ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。 作:ごすろじ
▼第54話▶要塞都市フォーリヒ
――勇者ヒンメルの死から29年後。
フリーレン一行はシュヴェア山脈を越え、新たに僧侶ザインを仲間に加え、新たな地へと足を踏み入れていた。
目の前に広がるのは、城塞都市フォーリヒ。
堅牢な石壁が街全体を抱くように聳え立ち、その城門の前を透き通った小川が横切っている。
山脈から吹き降ろす風が小川の水面を撫でるたび、雪解け水の冷たい匂いが鼻先をかすめた。
石橋の欄干には苔が薄く這い、午後の陽を受けて翡翠に似た緑の筋を描いている。
シュタルクは少し離れた距離から城塞を見上げ、口を開く。
「あれが、フォーリヒか」
風が山脈の方角から吹き降ろし、彼の赤銅色の髪を揺らした。
山越えで強張った頬の筋肉に、低地の空気がやわらかく触れる。
続いてフリーレンとフェルンも並び、城塞都市へと視線を向けた。
「魔法都市オイサーストまでの中継地点だね」
「やっと半分ですか。本当に長い道のりですね」
フェルンの声には僅かな疲労が滲んでいた。
グラナト伯爵領で勃発した戦争から一年。
あれから気候の不安定な北側諸国の大地を踏みしめ、雪山での足止め、魔物との戦闘、仲間の危機と、数え切れぬほどの出来事を潜り抜けてきた。
フェルンにとっては実際の時間以上に、遥かに長い時間が経っているような体感があった。
フリーレンは街を一瞥し、足を進め始める。
「とにかく、フォーリヒで物資を補充して――」
長旅を続ける上で物資の余裕は必須事項。
フリーレンは購入すべき品目を頭の中で数え上げていたが、横にいるフェルンの遠慮がちな「あの」という声に立ち止まり、振り返った。
「フリーレン様。言いにくいのですが、もう路銀が……」
フェルンが財布を開きかけた、その瞬間。
一行の背後で、蹄鉄が血を叩く音と共に馬車が止まった。
「おい、そこのお前」
深みのある声が響き渡る。
ザインとシュタルクが振り返ると、そこには仕立ての良い礼服を着こなした壮年の男が立っていた。
鋭い眼光。左目の上から頬にかけて、古い傷が一筋走っている。
だがその眼は濁りなく、真っ直ぐにシュタルクを射抜いている。
傍らには、背筋を伸ばした執事が静かに付き従っていた。
背後には、二頭の馬に引かれた漆黒の馬車。
馬の鼻先から白い息が規則正しく吐き出され、革具の軋む匂いが風に乗って届く。
シュタルクはその馬車を見て呟いた。
「貴族の馬車だな」
男と執事は真っ直ぐシュタルクの前まで歩み寄ると、その顔を覗き込んだ。
何かを確かめるように、肩幅を見る。腕の長さを測る。
誰かと照らし合わせるように、上から下まで確認していく。
「……え? なに? なんなの?」
シュタルクは突然見知らぬ男二人に品定めされ、首筋の毛が逆立つような居心地の悪さに身が固まる。
どうしていいかわからず、目が泳いだ。
一通りの確認を終えた男は、満足げに一つ頷いた。
「いい体だ。容姿も悪くない。お前、どうして早く中に入らず、こんな場所で立ち往生している。手配した馬車はどうした?」
「……え? いや、これから入るところだけど、誰かと間違えてるんじゃないのか?」
「なに? お前、戦士の村の者じゃないのか?」
シュタルクの表情が一瞬だけ固くなった。戦士の村。
その言葉が、少しだけ胸の奥が跳ねる。
「いや、戦士の村の生まれで間違いねぇけど……。俺らは旅の最中偶然ここに来ただけで、誰かに呼ばれたわけじゃないぞ。その手配っていうのが何だかわからないけど、たぶん人違いだと思う」
「……そうか。ならば偶然か」
男は顎に手を当て、数秒黙考した。
それから何かを決めたように顔を上げ、シュタルクの目を見据えた。
「だが、それならそれで問題はない。お前、私の屋敷に来い」
「シュタルク様、お知り合いの方ですか?」
フェルンが一歩前に出て、控えめに問いかける。
「フェルン、俺にお貴族様の知り合いなんていると思うか」
「それも、そうですね……。では、何故屋敷に連行されそうになっているのですか?」
「お、俺が聞きてぇよ」
「安心しろ。仲間と一緒で構わない。全員、私の馬車に乗れ。詳しい説明は私の屋敷でしよう」
有無を言わさぬ口調だった。
命令に慣れた人間の、地面に杭を打ち込むような物言い。
シュタルクが助けを求めるようにフリーレン達を見る。
その視線を受けて、ザインがフリーレンの耳元に顔を寄せ、小声で囁いた。
「おい、フリーレン。どうするんだ。相手が貴族なら下手な答えは出来ねぇぞ」
「そうだねザイン。まぁ、仕方ない。状況的に断る選択肢は最初から無さそうだし、検問を素通りできると考えれば、ある意味手間も省ける」
拒否したくとも、相手は貴族。
この街の権力者に不興を買えば、物資の補充どころではなくなる。
フリーレンはシュタルクと城門を何度か見比べた後、小さく首を縦に振った。
「ですが、馬車に乗るには人数的にかなり厳しいのでは?」
フェルンが手を挙げた。
確かに立派な馬車ではあるが、フリーレン一行が四人、男と執事を合わせれば六人になる。
乗り込むには、些か無理がある。
男はフェルンの懸念を片手で制した。
「お前達だけで乗れ。ガーベル、馬車の代わりとなる足を呼んでくれ」
男は馬車に乗るつもりはないらしい。
フリーレン一行を馬車へ促した後、隣の執事に目配せする。
執事のガーベルは恭しく一礼すると、二本の指を唇に当て、甲高い指笛を吹き鳴らした。
一拍後、遠くから――地面を叩く重い足音と、甲高い遠吠えが迫ってくる。
足裏に微かな振動が伝わり始め、それは瞬く間に地面を揺らすほどに膨れ上がった。
風を裂いて、二つの黒い影が城門の方角から飛び出してきた。
土を蹴り、跳ね、フリーレン一行の前に滑り込むようにして着地する。
巨大な狼の魔物だった。
肩の高さだけで成人の腰に届く。
漆黒の毛並みは陽光を吸い込むように艶やかで、金色の瞳がフリーレン一行を静かに見据えている。
鼻先から吐き出される白い息が、冷えた空気の中に溶けていった。
獣特有の、野の土と体温が混じった匂いが鼻腔を掠める。
反射だった。
フリーレンとフェルンは杖を構え、シュタルクは背中の斧に手をかけ、ザインは聖典を開く。
四人が同時に臨戦態勢をとるまで、一秒とかからなかった。
「うぉ、魔物!おいアンタ、危ないから離れろ!」
シュタルクが叫ぶ。
「でかい狼か。全員、素早い相手だから気をつけて」
フリーレンが冷静に分析し、杖の先に魔力を集中させる。
一触即発。
空気が張り詰め、張った糸が軋むような緊張が走る。
だが、男と執事は微動だにしなかった。
二人は静かにフリーレン一行と魔物の間に歩み出ると、両手を広げて制止の姿勢をとった。
「悪くない反応だが、やめろ。敵ではない。魔物だが、この領地の貴重な戦力だ。手を出すことは許さん」
低く、しかし明瞭な声。
そこには脅しではなく、事実だけが含まれていた。
男はそのまま振り返り、二頭の狼に歩み寄った。
警戒した様子は微塵もない。
大きな手のひらで首筋から背にかけて毛並みを撫でると、分厚い毛の下に鋼のような筋肉の感触が伝わる。
狼は僅かに目を細め、尾を一度だけ振った。
執事のガーベルもまた同じように、もう一頭の首元に手を添える。
男は片足を狼の背にかけ、ひと息に跨った。
ごく自然な所作だった。
馬に乗り慣れた人間のそれと何ら変わりない。
ガーベルもまた、半歩後ろに控える形でもう一頭に騎乗する。
「何をしている、早く乗れ」
男は馬車の方を顎で示す。
「なぁ、それ、魔物だろ? 危なくねぇのかよ」
シュタルクは斧から手を離しながらも、狼を警戒する目を緩めない。
「危険はない。私たちは十年以上この魔物たちと共に、この領地を守り抜いてきた」
男は狼の首筋を一度叩いた。
狼がその手に頬を擦り寄せる。
十年という歳月が、言葉よりも雄弁にその信頼を物語っていた。
「こいつらは人の言葉をよく理解している。あまり口を滑らせんほうがいいぞ」
男がそう言った瞬間、シュタルクの方を向いていた狼の一頭が、ふん、と鼻を鳴らした。
まるで「聞こえているぞ」とでも言うように。
「ま、まじかよ。言葉のわかる魔物なんているのか……」
「そんな魔物みたことないけど」
フリーレンが首を傾げる。
するとフェルンが、小さく呟いた。
「なんでしょう、あの人みたいですね」
「あぁ、確かにね。やってること自体は、アウラと変わらないね。アウラほどさまになってないけど」
フリーレンの口調は、どこか嬉しそうだった。
「……フリーレン様。前から思っていましたが、伯爵領で過ごしてから、アウラ様に対しては甘いですよね。一応魔族のはずですが」
「あぁ。でもアウラは、友達の娘だからね。私にとっては姪って感じが強いかな。実際良い子だし」
フリーレンが、ふふ、と笑みを浮かべる。
「な、ならフリーレン、姉ちゃんもそんな感じか?姉ちゃん、全然危なくなかったろ?」
シュタルクが身を乗り出す。
「いや、あれは魔族でしょ。言葉も通じないし。私に話しかけてきたかと思ったら、ずっとアイゼンのことを聞きにくるし。嫌味塗れのソリテールよりはマシだとは思うけど」
「お前らの話は聞いてるから、内容自体は理解しているつもりだが……どうにも信じがたい話だ。空を爆炎で飛ぶ幻影鬼に不死身の不老不死と、挙げればキリがない」
ザインが馬車の座席に腰を下ろしながら、呆れたように首を振る。
「いや、マジだって。なぁフェルン。スゲぇスピードで雲の上を飛んでたよな」
「はい。魔法で浮かぶのではなく、物理的に飛んでいましたね。恐らくゾルトラーク並の速度で飛んでいました」
「なんだよ……魔法並の速度で飛び回る幻影鬼って。もう完全に別の魔物だろ」
ザインが天を仰いだ。
馬車が石橋を渡り始め、車輪が石畳の継ぎ目を越える度に座席が小さく跳ねる。
馬車の外から、男の声が割って入った。
「話に割って入って悪いが、お前達が今話していたアウラとは、ウーラとも呼ばれていなかったか?」
窓の外、狼に跨った男が馬車と並走しながら、こちらを見ていた。
「ウーラ? フェルン知ってる?」
「あ、呼ばれていました。確か、アウラ様は城の兵や侍女の方々からは、その名前で呼ばれていました」
「そうか」
男の声に、僅かだが感慨が滲んだ。
「お前達の口にするアウラは、この領地にとっては恩人同然の人物だ。この辺りでは、その医療技術の高さと献身さから、一時期聖女とまで呼ばれていた。数年前にグラナト領への推薦状を求められてから音沙汰がなくなったが……元気そうで何よりだ」
男は左目の古傷を無意識に撫でた。
指先がゆっくりと傷跡をなぞり、過去の記憶を辿るような仕草だった。
「私が魔族との戦いで眼を負傷した際に、偶然通りかかった二人組に迅速な処置をして貰ってな。その際にこの魔物達を預かり、扱い方を学んだ。奴らがいなければ、今頃私は失明し、息子も死んでいた。だから恩がある」
馬車が街路に入った。
石畳の両脇に商店が並び、市場の喧騒と焼きたてのパンの香りが窓から流れ込んでくる。
通りを歩く人々は狼に跨った男を見ても逃げ出すどころか、会釈して道を開けている。
子供が手を振り、狼がそれに応えるように尾を振る。
魔物への恐怖はない。
人と魔物が当たり前のように隣り合う日常が、この城塞都市には根づいていた。
「へぇ、魔物が魔物を束ねて街を守ってくれてるのか」
シュタルクが窓から身を乗り出し、素直に感心する。
「あぁ。全部で十頭いる。非常に知能が高く、この辺り周辺の魔物も束ねてくれている。この領地で人間と共存できるよう、教育をしてくれているんだ。だからこそ、この街の民は魔物を恐怖しない。お互いを尊重し敬意を忘れない」
「流石はアウラ。私の姪」
フリーレンが目を細め、むふ~、と得意げに鼻を鳴らした。
「フリーレン様の姪ではありません」
フェルンの即座の訂正を、フリーレンは聞こえないふりで流した。