ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。 作:ごすろじ
――グラナト領内
サラサラと全てが粒子と化し、風に攫われるように溶けていく。
丘の上からその光景を見下ろしていた三人は、口を開けたまま呆然と立ち尽くすしかなかった。月明かりに照らされた遠景には、本来あるべき街の輪郭が――ない。城壁の稜線も、塔の影も、何もかもが夜の闇に溶け込んでしまったかのようだった。
ハッと意識が戻る頃には、遠くにぽつんと浮かぶ二つの建築物――教会と城だけが、取り残されたように佇んでいた。
犯人は考えるまでもない。あれほど殺傷力の高い魔法を街中で平然と扱う存在など、あの街には一名しかいない。
アウラの脳裏を最悪のシナリオが駆け巡る。数百年の強制労働か、即座の斬首刑か。この惨状を伯爵にどう説明すればいい。隣を見れば、母親であるフルーフも同じように顔を青ざめさせている――きっと損害賠償のことでも考えているのだろう。魂は争えない。
変な所で似ている二人の頭を支配していたのは、たった一つの恐怖だった。
――責任問題になったらどうしよう。
顔色が、青を通り越して土気色になっていく。
唯一フリーレンだけが、呑気な声を上げた。
「大魔族複数を相手取って生き残れたんだから、これくらいは仕方ないんじゃないかな?」
その言葉に、親子二人の視線が同時に突き刺さる。
アウラは無言で指笛を吹いた。甲高い音が夜気を裂くと、闇の中から黒い影が駆け寄ってくる。巨大な猟犬が足元に滑り込むように停止すると、アウラは素早くその背に跨り、二人に向かって早く乗れとジェスチャーを送った。
まずは状況確認だ。もしかしたら、この大規模破壊の免罪符になるに相応しい事情があったのかもしれない。なくとも情状酌量の余地を見出さなければならない。
もっとも――冷静に考えれば、そこまで悲観する必要はないのかもしれない。伯爵領で起きたのは大魔族複数と化け物共の大乱闘だ。その戦闘の苛烈さは、指揮を執った伯爵なら嫌というほど身に染みているだろう。フリーレンの言う通り、生き残っただけ儲けものというものだ。
頭ではわかっている。わかっているのだが――遠くに広がる更地を見ると、そんな理屈は簡単に吹き飛んでしまう。隣のフルーフも同様らしく、二人揃って顔色は悪いままだった。
フルーフがフリーレンの腕を掴み、半ば引きずるようにして猟犬の背へと引っ張り上げる。三人を乗せた猟犬は、アウラの合図と共に夜の闇へと駆け出した。
風を切って疾走する中、月光に照らされた大地が視界を流れていく。
焼け野原だった。つい数時間前まで草木が茂っていたはずの高原が、見渡す限りの焦土と化している。黒く焼け焦げた地面が、月明かりの下で不気味に光っていた。
フルーフの表情が一瞬だけ緩んだ。自然関連ならどうとでもできる――そう考えたのだろう。だが、その安堵は長くは続かなかった。
結界が近づくにつれ、異変が明らかになっていく。
「……おぅ。錯覚とかじゃなかった……」
フルーフが掠れた声を漏らした。
本来そこにそびえ立っているはずの城壁が、影も形もない。月明かりに照らされた結界の境界には、石積みの一欠片すら残っていなかった。
フリーレンはといえば、猟犬の毛並みが気に入ったのか、呑気に背中へ大の字になって顔を埋めていた。
結界を通過する。
以前なら美しい街並みと、整備された石畳の通りが広がっていたはずだった。商人の声、行き交う人々の足音、夜でも灯る街灯の温かな光――それらは全て、風に持っていかれてしまったかのように消え失せている。
あるのは土だけだった。
土、土、土。
草木一つ生えていない不毛の大地が、教会と城を残して延々と広がっている。風が吹くたびに砂塵が舞い上がり、月光の中で儚く煌めいては消えていく。
「「 本・当にッ! 何もない!?」」
親子の絶叫が、虚しく夜空に響いた。
「マズイ……まずいわよお母様。私の人生設計プランが台無しよ!? あの鬱陶しい二人組を消せば全部終わると思っていたのに……これじゃ囚人一直線じゃない!」
「あわわ……まずい。じょ、城塞都市っていくらするんですかね? そ、その前に北側諸国連合に目をつけられるとか嫌なんですが? そういう政治的なの勘弁して欲しいです。示談に持っていくしか……そうなると私財では足りないかも……リーニエ師匠にお金借りて……そ、それだけはなんか嫌だ。一生金銭マウント取られる人生は色々とキツイです」
「落ち着きなよ二人共。さっきも言ったけど、魔族の軍勢相手に滅ばない街の方が少ないんだからさ……丁寧に説明すればわかってくれるよ」
「「うるさい! この状況で落ち着いていられるか!?」」
「二人してそんなに怒らないでよ……」
呑気なことを宣うエルフに、乱心した親子二人組は同時に噛みついた。叱られてションボリ顔になったフリーレンは、再び猟犬の毛に顔を埋めて不貞腐れる。
城に向かって猟犬を走らせる中、アウラは闇の中に輝く翠色を見つけた。
小さな身体。少女のような姿。そして頭部から伸びる二本の角。
――間違いない。ソリテールだ。
この惨状を作り出した張本人である小さな人喰い鬼は、不毛の大地を見渡しながら満足気に微笑んでいた。まるで丹精込めて育てた庭を眺める園芸家のような、穏やかで充足した表情。
アウラの指示を受け、猟犬は方向転換しながらソリテールへ向けて突進する。
ソリテールはそれをヒラリと避けると、フルーフとアウラに向かって笑みを浮かべ、ひらひらと掌を振ってきた。まるで久しぶりに会う友人に手を振るかのような、気の抜けた仕草だった。
「ちょっとアンタ、ソリテール! 一体何を仕出かしてくれてるのよ!?」
アウラは猟犬の背から飛び上がり、勢いそのままに蹴りを放つ。だがソリテールは最小限の動きでそれを避け、空中のアウラをハグするように受け止めると、静かに地面へと着地させた。まるで転びそうになった子供を抱きとめる親のような、自然な所作だった。
「うぎッ――……ちょ、ちょっと、ソリテール様。なんですかこの破壊規模。まさか、あの某なんちゃって邪神様に魂の結合やら色々して貰ったりしてないですよね……色々マズイですって、前に言いましたよね?」
フルーフも猟犬から飛び降りようとするが、慣性を殺しきれずバランスを崩した。顔面から地面に激突し、首から嫌な音が響く。常人なら即死か、よくても全身麻痺だろう。だがフルーフは顔を顰めただけで、そのまま執念で這い進み、ソリテールの足首を掴む。
見上げるようにして、魂か肉体か――何かしらの異常がないか確認を始めた。
「私の家族は皆元気ね。落ち着いて、人間は殺していないわ。勿論貴女が飼っている魔物も全部無事」
アウラの怒りなど意にも介していないのか、ソリテールは元気に怒り狂う義娘を見つめ、微笑ましそうに目を細めた。まるで父親が反抗期の娘を見守るような、余裕に満ちた態度。
ソリテールが教会と城を取り囲む巨大な剣の壁に手をかざし、握り込むような仕草をする。すると大剣の壁は一瞬で崩壊し、中から魔物と人間の兵士達の姿が現れた。
「それは気遣いどうも……じゃないわよ。人間を殺してないはともかく、アンタこの惨状をどう釈明するつもりなの。伯爵領が更地じゃない」
「?……結界は残してあるのだから何も問題ないはずよ。この街の要はフランメが残した大結界、後はいくらでも替えが利く建造物でしかない……なら、これから頑張り次第で幾らでも復興出来るわ」
アウラは天を仰いだ。
この暫定義理の父は――伝統を重んじるという感性が壊滅的に欠落している。
確かに生物に対する感情はある程度理解しているようだ。だが、それは生き物に対してだけ。人間が無機物に抱く愛着や思い入れ、代々受け継がれてきた建造物への敬意――そういったものには、いまいち思い至っていない。
一体何を考えているんだ、こいつは。
アウラはソリテールの魂を盗み見ることにした。
万物あらゆる生命の魂を知覚できるアウラの目には、嘘も誤魔化しも通じない。感情は色となり、情動は魂の揺らめきとして視認できる。フルーフよりも才に恵まれたこの能力を欺ける存在など、この世には存在しない――はずだった。
アウラは息を呑んだ。
何だ、これ。
ソリテールの魂は、欺瞞でも期待でも歓喜でも虚無でもなかった。そのどれでもあり、どれでもない。言葉にすることすら躊躇われる、異形の輝きがそこにあった。
まるで油彩絵の具を全色ぶちまけて掻き回したような――本来混ざり合うはずのない感情の色が、渦を巻いている。魔族の魂を下地に、極彩色のヘドロが這い回り、脈打ち、蠢いていた。
かつて母が重度のアルコール中毒と麻薬中毒を併発していた頃の魂。あの時ですら、これほど濁ってはいなかった。それをさらにドロドロに煮詰め、煮崩れるまで放置したような――酷い、としか言いようのない色。
決して混ざり合わない感情の色と色を、強引に掻き混ぜて混在させている。本来黒い輝きを放つはずの魔族の魂が、狂気の極彩色で彩られ、波打っていた。
魂の中を流れる絶え間ない思考の反復。情報の濁流。見つめているだけで三半規管が狂わされるような錯覚に襲われ、吐き気がこみ上げてくる。
一体何をどうすれば、こうなる。
どんなことを考え、どう生活すれば、魂がこんな有り様になる。
魂の専門家を自負するアウラですら、全く理解できない。一般的な魂と呼ぶには余りに異質すぎた。精神に不可逆性の処置を加えた痕跡もあり、アウラの常識から完全に乖離している。
堪らず視線を逸らした。
深呼吸を繰り返す。冷たい夜気が肺を満たし、少しずつ平静を取り戻していく。
再びソリテールに視線を向ける。文句を言いそうになる口を、ぐっと噤んだ。
酷い有り様の魂だ。だが――ただ一つ、言えることがある。
これは一朝一夕の労力や小細工で到れる狂気ではない。偶発的に起きる現象でもない。並大抵ではない努力と研究、探求と研鑽の果てに編み上げられた――集大成だ。
ソリテールなりに、フルーフの為に、色々と頑張った結果なのだろう。
これはいわば、ソリテールがフルーフに向ける愛情が形となったもの。とても正気とは言えない。だが――それを否定することは、アウラにはできなかった。
否定する奴がいるなら、アウラはそいつをブン殴るだろう。形はどうあれ、その魂の奥底からは、恐ろしいほどの熱情と執着が読み取れてしまったのだから。
「………はぁ……ったく、もぉ……」
深い溜息が漏れた。
頑張っている奴を無闇矢鱈に責めることなど、アウラにはできない。
そもそも――あのソリテールが、だ。気に入らなければ街ごと住人を虐殺、興味がなければ味方すら見捨てる。そんな徹底した利己主義者が、人間を避けて魔法を放ち、魔物まで守った。
自分以外の存在に配慮するなど、アウラの知っているソリテールではない。
ドロドロと色を変える魂からは、何を考えているのか詳細はほとんど読み取れなかった。だが――ソリテールがアウラに対して気を遣っているのだけは、なんとなく伝わってきた。
「芳しくない反応ね……私は選択を間違えたの? どこがいけなかった? 貴女の父親として反省と改善は欠かさないわ。さぁ教えて、私の行動のなにが貴女の機嫌を損なわせた? あ、それとも反抗期? 突然の父親に戸惑うことはよくあること、えぇ、大丈夫私はそういうことにも理解があるわ。再婚と共に形成された複雑な家庭環境……それらの事例を幾つか観察して心構えも出来ているの。安心して私は全て受け止めるわ」
見え透いた芝居だ。反省する気など欠片もないくせに、殊勝な態度で被害者面。挙げ句「反抗期」などと言い出して、話の焦点をすり替えようとしている。こんな手口に引っかかる阿呆が――いた。隣に。しかも嬉々として。
「なんて健気なソリテール様……アウラさんもきっとソリテール様の魅力をわかってくれるはずです」
フルーフが目を輝かせている。頬を上気させ、両手を胸の前で組んで、今にも感涙しそうな顔だ。
どこに感動する要素があったのか。アウラには一ミリも理解できなかった。
「……お母様ってこんなバカだったかしら。ソリテールが相変わらず清々しいまでのクズだってことはしっかり伝わってきてるわよ」
ソリテールは馬鹿ではない。一連の流れで何が原因か、見当がついているはずだ。根っこの性格が悪いこの魔族がこんなことを言い出す理由は一つ――質問攻めにして責任を有耶無耶にしようとしているか、都合の悪い流れを強引に逸らそうとしているか。
現に、甘っチョロ人間である母はあっさり本筋とは違う所に飛びついている。
母の悪趣味は今に始まったことではない。だが目の前でまんまと絡め取られていく様を見せられると、流石に胃が重くなる。
ソリテールに鋭い視線を向け、腕を組む。畳みかけるような問いを、バッサリと切り捨てた。
「質問攻めにして責任を有耶無耶にしようとしてるんじゃないわよ。言っておくけど私はお母様程アンタに優しくないわよ」
母の幸せに水を差さない為に、父親として認めてやってもいい。だがそれだけだ。仲良く家族ごっこをする気など、さらさらなかった。
ソリテールはアウラからの視線を受け、ニコニコと笑みを浮かべた。
かと思うと、一瞬スッと真顔になる。そして無言でフルーフへと視線を移し、また笑みを浮かべた。
――この年増のぶりっこ猫かぶり、本気でどうしようもないわ。
「義娘と父親がわかり合うには時間が必要みたい……私、頑張るわフルーフ」
「なんて健気なお父さん……」
相変わらず、フルーフは目を潤ませ、手を胸に当て感激している。アウラはジト目のまま、母の脇腹を肘で小突いた。
「痛ッ……あ、そうそう。ソリテール様……サ■さんから何かしらの処置を受けてないですよね? 一度でもやったら私では直せなくなるので絶対にやらないで下さいよ」
「わかっているわ、フルーフ。……貴女が望まないなら彼女に頼んだりはしない。――えぇ、貴女が大好きな魔族のままでいたいもの――……出来うる限りは、ね」
「安心しました。彼女に魂と身体を弄らせるだなんて、何が起きるかわかりませんからね。最悪ツルギのおばちゃんみたいに、常時発狂状態に陥りますよ」
アウラは未知のワードの数々に、頭上にハテナマークを浮かべた。
ツルギのおばちゃん?
何の話をしているのか、さっぱりわからない。だが二人の表情は真剣そのものだった。
話が脱線し、何かを考え込むフルーフの脇腹に、アウラは再度肘鉄をお見舞いした。
アウラ自身には関係のない話だが、これ以上ソリテールをこの場に留めておくと厄介なことになる。
さっさと隠すなりしてもらわなければ。
「お母様。話の最中悪いけどこんなことしてる場合じゃないわよ……早くソイツを隠して。お母様の友達に見つかったら頭をブチ抜かれるわよ」
「どう、し……あ、あぁ……焦って完全に忘れていました……フリーレン。そういえばペットのワンちゃんに乗ったきり見当たりませんが、どこにいるんですか」
フルーフはアウラの言葉を聞き、焦ったように周辺をキョロキョロと見渡した。見慣れた銀髪の姿を探す。
背負うかもしれない負債と未来の不安で、完全に忘れていたのだ。
生粋の魔族スレイヤーも一緒にこの場へ来ていることを。
完全にやらかした。そんな表情でアウラと視線を合わせたフルーフは、コクコクと頷きながらソリテールへと近づいていく。
「私達が飛び降りた後、そのまま止まること無くフリーレンを乗せて遠くを走り回ってくるように合図を送っておいたわ。暫くは持つと思うけど……」
「それは大変助かります、すみませんがソリテール様……今はここから離れ――
フルーフは今すぐこの場を離れるよう、ソリテールへと手を伸ばす。
だが――逆に腕を掴まれ、引っ張られた。
青白い閃光が夜を引き裂いた。
抵抗する間もなく抱き寄せられた瞬間、フルーフの視界の端で何かが弾け、光の粒子となって散っていく。防御魔法か、それとも相殺したのか――考える余裕すらなかった。
鳴り響く余韻の中、フルーフは自分の顔が熱いことにようやく気づいた。
恐怖ではない。不意に抱き寄せられた動揺だ。場違いなタイミングで、場違いな反応をしている自覚があった。茹でダコのように顔を真っ赤にしたまま、身体が固まって動かない。
アウラは大きく溜息をついた。
面倒なことになった。
掌で顔を覆い、天を仰ぐ。予想していた最悪の展開が、予想通りに訪れてしまった。
月明かりの下、猟犬の背に乗った銀髪のエルフが佇んでいる。
フリーレンは杖を構えたまま、こちらを見据えていた。先ほどまでの呑気な様子は消え失せ、その瞳には冷たい光が宿っている。猟犬の毛並みに顔を埋めていた時の面影は、どこにもなかった。
「フルーフ。アウラはともかくコイツは駄目でしょ」
静かな声だった。
怒りを露わにするでもなく、感情を昂らせるでもない。
ただ淡々と、事実を述べるような口調。それが却って、千年を生きた魔族殺しの本気を物語っていた。
フルーフは抱き寄せられたままの姿勢で、ようやく我に返った。顔の熱さも、心臓の高鳴りも、今は関係ない。
目の前にいるのは、旧友であると同時に――熟練の狩人だ。
夜風が吹き抜け、四人の間を沈黙が満たしていく。
月光に照らされた不毛の大地。教会と城だけが残された異様な光景。
その中心で、人間と魔族、そしてエルフが対峙する。