ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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第三章(原作突入)
▼第31話▶フリーレン一行


 

 

 

――勇者ヒンメルの死から28年後。中央諸国リーゲル峡谷、城塞都市ヴァール。

 

 

元勇者パーティの一人、アイゼンの弟子であるシュタルクがフリーレンの旅に加わり、一行は目的地である最北を目指して歩み出す。

 

目下の通過地点として、フリーレン達は北側諸国行きの関所へと訪れた。

 

眼前にそびえる巨大な門。その重厚な鉄扉は固く閉ざされている。

門の前には椅子に座り込んだ恰幅のいい強面の衛兵がおり、城壁の中へと続く扉にも衛兵たちが規律正しく立っていた。

 

 

「北側諸国は魔物の動きが活発でな。現在、関所の通行は認められていない」

 

 

座ったまま、衛兵は三人を見上げて告げる。その声には、同じ説明を何度も繰り返してきた者特有の淡々とした響きがあった。

 

 

「通れるようになるのは、いつ頃になりそうですか?」

 

フェルンが尋ねる。

 

「さぁな。少なくとも、俺が着任してからは――魔物も人も、一匹たりとも通していない」

 

その言葉には、職務に対する静かな誇りが滲んでいた。

 

「失礼致します。隊長、上官がお呼びです」

 

別の衛兵が駆け寄り、敬礼と共に報告する。

 

「すぐ行く」

 

 

衛兵は椅子から立ち上がった。その瞬間、フリーレンとフェルンは思わず首を上げる。

立ち上がった衛兵の体躯は、二人の倍以上はあろうかという巨躯だった。

 

見下ろすような視線が、三人を順に捉える。

 

 

「いいな、冒険者共」

 

戒めるような低い声。

 

「この街で、くれぐれも問題を起こすなよ」

 

それだけ言い残し、衛兵は城壁の内側へと去っていった。

 

三人は門前を離れ、街の中を歩き出す。

 

城塞都市ヴァールは、周囲を深い森に囲まれた城壁の中に広がる街だ。

関所の門の先には峡谷があり、北側諸国へと続く橋が渡されている。抜け道は存在しない。

飛び越えようとしても限界高度ギリギリまで結界が張り巡らされているため、通るには、どうしても正規の通行手段を経る必要があった。

 

 

石畳の通りを進みながら、フェルンが口を開く。

 

 

「いい対応ではありませんでしたね」

 

「そうだね」

 

フリーレンは頷く。その声には、意外にも批判の色はなかった。

 

「あれは優秀な衛兵だよ。よそ者には厳しく。街を守る衛兵は、かくあるべきだ」

 

先頭を歩いていたフリーレンが、くるりと振り返った。

 

「というわけで、この街は安全そうだし。しばらくここで待つとしよう」

 

その顔には、困惑も焦燥もない。むしろ、どこか嬉しそうにすら見える。

 

「久々にゆっくり魔法の研究ができるぞ。宿に荷物を置いたら、魔法店に行こーっと」

 

 

声のトーンが僅かに上がる。千年を生きたエルフの魔法使いは、時折こうして見掛け通りの年相応の――いや、年不相応な無邪気さを見せることがあった。

 

フェルンとシュタルクは無言でフリーレンを見つめた。

 

 

「……なんだよ。関所が開いてないんだから、しょうがないじゃん」

 

二人の視線は変わらない。沈黙が続く。

 

「ほら、ここで解散。私、宿取ってくるから」

 

 

居心地の悪さを振り払うように、フリーレンは軽く手を振って立ち去った。

その背中は、魔法店への期待に満ちて弾んでいるように見えた。

 

残された二人。

 

シュタルクはフェルンの方を向いて尋ねた。

 

「飯でも食いに行くか?」

 

 

返ってきたのは、返事ではなかった。

 

ズモモモ……と形容したくなるような、重く淀んだ気配。そしてジト目。

 

フェルンは何も言わない。

ただ、その視線が雄弁に語っていた。今そんな気分ではない、と。

 

 

「うん……一人で行くね」

 

シュタルクは早々に諦め、スタスタと歩き出した。

 

「こわい……」

 

小さな呟きが、誰にも聞こえないまま石畳に消える。

 

 

記憶を辿りながら、シュタルクは見覚えのある通りへと足を向けた。

 

やがて、古びた木製の看板が目に入る。

昔、師匠であるアイゼンと二人で訪れた酒場だ。

 

 

扉を押し開けると、店内は静まり返っていた。

昼時ということもあり、客の姿はない。

カウンターの奥では、店のマスターが黙々とグラスを拭いている。

シュタルクが入ってきても、視線を上げることはなかった。

 

シュタルクはカウンター席に腰を下ろし、注文を告げる。

マスターは無言で頷き、手を動かし始めた。

 

待つ間、店内の静けさが耳に馴染む。

器にアイスと果実が盛られていく音、どこか遠くで鳴る鍛冶の槌音。昼下がりの酒場には、穏やかな時間が流れていた。

 

やがてカウンターの上に、銀色の器が置かれる。

 

シュタルクはそれを見つめた。

 

ジャンボベリースペシャル。

 

かつてアイゼンと共にこの店を訪れた時、その名に恥じぬ威容を誇っていたはずのパフェだ。

師匠の顔がすっぽり隠れるほどの巨大な器に、これでもかと盛られたベリーとクリーム。

幼いシュタルクは目を輝かせ、師匠と二人で黙々とスプーンを動かしたものだった。

 

それが今、自分の片手に収まっている。

 

 

「こんな小さかったっけな……」

 

「そいつぁ、坊主が大人になっちまったからだぜ……」

 

マスターが呟くように答える。

 

「そうか。俺が大きくなったんだな……」

 

 

シュタルクは神妙に頷いた。あの頃は何もかもが大きく見えた。

師匠の背中も、振り下ろされる斧も、そしてこのパフェも。

 

――だが。

 

スプーンを握ったまま、シュタルクは首を傾げる。

 

記憶の中のジャンボベリースペシャルは、アイゼンの顔面がすっぽり隠れるサイズだった。

ドワーフの師匠と、人間の子供だった自分。体格差を考慮しても、今手元にあるこれは明らかに小さすぎる。

 

「……でも本当にこんなに小さかったっけな?」

 

「時の流れってのは残酷だよなぁ……」

 

 

マスターは遠い目をして、しみじみと頷いてみせた。

シュタルクがパフェを眺めながら、そんなものかと納得しかけていた時だった。

 

背中に、刺すような視線を感じる。

 

振り返ると、無言でこちらを――正確にはシュタルクの手元を――凝視する紫髪の少女と目が合った。

 

――フェルンだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

フェルンの視線は、シュタルクの顔ではなく銀の器に注がれている。

返事もなく、フェルンは当然のような足取りで隣の席へと腰を下ろした。

 

 

「すみません、ミルクください」

 

「あいよ」

 

 

マスターへの注文だけを済ませ、フェルンは黙り込む。

一文字に引き結ばれた唇、微動だにしない眉。

どう見ても不機嫌そうだ。

シュタルクは居心地悪そうに身じろぎした。

 

 

「えー……なに。なんで、怒ってんの?」

 

「シュタルク様」

 

「わかったよ……半分あげるよぉ」

 

渋々とパフェを差し出そうとした瞬間、フェルンが首を横に向けた。シュタルクの目を真っ直ぐに見据える。

「そうではなくて」

 

 

カウンターに、コトリとミルクのグラスが置かれる。

フェルンはそれには手を付けず、真剣な眼差しのまま続けた。

 

 

「この街で二年以上待つことになりそうだと言われたら、どう思いますか?」

 

シュタルクはパフェを抱えたまま、フェルンの方へ身体を向けた。

 

「え、嫌だけど」

 

その言葉を聞いた瞬間、フェルンの目が光った。

 

ズイ、と身を乗り出してくる。

 

 

「そうですよね! 嫌ですよね!」

 

「うわっ」

 

シュタルクはビクッと肩を跳ね上げ、反射的に全身を横に逸らした。

 

「う、うん……」

 

気圧されながらも頷く。フェルンの勢いは、普段の無表情からは想像もつかないものだった。

 

「……なにこの人」

 

思わず漏れた呟きは、幸いにもフェルンの耳には届かなかったらしい。

 

フェルンは満足げに――といっても表情はほとんど変わらないのだが――姿勢を戻し、ようやくミルクのグラスに手を伸ばした。

 

 

「安心しました。シュタルク様って普通だったんですね」

 

「ねぇ、俺なんか悪いことした?」

 

シュタルクの困惑を余所に、フェルンはミルクを一口含み、話を続ける。

 

「関所が開く見込みが立たないそうです。このままでは最低でも二年はこの城塞都市に足止めされます」

 

道中、街の人々から聞き集めた情報らしい。

 

「フリーレン様は長居する気満々ですが、私は御免被ります。一刻も早く関所を越える方法を探しましょう」

 

「そりゃ、二年は長いよな……」

 

 

シュタルクも頷く。まだ、旅に出たばかりだ。

こんな場所で足踏みするために仲間になったわけではない。

 

 

「協力していただけますか?」

 

「ああ、任せろ」

 

シュタルクが快諾すると、フェルンの強張っていた肩から、わずかに力が抜けた。

 

「ありがとうございます。シュタルク様が普通の方で安心しました」

 

「さっきも言ってたけど、普通ってなんだよ」

 

「フリーレン様のように、長命種特有の時間感覚をお持ちでなくて、ということです」

 

 

そう言いながら、フェルンはグラスを両手で包み込むように持ち上げ、残りのミルクを一息に煽り始めた。喉が上下するたびに、白い液体が見る見る減っていく。

 

随分と豪快な飲みっぷりだ。シュタルクはその様子を呆気にとられて眺めた後、ふと視線を手元のパフェに落とした。

 

抱え込んだままの銀の器。

ベリーの赤とクリームの白が、照明を受けて艶めいている。

 

シュタルクはフェルンを見た。ミルクを飲み干し、わずかに上機嫌になったらしい彼女の横顔を。

 

それから、もう一度パフェを見た。

 

 

「……なぁ、おっちゃん」

 

「ん?」

 

「これと同じものを、もう一つ貰えるか」

 

「あいよ」

 

 

マスターは黙って頷き、慣れた手つきで二つ目のパフェを組み上げていく。

銀の器にアイスを載せ、ベリーを乗せ、クリームを絞る。完成したそれがカウンターに置かれると、シュタルクはそのままフェルンの方へと滑らせた。

 

 

「ほら。金は俺が出す。美味いから、食べてみろよ」

 

フェルンの目が見開かれる。

 

「……え?」

 

「だから、お前の分だって」

 

「一体なにが目的ですか?」

 

「は?」

 

「まさかこれを食べた瞬間、とんでもない無理難題を押し付けるつもりでは」

 

 

フェルンは両腕で自分の身体を抱くようにして、僅かに距離を取った。警戒心を剥き出しにした目が、シュタルクとパフェを交互に見比べる。

 

しかしその視線は、どう見てもパフェに釘付けだった。スプーンを握りたそうに、指先が微かに動いている。

 

「そんなことしねぇよ! 俺をなんだと思ってんだ!」

 

「……そうですか」

 

 

フェルンは一拍置いて、すっと表情を消した。

無愛想な顔の下で、何かを諦めたような、あるいは覚悟を決めたような気配がある。

 

 

「ありがとうございます、シュタルク様」

 

銀の器を引き寄せ、スプーンを手に取る。

 

「では、何が目的ですか」

 

「だから違うって言ってんだろ……」

 

 

聞いているのかいないのか、フェルンはスプーンでベリーを掬い、口へと運んだ。

咀嚼。嚥下。

一文字に引かれていた眉が、ほんの僅かに弧を描いた。

 

 

「……美味しいですね」

 

「だろ? 」

 

 

シュタルクも自分のパフェに取りかかる。

二人の間を、スプーンが器に触れる小さな音だけが行き交った。

 

 

「……特に理由があるわけじゃない」

 

不意に、シュタルクが口を開いた。

 

「ただ、姉ちゃんが昔うるさかったんだ。女には優しくしろって。おっかないくてな、一個でも言いつけ破ってるのがバレたら、『最強の戦士』『最高の戦士』になれないとか言って頭を蹴ってくるんだよ。……まぁ、その優しくっていうのは、自分一人を指してたんだろうけど……」

 

「最高の戦士?」

 

 

フェルンのスプーンが止まる。

 

どこかで聞いた覚えのあるフレーズだった。

あれは確か、八歳くらいの頃。ハイターに連れられて遠出した先で、誰かが呪文のように繰り返していた言葉――。

 

 

「シュタルク様には、随分と教育熱心なお姉様がいらっしゃったんですね」

 

「正確には違うな」

 

シュタルクはスプーンで溶けかけのアイスを突きながら、どこか遠い目をした。

 

「向こうがどう思ってるかは知らねぇけど、俺からすれば姉みたいなもんってだけだ。兄貴もいるけど、どっちとも何年も会ってない」

 

「その方も、シュタルク様と同じ戦士なのですか?」

 

「一緒に暮らしたのはほんの少しだけど、師匠より前に、俺に斧の扱いを教えてくれたのが姉ちゃんなんだ。数年前に模擬戦させられたけど、全く歯が立たなかった」

 

 

シュタルクは苦笑しながら、頭の上を擦る。その仕草には、痛みを伴う記憶が滲んでいた。

数年前、難癖同然に模擬戦へと持ち込まれ、自称・姉から散々踵落としを喰らったのだ。脳天に。何度も。

 

 

「アイゼン様は、二番目のお師匠様なのですね」

 

「まあ、そうなるな」

 

「……一方的にお聞きしておいて、私からお話ししないのも不公平なので」

 

フェルンは一度スプーンを置き、姿勢を正した。

 

「私も、フリーレン様は二番目の師匠です」

 

「そうなのか? 魔法使いの師匠って、そんなにコロコロ変わるもんなのか?」

 

「シュタルク様と似たような感じです。一人目の方からは、ごく短い期間に実践的魔法と心構え、後は特殊な杖の扱いを。座学は少しハイター様に。基礎から本格的に魔法を学ばせて頂いたのは、フリーレン様だけです」

 

「ふぅん。フリーレンは見てりゃなんとなくわかるけど、最初の師匠ってどんな人だったんだ?」

 

フェルンは少し考え込むように目を伏せた。

 

「どんな……人?ですか」

 

記憶を探るように、言葉を選ぶように、間を置く。

 

「難しい質問です。死臭が凄まじく……あぁ、いえ」

 

言いかけて、首を振る。

 

「とにかく、容赦のない方でした」

 

 

――死臭。

 

その単語が、シュタルクの記憶を強く揺さぶった。

 

脳裏に蘇るのは、子供時代の光景だ。

師匠であるアイゼンに連れられ、参列した結婚式。

華やかな会場の空気が、一瞬にして凍りついた瞬間のことを、シュタルクは今でも鮮明に覚えている。

 

兄であるシュトルツが、押し殺した声で呟いた。

 

『とんでもない死臭だ……ッ!』

 

隣にいたアイゼンも顔を顰め、咄嗟に斧を構えた。

空気が張り詰め、肌を刺すような緊張が会場を支配する。

 

あの時感じた、本能的な恐怖。

半人前以下の戦士であっても、一目で尋常ではないと理解できた。いや、理解させられた。

 

そして――記憶を掘り返していくうちに、シュタルクは別の違和感にも気づき始めた。

 

目の前にいる紫髪の少女。どこかで見た覚えがある。

 

――あれ……フェルンって、前にどこかで会ったことがあるのか?なんつーか……見覚えがあるような……気のせいか?

 

スプーンを動かす手が止まる。

眉間に皺を寄せ、記憶の糸を手繰り寄せようとする。

 

 

フェルンもまた、同じように考え込んでいた。

 

――シュタルク様って……いえ、気のせいでしょうか。

 

アイゼン様の弟子。黒の混じった赤髪。最高の戦士という言葉。

ひとつひとつの断片が、パズルのピースのように嵌まっていく。

 

あ――これは、どうやら気のせいではなさそうです。

 

 

「へー……やっぱ魔法使いにも戦士みたいな流派、みたいなのがあるのか?途中で師匠が変わるとか大変そうだな。俺の姉ちゃんは師匠と基礎も技も全部同じだったから、ある意味楽だったけど」

 

 

シュタルクは何気ない調子で会話を続ける。

しかしその目は、フェルンの反応を注意深く窺っていた。

 

 

「そうでもありません。魔法を教わったと言っても、ほんの触りだけでしたので。ソリ……いえ、先程言った通り。初めての先生からは、ほんの触りだけ。大部分の、基礎は全てフリーレン様から習いました」

 

 

――今、ソリ、って言った。

 

シュタルクの心臓が跳ねる。

 

――フェルン。お前、まさか……。

 

 

「あのさ……つかぬことを聞くようだけど」

 

「はい、なんでしょうか。アイゼン様のお弟子様であるシュタルク様」

 

「なんでそんなに仰々しいんだよ。……じゃなくて、あー、その師匠って、もしかして角が生えてたり――

 

「生えてます」

 

 

即答だった。

 

 

「……やっぱりかぁ」

 

シュタルクは天を仰いだ。

やはりそうだ。点と点が線で繋がっていく。

 

「そういうシュタルク様のお姉様はどうなんですか。角が生えてたり――

 

「生えてる」

 

今度はシュタルクが即答する番だった。

 

「……やっぱりあの方ですか」

 

 

二人の視線が交差する。

シュタルクが口を開いた。

 

 

「ソリテール」

 

「リーニエ様」

 

 

間髪入れず、フェルンが応じる。

 

そして――。

 

 

「「……フルーフさん/様」」

 

 

二人の声が、重なった。

 

答え合わせは完了した。

出会った当初は、互いに成長していたこともあり全く気づけなかった。

しかしこの瞬間、二人は確かに面識があったことを理解した。

 

 

アイゼンとハイター。

 

リーニエとソリテール。

 

そして――フルーフ。

 

結婚式の二次会。

保護者たちが散々騒ぎ散らかす中、両親に挟まれ、静かに座っていた紫髪の少女。

酔っ払った小柄な魔族に「最強の戦士」「最高の戦士」と連呼されながら絡まれていた、赤髪の少年。

 

 

「なぁ、フェルン。あの時は大変だったな」

 

「そうですね、シュタルク様……ハイター様も他の皆様も、全員泥酔して踊っていましたから」

 

 

共通の記憶を確認した途端、フェルンの纏う空気が変わった。

 

ここ数日、見知らぬ戦士が加わったことで、どこか余所余所しかった態度。それが、まるで氷が溶けるように軟化していく。

やはり、共通の思い出を持つ相手には親近感が湧くものなのだろう。

 

 

「シュタルク様……私、旅の道中で幻影鬼(アインザーム)と遭遇したんです」

 

「マジかよ!?よく生きてたな……俺なら怖すぎて間違いなく逃げ出してたぞ」

 

 

普段なら呆れるような、戦士とは思えない臆病な発言。

 

しかしフェルンは呆れるどころか、深く頷いた。

それが普通の反応だ、とでも言いたげに。

 

どうやら二人の間には、共有できる認識があるらしい。

 

 

「シュタルク様。恥をかいた先人として忠告しておきます。あの街にいる方々を、私たちの常識に当てはめてはいけません」

 

「そりゃ俺も理解してるつもりだけどよ。……だけどそこまで違うもんなのか?種族が同じ魔物だったんだろ?」

 

「全っ然……違います。お陰で警戒しすぎと、フリーレン様にからかわれてしまいました」

 

 

フェルンは深い溜息をついた。

 

あれはまだ、フリーレンと二人で旅をしていた頃のことだ。

 

村人が行方不明になるとの噂が立つ峠道を、通り抜けようとした時だった。

フリーレンの口から、行方不明の原因と思われる魔物の名が告げられる。

 

幻影鬼(アインザーム)

 

その名を聞いた瞬間、フェルンは全身を硬直させた。

 

 

フェルンの知るアインザームは、魔物生態学の教本に載っているような卑劣な魔物などではない。

悪を断罪し、女神を信奉する魔の存在。

 

ハイターの家には数年に一度ほど訪れ、女神の壁画や聖典の改訂版を買い付けていく、根っからの女神教信者。

外見に反して子供には甘く、よく遊んでくれた。土産に甘い菓子を持ってきてくれたことも覚えている。

 

――そして、化け物じみた強さも。

 

ハイターと共に聖典を片手に『女神の三槍』の速射を行い、光の雨を降らせて魔物を一掃する姿。

あれを見て以来、フェルンの中でアインザームは「絶対に敵に回してはならない存在」として刻まれていた。

だから、警戒した。

 

峠道に立ち込める、既視感のある霧。その中から現れた、若返ったハイターの姿。

フェルンは躊躇わなかった。

相手が言葉を発するより早く、杖を構え、魔力を込め――男の頭部を撃ち抜いた。

 

本物のハイターなら、この程度の魔法は片手間で防ぐ。偽物なら当たる。

どちらに転んでも問題はない。だから撃てた。

 

幻影が霧散する。

 

しかしフェルンは杖を下ろさなかった。

警戒を続け、周囲を睨みつける。

 

呑気に話しかけてくるフリーレンを一喝し、構えを解かない。

 

光の雨は?防御魔法すら溶かし尽くす獄炎は?

 

――来ない。

 

霧は既に晴れていた。

 

 

『もう終わったから行くよ』

 

 

フリーレンが、何でもないことのように歩き出す。

 

 

『……は?』

 

 

フェルンの口から、間の抜けた声が漏れた。

終わった?これで?

状況が理解できなかった。あのアインザームが、たったあれだけで?

 

その後、散々からかわれた。警戒するのは良いけど必死すぎ、と。

思い出すだけで顔が熱くなる。恥ずかしさを誤魔化すように、フェルンは話を続けた。

 

 

「その後、腐敗の賢老クヴァールなる魔族が封印された場所を探したのですが……フリーレン様が何度も道を間違えて、結局見つからなかったんです。近くの村で聞き込みをしたところ――」

 

フェルンは一度言葉を切った。

 

「白髪の女、翠色髪の女、桃色の髪の少女。その三人が立ち寄ってから、クヴァールが眠っていた丘そのものが消えたそうです」

 

「……それって」

 

「はい。心当たりしかありませんでした。確証がなかったので口にはしませんでしたが」

 

シュタルクは乾いた笑いを漏らした。

 

「丘を消すって……やっぱり、普通じゃないんだな……」

 

「ですから言ったじゃないですか。常識の参考にしてはいけません、と」

 

 

子供の頃に経験した出来事を掘り起こし、二人はしみじみと語り合う。

 

アイゼンからの指導を受けられると知り、気色悪い猫撫で声でデレデレしていたリーニエ。

その勢いに巻き込まれ、ついでとばかりに引きずり回されたこと。

 

若返り、飲酒を解禁したハイターが、禁酒の反動で日中から飲み歩き、夕方には完全にぶっ倒れ。

その後も、夜の飲み会に酔っ払いながら参加していたこと。

 

 

「あの時のハイター様、本当に酷かったんですよ。聖職者とは思えない醜態でした」

 

 

あの街で起こった出来事を、一つ一つ振り返る。

スプーンが器に触れる音を挟みながら、談笑は続いた。

 

 

「シュタルク様……私、旅を始めてから気づいたことがあるんです」

 

「なにに?」

 

「あの街で過ごした経験が、世間では、全く参考にならないということです」

 

フェルンは溜息混じりに続ける。

 

「前に頂いた杖もそうなのですが。新しく手渡された杖から、不気味な瘴気が出ているんです。私、ハイター様から新しい杖を貰うまで、魔法使いの杖とはそういうものだと思っていました……」

 

「なにそれ、こわ……呪われてるんじゃないのか?」

 

「かもしれません。普通の魔法使いなら、あんな杖を持っているだけで正気を失います」

 

「どんな杖だよ……。俺の方は、そこまで世間ズレした記憶はないな。あぁ、でも、姉ちゃんの『最高の戦士へと至る道』が、会うたびに変わるんだ。前は『恐怖を乗り越えろ』だったのに、次に会ったら『恐怖を燃料にしろ』になってて、その次は『恐怖で頭を真っ白にしろ』だぜ?どれが正解なんだよ」

 

「一貫性がありませんね」

 

「だろ?でも全部間違ってないから困るんだよな」

 

 

フリーレンとは共有できなかった話題で、二人は存外に盛り上がった。

 

あの街の住人たちは、良くも悪くも規格外だ。

そこで培った常識は、外の世界では通用しない。

それを理解しているからこそ、二人の間には奇妙な連帯感が生まれていた。

 

一頻り思い出を語り終えると、シュタルクは不意に真顔になった。

 

 

「なぁ、ついでに思い出したんだけど」

 

「はい」

 

「フリーレンって……師匠達が言ってた、あのフリーレンで間違いないよな?同名の別人とかじゃなくて」

 

「その、フリーレン様で間違いありません」

 

「もう言ったのか?」

 

「何を、ですか?」

 

「何って……色々だよ」

 

シュタルクは声を潜めた。

 

「魔族と面識があるとか。フリーレンが呼ばれなかった式に俺たちが呼ばれてたとか……」

 

フェルンの表情が、僅かに曇る。

 

「いえ。ハイター様からも言われたのですが……一人だけ式に招待されなかったことも含めて、フリーレン様の気質もあります。あの街の方々については、出来る限り触れないようにしています」

 

「だよなぁ……」

 

シュタルクは深々と溜息をついた。

 

「気まずくて言えねぇよ」

 

 

フリーレン自身は、決して好戦的な性格ではない。

だが、彼女の魔族嫌いは、旅を始めてすぐに理解できた。

 

魔族の話題が出るたび、言葉に、害獣駆除を生業とするハンターのような鋭さが宿る。

魔族に対して、即殺斬を地で行く発言。

言葉を交わす価値すらない、と言わんばかりの態度。そこに迷いは一切ない。

 

そんな彼女に、「実は魔族と親しくしていた時期があります。今も親交は継続中です」などと言えるはずがなかった。

 

 

「はい。ですが、私たちがそんな気苦労を背負う必要はありません」

 

フェルンは、きっぱりと言い切った。

 

「面倒事は、発端であるフルーフ様に全責任を負っていただきます」

 

「……なんかフェルンって、あの人に対して当たり強いよな」

 

「変態に対する礼儀は、最低限しか持ち合わせていません」

 

「フェルンにまで変態扱いされてるのか、あの人……」

 

 

可哀想。

ボソリと呟いた言葉は、フェルンに軽く聞き流され、消えていった

 

 

その後、フリーレンが元勇者パーティーの一員であったことが功を奏し、一行は無事に関所を通過することができた。

 

 

北側諸国へ。

フリーレン、フェルン、シュタルクの三人は、次なる目的地を目指して歩み出す。

 

関所が閉ざされていた理由は、すぐに実感することとなった。

 

北側諸国には魔物が溢れていたのだ。

旅する道中、日に何度も襲撃を受ける。

 

 

「シュタルク、今だ」

 

「任せろ!……フンッ!!」

 

 

魔法が弾け、戦斧が唸りを上げる。

鈍い音と共に魔物の断末魔が森に木霊し、巨体が地響きを立てて倒れ伏した。

 

以前までは後衛の魔法使い二人だけだったこともあり、魔法耐性を持つ魔物に手間取ることも少なくなかった。

だが、前衛であるシュタルクの加入により、魔物の処理速度は格段に上がっていた。

 

 

「良い動きだね、シュタルク」

 

フリーレンが、倒れた魔物を一瞥しながら言った。

 

「アイゼンとは少し違う気がするけど、動きに迷いがない。もう怖くはないの?竜を相手にして慣れた?」

 

「いや、今でも怖ぇよ」

 

シュタルクは戦斧を背中に担ぎ直し、自分の両手をフリーレンに見せた。

 

「見てくれよ、これ。凄っごい震えてる」

 

確かに、彼の手は小刻みに震えていた。残像が見えるほどに。

 

「凄いね」

 

フリーレンは感心したように頷いた。

 

「だけど紅鏡竜の時もそうだったけど、最後の最後には一切動揺がなかったよね。アイゼンから心構えみたいなものでも教わったの?」

 

その質問に、シュタルクは少しゲンナリした顔をした。

 

「いんや。あれは……えっと、師匠じゃなくて、姉ちゃんみたいな人に無理やり仕込まれた」

 

「あぁ……そういえばアイゼンも言ってたっけ。直接の弟子じゃなくて、数回指導した奴がいるって。それがシュタルクのお姉さんなんだね」

 

「まぁ、そんな感じだ」

 

シュタルクは曖昧に頷いた。

 

「姉ちゃんは俺より臆病でさ。だけど絶対に勝負から逃げ出さないんだ。師匠みたいな戦士になるって言って、両腕どころか脚まで震えてんのに。敵が強ければ強いほど突っかかっていって、『恐怖は成長、今私は恐怖を糧に乗り越え成長している』とかなんとか言いながら、戦斧担いで殴りかかるんだよ。俺にはさっぱり理解できねぇ」

 

「勇敢な脳筋だね」

 

「だな」

 

シュタルクは苦笑した。

 

「姉ちゃんの教えはこうだぜ。恐怖で動けないなら、更にとことん恐怖して頭を真っ白にしろ。何も考えられなくなった瞬間、防衛本能で身体が勝手に動く。そのまま流れで動き続けろ。戦士の技は頭で考えて放つものじゃない……魂に刻まれている。だから己が磨き上げた技を信じて、死ぬ気で直感に従って相手をぶっ殺せ」

 

「アイゼンとはまるで考え方が違うみたいだね。まぁ魔法使いにも色々いるし、戦士も十人十色か」

 

「姉ちゃんの言う通り、案外動き出せば動けるもんなんだって最近知ったよ。戦いに挑む少しの覚悟と、戦いの中で研ぎ澄ませる覚悟。始めっから全部できりゃ世話ないけどよ、それが出来ないから……臆病者な俺みたいな奴には、これ以上ないくらい役に立つぜ。なにせビビるだけでいいんだからな」

 

シュタルクは一度言葉を切り、少し照れくさそうに続けた。

 

「あと……魔法の言葉も教わった、いや、あれはもう呪いの言葉だな」

 

「呪いの言葉?」

 

フリーレンが首を傾げる。

 

「なにそれ。魔族が使いそうなフレーズだね」

 

 

――魔族。

 

その二文字で、シュタルクは露骨に狼狽えた。

 

助けを求めるようにフェルンへ視線を送るが、返ってきたのはジト目だった。

なに余計なこと言ってるんですか、と言わんばかりの圧がのしかかってくる。

 

 

「な、何言ってんだよフリーレン?そんな訳ないだろ?……なぁフェルン」

 

「そうでございます、フリーレン様。そんなまさか、シュタルク様が魔族と親交があるはずもありません」

 

「それはそう」

 

フリーレンはあっさりと頷いた。

 

「シュタルクのお姉さんが魔族なら、シュタルクが今生きているはずがない。ごめん、変なこと言ったね。そんな馬鹿な物好きは一人で十分だ」

 

フリーレンの中で、魔族とはどういう存在か――それは完全に自己完結している。

 

だからこそ、シュタルクの分かりやすい動揺を不思議がりはしても、疑うことはなかった。

魔族という単語に反応して焦っている、その事実を奇妙に思いながらも、深くは追及しない。

 

シュタルクとフェルンは、内心で盛大に安堵の息をついた。

 

 

「それよりもシュタルク様」

 

 

フェルンが、話題を切り替えるように口を開いた。

これ幸いと、シュタルクに助け舟を出す形になる。

 

 

「先程の魔法の言葉って、なんなんですか?」

 

「あぁ、そんな大した言葉じゃないぞ」

 

シュタルクは頭の後ろを掻きながら答えた。

 

「倒れそうになったり、心が折れそうになった時。自分より強い相手と戦う時は、必ず心の中でこう唱えるんだ」

 

 

一拍、間を置く。

 

 

「――まだだ」

 

「……まだだ?」

 

 

 

シュタルクの脳裏に、ある日の言葉が蘇った。

 

『――まだだ』

 

『――だが、まだだ』

 

『――しかし、まだだ』

 

三度繰り返された同じ言葉。

 

 

「あぁ。それだけだ。そうすれば、不思議とまだ動けるようになる」

 

 

「諦めが悪いのは良いことだよ」

 

フリーレンが、感心したように頷いた。

 

「魔法の言葉……というよりも、短く極まった根性論ですね」

 

フェルンは相変わらずの無表情だったが、その声には微かな感心が滲んでいた。

 

「そうかもな。実際師匠も似たようなこと言ってたし」

 

シュタルクは照れくさそうに笑った。

 

「でも、これが案外効くんだよ。紅鏡竜と戦った時も、心の中でずっと唱えてた。そしたら本当に、最後まで立ってられた」

 

「シュタルクのお姉さん、弟想いの良い人だったんだね」

 

「……どうだろうな。良い人かどうかはわかんねぇけど」

 

シュタルクは複雑な表情を浮かべた。

 

「少なくとも、俺のことは気にかけてくれてたんだと思う。会うたびに頭蹴ってくるし、無茶振りばっかりだったけど……あの人がいなかったら、俺は戦士になれてなかったかもしれない」

 

「そうですか」

 

 

フェルンが静かに相槌を打った。

 

彼女の脳裏にも、かつての師の姿が浮かんでいた。

 

容赦がなく、死臭が凄まじく、人間離れした存在。

しかし確かな、実践的な心構えを叩き込んでくれた。

今の自分があるのは、あの短い期間の指導があったからこそだ。

 

規格外の師を持つ者同士、通じ合うものがあるのかもしれない。

 

 

三人は再び歩き出した。

木漏れ日が差し込む森の道を、北へ北へと進んでいく。

 

 

「なぁ、フェルン」

 

「はい」

 

「お前の最初の師匠ってさ、どんな魔法を教えてくれたんだ?」

 

「……人を殺す魔法です」

 

「物騒だな」

 

「はい。とても」

 

 

二人は顔を見合わせ、苦笑を交わした。

フリーレンはその様子を横目で見ながら、小さく首を傾げた。

 

 

「二人とも、なんだか仲良くなったね」

 

「そうですか?」

 

「そうかな?」

 

 

二人は同時に首を捻る。

 

しかし確かに、三人での旅が始まった当初の余所余所しさは消えていた。

共通の秘密を持つ者同士、どこか共犯者のような空気が漂っている。

 

フリーレンには、その理由がわからない。

 

わからないが――悪いことではないだろう、と思った。

 

 

「まぁいいや。次の村まであと半日くらいかな。日が暮れる前に着きたいから、少しペースを上げるよ」

 

「わかりました」

 

「おう」

 

 

三人の足取りが、僅かに速まる。

木々の隙間から覗く空は、まだ明るい青を湛えていた。

 

 

数週間後。

 

道中、幾度となく魔物と遭遇し、その度に三人で連携して退けてきた。

シュタルクが前衛で敵を引きつけ、フェルンが魔法で援護し、フリーレンがとどめを刺す。

まるで長年を共にしたパーティーのように、息が合っていた。

 

 

「次の目的地は、グラナト伯爵領だよ」

 

野営の火を囲みながら、フリーレンが地図を広げた。

 

「北側諸国の中でも特に大きな城塞都市」

 

「グラナト伯爵領……聞いたことあるな」

 

シュタルクが火に薪をくべながら呟いた。

 

「確か、北の要衝だとか」

 

「そうです。魔王軍の侵攻を何度も退けた、歴史ある城塞都市だと聞いています」

 

フェルンが補足する。

 

「今は平和なんだろ?魔王は倒されたんだし」

 

「そのはずだよ」

 

火が爆ぜる音だけが、夜の森に響いていた。

フリーレン達はまだ知らない。

 

目指すグラナト伯爵領が、大魔族と数多の魔族が入り乱れる魔境と化していることを。

 

そしてそこで、運命的な再会が待っていることを――。

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