ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第20話▶閑話▶黄金郷煽り

 

 

――城塞都市ヴァイゼ。

 

 

かつて北部高原において最大の人類圏と謳われたその都は、今や死に絶えていた。 人の吐く息も、足音も、煮炊きの煙も――生命の痕跡と呼べるものは、ただの一片も残されていない。

支配するのは、圧倒的な無機質だけだ。

 

 

鬱蒼と緑が茂る森林地帯。

その懐深くに、異物が鎮座している。黄金の塊。強力な認識阻害が施されたドーム状の大結界は、周囲の風景を歪ませながら不可視の壁を形成していた。 その境界へ、一人のエルフが歩み寄る。

 

 

「眩し……」

 

 

思わず目を細めた彼女の名はミリアルデ。

首筋を覆う金糸の髪が、結界から漏れる光を受けて鈍く輝いている。透けるように白い肌、長く尖った耳。エルフの特徴を余すところなく備えた女だった。

遠路はるばるシンビオシスからこのヴァイゼまで、結界内に閉じ込められた大魔族を煽るためだけにやってきた、救いようのない暇人である。

 

 

いつもであれば、結界の外に腰を下ろし、安全圏から街の支配者が現れるのを待つ。

だが今日は違った。対魔族に特化したこの檻――その内側へと、自らの意思で足を踏み入れていく。

 

 

湿った森の空気を抜け、黄金に染まった街中へ一歩。 途端、世界が変わった。

 

石畳も、壁も、窓枠も、街路樹さえも――すべてが黄金に塗り固められている。金属特有の冷たい匂いが鼻腔を刺し、不自然なほどの静寂が耳を圧した。生者の温度を完全に喪った、巨大な墓標。

 

その黄金の街並みの中から、一つの人影が浮かび上がった。

 

見上げるほどの長身。厚みのある体躯。赤髪をオールバックに撫でつけ、頭部には大きな二本の角。 彼こそが、この城塞都市ヴァイゼとその周辺の村々を黄金へと変えた張本人――七崩賢、黄金郷のマハト。

 

 

「どういうつもりだ……そこの侵入者と同じ様に、惨たらしく殺されにきたのか」

 

「久しぶり、マハト。ソリテールと一緒に来て以来だから三ヶ月ぶり……ちなみに私は一月前にも来たわ」

 

 

ミリアルデの視線の先には、全身が酷く損傷し、苦悶の表情を浮かべたまま黄金像と化した死体が転がっている。 彼女はその無惨なオブジェを一瞥もせず、友人に会ったかのような気軽さで挨拶を投げた。

 

 

マハトは、数ヶ月に一度ソリテールと共に訪れては結界の外から散々煽り散らして帰っていくこの女エルフを見据え、気怠げな――しかし確かな殺気を放つ。

 

 

「争いは好まないわ」

 

 

いつもなら決して結界内には入らない女が、なぜ自身のテリトリーにまで侵入してきたのか。

マハトは訝しげに眉を寄せた。

 

 

「それは俺も同じだ。だが、お前は俺が人間達への警告代わりに置いた死体を、そうと知りながら無視し、街へと侵入した。俺の平穏を乱す奴は殺すと決めている。お前は線引を超えた」

 

「私が結界近くまで来ても無視するでしょ」

 

「いい加減、お前の戯言に付き合うのはうんざりだ。ソリテールの友人だからと話をしたが、何一つ新しい知見に繋がらない」

 

 

マハトがソリテールからミリアルデを友人として紹介されたのは、数年前のことだ。

彼女はマハトが人間の心を知り、共存のヒントになるかもしれない人物だと――ソリテールはそう言った。

 

 

だが実のところ、「共存」などという魔王と同じ危ない思想を持つマハトに、本気で人間を理解させようなどとは微塵も考えていなかった。 というより、汚泥のように濁ったナチュラルクズであるミリアルデと対話させることで、その考えを改めさせる気満々だったのだ。

 

 

かつてミリアルデは、マハトに叶えたい望みと、これまでの行動を聞かせて欲しいと頼んだ。

マハトは言われるがままに語った。魔王の命令で滅ぼした村落、そこで牧師が最期に放った言葉がきっかけとなり、人類に好意を持ったこと。魔族が知らない「悪意」や「罪悪感」を知りたいと思ったこと。

理解さえすれば人類と魔族は共存できるかもしれないと考えたこと。感性の違いを理解するために人類と対話を重ね――そして殺し尽くしたこと。

 

 

ミリアルデがヴァイゼへ訪れる度、マハトは少しずつ語って聞かせた。

 

 

しかし、話を聞き始めた当初こそ真剣に耳を傾けていたミリアルデだったが、マハトの実験や行動を聞いていくうちに、その態度は露骨に冷めていった。

あろうことか酒を片手に適当な相槌を打ち、しょうもない煽りを入れてくる始末。

 

 

真面目に聞く素振りを見せないミリアルデに対し、マハトの中は虚無感だけで満たされていった。何一つ、追い求めるものに近づいている気がしない。

律儀に話を最後まで語り終えた後、マハトはミリアルデが結界の外へと近づいてきても、一切の反応を示さなくなった。

 

 

そうして今日もいつものように結界の外へと突然現れ、無視を決め込もうとした矢先――ミリアルデは結界内へと、極めて自然な様子で入ってきたのだ。

 

 

一体何を考えているのか。

既に黄金化の射程圏内だと理解しているはずだというのに、その歩調は乱れず、街の中心へと向かい、今現在こうしてマハトと対面している。

 

 

「えぇ……ただの道楽だもの」

 

「そうか。無駄な時間だったな」

 

 

不愉快な存在が、わざわざ手の出せない結界の外から内に入ってきた。

ならばやることは一つ。殺すだけだ。

 

 

マハトは肩に掛けたローブを黄金化させ、剣の形へと再構築する。無造作にミリアルデへと歩み寄り、黄金の剣を振り上げる。 しかし、次の瞬間。

 

 

「それと――貴方が本気で人の心を知ろうとしてないから」

 

 

マハトの動きがピタリと止まった。

 

 

「なんだと?」

 

 

本気ではない。

確かにそう言った。マハトの内に、怒りにも似た静かな困惑が満ちる。

 

 

「その生をかけて真に望んでいると断言できるかしら。貴方が全てを捨ててでも、望むべきもののために行動していると」

 

「当然だ。人間を殺し、殺し合わせ、長年特定の人間との関係を築いた。悪意を知るために命すら賭けて『支配の石環』をはめた……これまでお前に語った全てを聞いていなかったとでも言うつもりか?」

 

 

本気で言っているのか――と言わんばかりに、ミリアルデは深く溜息を吐く。

 

 

「……呆れた。人間を理解したいと望んでいる魔族が怠けていて、最初から諦めている魔族が一番頑張っているだなんて皮肉ね」

 

「誰のことを言っている?」

 

「貴方とソリテール」

 

 

今度は反対に、マハトの方が「なに言ってんだコイツ」と言わんばかりの視線をミリアルデへと向けた。 そして何でもない動作で剣を振り下ろす。

 

キンッ、と硬質な音が響く。

ミリアルデは六面の防御魔法を展開し、一枚を束ねるように棒状に連続展開、黄金の刃を弾き返した。

 

 

「どういうことだ? ソリテールに人類に対する好意などない。共存など嘲笑と共に吐き捨てる奴だ」

 

「そうね。ソリテールは人間を餌だと思っているし、人類と魔族との共存は不可能だと断言しているわ。だけど……人類の理解、魔族との共存、それに一番近いのは貴方ではなく彼女で間違いないわ」

 

 

ミリアルデはソリテールの反応実験に付き合わされた日々を思い出し、げんなりとした表情を浮かべた。

 

ソリテールは人類の内面を擬似的に再現するため、街の住民に片っ端から話しかける。

返ってきた反応から推察と予測を行い、最後にミリアルデで答え合わせをするのだ。

驚いたことに、ここ最近のソリテールの人間理解は、既に人類の子供と遜色ないほどにまで成長していた。

 

 

ミリアルデが試しに「どうやってその考えに至ったのか」を問うてみた。

すると魔法術式、構築イメージ、対人戦での間合い、魔族戦での意識の違い――脈絡のない内容が次々と飛び出す。

数十分の長話と紆余曲折の果てに、やっと心の名称が出てきた。 ミリアルデは話を途中から一切聞かず、シンプルにこう思ったものだ。……精神構造がイカれている、と。

 

 

いつになく神妙な雰囲気を漂わせるミリアルデに何かを感じたのか、マハトは黄金化した剣をローブに戻し、棒立ちになった。

 

黄金化した噴水が、音もなく二人を見下ろしている。かつて水が踊っていたであろう場所には、金属の飛沫が永遠に固定されていた。

 

 

「いつもと違うな、はぐらかさず俺の質問に答えている。なにが目的だ、言ってみろ」

 

「私は生涯を賭けて何かに打ち込んでいる人が好きなの。だから貴方の間違いを正してあげる」

 

「お前に俺が行ってきた経験以上の価値をこの場で出せるのか? わかっているとは思うが、無価値と俺が判断した時点で、お前を殺す」

 

 

ピキ、とミリアルデの足元から硬質化する音。 試しに足を上げようとするが、靴裏が地面と一体化して離れない。逃がす気はないらしい。

 

しかし、そんな状況下であろうとミリアルデの表情は一切変わらず、どうでもいいとばかりにマハトを見上げる。

 

 

「容易いわ……ソリテール達を数年間側で見てきた私だから言えるの。貴方のこれまでの努力に意味なんてない」

 

 

マハトが人類に好感を持った日からの話を全て聞いた上での断言だ。 それらの行動全てに、意味はないと。

 

 

「――実に面白い。話を聞こう……俺の行いが無意味と断ずるのなら、その間違いを正してみせろ」

 

 

マハトの口元が少し釣り上がる。

この危機的状況で、ここまで自信を持って自分を否定するミリアルデに、彼は興味を抱いた。

 

 

「最初に聞くわ。……魔族である貴方が人間を理解すること、魔族と人間の共存が実現すること。貴方の望みはこの二つで間違いないわね」

 

 

自身の抱える望みを問われ、マハトは迷うことなく頷く。

 

 

「あぁ」

 

「欲張りが過ぎるわね」

 

 

ミリアルデは黄金化した街路樹を指先で弾いた。カン、と乾いた金属音が虚しく響く。

 

 

「どちらも長い生を費やした上で奇跡でも起こらない限りは不可能だとは思わないの? 本気で叶えたいと願うのなら、片方に注力すべきよ」

 

 

本来持ち合わせていない器官を、無から自力で捏造しようとする「内面の理解」。捕食者と被食者という絶対的な食物連鎖を覆し、生態系そのものを書き換えようとする「共存の実現」。 具体的な設計図も、成功への道筋もないまま、彼は二つの異なる「不可能」を同時に成し遂げようとしている。

 

 

「それらは延長線上で繋がっている。人間を理解した時、人類と魔族が共存できるかは自ずとわかるはずだ。感性の違いを正しく理解すれば打開策を編み出すことも出来る、共存の道もいずれは見つかるかもしれない」

 

 

マハトの返答を聞いた瞬間、ミリアルデは隠そうともせず露骨に眉を顰めた。

一見すれば道理の通った美しい道筋に聞こえるかもしれない。だが、尋常ではないソリテールの執念を間近で見てきたミリアルデからすれば、「舐めているのか」と唾棄したくなるほどの甘言だった。

 

 

どちらか片方だけでも、万に一つの可能性すら掴めぬ茨の道だ。

それなのにマハトは、その両方を手に入れようとしている。一方を捨て去り、退路を断って残り一つに全霊を懸ける――そんな覚悟も気概も、今の彼からは欠片ほども窺えない。

 

 

「だけど選択肢は限られてくる。魔族のまま人間を理解したい……だから魔族ではないナニかになってまで理解しようとはしない。確かにその道は繋がっているけど、それは無意識な制約に縛られているのと同じことよ」

 

 

マハトには足りないのだ。

ソリテールとフルーフが互いに向け合う、あの身を焦がすような偏執的な執着が。欲しいものを手に入れるためなら、自分という存在が変質することさえ厭わない――その異常性が、彼には決定的に欠けている。

 

 

マハトの思想は高潔で異端だろう。だがその実、行動は保守的な魔族そのものでしかなかった。彼は自分の精神を解体しようとも、脳を直接弄ろうともしない。

精神が崩壊するギリギリまで思考を掻き乱し、再構築するという荒療治など、想像すらしていないだろう。

 

 

だからミリアルデは断言できる。人類の感情をいくら観察しようと、 外からの影響だけでは無意味だ、と。

 

 

マハトは自らも犠牲にしてきたと語る。だが、その犠牲の主体は常に「自分以外」にあった。他人の言葉に従い、状況に身を任せ、魔導具に命を預ける。しかし「マハトという精神」そのものには、何の変革も起きていない。

 

魔族としての絶対的な本能。今の自分という完成された個。それらを捻じ曲げ、破壊するという選択肢が、彼の中には最初から存在していないのだ。

 

ソリテールのやり方は違う。 彼女にとって観察とは、自身の内側に「人間の心」と似たナニカを作り上げた後の、研鑽と仕上げの工程でしかない。

 

 

「意味が理解出来ない。俺の行動以外でどうすれば魔族が悪意を知れる……人類の悪意に浸り情報を蓄積してきた。そして人類の友を作り、時間を掛け罪悪感を知るための下地を準備してきた。奴を殺せば理解できると俺は考え――

 

「不可能よ」

 

「――なに?」

 

「マハト。魔族という生物には、『悪意』や『罪悪感』を受け取る感性なんて最初から備わっていないの」

 

 

ミリアルデは淡々と続ける。

 

 

「貴方が追い求めているそれは、誰の言葉? 誰の知識? ……全て人類が作った言葉よ。貴方が本当にそれを知りたいなら、借り物の言葉じゃなく、自分の中で似た概念を見出すしかないわ。魔族と人類は、似て非なる全く別の生き物だと理解しているでしょ」

 

根本的な前提が間違っている。

マハトが知ろうとしている悪意や罪悪感は、人類の魂と脳から生まれた感情を言語化した名称だ。

個体差はあれど、再現性は極めて安易。人類は同族殺しに強い嫌悪と罪悪感を抱く、故に人を殺せば大半の人類は罪悪を感じ取る。

 

ハードを人類。ソフトを感情に見立てるのであれば、大半の人類はこの感情というソフトを再生出来るのだ。

だが魔族が再現できるものではない。不可能だ。そもそも根本のハードが違うのだから。

マハトがしている行為は、ビデオプレイヤーの挿入口に、ディスクをガチャガチャと押し込もうとしているのと同じだ。

 

 

同じ料理を食べても、味覚を持たない者には味などわからない。皆が美味だと賛美する料理、誰もが不味いと吐き捨てる泥水――それを我武者羅に腹に詰め込み続ければ、いずれ他の大勢と同じように共感できるようになるのか。

 

――そんな訳がない。

 

「グリュックは人類の悪意を教えると言い……俺はそれに従ってきた。それも全て無駄だと言いたいのか?」

 

「彼から出された条件を、本気で信じたのね」

 

 

ミリアルデの声に、初めてかすかな呆れが滲んだ。

 

 

「魔族の精神構造も理解できない人間が、誰に何を教えるというの? 彼は確かに貴方という個体を熟知していたようだけど、魔族という種に新たな概念を芽吹かせる領域には到底及んでいない。貴方が一番よくわかっているはずよ。未だに悪意は理解できず、人類に関する知識という名のゴミが増えていくだけ。貴方に必要なのは他者の教えではなく、自力で思考する頭ね」

 

 

マハトの語る追憶の中で、ヴァイゼの領主グリュックは言った。何が正義で何が悪か、私が教えてやる。その通りに行動すればいずれわかるようになる、と。

 

知らないことは知っている者から教えを乞う。それは人類にとっての理だ。だが、魔族が人類の悪意や罪悪感を知りたいがために人類に教えを乞う。これは致命的に間違っている。

 

概念がないということは、それが生まれる土壌そのものが存在していないという意味だ。不毛の荒野にいくら水を撒いたところで、種がなければ芽が出るはずもない。

 

 

必要なのは、度を越えた執念だ。 ソリテールのように、人間が生み出した精神魔法を独自に改良し、何度も自身の魂に躊躇なく刻み込む、振り切れた異常性こそが必要なのだ。

 

 

畑に種がないのなら、似て非なる全く別の畑から強引に根を伸ばし、悪意や罪悪感という名の荒野に無理やり花を咲かせる。

味を感じないというのなら、大多数が拠り所とする味覚を完全に切り捨て、他の五感全てを総動員して「美味い」という幻覚を脳髄に焼き付ける。普通でない自覚を持ち、自らの足で常識の道を外れ、限りなく本物に近い、他者と共有できる程度の「常識」を編み出すのだ。

 

 

ミリアルデがソリテールを観察してきたこの数年。

彼女は日常的に自らの思考を客観的に解剖し、その過程と魔族特有の思考の癖を見出しながら、気の遠くなるような試行錯誤を繰り返してきた。

 

 

フルーフと契りを結んでからは、その傾倒ぶりに拍車がかかった。魔族が持ち得る概念という素材だけで、人類を模した思考の迷宮と論理の回廊を作り上げていく。それらを街の住人すべてに試し、実証を繰り返す日々。

 

 

ソリテールは学習という名の彫琢を繰り返した。その内面に張り巡らされた擬似的な神経網が、人類の精神がなんたるかを着々と学ばせていく。

 

 

いずれは本物を凌駕するであろう、至高の贋作。 大魔族ソリテールはいつの日か、人類が当たり前のように感じるそれらを、本当にその手に掴み取るのかもしれない。

 

 

世代を経ず、自身一人のみで数段飛ばしに単一の進化を果たそうとする異端の魔族。理論も通説も常識も何もかもを置き去りにし、フルーフという人間を絶対に逃さないためだけに全てを超越していく化け物……それがミリアルデが見てきた、ソリテールという女だ。

 

 

いや……あれは既に魔族なのかさえ怪しい。

 

 

ミリアルデは希薄な内面の奥で、不意に恐怖を感じる。

時々ソリテールを完全に人類として見てしまうことがある。話が普通に通じる、何気ない内面の動きを共有できてしまった時……それが異常であり、相手が魔族であったことを思い出すのだ。

 

 

人間を欺く生まれ持っての技術……そんな生温いものでは断じてない。本性は魔族でありながら、完全に人間を演じきっていた。魂そのものに人間の皮を被っていると表現してもいいほどの擬態能力。

 

 

マハトが本当に自力で悪意や罪悪感を感じたいのであれば、ソリテール並の思考回路が必要だ。できるかできないかは問題ではない……それができれば、自分自身で求めるものに辿り着くことができる。

 

 

「思考か……お前も人類だろう、俺になにか特別なものでも教えられるのか。罪悪感や悪意を魔族にも感じられるよう、言語化でもしてくれるのか」

 

「悪いけど、私が教えられるのはとても抽象的なもの。私も人類だから具体例を口にしたところで、貴方には正しい意味で伝わらないし、理解できない。人類からいくら言語化した悪意や罪悪感を聞き出そうと、既に貴方が得られるものはなにもないと思うわ」

 

「俺の考えをソリテールのように端から否定するつもりしかないのなら、これ以上は無駄だな。早くお前の考える、魔族が悪意を知れる方法を教えろ」

 

「私から見て、ソリテールは既に人間の内面の大半を自分なりに噛み砕いて理解し始めているわ。貴方が知りたいと思う悪意も五割方正しく理解し……その曖昧なものを内側で作り出すこともできている。貴方にはソリテールが持つ、自分以外の他者への病的な執着がない。貴方達の違いはそれだけ」

 

「他者への執着だと、そんなものが本当に必要なのか?」

 

「えぇ。別に執着である必要はないけど、強い衝動は必須ね。魔族の本能を黙らせるだけの強迫観念にも似た強い衝動……ソリテールが人類を理解し始めたその方法を教えてあげる。確か……貴方は悪意を知るためなら死すら厭わないと言っていたわ……本当?」

 

「本当だ。俺は悪意を知れるのなら死んでもかまわない。『支配の石環』が俺の命を奪った時……俺は正しく悪意を理解できたことを意味する。むしろ自身の死が待ち遠しい程だ」

 

 

これは……面白そうだ。

マハトの言葉を聞いたミリアルデは、ほんの微かに、小さく口元をピクつかせる。

 

 

「そう。ならテストしてあげる」

 

 

ミリアルデはマハトへと、自身の利き腕を差し出した。

マハトは意味がわからず、怪訝な表情を浮かべる。

 

 

「なんのつもりだ」

 

「この手を貴方の魔法で黄金化させてみて」

 

「何を企んでいるかは知らないが……後悔しないことだ」

 

 

ミリアルデの衝撃的な申し出に、マハトはなんの躊躇もなく差し出された腕を掴んだ。

徐々にミリアルデの指先が血色を失い、冷たく硬質な黄金へと姿を変えていく。ひんやりとした金属の重みが、肩へと這い上がってくる。

 

肩まで黄金化すると、マハトは手を離し、「どうする」と言わんばかりにミリアルデを無言で見つめた。

ミリアルデは黄金化した腕をコンコンと呑気に叩き、腕の調子を伺うと――

 

 

「――直ぐに解除できるから、後悔なんてしないわ」

 

バキッ。

 

乾いた破砕音が響いた。 既に骨の芯まで黄金と化しているはずの掌を動かし、握りしめる。黄金が安っぽいメッキのようにボロボロと崩れ、魔法が崩壊していく。

剥がれ落ちた金片の中から、先程までと一切変わらない色素の薄い肌が顔を覗かせた。

 

 

マハトはそれを見た瞬間。

 

 

キィンッ! 甲高い音が黄金の街に鳴り響く。

 

目にも止まらない速さで抜き放たれた剣が、ミリアルデの防御魔法を斬りつけていた。

 

 

「所詮そんなものね、マハト」

 

 

防御魔法の向こう側から、ミリアルデは冷めた声を投げる。

 

 

「私は貴方の間違いを正すと言った、そして一番欲しがっている知識を教えると仄めかせた。なのに貴方は私が魔法を解除した瞬間、殺そうとしたわね。理性ではなく本能で行動した……だから強い衝動が必要なの。貴方は死すら恐れないと言いながら、その時がくれば平気で逃げ出すわ」

 

 

七崩賢の魔法は魔力すら感知できず、人類の魔法とは文字通り次元が違う異質な魔法だ。

故に魔法ではなく「呪い」という別の名で称される理。

 

 

万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)』は、術者であるマハトでしか解けない。

城塞都市全てを人質とする呪いがマハトの命の価値を高め、人類に迂闊に手が出せない魔族と印象づけてきた。人類では解析不可能な代物であり、マハトの絶対的アドバンテージ。

 

それが、解析された。

この情報が人類に知れ渡れば、マハトは瞬く間に駆逐されるだろう。

 

呪い故の絶対性が崩された今……マハトの扱う『万物を黄金に変える魔法(ディーアゴルゼ)』は、ただの魔法でしかない。

感じたことのない劇的な危機感、魔族としての生存本能に抗う間もなく、マハトはミリアルデを殺そうとしたのだ。

 

 

「信じられん。呪いの解除に成功しただと。お前に呪いを解析できるだけの能力があったことを見誤った、俺の落ち度か」

 

 

マハトはミリアルデの発言と自身の無意識の行動に何か思うところがあったのか、それ以上の追撃は行ってこなかった。腕に嵌められた『支配の石環』を見つめ、沸き上がる殺人本能に抗うように利き手を押さえつける。

 

 

「気にする必要はないわ。解析したのは私じゃなくて、ソリテールの奥さんが地下に閉じ込めている魔族の成れの果て……。その魔族に頼んで解析させただけだから。私は魔法の専門家ではないし、魔族の魔法は魔族の専門家に解析してもらうのが一番楽よ」

 

「……」

 

「凄い殺気……そんなに自分の安全を優先したことに驚いた? それとも研鑽した魔法が破られたことに衝撃を受けているの? ふふ、私はやっと……少し楽しめたわ」

 

 

マハトは眉を歪め、苦いものを噛み潰したような表情を浮かべている。

 

 

ミリアルデはそんなマハトを見て、楽しげに目元に弧を描いた。

退屈しのぎの主菜としては不足だが、副菜としては十分だ。

 

 

今マハトは絶望、苦難、挫折……そんな数歩手前の淵に立っている。

この魔族の男が生涯をかけ、なにも得られないと理解した時、一体どれほどの愉悦を得られるのか。

 

 

「ソリテールが人間を理解し始めていると言ったな。……詳しく話せ」

 

「殺したくて堪らないようね…。なら聞かせてあげる……此処にくる前にソリテールに聞いたの、どうやって悪意を理解しているのか。意味がわからない部分が多いから、一字一句そのまま伝えるわ」

 

魔族にも人類と似たもの……侮辱や屈辱といった概念は存在する。

魔族にとっての誇りであり力の象徴たる魔力を隠蔽した騙し打ちなどが、良い例だろう。

 

 

この概念は、魔族が魔族として生まれた以上少なからず持ち得る、広く根付いた普遍の概念だ。

屈辱や侮辱を感じるということは、裏を返せばその行いが相手にとって屈辱的なものになると理解できるということ。

その行動を繰り返し……積極的に行うということは、人間で言うところの「悪意」に他ならない。

 

 

ソリテールはそこから数多の想像と連想を繰り返す。夥しい蜘蛛の巣のように構築された複雑怪奇な精神構造を経由して内面を変化させ、整え、より人間に近しいものへと持っていく。

当初は数日かかっていたものが、年を追う毎に早く、正確になっていった。

 

 

ソリテールは脳という肉体へのアプローチ、魂という精神へのアプローチ……思いつくがままに全ての実験を試した。

 

 

魔族として自然と弾き出される思考を全て否定し、思考を調整するための時間を設け、無意識レベルまで特定の癖を植えつける。

フルーフの魔導具を握りしめ、街を歩く。すれ違う人間達をただただ観察し、時にはインタビューを行う。そうして魔族には使用不可能とされる、人類が編み出した精神魔法すら断片的に使用し、自身の精神実験にも一切妥協なく取り組んだ。

 

 

気づけばソリテールの精神構造は、魔族とは思えないほど過密で複雑なものになっていた。

もはやソリテールの精神は一拍の間を置くこともなく、ある程度正確な人間の内面を導き出せるまでになり、その魔族にとって異常でしかない精神状態を、極めて自然に維持し始めている。

 

 

ミリアルデはソリテールが話した、常人からすれば意味不明な例えをそのままマハトへと語る。

同じ魔族でも腑に落ちないのか、どうにも要領を得ない表情で最後まで耳を傾けるも……時々思い至ったように顎に手を添え、熟考する素振りも見えた。

 

 

「貴方には是非、人間を理解するためだけに努力して欲しいわ。ソリテールは人類との共存は不可能と言い切るけど、それは現時点での魔族の話。彼女が教育している世代の魔族の子供は人間の心を持ち、既に共存は可能。その数を増やしていけば、過去は忘れ去られ、魔族と人間が自然に暮らす世界が訪れるわ」

 

 

だから欲張るな。一つのことに集中しろ。

まるでマハトを気遣い安心させるような語り口調だが、ミリアルデの内面に魔族に対する気遣いなどない。ただの利己的欲望を優先した、念押しである。

 

 

マハトは共存を目指し、人類を無感情に殺し尽くした。研究のための新種のモルモットを欲しただけのソリテールは、結果的に魔族と人類の共存を全く違う形で実現してしまっていた。

 

 

製造者であるフルーフの話によれば、しっかり性欲もあるらしく、繁殖の可能性は十分あるという。できないならできないで問題はなかった。そもそもソリテールとフルーフにとって、改造魔族は共存を目指したものでもなんでもないのだから。

 

 

望めば望むほど求めるものから遠ざかるマハト。求めるもの全てを切り捨てていたのに、全てを手に入れてしまったソリテール。

 

 

「共存が既に実現可能だと? 何故ソリテールは俺に何も言わなかった」

 

まさしく寝耳に水だった。

近頃のソリテールは定期的にやってきては、大結界の解析情報を紙に書き留めるだけの存在であり、そういった情報は一切口に出していなかった。

街を作ったことと結婚したことは聞いていたが、マハトにとっては一ミリも興味を引く対象ではなく、全く気にも掛けていなかった。

 

 

しかし実際は既に共存可能などという意味不明なワードが飛び出てくる始末。

ミリアルデも人類だ……単にソリテールに欺かれているだけかもしれない。

だが、目の前のエルフは魔族に対する造詣が中々に深い……戯言と切り捨てることはできなかった。

 

 

「変な期待を持たせて張り切られても困るじゃない……ソリテールは貴方に共存不可能だと考えを改めて欲しいのよ。後、どうやって共存を可能にしたとか、どうして魔族の子供が人の心を持っているとかは答えないわ。私が答えたくないから」

 

「……言わなければ殺す」

 

「潮時ね。……お暇するわ」

 

 

ミリアルデへの殺意が限界まで高まる。もはや言っても言わなくても適当な理由をつけて途中で殺すだろう。自制の段階はとうに超え、本能のままに暴れる言い訳を探している最中だ。

 

 

ミリアルデは後ろに大きく飛び退くと同時に、飛行魔法で大結界の外を目指す。それを認めた瞬間、マハトは黄金化させた髪針を投擲した。

 

 

ヒュンッ!

 

 

空気を裂く音。 ミリアルデはそれを空中に展開した防御魔法の一片を蹴りつけ、強引に軌道を変えて回避した。

 

 

空を飛び追跡してくるマハトに、ミリアルデは別れの挨拶とばかりに口を開く。

 

 

「ソリテールから魔王の話は聞いた? 共存を目指して人類を殺し回る。それはマハト……貴方そのものね。いずれは貴方が次の魔王となって、人類を滅ぼそうとするかもしれないわ」

 

「俺は争いになど興味はない」

 

 

ズズズズズ……! 地表が抉れ、黄金の濁流が四方八方からミリアルデへと襲いかかる。マハトの内心を表すように、黄金の金片がギャリギャリとひしめき、空気を切り刻んでいく。

 

 

飛行の旋回では回避が難しい、追尾性にも優れた流動的な魔法。

防御魔法の一欠片を足元へと瞬間的に展開し、何度も蹴りつけ、跳ね回る。

緩急の激しい多角的な動きで、うねり狂う黄金の波を舞うように回避していく。

黄金の尖塔を掠め、凍りついた噴水広場を見下ろしながら、結界の輪郭が揺らめく森の際を目指す。

 

「争いを争いと認識できていないのね。人類を殺して回ることは十分争いよ……それとも本能のままに行う虐殺や、理性的に行う鏖殺は違うの? まさか拮抗した実力以外の相手と戦うことだけが争いだとでも言うつもり? どちらにせよ貴方の願望は火種にしかならない。ソリテールが外に出さないのも納得ね」

 

「ソリテールと似てよく喋る……またそのくだらない挑発を聞く羽目になるのなら、最初から殺しておくべきだったな」

 

「ソリテールは平穏を望んでいるわ。魔族が数を減らした今の世界で、貴方に騒ぎを起こさせる訳にはいかないの。私も今の生活が気に入っているわ。だから貴方はこの結界の中で、大人しく理想を追い求めていて」

 

「俺の平穏を乱すのはいつだって、お前のような愚かな奴らだ。言いたいことだけ言って逃げるな」

 

 

ぐぐゥ……。 マハトは手にした黄金の槍を握りしめ、投擲姿勢を取る。

 

 

「嫌よ。魔族の本能の一部である殺害本能と食人本能を長年抑え込めている貴方はソリテールに及ばないけど、十分異様よ。貴方にならいずれ理想を叶えることが出来るはず……それじゃさようなら、マハト」

 

 

放たれた槍は黄金の軌跡を描き、回避も許さない速度でミリアルデへと急接近する。

そうしてミリアルデの胴体を貫こうとした瞬間――

 

カァンッ!

 

槍は何かに弾かれ、虚しく地に落ちた。 無事、結界の外まで逃げおおせたようだ。

 

 

「……失せろ。これ以上お前の口から出る薄っぺらい嘘を聞くのは気分が悪い」

 

「魔族から嘘つき呼ばわりされるなんて心外ね……そう、最後だけは嘘。だけど他は全て本当のこと……精々頑張って、マハト」

 

 

珍しく内面が表に出ているマハトを見て、ミリアルデは無感情な笑みを見せる。

どれだけマイナスの言葉を向けられても関係ない……所詮彼女にとっては、全てが暇つぶしでしかないのだから。

 

 

大結界の境界で、マハトは足を止めた。

不可視の壁が、彼の行く手を阻んでいる。 ミリアルデは振り返りもせず、片手だけをひらりと振った。

銀糸の髪が風に靡き、やがて森の緑に溶けて消える。

 

 

黄金の街に、再び静寂が降りた。

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