ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第57話▶相談

 

 

街の中心部へ向かう石畳の道を、三人は並んで歩いていた。

 

シュトルツが先導し、シュタルクが半歩後ろ、リーニエはさらにその横を、金貨の詰まった革袋を指先でくるくると回しながらついてくる。

午後の陽が傾き始め、商店の軒先に吊るされた看板が長い影を落としていた。

 

 

「姉ちゃん、金持ちだな……」

 

 

シュタルクの視線は、リーニエの手元に吸い寄せられていた。

袋から覗く金貨の艶。一枚二枚の話ではない。

 

袋の底が重たげに膨らみ、歩くたびにじゃらじゃらと品のない音を立てている。

 

 

「私のはリンゴ園の園長。ブランド持ち。愚弟の年収より遥かに上」

 

「年収の話なんて、聞いてねぇよ」

 

「聞いてなくても教える。世の格差を知れ愚弟、私の経済マウントの糧となれ」

 

 

リーニエは小袋の口を指で弾き、金貨の縁をちらつかせた。

光が石畳に反射し、通りがかりの商人が二度見する。

 

シュタルクは肩を落とし溜息を吐いた。

 

 

「はいはい、格差格差。で、どこ行くんだよ兄貴」

 

「この先を曲がったところに、炭火焼きの店がある。鶏を丸ごと一羽焼いてくれる場所だ」

 

 

シュトルツが角を指差した。

 

路地に入ると、炭と脂の焼ける匂いが鼻腔を突いた。

煙が軒先の隙間から漏れ出し、空気に白い筋を引いている。

 

店の前に着くと、リーニエは小袋から金貨を一枚つまみ出し、店主のカウンターに弾くように置いた。

乾いた金属音が響く。

 

 

「丸焼き二羽」

 

「に、二羽!? お客さん、一羽でもかなりの量ですよ? お釣りも相当――」

 

「いらない。早く」

 

「姉ちゃん、お釣りは受け取れよ」

 

「面倒。いらない」

 

「いや、面倒じゃなくて。金銭感覚が可怪しいだけだろ」

 

「私は効率を優先する合理的な魔――……合理的な人間」

 

 

シュトルツは肩をすくめ、カウンターの店主に「釣りはいい、取っておいてくれ」と一言添えた。

随分と慣れた対処だった。

 

店主が目を白黒させたが、金貨の輝きは本物だった。

慌てて奥に引っ込み、炭火の前で作業を始める。

 

 

「で……姉ちゃん、二羽って。三人で二羽は多くないか」

 

「この私がチキンを奢ると言った。最強の戦士は約束を違えない、だから奢る。一人一羽」

 

「一人一羽って……姉ちゃんはどうするんだよ?」

 

「私は別にいい」

 

 

リーニエは腰に提げたスキットルの蓋を親指で弾き、口元に傾けた。

甘い匂いが二人の鼻につく、恐らく中身はシードルだろう。

 

 

「食わないのかよ」

 

「チキンは好物でも何でもない。奢る約束を果たしただけ」

 

 

やがて、湯気を立てる丸焼きが二皿、テーブルに並んだ。

皮は飴色に照り、炭の焦げ目が斑に散っている。脂が皿の縁を伝い、香ばしい匂いが鼻先に纏わりついた。

 

多いとは言ったが、時は昼食時。

いざ香ばしい肉の塊が目の前にくれば腹の虫が鳴く。

 

シュタルクは、さっそく腿肉を引きちぎり、かぶりついた。

肉汁が指を伝って手首まで垂れる。

 

 

「――うま」

 

 

無意識に一言が漏れる。

中央諸国で食べ慣れた鶏とは、肉の締まりが違う。

 

北部の寒冷な気候で育った鶏は余分な脂が抜け、繊維の一本一本に旨味が凝縮されている。

噛むほどに味が出る、素朴だが力強い肉だった。

 

 

「北は中央より寒いからな。鶏も寒さに耐えるために身が引き締まる。味が濃いだろう」

 

 

シュトルツも手際よく胸肉を裂きながらかぶりつく。

この辺りの食材事情には、滞在中にすっかり詳しくなったらしい。

 

シュタルクは骨ごと齧りながら、こくこくと首を縦に振った。

量を心配していたが、これなら一羽丸ごとでも普通にいけそうだった。

 

リーニエは二人が頬を膨らませて食べる姿を横目に、スキットルをちびちびと傾け味わっていた。

 

 

「……なぁ、ちょっと聞いてほしいことがあるんだけど」

 

 

鶏の骨をテーブルの端に置き、シュタルクが手の甲で口を拭った。

 

指先では骨の端を無意味に転がしており、何かを切り出す前の、落ち着かなさが漂っていた。

声も僅かに沈んでいる。

 

 

「仲間に、フェルンっていう魔法使いがいてさ」

 

「知ってる」

 

「うん、まぁ、姉ちゃんはそうだよな」

 

 

伯爵領で散々毎日顔を合わせていたので、知っていて当然である。

リーニエというより、シュトルツへの説明なので軽く流す。

 

シュトルツは椅子の背もたれに体重を預け、顎に手を添えた。

シュタルクの反応を見ながら唇の端が仄かに持ち上がる。

 

 

「なるほどな。……シュタルク、さっきちらっと見えたんだが、お前のパーティーに紫の髪の娘がいたよな。あの娘が、そのフェルンか?」

 

「あ、あぁ……そうだけど」

 

 

シュタルクが頷くと、リーニエは無表情のまま右手の小指を立てた。

意味深に、ゆっくりと関節が伸びていく。

 

 

「愚弟、お前のコレなの?」

 

シュタルクの顔が、一瞬で茹でた蟹のように赤く染まった。

 

「ちッ、違ぇよ! 何言ってんだ姉ちゃん!」

 

「声がデカい愚弟。なんだよ、図星なのか」

 

「図星じゃねぇ!」

 

 

シュトルツが身を乗り出した。

目が悪戯を思いついた子供のように光っている。

 

 

「おいおいシュタルク、まさかお前――本当にコレなのか」

 

 

小指を立て、わざとらしく目を見開き、大袈裟に驚いて見せる。

なにもかもが芝居がかっていた。

 

声量が無駄にでかい。

食堂の店主が厨房から顔を覗かせ、すぐに引っ込んだ。

 

 

「兄貴まで! やめろって! 仲間だって言ってるだろ!」

 

「いや待て、これは兄として確認すべき重大事項だ。弟に春が来たとなれば――」

 

「来てないって! 仲間だよ、た・だ・の、仲間!」

 

 

テーブルを叩く勢いで否定するシュタルクだったが、耳の先まで真っ赤なのは隠しようがなかった。

リーニエがスキットルを傾けながら、適当な声色で呟いた。

 

 

「仲間にしては顔が赤い」

 

「暑いんだよ店の中が!――後、姉ちゃん、その指、いい加減下ろせって!」

 

 

リーニエは黙って小指を下ろした。

最初から意味など考えていなかったかのように、酒を飲むことに集中していた。

 

シュトルツが水を一口含み、笑みを収めて弟を見た。

からかうのはここまでにしたようだ。

 

 

「で、そのフェルンがどうした。仲間のことで何を聞いてほしいんだ」

 

 

シュタルクは赤みの残る顔を手で擦り、息を一つ吐いた。

杯の水を飲み、気持ちを整え直す。

 

 

「……少し前に、フェルンの誕生日があったんだ」

 

「ほう」

 

「で、俺、プレゼントを用意してなかった」

 

 

シュトルツの眉が僅かに寄った。

リーニエの酒を傾ける手が少し止まった。

 

 

「フェルンは、その前に俺の誕生日を祝ってくれてたんだよ。ちゃんとプレゼントも買ってくれて。なのに、俺は何も準備してなかった。忘れてたわけじゃないんだ……ただ、俺フェルンの好きなものがわからなかったから。当日に一緒に選びに行こうと誘う予定だったんだ」

 

「その言い方だと言い出せなかったんだな。それは怒られるな」

 

シュトルツが腕を組み、断定した。

 

「怒られた。めちゃくちゃ怒られた。……っていうか、怒られたっていうより、拗ねてた……のかな。フェルンって怒ると黙るタイプなんだけど、拗ねると逆にきつい言い方になるんだよ。で、俺も強く言われて、カッとなって咄嗟に飛び出しちまったんだ」

 

「最悪の手を打ったわけだ」

 

「あぁ、逃げる口実が出来たから乗っかったのか」

 

 

シュトルツとリーニエが容赦なく古傷をぶっ刺し、シュタルクが呻く。

何一つ反論できず、項垂れた。

 

 

「後からフリーレンに聞いたんだけど。仲間のザインっていう僧侶がさ、間に入ってくれて。フェルンにも話を聞いて、俺たちを仲直りさせてくれたんだ。それで……フェルンのプレゼントは、一緒に買いに行くことになった」

 

「なんだ、いい流れじゃないか」

 

「あぁ。店を何軒も回ってプレゼントを選んだんだ。フェルンの顔色を見ながら、気に入りそうなやつを片っ端から手に取って。フェルンもちょっと楽しそうにしてて……結局、俺が誕生日に貰ったのがブレスレットだったから、同じものにした」

 

 

シュタルクの声が、少しだけ柔らかくなっていた。

思い出すだけで頬が緩みかける。

 

慌てて水を飲んで誤魔化したが、シュトルツの目はしっかりとそれを捉えていた。

 

 

「フェルンも気に入ってくれて、毎日つけてくれてる。それは嬉しかった。――問題はここからなんだ」

 

 

シュタルクが杯を置き、水面が小さく揺れる。

 

 

「後になって、ザインに言われたんだよ。お前が選んだブレスレットの意匠、あれは鏡蓮華だ。花言葉は久遠の愛情。恋人に贈るものだぜ、って」

 

 

リーニエは再び無言で小指を立てようとするも、シュタルクに折りたたまれた。

シュトルツは呆れたように組んでいた腕がゆっくりと解ける。

 

 

「……知らなかったんだよ。花言葉なんて。綺麗だったから選んだだけで、意味があるなんて考えもしなかった」

 

 

店の喧騒の中で、一同沈黙。

シュトルツはひとまず視線で続きを促した。

 

 

「それで俺、フェルンに誤解だって訂正したんだ」

 

 

シュタルクは水を一口飲んだ。

喉仏が上下し、吐いた息に気まずさが滲む。

 

 

「そしたら最初に『馬鹿ですもんね』って言われた。シュタルク様が花言葉なんか知ってるわけないですよね、って。それは、まぁ、その通りだから何も言えなかったんだけど」

 

「すごい罵倒力だな、お前の仲間」

 

シュトルツがなんと言っていいか分からない顔をしながら呟いた。

 

「で、買い直そうかって言ったんだ。そしたらフェルンが……急に凄く不機嫌になって。これは俺が一生懸命選んだものだから。二度とそんなこと言うなって、言われたんだ」

 

 

言い終えて、シュタルクは黙った。

杯を両手で包み込むように持ち、親指で縁をなぞっている。

 

 

「花言葉がどうとか関係なく、俺が悩んで選んだこと自体を大事にしてくれてる。それは……ありがたいし、嬉しい。でも、俺が無知なまま渡したっていう事実は消えないだろ。フェルンがどれだけ気にしてないって言ってくれても、俺の中で引っかかってるんだよ」

 

シュトルツは椅子の背もたれに体重を預け、しばらく弟の顔を見ていた。

 

「それで、どうしたいんだ?」

 

「……新しく、別の物を買おうと思ってる」

 

「愚弟、買い直すなって怒られたんじゃないの」

 

「買い直すんじゃない。ブレスレットはあのままだ。フェルンが大事にしてくれてるなら、俺がどうこうする話じゃない」

 

 

シュタルクは顔を上げた。

声に、少しだけ芯が通る。

 

 

「別の物を贈りたい。今度は花言葉をちゃんとわかった上で。意味を理解して、自分で選んで渡す。誕生日じゃねぇけど……ブレスレットの時に出来なかったことを、今やりたいんだ」

 

 

シュトルツは、弟の横顔をしばらく眺め意外そうな顔をする。

あの村にいた頃には聞けなかった類の言葉だった。

 

 

「いいんじゃないか。今の話を聞く限り、悪い方向には転ばないと思うぞ」

 

「……そうか?」

 

「あぁ。少なくとも、何もしないよりはずっといい。お前がそうしたいなら、応援してやる」

 

 

シュトルツは軽く肩を叩いた。

それから立ち上がり、通りの先に目を向けた。

 

 

「確か、この辺りに装飾品を並べた露天があったはずだ。見に行くか」

 

それから、ふとリーニエの方を向く。

 

「先生、農園をやってるくらいだ、花に詳しかったりしないか?」

 

 

リーニエはスキットルの蓋を閉め、少しの間だけ黙った。

それから、億劫そうに口を開く。

 

 

「私の農園はリンゴ園、花は関係ない。まぁ……多少はわかる」

 

 

シュタルクが勢いよく顔を上げた。

項垂れていた姿勢から一転、目に光が灯る。

 

 

「まじか! 姉ちゃん花言葉わかるのか!?」

 

「詳しいのは私じゃない。アインザームとフルーフ。家にいるとたまに二人で延々喋ってるから……あいつの霧の声、壁越しでも響くし、寝てても耳に入ってくるんだよ。それでうろ覚えだけど、多少は」

 

リーニエは直接教わったことはないが、食事の席やだらけている最中に二人の会話がやたらと聞こえてきて、耳が覚えていた。

 

「哀れで愚かな愚弟。聞き齧った範囲なら、慈悲で少しは教えて上げる」

 

「十分だ! 頼む姉ちゃん!」

 

「うっさい……声を落とせ愚弟」

 

 

リーニエは渋い顔をしながら、席を立つ。

 

店を出ると、露天の多く出ている場所へと向かう。

 

社交界の準備で職人が出入りしているせいか、通りには普段より多くの店が並んでいる。

革細工、銀細工、硝子細工。色とりどりの装飾品が、陽の光を受けて鈍く輝いていた。

 

シュタルクは露天の一つに足を止めた。

布を敷いた台の上に、大小様々な指輪やペンダントが並べられている。

銀、真鍮、錫。宝石を嵌めたものから、植物の意匠を彫り込んだ素朴なものまで。

 

手に取っては台に戻し、また別のものを持ち上げる。

どれも悪くはないが、どれが正解なのかわからない。

花の形をした指輪を一つ摘み上げ、リーニエに差し出した。

 

 

「これ、何の花かわかるか?」

 

リーニエは指輪を受け取らず、首を傾けて覗き込んだ。

 

「……勿忘草。たぶん」

 

「花言葉は?」

 

「私を忘れないで、とか」

 

「……重くないか」

 

「知らない。聞かれたから答えた」

 

 

シュタルクは即座に台に戻した。

次に手にしたのは、細かい花弁が連なるデザインの銀環だった。

 

シュトルツが横から覗き込み、眉を寄せた。

 

 

「それ、見覚えがあるな。確か葬儀の献花で――」

 

「マリーゴールド。花言葉は、嫉妬。あと、絶望」

 

 

リーニエが淡々と被せた。

シュトルツが「やっぱりか」と顔をしかめる。

 

 

「贈り物に向いてない花ばっかりじゃねぇか!?花言葉考えた奴、性格悪すぎだろ!」

 

「人間の文化に文句を言うな。私に当たるな愚弟、殺すぞ」

 

「ごめんなさい」

 

 

三つ目。

赤い花弁の意匠が入った指輪を手に取りかけて、シュタルクは自分で手を止めた。

 

 

「……これは薔薇か。流石にわかる」

 

シュタルクはすぐに台に戻し、リーニエは僅かに目を細めた。

 

「そう。愛してる。フルーフが年中ソリテール様に贈ってるから見飽きてる」

 

「だよな。こういうのは違う」

 

「……だったら条件を言いなよ。何を伝えたいの」

 

 

リーニエの声に苛立ちはなかったが、非効率なことへの不満は滲んでいた。

シュトルツは二歩後ろから黙って眺めており、完全に楽しんでいる顔をしていた。

 

シュタルクは人混みの中で立ち止まり、頭を掻いた。

 

 

「……重すぎないやつ。でも軽すぎないやつ。愛してるとか、そういう大層なもんじゃなくて」

 

 

言葉を探して、唸る。

通行人が三人を避けて流れていく。

 

 

「俺がフェルンに出来ることなんて限られてる。魔法は使えないし、気の利いた言葉も出てこないし。でも――フェルンが危ない時に前に出て守ることだけは、絶対にやる。俺はパーティーの前衛だし、それだけは絶対だ」

 

 

声が、店内の時よりもずっと真っ直ぐだった。

自分自身に対して嘘がつけない人間の、剥き出しの言葉だった。

 

 

リーニエの足が止まった。

 

 

無表情のまま、シュタルクの横顔を見ている。

それから僅かに視線を上に向け、記憶の棚を探るように瞬きを繰り返した。

 

 

「……カランコエ」

 

「え?」

 

「カランコエっていう花。花言葉は――」

 

一度だけ口を閉じ、思い出すように間を置いた。

 

「『あなたを守る』」

 

 

シュタルクは呼吸を止め、思案する。

 

リーニエは露店の端に視線を走らせた。

並んだ装飾品の列を素早く見渡し、一点で目を留める。

 

肉厚で丸みのある花弁を象った、素朴だが丁寧な細工の指輪。

燻した銀の台座に、暖かな橙の石がはめ込まれている。

 

 

「これ」

 

 

リーニエに手渡され、シュタルクが受け取った。

指先に触れた銀の台座が、陽に晒されていたせいか僅かに温い。

 

掌の上に乗せると、夕陽を受けた橙の石が、ほの温かい色を指の隙間に落とした。

 

派手ではない。

鏡蓮華の繊細さとも違う。

 

しかし手に馴染んだ。

戦士の無骨な指にも、魔法使いの細い指にも、同じように似合いそうな佇まいだった。

 

 

「あなたを守る、か」

 

 

呟いて、指輪を光に透かす。

シュトルツが弟の肩越しに覗き込み、肩を叩いた。

 

 

「見栄えも悪くない、いいじゃないか」

 

 

シュタルクがリーニエを見た。

言葉にはしなかったが、視線が問うていた。

 

リーニエは指輪を一瞥し、それからシュタルクの顔を見た。

過去の光景が脳裏を過ぎる。

 

全身の骨が軋む音を鳴らしながら、それでも斧を振り下ろした愚弟の横顔が。

恐怖で脚が竦んでいても、守るべきものがある時だけ、この馬鹿は戦士としての頂きに足をかける。

 

 

「愚弟――お前が選ぶんでしょ。私は何も言わない」

 

 

答えはしなかった。

 

だが、いつもの投げやりな相槌とは、少しだけ響きが違った。

シュタルクの顔がほころんだ。歯を見せて笑う。

 

 

「そっか。よし、これにする」

 

 

財布を開いた。

中身を確認し、一瞬だけ顔が引き攣る。

 

 

「……兄貴。悪いんだけど、ちょっとだけ――」

 

「祝いになにか買ってやるつもりではいたが……お前な」

 

「わ、わかってるよ! 報酬入ったら絶対返すから!」

 

 

シュトルツは天を仰ぎ、溜息混じりに笑って、財布を弟に放った。

シュタルクは兄に何度も頭を下げ、財布から代金を払い、小さな革袋に収められた指輪を受け取ると、上着の内ポケットにしまう。

 

 

「兄貴、姉ちゃん、助かった。ありがとな」

 

「礼とかいらない。私を尊敬して崇めて、リンゴ園に就職して、死ぬまで働くだけでいいよ」

 

「だから就職ってなんだよ!?いらないどころか、対価が人生じゃねぇか!?」

 

 

シュトルツが声を殺して笑った。肩だけが揺れている。

 

三人は露店の通りを抜け、石畳の坂道を屋敷に向かって歩いた。

気づけば夕方だ。陽が街の輪郭を橙色に溶かし、三つの影が長く伸びている。

 

 

「なぁ、兄貴」

 

「なんだ」

 

「渡す時、なんて言えばいいと思う」

 

「お前が思ったことを、そのまま口にしろ。飾るなよ」

 

「飾る気なんて最初からないぞ」

 

「飾ろうとしてるから聞いてるんだ。変な言い訳や、前置きはしないって言い切れるか?」

 

「いや、それは……」

 

 

シュタルクは口を噤んだ。

兄の言葉通りになる光景を想像し、何度か唇を動かしてから閉じる。

屋敷が見えてきた。門灯に火が入り始めている。

 

シュタルクはもう一度、内ポケットの上に手を当てた。

革袋の小さな硬さが、掌に確かに伝わる。

 

守る、という花言葉を選んだのは、格好をつけたかったからじゃない。

心の底から、ただそう思ったからだ。

 

息を吸って吐くのと同じくらい、当たり前にそこにあった感情だった。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

オルデン伯爵家の書庫は、東棟二階に位置していた。

 

窓から差し込む西日が、磨き上げられた樫の書架を琥珀色に染めている。

天井まで届く書架が四列、奥行きのある部屋を規則正しく区切り、その間を細い通路が走っていた。

 

表紙の背に刻まれた金文字が、斜めの光を受けて鈍く瞬いている。

古い紙と革と、僅かな黴の匂い。

 

書庫特有の、時間が堆積したような静謐がそこにあった。

 

フリーレンは書架の奥、窓際の閲覧席に腰を下ろしていた。

 

机の上には既に五冊の魔導書が積まれている。

うち二冊は開かれたまま左右に並べられ、残り三冊は候補として脇に重ねられていた。

 

報酬の一冊を選ぶために片端から目を通しているのだが、どれも捨てがたく、それならばと期間中に読めるだけ読んでおこうという腹づもりである。

 

紙を捲る音と、遠くの噴水の水音だけが耳に届く。

屋敷の喧騒も、旅の疲れも、路銀の心配も、この空間には入ってこない。

 

書架の間を歩き、次の一冊に手を伸ばす。

 

棚の上段、背表紙に「北方古代下水処理魔法」と刻まれた革装の本。

指先が背表紙の角に触れた。

 

同時に、別の指が同じ背表紙に触れた。

 

フリーレンの指の上に、細い指が重なっている。

体温のある爪の先が、フリーレンの指の関節に触れていた。

 

 

「あら」

 

 

声が、すぐ隣から響いてきた。

甘く、柔らかく、耳朶を撫でるような声。

 

フリーレンは手を引っ込めた。

 

弾かれたように、ではない。ゆっくりと、しかし確実に。

触れていた指先から離れる際の、僅かな摩擦が皮膚に残った。

 

振り向かなくとも分かっていた。

この死臭を纏う存在を、間違えようがない。

 

ソリテールが、すぐ隣に立っていた。

 

翡翠の瞳が、トロリと蕩けるように細められている。

口元には花が綻ぶような微笑み。

 

その笑みの完成度が高ければ高いほど、フリーレンの瞼が重くなる。

 

 

「同じ本に手が伸びるなんて。……フリーレン。私たち、もしかして運命の相手なのかもしれないわ」

 

「…………」

 

 

囁くような声にゾワゾワと背筋の産毛が逆立つ。

フリーレンは無言で棚から一歩離れた。

 

表情に変化はないが……眉間に刻まれた皺が一本増えた。

 

 

「いつからいた」

 

「さぁ、いつからかしら。貴女が夢中で本を読んでいる姿を見ていたら、声をかけるのが惜しくなって。つい、ね」

 

 

ソリテールは棚から本を抜き取り、表紙を指先で撫でた。

その動作は、本に対する敬意というよりも、フリーレンの欲しかったものを手中に収めた事実を味わっているようだった。

 

 

「先に触ったのはこっちだよ」

 

「そうだったかしら。指が触れた感触しか覚えていないの。……ふふ、フリーレン、貴女の指って冷たいのね。まるで――」

 

イラッ、と音が聞こえてきそうな勢いでフリーレンが顔を顰める。

 

「読みたいなら読めばいい。別のを探すから」

 

 

フリーレンは会話を断ち切り、反対側の書架へ向かった。

背を向け、足早に通路を歩く。

 

軽い足音が、後ろからついてきた。

 

フリーレンが足を止めれば、足音も止まる。

歩き出せば、また聞こえる。

 

距離は常に一定。

近すぎず、逃げ切れない間合い。

 

二列目の書架の前で立ち止まり、別の本に手を伸ばす。

背表紙を確認し、抜き取ろうとした。

 

隣に、気配が並んだ。

 

ソリテールが同じ書架の、フリーレンのすぐ隣に立っている。

手には先程の本を抱えたまま、フリーレンと同じ棚を眺めていた。

 

 

「書庫って素敵ね。こうして二人で並んで本を探していると、まるで旧い友人同士みたい」

 

 

フリーレンは本を一冊引き抜き、無言で閲覧席に戻った。

椅子に座り、本を開き文字を追う。

 

対面の椅子が、木の軋む音を立てた。

ソリテールが、フリーレンの真正面に座っていた。

 

本を開き、ページに目を落としていく。

読書に没頭している風を装っているが、翡翠の瞳は紙面の上を滑るばかりで、文字を追っている気配がない。

 

フリーレンはそのまま本から目を上げなかった。

 

一分。

 

二分。

 

五分。

 

ページを捲る音だけが、二人の間を行き来していた。

フリーレンの捲る音は規則正しく、一定の間隔を保っている。

 

ソリテールの捲る音は、それに半拍遅れて追いかけるように響く。

 

 

「ねぇ、フリーレン」

 

「…………」

 

「ねぇ」

 

「…………」

 

「無視されるのって、結構堪えるのよ? 心が繊細だから」

 

 

フリーレンは文字を目で追い続け、一向に本から顔を上げなかった。

ソリテールは、身を乗り出す。

 

机の上に肘をつき、フリーレンの本の上端から顔を覗き込んだ。

近い。呼吸音が聞こえ息がかかる距離だった。

 

ソリテールの吐息が、開いた本の紙面をかすかに揺らした。

 

 

「ねぇ、フリーレン。今、何を考えてるの?」

 

「お前が消えてくれないかなって考えてる」

 

「ふふ、こわい。こんなに仲良くしてるのに」

 

「仲良くした覚えはない」

 

 

フリーレンはようやく顔を上げ、目が合った。

 

至近距離に翡翠の瞳がある。

蛇が獲物を見定めるような、ねっとりとした視線。

 

微笑みの形は崩れていないのに、その奥にある感情の温度が読めない。

人間の表情を完璧に模倣しているからこそ、不気味だった。

 

 

「何が望み?ソリテール。本が読みたいなら読めばいい。嫌がらせがしたいなら、フルーフにところに行け。あっちは喜ぶから」

 

「ふふ、確かにフルーフなら泣いて喜ぶわね。でも今は、貴女とお話がしたいの」

 

「私はしたくない」

 

「知ってる」

 

 

ソリテールは微笑んだまま身を引き、椅子の背に体重を預けた。

指先が自分の膝の上で組まれる。

 

 

「ねぇ、フリーレン。この書庫、いい蔵書が揃っているわ。辺境の騎士の家に、北方の文献がこれだけまとまっている場所は珍しい。当主の教養の高さが窺えるわね」

 

「…………」

 

 

フリーレンは答えなかった。

だが本に視線を戻すこともなく、ソリテールの出方を窺っていた。

 

唐突に話題を変える時のソリテールには、必ず目的がある。

嫌味の種を蒔いているか、本題への布石を打っているか。

 

どちらにせよ、放置すれば際限なく続くことは経験上知っていた。

 

 

「人間は知識を遺す。本に、建物に、弟子に。千年前の言葉が今も残り、読む者がいる。短い命しか持たない種族がこれだけの蓄積を成し遂げる……本当に素晴らしいと思うわ」

 

「……それで人間を褒めてるつもり?」

 

「えぇ。心からね」

 

 

嘘か真か判別がつかない。

ソリテールの声には、皮肉とも感嘆ともつかない響きがあった。

 

ソリテールは手元の本をぱたりと閉じた。

 

 

「ねぇ、フリーレン。一つだけ、真面目な話をしましょう」

 

「嫌だと言ったらやめるの?」

 

「やめないわ」

 

「じゃあ聞くな」

 

 

フリーレンは努めて平常心を心がけ平坦な返事を返す。

視線は本へと戻され、ソリテールを片手で払う仕草を見せる。

 

チラリと一瞬だけ、横目で伺う。

ソリテールの姿勢や声の調子、表面上は嫌味を並べていた時と何も変わらない。

 

だが、翡翠の瞳から、あのねっとりとした気色悪さが消えていた。

 

 

「貴女がグラナト伯爵領で私に話してくれたこと。それを、覚えているはず」

 

フリーレンのページを捲る手が、止まった。

 

「……ゼーリエが持っている保険のこと?」

 

「それ」

 

 

書庫の空気が、一段冷えた気がした。

窓から差す西日の角度は変わらないのに、ソリテールの声が落とす影だけが深くなる。

 

フリーレン凝ってきた首筋を叩きながら、再び顔を上げソリテールを見た。

 

ソリテールは変わらず微笑みを浮かべている。

だが、目が笑っていなかった。

 

その瞳の奥に、フリーレンがこれまでほとんど見たことのないものが沈んでいた。

静かで、測りきれない。深く淀んだものが見えた気がした。

 

底の見えない水面のような、冷たい切実さにも似たものが……。

 

 

「もし、その保険がフルーフに向けられる、なんてことが起きたなら……」

 

言葉を選ぶように、一語一語が慎重に置かれいていく。

 

「――協力してくれないかしら、フリーレン」

 

そこには、嫌味も皮肉の色もなかった。

 

遠回しな言い回しも、含みのある微笑みも、相手を試すような視線も。

ソリテールの言葉から、装飾の全てが剥がれ落ちていた。

 

嘘か誠か……その真偽はフリーレンにはわからない。

どちらかと問われれば、嘘だと答える。

 

ソリテールほどの擬態能力であれば、嘘がないと思い込ませること、切実さを演出することなど造作もないだろう。

そして、フリーレンはどのような言葉であろうと、魔族の言葉が嘘で塗り固められた羽虫の音であると断じているのだから。

 

普段であれば、こんな一考すら経ず切り捨てるような言葉。

しかし……今のこの瞬間。

 

フリーレンにとっては、その言葉が嘘でも本音でもどちらでもよかった。

 

その内容は、フランメの最後の頼み事にも関係する。

そして友人をむざむざ見捨てるような真似も、フリーレン自身の意志でするつもりはなかった。

 

 

「言われなくても、そうするよ」

 

 

静かな声だった。

ソリテールに関する余計な感情を削ぎ落とした、簡潔な肯定で答える。

 

 

「フルーフは私の友達だからね。それに、やるべきことは昔から分かっている。お前に頼まれるまでもない、必要だと判断したなら協力する」

 

「そう」

 

その二文字は、ソリテールの口から発せられたとは思えないほど、素朴な響きだった。

 

「その素直さを普段から演じていろ。私に嫌味を垂れるよりずっとマシだ」

 

「嫌。普段の繊細で可愛らしい私でいたいの」

 

「繊細? 可愛らしい? どの口が言ってるんだ」

 

「フルーフはそう言ってくれるもの」

 

「その評価は当てにならないよ。フルーフは昔からお前のこととなると目が腐るから」

 

「ふふ、親友に対して酷いものいいね。その腐った目のフルーフのために、私のお願いを聞いてくれた貴女も……相当脳が腐っていそう。ねぇ、フリーレン」

 

 

一瞬引っ込んだかと思えば、また嫌味。

どうやら世間話にも嫌がらせを挟まねば気がすまないらしい、フリーレンはその性格の悪さに嫌気がさし、ゆっくりと漏れるような溜息を吐く。

 

口調にネチネチとした色が滲み、翡翠の瞳にねっとりとした光が戻ってくる。

 

 

「フリーレン。私たちの間に相互利益も友好的要素もないわ。ただ、踏み越えてはならない線引がお互いにあるだけ。信用、信頼、そんな言葉が塵以下の価値もないことも理解しているわ」

 

 

ソリテールは閉じた本を縦にし、縁に積もった埃を指で掬い弾く。

夕日に照らされ、白いモヤのように広がり一瞬で消えた。

 

 

「その上で、口にするわ。私を信頼して。私たちの目的は同じ、これからもお互いを尊重して助け合いましょう?」

 

「茶番だ。お前がこの人形遊びに飽きないことだけを、祈っておくよ」

 

「いつかの意趣返し?茶番だなんて、酷い表現。だけど……私には、この茶番を最期まで貫き通せる確信があるの。いつだってね」

 

「戯言にしか聞こえないけど。その根拠はあるの?」

 

「私がフルーフを愛しているから」

 

「……」

 

「私は、フルーフを愛しているわ。そして、私が抱えるこの感情の核心が掴めそうな予感もある。魔族である私が……感情の伴わない愛を、確かな言葉で表現できる気づきが、もうそこまで迫っている。感情では無い、だけど、とても単純な言葉で言い表せるその輪郭。普遍的であり、魔族でも人類でも変わらない……その答えが――」

 

 

どこか熱に浮かされたソリテールにフリーレンは何も言わない。

この手の状態で口を挟めば、うんざりするほど粘着されることを知っていた。

静かに、何も言わず聞き流すのみだ。

 

ソリテールは最後にニコリと微笑みかけ、椅子から立ち上がる。

去り際、何かを思い出したように足を止め、振り返った。

 

 

「ねぇ、対価を払わないと不公平ね」

 

「いらない」

 

「そういう訳にはいかないわ。……そうね、今度うちの街に来たら、何でも無料にしてあげる。魔法店の魔導書も素材も好きなだけ」

 

フリーレンは、きょとんとした。

想定していた言葉と、あまりにもかけ離れていた。

 

「私にそういうのは通じない。お前に対し信頼もしないし、好意を抱くこともない」

 

フリーレンのその、どんな時も一貫して変わらない態度に、ソリテールは、ほんの少し微笑む。

 

賄賂も話術も同情も、何もかもが通じない。

言い換えればそれだけの強い芯を持っているということだ。

 

その中にはフルーフを助けるという芯も存在している。

ソリテールにとってその強さは、これ以上ないほどに頼もしく、言質を保証する安心材料に見えていた。

 

 

「協力者には誠実でいたいの。例え全てが嘘でも、利益を提供出来るのであればするわ。わずかな心象でも大事にすべきだと、私は知っているから」

 

 

それだけ言い残して、ソリテールは書架の向こうに消えていった。

足音が遠ざかり、扉の開閉音が一つ。

 

それきり、書庫に静寂が戻った。

 

フリーレンは一人、閲覧席に座ったままだった。

 

開きかけの本を手に取り、ページを捲ろうとして、やめた。

嫌なやつに絡まれて気分が悪いとばかりに、外の空気を吸いに外へ出た。

 

 

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