ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第21話▶愛の肯定

 

 

――シンビオシス教育機関。

 

 

白亜の大理石が朝の光を受けて淡く輝いている。

 

円形劇場を模した教室には、人間の子供と魔族の子供が入り混じって座っていた。

階段状に配置された席から、数十対の瞳がひとりの女に注がれている。

 

ソリテール。

 

彼女の声は透き通った硝子の鈴のように室内を満たし、壁面の彫刻にまで染み渡っていく。

今日の授業内容を淡々と告げながら、その翡翠の双眸は生徒たちの表情をひとりずつ追っていた。

 

 

頷く者。首を傾げる者。唇を噛んで俯く者。

 

 

羽ペンが教卓のクリップボードを走る。乾いた音が規則正しく刻まれていく。

 

 

補習が必要な生徒、授業など不要なほど先を行く生徒――それらを淡々とリストアップしていく。だがこれは選別のためではない。

 

 

魔法使いの育成であれば、才ある者に注力し、才なき者を切り捨てるのが最も効率的だ。

エルフならば長い歳月をかけて力を鍛えることもできよう。しかし短命な人間にとっては、生まれ持った感性、イメージを紡ぐ力、魔力の保有量――それらが何よりも重い。

 

 

この場ではそうした選別は一切行われない。

 

ここはソリテールの実験場だった。

 

 

才能ある子供が魔法を習得する過程。才能に乏しい子供、あるいは皆無の子供が、いかにして魔法を学び、身につけていくのか――人類の魔法体系をより深く知るために設立された場所。それがこの教育機関の本質だった。

 

 

最近ではもうひとつ、関心の対象が増えている。

 

 

子供たちの道徳的感性の発達だ。

 

 

他の教員から問題行動の報告が上がれば、反省文を書かせる。

何が駄目で、どう反省しているのか。魔法や授業内容に例えて提出させる仕組みだった。

 

 

これらはソリテールの人間的思考を構築する糧として大いに役立っていた。

 

生徒たちからは猛烈に嫌がられていたが。

 

 

ソリテールが納得するまで再提出を命じられ。遊ぶ時間は削られ、ただひたすら頭を抱えて原稿用紙と睨み合う日々――子供にとっては絶望以外の何物でもない。

 

 

その恐怖の反省文により、問題行動の件数は激減した。

とりわけ効果を発揮したのは、魔族と人類の間で起こる諍いだった。

 

元々、子供とはいえ魔族と人類の溝は深かった。

 

民間に伝わる童話には魔族への悪感情を植えつけるものが多く、純粋な子供は触れただけで容易く染まる。諍いを防ぐため教員の間では厳重な監視体制が敷かれていたが、内に抱える思想までは管理できなかった。

 

 

しかしソリテールが問題児を注視し始め、恐怖の反省文を導入してから――そうした衝突は瞬く間に終息していった。

 

 

正しく実験の経過を観察するには、子供たちの精神的安定が不可欠だ。

和を乱し、精神状況を悪化させる因子は積極的に切除しなければならない。

 

 

才能がもたらす驕り。悪意なき残酷さで他者を虐げる優越感。異質な存在を恐れる排他意識。

 

ソリテールはそれらを心底くだらないと吐き捨てる。

 

全員等しくモルモットだ。例外はない。ただひたすら魔法を学び、その思考と成長の過程を見せてくれればいい。

 

 

ゆえに、教育機関の長であるソリテールに賄賂など通用しない。

 

 

人間の生徒の親が便宜を図ろうと金を握らせてくれば、その金を『人を殺す魔法ゾルトラーク』と共に突き返してやる。

 

 

汚職もイジメもない。教育過程と健全な成長のみを考えた、ソリテールの利益だけを追求した施設。

 

 

そんな利己的欲望だけで運営されているはずなのに――第三者から見れば、とんでもなくホワイトな施設として機能していた。

 

 

才能があってもなくても平等に接し、解決策を真剣に考え、寄り添ってくれる先生。

 

それが子供たちから見たソリテールだった。

 

優しくて美しい先生。慕うのは当然のこと。

 

 

そして――それを独り占めするフルーフへの当たりは、自然と強くなる。

 

 

ソリテールや他の教員には「様」や「先生」をつけるのに、フルーフに対しては呼び捨て。別に嫌われているわけではない。反抗心と独占欲が入り混じった、難しい年頃の感情だ。

 

加えて、フルーフは子供相手には妙に反撃してこない。

 

控えめに言って、舐められていた。

 

 

――ゴーン、ゴーン。

 

 

街の教会から定時を告げる鐘の音が響いてくる。

 

 

「今日の授業はここまで。みんな、次に会うときまでに教えたことに挑戦してみて。上手くできた子も、できなかった子も、何を考えて、どう取り組んだか……その過程をまとめておいて」

 

「「「はぁ~い!ソリテール先生、さようなら!!」」」

 

「次の授業なんだっけ?」

 

「フルーフの道徳の授業だよ」

 

「えー……フルーフって言ってることとやってることが全然違うからなぁ」

 

「だよね、あれは絶対見本にしちゃダメな大人だって」

 

「なんであんなに普通のことばっかり言うんだろ? 普通すぎて怖いよ」

 

「アインザーム様の授業は明日? 私、早くあの御方に会いたいわぁ!」

 

「僕は美味しいもの食べさせてくれるツルギ先生!」

 

「ミリアルデ様に会いたい……」

 

 

酷い言いようである。

 

 

施設全体で見れば学問の主軸は魔法だが、子供たち相手には他分野の授業も行われている。

ソリテールの妻であるフルーフも臨時で教壇に立つことがあり、その内容は極めて普通だった。

 

 

人の嫌がることをしてはいけません。

 

自分を大事にして、他者を労りましょう。

 

ひとつしかない命を大事に、他人の死を悲しみ、尊びましょう。

 

 

フルーフの奇行はもはや街中に知れ渡り、子供たちの耳にも届いている。教壇に立つ初日には、他の教員が心配して教室内まで付き添ってくるほど――変人のレッテルは完全に定着していた。

 

 

しかし、いざ授業が始まれば、常識的なことしか口にしない。

 

あまりに普通すぎて、教員と子供たちを不気味がらせるほどだった。

 

反面、頻度こそ少ないが、監獄所長と工場長による臨時授業は絶大な人気を誇った。

 

アインザームは厳つい見た目に反して、子供には途方もなく甘い。筆談で女神の教えを説こうとしても、外で遊びたいと駄々をこねられれば、素直に授業を切り上げてしまうほどだ。

 

 

霧を応用すれば遊具など変幻自在。幻影のドラゴンで空を飛んだり、見たこともない街を見せたり――子供たちにとって、彼はアスレチックパークそのものだった。

 

 

工場長であるツルギは、主に家庭に役立つ授業を担当する。母親のような安心感を漂わせながら、実習を交え、子供でも作れる料理などを教えていた。

 

 

授業の終わりには実食の時間が設けられる。自分たちで作った料理を味わいながら意見を交わし、じゃれ合い、仲を深めていく。チームワークや連帯意識、他人と何かを成し遂げる経験――そういった得難いものを育む契機となっていた。

 

ちなみにミリアルデは子供たちから人気があったにもかかわらず、ソリテール直々に出禁を食らっていた。

 

 

子供たちがワイワイと騒ぐ中、ソリテールは教室を出て施設内の通路を歩く。

 

すると前方に、何やら話し込みながら歩く教員の女性二人の姿が見えた。

 

二人組は話に夢中でソリテールに気づかず、ズンズンと歩を進める。

 

 

「一週間後は結婚記念日なのに、斡旋所から授業依頼が入っちゃって……どうしよう」

 

「あぁ……最近多いわよね。魔法の座学なら私でも教えられるけど、実際に魔法を使える魔法使いでないと教えられないことも多いし」

 

「浄水設備に設置された魔導具を扱う教育だから、私じゃなくてもいいはずなんだけど……」

 

 

――結婚記念日。

 

 

その言葉が耳に入った瞬間、ソリテールの足が止まった。

 

子供と同程度の身長しかない彼女は、早足で教員たちの前方に回り込む。背伸びをしながらヒョイっと視界に現れた。

 

 

「きゃ!……ご、ご機嫌よう、ソリテール様」

 

「ど、どうかなさいましたか」

 

「ねぇ」

 

 

突然現れたソリテールに、教員二人はおっかなびっくりで挨拶をする。

 

 

先ほどまでの会話の雰囲気からして、人類にとっては相当大事な日なのだろう。ソリテールの翡翠の瞳が僅かに細められる。ならばフルーフにとっても――。

 

 

「お話しましょう」

 

 

この日、ソリテールは教員二人から結婚記念日とサプライズという知識を獲得した。

 

 

なお、結婚記念日の重要性を知ったソリテールは、落ち込んでいた女性教員に対し「大事な日に仕事している場合か」と圧をかけた挙げ句、代替休暇を与えた。

 

 

その話が教員たちの間で密かに広がり、親近感が高まったとかなんとか。

 

 

 

 

 

 

 

――シンビオシス中央広場。

 

 

陽光を浴びてギラギラと輝く珍妙な巨大黄金像が、広場の中央に鎮座している。

 

設置されたベンチに、仰々しい漢服を纏ったソリテールが腰掛けていた。

 

 

「先生! 凄いです! あの変な像はなんですか」

 

「あれは私。フルーフが建ててくれたの」

 

「凄いです! 道理で光り輝いて見えていると思いました」

 

「それは黄金のせいね」

 

 

隣のベンチではしゃいでいるのは、二本の角を持つ魔族の少女だ。

普段、魔族の子供が施設外へ出るには外出許可の申請が必要なため、見慣れない金ピカの像を見上げ、興味津々な様子で騒いでいた。

 

 

今日、ソリテールはとある重大な目的のために彼女を連れ添い、待ち合わせの場所に赴いていた。

 

 

時間帯は太陽が頂点に達する昼食時。仕事の休憩に出てきた者、休日を満喫する者などで、広場は賑わいを見せている。

 

 

そんな人混みがザワザワとどよめき――人々が左右へ退き、道ができあがる。

 

 

視線を向ければ、商店街から広場まで繋がる一本道を抜け、大きな巨体がこちらへ向かってきていた。

 

 

全身を覆い隠す黒い外装。シルクハットを深めに被り、顔を隠す異形の存在。

足はなく、黒い靄を漂わせ浮遊している。しかし街の住人は困惑こそあれど怯えはしない。未知の化け物を見た反応ではなく、知識だけで知っていたものを初めて実際に目にした――そんな動揺だった。

 

 

「あ、アインザーム様だ!」

 

 

角の少女が気づき、黒い魔物へと大きく手を振る。

 

そう――その魔物は知る人ぞ知る、街外れの監獄所長を務めるアインザームだった。

 

 

【挿絵表示】

 

 

少女の挨拶に対し、アインザームは懐からメモ用紙を取り出すと、達筆な字で返事を書く。

 

 

『息災か』

 

「え……えっと……」

 

 

書かれた内容が理解できなかったのか、どう返事していいかわからず狼狽える少女。そんな様子を見ていたソリテールが、面白そうに助言する。

 

 

「元気だったか……そう言っているわ」

 

「あ……うん! 元気でした! アインザーム様も元気でしたか!!」

 

 

まるで褒めて褒めてと言わんばかりに、アインザームに抱きつこうとする。彼はそんな少女を見て、外装から腕を出し、頭をワシャワシャと撫で回した。少女は自分からも頭を擦りつけ、気持ちよさげにその掌に身を委ねている。

 

 

『重要な用件と聞いて足を運んだが……如何様なことで私を呼んだ』

 

「来てくれてよかった、アインザーム。後ひとり呼んであるの……事情はその時に説明するから、その子の面倒を見ていてあげて」

 

『承った』

 

 

そう返事をすると、メモ帳を懐に仕舞い、少女を両手で抱き上げて肩に乗せる。

彼女はキャッキャと笑いながら、アインザームの頭に抱きついていた。

 

それから暫くして、足音が近づいてくる。

 

 

カチャリ。丸いサングラスを人差し指で押し上げながら、羊のような巻き角を生やした女魔族が姿を現した。普段の作業服とは違い、髪も整え、服装も簡素ながら整えられている。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「私が最後ですか……お待たせしました、ソリテール様」

 

「あ、工場長だ! またお肉食べさせて! 皆待ってるよ」

 

 

大きく手を振る少女に対し、ツルギは優雅に片手を振って挨拶を返す。

 

街でもかなり知名度の高い魔族であり、街一番の工場を預かる責任者が、ソリテールたちの前に立っていた。

 

腰に下げた剣の鍔がひとりでに浮き上がり、その剣身から肉の触手が伸びて全員に挨拶をする。

 

 

『久しいな。邪なる神と……その使徒よ。不調をきたした時は遠慮せず申すように、私にも看病程度はできる故な』

 

「今日は随分擬態に徹しているね。窮屈そうよ」

 

 

グロテスクな触手に三者三様の反応を示すも、少女が怖がっているのを確認すると、触手は寂しそうに鞘の中へ戻っていった。それを目で追っていたツルギは、優しく鞘を撫でる。

 

 

「職場ならともかく……彼女は見知らぬ人間の前で、積極的に迷惑をかけるような性格ではありません。自身が怖がられる存在だと……正しく理解しています」

 

「えぇ、知っているわ。だけど、ここは私の街。窮屈な思いはしてほしくないの。貴女はフルーフの友人。サ■には恩もある。私の個人的興味を除いても、居心地の悪い思いは許容すべきではないと考えているわ」

 

「お気遣いには感謝します。ただ、私は数百年も生きていない魔族です……。■ヤさんも、ソリテール様が興味を抱く対象ではありません……」

 

 

ツルギはフルーフやその周辺の人物たちに対し友好的な感情を持っており、個人的な付き合いもそれなりに長い。

だからこそ、ソリテールから「興味深い」と目をつけられることが何を意味するか、彼女は痛いほど理解していた。

 

露骨に視線を逸らし、自身の存在を卑下してみせる。

 

 

最近ソリテールに無理やり付き合わされ、グチグチ言っていたミリアルデを思い出す。

血生臭い実験こそ行っていないが、とにかく面倒くさい雰囲気全開の内容を長々と聞かされたのだ。

特別な興味を引きたいなどと思うはずがない。

 

 

フルーフを交えた友人としての交流であれば、和やかな時間を過ごせる。

だが二人きりになると、妙に絡み方がネチネチとしており、生命に対する危機感を感じずにはいられないのだ。

 

 

「貴女、もう魔族でもなんでもないのでしょう。フルーフが言っていたわ、魂がこの世のものと思えないほどの異色に染まりきってるって。隠し事をされると人は興味を引かれるものよ」

 

「隠してはいません。私自身、そこまで変わった自覚もありませんし、フルーフさんにも報告はしています。サ■さんが、発狂した私の精神状況をなんとか元に戻そうとしてくれた……その結果です。故意にやったわけではありません。ソリテール様の興味を引くほどでもない、その言葉通りの意味です」

 

 

ツルギはソリテールの発言に一瞬剣の柄に手をかけたが、すぐにその手を離し鞘を撫でる。サングラスを外し、どこか遠くを見つめながら何でもないように肯定した。

 

 

「なにを心配しているかは知らないけど、大丈夫。知ってるでしょう、私はフルーフの友達を傷つけたりしないわ。面白いと思っただけで、どうこうしようとは考えない。貴女は貴女……これからも変わらずフルーフの友達でいてあげて、勿論私も友人として接するわ」

 

「そうですか。えぇ、この娘も私も……貴女達を友人と思っています」

 

「そう、なら安心。ただ忠実なる女神の信者が機嫌を損ねないか心配ね。宗教の教義としてサ■のような存在を許容してもいいのかしら?」

 

 

ソリテールが意味深な視線をアインザームへと向ける。彼は間髪入れずペンを走らせ、文字の書かれた用紙を突きつけてくる。

 

 

『問題などない。私は女神を信奉しているが、それは彼女と彼女の友を否定する理由にはなりえない』

 

「ふふ。人類の文明の発展と衰退の歴史を振り返れば、異教徒は弾圧すべき対象ではないのかしら?」

 

『……何者にも何れ行き着く先がある。それを正そうとするほど私は傲慢ではない。私がそのようなことを気にしないことは知っていただろう、今更だ』

 

「会話を弾ませるフリというものよ、そう真剣に受け取らないで。だけど、その柔軟な思考は素晴らしいわアインザーム。私も望むべき最期に辿りつけるかしら」

 

『汝が真にそれを望み渇望するのであれば心配など杞憂だ。闇が支配せし道であろうと、方向さえ定まっているのであれば何れ辿り着く』

 

「この娘も……サ■さんも、もしもの時は協力する。そう言っています」

 

「そう、なら改めて今日その一歩を踏み出そうかな。これで全員が揃った……レストランを予約しておいたから、そこで話し合いましょう」

 

 

ツルギは一瞬目を見開いた。ソリテールがレストランの予約など――その驚きを隠しきれず、失礼と知りつつも視線が泳ぐ。

 

アインザームはそもそも飲食が不可能であるため、特に文句もなく、肩に少女を乗せたままソリテールの後をついていく。

 

 

「みんな魔族と魔物なのに人間みたいです!」

 

「褒め言葉ね」

 

「そう……ですか」

 

『私の種は元々人類の感情に機敏故に驚くことではない。ただそれらをどう受け取り……どう考えるか、その知性がないだけだ』

 

「よくわからないですけど! とにかく皆凄いです!」

 

 

内容のないスカスカの褒め言葉だったが、それを聞いた三人はクスクスと微笑ましげに少女へ礼を口にする。褒められたことが嬉しかったのか、彼女はアインザームの上で大はしゃぎしていた。

 

 

「ところでこの三人での話し合いとは一体……内容の想像がつきません。概要だけでも先に聞いて構いませんか?」

 

『然り。汝は何を望み私達を集めた』

 

「結婚記念日」

 

「『???』」

 

「フルーフとの結婚一周年記念がもうすぐなの。だから貴女達にサプライズや用意すべきものを一緒に考えてほしい」

 

 

この場にいる誰もが一瞬思った。

 

 

人選間違ってないか……?

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

――レストラン内。

 

 

魔族三人、魔物一体という濃すぎるメンバーが来店し、頬を引きつらせたウエイターが予約席まで案内していく。

 

 

店内で食事を楽しんでいた客は、入り口から入ってきた集団を二度見どころか何度も振り返り、激しく動揺していた。

予約にない子供が一名増えていたが、そこは街を牛耳る権力者。

ソリテールが軽くお願いしただけで、喜んでテーブルをひとつ追加で用意してくれることとなった。

 

 

アインザームが椅子を引き、少女を新しく用意されたテーブルへと座らせ、自身も一応席につく動作をする。

 

ソリテールとツルギは同じテーブルへ。

ツルギは席に着くなり、ウエイターが持ってきたメニュー表をガン見し、他人の金で喰う気満々なのを隠そうともしない。

 

 

「子羊はスプリングラムですか?」

 

「はい。当店では最も美味しいとされる、春から初夏の栄養価が最も高い時期の牧草で育った仔羊を使用しております」

 

「では後程……まずはシャトーブリアンステーキと、調理前の牛肉を五キロほど頂けますか?」

 

「え、調理前の生肉でございますか? 料理長との相談となりますが、本当に生肉でよろしいのですか?」

 

「はい……詮索はしないで頂けると助かります」

 

「畏まりました……他にご注文はございますか?」

 

「肉料理ですから当然フルボディ……ヘーヒスト三十年ものを一本。魔王討伐記念に王都で作られた最高品質のスカイブラッドを頂けますか?」

 

 

すぐ背後のテーブルで聞き耳を立てていた少女は、その注文をメニューから探し目を見開いた。

料理もそうだが、グラス一杯で銀貨一枚……それを瓶ごと。子供の金銭感覚からすれば、ありえない高額注文である。

 

 

「ソリテール様と他のお客様はいかがなさいましょう」

 

「適当な紅茶でいいわ」

 

 

少女はメニューを見ながら視線を右往左往させる。知らない料理名ばかりだし、値段も高すぎる。完全に萎縮していた。

 

そんな様子を見かねたアインザームは、少女にメモを差し出す。

 

 

『貸しなさい』

 

「あ、ご、ごめんなさいアインザーム様。どうぞ!」

 

 

そんなつもりで言ったのではない――アインザームはそう言いたげに首を振り、少女の頭をそっと撫でた。

文字だけだと、どうしても冷たい印象で伝わってしまう。しかし店を霧まみれにするわけにもいかない。

 

 

『汝の馳走は私が頼もう。構わんか?』

 

「あ……はい! お願いします、アインザーム様!!」

 

 

アインザームは少女に向かって頷くと、メニュー表をペラペラ捲り、数個の商品名を書いたメモをウエイターに手渡す。

 

 

『これを頼む』

 

「畏まりました」

 

 

ウエイターは注文を取ると、そそくさと厨房へ消えていった。

 

 

「それじゃ記念すべき結婚一周年サプライズ……愛のゾルトラーク計画を考えましょう」

 

「――……素敵な命題ですね」

 

「あはは! 変な名前!」

 

『……』

 

 

なんだその頭スイーツな計画名。ツルギは一瞬ダサいと口にしかけたが、そのまま促す。少女は素直に爆笑し、アインザームは何も言わず沈黙していた。

 

 

「リーニエさんと、ミリアルデさんを呼んだほうがいいのではないでしょうか?」

 

 

ツルギが当然の疑問をソリテールへ尋ねる。

服選びなら断然リーニエ、性格に問題はあるが恋愛ごとの場数においては最強格を誇るミリアルデ。そんな二人がどうして呼ばれていないのか。

 

 

「リーニエは連日で仕事、ミリアルデは……マハトの所にいっているの」

 

 

片方は仕事という至極まっとうな理由、もう片方は絶対ろくでもない何かだろうが、どちらも暇がないほど忙しいということだ。

この人選を選んだわけではなく、時間的都合で集められただけらしい。

 

 

「成程……それで私達ですか。先に申しておきます……私にそういったことに意見を言える程経験はありません。恋愛をしたことがありませんから。まぁ、片思いで終わった者の意見でよければ、お答えします」

 

『右に同じく…。いや、私は既婚故、少しの意見であれば答えられるが…。結婚記念日というものを迎えられなかった。たいした参考にもならんだろう』

 

「私には、さっぱり、わかりません!!」

 

 

そう言い切る三人に対し、ソリテールは特に気にした様子もなく話を進める。

 

 

「服選びのセンスはあるようだけど」

 

 

ソリテールの視線が二人の衣類を捉える。ツルギはなんか色々凄い……動きやすそうだが、目のやり場に困るほど刺激的だった。

 

 

そして外装を脱いだアインザームの姿は、皺ひとつない背広をカッチリと着こなし、できる仕事人感がにじみ出ている。

 

 

「部下の結婚式や飲み会に招待されるので、いくつか普段着は用意していますが、私が選んだわけではありません……この娘に選んでもらいました」

 

 

そう言いながら鞘をポンポンと叩くと、力拳を作った触手が自慢気に飛び出してくる。

 

 

『私には、人命をあずかる責がある。望まぬ終わりを迎え、この世を去りし者達……部下の訃報を家族に直接伝える義務がある。身嗜みを整えることは人の世で生きる最低限度の礼儀だ。――そして、なにより。威厳は大事だ』

 

 

謎の肉塊のほうが服選びのセンスがあったり、重すぎる理由で身嗜みを整えている魔物だったりするが……始めから全部選んでくれ、とはソリテールも言っていない。いくつか店先でコーディネートしてもらい、最終的に選べばいいだけだ。

 

 

「最終的に私が選ぶから問題なさそうね……意見をくれるだけでいい」

 

「安心しました。この娘の意見をそのままソリテール様にお伝えします」

 

『サプライズなるものの内容はわからぬが……秘密裏ということであれば、精々露見せぬよう努めることだ』

 

 

アインザームが忠告を飛ばしてくる。

 

確かに、サプライズを秘密にするのは容易ではない。

どれほど忙しかろうと、フルーフは日に一度は必ずソリテールの前に現れる。その習慣を知っていれば、露見を心配するのは当然だろう。

 

だが、ソリテールは既に対策を講じていた。

 

 

「心配しなくていいわ、アインザーム。……フルーフの職場に処理しきれない仕事を回しておいたから。当日まで缶詰状態よ」

 

「なんと不憫な……。ですがフルーフさんのことです……結婚記念日は当然把握されているはず。仕事を放棄……――は、しなさそうですね」

 

 

それぞれ独自の仕事を抱える工場長と監獄所長は、その発言にドン引いた。

記念すべき日に備えワクテカで準備しようとしていたのに、どこからともなく降って湧いた仕事に潰されたのだ。事情が事情とはいえ、哀れみしか湧いてこない。

 

 

「しない。与えられた仕事はどれだけ過酷でも仕上げる。私には理解できない常識がフルーフの中にこびりついているの。記念パーティーを開く予定だったのにできそうにないって、今朝方泣いて謝られたわ」

 

 

友人の悲惨な光景が目に浮かぶようだ。ツルギは眉間を抑えながら溜息をつく。

 

 

「哀れな……。ですがひとまずわかりました。当日のレストラン選び、ドレス選び、あとはプレゼント選びといったところでしょうか」

 

 

さすがは数年来、数百の部下を束ねてきただけのことはある。

呆れながらも、頭の中で段取りを着々と組み上げていた。

 

 

「フルーフへの贈り物はもう準備してあるの。貴女に相談したいのはレストランや他のこと……教員達が言っていたわ、高ければいいわけじゃないのよね」

 

「それなりの場所にはそれなりのマナーが求められます。それが精神的に辛いという話は、私も何度か聞いたことがありますが……。ソリテール様……テーブルマナーは心得ていますか?」

 

「勿論。単純な知識と動作の組み合わせを学ぶ労を惜しんだりしないわ」

 

「そうですか、では問題ありませんね。フルーフさんも普段はアレですが、伊達に貴族を脅して金銭をむしり取っているわけではありません、彼女もマナー自体は完璧です。……名ばかりの格式は必要ありません、街一番とは言えませんが、フルーフさんを招くならここが良いかと思います」

 

 

この街で美食に関してツルギに並ぶ知識量を持つ者はいない。

味と質、そして量……フルーフの好みに合う店を考えていく。

 

 

少量のコース料理よりもガツガツ食べることを好む庶民派。

A5ランクよりもA4ランク、変に気疲れを起こさない店。

そんなフルーフという人物像に寄り添った思考のもとに店を選び抜き、ソリテールへと店名と場所が書かれたメモを手渡す。

 

 

ソリテールの好みについては考えない。

そもそも眼の前の魔族にとってのメインディッシュはフルーフなので、深夜にでも好きにやってくれという感じである。

 

 

「予約制ですので、私の方から一筆書いておきましょう。フルーフさんの口に合うはずです」

 

「ありがとう。さすがは普段からフルーフと食べ歩きする仲なだけあって詳しい」

 

 

その後も相談という名の雑談は続き、会話に一切入れなかった少女とアインザームは、いつの間にかメモ帳を折り紙にして一緒に遊んでいた。

 

 

そうして相談内容もひとまず尽きた頃、ソリテールたちのテーブルへと料理が運ばれてくる。

ソリテールの前には湯気立つティーカップ。

 

 

ツルギの前には、ソースが滴り旨味が滲み出る肉料理とワインが置かれる。

それを合図に彼女は腰に下げた剣の鞘を数回ノックした。

ウエイターがグラスに注文品のワインを注ぐと、色合いの観察、香りの堪能、口に含んで舌の上で転がし、飲み込んで余韻に浸る。

 

 

ソリテールは一切変わらない真顔で思う。

 

なんだコイツ。

 

 

そして追加で運ばれてくる巨大な肉塊。

待っていましたと言わんばかりに、鞘の中から臍の緒のような管で繋がった小さな肉塊が飛び出してくる。

 

 

粘液まみれのぶよぶよとした気味の悪い肉の化け物。肉がぐちゃりと裂け、大きなエメラルドの瞳が顔を覗かせる。

 

 

「へぇ。前より大きくなった?」

 

「フルーフさんを毎日食している影響でしょうか、徐々に成長しているように感じます。お目汚しになるようでしたら席を移りますが……」

 

「気にしないで、私は友人と称した存在を疎む空気の読めない魔族ではないわ。さっき言った通り窮屈な思いはしてほしくないの。そのまま食事を続けて……。だけど私の生徒には見せないであげて、正気じゃいられなくなるから」

 

 

通常であればSAN値がゴリゴリ削れる光景だが、独自の思考回路を持つソリテールは視覚から入ってくる狂気を強引に逸らして対処していた。

 

 

「感謝を。勿論この娘の姿を晒すつもりはありません」

 

 

ツルギは勿論心得ていると頷き、にこやかな笑みを浮かべ、ソリテールに感謝を示す。

背後のテーブルに座る少女から見えない位置へと肉塊を隠す。

 

 

「アインザーム。何しているの?」

 

『食事を楽しめ。私は飲食が不能故に少し仕事をさせてもらう』

 

 

料理が運ばれてくるやいなや、自身の黒い靄に腕を突っ込みカバンを取り出すアインザーム。

テーブルの上に書類と墨、ガラスペンなどの仕事道具が広げられていく。どうやらここで書類仕事をするつもりらしい。

 

 

「働き過ぎです。休まない上司は部下への圧力になりますよ」

 

『私の部下の気配は遠く、杞憂を労する意味はない。私の労働に対する自由は守られるべきだ』

 

「はぁ……労働改革を口にするわりに、対象は部下だけですか」

 

 

一体誰の影響か……アインザームの社畜根性にツルギは露骨に溜息をつく。

 

そうして少し遅れてアインザームたちのテーブルへと料理が運ばれてくる。

いや……料理というよりもスイーツの山だった。

 

 

「うわぁ~~!? アインザーム様! なんですかこれ! 白くて甘い臭いがします!」

 

『ソリテール……何故汝の生徒は甘味のひとつも知らない』

 

「フルーフの教育方針。小さい頃に贅沢を覚えるくらいなら、ある程度成長してから知ったほうがマシとか言っていたわね。だからまだ甘いものは出さないようにしているの。私としても急に精神状態が変わられたら困るわ」

 

『ぬぅ。人間の食や成長に反論するだけの知識を私は持たん、故に謝罪しよう。私は選択を誤ったか』

 

「ひとりくらい例外が出ても構わないわ。この子にはこの後働いてもらうから好きに食べて、ただしフルーフには秘密」

 

「わかりました、ソリテール様!! 死んでも秘密にします!!」

 

 

そうして魔族と魔物を含めた食事会が始まった。

 

 

ソリテールは紅茶のカップを傾けながら、何か考えに耽っていた。

 

 

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ツルギとその肉塊はナイフとフォークで肉を切り分け、パクパクと平らげていく。

 

 

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その隣では、アインザームがカリカリとペン先を走らせている。

 

 

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そして少女は――目の前に山のように広がるスイーツを見つめ、恐る恐るスプーンを手に取った。

一口、口に含んだ瞬間、瞳が星のように輝く。そこからは怒涛の勢いで、次から次へとスイーツを口に運んでいった。

 

 

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一方その頃、フルーフとリーニエはというと……

 

 

▶フルーフ。

 

働けど働けど処理待ちの作業が運ばれてくる。周囲の部下たちが忙しなく動き回る中……紙の山に囲まれ、過酷な表情を浮かべていた。

 

「なんじゃこりゃぁ~~~!!?」

 

「わ、私はここの会計責任者だ……後はわかるな」

 

「余り私を苛立たせると貴女も再教育対象にしますよ」

 

「皆仕事から逃げるな。過労死したら蘇生してあげる……だから数日で終わらせましょう」

 

「ちなみに労災は……」

 

「出ない」

 

フルーフの職場は酷いクマを作った職員たちがひたすら業務をこなす地獄と化していた。

 

 

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▶リーニエ。

 

街の至るところから集めた戦士……総勢三百人オーバー。それに相対し組手を行うのは魔族リーニエ。

 

「とことんまでかかってきなよ。私に一発でも入れたら一年間お酒が飲み放題」

 

「覚悟しやがれ師匠!」

 

「タコ殴りじゃぁ~~!!」

 

「酒を寄越せぇ!!」

 

流れるような動きで戦士たちをぶん殴り、一対三百という頭のおかしい比率でぶつかり合う魔族と人間。再教育センターとは真逆の、ストレスから解放される気持ちの良い汗を流していた。

 

 

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◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――ブティック。

 

 

食事を終えた四人は会計を済ませ、そのまま店を出て、予めリサーチしていた店へドレスを見に来ていた。入店早々、ソリテールはアインザームの肩に乗る少女に、とんでもない発言をかます。

 

 

「服を脱いで裸になって」

 

「え……あのソリテール様! どういうことですか!?」

 

 

アインザームは、とっさに少女を庇うようにソリテールから距離を取る。

 

 

「変身魔法が得意でしょ。採寸が必要だからフルーフに変身してほしいの」

 

「あぁ! はい……任せてください!」

 

 

ソリテール以外の全員がギョッとするも、なんの他意もなかったことに胸を撫で下ろす。

少女はアインザームの肩から飛び降り、店員に連れられるがまま採寸用の部屋へと入っていった。

 

 

「どんなドレスにするか決めていますか?」

 

「ウエディングドレスを着たフルーフはとても良かった。白い生地が血に染まりながら痛みで絶叫を上げながら命乞いをするの、指を折って爪を剥いで……ふふ。次は赤がいいかもしれない、生地の繊維を染め上げるほど血潮で黒く染め上げる。良いと思わない?」

 

「……ソリテール様。今からヤることを考えて選ばないでください……私達が気まずくなります」

 

『自制心を覚えるがいい……獣め』

 

 

アインザームは額を手で抑え、ツルギはやんわりと嗜める。

殺すこと前提でドレスを選ぼうとは……人間からすればとんでもない変態である。

魔族から見ても相当おかしいが、ツルギはひとまずそれを置いておく。

 

 

この魔族、何を考えているのかブティックを出て紳士服店へ向かおうとしていた。

ドアを開けようとする腕を掴み、なんとか引き止める。

 

 

「どこへ行くつもりですか、ソリテール様」

 

「少し向こうを見てくるわ……私は旦那様なの。だからドレスなんて着ないわ」

 

 

えぇ……その理屈はおかしい。

ツルギはなんとか頭を捻る。そういえば結婚式の時も頑なにドレスを着なかったことを思い出す。

打開案を考えるも……この頑固魔族を納得させられる案が全く思い浮かばない。

 

 

そんな時、アインザームがメモ帳にペンを走らせ、こう書いて見せる。

 

 

『フルーフを驚かせるというのであれば、奇をてらうもまた一興であろう』

 

 

ソリテールはその文字を見て数秒考え込むと、それもそうかと納得し店に留まる。

 

ツルギはそのスマートな指摘に拍手を送る。

まさにできる男……男衆からの人気が異常に高い監獄所長様なだけはある。

 

なんとかソリテールの奇行を落ち着かせると、ドタドタと奥から忙しなく走ってくる音が聞こえる。

 

 

「じゃぁ~~ん!! どうですかソリテール様! 凄いですよね! 褒めてください!!」

 

「ぶッ……――い、いんじゃないでしょうか」

 

『理解できぬ』

 

 

そこにはフルーフ……ではなく変身した少女が立っていた。

ワインレッドのパーティードレスを着用し、フルーフが普段絶対しない底抜けに明るい満面の笑みでクルクル踊っている。

ツルギは思わず吹き出しそうになるも、辛うじて耐えた。

 

 

「へぇ。いい笑顔ね」

 

 

偽物フルーフを見て、ソリテールから殺気が滲み出る。

どうやら無邪気な笑顔にムラムラとした殺意が滾ってしまったようだ。

少女の顔面が殴り砕かれる前に、ツルギは間に入って話を変える。

 

 

「凄い変身技術です、本物と見分けがつきませんよ」

 

「えへへ~!」

 

「ドレスのサイズもちょうどいいですし、ソリテール様……いきなりですが、これに決めてもよいのではありませんか?」

 

「気に入った。私もそういう気分……当日はこれで楽しませてもらうわ」

 

 

そういう気分ってなんだ……少女を見るソリテールの目が怖い。

完全に捕食者のそれである。

 

 

「畏まりました、少々採寸の調整を行う必要がありますが、時間は取らせないとお約束いたします。ささ、それでは次はソリテール様のドレスを選びましょうか」

 

 

ブティックのオーナーはそう言うとソリテールに好みや色などを詰め寄る。

自身のことはどうでもいいのか、ソリテールは適当に相槌を打ち、最終的にフルーフと同じタイプの白いドレスを選ぶこととなった。

 

 

ソリテールの体型に合うものがないのでオーダーメイド料金を請求されたが、金の使い道など無いソリテールはあっさり支払いを済ませ店を後にする。

 

 

「あれは……確実にぼったくられましたね」

 

『本人が気にしていないのであれば……良いのだろう』

 

「楽しかったです! また皆と一緒に出かけしたいです!!」

 

 

その後は……結局三人だけでは内容を詰めるにも限界があることを悟り、露見の危険性を承知で自宅の使用人などに相談することとなった。

数々の意見を参考に計画は綿密に組み上げられ……

 

 

 

 

――そうしていよいよ計画当日を迎えることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

――再教育センター PM06:00

 

 

夕日が差し込む一室。再教育センターの職員たちは全員、机に突っ伏して眠っていた。

 

 

フルーフは最後に一枚残った書類に判を押し、サインする。

その後。無言で立ち上がり、コロンビアポーズを決めた。

 

 

馬鹿みたいな仕事を、見事予定していた日にやり遂げたのだ。

目元には夕日に照らされ涙が輝いていた。

 

 

散らかり放題の机を整理し帰り支度をする。

既に時刻も夕方、結婚一周年を盛大に祝うことはできないが、ケーキくらい買えるはずだ……そう考え部署内を歩き回る。

 

 

職員は連日の過労と不眠で明日まで起きないだろう。

フルーフは仮眠室から毛布を引っ張り出してくると、職員の全員へ覆いかぶせていく。

 

 

――ガシッ!

 

 

全員に毛布をぶん投げ終わると、足首が不意に掴まれる。

視線を向けると、床でゾンビのように倒れ伏す眼鏡の男が呻いていた。

 

 

「うぉ。ビックリしましたよ第二隊長……どうしました? 明日は全員休暇です、寝てていいですよ」

 

「お待ちなさい局長……もうじき迎えがくるので、そのまま暫く……」

 

 

――ガク

 

 

本当に意識が落ちる寸前だったのか、それだけ言うと神経質そうな眼鏡男は顔面から地面へと崩れ落ちた。

 

 

迎え。帰りの馬車でも呼んでくれたのだろうか。

 

 

「まぁ……もう焦る時間も過ぎてますし。そう言うなら待ちますよ」

 

 

諦めムードと虚無感全開の動きで、フルーフは元いた椅子に座り込む。

窓の外で落ちていく夕日を意味もなくボーっと見つめていると、正門に見慣れない馬車が止まった。

 

 

「うん? 何故ツルギのオバチャンがこんな所に……? というか何故剣を抜いて――ぅぉ!?」

 

 

見慣れない馬車からよく見知った人物が出てきた。

ツルギは肉がボコボコ蠢く剣を抜き放つと、触手が伸び、開けていた窓から部署の天井にへばりつく。

そのまま縮むように肉が引き締まり、正門から部署内に凄い速度で飛んでくる。

 

 

「お久しぶりです、フルーフさん」

 

「はい、お久しぶりです。あと、ここ三階なので階段を使って入ってきてくださいね」

 

 

ダイナミックに入室してきたツルギと触手に向けて、フルーフは呑気に手を振る。

大げさにツッコむ気力もなく、淡々と正論だけを口にする。

 

 

「時間的余裕はあります……しかし何事にも十分以上の余裕は必須。急いで支度をしてください、フルーフさん」

 

「え、何ですか?……え、うぉわ!?」

 

 

ツルギは何やらぶつぶつ呟くと、人の話を聞いていないのかフルーフを米俵のように抱え上げる。

入ってきた窓から飛び降り、触手をワイヤーのように使い馬車へと飛び込んだ。

 

 

「出してください」

 

『よろしい、では行くとしよう』

 

「アインザーム……貴方までなんでいるんですか? というか……え、迎えって貴方達ですよね? これどこに向かってるんですか? あとアインザーム……貴方定例会サボりすぎです」

 

 

目まぐるしく変わる状況にフルーフの頭はパンク寸前である。

空前絶後の超絶激務を終えたかと思えば、知り合いに拉致され、めったに姿を現さない旧友が馬車を操縦しているのだ。控えめに言って意味不明な状況であった。

 

 

『善処しよう』

 

「それ、改善する気が全くない人間の常套句じゃないですか」

 

「入浴、お化粧、髪の手入れ……色々ありますので意識をしっかり保っておいてください。アイン、日が沈むまでには着きそうですか?」

 

『問題ない。全ては順調、予定通りだ』

 

「え……何? え……帰るんじゃ……え」

 

 

こいつら何ひとつ質問に答えようとしない。

フルーフは頭にハテナマークを浮かべながら、自宅の邸宅まで運ばれていった。

 

 

 

 

 

――フルーフ一家の邸宅前。

 

 

久しぶりに見る自宅に感動する間もなく、またしても理解不能な状況が飛び込んでくる。

見たこともない人間も含め、凄い人数の使用人が出待ちしている。

 

 

「奥様のおかえりです。皆さん準備はいいですか」

 

「「「「はい、お任せください!!」」」

 

「え、あ、はい。ただいま戻りま――ほぁ!?」

 

 

使用人から溢れ出る熱意にたじろぎながらも馬車から出て挨拶をするフルーフ。

しかし背後からタックルをかますような形でツルギに再び米俵担ぎにされてしまう。

 

 

「私が運びます。お湯の準備は……」

 

「「「バッチリです!」」」

 

「では、行きます」

 

 

ツルギは二度三度使用人と会話すると急に走り出し、その背後には数人の女性使用人がついてくる。

湯浴み場に連行され、その場で降ろされる。服を強引に剥ぎ取られ、バスタブに放り投げられた。

流れのままに、侍女たちにエステとマッサージを施されていく。

 

 

「奥様、今夜は最高級のバラの香油を使用した入浴とマッサージで、最高の美を引き出してご覧にいれます」

 

「これで旦那様骨抜きでございます」

 

「……え?」

 

 

意味もわからずエステを受けた後はバスタブから引き上げられ、再び米俵担ぎされ走り出す。

バスローブを纏った状態で運ばれたのはドレスルーム、メイクアップ用の巨大な鏡を備えた机へと人形のように座らされる。

 

 

「奥様ぁ~。この度は我々マダム・シャーリーをご利用頂き感謝致します。帝国でも最先端のメイクアップ技術を堪能あれ」

 

「奥様。髪の手入れも同時並列で行わせて頂きます」

 

「……え?」

 

 

ゴツく野太い男性からやたら間延びした甘ったるい声が聞こえたかと思えば、顔面に白粉のついたパフが叩きつけられ、なすがままになるフルーフ。

 

 

徹夜明けのゴワっとした白い髪には髪油が丁寧に流し込まれ、サラサラのロングヘアーとなり、髪留めで一本に縛り上げられる。

 

 

おまけとばかりに、数時間効果が持続する『涙の出なくなる魔法』をかけられ、そうして終わったかと思えば席を立たされ、別室へと誘導される。

 

 

「奥様、見てください! このドレスを、素晴らしいと思いませんか!」

 

「さすがは夫婦仲円満と名高い奥様と旦那様。サイズぴったりとは恐れ入りました」

 

「……え?」

 

 

侍女にガバァっとバスローブを全開にされ脱がされたかと思えば、ワインレッドの艶やかなパーティードレスを見せつける。

 

ここまでの出来事でフルーフは何ひとつ状況を理解できていない。ドレスを見せられても完全に宇宙猫状態だった。

 

しかしどれだけ困惑しても状況が止まることはなく。フルーフは着せ替え人形の如く侍女にドレスを着せられていく。

 

そしてひと段落がついたのか、ツルギがフルーフを一瞥し侍女にGOODサインを送る。侍女も当然とばかりにGOODサインを返す。

 

 

そして再びアインザームが御者を務める馬車にぶち込まれ、運び出されていく。

 

 

「アイン、出発です」

 

『征くぞフルーフ』

 

「「「「奥様ぁ~頑張ってくださぁ~い!!」」」

 

「……え?」

 

 

 

 

 

「え……なに?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

――レストラン。

 

 

日は完全に沈み、賑わう夜の街を駆け抜ける馬車。

その馬車は一軒の綺羅びやかなレストラン前で勢いを止め停車する。

 

 

「え?……え?」

 

「呆けている場合ではありません……フルーフさん、降りてください」

 

「説明はないんですか?」

 

「行けばわかります」

 

『中で汝を待つ者がいる。私達から言えるのはそれだけだ』

 

 

剣の魔族が未だに困惑するフルーフを馬車からぐいぐい押し出すと、扉を閉め何も言わず行ってしまった。

ポツンと置いてきぼりをくらったフルーフは何がなんだかといった様子で考え込むも……結局答えは出ない。

 

アインザームのメモ書きを思い出し、綺羅びやかな店内へと自然と足が進んでいく。

生まれ持っての品格こそないが、メッキを貼るのはお手の物。猫背を正し、堂々とした足取りでエントランスへと足を踏み入れる。

 

 

「お待ちしておりました、フルーフ様。お連れ様がお待ちです……どうぞ此方へ。ご案内致します」

 

 

心臓が跳ねた。

 

 

誰だ? 私を態々こんな場所に誘う奴に心当たりはないぞ。

フルーフは眉を寄せながら案内人の背中を追う。いや――ひとりだけ、いる。

 

 

まさか。

 

 

そう思いながらも、鳴り止まない心臓が答えを告げていた。

 

 

この特別な日にフルーフを食事に誘うのはひとりのみ。

今さっきまで困惑に満ちていた身体が脈打ち、心臓が痛いほど鼓動する。

 

 

この先に待つ存在に期待する。そうであったならどれほど嬉しいか。フルーフは気がつけば無意識にドレスと髪を整え、頬を紅潮させていた。

 

 

しかし、そんな期待と同じくらい――魔族である彼女に期待などしていない冷めた自分もいる。

 

 

結婚式から早一年……彼女が変わろうとしてくれているのは痛いほど伝わってくる。

だが長年魔族を実験対象として観察してきた固定概念は、中々抜けるものではない。

 

 

だからどうしても……自己愛の塊である魔族が他者に愛情を示すという異常な行為を疑ってしまう。

 

 

これではいけない。

そう……これはきっと契機だ。

 

 

フルーフは自分自身に誓う。

この先に待つ誰か……その誰かが愛しい最愛の存在であったのなら……

 

 

――疑うことは止め、その全てを信じよう。

 

 

魔族の嘘を嘘として楽しんでいた、向き合う必要もなくただ自分が欲しい言葉だけを受け入れ喜んでいた。

 

 

だけど、これからはそうじゃない……全て受け入れる。

 

 

到底納得できない言葉も……信憑性もない言葉も……何の保証もない信じられもしない宣言も、全て無条件で信じてみせよう。

 

 

欺瞞の塊と理解してなお信じ込む……馬鹿で間抜けで救いようもない奴。

 

 

魔族に騙され殺される人間を馬鹿にしていたこともあったが……自身がそんな愚か者に成り果てるだなんて……。

 

 

本気でそんなことは思っていなかった。

 

 

階段を登り、大きな扉の前に着く。

 

 

足が重い。まるで鉛を流し込まれたかのように、最後の一歩が踏み出せない。

 

もう目と鼻の先だというのに。

 

 

心臓が煩い。ドレスの胸元が、鼓動のたびに微かに揺れている。

手のひらが汗ばみ、指先が冷たくなっていく。

 

 

――期待するな。

 

 

内なる自分が囁く。

これは魔族に対する正しい感性だ。裏切り。欺瞞。甘い言葉の裏には、いつだって牙が隠されている、と。

 

鬱陶しいことこのうえない。

 

 

そうだ、それなら……始めて彼女に出会った時のように……不必要な常識に縛られた私を………

 

 

 

――殺してもらおう。

 

 

 

「ねぇ、フルーフ」

 

「はい」

 

「結婚一周年記念会場へようこそ。私のサプライズは楽しんでもらえた?」

 

「えぇ。驚きの連続で何も考えられませんでした……

 

――ソリテール様」

 

 

あぁ……そうか。

 

そういうことなら仕方ない、見下していた愚か者に喜んでなろう。

 

開かれた扉の中には最愛の魔族がいた。

 

息を呑んだ。

 

窓から差し込む月光が、純白のドレスを淡く照らしている。

絹のような翡翠の髪が、夜風に揺れてさらさらと肩を滑り落ちていく。額から伸びる二本の角さえ、今夜は王冠のように優雅に見えた。

 

 

そしてその瞳――あの底知れぬエメラルドの瞳が、真っ直ぐにフルーフだけを見つめている。

 

 

魔法がかけられていなかったら、酷い泣き顔を見られていたことだろう。

 

 

美しかった。

 

ただ、ただ美しい。それ以外の言葉が、頭から消え去っていた。

 

 

彼女を疑う古い自分が死んでいく、止めておけと静止する本能を自分から切り捨てる。

 

 

進化どころか退化でしかない愚かな行為だが……不思議と心は晴れやかだった。

 

 

ドレス姿で手を差し出してくる彼女の手を取る。

 

 

なんの裏も疑わず正真正銘の馬鹿な餌になって、彼女に手を引かれ歩き出す。

 

 

「……フルーフ。嬉しそうで、安心したわ」

 

「どうなのでしょう。もう……嬉しいという感情しか湧かなくて、私は……自分でも自分がわからなくなりそうです」

 

 

ソリテールはフルーフの顔を見る。

 

 

あの少女が変身した時に見せた笑顔……それよりも遥かに無邪気で嬉しさに溢れた笑顔がそこにあった。

ソリテールはそんな笑顔につられ、目を細めて微笑む。

 

 

余計な言葉はいらない……ただお互いがお互いの感情で、愛してくれていることが理解できた。

 

 

大きな会場の真ん中にポツンと白いテーブルが置かれている席へとフルーフの手を引き座る。

 

 

フルーフは席に座るなり、事情説明もなくツルギに拉致され困惑したことや、色々なことを話した。

 

 

ソリテールもこの日のために自身が行った仕込みを話したり、準備にアインザームたちを連れ回したことを話した。

ツルギから「折角マナーを気にしなくていい店を選んだのに貸し切りにするな」と怒られたことを、不思議そうに語ったりなどもした。

 

 

置かれたワインを手順も守らず適当に開け、乾杯を交わし豪快に飲み干す。

ソリテールはツルギがやっていた飲み方を真似し、それを見たフルーフは爆笑し腹を抱えていた。

 

 

ウエイターが予約していた料理を運んでくる。

フルーフがそれをナイフとフォークを器用に使い切り分け食べていれば……普段と全く違うフルーフの姿を可笑しそうに見つめ、クスクスと笑うソリテール。

 

 

なんだか急に恥ずかしくなってきたフルーフはナイフを置き、フォークで色々なものを串刺しにし口に運ぶ。ワインをグビグビ飲み干し、赤ら顔でそっぽを向く。

 

 

「拗ねたの? なら私が食べさせてあげる、はい、あ~~ん」

 

「拗ねてませんしぃ……誰の入れ知恵ですかそれ……んむ」

 

 

羞恥はあれど、ソリテールからの餌付けには抗えなかったのか再び正面を向き、差し出された料理を頬張る。眉がハの字に垂れ下がり御満悦なフルーフ。最高の状況と味に間抜けな笑みを浮かべずにはいられなかった。

 

「子供達から没収したロマンス小説に書いてあったわ」

 

「はは……ソリテール様がそんなものを真面目に読んだんですか」

 

 

血生臭いソリテールが真顔で甘ったるいロマンス小説を読む……そんな風景を想像しただけで笑えてしまう。

 

楽しい……それ以上の感情は出てこなかった。

 

 

千年以上の歳月を経て擦り切れ赤黒く染まったフルーフの瞳が……この刹那にだけは精気に満ち光り輝いていた。それを見つめるソリテールの瞳もうっすらとだが光を宿す。

 

ルビーとエメラルド。

 

どちらも愛の意味を宿す宝石のように……二人の瞳は純粋に輝いていた。

 

 

「ねぇフルーフ……楽しい?」

 

「はい……人生で二番目に楽しい時間です」

 

「一番は結婚式かな……なら三番目は?」

 

「貴女に初めて殺された瞬間」

 

「そう……私も楽しいわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――シンビオシス中央広場。

 

 

食事を堪能した二人がレストランの外に出ると、肌寒い風が吹き抜ける。

腕を絡め、暫くの間お互いの体温を感じながら無言で夜の街を歩く。

 

 

ソリテールの体温は、人間よりも少しだけ低い。

それでもフルーフには、その冷たさすら心地よかった。

 

 

既に人の賑わいも静まる時間帯だというのに、中央広場からは楽器を奏でる音や賑わう人々の声が聞こえてくる。

フルーフたちは音のする方へと歩き出せば、広場では男も女も酒を飲みながら踊り狂っていた。

 

 

近くの人間に事情を聞けば、領主様達の結婚記念だとかなんとか。

 

 

フルーフは内心で呟く――こいつら、騒ぎたいだけだな。

 

 

今でこそ平穏な生活を送れているが、この街の大多数は元々行く宛のない人間を集めた集団だ。

だからこそ楽しめる時にはとことん楽しみたい。

その心情はフルーフも痛いほど理解していた。だから、余計な水は刺さない。

 

 

ただ自分達の記念日を祝してくれているのであれば、是非参加してやろうと考えるだけだ。

隣に並ぶ小さな旦那様を見やり、フルーフはイタズラでも考えたように絡めた腕を離す。

 

 

美しい満月が顔を覗かせ、月光が照らし出す夜。

 

 

細い腰を抱き、掌を差し出す。

 

 

そして最愛の旦那様の目を見ながら……こう呟く。

 

 

「ソリテール……私と踊ってくれませんか?」

 

 

「初めて呼び捨てにしたわね……えぇ、勿論」

 

 

ソリテールはフルーフの手を取り踊りだす。

 

 

踊る人混みに混じり、くるくるとステップを刻む。

繋いだ掌から伝わるソリテールの指先は、やはり少しだけ冷たい。

だがその冷たさが、今は何よりも愛おしかった。

 

 

夜風が頬を撫でるたび、ソリテールの翡翠の髪からほのかに甘い香りが漂ってくる。

月光に照らされた白いドレスが、ステップを踏むたびにふわりと揺れる。その裾が自分のドレスに触れる度、心臓が跳ねた。

 

 

腰に添えられた小さな手の感触。

体温が、薄い布地越しに伝わってくる。冷たいはずなのに、触れられた場所だけが熱を帯びていくようだった。

 

 

気づけば周りは静かになっていた。

いつの間にか人々は輪を作り、二人を見守っている。

奏でる演奏も賑やかなものから、ゆったりとしたワルツへと変わっていく。

 

 

世界に二人だけ。そんな錯覚に陥るほど、この瞬間は完璧だった。

 

 

「フルーフ。もし貴女の身に危険が訪れた時……私はどんな状況でも必ず貴女の元に駆けつけて助けにいくわ。たとえ、どれだけ時間がかかろうともね」

 

「突然どうしたんですか? それに私は死にたくても死ねませんから、心配無用です」

 

「旦那様っていうのはね、奥さんを助けるものなの……私のことはまだ信じられない?」

 

「いえ。ただ私のために、危険なことはしてほしくはありません」

 

「何を心配しているの? 私は魔族だから自分の命だけは、どんなことがあろうと最優先に行動する。それは貴女も理解しているはずよ……だからこれは何の制約もない口約束」

 

 

残念ながら魔族の嘘を嘘と見抜けないほど、フルーフの魔族への理解は浅くない。

こういう嘘は好きではない。

普段であればそれとなく話を逸らすか、茶化すところだが……

 

 

全て信じると誓った手前、そんなことはできそうにない。

なら……ソリテールが言う通り、これはただの口約束なのだろう。

 

 

「……何を約束するんです?」

 

「もし、本当に駄目だと思った時……私が必ず助けに来ると……ただそう信じて」

 

 

フルーフの体質を知っていれば知っているほど笑ってしまうような約束。

だけど切実な願いが込められた言葉に、フルーフは力強く頷いた。

 

 

「信じます……約束します」

 

 

フルーフは一度目を閉じた。

 

千年以上、死を願い続けてきた。

だが今は違う。この魔族と共に在る未来を、心から望んでいる。

 

だからこそ――怖いのだ。

 

自分よりも先に、彼女が逝ってしまうことが。

 

知らない場所で、知らない誰かに看取られて、フルーフの知らない最期を迎えることが。

 

 

「では、私からもひとつ約束してください」

 

 

声が震えないよう、意識して言葉を紡ぐ。

 

 

「……ソリテール様はいままで誰かに命乞いをしたことありますか?」

 

「ないわ、必要なかったもの。ただどんな言葉でどんな場面で言うかは決めている」

 

「そうですか……なら、それはとても特別な言葉ですね」

 

「魔族の命乞いなんて聞き飽きているでしょ。それが特別になるの?」

 

「大切な旦那様の初めてなのです……当たり前じゃないですか。ソリテール様の最初で最後の命乞い……それを私に聞かせてくれると。そう約束してくれますか?」

 

「ふふ……プロポーズかな?」

 

「言葉の裏を考察できるなんて凄いですね。死期を見届けたいというのは本音です、貴女がこの世を旅立つ瞬間を私とだけ共有してほしい。勝手に……私の見ていないところで死なないでほしいんです」

 

「うん、わかってる。フルーフが悔いなく死ぬために大事なことだもの」

 

 

ソリテールの言葉に一瞬キョトンとしたフルーフは、突然笑い出す。

 

 

「うん?……――ハハ、まだまだですね、ソリテール様。私はただ、愛しい貴女と最期の最期まで一緒にいたいだけです。千年以上ずっと死にたいと考えていました……だけど今はそれ以上に貴女を愛しています。例え今すぐ死ねたとしても……貴女とこれから先の生を望んでいるのです。そして……この約束が貴女を生かそうとしてくれることを期待しています」

 

 

その返答を聞いて、ソリテールは珍しく困惑の表情を浮かべる。

 

 

「………ごめんなさいフルーフ、わかった気でいたわ。だけど全然理解できていなかった」

 

「難しい言葉も理論も必要ありません……聞かせてください、ソリテール様――私を愛してくれていますか?」

 

「えぇ……愛しているわ、フルーフ。だけどこの感情は――」

 

 

偽物の感情。

 

沸き立つような純粋な気持ちではない。

 

ぐちゃぐちゃに捏ね回し、形だけを真似た模造品。

 

フルーフの抱く純粋に相手を思いやる愛情とは違う。

 

どれほど理解を深め、擬似的な感情を生み出そうと……それはまがい物でしかない自覚がソリテールにはあった。

 

フルーフはそんな様子を見てニッカリと笑う。

 

 

「いいんです。必ずしも気持ちが一致する必要なんてない。どんな意味が籠もっていようが、方向性が多少違おうが構いやしない。ただ自信を持って……『愛している』、そう断言できることが本当に大事なことです」

 

 

どれだけズレていても思いの重さは同じ。

 

なら何も問題はない。フルーフはソリテールの偽物の愛情を喜んで肯定する。

 

魔族と人間が愛していると言葉に出して、そう断言できる。

 

それはとても奇跡的なことだ。

 

愛なんて元来そんな適当なものでいいはずなのだ。

 

頭でどうこう考えて答えを出すものでもない……ただ相手と向き合い。

 

互いに強く求めて……愛していると一言口に出せば成立してしまう、そんな曖昧な概念。

 

だから、ソリテールが偽物と自覚する愛情は何も……間違ってなどいない。

 

フルーフにとって眩しく安らげる尊ぶべき温かい感情だ。

 

奇跡に満ち、色褪せた人生に意義をくれる最高の贈り物なのだ。

 

 

「貴女を愛したい、それは本能が理解できない理性の声。無意味としか思えないそんなもの……それらを肯定する意義を……貴女だけが私に齎してくれる。私はね、フルーフ。どれだけネジ曲がろうと、人喰いの怪物。臆病で性格も悪い……だけど自信を持って答えるわ、貴女を……――『愛している』」

 

 

そうだそれでいい……たったその一言があればなにもいらない。

 

 

フルーフは頬が緩み嬉しそうに笑う。

 

 

「はい、私も貴女の全てを『愛しています』。では……その言葉をもって約束は了承したと受け取らせて頂きます」

 

 

意味のある約束とは思えない。

 

しかしここに約束は結ばれてしまった。

 

だからもしもの時は、ありえない口約束を信じ抜いてみよう。

 

ソリテールが唐突に足を止め、ステップが中断される。

 

フルーフは不思議そうにソリテールを見下ろすと、片膝をつき跪いていた。

 

 

「贈り物があるの……受け取ってくれる?」

 

「え?……は、はい! 勿論」

 

 

贈り物……つまりはプレゼント。

 

突然意表を突く展開に、フルーフはテンパりながら大声で了承する。

 

 

「そんな大したものじゃないわ……ただ勇者ヒンメルの話を思い出した。それで貴女にこれを送りたいと思ったの」

 

 

ソリテールが取り出したのは、何気ない燻銀の指輪。

 

華美な装飾はない。宝石も嵌まっていない。

どこにでも売っていそうな、素朴な銀の輪。

 

 

だがフルーフには、それが世界で最も美しいものに見えた。

 

 

冷たい指先が、フルーフの右手を取る。

ソリテールの手は相変わらず人間より少しだけ温度が低い。その冷たさが、今は心地よかった。

 

 

銀の輪が、薬指の関節を滑っていく。

 

 

カチリ、と。小さな音を立てて、指輪が収まった。

 

たったそれだけのことなのに。

 

世界が変わったような気がした。

 

 

「これって……鏡蓮華の指輪ですか?」

 

 

それはかつて勇者ヒンメルがエルフの魔法使いフリーレンに贈ったものと同種のもの。

 

 

『鏡蓮華』

 

……その花言葉が意味するところは――

 

 

「『久遠の愛情』……フルーフ……何れ死が訪れてもずっと一緒」

 

 

静寂が落ちた。

 

遠くで誰かが笑う声がする。楽器の音が夜風に乗って流れてくる。

それなのに、フルーフの耳には何も届かなかった。

ただソリテールの声だけが、頭の中で何度も反響している。

 

 

熱い。頬が、耳が、首筋が――全身が燃えるように熱かった。

 

 

いつの日だったか……勇者ヒンメルに聞いた話の内容。

 

フルーフにとっては悲恋の象徴だったその花。

 

しかしどうだろう……実際に贈られてみれば認識など180度変わる。

 

嫌なジンクスを思い出して頬が引きつるのか?

 

そんなことはない……我慢できないくらい嬉しくて泣きたくなるだけだ。

 

瞳の奥が決壊するように涙が溢れ出す。

 

 

「あ……はは。あれ、おかしいな……魔法が切れるまで時間があるはずなのに……涙が止まりません」

 

「魔法にも許容量があるわ。フルーフ、ずっと泣いてたのね」

 

 

溢れる涙が止まらない。

 

感情を制御できず小柄なソリテールに抱きつくと、濁音だらけの愛の言葉が街の中央で鳴り響く。

 

 

「う、ぅ゛ぁ゛~~ソリテール゛様ぁ゛、あ、愛して゛ますぅ~」

 

「ふふ、結局最後はこうなるのね。本当に……仕方がない奥さん」

 

「一生大事にぃ゛……します゛ぅ!!」

 

 

相手を無感情に殺すところから始まり……愛していると空虚な言葉を交わした。

 

旅の中、相手の感情の重さと自身の執着心に気がついた。

 

街を作り、人間の観察と学習を繰り返し……互いを想いあう結婚式まであげた。

 

それでもすれ違い、互いの認識の違いを日毎に実感する日々。

 

人間と魔族の溝は一生埋まらない。

 

いつの日かマハトに言った言葉を思い出す。

 

全く別の生物……わからない感情があるのは当たり前。

 

 

相互理解など夢物語……。

 

 

まったくもってその通り。

 

 

だけど……それでも。

 

 

ソリテールは嘘偽りない感情を言葉にし……断言する。

 

 

「愛しているわ……フルーフ」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

■■■■■視点。

 

 

月を背に踊る魔族と人間の姿。

 

二人の影が伸び、光の届かない深い闇の底へと繋がっていく。

 

暗い。暗い。深淵の闇の底。

 

 

ズタボロのフードを被った肉塊が路地裏を這う。

湿った肉が石畳を擦る音だけが、静寂を破っていた。フードの隙間から覗くのは、ギョロギョロと蠢く無数の目玉。それらは二人を捕らえて離さない。

 

 

意思は感じられない。

 

 

既に動くことすら億劫だというように、肉塊は肉の腕を支えにしながら、二人の姿を瞳に焼き付けている。

 

 

だが――

 

 

擦り切れ、風化し、もはや読めなくなった手紙に残るインクの残滓のように。

 

 

燃え尽きた灰の中に残る、微かな火種のように。

 

 

無数の目玉が、一斉に同じ方向を向いた。

 

 

月光に照らされた二人の姿を、食い入るように見つめている。

 

 

肉の腕が、ゆっくりと持ち上がった。

 

 

首元に下がる錆びたリングに触れる。

まるで、かつてそうしていたことを思い出すかのように。

 

 

そして――

 

 

その肉塊は、再び何かを思い出したかのように――

 

 

静かに立ち上がった。

 

 

二人に背を向け、暗闇の中へと消えていく。

 

 

月だけが、その背中を見送っていた。

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