ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第27話▶閑話▶血の情事【グロ注意】

 

 

 

――領主の寝室。

 

 

 

重厚なベルベットのカーテンが、月明かりを遮断する。

闇と、濃密な鉄の臭気。それが部屋を支配していた。

 

 

戦場の臭いとは違う。もっと閉鎖的で、湿り気を帯びている。

臓物と体液が腐敗する一歩手前の、甘くむせ返る死の香り。

鼻腔の奥にまとわりつき、肺の隅々まで染み込んでくるような、逃げ場のない芳香だった。

 

 

天蓋付きの豪奢なベッド。

純白だったはずのシーツは、すでに赤黒い染みで地図のような模様を描いている。

乾きかけた血と、まだ湿った血が、幾重もの層を成していた。

 

 

「ねえ、フルーフ」

 

 

鈴を転がすような声が、闇に溶ける。

無名の大魔族ソリテールは、ベッドの端に優雅に腰掛けていた。

その膝の上には、愛おしげに「それ」が乗せられている。

 

 

「今夜も、愛を交わしましょう」

 

 

彼女の細く白い指先が、フルーフの左腕を撫でた。

ただし、そこにはもう皮膚がない。

肩口から指先まで、表皮と真皮は丁寧に剥ぎ取られていた。

鮮紅色の筋肉繊維。白く光る腱。青白く脈打つ血管。

それらが何の覆いもなく、夜気に晒されている。

 

 

「お、OK。バッチコイですぅ……ソリテール様、あだだだッ」

 

 

フルーフの唇から、恍惚と苦悶が混ざり合った吐息が漏れた。

その視線は定まらない。痛みによるショックでも、脳内麻薬の過剰分泌でもない。フルーフがこの表情を浮かべている理由は、もっと救いようのないものだった。

 

 

「見て。貴女の中身、こんなに綺麗」

 

 

ソリテールは、露わになった上腕二頭筋の繊維を、爪先でピンと弾いた。

 

 

「ぁ、がぅ゛ッ――!?」

 

 

直接神経に触れられた衝撃に、フルーフの背骨が弓なりに反る。

喉の奥から、空気が漏れるようなヒューヒューという音。声にならない絶叫。

普通ならショック死は確実だろう。だが、その痛みさえも、フルーフにとっては愛撫に等しかった。

 

 

ソリテールが自分を見ている。

自分の内側に触れている。 その事実だけで、彼女の魂は歓喜に震えるのだ。

 

 

「今日は貴女の『全て』を知りたい気分なの。皮一枚隔てた関係なんて、他人のようで寂しいでしょう?」

 

 

ソリテールは口角を緩めると、右手の人差し指を魔力で覆った。

メスのように鋭利な、不可視の刃。

そして、フルーフの鎖骨から鳩尾にかけて、すぅっと線を引く。

 

 

じわり。赤い線が浮かび上がる。

次の瞬間、皮膚が左右に弾けた。

脂肪層の下にある腹直筋が、生々しく姿を現す。

 

 

「ふふ、まるで熟れた果実を剥くみたい。人間は脆いけれど、中は複雑で、温かくて……胎内みたいに心地いいわ」

 

「わ、わぉ、詩的で素敵ですね。魔族が胎内なんて知るわけないのに、ジョークセンスがキレッキレで――お゛お゛ッ!?」

 

 

ソリテールは、その傷口に両手の指を差し込んだ。

ぬちゃり。湿った音が、静寂の寝室に不釣り合いなほど大きく響く。

生温かい脂肪と筋膜の感触が、彼女の指先を包み込んだ。

 

 

「褒めてくれてありがとう。そう、冗談。最近は誰も笑ってくれないから、何か間違えているのかと思っていたわ。フルーフ、開くわ」

 

メリメリ、ミチミチミチッ。

 

筋肉が引きちぎれ、肋骨が悲鳴を上げる。

ソリテールは力任せに、しかし手つきはあくまで愛おしげに、フルーフの胸郭を左右に押し広げた。

本来、人間の体が開いてはいけない角度まで、骨と肉が拉げ、歪んでいく。

 

 

「あ、が……か、はっ……!」

 

 

肺が圧迫され、呼吸ができなくなる。

視界が明滅し、死の淵が大きく口を開けた。

だが、フルーフは死なない。死なない程度に、再生をコントロールしている。

 

その再生の過程こそが、さらなる地獄の入り口だった。

 

傷口からは、ピンク色の肉芽がブクブクと泡のように湧き立つ。

切断された神経がミミズのようにのたうち回り、互いを探し求めている。

熱い。痒い。痛い。身体の中を数千の虫が這い回るような不快感と、焼けるような熱さが全身を支配する。

 

 

「ああ、待って。まだ治らないで」

 

 

ソリテールは不満げに眉を寄せると、再生しようとする肉芽を無造作に握りつぶした。

グチュッ。生まれたばかりの細胞が、あっけなく死滅する音。

 

 

「貴女の中身を、もっとよく見せて」

 

「は、はーい。止めときまぁす。集中力、切れると戻るので……長くは無理です」

 

 

フルーフの言葉に薄く笑みを刷き、ソリテールは頷いた。

彼女は肋骨の檻をさらにこじ開け、その奥にある臓器へと手を伸ばす。

ピンク色に脈動する肺。その下で、必死に生命を繋ぎ止めようと早鐘を打つ心臓。

 

 

「これが、私を愛していると言ってくれる心臓ね」

 

 

ソリテールの声が、独白のように静かに響く。

 

 

「ラブロマンスの恋愛物語でよく語られているわ。『心臓が脈打つ』、『心に熱が灯った』、『心臓が恋をした』……そんな表現。貴女も、心臓で恋をしているの? ねぇ、フルーフ」

 

 

彼女の冷たい手が、熱く脈打つ心臓を直接鷲掴みにした。

心膜のぬめり。筋肉の収縮。生きようとする臓器の必死の抵抗。その全てを掌で感じながら、ソリテールはうっとりと目を細める。

 

 

「ドクン、ドクンって……必死に私に訴えかけているみたい。フルーフ、この脈動の、どこに『愛』があるの? 血液を送り出すだけのこの肉の塊の、どこに私への想いが詰まっているのかしら?」

 

「え、えぇ? わ、私は下腹部にあるかなぁ……あ、いえ、そ、こに……あります……」

 

 

フルーフは、開かれた胸のまま、血の泡を吐きながら答えた。

気管支が半分潰れているため、声は壊れた笛のようだった。

だが、返答にとんでもない下ネタをねじ込もうとした形跡がある辺り、まだまだ余裕があるらしい。

 

 

「ソリテール様が……触れている、そこが……私の、全て、です……」

 

 

魂にある、などという身も蓋もない正解は口にしない。

情事の最中に雰囲気を壊すような真似を、フルーフは決してしなかった。

 

 

「そう。じゃあ、確かめさせて」

 

 

ソリテールは、指先に力を込めた。

心臓の柔らかな肉に、細い指がゆっくりと食い込んでいく。

 

 

「ぅがぉ゛!! ォ、がぎィ゛ぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」

 

「こうして圧力をかけると、鼓動が速くなる。これは恐怖? それとも興奮?」

 

 

彼女は、まるで熟れすぎた果実を握るように、さらに力を込めた。

心筋が悲鳴を上げ、弁が正常に機能しなくなる。

血液の循環が阻害され、フルーフの手足が紫色に変色し、痙攣を始めた。

 

 

「出してあげる」

 

 

ブチブチブチッ!

 

 

大動脈、大静脈、肺動脈――心臓を繋ぎ止めていた太い血管が、一気に引きちぎられた。

堰を切ったように溢れ出す鮮血が、ソリテールの顔を朱に染める。

彼女はそれを気にする素振りもなく、フルーフの胸から取り出した心臓を、宝物のように両手で掲げた。

 

 

生臭い鉄の香りが、ソリテールの鼻腔を満たす。

温かく、濃厚で、どこか甘い。生きている証の匂いだった。

 

 

「綺麗ね……。まだ動いているわ」

 

 

体外に取り出されてなお、フルーフの心臓はピクピクと痙攣を続けていた。

それは、主人の意思を反映し、ソリテールの手の中で生きようと足掻いているようだった。

 

 

「あ……あ……」

 

 

心臓を失ったフルーフの身体が、急速に冷たくなっていく。

脳への血流が途絶え、意識が闇に沈もうとする。 だが、ソリテールはそれを許さない。

 

 

「死なせないわ。まだ、お話の途中でしょう?」

 

 

彼女は、空いた手で水を操る魔法を行使する。

心臓の代わりに、フルーフの脳へ血と酸素を直接送り込み、全身に巡らせる。魔法による強制的な生命維持。

 

「見て、フルーフ。これが貴女の心よ」

 

 

ソリテールは、摘出した心臓をフルーフの目の前に突きつけた。

焦点の合わない瞳が、ぼんやりと自分の心臓を捉える。

 

 

「美味しそう」

 

 

ソリテールは、無邪気な子供のような声でそう言った。

そして、心臓に齧り付く。

 

 

ガブリ。 クチャ、クチャ、クチャ。

 

 

生々しい咀嚼音が部屋に響いた。

心筋が噛みちぎられ、中に溜まっていた血液がソリテールの口の端から溢れる。

顎を伝い、首筋を流れ、鎖骨の窪みに溜まっていく。

フルーフの生気のない瞳がカッと見開かれ、その光景を凝視した。

 

 

「え゛、エッチだぁ……」

 

 

掠れた声が、かろうじて唇から零れる。

 

 

「ん……鉄の味。少し塩辛くて、濃厚で……ふふ、これが貴女の愛の味なのね」

 

 

自分の心臓が、愛する人に食べられていく。

その光景を、フルーフは特等席で見せつけられている。

常人なら発狂しているところだろう。だが、フルーフの精神構造は、とうに常人の範疇を逸脱していた。

 

 

「ああ、おいしいわ。もっと、もっと貴女を感じさせて」

 

 

心臓を完食したソリテールは、血に濡れた唇を舌で舐め取ると、次なる獲物を求めて開かれた腹腔へと手を伸ばした。

胃、肝臓、腸。 温かい内臓の海に、手をゆっくりと沈めていく。

 

 

「腸って、長いわよね。引っ張り出してもいい?」

 

 

返事を待たず、彼女は小腸を掴んで引っ張り出した。

ズルズル、ズルズルと、無限に続くかのような管が、フルーフの体内から引きずり出されていく。

ぬちゃ、ぬちゃ、と粘液質の音が規則的に響く。

腸間膜が引き裂かれる鈍い音が、生理的な嫌悪感を催させた。

 

 

「まるで赤い紐ね。これで貴女を縛ったら、可愛いかしら」

 

 

ソリテールは、引きずり出した腸をフルーフの首に巻き付けた。

自分の内臓で絞殺される感覚。温かく、生臭く、そして絶対的な死の予感。

 

 

「う、ぐ……げ、ほ……」

 

「ふふ、首輪みたい。似合うわ、フルーフ。貴女は私の可愛い飼い犬だものね」

 

 

ソリテールは楽しげに笑いながら、さらに腸を引きずり出す。

空洞になった腹腔に、血が溜まっていく。

ぽちゃん、ぽちゃんと、小さな水音が内臓の海から聞こえた。

 

 

「でも、こんなに中身を出しちゃったら、空っぽだわ」

 

 

彼女は小首を傾げ、何かを思いついたように手を打った。

 

 

「そうだわ。私が埋めてあげる」

 

 

ソリテールは、スカートを捲り上げた。

そして、自らの足を、フルーフの開かれた腹の傷口へと差し入れる。

 

 

「ぐ、ぅぅぅぅぅぅ! あ、逝くッ! 逝くの方のイく! これイく゛ぅ!」

 

 

異物が、体内へ侵入してくる。

刃物や医療器具ではない。愛する人の足という、有機的な質量の暴力。

華奢な足が、内臓の隙間を押し広げ、脊椎を直接踏みつけた。

 

 

「温かいわ……フルーフの内。これが愛を確かめ、感じ合うというものなのかしら?」

 

 

ソリテールは、さらに体重をかけていく。

足首まで、やがてふくらはぎまで、フルーフの体内へと沈み込んでいく。

内側から圧迫される感覚。

生物としての尊厳など、欠片も残されていない。

ただの肉袋として弄ばれている――だがフルーフの意識は、ひたすら一点に集中していた。

 

 

脚だ。ソリテール様の脚が、自分の中に。

 

 

「ねえ、フルーフ。今、私たちは一つよ。貴女の中に私がいて、私の胃の中には貴女の心臓がある。とてもロマンチックだとは思わない?」

 

「は、い……あぁ、ソリテール、さま……ろまん、ちっくですねぇ……」

 

「えぇ、素敵ね」

 

 

ソリテールは、フルーフの体内に足を埋めたまま、ベッドの上に身を乗り出した。

そして、皮膚を剥がれ筋肉が露出したフルーフの顔に、自分の顔を近づける。

 

 

眼球には瞼がないため、フルーフはソリテールの顔を瞬きもせずに見つめ続けるしかない。

美しい魔族の顔。口元は血で紅く染まり、瞳は昏い欲望で潤んでいる。

 

 

「キスしましょ」

 

 

ソリテールの唇が、皮のないフルーフの口元に押し付けられた。

歯茎が露わになった口内に、滑らかな舌が侵入してくる。

 

 

血の味と、唾液の味が混ざり合う。

 

 

それはロマンティックな口づけなどではない。

互いの存在を喰らい合う、捕食行動としての接吻。

 

 

「ん……ちゅ……」

 

 

ソリテールは、口づけの最中に、フルーフの舌を強く噛んだ。

プチッ。舌先が食いちぎられる。熱い液体が口内を満たし、気管へと流れ込む。

 

 

フルーフは反射的に咳き込もうとしたが、開かれた胸郭と圧迫された肺では、それすらままならない。

ただゴボゴボと、溺れるような音を喉の奥で鳴らすだけだ。

 

 

ソリテールは、食いちぎったフルーフの舌先を、飴玉のように口の中で転がした。

 

 

「ん……。よく動く舌ね。いつも私に愛を囁いていた部位」

 

「ひょりてーるひゃま……え、えっひ、らぁ……」

 

 

彼女は一度だけ咀嚼すると、ごくりと飲み込んだ。

喉仏が上下する。その音が、静寂の中で妙に大きく響いた。

 

 

「ごちそうさま。これで貴女の言葉は、永遠に私の一部になったわ」

 

 

フルーフの意識の片隅で、場違いな感想が浮かんだ。

素敵だ、と。最近読んだ恋愛物語の影響だろうか。ソリテールの言葉が、やけに詩的に聞こえる。

 

 

「あ……ぐ……ぅ……」

 

 

舌を失ったフルーフは、もはやまともな言葉を紡げない。

口からはとめどなく血が溢れ、露わになった歯茎と歯列を赤黒く染め上げている。

何かを伝えようと口を動かすたびに、断面から新たな血が噴き出し、痛みと窒息感が彼女を襲った。

 

 

だが、その瞳は 瞼のない、剥き出しの眼球は、狂おしいほどの熱量でソリテールを見つめていた。

 

ソリテールが自分を見ている。

自分の全てに触れている。その事実だけで、脳髄が痺れるほどの歓喜が駆け巡る。

痛い。苦しい。生存本能が悲鳴を上げている。けれど、それ以上に――歓喜。

 

 

「静かになった。でも、目は雄弁ね」

 

 

ソリテールは、自分の口から出た言葉に、わずかに目を見張った。

 

 

「……今の言葉が自然に出たことに驚いたわ。まさか魔族が『目は雄弁』だなんて口にするなんて。それはつまり、私が貴女の目から愛を読み取った、そういうこと」

 

 

フルーフは声を出せない代わりに、残された右手をゆらりと持ち上げた。

皮膚の剥がれた、筋肉だけの指が、震えながらソリテールの頬に触れようとする。

 

 

ソリテールは、その血まみれの手を自分の頬に押し当てた。

冷たくて、ぬるぬるして、けれどどこか心地いい。

 

 

彼女は、フルーフの顔に自分の顔を再度寄せた。鼻先が触れ合う距離。

そしてソリテールは、体内に沈めていた足をゆっくりと引き抜いた。

 

 

ぬちゃぁ。

 

 

粘着質な音と共に、腸や膜が足に絡みつく。

彼女はそれを煩わしそうに蹴り払うと、今度はフルーフの頭部へと手を伸ばした。

 

 

「ねえ、フルーフ。人間は心臓で恋をして、脳で愛を誓うと言うわ」

 

 

冷たい指先が、フルーフの頭皮に触れる。

すでに髪は血と脂汗でべっとりと張り付き、頭皮からは汗と鉄錆の混じった臭いが立ち上っていた。

 

 

フルーフの意識の片隅で、疑問が浮かんだ。

脳で愛を誓うとは、一体どこの文献から拾ってきた表現なのだろう。

 

 

「心臓。舌。次は……その思考を覗かせて」

 

 

ソリテールは、フルーフのこめかみに両手の親指を添えた。

 

メリッ。

 

親指が、皮膚を突き破り、側頭骨に食い込む。

頭蓋を万力で締め上げられるような圧迫感。

眼球が飛び出しそうになり、視界が赤く染まった。

 

 

「あ、が……ガッ……!!」

 

 

フルーフの意識の中で、警鐘が鳴った。

この流れ、覚えがある。久方ぶりの展開だ。自分の頭蓋が開かれる――

 

 

「硬い箱ね。大事なものを守るためかしら? それとも、狂気を外に漏らさないため?」

 

 

ソリテールは楽しげに目を細めると、指先に魔力を集中させた。

ウィィィィン。 不快な振動音が響く。それは、骨を削る音だった。

木こりたちが伐採に使う民間魔法を、人体に応用している。

 

 

「開けるわ」

 

 

バキィッ!!

 

鈍い破砕音と共に、フルーフの頭蓋骨の上半分が、綺麗に剥がれ落ちた。

蓋を開けるように、パカリと。

 

 

「こんにちは」

 

 

ソリテールは、感嘆の声を上げた。 そこには、薄い膜に包まれた、灰白色の脳髄が露わになっていた。

皺の刻まれた表面が、かすかに脈動している。

 

 

「いつ見ても……意外と小さい」

 

 

その言葉に、フルーフは内心で眉を寄せた。それは遠回しに馬鹿と言っているのだろうか。

 

ソリテールは、剥き出しになった脳を、指先でツンとつついた。

 

ビクッ。

 

フルーフの四肢が、意思とは無関係に激しく痙攣した。

脳への直接的な刺激。痛みという概念を超越した、神経そのものを犯される衝撃。

視界に、存在しないはずの光が明滅し、耳元で轟音が鳴り響く。

 

 

「ここを触って、魔法で少し雷を流せば……右手が動くわ。こっちは左足」

 

 

ソリテールは、実験でもするかのように、脳の各部位を指で押した。

指を沈めるたびに、フルーフの身体は操り人形のように無様に跳ね回る。

開かれた腹腔から腸がこぼれ落ち、切断された血管から血が撒き散らされた。

 

 

「あ、あ、あ、あ……」

 

 

喉の奥から、壊れた蓄音機のような音が漏れる。

意識がある状態で、自分の脳をかき混ぜられる感覚。

自我が崩壊していく。自分が自分でなくなっていく。

記憶が走馬灯のように駆け巡り、そしてプツリと途切れる。

 

 

「ねえ、フルーフ。愛を司る場所はどこ? ここ? それともここ?」

 

 

ソリテールは、前頭葉のあたりに指を深く突き刺した。

グチュ。 柔らかい豆を潰すような音がする。

 

 

その瞬間、フルーフの世界から「色」が消えた。

感情が、思考が、白いホワイトノイズにかき消されていく。

 

 

「……」

 

 

フルーフの瞳から、光が完全に失われた。

口元は半開きのまま、涎と血を垂れ流し、ただピクピクと痙攣するだけの肉塊と化している。

 

 

「死に際の言葉をまだ聞いていないわ……」

 

 

ソリテールは、指についた脳漿をペロリと舐めた。

濃厚な脂肪と、鉄の味。温かく、生臭い。

 

 

彼女は、脳を弄るのをやめ、虚ろなフルーフの瞳を覗き込んだ。

ソリテールの声は、優しく、そして残酷に響く。

 

 

「貴女の脳が壊れても、心が砕けても、貴女の魂は私を求めている。……そうでしょ?」

 

 

返事はない。

だが、フルーフの残された右手だけが、ゆらりと持ち上がった。

皮膚の剥がれた、筋肉だけの指が、震えながら愛する人に触れようとする。

 

 

「無言の返事、ということにしておくわ」

 

 

ソリテールは、その紅に濡れた手を自分の頬に押し当てた。

冷たくて、ぬるぬるして、とても心地いい。

 

 

彼女は、フルーフの顔に自分の顔を寄せた。 鼻先が触れ合う距離。

 

 

「じゃあ、仕上げをしましょうか」

 

 

ソリテールは、右手全体を魔力で覆った。

 

 

「言葉を交わせないのはさびしいわ。フルーフ、そろそろ死に時ね」

 

 

彼女は、剥き出しになったフルーフの脳に、その手をかざした。

 

 

「魔力の塊で一撃で圧殺するわ。だから直ぐに戻ってきて」

 

 

グシャァッ!!

 

 

破裂音。

完熟した果実をハンマーで叩き潰したかのように、フルーフの頭部が内側から弾け飛んだ。

脳漿と骨片が、部屋中に散弾のように飛び散る。

ソリテールの美しい顔も、衣服も、ベッドも、全てが紅白の肉片で汚された。

 

 

頭を失ったフルーフの身体が、ビクンと一度だけ大きく跳ね――そして、動かなくなった。

 

 

 

静寂。

 

 

 

ただ、肉片が壁から滑り落ちる音と、ソリテールの荒い息遣いだけが聞こえる。

 

 

「…………」

 

 

ソリテールは、首から上がなくなったフルーフの遺体を見下ろした。

美しい断面。脊髄が白く覗き、切断された動脈からはまだ血がドクドクと溢れている。

 

 

ボコ、ボコボコッ。

 

 

しかし、すぐに肉が沸騰を始めた。

失われた骨が、筋肉が、神経が、何もない空間に編み上げられていく。

砕け散った脳漿が再構築され、元の形へと収束していく。剥がされた皮膚が、足の先から波のように再生していく。

 

 

逆再生されるビデオテープのように。惨たらしい死体は、見る見るうちに、五体満足な人間の女性へと戻っていった。

瞬き一つの間に、完全な再生が終わる。

 

 

「ふぁ、おはようございます、ソリテール様。そろそろ寝ますか」

 

「おはよう、フルーフ。身体の調子はどう?」

 

 

血まみれのままのソリテールが、穏やかに微笑みかける。

 

 

「いつも通りですね。苦も無く、好調も無く。まぁ、精神的にはソリテール様に跨られているので絶好調ですが」

 

 

フルーフは、ソリテールの血まみれの手を取り、甲にキスをした。

自分が流した血を、愛おしそうに舐めとる。

 

 

ソリテールは満足げに頷くと、ベッドに横たわった。

 

 

「少しお話した後、もう数回愛し合いましょう。倦怠期、レスというものが愛を冷めさせると住民から聞いたわ。私は回数もこなせる旦那様だから、安心して」

 

 

「あ、あぁ~……そうですね。嬉しいですが、それ意味が少し違いますね。回数ってたぶんアレのことですし……あ、でも私にしか言いませんよね、なら全然問題ないです。望むところですソリテール様」

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

――深夜、丑三つ時。

 

 

血の海と化したベッドの上で、少しばかりの仮眠を取った二人は、むくりと起き上がった。

普通なら事後の気怠さに包まれる時間帯だが、この狂人夫婦にそんな常識は通用しない。

フルーフは蘇生直後で目がギンギンに冴え渡っており、ソリテールも特に眠気を感じた様子もなくケロリとしている。

 

 

窓の外では、月が中天を過ぎて西へと傾き始めていた。

部屋には、乾きかけた血と、まだ湿った血の、二層の臭いが漂っている。

 

 

「ねえ、フルーフ。暇ね」

 

「そうですね、ソリテール様。せっかくの夜ですし、趣向を変えて遊びましょうか」

 

 

フルーフはニヤリと笑うと、ベッドから軽やかに飛び降りた。

血糊で滑る床を器用に渡り、クローゼットの扉を開ける。そこから引っ張り出したのは、どこかの三文芝居に出てくるような衣装だった。

 

 

金ピカでペラペラの騎士甲冑。マントは燃えるような赤、兜には無駄に長い羽根飾り。

手には、刃が潰れた――というより最初から刃など存在しない、ただの鉄の棒のような剣。

 

 

フルーフは、血糊で滑る床の上で、大仰なポーズを決めた。

マントを翻し、剣を天に掲げ、芝居がかった声を張り上げる。

 

 

「やぁやぁ! 我こそは勇者フルーフ! 魔王ソリテールよ、この女神の使徒たる私が、聖剣エクス・ナ・カリバーで仕留めてみせようぞ」

 

 

エクス・ナ・カリバー。どう見てもただの鉄棒だが、本人は大真面目だった。

しっかりと口上を言い切り、茶番臭があまりにも激しい。

風切り音だけは勇ましいが、切っ先は明後日の方向を向いている。

 

 

ベッドの上で胡坐をかいていたソリテールは、きょとんとした後、楽しそうに手を叩いた。

 

 

「あら、ごっこ遊び? いいわね」

 

 

ソリテールは血で真っ赤に染まったシーツをマントのように羽織り、魔王らしく尊大に振る舞ってみせた。背筋を伸ばし、顎を上げ、冷酷な支配者の貌を作る。

 

 

「よく来たわ、愚かな勇者よ。私の城に足を踏み入れたことを後悔させてあげる」

 

「問答無用! 受けてみよ、必殺の聖剣突きぃぃぃ!」

 

 

フルーフは、ドタドタと足音を立てて突進した。

そして、手にしたエクス・ナ・カリバーを、ソリテールの鳩尾めがけて突き出す。

 

 

ぐにゃぁ。

 

 

鈍ら剣の切っ先がソリテールの肌に触れた瞬間、刀身があらぬ方向にひん曲がった。

所詮は刃もないガラクタ。大魔族の魔力障壁どころか、皮膚一枚すら貫けない。

 

 

「……あ」

 

 

フルーフが間の抜けた声を出す。

 

 

「ふふ、貧弱な聖剣ね。鍛冶屋に騙されたのかしら?」

 

 

ソリテールは口元だけで笑みを作りながら、ひん曲がった剣の刀身を指先で摘んだ。

 

 

「勇者様、武器の手入れは大切よ? お仕置きが必要ね」

 

 

パキンッ!

 

 

彼女が軽く指を弾くと、鉄の剣は粉々に砕け散った。

破片が散弾となってフルーフの顔面に突き刺さる。

 

 

「ぐべっ!? い、痛ぁ……! め、目がぁ! 目がぁっ!」

 

 

右目に鉄片が深々と突き刺さり、水晶体が破裂する。

眼窩から血と硝子体液が混じった液体が流れ落ち、頬を伝っていく。

だが、フルーフは怯まない。隻眼のまま、ニヤリと笑った。

 

 

「くっくっく……やはり魔王、一筋縄ではいかないようだな。だが、武器など飾り! この拳こそが正義の鉄槌!」

 

「元気ねぇ。じゃあ、その拳、貰っていい?」

 

 

ソリテールは、殴りかかってきたフルーフの右拳を、優しく包み込んだ。

まるで恋人の手を取るように、柔らかく、穏やかに。

そして、雑巾を絞るように、グリリと捻り上げた。

 

 

ベキベキベキッ、ブチブチィッ!!

 

 

「ッふんぎゃあああああああああ!」

 

 

手首から先が、あり得ない方向に三百六十度回転し、千切れ飛んだ。

尺骨と橈骨が皮膚を突き破り、白く鋭利な断面を晒す。

血が噴水のように吹き出し、ソリテールの頬を赤く染めた。

 

 

「見て、勇者様。骨が飛び出てるわ。これが勇者の隠し武器?」

 

 

ソリテールは千切れたフルーフの右手首を拾い上げると、それを振り回し、フルーフの左頬を殴りつけた。

 

 

バチンッ!!

 

 

「ぶべらっ!?」

 

 

自分の手で自分を殴られる屈辱。

フルーフは血反吐を吐きながら吹き飛び、壁に激突した。甲冑がひしゃげ、中の肋骨が数本、嫌な音を立てて内臓に突き刺さる。

 

 

「ま、まだだ……。 勇者は……何度でも立ち上がる……!」

 

 

フルーフはよろめきながら立ち上がった。

右手がなく、右目が潰れ、口から大量の血を流している。だが、そのテンションだけは異常に高い。

 

 

「くらえ、魔王! 外法蹴り!」

 

「単調ね」

 

 

ソリテールは、蹴り出されたフルーフの右足を、足首のあたりで軽々とキャッチした。

そして、そのままバットスイングのように、フルーフの身体を水平に振り回す。

 

 

ブンッ、ブンッ、ブゥゥン!

 

 

「うぉぉぉぉぉ! 回るぅぅぅぅ! ちょ、ちょぉ、とぉ!」

 

 

遠心力でフルーフの目玉が飛び出しそうになる。

血がスプリンクラーのように部屋中に撒き散らされ、壁に、天井に、赤い模様を描いていく。

 

 

「離すわ」

 

 

ソリテールは手を離した。

フルーフは弾丸のように飛んでいき、部屋の隅にあるアンティークの飾り棚に突っ込んだ。

 

 

ガシャァァァン!!

 

 

高級な陶磁器やガラス細工と共に、フルーフの身体が砕ける。

破片が全身に突き刺さり、フルーフは文字通り針山のような状態になった。

背中からは棚板が突き出し、腹部にはガラスの破片が無数に埋まっている。

 

 

「ぐ、ふっ……。つ、強い……さすがは魔王……」

 

 

フルーフは瓦礫の山から這い出してくる。

全身から血を噴き出し、右足は膝から下がなくなっている。

這いずりながら、勇者フルーフは必死にソリテールの方へ向かった。

 

 

「だが、まだ終わりではない……! この命ある限り……!」

 

「しつこい勇者は嫌われるわよ?」

 

 

ソリテールはベッドから降り、這いずってくるフルーフの前に立った。

そして、彼女の背中を踵で踏みつける。

 

 

「ぐぎゃっ!?」

 

「ここを踏むと、どうなるのかしら?」

 

 

グリグリ、と踵をねじ込む。 脊椎が悲鳴を上げ、椎間板が弾け飛ぶ音がした。

 

 

「んあ~~~、あぁぁぁン! そ、そこは……勇者の弱点……!」

 

「変な弱点ね。じゃあ、中身を確認しましょうか」

 

 

ソリテールは、フルーフの背中の甲冑を素手で引き裂いた。

金属が紙のように破れ、中の背中が露わになる。そして、背中の皮膚に指を突き立て、左右に引き剥がした。

 

ぐちゅぅ、ブチぶちぃッ!

 

 

「のわぁぁぁぁ! 背中が! 私の背中がぁぁぁ!」

 

「わあ、背骨が丸見え。まるで魚の骨ね」

 

 

ソリテールは露出した脊柱を指でなぞった。

白い骨と、その間から覗くピンク色の脊髄。触れるたびに、フルーフの四肢がビクビクと痙攣する。

 

 

「ねえ、勇者様。背骨を一本抜いたら、だるま落としみたいになるかしら?」

 

「いやいやいや……それは、人体の構造的に……」

 

「やってみないと分からないでしょ?」

 

 

ソリテールは楽しそうに目を細めると、第三胸椎あたりを掴み、力任せに引っこ抜いた。

 

 

ゴッ、ボコッ!

 

 

凄まじい音と共に、脊椎の一部が引き抜かれる。

神経がブチブチと千切れ、フルーフの下半身が完全に制御を失ってダラリと弛緩した。

 

 

「あ、あ、あ、あ……腰が……私の腰が抜けたぁぁぁ……」

 

 

物理的に腰が抜けた状態である。

 

 

「あら、失敗。だるま落としにはならなかった。ただ折れただけ」

 

 

ソリテールは、血まみれの背骨をポイと投げ捨てた。

骨が床に落ちて、カラン、と乾いた音を立てる。

そして、虫の息の勇者フルーフを仰向けにひっくり返す。

 

 

「さて、勇者様。そろそろ終幕の時間」

 

 

ソリテールは、フルーフの腹の上に馬乗りになった。

そして、腹を裂き、両手を突っ込む。

 

 

「内臓占いをしてあげる。今日の運勢は……」

 

 

ズルッ、ズズズズ……。

 

 

彼女はフルーフの小腸を、まるで手品師が万国旗を出すように、次々と引っ張り出した。

長く、長く、どこまでも続くピンク色の管。ぬちゃ、ぬちゃ、と粘液質の音が規則的に響く。

 

 

「う、ぐぇ……また、お、お腹の中が……空っぽに……」

 

「見て、綺麗なピンク色。色言葉は『幸福感』『恋愛』。私達に相応しいわ」

 

 

ソリテールは腸を首に巻きつけ、マフラーのようにしておどけて見せた。

可愛げの欠片もない。

フルーフは虚ろな目で、自分の内臓を身に纏う愛する人を見つめ、無言でグッドサインを贈った。

 

 

「さあ、トドメよ勇者フルーフ。何か言い残すことはあるかしら? 死に際の言葉を聞かせて?」

 

 

ソリテールは、フルーフの首に両手をかけた。

その手は、血と脂でぬるぬるに光っている。

 

 

フルーフは、残った左手で、必死にソリテールの頬に触れた。

そして、口から血の泡を吹きながら、笑った。

 

 

「愛してます、ソリテール様」

 

「私も愛してるわ、フルーフ」

 

 

バキィッ!!

 

 

ソリテールは、まるでスナック菓子を割るような気軽さで、フルーフの首をへし折った。

首が百八十度回転し、フルーフは絶命した。顔には、満面の笑みを浮かべたまま。

 

 

静寂が戻る。

 

部屋は先ほど以上に悲惨なことになっていた。

壁には剣の破片が刺さり、床は血のプール、家具は粉砕され、あちこちにフルーフの骨や内臓が散らばっている。

アンティークの飾り棚は瓦礫と化し、高級な陶磁器は見る影もない。

天井にまで血飛沫が届き、赤黒い染みが星座のような模様を描いていた。

 

「いい運動になったわ」

 

ソリテールがそう一言零した。

 

そう一言零し、瞬き一つすると、フルーフが五体満足で平然と寝っ転がっていた。

立ち上がり、肩を回しながら背伸びをして、深呼吸。

 

「ふぁぁ……。今、何時ですか?」

 

 

彼女は窓の外を見やり、まだ暗い空を確認する。

 

 

「……うぅん、日の出まであと三時間もありますね」

 

 

「そう。なら次は何をして遊ぼうかし――

 

 

ソリテールがそう言い切る前だった。

 

 

ドドドドドッ。

 

 

何かが猛スピードで駆けてくる音が聞こえた。 苛立った足音が階段を駆け上がり、廊下を走り、部屋の前まで迫り――

 

――バッッッコォンッ!!!

 

部屋の扉が蹴破られた。 重厚な樫の扉が蝶番ごと吹き飛び、回転しながら部屋の中へ突入してくる。その角がフルーフの脳天に直撃し、頭蓋骨にめり込んだ。

 

「ぐべぇっ!?」

 

また、フルーフが死亡。今度は即死。

 

 

煙が立ち込める。

破壊された出入り口に視線を向けると、そこには額に青筋を立たせたリーニエが斧を担いで立っていた。

瞳孔が縦に伸びており、激オコである

 

 

「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッッッッッ!!!煩い。うるせぇぇぇえッ!!――

 

 

リーニエ、怒りの咆哮。かの変態夫婦の馬鹿騒ぎに対する正当な叫びが館に響き渡った。

普段は無口だというのに、今回ばかりはピキピキである。

 

 

「知らねぇ! ファイナルファンタ――ふ゛ぁっ!?」

 

 

即座に蘇生し、茶々を入れようとしたフルーフに、手斧が投擲された。

刃が額に深々と突き刺さり、言葉が途切れる。

 

 

「ふぁい、なる……ふぁん……た……ずぃ……」

 

 

崩れ落ちるフルーフ。二度目の死。

 

絶賛怒りゲージMAXのリーニエに、ソリテールは血塗れのままにこやかにリーニエに話しかけた。

 

 

「リーニエ。どうしたの? そんなに怒って」

 

「煩いです、ソリテール様。フルーフ、この馬鹿弟子。防音の結界はどうしたの?貼ってからヤれ。煩い。眠い。死ね。……寝なよ、フルーフ。寝ろ。掃除して寝ろ、臭い、死ね」

 

目がキマっておられる。

ソリテールへの敬語とフルーフへのタメ口が反復横跳びしており、情緒が安定していない。

 

 

ソリテールは、何かを思い出したように「あぁ」と気の抜けた返事を返した。

手斧を額から引き抜いて蘇生したフルーフも、「あぁ」と心当たりのある声を漏らす。

 

 

定例会議でリーニエに苦情を叩きつけられて以降、魔道具で部屋を防音加工していたのだが――

 

 

フルーフは部屋の中を見渡した。

魔道具の置いてあった場所に視線を向ける。棚の上、ベッドサイド、窓際。しかしそこにあったのは、無惨に潰れた魔道具の残骸だけだった。

 

先ほどのごっこ遊びの最中に、フルーフが飾り棚に突っ込んだ時に巻き添えになったらしい。

 

 

「す、すみません。リーニエ師匠、魔道具に少し不具合があったようで、以後気をつけます」

 

「不具合ぃ?」

 

 

リーニエの声が、一段低くなった。

 

 

「何、魔道具のせいにしてるの? ――殺すぞ?」

 

「あ、はい。私が盛りすぎて壊してしまいました! 申し訳ありません!! 以後絶対に起きないようにします!」

 

 

あまりにドスの効いた、キレ味抜群の言葉。

フルーフは姿勢を正して頭を下げた。

家庭内ヒエラルキー最下位の彼女に、言い訳する権利などない。

 

 

「フルーフ、片付けを手伝うわ」

 

 

ソリテールが口を開いた。

彼女からすれば、リーニエの苦情に従う義理などない。

だが、おひらきの空気を感じ取り、素直に応じることにしたようだ。

 

 

リーニエは腕組みをしながら、イライラと足を踏み鳴らしていた。

その監視の下、二人は後片付けに取りかかる。

 

 

フルーフは血抜きの民間魔法でシーツやカーペットに染み込んだ血を抜き取り、絞り出した血液をバケツに溜めていく。

ソリテールは水を操る魔法で部屋中の血溜まりを空中の一箇所に集め、窓を開けて地平線の彼方――海に向かって放水した。

 

 

壊れた家具はフルーフが背中に背負い、テラスから飛び降りて焼却場まで運んでいく。 何往復かする間に、リーニエは立ったまま半分船を漕ぎ始めていた。

 

 

作業が終わる頃には、東の空がわずかに白み始めていた。

部屋が元通りになったことを確認すると、リーニエはフルーフに無言で中指を立て、だるそうな足取りで自室へと戻っていく。

 

 

その様子を物陰からハラハラと見守っていた館の使用人の一人が、すれ違いざまに恐る恐る声をかけた。

 

 

「あの、リーニエ様……? どうでしたか?」

 

しかしリーニエは鬱陶しそうに片手で制し、「もう大丈夫」とだけ言い残して去っていった。

 

 

この館には多くのメイドや執事が住み込んでいる。

彼らは、主であるフルーフとソリテールが時たま繰り広げるドンチキ騒ぎに、常々頭を抱えていた。

 

 

恩もあるし、好感も持っている、 本来なら誰も苦言など呈せない絶対的強者である二人。

だがリーニエだけが、ズケズケと文句を言い、暴走を止めてくれる。

 

 

屋敷内で、誰も言い出せない問題を解決してくれる唯一の存在、それがリーニエなのだ。

今回の一件で、彼女の株がまたストップ高になったことは言うまでもない。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

朝日が水平線から顔を出し、シンビオシスの街を黄金色に染め上げていく。

 

リーニエは一眠りしてから農園に向かった。

朝露に濡れたリンゴの木々の間を歩き、実りの具合を確認していく。

午後からは趣味半分で、若い戦士や騎士の育成に汗を流す予定だ。

彼女の指導は厳しいことで有名だが、それでも弟子入りを志願する者は後を絶たなかった。

 

 

ソリテールは本を小脇に抱え、自身の実験場でもある教育機関へと足を運んだ。

門をくぐると、子供たちの元気な声が耳に飛び込んでくる。

人間の子供も、魔族の子供も、等しく彼女に駆け寄り、「おはようございます、校長先生!」と口々に挨拶した。

ソリテールはにこやかに微笑み返し、一人一人の頭を撫でながら校舎へと向かう。

 

 

フルーフもまた、自身の職場へと向かった。

再教育センターの所長室。机の上には、すでに書類の山が待ち構えていた。

承認、サイン、承認、サイン。単純作業の地獄が彼女を歓迎する。

 

 

昼下がり。

 

教育機関の中庭では、子供たちが魔法の実技演習に励んでいた。

ソリテールは木陰から、その様子を静かに見守っている。

人間の少年が魔族の少女にコツを教え、魔族の少年が人間の少女の失敗をフォローする。

 

「先生ー! 見てください、できましたー!」

 

魔族の少女が、小さな水の渦を掌の上に作り出していた。

怯えていた瞳には、今は達成感と喜びが輝いている。

 

「素晴らしいわ、リズ。とても綺麗」

 

ソリテールは少女の元へ歩み寄り、その頭を優しく撫でた。

子供たちの笑い声が、青い空に吸い込まれていく。

 

 

夕暮れ時。

 

弟子を鍛えた後。リーニエの農園では、再開した収穫作業が一段落していた。

彼女は木箱に腰掛け、真っ赤に熟れたリンゴを一つ、シャリッと齧る。

 

甘酸っぱい果汁が口の中に広がった。

良い出来だ。シードルの新作が楽しみになる。

 

遠くで、弟子たちが手を振っている姿が見える。

リーニエは無表情のまま、その様子を眺めていた。

 

 

「師匠ー! 今日の稽古、ありがとうございましたー!」

 

 

若い戦士が、汗だくになりながら頭を下げる。

リーニエは小さく頷き、無言でリンゴを投げ渡した。

 

 

「食べて。もう、帰っていい」

 

「は、はい! ありがとうございます!」

 

戦士は嬉しそうにリンゴを受け取り、仲間たちの元へ駆けていった。

 

リーニエは二つ目のリンゴに齧りつきながら、沈みゆく夕日を眺める。

 

 

夜。領主の館。

修繕された寝室で、フルーフとソリテールは向かい合って座っていた。

 

「今日も疲れましたね、ソリテール様」

 

「そうね。でも、充実した一日だったわ」

 

 

窓の外には、満天の星空が広がっている。 月明かりが二人の顔を柔らかく照らしていた。

 

 

「ソリテール様」

 

「何?」

 

「愛しています」

 

ソリテールは小さく微笑んだ。

 

「私も愛しているわ、フルーフ」

 

二人の唇が、静かに重なった。 血の味はしない。

今夜は、ただ穏やかな口づけ。

 

「フルーフ。今夜は、静かに眠る?」

 

「そうですね。リーニエ師匠に殺されたくないですし」

 

二人は顔を見合わせ、小さく笑った。

 

窓の外で、夜風がカーテンを揺らす。

星々が瞬き、月が静かに二人を見下ろしている。

 

 

明日もまた、この街で一日が始まる。

血と狂気と、そして確かな絆に満ちた日々が、続いていく。

 

 

こうして、シンビオシスの夜は更けていった。

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