ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第36話▶和睦なんてクソ喰らえ

 

 

 

――グラナト伯爵の執務室。

 

 

ランプの炎が揺れていた。

 

衛兵殺しの未遂を犯した魔族の尋問を終えて、まだ数十分しか経っていない。

事情を知る数名の衛兵と領地防衛を担う重鎮達、そして使用人を束ねる長達が、秘密裏にこの執務室へと集められていた。

 

重苦しい沈黙の中、誰もが口を開きあぐねている。

 

自称平凡な使用人の癖に、当然の如くアウラと南の勇者もその場には居た。

 

 

「よく集まってくれた……と、言っても、事態は我々で対処出来る範疇を遥かに超えている。話しあった所で、解決出来る問題は少ないだろう」

 

グラナト伯爵の声が、静まり返った室内に落ちる。

 

「七崩賢の一人に、魔族最強の戦士と名高いリヴァーレ。既に街中にまで軍勢が潜伏している挙げ句、外にはアンデッドの群れが控えているときたか……悪夢のような布陣と言う他ありませんな」

 

 

尋問の末に出てきた情報は、爆弾などという表現では生温かった。

魔族の謀略程度であればまだ対処のしようもあっただろう。しかし現実は、既に詰み同然の終局目前だったのだ。

 

伯爵領を長年魔族の侵攻から守護してきた師団長は、深々と頭を抱えるしかなかった。

 

 

「リュグナー達は大人しくしているか?」

 

グラナト伯爵は、現在客間を担当するメイド長と執事長へ使者達の様子を尋ねる。

 

「はい。仲間の一人を衛兵殺しの容疑で拘束し、尋問にかけていると知らせましたが、動じる気配一つ無く、変わらず客室にて堂々と居座り続けています」

 

「あの余裕……。余程、捕らえたあの魔族が、口を割らないと確信してのことでしょう」

 

 

仲間が尋問にかけられているというのに、その報告を受けたリュグナーは表情一つ変えず余裕そのものだったという。執事長は、捕らえた魔族が絶対に口を割らないという確信あってのことだと予測を立てた。

 

 

「仲間を信頼してのこと……あるいは、背後にいる大魔族が余程恐ろしいのか。一先ずの時間は稼げるかと思います」

 

「わかった。ところでウーラ」

 

 

伯爵は執事長の意見に頷きながらも、視線を別の方向へと向けた。

置物のように規則正しい立ち姿で待機する、一人のメイド。

 

 

「なんでしょう伯爵様」

 

「不思議だと思わないか」

 

伯爵の声音が、僅かに低くなった。

 

「最初はなにがあっても口を割らなかったあの魔族が……お前が尋問に参加した途端、一切躊躇することなく口を開いた。正確には……お前がおかしな天秤をかざした瞬間からか」

 

 

椅子から腰を上げる。壁に飾り付けられていた剣を手に取り、ゆっくりとした足取りでウーラへと近づいていく。その一歩一歩が、威圧感を滲ませていた。

 

実に奇怪な出来事だった。

 

グラナト伯爵がいくら問いただしても、衛兵がどれほど口を割らせようとしても、あの魔族は頑なに沈黙を守り続けていた。

それがどうだ。執事とメイドが入ってきた途端、堰を切ったようにペラペラと全てを喋り始めたのだ。

 

顔を蒼白に染め、まるで自分の意思ではないかのように狼狽しながら、それでいてハキハキと言葉を紡ぐ。

その様は異様という他なかった。

 

 

「偶然ではないでしょうか。伯爵様の素晴らしきご威光あっての成果かと存じます」

 

ウーラは胡散臭い揉み手をしながら、白々しくグラナト伯爵を褒め称える。

 

「もういい」

 

伯爵の声が、揉み手を制した。

 

「お前も、お前の旦那もだ。一つ聞くぞ……お前たちは我々の味方か?」

 

 

グラナト伯爵は、眼前の使用人夫婦に恩があった。

 

要塞都市フォーリヒの領主であるオイデン卿からの紹介であり、十年前に偶然死にかけていた息子を助け、治療までして送り届けてくれた人物達だ。

後遺症で剣は振れなくなったが、息子は今、安全な中央諸国で療養を兼ねた領地経営の勉学に精を出している。

 

奇怪な欠点はあれど、よく働く出来た使用人だった。

 

しかし、この領地の主として絶対に確認しなければならないことがある。

 

グラナト伯爵は鞘から剣を抜いた。金属が擦れる冷たい音が、居合わせた者たちの背筋を震わせる。

切っ先が、二人の使用人へと向けられた。

 

 

「伯爵様……それはあまりにもッ!?」

 

 

困惑の声が、周囲からざわめきとなって湧き上がる。

 

この二人は、あらゆる意味で有名人だった。

悪い意味も含まれはするが、大半は良い意味でのこと。

 

人間にとって二年は決して短くない。

人を助けることが当たり前になるほどの善性が染み付いた二人組に自覚はないだろうが、この領地において彼らは恩人そのものなのだ。

 

 

「わかっておる」

 

伯爵の声は、しかし揺らがなかった。

 

「貴様達には十年前、死にかけの息子の命を救い送り届けて貰った恩がある。このような礼儀知らずな真似は、本来であればするべきではないこともな……」

 

剣を握る手に、僅かに力が籠もる。

 

「だが、儂にはこの地に暮らす民を守る責務があるのだ。故に聞かせろ……正体など問わん」

 

一呼吸。

 

「――お前達は我々の味方か?」

 

 

静かな、しかし魂を込めた問いかけだった。

 

上に立つ者に相応しい威厳を以て、二人の恩人へと問いただす。

伯爵とてこんなことは本意ではない。一刻の猶予もなく、苦心に苦心を重ねた末の選択だった。

 

この状況を切り抜けるには、信頼出来ると確信に足る、強大な力を持つ仲間が必要だった。

 

グラナト伯爵は確信している。

本気なのか巫山戯ているのか判然としないが、この二人組は恐ろしく強い。

今まで目を瞑ってきた数々の奇行を思い返せば、それは容易に察せられた。

 

敵は大魔族二体だ。勝ち目は無い。

だが、領民を避難させる活路くらいは見いだせるかもしれない。

 

二年間この二人を見てきた伯爵には、期待せずにはいられなかった。そう、思わせてくれるだけの何か――理不尽をひっくり返す力を、彼らは秘めている。

 

息子が戦死した。

 

その報せを受けた直後だった。

絶望に膝から崩れ落ちそうになった自分の前に、この二人が息子を抱えて現れたのだ。

 

――あの時、お前達は神に見えた。

 

二年前に再びこの地を訪れて以来、二人はこの領地のために尽くし続けてきた。縁もゆかりもない土地で、恩を着せることもなく。だからこそ、こんな仕打ちをする自分が許せなかった。

 

だが、確信が欲しいのだ。

 

選択を誤れば全てが終わる。

今この瞬間も、グラナト伯爵に降りかかる重圧は計り知れない。

領民全ての命、由緒正しい伯爵家の終焉、息子の未来――あらゆるものが、両肩にのしかかっていた。

 

だからこそ安易な選択は出来ない。二人組が確実に信頼出来る存在である、その証が欲しかった。

 

散々恩を受けた身でありながら、恩を仇で返す行為。

これで何の躊躇も無く味方と言い切ったのなら大したものだ。

悪感情一つ無い、本心からの味方なのだろう。

 

グラナト伯爵は、こんなことでしか恩人二人が味方である確信を持てない自身を自嘲する。

既に老年に差し掛かったというのに、情けなく恥じ入るばかりだ。

 

伯爵の心境を映すように、構えた剣先が微かに揺れていた。

 

しかし、そんな伯爵とは対照的に、使用人の夫婦は顔を見合わせただけだった。

そしていつもと変わらない様子で、ニコリと微笑む。

 

 

「「無論、味方ですとも」」

 

 

二人して親指を上に突き立てながら、緊張感の欠片もない返事が返ってくる。

 

グラナト伯爵はその返事に、フッと笑みを浮かべた。剣を鞘へと戻す。

 

 

「……いつも通り、覇気の無い返事をしおって。精一杯の脅しだったのだがな」

 

溜息とも安堵ともつかない息が漏れた。

 

「良いだろう。その言葉……信用しよう」

 

「「私達夫婦はしがない使用人でございます。給金さえ頂ければ最大限の忠義を誓いますとも、決して問題など起こしません」」

 

 

こういう事態に備えて予め決めていたセリフなのか、声をぴったりとハモらせ忠義をアピールする二人の使用人。

 

伯爵はそのセリフを聞いて、ハッと短く一笑した。

 

「問題しか起こしていない気がするのだが……儂の勘違いだったか?」

 

 

夫婦から視線を逸らし、尋ねるようにグルリと周囲の人間を見渡す。

すると使用人や衛兵達、師団長までもがウンウンと深く頷いていた。

 

その様子を見て、アウラと南の勇者は心当たりがないとばかりに困惑の表情を浮かべる。

 

「ヘルト、心当たりあるかしら?」

 

「私には無い。ウーラの方ではないか?」

 

「お前達……儂の眼が節穴とでも思っておるのか?」

 

伯爵の声に、呆れが滲む。

 

「証明出来ないからと好き勝手しおって……ヘルト、まずは貴様だ。この二年、魔族が襲撃してきた時に何をしていた」

 

声を掛けられたヘルトは、え、私!?と言わんばかりに目を大きく見開いた。

 

「私もいつか戦闘に参加するため、剣の素振りをしておりました」

 

なんてことはない。ヘルトは素振りしていただけだと、あっさり応える。

 

伯爵はその答えを聞いた瞬間、眉間をピクピクと痙攣させた。ツッコまずにはいられなかった。

 

「ヘルト!ここにいる全員が気づいているぞ!素振りだなんだと言って城壁によじ登り、屋根の上で素振りする奴がどこにいる?そして、何故お前が素振りするごとに城壁の外の魔族が真っ二つになる!?」

 

 

それは勿論、南の勇者の剣から生じた真空が敵を斬り裂いていたから。

 

だが、そんな馬鹿正直なことを答えるはずもない。

なにせ他の人間に実証も証明も出来ないのだ。ならば素振りをしていただけで間違いないだろう。

 

これこそが、未だに夫婦二人組が平凡な使用人と宣う自信の根拠だった。

地力が化け物過ぎて、感性の最低値が完全に狂っていた。

 

 

「まぁまぁ伯爵様……きっと気の所為ですよ」

 

「お前もだウーラ」

 

瓶底眼鏡のメイドが話を逸らそうと適当を抜かすが、今度は伯爵の矛先がそちらへ向いた。

 

「魔族共が攻め入ってきていた時に、何をしていた?使用人は、全員城の中で待機命令が出ておるにも関わらずだ」

 

アウラは旦那と同じように、すっとぼけた様子で返事を返す。

 

「読書をしておりました」

 

「お前は襲撃の度に城内にいないと、メイド長から報告を受けているぞ」

 

「えぇ……と……それは毎度偶然、買い出しの際に何故か魔族の襲撃が重なるのです。私は買い出しの帰りに城壁の上から見る景色を楽しみながら、少し読書をするのが習慣となっておりまして」

 

「襲撃中の読書など城の中でやれ!衛兵は何をやっておる。何故ウーラが城壁に当たり前のように登っておる」

 

「申し訳ありません伯爵様!私の独断です」

 

師団長が一歩前に出て、頭を下げた。

 

「ウーラがいると、何故か死傷者が減るのです。それに医療知識も豊富であり、彼女が背後に控えているというだけで兵の士気が上がるのです。どのような処罰も甘んじて受け入れます」

 

「師団長……それは後だ」

 

伯爵は片手を上げて制し、再びウーラへと視線を戻した。

 

「ウーラ……兵が死を悟った瞬間、不思議と身体が動いて魔族を殺したという報告が上がっておる。その近くには必ずお前がいた。正直に言え、お前の仕業だろう」

 

アウラは頬に掌を当て、心外だと言わんばかりの態度を取る。

 

ただ魔力を込めて本を読んでいただけなのに。

 

「そんな……まさか。私はしがない一般メイ……ド……」

 

 

ここに至ってまだ自信満々に一般メイドと口にしようとするも、周囲からジトっとした視線が注がれていることに気づいたアウラの言葉尻が萎んでいく。

 

南の勇者はアウラの肩にポンと手を置き、静かに首を横に振った。

 

 

「ウーラ。もしかすると伯爵様がおっしゃったように、そろそろ本当に無理があるのかもしれないぞ」

 

「お前達はどうしてそう……周囲の関心に興味がなさ過ぎるのだ」

 

伯爵は深々と溜息を吐いた。

 

「そろそろ、どころではない。良い加減にしろと皆が口を揃える程だ」

 

 

執務室にいる全員の首が、取れそうなほど前後に振られる。

アウラは頬を赤く染めながら冷や汗を垂らし、あははと乾いた笑いを漏らした。

 

――誰も言ってくれないから上手く出来てると思ったのに……全然誤魔化せていないじゃない!?

 

――アウラ……実は少し無理があるかなと思っていたんだ。

 

ジィーっと、居心地の悪い視線が二人に注がれる。

さっさと認めろと言わんばかりの熱視線だった。

 

 

「あはは……あ、私大魔族です」

 

「私は、人類最強の勇者です」

 

 

「おい……誰もそこまで開き直れとはいっておらんぞ」

 

グラナト伯爵の眉がハの字に曲がり、仕方ない奴らとでも言いたげに呆れた顔を浮かべる。

 

アウラは若干イラついていた。

正直に言ったのにまるで信じていない。そういう態度ならこっちだってそれなりの態度をとってやる。

 

 

「ご安心下さい伯爵様」

 

「私達は、伯爵様の命であれば、どのような命でも実現してみせます」

 

伯爵は、一瞬でいつも通りに戻った使用人の夫婦を見て、盛大な溜息を漏らしながら片手で額を覆った。

 

「はぁ〜〜〜………安心するといい。あんなことを聞いた後だが、息子のことを抜いても、お前達は信用している。時間はあまりない、それだけ豪語するのであれば民の避難を手伝ってくれるか」

 

「任されました」

 

「その手はウーラの得意分野です。どこに集めるのがよいでしょうか?」

 

「何を言っておる。その前にリュグナー共に知られぬよう、民家を一軒ずつ回り避難を促す必要があるだろう」

 

「いえ、ウーラの魔法でこの領内全員の統率と誘導が可能です」

 

「なに?」

 

伯爵の眉が跳ね上がった。

 

「まさかそれ程とは……しかし、そのような大規模な魔法、奴らに知られてしまうのではないか?先に言っておくが、民の命が最優先だ」

 

 

アウラは得意げに瓶底眼鏡を人差し指で押し上げた。

窓から差し込む夕日がレンズに反射し、怪しく光る。

 

 

「問題ございません伯爵様……私の魔法は術式の感知が出来ない……いわゆる『呪い』、というものですので」

 

 

カラン……。

 

いつの間にか、アウラの手には黄金の秤が掲げられていた。

傾いた皿が、微かにカタカタと揺れ動いている。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

夕闇が地平線を茜色に染める頃。

 

 

グラナト伯爵領の中央にそびえる塔の屋根に、二つの影が立っていた。

街全体を見下ろせるその場所で、夜風が二人の髪を揺らしている。

 

 

服従させる魔法(アゼリューゼ)

 

 

「アウラ、ああは言ったが出来そうか?」

 

「勿論」

 

アウラは夕暮れに染まる街並みを見下ろしながら、静かに答えた。

 

「私みたいな発展性の無い完成された魔法は、数と範囲をより磨くしかないわ。五百年間積み重ねた研鑽……その結果を見せて上げる」

 

一拍置いて、肩を竦める。

 

「……って言っても、ここ二年の間で少しずつ準備を進めていたから、残りの領民の魂を縛るだけだけどね」

 

 

服従の天秤。

その魔法の効果は、実に公平でシンプルだった。

 

魔力量に競り勝てば、魂の所有権を得ることが出来る理外の呪い。

 

火や風といった分かりやすい出力差や相性は無く、研鑽の必要もない完成された魔法。

しかし何事にも伸ばせる部分はある。

アウラが研鑽したのは、魔法の出力や内容ではなく、効果範囲と操作技能だった。

 

彼女の五百年による魔法の研鑽は、グラナト伯爵領を丸ごと飲み込む程にまで拡大していた。

 

北西の民家や宿から、魂が一斉に動き始める。

一つ、また一つと、アウラの翳す天秤の皿へと積み上げられていく。

 

 

「これで下準備は完了ね」

 

「その調子で魔族も自害させてやってはどうかね?」

 

「出来ればとっくにやっているわ」

 

アウラは天秤を掲げたまま、苦々しげに答えた。

 

「グラオザームが扱う精神魔法の厄介な所は、対象の主観に作用する所よ。私が魂で魔族を感知しても、私の中で『魔族を感知した』という事実がグラオザームの魔法に引っかかるの。魔法の対象にしようにも、魔族を感知した次の瞬間には見失ってるわ」

 

「そこまで考えての計画か」

 

「さぁね。だけど一朝一夕の無計画って訳じゃないのは確かだわ」

 

 

グラナト領全域の魂を縛り上げたアウラは、天秤を高く掲げて合図を待つ。

 

夕日が最後の光を投げかける中、女神を崇める教会から街全体に鐘の音が鳴り響いた。

 

 

ゴォォン、ゴォォン……。

 

 

その荘厳な響きを合図に、アウラは伯爵や衛兵達と練った計画を実行に移す。

 

「教会の鐘が鳴ったな」

 

「半分は教会に集め……もう半分は城の中へと避難させる手筈だ。奴らが気づかないことを願うばかりだよ」

 

「人間社会について、よく勉強してきている偉い魔族様は、不思議がらないでしょうね……。人間は神に祈るものだもの。不可解で意味がわからないけど知識はある……なら和睦の使者でいる内は納得するしかないわ」

 

「しかし、どれだけ無理に押し込めても教会の許容人数は領民の半分が限界だ……残りは気合で城内まで走って貰う。下手な小細工よりも一斉に駆け込んで籠城が最適解とは、力技が過ぎるな」

 

「そうね、だけど私達には可能よ。なるべく怪我をさせないように統率に意識を集中するわ。魔族の殲滅より命を最優先……わかってるわね南の勇者」

 

 

アウラは目を瞑り、支配下にある領民一人一人の魂へと神経を集中させた。

糸で繰るように、しかし自然な歩行を意識しながら、領民達を教会へと導いていく。

 

 

「あぁ、完璧な護衛をしつつ魔族共残らず殲滅してみせよう」

 

「伯爵は大丈夫かしら……。態々自分から時間稼ぎに行かなくてもいいのにね」

 

「アウラ……伯爵様は君が考えているよりも武闘派だぞ。余所者の君に任せっきりでは、領主として立つ瀬が無くなるだろう。時には命よりも尊厳や意地を尊重することも大事なことだ」

 

「そうは思わないけど。こういう価値観の違いで、自分が魔族なんだと改めて実感するわ」

 

「ふふ、我々のような根無し草にとってはなんの問題もない。命を大事に……大いに結構。私に言わせれば、君は他者への命に比重が傾き過ぎていて、魔族とは程遠いがね」

 

「そう、ならいいことね」

 

「あぁ……では、そろそろ行ってくるとしよう」

 

南の勇者が一歩、塔の縁へと踏み出した。

 

「えぇ、行ってらっしゃい」

 

アウラは天秤を掲げたまま、夫の背中に声をかけた。

 

「誰もが気兼ねなく、盛大に踊り狂える舞台を整えましょう」

 

アウラが目を瞑り天秤を掲げる横で、一陣の風が吹き抜けた。

 

 

次の瞬間には、南の勇者の姿は消えていた。

街全体を巻き込む戦火の幕開けは、すぐ目前まで迫っていた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

――客室。

 

 

時計の秒針だけが、規則正しく時を刻んでいた。

 

 

カチ、カチ、カチ……。

 

 

ドラートが取り押さえられ、三人となった魔族の使者達は客室で一言も発さず座り込んでいた。

窓から差し込む夕日が、徐々に影を傾けていく。

 

そんな中、リュグナーだけが一人悠然と足を組み、優雅にティーカップを傾けている。

湯気の向こうで、その瞳だけが冷たく光っていた。

 

 

突然、窓の外から数多の足音が聞こえてきた。

 

錫杖を持つ魔族が、何かに気づいたように立ち上がり窓の外を覗き込む。

街路を埋め尽くす人の波が、一斉に同じ方向へと流れていた。

 

 

「どういうことだ……人間共が移動を始めたぞ」

 

男は突然の大移動を訝しみ、杖を構えて魔法の発動準備へと入る。

 

「ふむ。これ以上後手に回ることは看過出来ない。何か事が起こる前に此方から仕掛けるか」

 

目を布で覆った女魔族も、腰に下げた剣の柄に手をかけ、物騒な気配を醸し出した。

 

そんな暴走寸前の二人の耳に、カチャリとティーカップを置く音が届く。

 

「気にするな」

 

リュグナーの声は、氷のように冷静だった。

 

「今しがた使用人が言っていただろう。今日は領民全てが豊作を願い、祈りを捧げる日だと」

 

 

淡々と人間達の行動を説明しながら、二人の魔族を睨みつける。

座っていろ――そう無言で告げていた。

 

 

「祈り?何に」

 

「神にだそうだ。我々からすれば理解に苦しむ行いだが、人間達にとっては重要な催しなのだろう。気にするだけ時間の無駄だ」

 

「本当か?間違った知識なのでは」

 

表向きの立場はあれど、魔力量が格上であるが故に遠慮の無い物言いをする錫杖の男。

 

リュグナーの目元に、小さな血管が浮き立った。

 

「碌に学習も済ませず着いてきた分際でほざくな。私はお前達と違って、八十年前から長年この城塞を落とす計画を練ってきたんだ。知識が無いのであれば黙って従え」

 

「素直に従う義理は無いが、今はお前が正しい。俺は従おう」

 

「私も異論は無い」

 

「なら最初から面倒をかけるな」

 

リュグナーの正論に対し、特に反論もないのか魔族の男女二人は再び席に着いた。

 

 

客室に、再び沈黙が降りる。

 

カチ……カチ……カチ……。

 

秒針は更に刻まれていく。既に何周したかも分からない。

 

窓の外を見れば、夕日は完全に沈み始めていた。

茜色の空が、徐々に藍色へと染まっていく。

 

 

「リュグナー……これは明らかにおかしいぞ」

 

 

沈黙を破ったのは、錫杖の魔族だった。

再び窓辺に立ち、眉根を寄せている。

 

 

「これのどこが祈りだ……凄まじい勢いで人間共が城の中に駆け込んでいる」

 

「……チッ」

 

 

リュグナーは舌打ちと共にソファーから立ち上がった。

優雅さは消え、その動作には苛立ちが滲んでいる。

 

 

「状況を確かめる必要がある。此処を出るぞ」

 

 

大股で客室の出口を目指す。

 

しかし、リュグナーが扉に手をかけるよりも早く――扉が内側へと蹴破られた。

 

蝶番が悲鳴を上げ、木片が宙を舞う。その向こうから飛び込んできた影が、剣を振りかぶってリュグナーに斬りかかる。

 

 

「リュグナーッ!悪いがもう少しこの場に留まっていて頂こうか!」

 

 

鬼気迫る形相。

血走った眼、食いしばった歯。グラナト伯爵だった。

 

リュグナーは目を見開いた。

魔法使いの意表をついた不意打ち。完全に対応が遅れた。

 

魔法が、間に合わない――。

 

しかし、伯爵の太刀筋がリュグナーの肩口を切り裂く寸前、金属音が炸裂した。

目を布で覆った女魔族の剣が、その一撃を弾き返していたのだ。

 

剣を構えたまま後退するグラナト伯爵。

その背後から、武装した衛兵達がゾロゾロと雪崩れ込んでくる。

通路の奥にも、更に多くの衛兵が待機している気配があった。

 

リュグナーは忌々しげに伯爵を睨みつけながらも、崩れかけた仮面を被り直した。

 

――なぜ攻撃を仕掛けてきた?数時間前までは警戒すら怠っていたというのに……。ドラートが原因なのか。いや、それはあり得ない。あの愚か者が口を割るはずがない。

 

しかし、その動揺は表情には出さなかった。

和睦の使者としての冷静な口調で、言葉を紡ぎ始める。

 

 

「和睦の使者である我々に手を出すとは……それが貴方方の答えですか?誘い込み騙し討ちとは、獣にも劣る、卑劣極まりない手段を使いますね」

 

 

正当性はこちらにある。

まるで正義を代弁するかのように、リュグナーは伯爵を責め立てた。

衛兵共の動きを鈍らせれば上出来。しかし伯爵も、その背後に控える衛兵達も、一切動じる様子なく敵意を剥き出しにしている。

 

 

「黙れリュグナー。卑劣?貴様が言えたことか……。和睦なんぞクソ食らえだ!」

 

「はて?どういう意味でしょうか……我々には何が何だかさっぱり分かりかねます」

 

「ドラートとかいうお前の仲間が全て吐いたぞ」

 

「フ、御冗談を……」

 

リュグナーの唇が、嘲りの形に歪んだ。

 

「我々には情報漏洩の対策として、とある御方の精神魔法がかけられています。ハッタリとしては三流以下――」

 

「グラオザームだろう」

 

リュグナーの言葉が、途切れた。

 

「――どういうことだ?」

 

 

貼り付けていた仮面が、音を立てて剥がれ落ちた。

人間味のない無機質な声が、リュグナーの喉から発せられる。

 

どうしてその名を知っている。

 

グラナト伯爵が口にした名は、リュグナー自身でも口には出来ないはずだった。

それほど強力な精神魔法で隠匿されている名を、どうして人間如きが知っているというのか。

 

 

「貴様らの他に結界内へと潜伏している軍勢がいることもわかっている……その目的もな。リュグナー……お前だけは昔からこの場所を狙っていたようだがな」

 

「一体何をした」

 

リュグナーの声に、初めて動揺の色が滲んだ。

 

「人間如きにあの御方の魔法を破るなど不可能なこと。言え、どういう手を使った?」

 

 

リュグナーだけではない。背後に控える二人の魔族からも、強烈な殺気が沸き立つ。

部屋の温度が、数度下がったかのようだった。

 

グラナト伯爵は臆することなく剣先を向け、不敵に笑った。

 

 

「さてな。儂に仕える『大魔族』と『人類最強の勇者』を自称する平凡な使用人にでも聞くんだな」

 

 

大魔族。

 

その一言を聞いた瞬間、リュグナーの瞳孔が針のように細まった。

額に血管が走り、理性の仮面が完全に砕け散る。

 

 

「ッ――おのれ、断頭台のアウラッ!!」

 

 

人類最強の勇者。

 

背後の二人の魔族が反応を示し、素早くアイコンタクトを交わした。

 

 

「南の勇者に先手を打たれたか。ならばこの茶番も終わりだ、全ての魔族に合図を送る」

 

錫杖の魔族が杖を掲げる。

 

「リュグナー、相手にするな」

 

女魔族が冷静に告げた。

 

「先手を打つことに失敗した以上、私達の役割はアウラを殺すまでの時間稼ぎだ。此処を離れる。人間共の足音が途絶えれば、直ぐにでも南の勇者が殺しにくるぞ」

 

 

錫杖の魔族が放った魔法が、客室の壁を吹き飛ばした。

轟音と共に瓦礫が舞い、冷たい夜気が室内に流れ込む。

 

その穴を通って、二人の魔族は躊躇なく外へと身を躍らせた。

 

リュグナーは強烈な歯ぎしりをしながら、爪が食い込むほど強く拳を握りしめていた。

 

 

「チッ……わかっている」

 

 

穴に向かい歩き出しながら、肩越しに振り返る。

その目には、煮えたぎるような殺意が宿っていた。

 

 

「では御機嫌ようグラナト伯爵。アウラ同様……貴方も直ぐに殺して差し上げます」

 

「待て、リュグナーッ!」

 

伯爵が剣を構えて踏み込んだ瞬間、視界を赤い飛沫が覆った。

 

「――ぐぅ!?」

 

血の鞭。

 

リュグナーの血液魔法が、蛇のようにしなって伯爵に襲いかかる。咄嗟に剣で受け止めるが、その衝撃で大きく吹き飛ばされた。

 

背中が壁に叩きつけられ、肺から空気が押し出される。

 

起き上がった時には、既にリュグナーの姿はどこにもなかった。

 

 

「逃がしたか……」

 

 

伯爵は苦々しげに呟きながら、痛む背中を庇うように立ち上がった。

 

「ここはもう駄目だ。通路の外から釘打ちでも土嚢でも何でもいい、とにかく封鎖しておけ」

 

 

コートの裾を翻し、剣を鞘に収める。

瓦礫を踏み越えて客室を出ると、通路にひしめく衛兵達を掻き分けて、師団長が歩み寄ってきた。

 

 

「伯爵様、領民全ての避難が完了致しました。まるで糸で操られているかのように、混乱一つ起きておりません。ウーラの魔法は想像以上です」

 

「豪語するだけのことはあるようだな」

 

伯爵は頷きながらも、表情を引き締めた。

 

「警戒を怠るな。いつ魔族が城に攻め入ってきてもおかしくない。全兵を教会と城の守りに集中させろ。後のことは……あ奴らに任せるしかあるまい」

 

「それが……伯爵様」

 

師団長の声に、妙な響きが混じった。

 

「どうした?何か別の問題が起きたか?」

 

「いえ、寧ろ逆です」

 

師団長は困惑と安堵が入り混じったような表情で、報告を続けた。

 

「教会とこの城の周辺に……夥しい程の魔物が徘徊しております」

 

「なん、だと……」

 

伯爵の眉が跳ね上がった。

 

「魔族共が寄越した新手か?結界が破られたのか」

 

「いえ、寧ろ逆です。それが……衛兵達と民を守っているのです。そして巨大な狼に跨るウーラが目撃されています」

 

「はぁ……」

 

深い、深い溜息が漏れた。

 

「やはり問題ばかり引き起こす。せめて何を仕出かすか、詳細な報告を寄越せ。全く……その魔物に危険性はないんだな」

 

「はい、意思疎通が出来るようで、此方の言ったことに従うようです」

 

「ウーラ……いや」

 

伯爵は夜空を見上げた。月明かりの下、遠くで魔法の閃光が瞬いている。

 

「『断頭台のアウラ』と言うべきか。帰ったら憶えておれ」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

日が完全に沈みきった夜空に、閃光が奔った。

 

魔法の光が暗闇を切り裂き、一瞬だけ街全体を真昼のように照らし出す。

それを合図にしたかのように、先程まで何も感じなかった結界内へと、三桁に登る魔力反応が突如として現れた。

 

 

誰かを挑発するように、一斉に放たれる魔力探知の波動。

それは肌を刺すような圧力となって、夜気を震わせていた。

 

 

地上には、人間の代わりに魔族が跋扈していた。路地裏から、屋根の上から、まるで地面から湧き出たかのように姿を現す異形の群れ。

空を見上げれば、月夜を背にした黒い点がいくつも浮かんでいる。

 

それら全てが、魔族だった。

 

 

迎え撃つは、アウラ。

数多の獰猛な魔物を従えながら、天秤を掲げた大魔族は巨大な狼の背に跨っていた。

二本の角を隠すことなく、蒼い瞳で魔族達を見据える。

 

 

「さぁ、可愛い子達……餌の時間よ」

 

 

その声は、夜風に乗って魔物達へと届いた。

 

 

「想定よりも遥かに多いわね。近づく奴らを全員噛み砕いてしまいなさい」

 

 

狼が遠吠えを上げた。それに呼応するように、無数の魔物達が一斉に動き出す。

 

 

 

 

 

 

 

喧騒から離れた場所に、一軒の食事処があった。

 

窓の外では魔法の閃光が瞬き、遠くで爆発音が響いている。

しかし店内のテーブルに座る二人の女は、まるで別世界にいるかのように穏やかだった。

 

湯気を立てる紅茶を前に、リーニエが口を開いた。

 

「ソリテール様、私の義姉はどっちにいるの?」

 

「そうね……」

 

ソリテールはカップを傾けながら、窓の外を一瞥した。

魔族の群れが駆け抜けていく。

 

「あの娘がついている方かな」

 

リーニエは茶を一息に飲み干すと、椅子に立て掛けていた戦斧に手をかけた。

 

 

 

 

 

 

街の一角。

廃墟のような建物の窓辺に、二つの影が佇んでいた。

一人は、七崩賢の一人たる大魔族グラオザーム。もう一人は――虚ろな瞳をした銀髪のエルフ。

フリーレンは窓の外を見つめて、ただ立ち尽くしている。

 

「狩りを始めましょう。頼みましたよ『葬送のフリーレン』」

 

グラオザームの言葉に、フリーレンは何も答えなかった。

 






Q/何故シュタルクとフェルンは天秤で操られてないの?
A/説明的になりすぎるため省いていますが、アウラはニ年の間で少しずつ天分を使い有事の際の準備を進めていました。城塞の都市の半分の区画は既に掌握済み。シュタルクとフェルンがいた宿屋は既に掌握済みの区画で見落とされていました。そこに、フリーレン一行が到着して半日も経っておらず、アウラが正確に情報を把握出来ていなかったこと。南の勇者がフリーレンを釈放し既に街を出始めたと報告を受けたこと。城内がバタバタしていて、情報伝達が滞っていたこと。避難がアウラに一任されており、衛兵は何も知らずシュタルク達を追い返してしまったこと。他にも色々なことが重なり、現状がうまれています。

Q/十年前?ニ年前?どっち?
A/結婚式の帰り道(十年前)に伯爵の息子を治療、届ける(この前にオイデン卿に恩を売っています)→南側諸国に帰る(数年を過ごす)→断頭台の噂が広がりだす→二人組、速攻北側諸国へダッシュ(文字通り走った)→オイデン卿に紹介状を書いてもらい即就職→そこから、二年半くらい働いている、ザックリ説明するとこんな感じ。

Q:隠れてた魔族はなんで姿を現したの?
A:足止め要員だから、そこら中で暴れて南の勇者を引き付けるのが役割。アウラにずっと引っ付いてるからね、あの勇者。


Q:なんでアウラ変身解いてるの。
A:戦場で角隠すだけの変身で魔力を消費するなんて馬鹿らしいじゃない。
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