ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。 作:ごすろじ
馬車は石畳の坂道を登り、街の高台にあるオルデン家の屋敷へと到着した。
門は重厚な鉄で組まれ、両脇には衛兵が直立し、男の姿を認めると即座に敬礼をとった。
敷地に入ると、手入れの行き届いた庭園が広がっている。
刈り込まれた生垣が幾何学模様を描き、中央の噴水からは静かに水が湧き出ていた。
水の匂いが微かに漂い、庭石に跳ねた飛沫が午後の陽に煌めく。
庭の一角には訓練場らしき砂地があり、打ち込み用の木人形が並んでいる。
木人形の胴には無数の刃の痕が深く刻まれ、日々の鍛錬の激しさを物語っていた。
馬車が止まる。
ガーベルが素早く狼から降りて扉を開ける。
男は狼から降り、その首を二度叩いてから手を放した。
狼は主人の顔を一度見上げ、それから音もなく庭の奥へと消えていった。
屋敷の中に足を踏み入れた瞬間、外の陽気とは異なるひんやりとした空気が肌を包んだ。
磨き上げられた石の床が靴音を反響させ、天井の高い廊下に硬い音が幾重にも跳ね返る。
応接室に通される。
暖炉に火が入り、乾いた薪が爆ぜる小さな音が断続的に響いていた。
長机の上には茶器が並べられ、注がれたばかりの茶から白い湯気が立ち昇っている。
ガーベルが手際よく椅子を引き、一行を座らせた。
男は上座に腰を下ろし、改めてシュタルクに向き直った。
「名はなんという?」
「シュタルク……」
短く名乗ったシュタルクの声には、まだ困惑が残っていた。
自分がなぜここにいるのか、この男が何を求めているのか。
状況を飲み込みきれていない顔だ。
フリーレンが口を開いた。
「オルデン卿、こういうのは困ります」
「私を知っているのか?」
男――オルデン卿は、僅かに目を見開いた。
「ここは北側諸国の三大騎士、オルデン家の屋敷でしょ。貴方の祖父も強引な人だった」
「何を訳のわからないことを言っている。どちらにせよ、私は今、シュタルクと話している」
オルデン卿はフリーレンを一瞥すると、再びシュタルクに視線を戻した。
フリーレンの言葉を取り合う気はないらしい。
「私のパーティーの前衛です」
フリーレンが食い下がる。
「シュタルク、お前と話すにはママの許可が必要なのか?」
「喧嘩しないで……」
シュタルクが両手を上げて二人を制した。
板挟みにされ、胃の辺りがきりきりと痛む。
オルデン卿は鼻を一つ鳴らし、本題に入った。
「依頼がある。金なら出す」
「馬鹿馬鹿しい。行くよ、シュタルク」
フリーレンは椅子から腰を浮かせた。
得体の知れない面倒事に付き合う義理はない。
「フリーレン様」
フェルンが静かに呼び止める。
その手には、薄い革の財布が開かれていた。
中から出てくるのは、銅貨が数枚。
「なに、その銅貨」
ザインが腕を組み、肩を竦めた。
「手持ちの路銀だってさ」
フリーレンの動きが止まった。
浮かせた腰を、ゆっくりと椅子に下ろす。
「……話くらいなら、聞いてあげてもいいかな」
「フリーレン……」
シュタルクが情けない顔で呟いた。
オルデン卿は一つ咳払いをし、「ついてこい」と一言だけ口にしてソファーから立ち上がる。
歩き出し、扉を開けて通路に出る。
フリーレンたちはそれを追うように後に続いた。
通路を歩きながら、オルデン卿はシュタルクに問いかけた。
「シュタルク。もう一度確認するが、出身はどこだ?」
「……中央諸国、クレ地方の戦士の村だ」
二度目ということもあり、答える声は平坦だった。
「そうか。私の家系も元はその村の一族だ」
シュタルクが顔を上げる。
オルデン卿は止まらず、一階広間へと降りる階段へ足をかけた。
屋敷の入口に繋がる大階段の踊り場で足を止め、壁を見上げる。
そこには一枚の大きな肖像画が掛けられていた。
描かれているのは、若い戦士。
礼服を着こなし、赤銅色の髪をオールバックに撫でつけ、精悍な顔立ちに気の良さそうな笑みを浮かべている。
シュタルクは肖像画を見上げ、奇妙な感覚に囚われた。
鏡を覗いているのとは違う。
だが、他人を見ている気もしない。
自分であって自分ではない誰かの顔が、額縁の中から笑いかけていた。
「長男のヴィルト。私の跡継ぎにして、この街の英雄だ」
フェルンが肖像画とシュタルクを見比べ、小さく息を吐いた。
「シュタルク様と似ていますね」
「瓜二つだ。身なりを整えれば、家の者でもない限り、見分けはつかん」
「それが、依頼と何の関係があるんですか?」
フリーレンが静かに問う。
オルデン卿は肖像画を見上げたまま、少しの間を置いた。
「一月前に魔族との大きな戦いがあってな。敵の将軍を討ち取ったが、その代償に重傷を負った」
声に感情の揺れはなかったが、肖像画を見つめる目が僅かに細まった。
「辛うじて命は取り留めたが、未だ床を離れることもできん。不幸中の幸いだったのは、大規模な乱戦だったことだ。ヴィルトの容態を知っているのは、そこにいるガーベルと一部の腹心、残りは薬師だけだ」
「シュタルクに何をさせるつもりですか?」
フリーレンの声はいつもと変わらない平坦なものだが、ほんの微かな警戒が混じっていた。
「ここ要塞都市フォーリヒは、この地方の守りの要だ。消耗した兵力を立て直すまで、士気を下げる訳にはいかん」
オルデン卿は一行に向き直った。
「ヴィルトが倒れたことを知られれば、民の不安は一気に広がる。この街は英雄を必要としている。立って歩き、民の前に姿を見せる英雄を」
ザインが顎に手を当て、低い声で呟いた。
「それまで、息子の容態を隠すってことか……」
「三ヶ月後に、この地方の有力者が集まる社交界が開かれる。そこでヴィルトの健在を示す。それさえ乗り越えれば、兵力の再編も間に合う」
「報酬は?」
フリーレンが即座に切り込んだ。交渉の段階に入ったと判断したらしい。
「シュトラール金貨10枚」
フェルンが隣で指を折って計算し、シュタルクの方を向く。
「一年は三食おやつ付きで生活できますよ」
「魔導書も付けて」
フリーレンが間髪入れず上乗せした。
「書庫から一冊、好きなものを持っていけ」
オルデン卿は迷いなく頷いた。
この程度の対価は織り込み済みだったのだろう。
「待ってくれよ。無理だって」
シュタルクが声を上げた。
片手で前髪をかき上げ、額から左目付近にかけて広がる古い痣を晒す。
「第一、額の傷はどうするんだよ」
「元々、民衆にはヴィルトは療養中だと伝えてある。額の傷は名誉の負傷だ。むしろ説得力が増す」
オルデン卿は淡々と返した。
「悲しい……」
シュタルクが肩を落とし、フェルンがその肩を、ぽん、と叩いた。
「シュタルク様。路銀のためです」
慰めなのか追い打ちなのか判断に迷う声色だった。
オルデン卿は執事に向き直った。
「ガーベル、シュタルクに作法を叩き込め」
「畏まりました」
ガーベルが恭しく一礼する。
シュタルクは天井を仰ぎ、逃げ場がないことを悟った顔をしていた。
だが、ふと、首を傾げ、何かを思い返すように視線を彷徨わせながら頭を掻く。
「なぁ、ちょっといいか?」
シュタルクが手を挙げ、オルデン卿の方を向いた。
「出会い頭に俺が戦士の村の人間かって聞いたよな?馬車とか言ってたし、もう別の人がいるんじゃないのか?」
城門前での、あの不自然なやり取り。
手配した馬車はどうした、と問われたこと。
あれは明らかに、シュタルクではない誰かを待っていた口ぶりだった。
オルデン卿は、変わらない表情のまま頷いた。
「確かにな。だが、お前のほうが適している。顔つき自体は、戦士の村から招いた者の方が似ている。痣もない。だが、身長はお前の方がヴィルトに近い」
「戦士の村で俺に似てる?」
シュタルクの声が、少し掠れた。
「あ、あのさ……言いにくいんだけど、戦士の村は今はもうないんだ。大魔族に滅ぼされて、今は別の場所にある。本当に戦士の村であってるのか?」
その言葉を口にした瞬間、シュタルクの脳裏に、炎に包まれた故郷の景色が一瞬だけ過った。
剣戟の音、崩れ落ちる家屋、そして――暗闇の中で戦斧を握りしめ、ただ震えることしか出来なかった感覚。
「あぁ、知っている。災難だったな。その件は村の長から聞き及んでいる」
シュタルクの胸が跳ねた。
「長っていうと……お、親父か……」
その声は、本人の意思に反して、震えていた。
オルデン卿の眉が動いた。
シュタルクの顔を改めて見つめ、何か合点がいったように目を細める。
「何? シュタルク、お前まさか、シュトルツの弟か?」
「え、あ、あぁ……そうだけど。まさか、招いているっていうのは」
「あぁ。お前の父親と兄だ。ちなみに既に到着済みで、待っていたのは他の戦士たちだ」
シュタルクは、目を見開いた。
口が半開きのまま、何度か瞬きを繰り返す。
父と兄が、この屋敷にいる。同じ屋根の下にいるのだ。
言葉が喉の奥で詰まり、呼吸が一拍だけ止まった。
フェルンが、隣でシュタルクの横顔を静かに見つめていた。
ザインもまた、腕を組んだまま、黙って成り行きを見守っている。
「ま、まじかよ……。親父がよくそんな依頼を受けたな」
ようやく搾り出した言葉は、動揺を隠しきれていなかった。
あの父親が、戦う以外の仕事を引き受けるなど、想像もつかない。
「いや、随分渋られたぞ。戦士として以外の仕事を請け負う気はないと断られた。当事者のシュトルツは乗り気だったからな、説得してきてもらった」
「あ、兄貴……。乗り気なのかよ。その調子でよく親父をつれてこれたな」
シュタルクは思わず苦笑した。
兄の顔が浮かぶ。冷静沈着で、何事にも動じない。
だがその裏で、意外なほどしたたかに物事を運ぶ男だった。
父親の扱い方を、あの村で誰よりも熟知しているのだろう。
「言っただろう、今は士気を維持せねばならん。報酬に糸目はつけなかった。お前の父も村を復興するために金がいる。だからこそ、シュトルツはそこを上手く煽って連れてきた訳だ」
「どこも、世知辛いぜ……」
シュタルクが項垂れるように呟いた。
戦士の村も、この要塞都市も、それぞれの事情を抱え、それでも前に進もうとしている。
オルデン卿は、腕を組み直し、話を続けた。
「先の戦いで騎士も多く負傷したからな。お前の父親とは別件として話をつけた後、シュトルツも含め村の人間を全員雇い、暫くこの領地の戦力として囲う予定だ。流れの傭兵などより、余程信頼できるからな」
「あぁ、兄貴は村一番の戦士だからな。俺なんかよりスゲぇ強いぜ」
自分を卑下するように笑うシュタルクに、フェルンが口を開いた。
「それを言ったら、シュタルク様。その村を滅ぼしたリヴァーレを倒したシュタルク様が、一番凄いということになりますよ」
「いや、あれは、姉ちゃんと一緒だったし……。倒したっても油断に漬け込んだだけだしよ……」
シュタルクの声は、尻すぼみに消えていく。
リヴァーレとの死闘を思い出すたび、胸に蘇るのは誇りではなく、あの時の恐怖と、リーニエの血まみれの横顔だった。
フリーレンが、肖像画から視線を外し、淡々と言った。
「シュタルク。いくら助けがあったとしても、あのリヴァーレを倒せたんだから誇ってもいいことだよ。魔族一の戦士、油断してたからで倒せる甘い相手じゃない」
その声には、お世辞や慰めの色は一切なかった。
戦士アイゼンと共に旅をした魔法使いとしての言葉だった。
「そうですよ、シュタルク様。この際、もう少し自信を持ってください」
フェルンが静かに、しかし揺るぎない声で追い打ちをかけた。
シュタルクは二人の顔を交互に見て、耳の先まで赤くしながら、ぼそりと「……うるせぇな」と呟いた。
照れ隠しの悪態だったが、その口元は僅かに緩んでいた。
オルデン卿は、その光景を黙って見ていた。
青年の周囲には、彼の価値を正しく量れる人間がいる。
それだけで、この依頼は正しい方向に進むだろうと確信した。
「血塗られし軍神リヴァーレか。まさかグラナト伯爵の報告にあった戦士はお前か。大魔族を倒した戦士。なるほど、これは報酬を上乗せしなければならんかもしれんな」
「え、マジで?」
「冗談だ。提示した分で依頼通りこなしてもらう」
オルデン卿の口元が、ほんの僅かに緩んだ。
シュタルクが「冗談かよ!」と声を荒らげ、フェルンが溜息をつき、ザインが「貴族のジョークは笑えねぇな」と肩を竦める。
フリーレンだけが、書庫の方角をじっと見つめていた。既に魔導書のことしか頭にないらしい。
ガーベルが、静かに一歩前に出た。
「それでは、シュタルク様。まずは基本の立ち居振る舞いから始めましょう。社交界まで三ヶ月、時間は十分にございます」
「……はぁ。わかったよ」
シュタルクは、覚悟を決めたように息を吐いた。
路銀を考えれば、最初から断ることなど出来ないのだ。
シュタルクは無駄な抵抗をやめることにした。
オルデン卿は階段を数段上がったところで足を止め、思い出したように振り返った。
「あぁ、それと。客室にはもう一組滞在している。この辺りの有力者ではないが、大陸中の商会にコネを持つ無視できない客人だ」
「うげぇ、まさか貴族か。会ったらボロを出さない自信ねーよ……」
シュタルクが露骨に顔を歪める。
その隣で、フェルンが溜息混じりに口を開いた。
「そうですね。シュタルク様はお世辞にも気品がある方ではありません。一目でも触れればヴィルト様でないと見破られますよ」
「フェルン……」
「事実を申し上げただけです」
オルデン卿は二人のやり取りを歯牙にもかけず、話を続けた。
「心配はいらん。貴族ではない。かといって平民でもない。北部高原を中心とした海上貿易を主導した人物だ。北部高原の貴族たちを多く説き伏せ、数多の海路を開拓した相手ゆえ、侮った対応はできん。だが、その内の一人がシュトルツとは旧知の仲のようでな。たとえ見破られても露見の心配はない。息子の件は既に話がついている」
「へー。なんか聞く分にはすげぇ商人って感じだな」
シュタルクが感心したように呟く。
フェルンが小首を傾げた。
「シュタルク様のご家族と旧知の仲、ですか? シュタルク様も知っている方でしょうか」
「いや、心当たりはないぜ……。俺の知る限り、兄貴に商人の知り合いがいるなんて聞いたこともない」
「何か勘違いしているな。相手が商人だとは言っていないぞ。お前の兄の知り合いは、見た感じ戦士だ。それも随分と幼く見えたな」
シュタルクの表情が、ゆっくりと変わった。
眉が持ち上がり、また口が半開きになる。
横で聞いていたフェルンもまた、同じ結論に辿り着いたらしく、シュタルクの方を見た。
「……シュタルク様。それって」
「なぁ、もしかしてデカい斧振ってたりしなかったか?丁度俺の斧みたいなサイズの」
「あぁ、振ってたな」
「無表情でリンゴ齧ってたりは……」
「あぁ。私の知る限り、常に食べていたな」
シュタルクは天井を仰いだ。
目を閉じ、深く息を吸い、吐いた。
それから、確認するように言った。
「まじか……名前はリーニエで合ってるよな?」
「あぁ」
フェルンが一歩前に出た。
その声には、確信に近い響きがあった。
「すみません、他にもいますよね。名前はソリテール様とフルーフ様ではありませんか?」
オルデン卿の眉が動いた。
階段の上から、四人の顔を順に見渡す。
「……なんだ、お前たち、知り合いか?それなら、なおさら好都合だ。三人とも内面はともかく、外面だけのマナーは完璧だ。教わっておけ」
「知り合いと言えば、知り合いだけどよぉ。マナーを心得てるとか、ほんとかよ?」
シュタルクが疑わしげに首を傾げる。
「あまり想像できませんね。あの方々は常に血生臭いですし……」
フェルンも同意するように眉を寄せた。
オルデン卿の口ぶりからして、あの三人のうち二名が魔族であるという事実は知らされていないようだった。
シュタルクとフェルンは一瞬だけ目を合わせた。
ほんの微かな視線の交差。
それだけで十分だった。余計なことは口にしない。
階段の下、少し離れた位置に立っていたフリーレンが、低い声でぼやいた。
「はぁ、最悪だ。ソリテールがいるのか。気分が悪くなってきたな。吐き気がする。私たちの方が早く伯爵領を出たのに、まさか鉢合わせるだなんてね」
眉間に深い皺を刻み、不快そうに顔を歪めている。
ザインが腕を組み、顎に手を当てた。
面識のない相手だが、これまで散々聞かされてきた断片を頭の中で繋ぎ合わせる。
「なにかと思えば、お前らが話していた奴らか。今の話からして、商人のツテや海路をいつでも自由に利用できるんだろう。山脈を徒歩で越えるよりも、海路で迂回したほうが早い。移動手段の違いで、ちょうどタイミングが重なったんだろうな」
「その上、私たちは雪山でかなりの足止めをされていましたから。数ヶ月の差があっても追い抜かれて不思議はありません。あの人、お金だけは持ってますし」
フェルンが淡々と付け加える。
「フルーフがいるなら、また金貨十枚くらい貰っとこうかな」
フリーレンがぽつりと呟いた。
その声には、先程までの不快感とは違う、妙に軽い響きがあった。
「そうやって、また。出発前にこっそり受け取って、アウラ様に散々注意されてましたよね。また怒られますよ」
フェルンが半眼で釘を刺す。
「ふふ、甘いねフェルン。アウラは一見厳しいけど、フルーフに似て甘いんだよ。注意はされても没収はされなかったし……でも、アウラが怒ると怖いから、今回はやめておこうかな」
むふふ、と得意げに笑みを浮かべるフリーレン。
だが、アウラの怒った顔を思い出したのか、頬を手で擦りながら急速にしおれていく。肩が落ち、視線が床に沈んだ。
「怖いんじゃないですか……」
フェルンの呆れた声が、玄関ホールに静かに響いた。