ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第51話▶長期休暇の二人組

 

 

 

ソリテールがグラナト伯爵領を塵に変えてしまってから数時間後。

 

暗闇の中を、一人の影が速度を上げて飛んでいた。

 

それはソリテールの広域殲滅で死んだかと思われていた大魔族の一人、グラオザーム。

 

彼は残り少ない魔力を唸らせ、グラナト領から全力で距離を取るように夜空を駆けていく。枯渇しかけた魔力が四肢の末端から悲鳴を上げ、冷たい夜風が汗ばんだ肌を容赦なく刺した。

 

やがて数十キロは離れた森林地帯へと降り立つ。濃い霧が視界を遮り、木々が鬱蒼と生い茂る暗がりの中、グラオザームは周囲を警戒しながら呼吸を整えた。

 

追手の気配はない。アウラとソリテールを出し抜けたことを確信し、彼は静かに歩き始める。

 

 

「まさかソリテールがアウラの側に加担するとは想定外でした。シュラハトが生前に残した計画が機能していない以上……今後の計画は慎重に考えねばなりません」

 

 

戦闘狂のリヴァーレとは違い、盤面を見定める慎重派であるこの男は、実のところ初めから結界内へと足を踏み入れてはいなかった。

 

計画は失敗した。だが、諦めるつもりはない。

 

小川がいかに分岐しようと、最終的な流れを整えれば未来は一点に帰結する。次回で消すべき存在を消し、最低限の目標を達成すればいい。それだけのことだ。

 

少なくとも、シュラハトから未来に関する知識を授けられたグラオザームはそう考えていた。

 

幸い今回の大規模戦闘で、アウラやソリテール、南の勇者たちに呪いの幻影に対する解呪策がないことが判明した。

フリーレンの仲間に関する情報、ソリテールの手下、持ち得る手札や行動パターンも幾つか手に入っている。

 

「後は……今回以上に準備を重ねるだけです。帝国を巻き込むのも、手段の一つとしてはありかもしれませんね」

 

 

彼の知るソリテールに、あのような滅茶苦茶な魔法技術はなかった。

魔王を倒した勇者一行の魔法使いであるフリーレンも含め、警戒を怠れる相手ではない。

 

今後アウラがどのような行動を取るかは未知数だが、いかに計画を立てたところで高確率でアウラと南の勇者、ソリテールを纏めて相手取る必要が出てくるはずだ。そして最悪が重なれば、今回のようにフリーレンが場に居合わせる可能性もある。

 

――葬送のフリーレンが、魔族であるアウラの味方をすることはあり得ない。だが両者共に生きており、不干渉を貫いている様子……。フリーレンの行動はシュラハトのプラン通りであり、とても読みやすい……ならばフリーレンを主軸に作戦を考えた方が良さそうですね。……再び同士討ちを狙う展開に持っていけるよう、舞台を……――

 

思考に耽るグラオザームは気づけない。

 

足音が、消えていることに。

 

落ち葉を踏む乾いた感触が、いつしか湿った綿を踏むような不快な柔らかさに変わっていることに。

 

そして――薄暗い森を、闇よりなお深い濃霧が静かに呑み込んでいることに。

 

 

 

――『汝』

 

 

 

重く鳴り響く声が聞こえた。

 

突如として己の魔力探知に引っかかった存在に、グラオザームは掌を翳し魔力を波打たせる。

 

だが――

 

 

――ガシッ

 

 

灰色の、長く不気味な手に腕を掴まれ、魔法の発動を阻止された。

 

グラオザームは冷静に状況を把握しようと、その灰色の手を辿っていく。視線の先には、黒い外装に身を包んだ異形の魔物が霧の中に佇んでいた。

 

――幻影鬼……いや、違う。なんだ、この魔物は……。

 

 

【挿絵表示】

 

 

『グラオザーム……汝には罪がある。己が生の為に数多の無辜なる命を利用し、己が意思の元でなく既に亡き者の妄執に囚われ事を起こした。まさしく人面獣心とは汝を示す言葉だ』

 

「幻影鬼如きが何故……」

 

記憶を読まれた。

 

何か特別な感覚があったわけではない。だがグラオザームには確信があった。己の強固な精神防壁を突破され、記憶を覗かれたという確信が。

 

幻影魔法を操る者として、当然同系統の術への対策は怠っていない。シュラハトから託された未来の情報がある以上、精神魔法でも突破不可能な強固な防壁を講じている。

 

断じて、知能の乏しい魔物ごときが解けるようなものではなかった。

 

『身の丈に合わぬ行動には重大な責任が伴うのだと知れ。咎を背負えば償うものだ、罪を犯せば裁かれねばならん……それが世の道理というものだ』

 

魔族に道理を説いたところで理解できるはずがない。グラオザームは眼前の怪物が発する音を雑音として意識から遮断し、始末する算段を立て始める。

 

濃霧を押し返すように、レンズフレアのような眩い光が辺りを包み込んだ。

 

『――……』

 

光が広がると同時に、腕を掴んでいた怪物の力が緩んでいく。

 

その隙を逃さず、グラオザームは掴む手を振り払い、相手の頭部を狙って掌を定めた。

 

「……何者かは知りませんが、これで終わ――ぐッ!?」

 

魔力を集中させようとした瞬間、グラオザームの身体が宙へと浮いた。

 

正確には、止まっていたはずの白い腕が伸び、彼の首筋を鷲掴みにしながら持ち上げたのである。

 

『良い夢を見せてくれたものだ。お陰で、少し昔のことを思い出してしまった。何者か……だと……?私は『彼女』の……理想の体現であり、正義の味方だ』

 

「何故……私の魔法が……。まさか解除したとでも……」

 

 

ボウッ……と夕焼け色の炎がグラオザームを捕らえて離さない。

 

燃え盛る焔からは熱も匂いも感じられず、それが却って現実離れした恐怖を掻き立てた。

 

決して叶わないと諦めた幸せな夢。現実と見紛うほど美しい幻影。確かにこの怪物は、そのような幻を見せられていた。

 

だが、この異形には何者にも決して惑わされない絶対の誓いがある。道理を通さない悪人を決して逃さないよう授けられた、借り物の力があった。

 

――馬鹿な、この感覚はどこかで……。ッそういうことですか……これは……女神の加護。

 

『糞のような幻影を見せてくれた礼だ。汝……その罪に相応しき煉獄へと身を落とすがいい』

 

 

精神が歪み、意識が混濁する。視界が歪み、移ろい変わっていく。

 

幻影魔法の初期傾向だ。

グラオザームは表情を消し、幻影へと対処を試みる。呪いにまで幻影魔法を昇華させた大魔族にとって、格下からの同系統魔法など恐るるに足りない……はずだった。

 

だが、その自信は直ぐに脆く崩れ去ることとなる。

 

――どういうことだ……核を成す術式が存在していない。

 

 

『魔法に秀で、術式を手脚のように扱うことができる種こそが魔族。そしてその優位性故の驕りが汝らの欠点だ』

 

 

人類であろうと魔族であろうと、魔法には術式が含まれることが絶対条件だ。それが無くては魔力は魔力でしかなく、魔法足り得ない。

 

だがどういう訳か、グラオザームがかけられようとしている幻影魔法には、解析すべき術式が断片的にしか使われていなかった。残りの大部分は、大魔族である彼から見ても全くの未知で構築されている。

 

 

『魔法を手脚のように扱う。それは私も同じこと……汝が扱う幻影魔法は私にとっては血液が血管を流れ行くのと大差はなく、産まれながらに身に着けているものだ』

 

「魔物が、私より……格上だと言い張るつもりですか……」

 

『そうだ。悪いが――私の魔法は汝の上にある』

 

ギチチ……。

 

首を締め上げる手が気管を圧迫し、指が皮膚を食い破り血を流させる。

 

魔族としてのプライドを傷つけられたグラオザームは、無表情を歪め怪物を睨みつけた。

 

両者睨み合いながらも、結末は明らかだった。

 

――魔力が十分にあれば……

 

グラオザームの思考が、途切れた。いや、断ち切られた。

 

『魔力量は無関係だ』

 

頭蓋の内側で、怪物の声が直接響く。己の精神領域を土足で蹂躙される感覚に、グラオザームは戦慄を覚えた。

 

『私の魔法は種に根差した原始的魔法。竜が吐く炎を汝は術式の解析で防ぐことが出来るか?大鬼の身体に宿る膂力を妨げることが出来るか……。つまり、汝はどれほど足掻こうと、ここで終わりだ』

 

 

当然のように思考に割り込み話し出す怪物を、グラオザームは忌々しげに見つめ、やがて脱力した。

霧が全身へと纏わりつき、身体の主導権を奪い尽くされる。

 

 

「殺すのですか?」

 

『死で償える罪過ではない。ただ……汝が犯した罪と向き合う煉獄へと送るだけだ』

 

 

それだけ言うと、怪物はグラオザームを引き寄せ、眼と鼻の先で視線を合わせた。

 

ポッカリと開いた眼窩の中で、衰えを知らず燃え盛る夕焼けがグラオザームの瞳を照らす。

 

 

『これより汝の逝くべき煉獄において、太陽の祝福は決して訪れることはなく、天上に坐すことはない。

 

汝の影が縮むことはなく、その罪過と向き合い己が過ちを真に認めるまで伸び続けるであろう。

 

己が闇を覗け。全てを認め、真に償いを誓いし時……汝は日に照らされる機会を得るだろう。

 

この言葉、努々忘れぬことだ』

 

 

これまで幾度となく口にしてきたのだと理解できる、淀みのない言葉の羅列。

 

それを最後に、怪物の炎が一際輝きを増した。

 

 

 

煉獄へと誘う魔法(ローツァッティン・フェーゲンファム)

 

 

――ドサ。

 

怪物が魔法を発動すると同時に、グラオザームは物言わぬ廃人と化し地面へと倒れ伏した。

半分白目を剥き、譫言のように小さな言葉を吐く姿は、完全に正気を失っている。

 

 

『罪と向き合い、真に己の罪過を背負いし時……再び汝に贖罪の機会は訪れるだろう』

 

 

ピクリとも動かないグラオザームを見下ろし、霧の怪物は身を翻した。

先の見えない濃霧を突き進み、その姿を闇に溶かしていく。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

グラオザームが霧の怪物に襲われている頃、少し離れた場所で生々しい咀嚼音が鳴り響いていた。

 

霧が立ち込める暗い森林の中は、魔族たちの苦悶の声で満ちている。

 

彼らもまた、グラオザーム同様グラナト領から逃げてきた敗残兵だった。

死霊術で多くの死者を操っていた者たちでもある。

 

屍を溜め込んでいた全ての拠点が謎の変態に木端微塵に爆破された結果、大魔族からの命令にも関わらず、彼らは任務を放棄し先んじて逃走していたのだ。

 

それもそのはず、彼らは別に大魔族の招集に応じた訳でも、死霊術を得意としていた訳でもなかった。

 

ただ大魔族たちの魔力により威圧され、渋々従っていたに過ぎない。リヴァーレの魔力が途絶え敗戦が濃厚になった瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのである。

 

まさか奇しくも、逃げた先で化け物と遭遇するとは思いもしていなかった。

 

 

「何人死んだ?」

 

「さてな。まだ全員は死んでいないだろう。森の奥から断末魔が聞こえてくるからな」

 

 

大魔族による粛清を警戒し、大人数で移動していた逃亡者たちは、霧が出始めてから一人、また一人と分断され闇の中へと引きずられていった。

 

悲鳴と苦悶。そしてブチブチと何かを噛みちぎり、咀嚼する湿った音だけが絶え間なく聞こえてくる。

 

連携、チームプレイ、仲間意識。

そんなものは端から存在しない彼らだが、今この瞬間だけは気持ちが一つだった。

 

死にたくない。ただその想いだけが、烏合の衆に連携を実現させる。

 

一人が全員を覆う魔法障壁を張り、限界が来れば別の者が防壁を引き継ぐ。森林に立ち込める霧から逃れようと、彼らは懸命に歩を進めていった。

 

そして歩き出して数分。闇の奥から聞こえていた断末魔がふと止み、代わりに何かが近づいてくる気配がした。

 

足音ではない。枯葉を引きずるような、湿った摩擦音。

 

そして唐突に――

 

――カンッ!

 

不可視の盾が、ナニかを弾く音が響いた。

 

背後を警戒していた一人が、咄嗟に口元を抑え胃液を吐き出す。

 

 

「おぇ゛……ッぁ゛……な、なんだ。今のは……ッ」

 

 

例外を除き、基本的に常に無感情であり表情を出さない種族が、顔を歪めて焦燥していた。

 

己が嘔吐したことにすら気づかず、瞳孔を拡縮させながら眼球をギョロギョロと動かし周囲を窺う。

 

 

「おい――ナニを見た」

 

「はぁ……っ、はぁ……しょ、触手だ。それも何かヤバい、明らかに普通じゃなかった」

 

「それはお前を見れば分かる。精神魔法も同時に掛けられたのか?」

 

「ち、違う……そういうのとは違うッ。もっと本能的に恐ろしいナニかを見た時のような感覚だった」

 

 

全員が背後の闇を凝視し、見通そうとする。

 

だが不意に――

 

――べちゃぁ。

 

前方から生々しい音がして、全員が勢いよく振り返った。

 

そこには見覚えのある腕が落ちており、黒い粒子を放ちながら崩れ去っていく。

 

共に行動していた仲間の腕だった。

 

 

 

「――うわぁぁぁぁあ!?

 

 

 

動揺する間もなく、防壁の内側で絶叫が響き渡る。

 

先ほど吐いていた男の足に、何かが絡みついていた。

 

「うぉ゛ぇ……ッ」

 

これは、なんだ。

 

汚物のような吐き気を催す、生暖かい粘液。それに濡れたイボと病的な膨らみに覆われた触手が、男の脚に巻き付いている。

 

皮を剥いだ人間の筋繊維を思わせるグロテスクなソレは、魔力の壁をバターのように溶かしながら内部へ侵入していた。

 

触れた部分がじわりと熱を持ち、締め付けが徐々に強まっていく。骨が軋む音がした。

 

脚を絡め取られた男は恐怖に顔を歪め――そのまま闇の奥へと引きずられていった。

 

枝を折り、落ち葉を掻き分け、悲鳴が遠ざかっていく。

 

数秒後。

 

バキ……クちゃぁ……と、何が起きているのか想像することすら忌避したくなる音が響いてくる。

 

そして数分――ゴトッ、と何かが彼ら目掛けて転がってきた。

 

それは頭蓋骨。

 

死んで魔力の粒子と化すよりも早く、綺麗さっぱり肉を削がれた粘液塗れの頭蓋が、足元まで転がっていた。

 

眼窩は空洞、歯列には肉片一つ残っていない。

生き残った者たちは全員、頭蓋骨の転がってきた方向へと杖を構え、迎え撃つ準備を整えた。

 

コツ……コツ……と何かが近づき、闇の中からシルエットが浮かび上がる。

 

どんな化け物が来るのかと身構えていた彼らから、少しだけ力が抜けた。

ソレには人間と同じ手脚があり、ソレには自分たちと同じ角が生えていた。

 

だが、徐々に明るみになる姿を見て、全員が表情を凍りつかせた。

 

手にした抜身の剣が蠢いていた。脈打つ肉片と血管が刀身を這い、眼球が忙しなく動いて彼らを捉えている

そして、その異形の剣を携えた女の顔が何より恐ろしかった。

 

歯茎が剥き出しになった口元から、血が滴り落ちている。

 

ゆっくりと、女は唇を舐めた。

 

咀嚼の余韻を楽しむように。獲物を品定めするように。

 

 

【挿絵表示】

 

 

霧の濃い森林の中に、眩い光が数回瞬いた。

 

恐怖に濡れた悲鳴が響き渡り――

 

剣に付着した血を丁寧に舐め取る音が聞こえる。

満足げに目を細め、独り言のように呟く。

 

 

「味はそこそこ――ごちそうさまでした」

 

そして数分後には、何もなかったかのような静寂だけが残った。

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