ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第33話▶魔族一行

 

 

 

――北側諸国グラナト伯爵領。

 

 

夕闇が地平線を茜色に染める頃、平原を見下ろす丘の上で焚き火が爆ぜていた。

 

 

乾いた薪が弾ける音、脂の滴る香ばしい匂い。串に刺された川魚が炎に炙られ、じわじわと皮目に焦げ色をつけていく。眼下には城壁に囲まれたグラナト伯爵領の街並みが広がり、夕暮れの中で家々の窓に明かりが灯り始めていた。

 

その焚き火を囲むように、三つの影があった。

 

 

「ついに来ました。私の娘がいると噂のグラナト領……ぉえ、死ぬ」

 

 

背の高い白髪の女が、残像すら残りそうな勢いで身振り手振りを繰り返している。

今にも吐きそうな顔色をしながら、それでも声だけは弾んでいた。

 

 

「ねぇ、どうしましょ、なんて呼べばいいですかね? アウラさん……いえアウラちゃんでしょうか?」

 

 

一体誰かと言えば……そう。変態でお馴染み、フルーフである。

 

娘との五百年ぶりの再会が迫っているせいで、普段の数段増しに情緒がおかしなことになっていた。

胃の腑がひっくり返りそうな緊張と、抑えきれない期待が綯い交ぜになり、落ち着きなく足踏みを繰り返す。

 

「緊張してるのね、フルーフ」

 

 

石に腰掛けたソリテールが、穏やかな声で応じた。翠色の長い髪が夕風に揺れ、額から伸びた二本の角が焚き火の光を受けて鈍く光っている。

手元には分厚い魔導書が開かれていたが、その視線はフルーフへと向けられていた。

 

 

「大丈夫、私とリーニエは成長した彼女を見たことがあるの。必ず探し出せるわ」

 

一拍置いて、ソリテールは小さく首を傾げた。

 

「義娘が出来るだなんて、どんな感覚なのかしら。興味深いわね」

 

「はむ……マズい」

 

 

会話に割り込んだのは、焼き上がった魚に齧りついたリーニエだった。

桃色の髪をツインテールに結い、普段服に身を包んだ小柄な魔族。

見た目は少女そのものだが、その実態は頭が『最強の戦士』に汚染された脳筋である。

 

口の中に広がる魚の臭みと味気ない苦味に、リーニエはウゲッと舌を出した。

 

 

「フルーフ、味ぽん出せ」

 

「どうぞ、『食卓をしあわせにする魔法(アジポンベルド)』」

 

 

フルーフが指を鳴らすと、空中に謎の言語で「味ぽん」と書かれたボトルが現れた。琥珀色の液体が魚の表面に垂らされ、香ばしい匂いが焚き火の煙に混じって立ち上る。

 

リーニエは調味料の足された二匹目を手に取ると、今度は満足げに頷きながら食べ始めた。もぐもぐと咀嚼しながら、ちらりとフルーフを見上げる。

 

 

「お二人は、私の娘のアウラちゃんを直に見たことあるんですよね?可愛かったでしょう?」

 

フルーフが何気なく尋ねた瞬間、リーニエの咀嚼が止まった。

 

「……むぐむぐ。なんだコイツ、急に母親面し始めたぞ」

 

ジトリとした視線がフルーフに向けられる。

 

「厚顔無恥とはこのこと。私の義姉になる魔族に、ちゃん付けなんてするな」

 

「魔王様が生きていた頃に何度か会ったことがあるの」

 

ソリテールが魔導書に視線を落としながら、静かに付け加えた。

 

「その時は随分冷たい視線をもらったわ。あれが反抗期の娘というものかしら」

 

 

三者三様、フルーフの娘に対して様々な感情を抱いている。

そして出会う前から既に、母親面、妹面、父親面と、それぞれが勝手に家族の顔を決め込んでいた。

 

フルーフは焚き火の炎を見つめながら、重い息を吐いた。

 

切に謝りたかった。

 

手紙には「近々会いに行く」と書いておきながら、十年以上も顔を見せなかったのだ。

娘は間違いなく怒っている。ここ数年、罪悪感と胃痛に苦しむ日々だった。一刻も早く会って、まずは謝罪せずにはいられない。

 

そんなフルーフの隣で、リーニエは全く別のことを考えていた。

姉とは、妹の願いを聞いてくれる存在だ。

つまり頼めば、いつでもリンゴ園の仕事を手伝ってくれるということ。是非欲しい。

 

ソリテールもまた、静かに思案を巡らせていた。

子孫とは、夫婦の絆をより深める存在。

フルーフがより自身に夢中になり、愛を深める契機となるなら――是非欲しい。

 

 

「……それで、私の義姉は本当にここにいるの?」

 

リーニエが二匹目の魚を食べ終え、骨を焚き火に投げ入れながら問うた。

 

「言葉に困るわ。いない可能性のほうが高いから」

 

ソリテールの返答に、フルーフの表情が強張る。

 

「ちょっと、皆さん。折角仕事の引き継ぎまでして出てきたんですから、そんな気分が下がるような話題は、よしましょう」

 

 

街の業務引き継ぎを半年以上かけて終わらせ、やっとの思いで『断頭台のアウラ』がいるという噂の場所まで来たのだ。

それなのにこの反応。フルーフは咄嗟に文句を言ったが、その声にはどこか力が籠もっていなかった。

 

自分でも分かっていたからだ。嫌な予感が、ずっと胸の奥で燻っていたことを。

 

 

「馬鹿弟子は、いつでも死んで行き来できるから気楽だよね」

 

リーニエが冷めた口調で言い放つ。

 

「フルーフ、いい加減現実逃避はよしなよ。見たでしょ、アレ」

 

 

アレ――その一言で、フルーフの脳裏にあの光景が蘇った。

 

グラナト伯爵領から十キロほど離れた位置にある古城。

『断頭台のアウラ』が率いる『不死の軍勢』が占領していると噂される場所だった。

 

一行は当初、伯爵領には寄らず、直接その古城へ向かった。

娘に会うなら、人目を避けて直接話した方がいい。そう考えて足を運んだのだが――。

 

城門を潜った瞬間、腐臭が鼻を突いた。

そこは既にもぬけの殻だった。

 

大魔族の痕跡自体は見つかった。だが物理的に残っていたのは、亡者のみ。

 

大広間には、動物、人間、魔物――あらゆる屍が折り重なるようにして詰め込まれていた。

魔法で縛られたアンデッドたちが、命令を待つように虚ろな眼を見開いたまま蠢いている。

壁には乾いた血痕がこびりつき、床には正体不明の体液が染みを作り、天井からは腐肉の欠片がぶら下がっていた。

 

統率も、秩序も、何もない。

 

ただ死体を寄せ集め、最低限の術式で動かしているだけの屍地獄。

 

これは、違う。

 

リーニエの知る『不死の軍勢』とは明確に違った。アウラの軍勢は、一糸乱れぬ規律を宿し、死してなお誇りを纏った兵団だった。最強の戦士とも相対した、兵団だ。

ソリテールの知る『不死の軍勢』とも違った。アウラの軍勢は、死者への敬意が込められ、優しい花の香りが漂っていた。魔王軍に多大な被害をもたらした恐ろしき兵団だ。

 

あれは、なんだ。

 

ソリテールとリーニエに、死者への冒涜どうこう、などという殊勝な心はない。

だが、義姉であり義娘になる予定であるアウラの品格ある魔法を、あんな粗雑な術式で汚されることは――不快感を禁じ得なかった。

 

 

「ぬぁぁぁ!! 違ぁぁう!?」

 

その光景を思い出し、フルーフが絶叫した。

 

「私の娘があんな不細工な魔法を使うはずないでしょう! あんなの魂のたの字もない、ただの死霊術じゃないですか!?娘の看板に泥を塗るためだけの、他所の誰かの魔法に違いないんです!F◯ck!!」

 

「うるさ」

 

リーニエが耳を塞ぎながら顔をしかめる。

 

「誰もあれがアウラ姉さんの魔法だなんて言ってない。フルーフの言う通り、あれは違う。私が過去に見た『不死の軍勢』とは似ても似つかない」

 

「統率、規則性、全てが見るに堪えないわ」

 

ソリテールが静かに、しかし断定的な口調で続けた。

 

「アンデッドの操作は人形劇と同じ。動き一つで術者の技量が透けて見えるもの」

 

魔導書を閉じ、焚き火の向こうに視線を向ける。

 

「あれは駄目ね。単純な命令一つで、死体を動かしているだけの粗悪な術式。魔族なら少し研究すれば使える程度の魔法よ。死者を肉塊として扱いすぎている、あれは彼女のやり方じゃない」

 

一拍置いて、付け加えた。

 

「それに魔力の痕跡と規模から見て、術者は一人じゃない。複数人で操作しているわ」

 

 

魔法の才覚が致命的に欠けているフルーフには、術式の良し悪し、術者数の判別などはできない。

だが、信頼しているニ名の魔族。ソリテールとリーニエが「別人の魔法だ」と断言するなら、それは確かなことだった。

 

 

「だからこそ、今噂になっている『断頭台』が偽物であり、アウラがここにはいない可能性が高いと言ったの」

 

フルーフの声から、一気に緊張が抜けた。

 

「無駄足のようなら、帰りますか?」

 

娘じゃないなら用はない。そう言わんばかりに帰宅を提案しようとするフルーフに、リーニエが冷めたジト目を向ける。

 

「バカ弟子、話聞いてた?コイツ、ここ最近頭がおかしすぎて、疲れる……」

 

「フルーフ……まだ判断するには早いわ」

 

ソリテールが穏やかに、しかし有無を言わせぬ声音で制した。

 

「古城で言ったでしょ、大魔族の痕跡があったと」

 

 

あの古城には、亡者の群れの他にも何かがあった。大魔族クラスの存在が数日前までいたことを示す、膨大な残留魔力。それが城の至るところに染みついていた。

 

大魔族が、他の大魔族の名を騙り、人間の領土へ侵攻をかける。

 

普通のことではない。

 

ソリテールの口角が、仄かに上がった。

 

『断頭台のアウラ』――その名と噂が大陸中に広まり始めたのは、およそ二年前のこと。

古城にアウラの痕跡が全く無かったということは、噂自体が意図的に流されたものなのだろう。

 

「どうやら事態は、私たちの想定を遥かに超えて混沌を極めているようね」

 

焚き火の炎が、ソリテールの翠色の髪を照らし出す。

 

「彼女の性格は直情的であり、同時に理性的でもある」

 

ソリテールは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。

 

「私は魔王軍と人類の戦争から途中で降りたから詳しくは知らないけれど……彼女、大魔族全体を怒らせるほどの裏切りを働いたそうよ。そんなあの娘が、利用されて甘んじているとは到底思えない。必ずどこかで関わっている」

 

「あぁ……魔王軍でもそんな感じだったんですか。ふむ、つまりは――待っていれば、何れは再会できる可能性があるということですね」

 

「そういうこと。だから焦って帰る必要はないわ」

 

「そうですか……」

 

 

フルーフは小さく息を吐き、焚き火の炎を見つめた。

偽物が暗躍している。娘の名が騙られている。それは腹立たしいことだが、裏を返せば、本物の娘はどこかで健在だということでもある。

 

 

「……昔から負けん気の強い娘でしたからね」

 

ぽつりと、独り言のように呟いた。

 

「きっと今も、どこかで誰かにムカついて喧嘩を売ってるんでしょう。私の『偉そうな奴嫌い』が遺伝したに違いない」

 

目を細め、口元が緩む。

 

「流石は私の娘」

 

 

擦り切れた記憶を手繰り寄せるように、フルーフは過去に思いを馳せていた。

まるで、ずっと傍で見守ってきた親のような顔で。

 

 

「育児放棄したくせに、したり顔で過去を懐かしむなよ、クズ」

 

リーニエの何気ない一言が、フルーフの胸を抉った。

 

 

昔を懐かしんでいたフルーフの表情が、数秒で青ざめる。

満足げだった笑みは消え失せ、がくりと膝を折って地面に蹲った。

 

 

「リーニエ師匠、やめてくださいよ……その辺は凄くデリケートな部分なんですから」

 

声が震えている。

 

「心労で私のことを殺したいんですか……」

 

「今更許してもらおうとか、繋がりを求めようとか、そんなオメデタイ頭には丁度いいでしょ」

 

リーニエは串から残った小骨をしゃぶりながら、淡々と追い打ちをかけた。

 

容赦のない言葉の連打に、フルーフは無言で涙目になる。

自称母親が、自称娘に精神的に泣かされる――なんとも情けない構図だった。

 

しかし、ふと我に返る。

この頭がリンゴと最強の戦士で出来ているような魔族に、こんな人の心の機微を突く言葉が吐けるものだろうか。

 

フルーフは目元を拭いながら、思考を巡らせた。

こういう時には必ず、背後に悪い大人の影があるものだ。

 

 

「リーニエ師匠にそんな……人間の負の感情を察する情緒がある訳ない」

 

蹲ったまま、フルーフは呟いた。

 

「絶対また商人連中から変な知恵を吹き込まれたんです……あいつら、いい加減腹が立ってきたな」

 

顔を上げる。涙目は既に引っ込んでいた。

 

「なんだ、リーニエ師匠の言葉じゃなければ、気にする必要もないか」

 

ケロッとした様子で立ち上がり、服についた土を払う。

 

 

身内からの言葉で簡単にダメージを受けるフルーフではあるが、赤の他人から借りてきた言葉に情緒を掻き乱されるほど、人間らしい常人メンタルはとうの昔に卒業している。

フルーフは、勝手に納得し、完全なメンタルリセットを果たす。

 

リーニエは珍獣でも見るような視線を向けながら、呆れ返った。

 

 

「流石の私も、いい加減学習してきましたよ」

 

フルーフがリーニエを指差し、得意げに笑った。

 

「リーニエ師匠の罵倒の大半って、外付けの悪意ですもんね。たまに本音が混じってるんで、滅茶苦茶わかりにくいですけど」

 

「失礼な奴……正解だけど」

 

 

リーニエは認めつつも、目が笑っていなかった。

指を差され、笑われたことが、地味に気に障ったらしい。

 

拳を握り、殴ってやろうと腰を浮かせる。

 

その時だった。

 

パンパン、と両手を打ち鳴らす音が、夜の静寂を裂いた。

 

二人の視線が、音の方へと向く。

 

 

焚き火の向こう側で、ソリテールが二人を見つめていた。

口元には笑みを浮かべている。穏やかな、いつも通りの笑み。

 

だが、長い付き合いの二人には分かった。

瞳孔が縮まり、目が全く笑っていない。

話の腰を折られて、若干苛ついている。

 

 

「フルーフ、リーニエ……そこまで」

 

声音は穏やかだった。だが、その穏やかさがかえって背筋を凍らせる。

 

「お話がどんどん逸れて、宴会の流れになっているわ」

 

「「すみませんでした。ソリテール様」」

 

二人の声が、綺麗に重なった。

 

「いいよ、お話は楽しいものだから仕方ないね」

 

 

――私の話なんかより、二人で会話する方が楽しかったんだね。

 

 

言葉にはされていない。

だが、そんな異訳が二人の脳内に流れ込み、冷や汗が背中を伝った。

 

 

「あれ、どうしたの。静かになった」

 

ソリテールが小首を傾げる。

 

「それなら、私が話してもいいかな」

 

「「ど、どうぞ……」」

 

 

こ、怖ぇ……。

フルーフとリーニエは、ソリテールの背後に家長としての絶対的な威厳を見た。

ソリテールに睨まれると、どうしても萎縮してしまう。二人とも完全に力ではなく、雰囲気で尻に敷かれていた。

 

ソリテールは二人の萎縮した様子を見て、面白そうに微笑むと口を開いた。

どうやら本心から怒っていた訳ではないらしい。単に、場を仕切り直したかっただけのようだ。

 

 

「私達がここへ来た目的を果たしましょう。彼女を探すの。騒動の中心地は、もう別の場所に移っているわ……おそらくは、あの大結界に覆われた城塞の中ね」

 

細い指が、丘の向こうに聳える城壁を指し示す。

 

「フランメの大結界に守られた、あそこで……ですか?」

 

フルーフが眉根を寄せた。

 

ソリテールは静かに頷く。アウラは噂の渦中にいる当事者だ。ならばこの混乱の中心部にいると考えるのが自然だろう。

 

目的地の見当はついた。

しかし、ソリテールの表情はどこか晴れない。

その理由を代弁するように、リーニエが口を開いた。

 

 

「だけど私達は入れない。あの結界、力技でどうにかなるような代物じゃない」

 

「ええ。どういうイメージで構築されているのか……それがまるで見えてこないの」

 

ソリテールの視線が、遠く城塞を覆う不可視の障壁へと向けられる。

 

「時間をかけて解析し続ければ、あるいは解除できるかもしれない。だけど、それでは余りにも時間がかかりすぎるわ」

 

一拍置いて、彼女は関心とも諦観ともつかない息を吐いた。

 

「流石は人類の魔法使いたちの開祖。まだまだ人類の魔法体系には、私達魔族にも理解できない未知が溢れている。……これだけでも、ここに来た甲斐があったわ」

 

 

ソリテールが丘の上に建つ城塞へと張り巡らされた結界を見つめる。

ここ数十年で人類の魔法体系の理解をより深く、より広く学習したソリテールにも理解出来ない術式構造。

 

人類の魔法体系、子供達の思考の成長がもたらす魔法の進化、人類の思考とイメージがいかにして魔法を形作るのか、それらを学び蓄積したソリテールは、既に並大抵の魔法であれば見ただけで、行使者の感性とイメージが掴めるようになっていた。

 

これらは、相手の魔法の解析し瞬時に対策を練るための、極めて重要なアドバンテージであり、ソリテールが積み重ね研磨した技術だ。

 

しかしフランメの結界にはその技術がまるで通用しない。

積み重ね収集した常人の感性が全く適応出来ない、まさしく天才の所業だった。

 

 

「うん?……あぁ、あそこなら簡単に入れますよ」

 

二人がどうやって中に入ろうか考える最中、フルーフはなんでも無く呟く。

 

「魔法音痴のフルーフ。まだ虚栄心なんて微笑ましい感情を持っていたんだね、虚言はよくないよ」

 

 

しかし残念。こと魔法に関してフルーフは全く信頼されていなかった。

あのリーニエですら乾いた笑みを浮かべ可哀想な者を見る目で見つめてくる。

だが、ソリテールは何かに気づいたように頷く。

 

 

「……なるほど。私達ではいくら考えても分からない訳ね。フルーフにとっては容易であり、私達には理解の及ばない概念。大魔法使いフランメとフルーフの間にしかない繋がり」

 

「あぁ、なんだ……魂か」

 

「はい、フランメは千年前には、既に私を殺せる程の魂についての知見を得ていました。あの結界にも魂を感知する仕組みが組み込まれています。アウラさんが中にいるのなら、間違いなく偽装して入り込んでいますね」

 

「ふふ、実にシンプルで単純」

 

ソリテールが微笑む。その笑みには感嘆の色があった。

 

「だけど概念を捉えられない私達には、鉄壁の守り同然。どうやってあの結界を欺くの?」

 

「簡単です、魂の上に人間の魂の皮を被せるだけで欺けます、過去に試しに魔族の魂を被った状態で入ろうとしましたが弾かれましたので」

 

「なにが簡単だよ」

 

リーニエが呆れたように吐き捨てる。

 

「お前、言ってること相当ヤバいよ」

 

皮を被せる。魂に。

 

どこの世界にそんな――唯一無二であるはずの魂を、毛皮感覚で羽織る奴がいるのか。フルーフの尖りすぎた魔法技能に、リーニエは引いていた。自身を棚に上げて、ストレートにドン引きしていた。

 

 

「そう……なら問題は解決したも同然。門が開かれる夜明けを合図に乗り込みましょう」

 

「では、私はアンデッドと術者の対処に回ります」

 

フルーフも立ち上がり、遠くの古城があった方角を見やった。

 

「こっちも完全に可能性がなくなった訳ではありませんしね」

 

「二手に別れて探索。あの腐敗臭の塊は、フルーフに任せる。服に匂いが移るから相手にしたく無かったんだよね」

 

「一切返り血で汚れる心配していない辺り、リーニエ師匠のドヤった自信が見え隠れしてますね」

 

フルーフは大げさに感心した素振りを見せた。

 

「ではそっちは頼みましたよ」

 

「決まりね」

 

ソリテールの一言で、明日の行動方針が確定した。

 

「あ、吐き気で眠れないんで火の番は私がします。お二人とも寝ていて下さい」

 

 

フルーフは野営を快適にするための民間魔法を次々と施していく。

地面の土がマットレスのように柔らかく変質する。保温、虫除け、寝心地を良くするためのあらゆる工夫。数百年の野営経験が生んだ、無駄のない手際だった。

 

 

ソリテールは無言でその様子を見守り、やがて柔らかくなった地面に横たわった。

リーニエは「土臭い」と文句を言いながらも、結局フルーフが用意した寝床に収まる。

二人が寝息を立て始めた頃、フルーフは仰向けに寝転がったまま夜空を見上げていた。

 

フルーフはふと何かを思い出したように、リーニエの方へ顔を向けた。

 

焚き火の明かりに照らされた自称娘の横顔。目を閉じているが、まだ眠りには落ちていないだろう。

 

「あ、そうだリーニエ師匠」

 

「……なに」

 

案の定、片目だけが薄く開いた。

 

「自傷覚悟の奥の手は無闇に切らないでくださいよ」

 

リーニエの左手を掲げる。その小指に嵌められた銀の指輪。

焚き火の光を受けて、鈍く輝いている。

 

「私の方でも感知できるようになってるんで、使ったら出来る限り早く駆けつけますが……」

 

フルーフは一度言葉を切り、真剣な眼差しでリーニエを見つめた。

 

「使い方を誤ったら数秒で死にますよ」

 

 

リーニエは億劫そうに身体を起こす。

小指の指輪、そして首から下げた赤いペンダント。二つの輝きが、夜闇の中で静かに脈動している。

 

 

「誰に物言ってるのバカタレ」

 

あくびを噛み殺しながら、リーニエは一蹴した。

 

「そんなこと言うなら、この赤い石をもっと作って寄越しなよ」

 

 

首元のペンダントを摘まみ上げ、フルーフに見せつけるように揺らす。

 

それは過去にシュタルクの兄、シュトルツへと渡したものと同質の効果を持つ秘石だった。

フルーフの生命そのものを凝縮し、結晶化させた命の欠片。砕ければ持ち主の致命傷を瞬時に癒し、たとえ心臓が止まっていても強制的に蘇生させる。

 

フルーフが「死んでほしくない」と判断した者には、必ず一つだけ贈られる命の保険。

 

複数所持すれば何度死んでも蘇れるだろう。

しかし誰であろうと、フルーフは頑なに一つしか渡さなかった。

 

それは最愛のソリテールであっても例外ではない。

 

「駄目です」

 

フルーフは即座に、しかし穏やかに首を横に振った。

 

「そんなものに頼ると私みたいになります。皆一つずつ、保険で持つくらいが丁度いいんですよ」

 

「年中死にまくりのフルーフが言っても説得力が無いんだよ」

 

 

リーニエの指摘はもっともだった。フルーフ自身、どの口が言っているのかと思わずにはいられない。

 

だが――。

 

命の重みを忘れ、紙屑のように軽くなってしまった自分だからこそ、大切な存在たちには同じ道を歩んでほしくなかった。

 

十度や百度の死なら、却って命を惜しむようになるものだ。死の恐怖を知り、生の尊さを噛み締める。それは健全な反応だろう。

 

だが数十万回、数百億回と繰り返すうちに、感覚は確実に摩耗していく。

気がつけば、自分の命を勘定に入れることに何の躊躇いもなくなっていた。

 

あぁ、また再生するからいいか。

死んで蘇れば済む話だ。

どうせ痛みも一瞬で消える。

 

その思考回路が、どれほど壊れているか。

フルーフ自身が一番よく分かっている。

 

例えこの判断で大事な者が命を落とす結果になったとしても――こんな石ころに依存して、今の在り方を変えてほしくはない。命を軽んじる化け物に、成り下がってほしくはない。

 

――まぁ、実際の所リーニエ師匠は底抜けのビビリなんで、死への耐性なんて絶対出来ないから心配してませんけど。石ころに依存とか……絶対しませんね。現にもう四桁近く死ぬのを見守ってきましたが、全然慣れてませんし。

 

「実に身勝手で無意味な拘りだと思うよ、フルーフ」

 

目を閉じていたはずのソリテールから声が届いた。

フルーフは苦笑した。

 

「私もそう思います」

 

焚き火の爆ぜる音が、夜の静寂に溶けていく。

 

「ですが私は私が嫌いなんでね……私みたいな、本当の意味で生き物失格の破綻者になってほしくないんですよ」

 

言葉にすると、余計に矛盾が際立った。

 

「言動全てが矛盾している、こんな糞みたいな拘りですが……どうしても捨てられない」

 

フルーフは夜空を見上げた。星々が瞬いている。何百年、何千年と変わらない光。自分もまた、あの星のように変わらず在り続けてしまうのだろうか。

 

「ソリテール様、幻滅してしまいましたか?」

 

問いかけは、半ば本気だった。

 

こんな支離滅裂な人間を、まだ愛してくれるのだろうか。

 

「全く」

 

ソリテールの返答は、穏やかだった。

 

「貴女が私を人喰いの化け物として、あるがままを愛するように――」

 

衣擦れの音がして、ソリテールが身を起こす気配がした。

 

「私も貴女の拘りを否定しないの。それが例え意味の分からない、無価値と断じるに値する無意味なものでもね」

 

フルーフは目を閉じた。

胸の奥で、何かが温かく灯る。

 

「……ありがとうございます」

 

小さく呟いた言葉は、夜風に溶けて消えた。

 

「幻滅した」

 

だが、感傷に浸る間もなく――リーニエの容赦ない声が突き刺さる。

 

「頭が悪い癖に調子に乗るな。そんなまともぶったこと言うなら、全身から骨を射出したり人間バリスタなんて阿呆なことするな」

 

「……」

 

「毎度毎度、目が腐る」

 

一切空気を読まない発言が、しんみりとした雰囲気を粉々に破壊した。

フルーフは思わず噴き出しそうになるのを堪えた。相変わらずだ。この魔族の娘は本当に相変わらずだ。

 

だが――変な話、それがとても心地よかった。

 

「そうですかぁ……」

 

フルーフは寝返りをうち、リーニエから顔を逸らした。口元が緩んでいるのを見られたくなかった。

 

「ソリテール様にもっと寄越せと言われたらどうしようか、悩む所でした」

 

「もっと寄越せ」

 

「はいはい、普段からがめついリーニエ師匠にはなんて言うか決めています」

 

フルーフは満面の笑みで振り返った。

 

「――断固拒否」

 

「なんでだよ」

 

リーニエが眉を顰める。

 

「……また育児放棄か。娘である私の面倒を見ろ」

 

「それ意味が全然違いますから」

 

訳の分からない理屈で攻め立てられながら、フルーフは呆れ半分、可笑しさ半分で応じる。

リーニエが突然脚を振り上げた。

 

「あ痛っ」

 

尻に衝撃が走る。

 

「痛い、痛い、お尻を蹴らないでください」

 

「うるさい」

 

小気味よい音を立てながら、連続キックが尻を襲う。

 

「あ、そうだ――」

 

蹴られながらも、フルーフは思いついたように声を上げた。

 

「あぁ〜、残念だなぁ」

 

わざとらしく嘆息してみせる。

 

「まさかあの戦士アイゼンを志す戦士リーニエが、私如きが作った石ころに依存する軟弱者だなんてぇ」

 

蹴りが止まった。

 

「最強で最高の戦士ならきっと、一つしかない命で最高に輝けるのになぁ」

 

沈黙が落ちる。

 

フルーフはちらりとリーニエの様子を窺った。焚き火に照らされた横顔が、微妙に強張っている。

 

――効いた。

 

「……なに勘違いしてるの。フルーフ」

 

リーニエの声が、急に低くなった。

 

「私は最強で最高の戦士に至る戦士」

 

首に手を伸ばし、赤いペンダントを掴む。

 

「こんなものは必要無い」

 

そして――迷いなく首から外し、フルーフに向かって投げつけた。

 

「え、ちょっと」

 

フルーフは慌ててそれをキャッチする。掌の中で、赤い石が温かく脈動していた。

 

「それは持っててください!」

 

即座に投げ返す。

 

「ちょ、ムキになりすぎでしょ」

 

リーニエがそれを片手で受け止め、無表情のまま投げ返してくる。

 

「あぁもう、考えの振れ幅が極端すぎですよ!」

 

キャッチ。投げ返す。

 

「ソレないとマジで死ぬんで持っててくださいよ!リーニエ師匠、自爆で死にまくってるじゃないですか!日に一回は軽く死んでるから、この十年で三千回以上は死んでるんですよッ。本気でうっかりってだけで、死んでも不思議じゃないんですよ!」

 

パシッ。パシッ。パシッ。

 

高速でフルーフとリーニエの間を行き来する不死の秘石。

 

途中からもう、何の話をしていたのかすら忘れていた。二人とも目の色を変え、キャッチボールに興じている。

 

赤い軌跡が夜空を切り裂く。速度はどんどん上がっていく。フルーフが投げれば、リーニエが負けじと投げ返す。リーニエが投げれば、フルーフがさらに速く投げ返す。

 

もはや意地の張り合いだった。阿呆の極みである。

 

暗い雰囲気など吹き飛び、ただひたすらにムキになって秘石を投げ合う。星空の下、焚き火の傍らで繰り広げられる、壮大に無意味な勝負。

 

やがて――。

 

「はぁ……はぁ……」

 

リーニエの動きが鈍くなった。魔力の消耗が激しいのか、息が上がっている。

対するフルーフは、まだ余裕があった。無尽蔵の魔力と体力。不死の肉体の、数少ない利点だ。

 

「……くそ」

 

最後の一投。リーニエが放った秘石を、フルーフは悠々とキャッチした。

そしてそのまま――倒れ込むように横になったリーニエの首に、そっとペンダントをかけ直す。

 

「いぇ~い。私の勝ちぃ。なんで負けたか、次までに考えておいてください」

 

「何この馬鹿、うっざ……だまれ」

 

リーニエは悔しそうに目を逸らした。だがペンダントを外そうとはしなかった。

 

ふと、東の空が白み始めていることに気づいた。

鳥のさえずりが聞こえてくる。夜明けが近い。

 

「……リーニエ師匠」

 

「……なに」

 

「朝日、出てきましたね」

 

「「…………」」

 

 

二人は同時に、ソリテールの方を見た。

 

静かに横たわる翠髪の魔族。その寝顔は穏やかで――しかし二人には分かる。絶対に起きている。絶対に全部聞いていた。

 

フルーフとリーニエは顔を見合わせた。

 

ヤバい。これは絶対に怒られる。

 

 

「ちょっとぉ……リーニエ師匠、朝日出てきたんですけど」

 

「おいフルーフ。お前のせいでソリテール様に怒られるだろうが」

 

「私は死んでリセットするんで怒られません」

 

「さっきまで命のなんだのって言ってた癖になんなのお前……」

 

 

フルーフは自分で言っておきながら、苦笑するしかなかった。

どの口が言っているのか。本当に、どの口が。

 

 

「私は数百年前から色々と開き直っていますんで。言動と行動が一致しないんです……リーニエ師匠はよく知ってるでしょ」

 

「知ってる、この……情緒不安定、ヒステリー女、癇癪持ち、悪魔憑き、キレ性、鬼ばばぁ、三歩後ろを歩けない女」

 

リーニエが呆れたように溜息をつき、一息でフルーフへとナイフのように鋭い言葉を突き刺しまくる。

 

「なんですか、その攻撃力のバリ高い語彙力……。わ、私みたいになってほしくないだけですから。私は私で皆様の反面教師として、これからもどんどん死に続けますよ。私みたいになりたくないと、心の底から思えるように……」

 

「なら私も死ぬから、蘇生して」

 

「は?」

 

フルーフの声が、一瞬だけ冷えた。

 

「私が家族の無駄死にを黙って見過ごせる訳ないじゃないですかぁ〜……。リーニエ師匠にとって、とても大事な訓練。その最中の意義ある死ならともかく」

 

笑顔のまま、しかし目だけが笑っていない。

 

「リーニエ師匠、どうせ怖くて自害できないですよね?まさか……私に殺せとでも?嫌なんで、二度とそんなこと言わないでください」

 

「急に怒るな。なんだよもう……他の人間にはやるのに」

 

「蘇生や若返りはギブアンドテイク、対価をしっかり頂くお仕事です。ビジネスに私情を挟むのはナンセンスというものです――勿論……例外もありますがね、蘇生魔法は本来、そういう目的で作られたものじゃないんです。家族を助けるためのものなんです」

 

言いながら、フルーフは自分の言葉に吐き気を覚えた。

 

「……あぁ、糞。自分で言ってて反吐が出るな。私、糞すぎません?ぶっ殺したくなりますね」

 

「自分に都合の良いことばっか抜かす、バカな弟子のことなんて知らない」

 

リーニエは寝転がったまま、空を見上げていた。

 

「生恥しかないんだから、もう逆に誇りなよ。この変態不死」

 

「……」

 

フルーフは黙った。

 

誇る。この矛盾だらけの、支離滅裂な自分を。

それが出来たら、どれほど楽だろうか。

 

「あぁ、眠い……」

 

リーニエが欠伸を噛み殺す。

 

「朝食とってきて。私は……寝る」

 

「えぇ……今から?」

 

「ぐぅぅ……」

 

 

返事を待たず、リーニエは眠りに落ちた。

徹夜で全力キャッチボールをした代償だろう。魔力切れと不眠で、限界だったに違いない。

フルーフはその寝顔を見つめ、思わず笑みがこぼれた。

 

 

「家族の頼みなら断れませんね」

 

心が、潤いで満たされていく。

愛とはまた違う充足感。どうしようもなく、この魔族が好きなのだと実感する。

 

だからこそ、自分のように腐ってほしくないと、改めて思う。

 

「自己嫌悪なんていつぶりかな」

 

フルーフは独り言のように呟いた。

 

「やっぱり五百年ぶりのあの娘との再会に、おかしくなってますね……はぁ、吐きそう」

 

胃の辺りを押さえながら、立ち上がる。

 

「いっそ全部開き直れたらよかったのに……流石に一度でも娘として認めたなら、開き直れないか。愚息に長年忘れさせてくれるよう頼んでたのも、私ですしね」

 

近くの川へ向かいながら、フルーフは考え続けていた。

 

開口一番、なんて言おう。やっぱり初手謝罪かな。

いや、もっと気さくな挨拶で場を和ませるか。でも五百年も放置しておいて気さくもないだろう。

 

「あぁ……吐く」

 

結局、答えは出ないまま――フルーフは朝食の調達へと向かった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

その後、なんやかんやとダラダラ過ごし、リーニエが起きるのを待った一行は出発した。

 

ちなみに出発したのは予定時刻を大きく過ぎた昼過ぎ。

 

寝過ごしたリーニエだけでなく、その原因であるフルーフもしっかりとソリテールからお叱りを受けた。

グラナト領に向かう道中、延々と続く小言を聞かされた二人は、見る影もなくシナシナに萎れていた。

 

時刻は既に夕方前。

 

フランメの結界内に無事入れたことを確認した後は、予定通り二手に分かれる。

 

ソリテールとリーニエは城塞の中心部へ。

 

フルーフは古城周辺とアンデッドの調査へ。

一行のアウラ捜索が開始された。 

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