ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第17話▶閑話▶アインザーム

 

 

 

 

僕の名はノイリング。

シンビオシスという街で生まれ育った。優しい領主様の下、市場には笑い声が絶えず、路地裏の子供たちですら飢えを知らない――そんな恵まれた土地だ。

 

 

領地でもないのになぜ領主と呼ぶのか?

さぁ、物心ついた頃から皆がそう呼んでいたし、当の奥様も「悪ノリが定着した」と笑っていた気がする。

親父やお袋に至っては、これだけ立派な街なのだからどこかの国に属していると信じ込んでいたようだが……結局のところ、皆がそう呼ぶから、それ以上の理由はないのだろう。

 

 

僕の職場は、街外れに佇む監獄所。

自ら志願して配属された場所だ。

この街では、リーニエ戦士長から及第点を貰った者だけが、配属先を選ぶ権利を得る。

もちろん荒事関連に限られるが、おかげで憧れの職に就くことができた。

 

 

昔から、誰かを守れる男になりたかった。

なぜ街の治安維持部隊に入らなかったのかと問われれば――答えは単純だ。

 

 

故郷を守ることは誇らしい。だがこの街には害意に反応する結界が張り巡らされていて、余程のことがない限り平和そのものなのだ。守るべき危機が、そもそも訪れない。人を襲う知能ある魔族など、絶対に入ってこられない仕組みになっている。

 

 

思考なく彷徨う魔物が結界を素通りしてくることはあるが、治安維持部隊の練度は戦士長のお墨付きだ。

たかだか巨大な猪や中型の魔物ごときに後れを取ることはないし、万が一ドラゴン級が現れようとも、その背後には人智を超えた化け物たちが控えている。

 

 

街の安寧を守ることは大事だ。けれど、それは僕が求めるものとは少し違う。

僕は、今まさに困っている誰かを助けたいのだ。

 

 

だからこその、監獄所。

シンビオシスの監獄所は、結界の縁、街から外れた場所に建設された大型施設だ。

 

監獄所の任務は多岐にわたる。犯罪者の収容はもちろん、原住民との鉱物取引、移住の提案、知識の提供――そして何より、護衛だ。北部高原には寄る辺ない小さな村々が点在しており、彼らを守ることこそが監獄所の最も重要な役割だった。国の目が届かぬ荒野には山賊がのさばり、危険な魔族や魔物が日常的に徘徊している。

監獄所は、そんな過酷な環境下で自衛力を持たない村へ護衛を派遣しているのだ。

 

 

日々の業務をこなし、ようやく派遣部隊への参加が認められた日。

勇者ヒンメルのように困っている人を助けられる――そんな高揚感を胸に、僕は所長室へ最終承認を貰いに行った。

 

 

だが。

 

 

重厚な扉を開けた瞬間、空気が変わった。

まるで深海に沈んだかのような圧迫感。冷たく、重く、呼吸すら躊躇われるような静寂が部屋を満たしている。

 

 

そこにいたのは――人ではなかった。

 

 

青白い肌、不自然に長い腕、音もなく宙に浮かぶ異形の存在。口らしきものは見当たらず、顔の上半分にぽっかりと空いた眼窩には、覗き込めば二度と戻れないような底なしの闇が広がっていた。

背筋を氷の指で撫でられたような悪寒が走る。本能が、全力で警鐘を鳴らしていた。

 

 

悲鳴を上げ、無様に逃げ出した。

 

魔物だ、魔物だと騒ぐ僕に、駆け寄ってきた先輩が告げた事実は衝撃的だった。

「アレがここの所長だ」と。

 

 

先輩になだめられ、自室に戻って震える手で魔物図鑑を開く。

髪は短く整えられていたが、特徴は完全に一致する。

あれは間違いなく――幻影鬼(アインザーム)

 

 

 

 

 

 

後日。派遣先の村へ向かう馬車の揺れに身を任せながら、僕は先輩に詰め寄った。

 

 

「ちょ、ちょっと先輩!?なんスかアレ、魔物じゃないですか!?」

 

「おぉ~新入り。一日経って冷静になったかと思えば、むしろ悪化してんな。所長の姿を見るのは初めてか?ま、腰抜かすわな」

 

 

顎髭を擦りながら、先輩はカラカラと豪快に笑った。窓枠に肘をつき、流れる荒野の景色を眺めている。街を出てからずっと続く乾いた大地には、時折キラリと光る鉱石が顔を覗かせていた。

四十代後半、歴戦の貫禄を漂わせるこの男が、僕のお目付け役だ。

 

 

「ビックリどころじゃありませんよ、心臓が止まりかけました!魔物ですよ魔物!?」

 

「新入り……街育ちなら戦士長や領主様で魔族は見慣れてんだろ。今更魔物程度でなんでそこまで驚く?」

 

「先輩、魔族と魔物は別物ですよ」

 

「あぁ~スマン、これがジェネレーションギャップか。オジサンには君らみたいな認識はないな。今は慣れたけど魔族も魔物も大差ないさ。なんなら領主様もその辺の魔族より、多少マシってだけで……いや、逆だな。アレは相当ヤベー」

 

 

街の外とはいえ、シンビオシスの住人が口にしていい言葉だろうか。馬車の揺れが一際大きくなり、僕は座席の縁を掴んで体勢を立て直した。

 

 

「街でそんなこと言ったら再教育センター送りですよ。領主様への不敬は、あそこで徹底的に"矯正"されるって話ですから」

 

「問題ねぇよ。あそこのお偉い方は割と認識がガバガバだからな。裏工作する奴には容赦ないが、正面から文句言ってくる奴には譲歩してくれる。俺は魔族に村を滅ぼされたクチだから、直談判して監獄に飛ばして貰ったんだ」

 

「あ、すみません……嫌なことを聞いてしまって」

 

「気にすんな、ガキの頃の話さ」

 

 

先輩は窓の外に視線を向けたまま、淡々と続けた。その横顔には、長い年月をかけて折り合いをつけてきた者特有の静けさがあった。

 

 

「別に領主様や戦士長が悪いわけじゃない、俺がちょっと無理なだけだ」

 

「ですが、せっかく異動しても今度は魔物が上官で……その、嫌にならないんですか?」

 

「――ならねぇよ。あの人……いや魔物?どっちでもいいか。とにかくあの方はマジで良い方だから、お前もそう邪険にしないであげろ」

 

「図鑑に書かれた幻影鬼の特徴的に、とてもじゃないですけど無理ですよ」

 

「おいおい、逃げ出したお前を罰せず、黙って了承の印までくれたんだぜ……ま、あの方の魅力はその内分かるさ」

 

「それは申し訳なく思います……ですがなんで監獄所内で全く見かけないんですか?頻繁に顔を合わせていれば、僕だって事前に知れて逃げ出さなかったのに」

 

「お前、さては噂話とかに全く耳を傾けないタイプの真面目君だな……」

 

 

先輩は呆れたように溜息をつき、それから少し声を潜めた。まるで秘密を打ち明けるように。

 

 

「うちの所長は恥ずかしがり屋でな……顔をまじまじと見られるのは恥ずかしいんだってさ」

 

「えぇ?あの見た目で?」

 

「馬鹿野郎が。あの方はかなり気さくで、話しかければ普通に挨拶もしてくれるし親しみやすいんだぞ。新入りも任期明けに戻ったら謝罪ついでに話しかけてみろ」

 

「わ、わかりました」

 

 

返事はしたものの、あまり乗り気にはなれなかった。

相手は全長二メートルを軽く超える魔物だ。倒すべき敵としてならともかく、話し相手として見るには無理があるのではないだろうか。

 

 

先輩はこれ以上話す気はないのか、窓の外を流れる景色を眺めながら欠伸を噛み殺している。

目的地の村まではまだ距離がある。僕も少し寝ようか。

 

 

窓の外を見やると、いつの間にか霧が立ち込め始めていた。白い靄が馬車を包み込み、視界がぼんやりと霞んでいく。

 

 

瞬間――黒い不気味なナニかが、視界の端を掠めた気がした。

 

 

「――ッ!?」

 

「……どうした新入り」

 

「今なにか、横切ったような……」

 

「うん?あぁ……なにも気にするな。心配性などっかの悪霊がひっついてきてるだけさ――痛ッ!?」

 

 

先輩は霧に覆われた外を睨むと、何かに気づいたように笑い、誰かを揶揄うように呟いた直後、突然頭を押さえて痛がった。

 

 

「え……あの……どうかしましたか先輩」

 

「はは、何でも無いよ。ここから先は暫く安全だろうから新入りは寝てな」

 

 

先輩の奇行に気を取られ、僕はさっきの影を見間違いだと思うことにした。

慣れない馬車旅の揺れが、心地よい眠気を誘う。車輪が石を踏む規則的な音が子守唄のように響き、いつの間にか僕の意識は、微睡みの底へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

あれから数日が過ぎ、僕達は無事目的地の村へと到着した。

人員二人だけの任務ということもあり、村の規模はかなり小さい。

藁葺き屋根の家々が肩を寄せ合うように建ち並び、中央の井戸を囲むようにして生活が営まれていた。

村長と話し合い、空き家を借りて一ヶ月の共同生活が始まった。

 

 

早朝は先輩に訓練をつけてもらい、日中は農作業を手伝った。鍬を振るう村人たちの横で、慣れない手つきで土を耕す。額に滲む汗を拭いながら、僕は街では決して味わえない充実感を覚えていた。

 

 

夕暮れ時になると、子供たちが僕の周りに集まってきた。

 

 

「シンビオシスってどんなとこ?」

「お菓子屋さんあるの?」

「ドラゴン見たことある?」

 

 

キラキラした目で問いかけてくる彼らに、僕は少し誇らしげに故郷の話を聞かせた。甘い蜜菓子の味、祭りの夜に空を彩る魔法の花火、戦士長の恐ろしくも頼もしい姿――子供たちは目を輝かせて聞き入り、僕はいつしか彼らの兄のような存在になっていた。

 

 

村長の話によれば、近頃周辺の森で魔物が活発化しているらしく、僕たちは魔物が村を襲わないよう、群れのリーダーを間引く任務もこなした。

 

 

だが……どうも肝心な時にミスをしてしまう。

意気揚々と魔物の首に剣を突き立てたまではいいが、骨に噛んで抜けなくなったり……今回も最終的に先輩の手を借りる結果となった。

 

 

「新入り、腕はそこそこ良いがやっぱり経験が足りないな」

 

 

先輩はリーダー格の死骸の横で、武器についた血糊を布で拭っていた。槍と盾という堅実な装備――その手堅い戦い方で、先輩は傷一つ負うことなく魔物を全て仕留めていたのだ。

 

 

「わかってますよ先輩。これが初仕事だからなんて言い訳はしません……そんな愚痴を零したら戦士長に死ぬまでブン殴られます」

 

「あの人も相変わらずだな」

 

「あ、先輩も戦士長の訓練に参加したことがあるんですか」

 

「我流で滅茶苦茶な太刀筋をしてたせいで目をつけられたんだよ……一から徹底的に矯正されたわ。マジで容赦ないよな。今でも軽く定期講習に通わされてるが、こんなオジサンが本気参加したら普通に死ねる自信があるね」

 

「何人か本気で死にかけますからね。だけど誰も戦士長の指導からは逃げません。先輩の頃もそうだったでしょ」

 

「あぁ。怖いくらい指導が的確だからな。どんだけ才能のない奴でも時間さえ掛ければ一端の戦士になれる。力を欲しがってる奴にはご褒美以外の何物でもないだろうよ」

 

「本当ですよ、逃げたいけど逃げられないって同期が嘆いて――

 

 

言葉が途切れた。

肌がざわつく。空気が、変わった。

 

 

「……先輩、今日監獄から誰か来る予定でしたっけ」

 

 

戦士長から教えを受けた戦士は、魔力探知を意識せずとも、肌で魔力を感じ取ることができる。

 

明らかに戦士ではない。並の魔法使いを凌駕する、禍々しい魔力の塊が村へと近づいていた。空気が重くなり、森の鳥たちが一斉に飛び立っていく。

 

 

「なにいってんだ新入り、任期の終了は――」

 

 

先輩の表情が一変した。目が鋭く細められ、槍を握る手に力が込められる。

 

 

「糞、マジか。この感じ……相手は魔族だな。魔族との殺し合いは初めてだろ……山勘は止めろ、魔力探知を働かせて絶対に切るな。油断したら死ぬぞ」

 

「了解」

 

「よし……行くか」

 

 

先輩が先行し森の中を駆ける。その後を追うように、僕達は迫りくる敵の迎撃へと向かった。

村での戦闘は避ける必要がある。僕達は魔族の進行ルート上に陣取り、待ち構えることとした。

 

 

時刻は月が昇る夕食時。村では今頃、家族団欒で食卓を囲んでいるはずだ。あの子供たちの笑顔が脳裏をよぎる。

決して行かせるわけにはいかない。僕は視界の悪さを補うため、必死に暗闘へと眼を馴染ませた。

 

 

「まぁ……そう緊張すんな」

 

 

視界の調整をしていると、先輩が声をかけてきた。

僕が緊張している?

今こそ夢に見た英雄のように、誰かを窮地から救う瞬間なのだ。それなのに緊張なんて――

 

 

「初陣は誰でもそうさ……離れてんのに人間を殺してやろうって殺気がビンビン伝わってきやがる。なまじ魔族に慣れてる新人にはキツイだろ?」

 

「は、はぁ?そな、訳……あ、れ?」

 

 

上手く声が出ない。

喉がカラカラに乾いて唾すら飲み込めない。心臓が早鐘のように打ち、手のひらには冷や汗が滲んでいた。ここでようやく、僕は自分が恐怖していることに気がついた。

 

 

御伽噺の勇者なら、絶対に恐れない。

だけど……一度意識したら止まらない。どうしようもなく怖い。

街に住んでいる魔族とは根本的に違う、純粋な殺意が滲み出ていた。遠くにいるはずなのに、肌を刺すような悪意が空気を伝って届いてくる。

 

 

「っは、はは……情けない。戦士長にあれだけ扱かれたのにこんな無様」

 

「あくまで訓練だからな。ま、今回は命の心配はしなくていい、ただ全力でやれ」

 

「な、何いってんすか先輩……油断すれば死ぬって言ったじゃないですか」

 

「あぁ……だから変な力は抜いて死ぬ気で殺しにかかれ。——来たぞ」

 

 

ズン……ズン……と、地響きのような足音が森を震わせる。木々が軋み、枝が折れる音が近づいてくる。やがて巨大な影が僕ら二人を飲み込んだ。

見上げた先には、全身がチグハグな化け物がいた。

 

 

「グハハハ……なんだ。貴様らのいない間に皆殺しにしてやろうと思っておったのに気づいていたのか?戦士風情が魔力探知なんぞ身につけおって……癪に触るぞ」

 

 

空気を震わせる唸り声。

頭は獅子、両腕は岩のように隆起した筋肉に覆われ、脚は山羊のような逆関節で大地を踏みしめている。そして尻尾――そこからは大蛇が生え、シュウシュウと不快な呼気を漏らしながら鎌首をもたげていた。

獣の体臭と、血と腐肉の混じった悪臭が鼻腔を焼く。胃の腑が捩れるような不快感に、思わず顔を顰めた。

 

 

「ったくよ……異形タイプか。新入り、対人戦のセオリーは一旦忘れろ。こういう手合と戦う場合、常識に足を引っ張られる」

 

 

先輩は盾を捨てると槍を両手で構え、戦意を滾らせた。

 

怖い……怖い。頭が恐怖で埋め尽くされる。

こういう時はどうすればいい――戦士長の言葉を思い出せ。

 

 

『お前らは戦士として半人前、だから実戦で動けない時は何も考えるな。ただ身体の動きにだけ従え……お前らにはそれが出来る、だから頑張れ』

 

 

そうだ、そうだった。自分は出来る奴などと自惚れて、肝心なことを忘れていた。

自覚しろ……僕なんて半人前以下だ。

幼い頃から憧れた冒険譚の主人公のように? そんな変なプライドは捨てろ……今は僕自身のエゴを通す時じゃない。

皆を守れる最良の選択だけを考えるんだ。

 

 

なにも考えず、教えに従うだけだ。

 

 

「……は、はい!」

 

 

恐怖を誤魔化すように、剣の柄がきしむほど強く握りしめる。

 

 

「戦士長も良い教育するな。俺はお前がションベン漏らしながら茂みの裏で震えたって責めないぜ……それが普通だからな」

 

「け、経験談ですか?」

 

「ハッ、生意気言いやがって。そうだよ、俺は初めて魔族を見てブルってチビっちまった。が、お前は違うな……それだけ口が利けるなら十分だッ!」

 

「矮小な人間風情が……今は腹が減っておる、目障りだ、どけ」

 

 

――メキメキィッ!

 

 

魔族の尻尾が暴れ狂い、周辺の木々を薙ぎ倒しながら突っ込んでくる。

先輩と僕は左右に分かれ、それを回避した。

背後で岩が砕け、土埃が舞い上がる。破片が頬を掠め、鋭い痛みが走った。

 

 

「乱暴な奴だ。俺らの肉で我慢してくれねぇ~かな?」

 

「ちょ、何いってるんですか先輩!?僕は嫌ですよ、一人で食べられて下さいッ!」

 

 

軽口を叩きながらも反撃へ転じる。まだ震えはある。

だが身体は動く。しっかりと動けている。

リーニエ様にボコボコに伸され続けた経験が、こんな所で生きるとは。

 

 

「冗談だよッ!……と、やっぱ硬いな」

 

「見た目通りの魔力による強化タイプか……浅い」

 

 

僕は腕に斬りかかり、先輩は地を這うように接近しアキレス腱へと穂先を突き立てる。

だが、傷は浅い。刃が弾かれるような硬い手応えが腕に伝わってきた。

 

 

――ぐわぁ!

 

 

風を切り裂き、魔族の爪が迫る。

僕は前方に転がりなんとか難を逃れるが、先輩は蛇と爪を槍の柄で受け止め、木を圧し折りながら吹き飛ばされていく。

 

 

「雄の成体なんぞ固くてかなわん。女子供の悲鳴を聞きながら味わう肉こそが極上よ。久方ぶりのご馳走だ、村の人間は時間かけてゆっくり、生かさず殺さず喰うとしよう」

 

 

食欲が刺激されているのか、魔族の口元から唾液がボタボタと垂れ落ちる。度し難い外道だ。

あの子供たちの顔が浮かぶ。無邪気に笑っていた彼らが、こんな化け物に――

 

 

頭に血が上りそうになる……落ち着け。

何も考えず身体を動かせ。傷は入るんだ。

このまま先輩と持久戦を仕掛けてなぶり殺しにする。

 

 

心を無にし、剣を構え直す。夜空に流星が走った。

それは弧を描き、魔族の眼球へと深々と突き刺さる。

 

 

「――がッ!?」

 

「趣味の悪いやつだ。お前は此処で死んどけ」

 

 

痛みに悶える暇さえ与えず、魔族の巨体に飛びかかり眼球に突き刺さった槍を引き抜くと、魔族の顔面を蹴りつける。

鮮血の雨が降る中、吹き飛ばされたはずの先輩が、蹴りを入れた勢いのまま降りてきた。

 

 

「早い復帰ですね……もしかして先輩って実は凄腕なんですか?」

 

「あん?全然……さっきので肋が数本逝ったわ。火事場の馬鹿力ってやつかもな」

 

「一般攻撃魔法で攻めたほうがいいですかね?」

 

「止めとけ。あんなのでも魔族だ、本職じゃない奴の魔法なんぞ通じんさ」

 

 

一瞬の動揺はあったものの、眼の前の魔族に隙はない。

片目を潰されながら、痛みに顔を歪めることすらしていなかった。

痛みに疎いにも程がある。

 

 

「よくも……貴様らは即刻殺処分してやる」

 

 

山羊のような脚で地を踏みならし、全身をデタラメに振り回して森林を破壊しつくす。

相当怒っている……巨体ゆえに質量も凄まじい。ただ子供のように暴れているだけなのに、此方にとっては脅威そのものだ。

 

 

落ち着け……大丈夫。

僕は自身に言い聞かせながら、戦士としての基礎を思い出す。

 

 

『いいか三流弟子共、戦士の基本は眼だ。――馬鹿が……動体視力じゃない。基本は処理能力をどれだけ高めるかが重要』

 

 

襲い来る蛇や瓦礫の破片を避けながら、場違いな笑みが漏れた。

日常的に認識できる物の数を拡張し、乱戦や手数に対応できるようにする。それが戦士長が教える基礎の根幹だった。

訓練中、空に鳥が何羽過ぎ去ったか、街中で何人の茶色い服とすれ違ったか。突然聞かれ、間違えればブン殴られる。

 

 

酷い頭痛を何度も繰り返し、少しずつマシになってきてからは、徐々に無意識下で出来るようになった。

戦士長の教えは、確かに本物だ。

 

 

魔族の暴れ狂う手足がどこから来るのか……視界内に入ってさえいれば、手に取るようにわかる。

後は切り刻むだけだ。

 

 

「小賢しい蝿共めぇ――ぬぅ!?」

 

「お……やっと貫通したな」

 

 

魔族が吠えるも、何度もしつこく同じ場所を穿つ先輩の槍がアキレス腱を貫通。同時に魔族が片膝から崩れ落ちる。

 

 

「喰らえ!」

 

 

その隙に大振りの、全体重を掛けた斬撃を反対側の足の腱へと叩き込む。

噴き上がる血が全身を濡らす。生温かい液体が顔に降りかかり、鉄錆の匂いが鼻を突いた。

だが確実に腱を断つため、構わず刃を押し当て、全力で引き抜く。

 

 

「おぉ~やるじゃねか新入り。デカい図体で大した機動力だが、足が使い物にならなきゃおしまいだな」

 

「後は爪と蛇を警戒しながら確実に殺すだけですね」

 

 

勝てる。

そう確信し、両手についた血を拭って剣を握り直した瞬間――くいくいと、服の裾を引かれる感覚があった。

 

戦闘中に?誰が?

 

 

反射的に視線を落とす。そこには、こんな修羅場には絶対にいるはずのない存在――幼い子供が立っていた。

 

汚れた頬、虚ろな瞳。僕の服を小さな手で掴んでいる。

 

 

なんだ……どうして子供がこんなところに?まさか騒ぎを聞きつけて村から来てしまったのか?いや、この子は村の子じゃない――見覚えがない。

 

 

「おい!?馬鹿新入り――」

 

 

一瞬の思考の空白。

先輩の声が現実に引き戻すと同時に、金属音と共に黒い影が吹き飛び、地面を転がっていく。

 

 

「え……先輩?え……」

 

「グハハハ……人間は実に間抜けだな。おい肉共……こっちへ来い」

 

 

呆然と立ち尽くす中、茂みの奥からワラワラと小さな影が現れ、魔族へと近づいていく……その全てが人間の子供だった。

足取りはぎこちなく、まるで見えない糸で操られた人形のようだ。

 

 

「お、おい!?君たち……行くな!?危ないぞ、くそぉ……止まらない」

 

 

魔族へと近づいていく子供達の腕を掴み止める。だが、全く足を止めてくれない。

瞳に光はなく、表情すらない。意志のない器が、ただ命令に従って動いているだけだった。

 

 

「無駄な足掻きだ。儂の催眠から抜け出せる者などおらん……ほれ、指示一つでこの通りよ」

 

 

「いやぁ!?は、離して下さいッ!助けてお父さん!!」

 

「え……いや、違、僕はただ」

 

「……」

 

 

子供達の悲鳴に、思わず手を離してしまった。

叫んでいた子供の顔から、一瞬で表情が消える。再び無表情に戻る子供、獅子の顔を醜悪に歪める魔族を見て、僕は奴の術中に完全に嵌ってしまったことを理解した。

 

 

すぐに手を伸ばしたが、小走りで駆けていく子供達の腕を掴むことは出来ず、虚しく空を切るだけだった。

このままだと不味い。これが魔法による効果なら、眼の前の魔族を殺せば終わるはずだ。

死ぬかもしれないが、致命傷覚悟で爪と蛇を凌ぎ、脳天に剣を突き立てて道連れにするくらいは出来る。

 

 

「なんだヤル気かぁ?凄まじい殺意だ……だが儂を殺してもこの肉共は解放されんぞ。儂の死ぬる瞬間に自害を命じてやる」

 

 

剣を握る手に血が滲む。

今まで見てきた魔族の方々とは全く違う……その醜悪さを隠そうとすらせず、寧ろ己の魔法への自信に溢れていた。

 

 

「これが本物の魔族か……反吐がでるな」

 

「武器を捨てろ。手傷を負わされた分、貴様等は痛めつけ殺してやる」

 

 

悪意がないだって?

こいつらの行動そのものが、悪意の塊じゃないか。

 

 

僕は手にした剣を捨てる。

幼い頃から憧れた物語の勇者のように、颯爽とピンチに駆けつけて誰かを救いたいと夢みたけれど……現実は思うようにいかない。

 

 

「良いぞ……こっちへこい、手が届かぬではないか」

 

 

どうやら蛇は使わず、直接殺したいらしい。

全身を握りつぶされる?その歯で胴体を噛み千切られるのか?

 

 

僕は自身の死に向かって歩き始める。

震える身体を無理やり押さえつける。悔いは数えきれない程あるし、今も悔しい気持ちでいっぱいだ。

だけど、こんな奴に弱味は見せない。

僕はリーニエ様の弟子だ。誇り高い魔族である彼女は言った。

 

 

『死ぬなとは言わない、だけど戦士として無様な最期は迎えるなよ。師匠である私との約束』

 

 

戦士は戦士らしく……死に場所は自分で選ぶ。

結果的に僕はこんな場面でも致命的なミスを犯し、相手の策に嵌ってしまったわけだけど……。

 

 

――心でだけは、勝った気でいよう。

こいつの脅しに屈したわけじゃない。子供たちの命を守るために、自分から命を捧げるんだ。

 

 

「ま、ただの屁理屈だけど……負けた気にならずあの世にはいけそうだ」

 

「……気に食わん目つきをしおって。何も成し得ずただ死ぬがいい」

 

 

僕は目を思いっきり瞑る。

クソ、最期まであまりカッコつかないな……痛みに備えて目を瞑ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『十分だ……汝は汝の使命を、命尽きる瞬間まで果たした』

 

 

しかし、いつまで経っても痛みはこない。

代わりに、地の底から沸き立つような低く威厳のある声が、周辺一帯に木霊した。

 

 

恐る恐る瞼を開くと……――濃い霧が立ち込めていた。

いつの間にか僕を取り囲むように防御魔法が多重展開され、大蛇の牙を押し留めている。蛇は何度も防壁に噛みつこうとしていたが、その度に弾かれていた。

 

 

――シャリン、シャリン。

 

 

茂みの奥から何かが来る。

足音の代わりに、金属同士が擦り合うような冷たい音色が聞こえる。規則的で、どこか荘厳な響き。人間じゃない……もっと別の何かだ。

 

 

闇が支配する夜。

月光を雲が遮り、世界が暗闇に飲み込まれる。

誰もが呼吸すら忘れ、数秒が経った。

魔族でさえ動きを止め、音のする方を凝視している。

 

 

まるで凍りついた時を溶かすように、月の光が戦場へと再び差し込んでくる。

 

 

視界が光を取り戻していくと同時に……眼の前には、まるで僕を庇うように立つ長身の魔物がいた。

 

 

本来脚があるべき所には黒い闇が蠢き、全身を覆うローブの隙間からは青白い肌が見える。

誰もが一目で魔物とわかる異形。しかし、身につけたローブに飾り付けられた十字架や装飾は、月光に照らされ神々しい光を放っていた。

混沌と秩序を兼ね備えた、異形の極致。

 

 

所長室で見た時とは、全く印象が違った。

あの時は得体の知れない恐怖しか感じなかった。だが今、月光を背負って立つその姿は――禍々しくも高潔で、見る者の口を噤ませる威厳に満ちていた。

 

 

厳格かつ厳粛な雰囲気を纏った魔物が、僕の前にはいた。

 

 

「え……あの、もしかして……所長、ですか……?」

 

『如何にも……私こそが監獄の主であり、汝らの命を預かる者。――後は任せよ』

 

「所長、駄目です!助けてくれたのは感謝します。ですが奴を殺さないでください……子供たちが殺されてしまいます!」

 

『高潔なる魂の持ち主よ……案ずるな』

 

「貴様……なにを魔物如きが儂の邪魔をしておる。その上人間を庇うとは何ごとだ……貴様も儂に殺されたいのか」

 

『己が身に余る危機には己が支配下にある他者を用いそれを退けるか……私はそれを悪逆と判する』

 

「グハハ……騙し討ちしか脳の無い貴様のようなデクに言われるとはなんたる皮肉。無駄だ、貴様如きに儂の魔法は破れぬよ、そこをどきさっさとその人間を差し出せ」

 

『同じ魔を冠する者よ……汝らは己が魔法を人類の理解の及ばぬものと豪語する。ならば何故、我ら魔物を己の理解の範疇に収まるものと侮る?それは驕りだ。思考を獲得しておきながら、その歩みを止めた者の――許されざる怠惰である』

 

「ほぉ……ならば貴様に儂の魔法をどうにか出来るとでも?」

 

『己が魔に溺れる愚者よ……私には汝が縛りし枷を解く術がある』

 

 

魔物とは思えない荘厳な声と共に、所長は魔族の魔法を解除可能と断言する。

だけど、この魔法が奴の固有魔法だとすれば、並大抵の解析で破れるものじゃない。

所長は幻影に特化した魔物のはずだ……取れる手段なんて限られている。

 

 

そう思っていると、所長の手に本が一冊現れる。

使い込まれた合金の表紙、金の箔押しで刻まれた聖印――間違いない。

え、まさか……アレって――

 

 

 

 

『意識の明晰』

 

 

 

所長の声が霧一帯に広がっていき、手にした本から神々しい光が溢れ出る。

温かく、柔らかな光だった。まるで夜明けの陽光のように、闇を優しく払っていく。

 

 

信じられない光景だった。魔物が、聖典を手にしている。

子供たちの眼に光が戻っていく。虚ろだった瞳に、生気が宿り始めた。

 

 

「ば――巫山戯ておる、貴様……魔物が何故女神の魔法などと」

 

『奇跡に必要なるは三つの支柱。信仰心を宿した魂……加護を受けし肉体……聖典の所有権。私は己が信仰心により女神に認められた。しかし……真に偉大なるは、女神の寛大なる慈悲と御心なり』

 

 

僕は魔法から解放された子供たちを、魔族から遠ざけるように運んだ。

幸い魔族は所長を警戒していて、こちらの事など見てすらいない。

だけど、どうしよう……子供たちがグズりだした。

あんな化け物を目の前にしたら仕方ないけど、こんな所で泣き叫ばれたら収拾がつかない。

 

 

焦る僕を置き去りにするように、状況は進む。

霧の立ち込める方から数人の人影が歩いてくる。それを見た子供たちが一瞬泣き止むと、一斉に駆け出していった。

 

 

「あ――ママぁ!怖いっここどこなの」

 

「落ち着いて……ママは此処よ。何も見る必要はないわ、全部終わるまでママが抱きしめててあげるから」

 

青白くて半透明だけど……優しい笑顔で子供を抱きしめている。

敵じゃないのか?もしかしたらあの魔族の隠し玉かもしれない。

 

 

「――おい、新入り。止めろ……アレは所長の幻影だ」

 

「せ、先輩生きてたんですか!?」

 

「勝手に殺すなよ。ま、死にかけたが所長がいたからな……寧ろ若返った気分だぜ」

 

 

僕が剣を握りしめて半透明の集団に近づこうとすると、背後から肩を掴まれ引き戻される。

振り向くとそこには、僕を庇って吹き飛ばされた先輩がいた。傷はなく、血色も良い。さっきまで肋骨が折れていたはずなのに。

 

 

「怪我一つ無いですね……それにあの幻影、明らかに実体がありますが本当に幻影なんですか?幻影鬼の幻影は記憶を読み取って見せるだけなんじゃ……」

 

「まぁな、幻影鬼の魔法はそれで間違っちゃいねぇよ……ただ勘違いしてんのは、それが生まれ持っての固有魔法ってだけだ。要は魔族と同じで、鍛えれば鍛えるほど研鑽されていくってことだ。あれには、実体も体温もある……後は違和感が出ないように餓鬼共の認識を完璧に誤認させてるって所かな」

 

「幻影の域を超えてませんか……」

 

「俺にもよくわからん。この霧そのものが所長の身体の一部みたいなもんだからか……魔力も碌に無いやつなんて、所長が本気を出せば五感すら意のままよ。地下の罪人なんかは日頃それで酷い目に合わされてるぜ」

 

「こんなの、幻影鬼(アインザーム)の戦い方じゃない」

 

「まぁな、あの街でトップを張る方々はだいたいどこか可怪しいから今更だろ」

 

「それも……そうですね。それと先輩――すみませんでした。あれは僕の判断ミスです」

 

「気にすんな、新入りなんだからこれから経験を積んでいきゃいい。それに俺も命の保証があったからこその行動だしな」

 

「命の保証……あ、もしかして所長のことですか。え……もしかして来る途中の馬車で見かけたのって所長!?」

 

「あぁ。あの方は新人で死人が出るのは絶対許さないからな。危険な任務出ようとする血気盛んな新人には、あんな風について回るんだよ」

 

「なんでそこまで……経験の浅い僕が無理を言っただけなのに」

 

「聞いてりゃなんとなくわかんだろ。なりは魔物だが職務には実直、厳正厳粛を地でいくような方だからな……お前も部下を持ったら気をつけろ。新人いびりとかした日には即所長室に呼び出されるからな」

 

「先輩……やったんスか。新人いびり」

 

「交流を深めようとしただけなんだがな……。呼び出された時はマジで怖かったわ」

 

 

尊敬出来る先輩の黒歴史は聞かなかったことにしよう。

そんな気の抜けたやり取りをしている内に、所長の幻影が子供たちを誘導し、白い霧の中へと消えていく。優しく手を引かれた子供たちの泣き声が、次第に遠く、霞むように薄れていった。後には仄かな温もりの残滓だけが、霧の中に漂っているような気がした。

 

 

僕は魔族と所長の方へと向き直り、何時助太刀しようか考える。

いくら所長の幻影魔法が凄くて女神様の魔法が使えても、戦闘向きじゃない。

奴の頑丈な皮膚を破り骨を断つには、決め手が足りていない。

 

 

「おい……余計なこと考えるなよ新入り。危ねぇから下がるぞ……所長に燃やされかねん」

 

 

先輩は剣を握ろうとする僕の襟を掴んで後ろに引っ張っていく。

 

 

「え、ちょ」

 

 

先輩の力が強く、僕は抵抗虚しく引きずられた。

直ぐに戻ろうにも先輩が手で制止して通してくれない。

 

 

「大丈夫だとは思うが一応防御魔法を展開しておくぞ」

 

「え、はい、ありがとうございます。でも奴の蛇はここまで――」

 

「所長の方だ。あの魔剣が出たら、巻き添えで焼け死ぬ」

 

 

先輩の声には冗談の色がなかった。

 

僕は仕方なく、何時でも飛び出せるように剣を構え、所長達の様子を注意深く伺った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御託ばかり並べおって。答える気がないなら疾く死に晒せ」

 

 

所長の話に痺れを切らした魔族は、尻尾の大蛇を操り勢いよく突撃させる。

所長はそれを正面から受けることはなく、防御魔法を斜めに展開し、絶妙に大蛇の軌道をズラして対処した。

 

『私は汝の罪を定かとし汝を試す者……そして既に判決は決まった。汝は罪人……罪ありき』

 

「小賢しい……人間の魔法なんど使いおってからに」

 

『だが女神の摂理の中で息絶える慈悲を汝が賜ることは永劫ない。我は監獄の主、貴様は我が檻霧の中でその生を終えよ』

 

 

所長が手にした聖典を仕舞い込む。

 

 

――な、なにやってるんですか所長、女神の魔法も無しにどうするつもりですか。

 

 

『悲しみ暮れる必要はない、心さえ天であったなら奈落も厭うには及ぶまい』

 

 

消えた聖典の代わりに現れたのは、煤けた真っ黒なロングソード。

切れ味どころか、今直ぐポッキリ折れても不思議じゃないボロボロの剣だった。

 

 

「――来るぞ」

 

 

先輩が呟き、僕の前に出て防御魔法を重ねがけする。

 

 

――ジュゥゥゥゥゥッ!!

 

 

水が蒸発するような、凄まじい音が響き渡った。

え、水?こんなところに水辺なんてないぞ。

音のする方へと向き直る。するとそれは、所長の手にした剣から出ていることがわかった。

 

 

ただ空気に触れているだけなのに、絶え間なく水蒸気のようなものが立ち上っている。周囲の水分が瞬時に蒸発しているのだ。

 

 

刀身は熱した鉄のように芯から真っ赤に輝き、刻まれた幾何学模様の文字が脈打つように明滅していた。空気が焼ける匂いが鼻を突く。パチパチと弾ける音が絶え間なく響き、肺に吸い込む空気すら灼熱を帯びていた。息をするだけで喉の奥が焼けるようだ。

 

 

軽く剣を振るうと、周辺の木々が一瞬で燃え上がり、即座に炭化と灰化を経て崩壊する。

所長の足元の地面が赤熱し、一部はドロドロと溶け出しマグマのようになっていた。

結構距離があるはずなのに、僕の周辺の草がチリチリと焦げるほどの熱量だ。防御魔法越しでも、肌がヒリヒリと痛む。

 

 

「あれは魔導具と武器の中間……炎系系統の魔法を放出することなく一点に押し込めるだけの魔剣だ。そんで溜めに溜め込んだ熱量が物体と接触した瞬間、弾け飛ぶ」

 

 

先輩が低い声で説明してくれた。

 

 

「自分ごと丸焼きにする火炎放射だ……あのローブは耐火性だがそれ以外は生身だ。所長は実質全身を焼き尽くしながら戦っている」

 

「どうしてそんな……」

 

「あの剣がデメリットを取り除けない程度には滅茶苦茶な代物ってのもあるだろうが、所長自身は罰だなんだと言ってたから、あの行為自体になにか意味があるのかもしれないな」

 

 

ユラリと暗闇の中に刀身の残像を残しながら、所長は脇構えを取った。

魔族はそんな所長に臆するどころか、大蛇を差し向け噛み殺そうとする。

 

 

「……その程度の玩具で儂の蛇の鱗が溶けるとでも――ッ!?」

 

 

瞬間――世界が閃光に飲まれた。

 

 

所長が大蛇を迎え撃ち剣を振るった所までは見えた。ただ剣身が蛇に触れた後からは、眩しすぎて一切見えなかった。

 

 

光に焼かれた目が回復して直ぐに見えたものは、魔族の無惨な姿だった。

金属の鎧のように輝いていた鱗や筋肉の詰まった胴体は見る影もない。全てが融解しつくされ、液状と化した大蛇の成れの果てがそこにはあった。焦げた肉と溶けた金属の混じった、胃の腑が捩れるような臭いが漂ってくる。

 

 

「な、なんですかアレ」

 

「言ったろ。溜めに溜め込んだ熱量が物体と接触した瞬間、弾け飛ぶ……ああなるってことだ」

 

つまり魔法を込めれば込めるだけ強力な一撃を打てるわけだ。

だけど……――

 

 

「所長の手……」

 

「見るな。いつものことだ」

 

 

魔族が叫びながら爪を振るう。巨大な手が迫る中、所長は優雅な所作で剣で空を裂いた。

蜃気楼のような不可視の刃が魔族の両腕を通過する。

その直ぐ後には魔族の毛が発火し、腕が綺麗な断面と共にドロリと溶け落ちた。

 

 

「待て!?貴様程の存在であれば国を堕とすことも可能だろう!どうだ儂が配下になってやる、儂と貴様の力があれば魔族と魔物の時代が再び取り戻せるぞ!」

 

 

所長は命乞いを始めた魔族の眼前に剣を突き立て、掌を組み合わせ、魔族を冷酷に見下ろした。

底なしの闇のようにポッカリと空いた穴には、燃えるような信念の炎が灯されていた。

 

 

『種の繁栄は必要ない、種の栄華を得る機会も必要ない、私は私としての個に殉じ終わりを迎えると誓いを立てている』

 

「なんの権利があって魔物の貴様が儂を手に掛ける」

 

『私の正義は全て女神の経典に準ずるもの。公平であり公正……故に宣告する。汝に贖罪の機会は訪れない』

 

「貴様もこれまで人間を喰ってきたのだろう……人間共の法だと?笑わせるな」

 

『否定せぬ。私もまた罪人……これまでも、そしてこれからも人を喰らわねば生きられん怪物だ。いずれは奈落に落ちるが定め。だが私は女神の慈悲を得た……これを今を生きる贖罪の機会として考える』

 

「意味のわからんことばかりほざきおって……」

 

『女神は平和を願っている……私は私なりの信念に則り人々へと安寧の時を齎し、女神の記した摂理に則り罪人に罰を下す。それこそが私が私に課した贖罪だ』

 

「狂った魔物が」

 

『汚れし器は我が炎で清めよう。――kyrie eleison(女神よ憐れみたまえ)……汝の魂に救済があらんことを』

 

 

【挿絵表示】

 

 

地面へと突き立てられた剣先により、地面が溶け出しゴポゴポと泡立ち始める。

際限なく溜め込まれた熱量を宿した剣を抜き放つと、所長は流れるように平突きの構えを取り……

 

 

――魔族に向け突きを放った。

 

 

 

 

MAVERICK JUDGEMENT(ゾルトラーク)

 

 

 

 

その瞬間、剣先から大地を焼き溶かし尽くす青白い光線が放たれる。

地形を変えるほど強力無比な一撃。

赤く熱される射線上には消し炭一つ残ってはおらず、あれだけ大きかった魔族は跡形もなく蒸発して消し飛ばされていた。

 

 

後には、焼け焦げた大地と、立ち上る煙だけが残された。風が吹き、灰が舞う。あれほど巨大だった魔族の痕跡は、もはやどこにもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

僕は所長の安否を確かめるため急いで駆け寄る。

 

 

「あの所長……大丈夫ですか?」

 

『問題ない。魔力による最低限度の保護は常に行っている』

 

 

そうは言うが、所長の手の皮膚はドロドロに溶け、ゲル状になっていた。青白い肌が赤黒く焼けただれ、見ているだけで痛々しい。

 

 

再び煤塗れに戻った剣を虚空に消すと、所長は聖典を取り出し、焼けただれた己の手にかざした。淡い光が傷口を包み込む。ドロドロに溶けていた皮膚が、まるで時を巻き戻すようにゆっくりと形を取り戻していく。その間、所長は微動だにしなかった。痛みなど、とうに慣れているのかもしれない。

 

 

「あの、一つ質問してもいいでしょうか所長」

 

『ノイリング、遠慮することはない。言いたいことは全て聞こう』

 

 

え、名前憶えててくれてるのか。

先輩は憶えてすらいなくて新入りとしか呼ばないのに。

どうしよう……とても良い方だ、この所長。

今更ながら、胸の奥がチクリと痛んだ。出会い頭に逃げてしまったことが、どうしようもなく恥ずかしい。

 

 

「まずは謝罪を……初対面にも関わらず魔物だと騒いで逃げて申し訳ありませんでした!」

 

『構わない、私は魔物だ。汝が頭を下げる必要はない……質問を続けなさい』

 

 

全然気にしてなさそうだ。僕みたいな態度に慣れてると思うと、余計に胸が締め付けられる。

だがこれ以上言葉を重ねても迷惑になるだけだ。この後悔は、自分の中でだけ抱えていこう。

 

 

「わ、わかりました!どうして怪我をしてまでご自身の手で殺したんですか?僕たちに声を掛けてくれればもっと安全に倒せたかもしれないのに」

 

『汝の言葉には正当性があり、私の行動は極めて不合理だ……認めよう。だが私は女神の名を出し奴を罪人とし刑の宣告を下した。己が言動には責任が伴う』

 

「だからご自身だけで手を下したと?」

 

『私は常に己が正義が正しいか女神に問いかける必要がある。時には私の主観を元に罪人の裁量を決めねばならん。我が剣は罪人を清める炎。一度振るえば身を焼き皮膚が焼けただれる、治療無くしては再び剣を振るうことは許されん』

 

「つまり……所長の判断が女神様的に正しいかどうか判別する為にやってるんですね。もし女神様が天から所長を見ていて、正しくないと判断したら加護が消えて治療も出来なくなる。二度と剣を握れなくなって、所長の正義が間違ったものだと女神様に直接言われることに等しいと……」

 

『限りなく肯定に近い』

 

 

重い沈黙が流れた。

自らの身を焼きながら罪人を裁き、その判断が正しかったかどうかを女神に問う。間違っていれば、傷は癒えず、二度と剣を握れなくなる。

それは――途方もない覚悟だ。

 

 

『愚者であることは認めよう。だが罪人である私が、罪人を裁く資格があるのか……私はそれを問いかけ続けねばならん。人を喰らいながらも贖罪を続け生きる資格があるのかをな……』

 

「すみません、所長……実は僕無神論者でして。女神様の存在にもどこか懐疑的で……正直に言えば信じてないんです」

 

『私の信念を汝に押し付ける気はない。何を信じようと誰を信奉しようと汝は汝が思うがまま正しいと思う道を征け。私は所詮獣だ、獣の言う戯言に影響される必要はない』

 

「所長は立派だと思います。僕も所長のように多くの人を助けれる人間になりたいです」

 

『……そうか』

 

 

所長の声が、少しだけ柔らかくなった気がした。

 

 

『ではなノイリング、これからの汝の活躍と飛躍を願っている。女神様の加護があらんことを……』

 

 

所長は僕の頭に手を置いて神父のような言葉を呟くと、霧と同時に消えた。

その手は治療が終わったばかりで、まだ少し赤みが残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先輩は先に村に戻り、魔族に操られていた子供達の身元を調べ、数日後には監獄から馬車が手配されそれぞれの場所に送られていった。

 

住んでた村の壊滅が確認されていたり、身元が分からない子供達は街で預かり。

身元の判明している子供達はそのまま元いた場所へと送り返された。

 

 

この日を境に、僕の茫然とした夢は明確なものとなった。

幼い頃から物語の勇者に憧れていた……だけど実際に多くの子供を救う姿を間近で見て、僕は所長のような方になりたいと思った。

 

 

聖都の僧侶より狂信者っぽい所は怖いけど、自分のことを罪人だ獣だと卑下しながら人を救おうとする姿勢と心は、本物だったと思う。

 

 

だからこそ僕はそんな所長の心に惹かれた。

これからも一生ついていきますよ、所長。

 

 

任期終了後、監獄所に帰った僕は意外と僕みたいな奴が多いことに驚いた。

所長に命を救われ、その背中を追ってここに残った者たち。皆、同じ目をしていた。

 

 

あと、傷一つないのに労災と休暇が与えられた……工場務めの連中にでも自慢してやろうと思う。

どんな顔をするか見物だ。

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