七崩賢として名を連ねているわ。

人類には日常的に命を狙われて、何一つ良いことがない。

 

 

最低最悪の気分。

あの上位者ぶった根暗魔族の掌の上で、自分から進んで踊るだなんて。

毎度その事実を実感する度に、吐きそうになるわ。

千年後の魔族の未来?馬鹿ね、知ったことじゃないわ。

私は、私を利用する奴を絶対に許さない。

 

 

シュラハト……だから今は、貴方の望むがまま、気持ちよく踊らされてあげる。

だけど、その対価は利息をつけてたっぷり支払って貰うわ。

 

 

貴方が望んだ最良の結末を……――最高のタイミングで、滅茶苦茶にしてあげる。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

魔族が光の粒子と化し、人間の屍が山のように積み上がる、血と硝煙の匂いが立ち込める戦場。

数多の魔法が夜空を閃光のように駆け巡り、戦士たちの咆哮が大地を震わせる。

 

 

その前線の一画、炎が燃え盛る森林の中で、一人の魔族が荒い息を切らしながら、地に伏す人間に無造作に剣を突き立てていた。

他に立っている者はなく、周囲に転がる亡骸が、この魔族の男がこの戦場での勝利者であることを静かに物語っていた。

 

 

そんな血生臭い戦場に、場違いなほど美しい金属音が響き渡る。

カチャ……と、自然法則を無視しているかのように、どちらにも一切傾かない天秤が揺れる。

それを携えた、紫色の髪を揺らす女魔族が、音もなくそこに佇んでいた。

 

 

「ふぅん……命令通り綺麗に殺したわね」

 

 

彼女は掌をヒラヒラとさせながら男の側を通り過ぎると、人間の死体を興味深そうに観察し始める。

そして、男から見て何も存在しない虚空を見つめ、不気味な笑みを浮かべた。

 

 

「――……そう、なら望みを叶えて上げる」

 

 

ボソボソと何かを呟くその姿は、まるでそこにいない誰かと対話しているかのようで、男の背筋に冷たいものが走る。

魔族の男は剣を鞘に収めると、苛立ちを隠そうともせず、女魔族へと問いかけた。

 

 

「一体これに何の意味がある……七崩賢 断頭台のアウラ」

 

 

女魔族の名はアウラ。

魔王軍の中でも幹部クラスに該当する七崩賢、その末席に座す女の名前だ。

異彩な魔法を操り、魔王の腹心である全知のシュラハトから直接勧誘を受けたという、一匹狼のハグレ魔族。

 

 

アウラは男の視線を感じ取っていた。

全身を舐め回すような、品のない魔力探知。

 

 

――私を値踏みしているのね。

 

 

男の魂から漏れ出る感情は、侮蔑と野心。

『この程度の魔力量なら、自分でも殺せる』――そんな浅はかな思考が、手に取るように伝わってくる。

 

魔族間に社会性なんて上品なものはない。

あるのは弱肉強食の魔力至上主義。それだけが、絶対的な上下関係を決定づける唯一の要素であり、一般魔族の有する社会性だ。

 

残すは、恐怖による支配のみ。

魔王軍の現状は、まさしく魔王という絶対的な力の統率者によって成り立つ無法者の集団である。

 

 

男の手が、剣の柄へと伸びる。

 

 

「……『様』を、つけなさい。400年を生きた大魔族である私と、将軍ですらないアンタとじゃ格が違うんだから」

 

 

男が剣を抜くよりも早く、アウラが男の方へと振り返り、小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。

まさしく傲岸不遜。その驕り高ぶった態度に、男の殺意は明確な形を持って膨れ上がった。

 

 

「貴様は私を愚弄してい――」

 

 

男の額が、地面に強く打ち付けられる。

何が起きたのか、理解するまでに数秒を要した。それほどまでに、男にとってそれは意味のわからない現象だった。

 

 

アウラが、ただ指先を突きつけ、軽く振り下ろした。

それを最後に、視界が地面に変わり、まるで熟した果物が木から落ちるように、抗えない力と共に地に伏していたのだ。

 

 

「馬鹿になんてしていないわ。ただ……純然たる事実を言ったまでよ」

 

「貴様……何をした?」

 

「お前如きに七崩賢である私の魔法を理解出来る訳ないじゃない。だけど聞いてあげる、私の魔法がどんなものか分かる?」

 

「噂では……死霊術だと聞いている」

 

 

七崩賢である断頭台のアウラに関する噂は、魔王軍内でも様々に出回っている。

中でも、アウラの手によって作り上げられたという『不死の軍勢』は異彩を放っており、末端の魔族の間では、数量制限のない死霊術だと噂されていた。

その圧倒的な物量を生み出す魔法こそが、アウラが七崩賢に選ばれた理由なのだと。

 

 

アウラは男の答えを聞き、嘲笑を噛み殺すように肩を震わせる。

その気配は、男の苛立ちをさらに掻き立てた。

 

 

「はぁ?死霊術……ろくに出世も出来ない奴は頭まで貧相なのかしら?」

 

 

アウラは男の後頭部を踏み付け、これ見よがしに黄金の天秤をチラつかせる。

 

 

「教えて上げる……私の魔法は相手を服従させる魔法。お互いの魂を天秤に乗せ、魔力総量が多い方が支配権を握る魔法」

 

「ぐ……つまり、私は今……」

 

「ご明察通り。お前の命も、身体の主導権も、私の掌の上ってこと。少しは格の違いが理解出来たかしら?」

 

 

――まぁ、アンタに天秤を使ったとは一言も言ってないけれどね。

 

 

「そして見せて上げる……この七崩賢、断頭台のアウラに逆らうことの愚かしさを」

 

 

アウラは男から足をどけると、顔を上げさせる。

目の前には、魔王軍との戦いに赴き、無念の死を迎えた騎士たちの亡骸が、無数の山となって広がっていた。その物言わぬ屍の山へと、アウラは黄金の天秤を掲げ、静かに唇を開いた。

 

 

服従させる魔法(アゼリューゼ)

 

 

アウラが黄金の天秤を高く掲げた瞬間、空気が凍りついたように静まり返った。

 

 

人間の死体から、青白い炎のような魂が立ち上る。

一つ、二つ、十、百――数えきれない魂が、糸に引かれるように天秤の片方の皿へと吸い込まれていく。

皿の上で魂は渦を巻き、青白い光の塊となって脈動した。

 

 

対して、アウラの胸元から立ち上るのは、異質な魂だった。

青と黒が螺旋を描きながら絡み合い、まるで二つの蛇が互いを呑み込もうとしているかのように蠢いている。それがゆっくりと、もう片方の皿へと降りていった。

 

 

カタカタと天秤が揺れる。

一切の抵抗もなく、アウラの魂の方へと大きく傾いていく。

その瞬間、無数の魂から意志が消え失せ、ただ一人の主人だけを見上げる従順な光へと変わった。

 

 

「さぁ……立ちなさい『不死の軍勢』」

 

 

天秤が傾ききった瞬間、死者たちの身体が痙攣した。

 

 

最初に動いたのは指だった。硬直していた指が、一本ずつ、ぎこちなく曲がっていく。

次に腕が持ち上がり、胴体がねじれ、首がぐらりと起き上がる。関節が本来曲がるべきでない方向に軋み、骨が擦れる音が夜気に響いた。

 

 

息絶えたはずの騎士たちが、一斉に立ち上がる。

 

 

その動きには生者の滑らかさがなかった。まるで見えない糸で吊られているかのように、ぎくしゃくと、しかし確実に。

血の気を失った顔に浮かぶのは、虚ろな眼と、微かに開いた唇。そこから漏れるのは息ではなく、かすかな風の音だけだった。

 

 

彼らはアウラの前に跪いた。甲冑が触れ合う金属音が、まるで喝采のように響き渡る。

 

 

「首を切り落としなさい……――安心しなさい、約束通り……最後の望みを奪うつもりは無いわ」

 

 

意識の所有権を持つ魔族から、逆らうことの許されない命令が下される。

騎士の死体は、自身の手にした剣を自らの首にあてがい、全ての首が、まるで熟れた果実のように、音もなく切り落とされた。

 

 

最後にアウラが騎士たちに向けた小さな呟きは、恐怖に震える魔族の男の耳には、届いていなかった。

自己愛と利己的な感情に塗れた魔族は、ただただ恐怖した。

 

 

自身の全てを奪われた挙げ句、死してなお、あのような冒涜的な扱いを強要する女魔族に対して、戦慄せざるを得なかった。

そして、魂という理解不能なものに干渉し、目の前の悍ましい光景を作り上げた魔法に、心の底から恐れおののいた。

 

 

魔王軍に全霊の憎しみを向け、人類の勝利のために命を捧げた崇高な騎士たち。

それが今では、一人の女魔族へと、その剣と忠誠の全てを捧げている。

 

 

魔族の男はただ地に伏せ、ああはなりたくない、と考えることしか出来なかった。

ガシャガシャと、無数の鎧を引き連れた足音が、男へと近づいてくる。

 

 

「それで……貴方も私の『不死の軍勢』の仲間入りがしたいのかしら?」

 

「ッ――も、申し訳ありませんアウラ様……先程の無礼、どうか寛大な慈悲でお許し下さい」

 

「そう……残念ね。なら、不愉快だからさっさと消えなさい」

 

 

男はただ、死よりも恐ろしい末路に身を震わせ、許しを乞うしかなかった。

アウラはつまらなさそうに鼻を鳴らすと、男の支配を解き、解放する。男は尻もちをつきながら、脱兎の如くその場から逃げていった。

 

 

「精々噂を広めなさい……私の取り柄がこの天秤だけだってね」

 

 

男が逃げ去ってしばらく経った後、夜空から無数の羽音が降ってきた。

 

 

カァ、カァ、と鳴き交わしながら、カラスの群れがアウラを取り囲む。彼らはアウラが長い旅の中で服従させた眷属であり、魔王軍の動向を探る眼と耳だった。

 

 

アウラは、群れのリーダーであろう一際大きな体格のカラスへと視線を合わせると、ふぅ、と息を吐き、全身の力を抜いた。

 

 

「やっと監視も行ったわね。はぁ……あの根暗魔族の魂に沿った演技をするのも楽じゃないわ。あなた達は引き続き、バレない程度に周りの動向を探って報告しなさい」

 

 

アウラはパンパンと手を打ち鳴らす。

それを合図に、カラスたちは一斉に飛び立ち、闇夜へと散り散りになっていった。

 

 

「向こうも警戒自体はしてるけど半信半疑ね。何時でも殺せるように将軍級の奴に見張らせてるようだけど……想定内よ。己が魔法に対する絶対的自信……千年以上生きた魔族の固定観念は相当強固なようね。自分の眼じゃなくて未来視を信用するだなんて……ふふ、貴方も所詮、魔族ねシュラハト」

 

 

アウラの背後で控える首なし騎士たちの鎧が、カタカタと微かに震える。

 

 

「……――えぇ、わかっているわ。魔族は人間の持つ感情を舐め過ぎよ。死してなお憎悪と敵意で肉体にしがみつくその執念……じっくり晴らす場を設けてあげる」

 

 

どんなに他人の未来を、選択による分岐を見通したって意味は無いわよ、シュラハト。

私を貴方の考える最良のシナリオに組み込んだ段階で、既に計画は頓挫したも同然なんだから。

 

 

「その前に……貴方達、臭うわ。『体臭をバラの香りに変える魔法』と『死体が腐らなくなる魔法』をかけてあげるから並びなさい。あ、後は『鎧の血を落とす魔法』もかけて……首の断面も焼いて……虫除けもして……」

 

 

首なし騎士たちは、主人の命令に従い、アウラの元へ一列に並ぶ。

後日、綺麗サッパリと小綺麗になった『不死の軍勢』は、アンデッドとは思えないほど、優雅なフローラルの香りを纏っていたとか。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

まるで終わりの見えない悪夢のように、魔族と人類の戦争は熾烈を極めていた。

血と鉄の匂いが立ち込める大地では、勢力図が日ごとに塗り替わり、一進一退の攻防が絶え間なく続く。

 

 

しかし、その均衡は「七崩賢」という魔族の精鋭が戦場に姿を現さない場合に限られた。

数で勝る人類も、人知を超えた彼らの魔法の前ではあまりにも無力だった。

魔王軍から七崩賢が一人でも送り込まれれば、その地の戦況は瞬く間に絶望の色に塗りつぶされていった。

 

 

少しずつ、また少しずつ、人類の版図は侵食されていく。

そしてついに、中央諸国リーゲル峡谷の城塞都市ヴァール、その難攻不落の城壁の目と鼻の先まで、魔族の先遣隊が到達した。

人類の叡智を結集させた雲をつく高度まで展開された結界も、もはや風前の灯火であった。

 

 

だが、その絶望の淵に一筋の光が射す。

突如として現れた南の勇者の登場により、盤面は劇的にひっくり返る。

 

攻勢を維持していた魔族の前線部隊は、疾風の如き彼の双剣の前に、たった一年で壊滅した。

彼は単身で魔王軍の生命線である補給経路を断ち、ついにはその心臓部まで到達。

 

数多の大魔族、武に秀でた将軍が光の粒子と化して消え、到底人間一人の戦果とは思えない討伐数を刻みながら、彼は魔王軍に属する魔族を殺し尽くしていく。

あらゆる魔法、あらゆる攻撃が意味をなさず、南の勇者の双剣の錆となり、音もなく朽ちていった。

 

 

その一方、七崩賢の一人であるアウラは、ただ静かに爪を研いでいた。

魔王軍の指揮の下、正確に言えば魔王の腹心である全知のシュラハトの指示の下、『不死の軍勢』を動かし続ける。

時にはわざと反発し、己の魔法に酔いしれる傲慢な魔族を演じながら、従順に、そして忠実に、その命令に従った。

 

 

フルーフなど比較にならない魔法の才能を有し、永い年月をかけて研鑽を積んだアウラには、魂に揺らめく感情の機微、その声を聞き取ることができた。

シュラハトがアウラにどんな姿を望んでいるのか、どんな態度が正解か、どんな性格が理想なのか、どんな反応が彼の意に沿うのか。

 

 

全てを見通すことは出来ずとも、長い時間を経て少しずつ情報の蓄積と観測の精度を上げていった。

そして、演じる本人としては大いに不満があったが、冷酷な女魔族の姿を完璧に演じきった。

シュラハトが見通す未来をなぞるように、断頭台のアウラの姿がそこにはあった。

 

 

ただひたすら、魂の内にギラつく凶暴性を仮面の下にひた隠し、反逆の機会を伺う日々。

そして、ついに、全てをブチ壊す瞬間がやってきた。

 

 

七崩賢全員の招集が、シュラハトより告げられる。

その招集命令を唯一拒否した黄金郷のマハトであったが、その行動はシュラハトと七崩賢の数名が、直接説得に赴くという事態を引き起こした。

古城の階段に座り込むマハトに対し、姿を隠した七崩賢がじりじりと取り囲む。

その状況は、疑いようもなく、脅しそのものであった。

 

 

「南の勇者を討つのに協力してほしい」

 

 

無益な争いを好まないマハトは、シュラハトの協力要請を一切の躊躇なく断る。

しかし、これは魔王の勅命。断るという選択肢は、初めから用意されていなかった。

シュラハトはマハトへと明確な脅し文句と共に、強引に協力させることに成功した。

 

 

「全く薄気味悪い野郎だ。昔から俺はお前の掌の上で踊らされている。それでシュラハト。俺はどう踊ればいい?」

 

「お前は何も考えずにただ戦えばいい。作戦など不要だ。お前という圧倒的な脅威がその場にいるだけで、南の勇者の手数を減らせる」

 

 

シュラハトがマハトへと作戦不要の指示をくだし、南の勇者との相打ちが、未来を見通すシュラハトの出した結論だと語る。

 

 

シュラハトがマハトの横に座り込む中、背後の木に身を隠していたアウラが、音もなく姿を現した。

 

 

「私にも作戦は無いのかしら?『不死の軍勢』の物量で南の勇者を弱らせる?それとも……直接戦闘能力も無い私は、立っているだけでいいのかしら」

 

 

シュラハトの眉が、ピクリと動く。どうやら、想定には無い展開らしい。

マハトは、初対面のアウラに興味がないのか、一切視線を合わせようとしない。

 

 

「お前も作戦など不要だ。南の勇者は既にお前の魔法を知っている、その場で天秤を掲げているだけで魔力の使用を制限出来る。雑兵をいくらけしかけた所で何も変わらない」

 

 

その返答を聞き、アウラは口の端を釣り上げ、醜悪な笑みを見せた。

 

 

「そう……なら『不死の軍勢』は各地の前線や防衛拠点にでも送り込んでおくわ」

 

「好きにしろ」

 

 

シュラハトからの了承を得たアウラは、茂みの奥へと隠れ、再びその姿を消した。

 

 

「――……結局最後まで確信が持てなかったか」

 

「あの女がどうかしたのか?」

 

「いや、なんでもない。それと作戦後にはグラオザームがお前の記憶を消す手はずになっている」

 

「何故だ?」

 

「らしくないミスだマハト。……お前、記憶が読まれているぞ。悪いなフリーレン。お前に南の勇者との戦いを見せる訳にはいかない」

 

「フリーレン?」

 

「未来の話さ」

 

 

身を隠したアウラは、これまで蓄えてきた全ての『不死の軍勢』へと命令を下し、移動させる。そんなアウラの耳に、聞き覚えのある名前がシュラハトの口から聞こえてきた。

 

 

――フリーレン……って確か、お母様の友達よね。未来でマハトの記憶を読むだなんて、凄いわね。

 

 

フルーフ曰く、フリーレンを相手にどんな魔法でも過信してはいけない、対策される前提で考えろ。

出会ったら絶対にまともに戦うな、逃げろ逃げろと、口が酸っぱくなるほど言われていたのをアウラは思い出す。

シュラハトの行動は当然であり、この点においてはアウラも同意せざるを得ない。

 

 

――見せられないわよね。これから七崩賢全員の手の内を明かす戦いをするんだもの。それを観測させるだなんて、未来のことしか考えていないアイツにとっては何が何でも阻止したいはず。

 

 

だったら――

 

 

「いえ、馬鹿な考えね。そこまで欲張ると、先に身を滅ぼすことになるわ。私の目的は最初から一貫している。人間も魔族も……――私を利用する奴は誰だって許さない、ただそれだけよ」

 

 

そもそも、シュラハトが視ていいる未来は恐らく訪れない可能性が高い。

フリーレンが記憶を覗き見た、それは……お母様がいない世界の未来なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

左右の腰に下げられた二本の剣を抜き放つ南の勇者。

対するは、人類にとって最大の脅威である七崩賢全員と、魔王の腹心。

 

 

未来を見通す存在、人知を超えた魔法を操る大魔族が七人もいるのだ。

アウラの想像では、てっきり激戦になるかと考えていたが……。

 

 

――人形劇でも見ているようね。

 

 

まるで、予め決められた動きをなぞっているかのような錯覚に陥る。

シュラハトも南の勇者も、表情一つ変えず、淡々と攻撃をいなし、時には受け入れていた。

当然のように魔法へと対処し、初動を潰し、魔法の発動を阻止しながら立ち回る。

 

 

真っ先に目をつけられたのは、不死なるベーゼ。

開戦から数秒のうちに、南の勇者の一太刀と共に斬り伏せられ、再起不能となった。

 

 

「ちょっとグラオザーム。貴方の『楽園へと導く魔法(アンシレーシエラ)』……ちゃんと機能してるんでしょうね?」

 

「えぇ、間違いなく南の勇者は私の幻影に囚われています」

 

 

――グラオザームの幻影の中にいながら、未来で見た動きを再現している?……頭おかしいんじゃないの。

 

 

叶わないと思っていた、叶えたいと願っている、現実と見紛うほど美しい幻影。

普通なら溺れるだろう。

現実を忘れ、幻想の中で引きこもりたいと願うものだ。

例え振り切れたとしても、幻影の中に入った瞬間くらいは動きが鈍るものだろう。

 

 

だというのに、南の勇者の機械的な動きは一切鈍ることなく、ひたすら動き続けていた。

 

 

「そういう貴女は、『服従させる魔法(アゼリューゼ)』を使わないのですか?」

 

「あんなあからさまに制限掛けてる奴に使える訳ないじゃない」

 

 

直接戦闘系の魔法を持たない二人は、シュラハトと南の勇者の戦いを、ただ見守るしかなかった。

マハトが操る黄金の濁流を、南の勇者は双剣の一太刀で切り飛ばし、瞬く間に七崩賢の一人が殺された。

 

 

――全く、どんな技量してるのよ。未来が見えているだけで実現出来る動きじゃないわ。未来視による予知が無くても、十分化け物ね。

 

 

これは、相打ちという結末が最初から最後まで確定した、出来レースのようなものだ。

だからこそ、南の勇者は致命傷を恐れない。

それは、結末へと至るために必要な過程であり、代償だから。

魔法の奔流の中で肉が抉れようが、剣が欠けようが、構うことなく進み、剣を振るう。

そして今度は、七崩賢の二人が同時に殺され、粒子と化した。

 

 

あらかじめ決められていた展開。

未来視の中で幾度となく戦い、効率化された戦闘。

流れた時間はとても短く、しかしお互いが傷だらけになるほど、濃密な殺し合いだった。

 

 

シュラハトの魂と南の勇者の魂が、一際強く輝く。

魔族も人間も関係なく、生命の消えゆく最後の炎を、今、燃え上がらせていた。

 

 

南の勇者が走り出し、シュラハトの腹部に剣が突き刺さる。

 

 

「……終わりだシュラハト」

 

「あぁ……終わりだ南の勇者。知っているだろうが、お前もここで共倒れだ」

 

 

シュラハトの内で魔法が構築され、魔力がうねり狂う。

全ては予知された結末へと向かい、結実する。

全知のシュラハト、南の勇者……お互いの未来は、ここで共に潰える――はずだった。

 

 

 

 

 

――ズちゅぅッ!!

 

 

 

 

 

生々しい肉音が響き渡り、シュラハトの背中へと細い腕が突き刺さる。

胸部を狙った掌は肋骨を砕き、その心臓部を正確に鷲掴みにしていた。

 

 

「残念だけど……そんなこと私が許すとでも思う?」

 

「ぐぅ、ッ――……やはりお前かアウラ。このタイミングで裏切るとはな」

 

「感づいていたの?流石ねシュラハト。だけどやっぱり、何も見えてなかったわね。貴方が見たどんな世界の私も、裏切ることなんてなかったんでしょ」

 

「初めから疑念はあった。だが確信は無かった、数えきれないほど未来を見てきたがお前だけは何時も少しだけ違った……。随分と念入りに計画していたようだな」

 

「貴方の魂の機微を一々伺わないといけないだなんて、本当に苦労したわ。だけど無駄に終わらなくて、ひと安心ね」

 

 

背後から心地よい光に包まれる感覚と、黄金が脈動する音が聞こえてくる。

この瞬間、七崩賢である断頭台のアウラは魔王軍の裏切り者、つまりは背後に控える大魔族たちの明確な敵となった。

 

 

「私を殺す?……そんな悠長なことをしている時間があるのかしら?」

 

「アウラ……裏切り者がこの場から生きて帰れるとでも思っているのですか?」

 

 

奇跡のグラオザームが、抑揚の無い声でアウラへと問いかける。

当然だ。七崩賢が集うこの場で反旗を翻したのだ。

生きて逃げ切れる可能性など、『服従の天秤』しか取り柄のないアウラには、存在しえない。

 

 

「……そう。ところで私の『不死の軍勢』は今どこにいるか、――思い出したほうがいいんじゃない?」

 

 

――ッ!?

 

 

魔族たちに戦慄が走る。

確かアウラは、開戦前にこう言っていた。

 

 

"『不死の軍勢』は各地の前線や防衛拠点にでも送り込んでおくわ"

 

「アウラ……貴様ッ」

 

 

自身の死すら冷静に受けとめていたシュラハトが、その声を荒らげる。

黒いロンググローブにシュラハトの血が染み込み滴り落ちる中、アウラは初めて感情らしい感情を見せたシュラハトに対し、平坦に告げた。

 

 

「急いだ方がいいわよ……私が集めた数千の軍勢。今頃、魔族を殺したくて堪らない憎悪にまみれた怨霊達が、暴れ回っている頃だから」

 

 

ならさっさと元凶であるそいつを殺せばいい、とマハトが黄金の槍をアウラへと突きつける。

 

 

肉体が死に、枷から解き放たれた魂は、本来行き着くべき場所へと流れていく。

それは魔族や動物でも同じ、抗えない自然の摂理。

しかし、人間の感情とは恐ろしいものだ。

魔族には無い優しさや愛情を持つ一方で、容易く魔族の魂よりもドス黒く、醜悪に染まる。

人間は感情の生き物であり、それは時に自然現象すらねじ曲げる。

 

 

アウラは、そんな死してなお肉体にしがみつく魂と契約した。

一方的な搾取は、アウラの人間としてのポリシーに反する行為だ。

 

その点を踏まえ、契約というリスクを組み込むことにより、結果としてアウラの魔法は強化されていた。『不死の軍勢』には、シュラハトを欺くために人類と敵対すること、そしてアウラは最後の瞬間に、彼らの恨みを晴らせる最高の場を提供することを約束した。

もはや、魔法の使用者である天秤の主ですら止められない。

憎悪が尽きるまで暴れまわるアンデッドと化していた。

 

 

「馬鹿ね……そんな単純な解決策を私が用意して上げてると思う?私が死んでも、命令を下した『不死の軍勢』が止まることは決して無いわ」

 

「……ベーゼとグラオザーム以外の全員――『不死の軍勢』を見つけ出して対処しろ」

 

 

シュラハトは背後へと軽く振り返り、大魔族たちへとアイコンタクトを飛ばし、軽く頷いた。

 

 

背後から感じられた巨大な魔力反応の数が減る。

先程まで倒れ伏していた不死なるベーゼの傷が回復しているのか、立ち上がる姿が見えた。

 

同時に、グラオザームの幻影から抜け出した南の勇者が、剣を手放しバックステップで後退する。

満身創痍でありながら、その気迫は一切衰えておらず、険しい表情で状況を見定めていた。

 

 

「残したのはベーゼとグラオザーム。結界と幻影。意地でも私を逃さないつもりね、シュラハト」

 

「何故こんなことを仕出かした?」

 

「……貴方が私を利用しようとしたから。私は自分が誰かの駒のように扱われるのが我慢ならないの。半分お母様の魂だからかしら……いいえ、難しい言葉は必要ないわ。単純に……虫唾が走るくらい、貴方が嫌いってだけ」

 

 

とある未来の魔法使いは言った。

その人間が得意とする魔法は、人生や人間性に大きく関わっていると。

 

 

ならば、アウラの魔法『服従させる魔法(アゼリューゼ)』はどうか。

相手を服従させることにだけ特化した魔法。

 

そんな魔法を作り出すアウラに対し、逆らえない状況下で強制的に協力させ、初めから支配下にあるかのように扱えば、相手にどういう印象を持つかなど、考えるまでもない。

 

 

アウラの気質は、服従させ、支配することに傾倒している。

つまりは、駒扱いされること、支配されること、利用されること、そんな実感そのものが、反吐が出るほど嫌いだった。

そんな最悪の気分を味あわせてくれた相手には、最大限のお返しをしてやらねばならない、そう考える。

 

 

――私が誰かに支配された挙げ句、利用されるですって……ありえない。この私が……。

 

 

「お前を引き入れるべきではなかった」

 

「同じ考えだわ……始めからほっとけばよかったのよ。だけどもう手遅れ。貴方が私に指図するようになった瞬間から――貴方の絶望が、私の勝利条件に加わったわ。これから地獄で生き抜く参考までに、なんで私に負けたか教えてあげる」

 

「……」

 

「貴方は全てにおいて私より遥か格上よ。だけど……此処は未来じゃない、私達が生きる此処は今よ、シュラハト。貴方は未来だけを見据えて、今を生きていない。先のことばかりに意識を割く貴方に、私が負けるわけないじゃない。それが初めからわかっていたからこそ、一瞬一瞬を、貴方を欺くことだけに費やした。貴方が全力で今を生きていたのなら、私の小芝居なんて簡単に見破れたはずなんだから」

 

「執念深い女だ」

 

「そろそろ、魔族お得意の命乞いを披露してくれてもいいわよ……シュラハト」

 

「いまさら、魔族の未来と繁栄を口にしたところで、お前は関心すら見せないだろう」

 

 

アウラにとっては面白くない展開だが、シュラハトをまじまじと見つめるアウラは、その笑みを深める。

今にも死にそうでありながら、弱音一つ吐かない魔王の腹心。

だが、数え切れない程シュラハトの魂を観測し、直に触れているアウラには、手に取るようにその感情の種類がわかった。

 

 

シュラハト……貴方、怯えてるわね。

 

 

「私は狩りが得意なの……冬場にはよくお母様と夕飯の調達に出掛けたものよ」

 

 

アウラは唐突に、母であるフルーフとの狩りの思い出を話し始める。

 

 

「何の話をしている」

 

 

当然、シュラハトには理解出来なかった。

しかし、次の哀れみに満ちた言葉を聞いた瞬間、その魂が震えた。

 

 

「なんでもない余裕を装っているようだけど……シュラハト。今、貴方……罠に陥る前の可哀想な動物と同じ反応よ」

 

「……」

 

「彼らは逃げ道を失い、視野が狭くなり、すでに結末がわかっていたとしても、根拠の無い自信に満ちて、必要のないところで背水の陣に挑んでしまう……。内心、動揺しているんでしょ。目の前にある丈夫な橋が、丸木橋の一本に変わってしまったような不安感。ずっと見続けてきた未来が訪れないかもしれない……それは貴方にとっては、絶望そのものよね。――……ふふ、気が済んだし、もう十分よ。ここまでにしましょう」

 

 

周りを取り囲む森林から、大量のカラスの鳴き声が聞こえてくる。

カラスの魂を通して、アウラの元に猛スピードで接近してくる魔族が見えた。

 

想定よりもずっと早い。

 

どうやら、魔王軍からの援軍が来たようだ。

 

 

「南の勇者……動けそう?今直ぐ納得する必要は無いけど、私は貴方の味方よ。状況で理解出来るわね」

 

 

南の勇者は、一瞬の沈黙の後、コクリと頷いた。

 

 

「そう、それじゃ……死ぬ気で私の背中に振り下ろされる斧を防ぎなさい!――精々絶望して死になさい……シュラハト」

 

「――ッ!」

 

 

シュラハトの心臓が握り潰され、引き抜かれたアウラの手には、光り輝く黒炎の魂が握られていた。

魔王軍の腹心が魔力の粒子となると同時に、南の勇者がアウラの背後に駆け出し、双剣を重ねる。

 

 

「構えだけで理解出来る……噂に違わぬ技の冴えだ。南の勇者、一手手合わせ願おうか」

 

「――ぐぅッ!?……フン!」

 

 

猛スピードで接近してきた巨漢の魔族は、戦斧を振り上げ、南の勇者へと叩きつける。

双剣が軋み、地面が陥没する。

しかし、万全とは言えずとも受けきり、戦斧を押し返した。

 

 

「重いな。……断頭台のアウラ、一体どのような心算かはわからないが、二度目は厳しそうだ」

 

 

フラリと身体を揺らす南の勇者。

身につけたローブは、変色するほど赤く染まっていた。

如何に南の勇者といえど、致命傷を負った状態での戦闘は、厳しいようだ。

 

 

「将軍の中でも最上位の老魔族……血塗られし軍神リヴァーレ。運がいいわ南の勇者。コイツとは逃げる最中、絶対に出会いたくなかったの」

 

 

相手は武の極みに達しているであろう大魔族。

そして、結界と幻影のエキスパート。

 

 

「何を考えている……『服従させる魔法(アゼリューゼ)』ではこの状況を切り抜けられそうにないが」

 

「安心して、逃げる準備だけしてなさい……。魔族の本質は欺きなのよ。こんな分かりやすい上に、対策され放題の隙だらけ天秤を普段遣いする訳がないじゃない」

 

 

グラオザームの幻影とベーゼの結界が、辺りを覆い始める。

リヴァーレは再び戦斧を構え、今にも此方に飛びかかってきそうだ。

 

 

「お母様には悪いけど……私の方が才能はあるのよ、『魂を魔力に変える魔法(ゼーレエンダー)』」

 

 

それは、母親であるフルーフが使用する、魂の自傷と引き換えに膨大な魔力を得る魔法。

しかし、そこには決定的な違いがあった。

 

フルーフは自身の魂でしか魔力への変換が行えないのに対し、アウラは他者の魂をノーリスクで魔力へと変換することが出来た。

残酷な話だが、フルーフには才能が無く、アウラには素晴らしい才能があった、ただそれだけの話だ。

 

 

辺り一面に、竜巻のような魔力がアウラを中心に巻き起こる。

大魔族、全知のシュラハトの魂を、一瞬で使い果たしたのだ。

その魔力量は凄まじく、対面する大魔族全員よりも遥かに強大な魔力が渦巻いていた。

 

 

しかし、デメリットは当然ある。

継続して燃料となる魂がなければ、魔力のドーピングは当然続かない。

故に、今この状況が許されるのは、たったの数秒間だけだった。

 

 

――天秤に魂を乗せている暇なんてないわ。

 

 

アウラの掲げていた天秤が消え、分厚い本へと切り替わる。

シュラハトの魂を燃焼させて得た魔力を、全てその本へと流し込んだ。

 

 

「『服従の法典(アベディーネ)』」

 

 

服従の天秤が魂を永遠に支配する魔法だとすれば、服従の法典は一時的に相手の魂を縛り、操る魔法だ。

双方共に魔力量で勝っていなければ効力を発揮しないことに変わりはなく、天秤は確実性と永続性、法典は即効性と瞬発性に優れていた。

 

 

既に、大魔族たちの魂の主導権はアウラに縛られている。

 

 

――チッ……自害させるのは無理そうね。これだけの魔力量でも、全員自害させられるだけの制約力は無いか。精々、一人が限界だわ。

 

 

「なら、時間稼ぎだけで十分ね――全員、地面に額を押しつけて寝てなさい」

 

 

アウラが、大魔族たちの魂へと命令する。

すると、リヴァーレ、グラオザーム、ベーゼが一斉に、額を地面へと打ち付けた。

両腕で額を地面から剥がそうと藻掻くも、一向に離れる気配を見せなかった。

 

 

「軽い制約内容だから、長くて一時間、短くて三十分って所ね。それじゃ――呆けてないでさっさと逃げましょ、南の勇者」

 

 

目の前の光景を呆然と見つめる南の勇者。

こんな未来は、見えていなかった。

そして現在進行系で、南の勇者の未来視に映る光景は、自身の屍だけだ。

 

 

戦闘の疲労と心身の限界に立ち眩みを起こすも、極々自然体で南の勇者へと肩を貸す。

 

元・七崩賢、断頭台のアウラ。

なんか普通に気遣いも出来て、なんなら此方を心配そうに覗き込むアウラを見て、南の勇者は思考が停止した。

常識的に、人間を気遣う魔族なんて、あり得ないのだ。

 

 

――この魔族……本当に魔族なのか?

 

 

「残念ながらやはり逃走は不可能だ。此処は魔王軍が蔓延る心臓部……直ぐに取り囲まれて殺されるだけだ」

 

「はぁ?……あぁ、グラオザームの幻覚に捕らわれて聞いてなかったのね。今この辺りの重要拠点一帯はアンデッドが暴れまわってて、のんびり巡回する、暇な魔族なんていないわ」

 

「なに?まさか……『不死の軍勢』か」

 

「そうよ……魔族への恨みを晴らしきるまで止まらないんじゃないかしら。勘違いしてほしくないから言っておくけど、双方合意の上での行動よ。私が強制したとかじゃないわ。勿論、マハトや他の大魔族がいる以上、致命傷には至らないわ。だけど、私達が逃げ延びるには――十分よ」

 

 

アウラは南の勇者の脇に腕を回し、有無を言わさず抱え上げた。

 

 

「掴まってなさい」

 

 

飛行魔法で宙を飛ぶ。

身体が浮き上がり、冷たい夜風が頬を打つ。

眼下の森が急速に遠ざかり、やがて黒い海のように広がっていく。

 

 

振り返れば、魔王軍の心臓部が燃えていた。

あちこちで火の手が上がり、赤い光が夜空を焦がしている。怒号と悲鳴が入り混じり、魔法の閃光が飛び交う。

あれは『不死の軍勢』が暴れ回っている証だった。

 

 

――存分に暴れなさい。約束は果たしたわ。

 

 

山脈を越え、凍てついた湖の上を滑るように飛ぶ。

腕の中の南の勇者の身体が、少しずつ冷たくなっていくのを感じながら、アウラはひたすら南へ、人類の勢力圏へと向かった。

 

 

「南の勇者……このまま北に留まっても死ぬだけ。一先ず国境沿いの結界まで行って、人間の勢力圏まで避難するわ。貴方有名人なんだから、顔パスで関所は超えられるでしょ。私は変装して、貴方の付き人として振る舞うから」

 

「あ、あぁ……わか、……った……」

 

 

どれくらい空を飛んだだろう。

追手がくる気配は無く、完全に振り切ったようだ。

 

 

しかし、これからの計画を話す最中、アウラは南の勇者の異変に気がつく。

顔が真っ青な上に焦点があってはおらず、返事もまともにできていない。

 

 

――まずいわ……血を流し過ぎている。このままだと、国境に着く前に死ぬわね。

 

 

「南の勇者……悪いけど、貴方に死なれると困るのよ」

 

 

選択肢は限られている。

このまま南の勇者の生命力を信じ、砦の人間へと助けを求める。

確実性もなく、致命傷を治療出来る保証もない。極めて生存の可能性は低い選択だ。

 

 

残すは……――自分なりのやり方で、どうにかするかだ。

 

 

アウラは面倒くさそうに深く溜息を吐きながら、南の勇者と共に近くの洞窟へと降り立った。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

■■■■■視点。

 

 

 

アウラが封じた大魔族の動きは予想より早く、その縛りを解かれた。

アウラが三十分から一時間と見積もった持続時間。だが結果は二十分。

 

 

地に伏せていた大魔族達は頭の土を払い、各々が武器を持ちアウラの追跡を始めようと身体の調子を確かめる。

天秤の脅威を知るグラオザームは、未知の魔法に警戒し全身をくまなく調べていくが、あの現象が一時的なものであると気づくと憂いなく動き出す。

 

 

空を飛び逃げたアウラだが、大魔族三人の魔力探知に加え、大地を爆速で駆け巡る老魔族を振り切るには余りにも時間が足りていなかった。

 

 

軍を指揮し、本格的な追跡がはじまれば逃げのびられる道理などない。

結界を扱うベーゼ、幻影を操るグラオザーム、接近戦において最強であるリヴァーレ。

 

 

対するは負傷者と非戦闘魔法を主軸とするアウラだ。

仮に抵抗したとしても、万に一つも勝機などない絶対的戦力差と相性の悪さ。

 

 

三人の大魔族が、アウラの飛び去った方角へと歩みを進める。

 

 

だが、その瞬間――森の闇が蠢いた。

 

 

リヴァーレが最初に気づいた。

長年の戦場経験が磨いた直感が、背筋に警鐘を鳴らす。

振り返った先、三人の退路を塞ぐように、黒い影が立っていた。

 

 

 

いつからそこにいたのか。気配すら感じさせなかった。

 

 

 

ぐちょぐちょと生々しい音を立てながら、まるで巨大なナメクジが這うような音。

血濡れの黒いフードに包まれた奇形としか呼べないシルエット。

 

 

赤い霧のようなものが周囲一帯を覆い始める。

 

 

闇夜の中、フードの奥から巨大に輝く一つの眼が見えた。

生々しい粘液で光沢を放つ肌、かろうじて人間の顔と判断出来るものがフードの奥から大魔族の三人を捕らえていた。

 

 

フードの内から、骨が砕ける音が響いた。

ゴキ、ゴキ、と何かが形を変えていく湿った音。

 

 

背中の布が盛り上がり、引き裂かれる。

そこから生えてきたのは、二本の人間の腕だった。

血と肉片にまみれた手が、二振りの双剣を握っている。

 

 

続いて、フードの前面が膨らんだ。

黒い布を押し破るように、さらに二本の腕が現れる。

片方の手には、歪み砕けた秤のようなもの。もう片方には、血に濡れた本らしきもの。

 

 

四本腕の怪物。

それは人間でも魔族でもない、この世の理から外れた何かだった。

 

 

その手に握られた物を見た瞬間、グラオザームの表情が僅かに強張った。歪んだ秤と血塗れの本――それらはアウラの魔法道具に酷似していた。だが、問い質す余裕などなかった。

 

 

怪物は四本腕に何かしらのモノを持ち、ただ大魔族をギョロギョロと見据えながら、線香のように細い魔力を天へと流していた。

 

 

「リヴァーレ、アレがなにかわかり――

 

 

グラオザームがそう問いかける前にその言葉は中断される。

先程まで眼の前に存在していた怪物が彼の背後に立っており、その後グラオザームの全身に幾重もの線が走りバラバラになって崩れ落ちた。

 

 

だがその直後、グラオザームは何事もなく離れた場所に立ち、怪物の様子を観察していた。

 

 

「――どうやら私では相性が悪いようですね、頼めますかリヴァ――ッ゛う」

 

 

だが怪物は動揺する素振り一つ見せず、爛れた腕をグラオザームへと向け、指先で風を切る。

瞬間……グラオザームは自分で自分の腕を圧し折っていた。

 

 

砕けた骨が皮膚を突き破り、白い骨片が覗く。

激痛に顔を歪めながらも、グラオザームは冷静に状況を分析しようとする。

 

だが、理解が追いつかない。

 

自分の意志で腕を折ったのではない。

まるで身体の主導権を一瞬だけ奪われたかのような、得体の知れない感覚だった。

 

 

「魔族でも、人間でもない、その腕が如何ほどか……見せて貰おう」

 

 

リヴァーレが地を蹴った。

老いた身体からは想像もつかない爆発的な加速で怪物の背後に回り込み、戦斧を振り上げる。

強大な破壊力を纏った斧が怪物にめがけて振り下ろされる。

 

 

だが、怪物の握る双剣が一瞬煌めいたかと思えば、リヴァーレの握る巨大な斧は細切れとなり空中分解し、地面へと力なく落ちていく。

 

 

金属が砕ける甲高い音が連続して響き渡った。

斧の柄から刃先まで、まるで豆腐を糸で切るかのように、寸分の狂いもなく両断されていた。

切断面は鏡のように滑らかで、それがかえって異常さを際立たせている。

 

 

「注意することだ。この怪物は俺より腕が上だぞ」

 

 

リヴァーレは怪物のその技量の高さに素直な称賛を口にし、表情を高揚させる。

口角を釣り上げ、ギラついた歯を覗かせる笑みを浮かべる。

 

 

格上。それも単純な接近戦の技術で遅れを取った。

たった一手、それだけでリヴァーレの眼には怪物が南の勇者と同等の極上の獲物に見えていた。

 

 

暫く忘れていた強敵に老魔族の魂は打ち震える。

 

 

「……」

 

 

ベーゼが怪物を結界に閉じ込めようと魔法を発動するが、魔法は何故か発動しなかった。

まるで自身の意志に反して強制的に行使を停止させられたかのように、己の魔法への繋がりを強制的に絶たれていた。

 

 

ベーゼを見つめる巨大な瞳がギョロギョロと瞬き、本のようなものを手にした腕が向けられる。

瞬間、ベーゼもまた、グラオザームと同じように自分で自分の脚を蹴り砕いていた。

 

 

鈍い音と共に膝が逆方向に折れ曲がる。

苦悶の声を上げる暇もなく、ベーゼは前のめりに倒れてしまう。

一体何が起きたのか理解できないまま、地面に這いつくばる羽目になった。

 

 

グラオザームが魔法を操り、怪物に干渉しようと試みるも全く手応えが感じられない。

精神に魔法が作用しようとする瞬間、明確に何かに逸らされ効果を及ぼせない。

 

 

――これは……まるで、人間の僧侶の……いえ、しかしあり得ない。

 

 

「リヴァーレ。恐らくこの怪物に意志は殆どありません、私の魔法にかかった手応えもありません。しかし……何らかの目的意識だけは、明確にあるようです」

 

 

「なんであろうと俺は構わん、これほどの強者だ……南の勇者の代りに一手手合わせ願うか」

 

 

怪物は何も答えない。

アウラと南の勇者が飛び去った方角を一瞥し、それから三人の大魔族へと向き直った。

 

 

巨大な単眼がゆっくりと細まる。

それが笑みなのか、殺意なのか、誰にも判別できなかった。

ただ、四本の腕が同時に武器を構えたその瞬間、周囲の空気が凍りついたように重くなった。

 

 

怪物が一歩踏み出す。

その足音は不気味なほど静かで、まるで幽鬼が滑るように接近してくる。

 

 

そして数十分という戦いを経た後、その怪物は大魔族三人の前から、赤い霧と共に忽然と姿を消した。

 

 

あとに残されたのは、満身創痍の大魔族たちと、怪物が立っていた場所に残る、じっとりと濡れた不気味な跡だけだった。

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