ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第2話▶ぐえぇ~殺してヒヤシンス

 

 

――魔王討伐から更に数十年後

 

 

大陸北端のとある造船所――

 

 

インクの乾いた匂いと、微かに漂う血の鉄臭さ。そして、埃を被った古書の黴びた香り。 うっすらと開いた瞼に映ったのは、インクの染みと難解な術式がびっしりと書き込まれた羊皮紙の山だった。

いつの間にか意識を手放していたらしい。

凝り固まった首を鳴らしながら重たい身体を椅子から引き剥がすと、足元に散らばる書物がカサリと音を立てた。

 

 

「ハッ……いかん、寝てた」

 

 

ひとつ大きなあくびを噛み殺し、よろめく足で机の上に無造作に置かれた瓶へと手を伸ばす。

なみなみと注いだ生温い水を一気に呷ると、渇いた喉を滑り落ちていく感覚に、少しずつ意識の輪郭が鮮明になっていく。

 

 

「はぁ……眠」

 

 

死んでしまえば、この眠気も疲労も一瞬で霧散する。

だが、そんな些細なことで命をリセットするのは、流石に馬鹿げている。気分的にも論外だ。

 

 

「昨日はどこまでやったんだったかな……」

 

 

散乱した資料を掻き分け、記憶の糸を辿る。

そうだ、人体と魔力の関係性について、最後の考察をまとめていたのだった。

羊皮紙の山に埋もれていた一枚のメモが目に留まる。『霧状の身体を持つ魔物の魂の構造に関する考察』…随分と昔に記した走り書きだ。

あのカッコつけの愚かな愚息モドキは今でも、あの娘の墓参りに毎年通っているのだろうか……ふと、そんな思考が脳裏を過ったが、今は目の前の研究に集中しなければならない。

 

 

「あのロリコン野郎……今なにしてんだ?……と、いけませんね。昔を思い出したせいで口調が……コホン。私はフルーフ、私はお上品なフルーフですよぉ」

 

 

カリカリと、羽ペンが羊皮紙を引っ掻く音だけが部屋に響く。眠る直前に行った研究の過程と結論を、揺らぎのない筆跡で書き込んでいく。

 

 

ふと、部屋の中央に視線を移す。

そこには、冷たい金属の手術台を模した石造りの台座があり、その上には私と瓜二つの人間が横たわっていた。

 

 

「おはようございます、私……。ふむ、やはり何度試しても自意識らしいものは確認出来ませんねぇ」

 

 

台座に横たわるのは、魂を燃やし尽くした私自身の遺体だ。

随分前、滅びた集落で見つけた死霊術の魔道具のおかげで、かろうじて心臓だけが脈打っている。浅く開かれた瞳に光はなく、微かに上下する胸郭が全身に酸素を運んでいるだけ。剥き出しになった脳味噌には、私が作った電極モドキが幾本も突き刺さり、魔法による微弱な電気を流せば、特定の行動を示す。

 

 

しかし、これでは生きているとは到底言えない。ただの空っぽの肉塊、死霊術で操られるゾンビ、精巧に作られた人形と何ら変わりはなかった。

 

 

「これは結論が出ていましたが、やはり人間の魔力の発生源は魂で間違いは無いようですね。人格のようなものも、どうやら魂に起因するらしい」

 

 

自身の遺体を使った実験の中で、魔力と呼べるものは一切確認出来なかった。それは即ち、魔力とは肉体から生み出されるものではなく、魂そのものから漏れ出るエネルギーであることの証明に他ならない。

 

 

「脳の電気信号による魔法の発動は失敗。魔力を生み出す特別な臓器も無し……。やはり、私の前世の知識にある人間と、この世界の人間とでは、身体の構造に大きな差異はないのですね……」

 

 

内臓のどこを探しても、魔力を司る特別な器官は存在しなかった。

残すは、前世で言うところの細胞レベル、肉眼では捉えられない微細な領域での差異を調べるのみ。しかし、そんな精密な観察を可能にする道具など、この世界には存在しない。人体に関する研究は、ここで一度区切りをつけるべきだろう。

 

 

「今、定説とされているのは"人間は女神が創造した生物"でしたか……。まぁ、無いですね。聖都関係者の前で言ったらブチ殺されそうですが。私が調べた限り、思ったよりずっと普通に人間でしたし」

 

 

行商人から購入した宗教関係の学術書を手に取り、数ページ捲っては、その非科学的な内容に呆れて即座に閉じる。

発行元が聖都であるという事実が、胡散臭さにより一層の拍車を掛けていた。

世界が平面だと主張するのと同じくらい、信憑性がない。愚息やあの娘には申し訳ないが、奇跡を目撃しようと私はどこまでいったって無神論者だ。宗教など糞だ。

 

 

「魔族、魔物、魔力という前世との大きな差異はありますが、虫や魚などの生態系は驚くほど似通っている。人類の進化の過程は、共通の祖先から紆余曲折を経て人間へと至った…。やはり、この可能性が一番高いんじゃないですかね」

 

 

今、私に出来るのはここまで。研究者ごっこも、今日で終わりだ。

 

 

「お疲れ様でした。そして、ありがとう私……。安らかに眠って下さい」

 

 

実験結果を全て書き終え、ペンと羊皮紙を机の上に置く。

私は、もう一人の私を見つめながら、ゆっくりと魔道具の稼働を解いていく。

 

浅く繰り返されていた呼吸が止まり、瞳は乾き、その輝きを失っていく。それをじっと見つめながら、その瞼にそっと手を添え、目を閉じてやる。冷たくなりつつある肌の感触が、指先を通じて伝わってくる。

静寂だけが支配する中で、もう一人の私の死を見届けた時……ほんの少しだけ、感情が揺れた。

 

 

――何時かは、私にもこんな安らかな眠りを享受出来る日が来るのですね…。楽しみにしていますよ、フランメ。

 

 

この世界に生まれ落ちてからの正確な年数は、最早わからない。

自分が何歳なのかさえ、数えきれない死の中で記憶の一部が酷く摩耗してしまっている。

 

 

彼女、フランメとの出会いは……確か、生まれてから結構な年月が経った頃だろうか。

 

数万、数千万と死に絶え、私はようやく魂の知覚に至った。

しかし、彼女の魂に関する知見の広さは、私のそれとは比べ物にならないほど広く、深かった。

そして、ついには私のための「死」の魔法を開発してくださった。

 

それはまるで、システムのバグを修正するパッチのような魔法。

私の魂の異常を、ほんの一瞬だけ正常な状態に作り変える。フランメ曰く、悔いを残さず老衰し、正しく天寿を全うすれば、この世界の法則に則って死を迎えられるらしい。

 

 

気休めの嘘かもしれないが、何故だか彼女の言う通りにすれば、本当に死ねる気がした。

……まぁ、その時に出会ってしまった、とあるエルフのせいで前世を思い出し、現状は悔いだらけになってしまったのだが。

 

 

「はぁ…それじゃ、そろそろ出かけ――う、わぁ……。その前に掃除しないといけませんね」

 

 

台座に眠る自身に別れを告げ、出かける準備をするために振り返ると、ホラー映画さながらの血痕と本の山が視界に飛び込んできた。

壁には飛沫が幾筋も走り、床には乾きかけた血溜まりが不気味な模様を描いている。

実験中は何も思わなかったが、改めて血塗れの部屋を見て我に返る。

 

 

猛烈に自己弁護したい気持ちに駆られた。

いや、私は別にスプラッター趣味があるわけでも、マッドな研究に没頭する変人というわけでもない。

これはそう……愛、愛ですよ、愛。

好きな人の興味があることを知って、同じく興味を示すのは人間としてごく自然な感情じゃないですか。

 

 

内心で必死に自分は常識人だと主張しながら、黙々と部屋の掃除を行っていく。

民間魔法は実に便利だこびり付いて落ちづらい血の汚れも、一瞬で洗い流せる。

実験結果や前世の知識と擦り合わせた進化論のレポートを整理し棚にしまい、早々に掃除は完了した。

 

 

「掃除完了です。さぁ、出かけましょう」

 

 

血で汚れた白衣を脱ぎ捨て、玄関に掛けてあった上質なコートを羽織る。

訪ね先への手土産が入った鞄を忘れずに手に持ち、扉のノブを回して外へ出た。

 

空は一面の晴天。眩しいほどの陽光が肌を温め、潮の香りを含んだ風が頬を撫でていく。

心地よい日の光と潮風を浴びながら大きく背伸びをする。辺りを見回せば、どこまでも続く白い砂浜と、私の愛しい魔族が拠点としているであろう大きな造船所が見える。

波が寄せては返す音が、穏やかなリズムを刻んでいた。

 

 

この場所を見つけたのは数年前、もしかしたら既に十年以上は経っているかもしれない。

見つけた当初は喜び勇んで造船所の主の帰りを待っていたが、それから何年経っても私の愛しい魔族は姿を現してはくれなかった。

人間と魔族の時間感覚の差を、改めて思い知らされた瞬間だった。

 

 

あまりに暇だったので、金にものを言わせて口の硬い建築家と大工を雇い、造船所の真横にこの一軒家を建ててしまった。

流石に毎日通うのは骨が折れる。無論、正規の手続きなど踏んでいない。建築材料は横流ししてもらい、堂々と建てた不法建築だ。

 

 

そうして有り余った金で、造船所に負けないほどの豪邸を建てたのが運の尽きだった。

部屋が多すぎて、掃除もままならない。調子に乗って慣れない金の使い方をした報いだろう。

 

 

「出発しましょうか。空飛ぶ魔法が噂されているようですが、魔導書の普及はまだまだみたいですし、数年先も徒歩は確定ですね」

 

 

空を飛ぶ魔法。魔法店の店主によれば、魔族の術式をそのまま流用しているため制限も多いらしいが、機会があれば是非一度は空を自由に飛び回ってみたいものだ。

 

 

――無いものねだりをしても仕方がない。心身共に老いた老人でもあるまいし、数日かけてヴァイゼ周辺の森林奥に向かうくらいの元気はあります。

 

 

お気に入りのシルクハットを深く被り、のんびりと一歩一歩、砂浜を踏みしめていく。

足元で砂が軋む感触を楽しみながら、遠くに霞む森林の稜線を見据える。

 

 

――元気にしてますかね……リーニエ師匠。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

――城塞都市ヴァイゼ

 

 

無事、かの黄金郷が支配するというヴァイゼに到着した。

そこには、数十年前まで悪徳貴族の巣窟だったとは思えないほど、活気に満ちた平和な町並みが広がっていた。石畳の大通りには露店が軒を連ね、行き交う人々の喧騒が耳に心地よい。

 

 

うっすぅ~ら記憶に残っている黄金郷のマハトには一度会っておきたい所ですが……デンケンさんと、レクテューレさんの件で近々動かないといけないかもしれませんし。私の愛しい魔族の友人でもあるようですから……下手な接触はせず、諦めましょう。悪印象を持たれるのは、なにかと都合が悪い。

 

 

それにしても、この街は栄えている。

前回来た時よりも、明らかに品揃えが豊富だ。

折角なので、露店を冷やかしながら色々見て回り、追加の手土産を購入する。

威勢のいい店主の声に相槌を打ちながら、値切り交渉を楽しむ。最後に青果店で、瑞々しく艶のあるリンゴを大量に買い込み、収納の魔法術式が刻まれた鞄に限界まで詰め込んでいく。

 

 

「よしよし…これで前回のようにゴネられる心配はありません」

 

 

準備万端。

買い物を済ませた後は、城塞都市の喧騒を後にして、人里離れた森林の奥深くへと向かう。

今にも魔獣が出そうな獣道、道なき道を、記憶と僅かな目印だけを頼りに進んでいく。

 

 

木々の間から差し込む木漏れ日が足元を照らし、枯れ葉を踏みしめる音だけが静寂を破る。

すると、木々が伐り倒された開けた場所が見え始め、その中央には大きめの小屋と、小さな人影が見えてきた。

 

 

少々時間が空いてしまったが、実に二月ぶりの師匠との再会だ。

小さな人影に向かって大きく手を振り、挨拶をしようとした瞬間、なんだか巨大な影が凄まじい速度で急接近してきて…。

 

 

「あ、リーニエし――ご、ばぁ!?」

 

 

挨拶の代わりに返ってきたのは、巨大な斧。

ブーメランのように円を描きながら回転し、私の脳天から身体を綺麗に真っ二つにしてくれた。視界が反転し、一瞬の暗転の後、再び意識が戻る。

 

 

「なんだ……フルーフか」

 

「わざとですよね…。魔力探知で私だと気づいておられましたよね」

 

 

出会い頭にワンキルした挙げ句、白を切るとは……。

真っ二つに裁断された上質なコートを民間魔法で修復しながら、下手人へと近づいていく。血に濡れた布地が、魔力の光を受けて元通りに繋がっていく。

 

 

「怒ってる…? 稽古してあげる。だから許すよね」

 

「服の修復魔法には結構時間が掛かるんですから、毎回出会い頭に殺すのは止めて下さい。……うん? なんて格好してるんですか、その服。擬態用ですか?」

 

 

斧を投げられながらもなんとか小屋にたどり着くと、ようやく小さな人影の姿がはっきりと見えてきた。

 

小屋の側に立っているのは、少女と形容できるほど小柄な魔族。

桃色の髪はツインテールに結われ、フリルとコルセットで飾り付けられた豪奢なロリータ服を身に纏い、足元はストッキングにリボン付きのパンプス……。

あれ?なんだか前回と雰囲気が違いすぎる。

確か、前回は無地のワンピースで、髪も下ろしていたはずだ。

 

 

「趣味だけど……なに?」

 

 

怖……。

相変わらず愛らしい顔立ちに反して、無機質で感情の読めない声色だ。

瞳孔が開ききった硝子玉のような瞳が、じっとこちらを見据えている。妙な威圧感が凄い。

 

 

「いえ……なんでもないです。快、不快の概念があるのですから、魔族にも服の好みはありますよねぇ」

 

「食料は? 持ってきたの?」

 

 

魔力による武器の具現化。

彼女の小さな手には、いつの間にか鋭い槍が握られており、私の腹をチクチクと突いてくる。

槍先が布地を押し込む感触が、地味に痛い。まるで取り立て屋のような恐喝だ。

魔族なんですから、もっと可愛らしく私を欺き、殺してくれても良いんですよ?

 

 

「はい、前回の三倍は用意してきました。後ほど食料庫へと移しておきます。それと、お金はまだありますか?間違ってもこの付近で暴れないで下さいよ、黄金郷に殺されますよ?」

 

 

彼女に師事する中で、良好な関係を築くため、通貨の概念は教え込んである。

食に関心がある彼女に、人間の通貨の利便性を学習させるのは、案外簡単なことだった。

 

 

「ヴァイゼに攻め込んだ魔族がマハト様に殺されてた…。そんな馬鹿な真似はしない。それに、その辺の人間は金を余り持ってないから暴れる理由が無い。それじゃ…ほら、早くお金、出しなよ」

 

 

そう言いながら、寄越せとばかりに小さな掌を差し出してくる。

前回、金貨を渡したはずだが……。

あぁ、その服ですか。

レースの一つ一つまで丁寧に仕立てられた、見るからに高そうな逸品。よほど気に入ったのだろう。

 

 

「これで足りますか?」

 

 

とかいいながら、村や街を気分で襲われては困るし、少し奮発してやるとしますか。

金貨と銀貨が半々詰まった、ずっしりと重い小袋を彼女の小さな掌に乗せる。

 

 

「……人間、殺したくなってきた」

 

 

これは……紛うことなき脅し!?

黙って差し出され続ける掌に、私は一枚、また一枚と金貨を追加していく。

二枚、三枚、五枚、十枚……。金貨が積み重なるたびに、財布の中身が軽くなっていくのを感じる。

三十枚目で、ようやくその手は引かれていった。

 

 

「今後も私の為に働け」

 

 

大変です、私のせいかもしれませんが、発言がどんどん酷くなっていきます。

まるで紐生活を謳歌するクズ男みたいなことを言ってきましたよ。

 

 

「リーニエ師匠の為だけに働いてる訳ではありませんよ」

 

「人間を蘇生させるだけで稼げる。フルーフには簡単なはず」

 

 

簡単に言ってくれます。

 

えぇ、確かに稼いでいますよ。

死者を蘇らせて欲しいという依頼は引きも切らず、報酬も破格。おかげで、こうして師匠に貢ぐ金にも困らない。

 

でもね、師匠。この商売がどれだけ危ういか、わかっていますか?

 

死者蘇生なんて、どこの国でも禁忌中の禁忌なんですよ。理由は単純、誰もまともに成功させたことがないから。世界中の魔法使いが挑んできましたが、出来上がるのはゾンビかキメラか、あるいはもっとおぞましい何か。魂という根本を無視している限り、本当の意味での蘇生など不可能なのです。

 

だからこそ、私のような本物は存在してはならない。王侯貴族に知られれば、不老不死の秘術を求めて拉致されるか、禁忌に触れた罪で処刑されるか。女神信仰の連中に嗅ぎつけられれば、異端者として永遠に追われる羽目になる。実際、聖都の異端審問官には一度捕まりかけましたし……あれは本当に面倒でした。

 

 

かと言って、今更この商売を止める気にもなれません。

契約書と魔法でガチガチに縛っておけば、情報漏洩の心配は無いので、貯められるだけ貯め込むつもりです。 私は神ではありませんし、特定条件下でなければ人間の蘇生は出来ません。当初は倫理観という言葉が頭を過ぎりましたが、生きたがっている人間を生かしてあげることに、何の問題もないでしょう。

 

 

そもそも、この魔法自体が………。いや、暗くなるだけですし、考えるのは、やめておこう。

 

 

「目を付けられないようにしてるんです。高位の貴族や国に知れ渡ると、面倒ごとしか有りませんから」

 

「私には関係ない。あれから魔力操作は上達した?」

 

 

文句を言わず働け、とでも言わんばかりに、私の言葉はぶった斬られました。

切り株にちょこんと座り、こちらを見上げてくる彼女。ロリータ服の裾が風に揺れている。あら、可愛い。

 

 

「頑張ります……。えぇ、リーニエ師匠のお陰で、少しはマシになったかと思います」

 

「見せてみて」

 

 

私が彼女に師事した理由は二つ。

一つは、相手の魔力コントロールを見ただけで完璧に見極め、実践できる卓越した魔力の操作技術。 もう一つは、多種多様な格闘技能を一目で修め、それを本来の使用者と同等に操る魔法のセンス。

 

生涯を魔法の研鑽に費やす一般的な魔族とは異なり、彼女は異端の戦士タイプ。

それも、扱う魔法までゴリゴリの白兵戦を前提にしているのは、彼女以外に見たことがありません。

 

というか、魔力探知も無しに体内の魔力の流れを完璧に把握して見透かすなんて……それ、もう異能の領域ですよ、師匠。

 

 

彼女には、私の魔力操作と格闘技能の指導をして貰っています。流石は魔力の流れを見ただけで技の全てを模倣できるだけあって、そのアドバイスは的確で、いつも為になるものばかりです。

 

 

「御覧ください、リーニエ師匠。前回よりも魔力コントロールが出来ている気がしませんか?」

 

 

魂を魔力に変換し、全身に即死級の強化魔法が施されていく。

血管の中を熱い奔流が駆け巡り、筋肉の一本一本が活性化していく感覚。

数度、シャドーボクシングのように軽やかなジャブを繰り出し、彼女の反応を伺います。拳が空気を切り裂く音が、静かな森に響いた。

 

 

「多少マシ……。でも、ゴミみたいな操作技術は相変わらずだね」

 

 

悪意も罪悪感も無いって、なんて残酷なのでしょう。 純度120%の本音ですね。マシになったというなら、少しは頑張った弟子を褒めて下さい。

 

 

「ですが、ほら…拳を振っても肉が爆発しませんよ」

 

「なら、拳と蹴りを交互に出してみなよ」

 

 

不味いですね……。彼女に師事して早数十年が経ちますが、凡人の私にはまだそのステップは早すぎます。

ですが、割と戦闘経験自体は豊富な方ですし……やってみたら、案外出来るかもしれません。

 

 

「お任せ下さい。その程度、造作もな――あ」

 

 

まずは拳によるジャブ。そして、頭蓋骨を砕くようにハイキッ――ぐしゃぁッ!

 

生温かいものが足先から滴り落ちる感触。見下ろすと、ブーツの先から鮮血が溢れ出している。あー……何故でしょう……わかりませんね。

 

 

「……下手くそ。全身に均等に施された魔法の強化が、変に力んで一箇所に集中している。だからそうなるんだよ。…わかる? 間抜け」

 

「はい……リーニエ師匠」

 

「次は魔力操作による実践的な格闘術。雑魚のフルーフにも理解出来るように、手本を見せてあげる。サボらず…魔力探知を冴え渡らせたまま切るな。『模倣する魔法(エアファーゼン)』」

 

 

彼女は切り株から立ち上がると、中国武術のような構えを取りながら、これから行う稽古の説明をしてくれます。

 

彼女から漏れ出る魔力が萎んでいく……。

 

ちょっと、なんで私が長年かかっても出来ないことを、二言三言の説明で完璧に習得しているんですか。

私の雑な魔力制限を視てフリーレン並に模倣するなんて、才能ある若者に一瞬で追いつかれる年長者の気持ちって、きっとこんな感じですね……。

 

 

音もなく、彼女の重心が滑らかに揺れ動く。

まるで水面を滑る木の葉のように、その小さな身体が流れるように動き出した。

 

空を裂く鋭い拳が突き出され、そこから流れるように胴当ての掌底、そして舞うように華麗な技が次々と繰り出されていきます。

 

一切の淀みや詰まり無く、魔力が全身を滑らかに行き来しているのがわかります。

拳が突き出されれば、瞬間的に拳へと魔力が集中し、瞬時にまた別の箇所へと移動していく。

 

まるで体内を流れる川のように、魔力が淀みなく循環している。

人外の魔法使いたちと単純な比較は出来ませんが、こと体内での魔力制御技術に関して言えば、リーニエ師匠は間違いなく最高峰でしょう。

 

 

「お、ぉ……相変わらず凄い魔力操作技術です。滑らか過ぎて、真似出来る気が全くしません」

 

 

しかし、彼女は魔族としては未だ若年。

それ故に魔力量が低く、技の冴えは素晴らしくとも、出力が今ひとつなのが気がかりです。

 

 

「難しいものじゃない……。これを、こう」

 

 

そんなことを思っていたのも束の間、彼女が小屋の端にある縦長の巨石に、ペチッと軽く掌底を打ち込んだ瞬間、

 

 

――ベ、キぃッ!

 

 

数秒遅れて、まるで内側から崩壊するように、巨石は粉々に砕け散りました。

破片が四方に飛び散り、土煙が舞い上がる。

ふむ……なんでしょう、これ?

いつの間にか、師匠はゴリラじみた大魔族にでもなってしまったのでしょうか。

 

 

「リーニエ師匠、その内部破壊のようなえげつない技はなんでしょうか」

 

「前に闘技場に行ったよね。その時に見た」

 

 

彼女とは、技の収集という名目で度々各地へ定期的に旅行に行っていますが……こんな技を使う人間がいましたっけ?

 

 

「そんな殺意の高い方が闘技場にいましたか?」

 

「フルーフみたいな下手くそだけど、技は良かった。だから貰ってあげたの」

 

 

 

 

彼女の魔法は模倣ですよね……?なに、 さり気なく昇華させてるんですか?

 

 

「リーニエ師匠には、斧術よりもそちらの方が合っているのではありませんか?」

 

「馬鹿だね。無名の戦士の技より、最高の戦士が扱う技の方が強いに決まってる」

 

 

最高の戦士が扱う技だから、最強の技。

変なところで子供っぽいですね、師匠。

まるで、伝説のポ◯モンだけでパーティーを組む子供のような愛らしさがあります。

 

 

「そうですか。師匠には師匠なりの考えがお有りなのですね」

 

「強い技を使うのは当たり前。フルーフは雑魚だから、この技でいい。……早く立って」

 

 

酷い……。

ですが、全く習得できる気がしません。

やはり、魔族に人の心はわからないのですね。

彼女に促され立ち上がり、再び魂を魔力に変換しようとすると――

 

 

「はぁ? その馬鹿みたいな魔力の循環は止めて。素の状態で真似するの」

 

「それでは訓練の意味が……」

 

「――やれ」

 

「はい」

 

 

その後、魔力コントロールと格闘を組み合わせた訓練は、日が暮れるまで続きました。

彼女に体内の魔力を常時観察されながら、岩をペチペチと叩き続ける。

掌が赤く腫れ上がり、骨が軋む音が聞こえるたびに、心が折れるほどの辛辣なアドバイスを頂きました。

 

踏み込みと同時に発生した振動を魔力と共振させて増幅、腕へと伝導させ、衝撃を逃さず掌から物体に流し込む……ふふ、意味不明です。

 

 

組手の時間では、首はへし折られ、頸椎が砕ける嫌な音が耳の奥で響く。

顔面を靴底でスタンピングされて粉砕され、視界が真っ赤に染まる。脊椎は木っ端微塵……。

 

 

師匠、私はなにか、リーニエ師匠にとんでもない恨みでも買ってしまったのでしょうか?

 

やられっぱなしも癪なので、クヴァール印の強化魔法で逆に拳を粉砕してやろうと意気込みましたが、魔力の加わった振動を叩き込まれて、私の全身が木っ端微塵に爆散させられました。

 

防御魔法を拳で叩き割って、魔法防御を貫通してくるなんて、ホラーです。

師匠……ここ数年で、強くなりすぎですよ。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

家事は弟子の仕事。

 

そう言い放ち、ボロ雑巾のように倒れ伏す私を後に、彼女は手渡された金貨を数えながら食料庫の物色に向かわれました。

 

金貨が擦れ合うチャリチャリという音だけが、夕暮れの空に響いている。

数分、地面に寝転がる。全身に染み込んだ血と土の感触を味わいながら、ズタボロになった血塗れの衣類を家庭魔法で修復して、ようやく地面から立ち上がります。

 

 

「さて……師匠は綺麗好きだから、先に薪を割ってお風呂の準備をして。その合間に夕食の支度をしながらテーブルの準備。後は…食料庫や各設備に掛けられた魔法の定期メンテナンスですかね」

 

 

およそ一月間隔で彼女の元を訪れていますが、身の回りの炊事、家事、洗濯は全て私が担当です。

まずは小屋に立て掛けられている斧で薪を割り、乾いた木が裂ける小気味よい音を響かせながら作業を進める。

 

湯船に水を張って加熱炉へとセットし、魔道具で着火。

湯を沸かしている間にダイニングに移動し、小麦粉を捏ねてボウルで伸ばし、ビスケットを敷き詰めて下地を作ります。リンゴを刻んで加熱し、甘酸っぱい香りが台所に立ち込める。

 

色々下地にブチ込み、カットしておいたパイシートを網目状に乗せてオーブンへ投入。

忘れずに『アップルパイが早く焼ける魔法』を掛けて完了です。

 

 

そうして、時間を確認すれば、湯が沸く丁度良い時間になっていました。

 

 

「リーニエ師匠、湯浴みの準備が整いました」

 

「今行く」

 

「着替えの衣類はございますか?」

 

「クローゼットにあるから、置いておいて」

 

 

リンゴを齧りながら、彼女は浴槽のある部屋へと向かっていきます。小さな背中が扉の向こうに消えていく。 着替えを準備するため、彼女のクローゼットを開けます。

まぁ、簡素な寝巻きが数着あるだけだろうと思っていたのですが……。

 

 

「……これは、お金もなくなるわけですね」

 

 

そこには、フリルを全身にあしらったピンク色のキャミソールや、普段着用なのか、似たようなファンシーなデザインの衣服の数々。

レースやリボンが溢れんばかりに詰め込まれ、甘い色彩が視界を埋め尽くす。更に下を見れば、お揃いの靴まであります。

 

師匠は魔族ではなく、どこかの貴族令嬢なのかもしれませんね。

とりあえず寝巻きらしいものを選び、脱衣所に置いておきました。

 

 

次の工程に進む前に、各設備の点検を終わらせます。

彼女は人間の魔道具に興味がないので、家具に施された魔法の整備とメンテナンスも私の仕事です。

 

術式の一つ一つを指でなぞり、魔力の流れを確認していく。

ですが、流石は大枚を叩いて買い揃えた設備です。全く問題ありません。

 

 

後は食事の場を用意するだけです。

 

 

納屋に仕舞われていた机と椅子を引っ張り出し、バルコニーに設置。

吊り下げられたランプに火を灯すと、オレンジ色の光が揺らめき、夜の帳が下りつつある森を柔らかく照らし出す。

 

水の入ったピッチャーとコップを用意し、後はパイが焼き上がるのを待つだけ。

 

自分用の椅子に腰掛け、夜の帳が下り始めた森林を見つめる。

虫の声が遠くで響き、夜風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえてくる。

何も無い時間。そんなゆっくりと過ぎていく時間の中で、何の意味もない妄想に耽りながら、ただ無為に時間が過ぎていく。

 

 

「上がった。食事の準備して」

 

「あぁ……リーニエ師匠、畏まりました」

 

 

最早、擦り切れて顔も思い出せない前世の私。

それでも消えない、強烈で鮮明に刻まれた名残。

無名の大魔族、ソリテール。

 

彼女に思いを馳せていると、お風呂から上がった師匠が、いつの間にか側に立っていました。

湯上がりの肌がほんのりと上気し、桃色の髪が濡れて肩に張り付いている。

 

 

椅子を引き、彼女を座らせてからコップに水を注ぎ、その場を離れます。

パイの焼き加減を確認しにリビングへ行けば、甘く香ばしい香りが漂ってくる。

バターとシナモンの芳醇な匂いが鼻腔をくすぐり、思わず唾を飲み込む。実に程よいタイミングです。

 

オーブンから焼き上がったアップルパイを取り出し、黄金色に焼き上がった表面が艶やかに光っている。ナイフで丁寧にカット。

お皿に盛り付け、師匠の元へと運びます。

 

机の上に置くと、彼女は勢い良く手掴みで豪快に食べ始めました。

 

 

私は、小屋に備蓄してあるワインボトルとグラスを二人分持ち出し、師匠の対面の席へと座る。

 

 

「リーニエ師匠…少しお話ししませんか?」

 

「ゴクン……フルーフの話、長くて嫌いなんだけど」

 

 

前回、質問攻めにしたのがよっぽど不快だったのか、パイを食べる手を止めて明確に拒絶されてしまいました。

口元にパイの欠片がついているのが、妙に可愛らしい。

 

 

「そう言わず。師匠の口に合いそうなシードルも買ってきたんですよ。瓶に冷却魔法が刻まれたリンゴのお酒……きっと美味しいと思いますよ?」

 

「少しだけ。前みたいのは許さないから」

 

「勿論です。もう魔族の魂については調べ尽くしていますし、焦ってリーニエ師匠を不快にさせるような失態は犯しません」

 

「なら良いよ」

 

 

 

ポッン、と小気味良い音を立てて瓶のコルクを弾き、封を切ります。

師匠にグラスを手渡し、トクトクと音を立てながら、甘酸っぱい黄金色のリンゴ酒を注いでいく。

 

リンゴの芳醇な香りが夜風に乗って漂う。

香りだけで気に入ってくれたのか、師匠の瞳に、ほんの少し光が宿ったような気がします。

 

 

 

「単純に、師匠の近況を知りたいだけです」

 

 

 

ワインをグラスに注ぎ、師匠の持つグラスに軽く当てて乾杯。

澄んだ音が夜の静寂に溶けていく。

 

 

私は、夕暮れが更け、夜になっても、会話とも呼べない言葉の掛け合いを楽しみました。

それを苦だとは全く思いません。

日常会話の一つにすら、人間の小さな悪意が垣間見える人間との会話よりも、もしかしたら私にとっては、この空っぽの言葉の方がよっぽど心地よいのかもしれない。

 

 

この楽しい気分を台無しにすることなく、ただ浸っていたい。気紛れに殺されたとしても、暫くはこれでいいと思えました。

 

 

シードルの瓶は既に三本空けられ、追加のアップルパイまで焼かされ、普段以上に酒盛りは盛り上がる。

 

 

意外な発見です。

表情筋が死んでいる魔族にも、アルコールは効くんですね。

頬がほんのりと赤く染まり、いつもより僅かに目が潤んでいる。

 

私の方も、すっかりアルコールが回り、頭がふわふわと心地よく揺れている。

普段気になっていることを師匠に聞いてみることにしました。

 

 

「リーニエ師匠、聞いてもよろしいですか? 私は人間です。何故、魔族らしく欺いてくれないんですか? 私はいつでも、師匠が可愛らしく私を欺き、殺してくれるのを待っているのですよ?」

 

 

なんで常時無表情なんですか。

私は人間ですよ…欺けよ!

面倒くさい酔っ払いを見るような目をしても駄目です。

私は酔っているのですから、無敵です。

 

 

「ふっ、人間?質問に答えてあげる……けど、シードル、毎月100本」

 

 

思わず口元が引きつった。

このロリ魔族……たかだか質問への回答一つで、とんでもない大量発注を要求してきましたね。

 

よっぽど気に入ったんですね。

彼女の無表情の奥に、微かな期待のようなものが見えた気がした。

 

 

「はいはい、了承しました。これで、答えてくれますか?」

 

「自分から喰われに来る従順な餌を、欺く意味なんて無い」

 

 

うわ、う、わぁ~……。

嫌に生々しい本音が出てきました。

 

 

「えぇ……。私は確かに凡才ですが、本気でやろうと思えば、師匠を殺せてしまえますよ?」

 

 

魔族の魂コレクターを名乗れるくらいには、魔族の胴体をぶち抜いていますから。

かなり昔ですが、戦時中は魔王軍の大魔族に喧嘩を売ったり、戦場で火事場泥棒をしたり血の気はだいぶ多かったんですよ。口もかなり悪かったですし……。

その気になれば……師匠だって、余裕ですよ、余裕。

 

 

「フルーフには無理。私に飼われるのが精一杯」

 

「百歳も超えていない魔族が、何を言ってるんですか……。私が一時期、魔族を殺し回っていたのを、師匠も知っていますよね?」

 

 

本格的に酔が回ってきたのか、普段の私なら絶対しないような行動も、アルコールの力であっさり出来てしまいます。

彼女の、お餅みたいな柔らかい頬を、掌で軽く弾いてやりました。

ぷにぷにとした感触が掌に心地よい。

 

しかし次の瞬間、彼女の瞳がウルウルと潤みだしていき…それを見た私は、気まずさから全身が硬直してしまいました。

 

 

「ま、ママ…殺さないで」

 

 

彼女の、魔族としての本性が垣間見えた気がします。

こんなものは、聞き慣れた魔族の命乞いのテンプレートそのもの。

別段、気にもしないはずなのに……。潤んだ上目遣いで此方を見上げてくる彼女を見てしまうと……猛烈な罪悪感が湧き上がってきました。

 

 

両親なんて概念は教えていない。

それが何なのかすら、知らないはずだ。

ただ、本能に従って「ま」という言葉を二回呟いただけ。

殺さないでくれという一点以外に、気持ちなど籠もっていない。

 

 

「へ……あ、じょ、冗談です!? 私が師匠を殺すだなんて――は、へッ!?」

 

 

魔族の本性など数百年前から承知していましたが、何故か言い訳のようなものが口から出てしまいます。

 

醜態を晒す中、脳天に冷たく鋭い感触が伝わり、急速に冷静さを取り戻していく。

金属が頭蓋を貫く、聞き慣れた音。

彼女の手には、いつの間にかレイピアが握られていました。

どうやら、一回殺されて酔いも冷めたようです。

 

 

「生意気だね。身の程がわかった?」

 

 

彼女が、諭すような圧で語りかけてきます。

 

 

「酔いが冷めてしまいました。今の反則です。脳天をブチ抜かれる前に、心臓が止まりましたよ。ですが、酔いがさめた状態なら、先程のような醜態は晒しません。私に分があります」

 

「諦めなよ。一度、私を殺す想像をしてみるといい。できない。フルーフ、お前にできるはずがない」

 

 

齢百に満たない脆弱な魔族を殺す。それは、簡単だ。

ですが……数十年とはいえ、毎月会い、食事を共にする師匠を殺すとなると……。

あぁ、これ……不味いですね。

助けられなかった愚息の嫁……あの娘の顔がチラつく。

 

 

「あー……それは」

 

「フルーフ、私には理解できないけど……お前には、私に『情』というものを持ちすぎている。だから絶対に殺せないよ。私も、お前を本気で殺したいとは思わない。だから、これからも大人しく尻尾だけを振っていて」

 

 

ペットか何かですかね、私は。

 

 

「流石に、いつかは魔力コントロールも極めて、師匠の元を立つ時がきますよ」

 

「フルーフは無能。だから数千年経っても無理」

 

「はは……冗談がお上手ですね、師匠」

 

「今は、少し楽しい、かもしれない。今回は、暫く居なよ。私の世話をして……無駄な修行の面倒を見てあげる」

 

 

欺く意味も無い、というなら、本当に少しは楽しいと思ってくれているのでしょうか。

なら、別にこのままでいいか。

相互に価値を提供出来る関係は、健全だと思います。

 

 

「そうですか。こんなつもりじゃなかったんですが……これはこれで、有意義な関係で良いのかもしれませんね」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

あれから夜は更け、師匠は寝室で眠りにつきました。

それからは、同じ日常の繰り返し。リーニエ師匠にブチ殺されまくり、食事を共にし、眠りにつく。

 

私が師匠の元から自宅に帰る頃には、数週間が経っていました。

今回は随分と長居をしてしまった。

師匠も「出ていけ」と言わなかったので、つい甘えてしまいました。

 

 

帰り道、ヴァイゼに立ち寄り、師匠と約束したシードルの定期注文を済ませて帰路につく。

顔馴染みになった酒屋の主人が、呆れたような顔で大量発注を受け付けてくれた。

 

 

真昼の温かい日差しを浴びながらの帰り道だというのに、少しだけ気が重い。

 

 

数週間も放置されていた豪邸は、さぞやホコリまみれだろう。

如何に便利な民間魔法があろうと、面倒に思ってしまいます。

 

 

そうして、徐々に波の音が聞こえ、潮の香りが鼻腔をくすぐり始める。

造船所と我が家が見えてきました。いつも通りにドアノブに鍵を差し、回すと…カチャリと、軽い音を立てて鍵が開く。

 

 

「何故、鍵が開いているんでしょうね。空き巣にでも入られたのでしょうか?」

 

 

こんな辺鄙な場所に立つ豪邸だ。

無防備過ぎて逆に怪しいですが、盗みに入られても可笑しくはないでしょう。

 

 

「無駄足ご苦労様ですね。金目のものは、全て地下の金庫です。あるのは、気持ち悪い人体実験の痕跡と、無価値なレポートと、持ち運べない家具だけ」

 

 

シルクハットとコートを玄関のウッドラックに掛け、自宅に上がる。

別に強盗に襲われたとしても問題ありません。

狂人ぶって追い返してしまえばいい。

 

ただ、自分の首にナイフを突き立てるだけで、全て解決です。

 

 

そんな気軽な気分でリビングの扉を開け、呑気に帰宅の挨拶をしながら、足を踏み入れました。

 

 

 

「ただいま戻り…ま、した?」

 

「あら、おかえりなさい」

 

 

足が、床に縫い止められたように動かなくなった。

 

 

窓辺から差し込む午後の光が、その輪郭を柔らかく縁取っている。

 

翠色――まず目に飛び込んだのは、その鮮烈な髪の色だった。

木漏れ日を受けて淡く輝き、まるで深い森の奥で出会う精霊のような、この世のものとは思えない美しさ。

 

 

視線が吸い寄せられる。穏やかに垂れた目元。白磁のような滑らかな肌。

そして、額から優雅に伸びる二本の角。

 

見間違えようがなかった。

 

 

机の上には、私が大陸中から集めた魔導書や、血生臭い実験の記録、そしてこの世界の住人からは白い目で見られるであろう進化論を纏めたものが、無造作に散乱していた。

 

その女性は、優雅にハーブティーを嗜みながら、一冊ずつ目を通していたのか、開かれた本がいくつも置かれている。

カップを口元に運ぶその仕草さえも、絵画のように優美だった。

 

 

私の前世から、未だ消えることなく残る強烈な感情。

朧気なイメージの中で、唯一鮮明に輝く記憶の君が。

今、目の前に……鮮明な姿で、そこにいた。

 

 

二本の角を携えた、見間違いようのない『無名の大魔族』。

その名前は……『ソリテール』。

 

 

何か言わないと。

何を言えばいい? 思考が働かない。

いくらなんでも、急過ぎる。どうすればいい。

 

 

整理するんだ。

魔族とは、愛情も罪悪感も悪意もなく、己の魔法にプライドを持つ人喰いの魔物。

 

彼女の興味を引く方法は心得ている。

興味のない感情面の話はせず、魔法や知識の話をすればいい。

少しでも価値観を共有出来るなどと考えてはいけない、その時点で既に欺かれている。

散々、妄想してきたじゃないか。

なら、準備してきたものを使い、全てに考慮しながら話せばいいだけだ。

 

 

駄目だ…頭の中がぐちゃぐちゃで、心臓が張り裂けそうだ。

涙が出そうだ。

 

 

だから……そう……だから……あぁ……。

私が言うべき言葉は……魔族の興味を引ける内容……。

 

あぁ、それって、何だった!? 私の気持ちなんてどうでもいい。

理性的、大魔族を見据えた、理性的な内容で声を掛けるんだ。

つまり……そう、言うべき、言葉…内容は――

 

 

 

「あ…あ、愛してますぅ」

 

 

し、死にてぇぇぇえぇ~~~~ッ!!

ふふ…今すぐ、バルグラントを食らって地盤に埋まりたいな……。

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