ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第59話▶指輪ブチコミ

 

 

屋敷に滞在して早、二ヶ月が経過。

 

シュタルクは屋敷の二階通路を歩いていた。

 

コートの礼服を纏い、肩と腕を力なく落とし、猫背気味の背中が左右にふらふらと揺れている。

ブーツの踵が、石の床を不規則なリズムで叩いていた。

 

この二ヶ月間の地獄だった。

朝から晩までガーベルに張りつかれ、立ち方、座り方、歩き方、ナイフとフォークの持ち方、杯の傾け方、会釈の角度、社交辞令の雛形を延々と反復させられた。

 

どこまでも淡々としており、怒りもしなければ褒めもしない。

ただ「さ、もう一度」とだけ繰り返す。

 

乗馬では何回も落馬し、ダンスではガーベルの足を踏みまくり、一般教養の筆記試験では赤点を何度も叩き出した。

 

フリーレンは書庫に籠もって出てこず、ザインは日中庭の木陰で昼寝。

シュタルクとは反対に二人はなぜか毎日楽しそうだった。

 

問題児のフルーフとソリテールは、フェルンの訴えも虚しくお咎めを受けていなかった。

夜はフルーフの奢りで、ザイン、フリーレン、ソリテールで酒場に繰り出し毎晩飲み明かすことが日常茶飯事と化している始末。

 

リーニエからすれば十分過ぎる程静かなので、わざわざそんな面倒事を注意する義理などなく、今日も元気にシュトルツやその父親と剣戟を奏でている。

見知った戦士の村の男たちも街にやってくると、ハッスルしながら城塞の騎士や戦士もろとも叩きのめしていた。

 

シュトルツは宣言通り、ガーベルの座学を戦士の言葉に翻訳してくれた。

「背筋を伸ばし視線を水平に保ちなさい」は「相手の目を見ながら、全身の動きが見渡せる距離感を保て。戦場と同じだ」になり、「食事中に肘をつくのは無作法です」は「武器をいつでも手に取れるようにしておけ、飯を食う時に隙を見せるな」になった。

 

意味合いとしては大きく違うが、意識すべきこととして後者の方が遥かに腑に落ちた。

 

今日は久しぶりの半休だった。

ガーベルが所用で席を外しており、午後の指導が夕方に後ろ倒しになったのだ。

 

シュタルクは天井の高い通路をふらふらと進む。

 

窓から差し込む午後の陽が、床に四角い光の模様を落としていた。

空気はひんやりと乾いており、遠くの庭から鳥の声が微かに届く。

 

通路の先に、人影が見えた。

 

反対側から歩いてくるフェルンだった。

 

フェルンも同じように作法の訓練を受けていた。

侍女たちに囲まれ、コルセットで締め上げられ、転びながらダンスを覚え、食事の際のナプキンの畳み方まで叩き込まれていた。

 

表情にこそ出さないが、疲労の色は隠せない。

主に食事制限の影響でおおいに不満を抱えていた。

 

二人の距離が縮まり、フェルンがシュタルクに視線を向けた。

 

 

「シュタルク様、作法の練習はどうですか?」

 

「地獄だぜー……」

 

 

曖昧に答え、肩を回す。

骨がごきりと鳴った。

 

声色だけでも、言外にしんどい……といっているのが伝わってくる。

 

成果を答える代わりに、シュタルクは片膝をついた。

 

通路の真ん中で、礼服のコートの裾が石の床に広がる。

フェルンの左手を取り、軽く持ち上げた。

 

ガーベルから二ヶ月叩き込まれた所作が、手順通りに身体を動かしていく。

 

シュタルクは、軽く下げた頭を上向かせ、フェルンを見上げた。

 

 

「どう思う?」

 

 

フェルンは数秒、無言だった。

見下ろす視線がシュタルクの顔を、礼服を、跪いた姿勢を、順に辿っていく。

 

 

「似合ってない」

 

「ひどい」

 

 

シュタルクは溜息を一つ吐き立ち上がる。

 

 

「……ちょっと外の空気、吸ってくる」

 

 

それだけ口にすると、またフラフラと左右に揺れながら歩き出す。

不安定な靴音が通路の奥へ遠ざかっていく。

 

フェルンは、その場に立ったまま動かなかった。

視線が掌に向かい、握られていた右手を、もう片方の手でそっと包む。

 

指先に残った微かな体温を、確かめるように。

 

 

 

手を解き、フェルンも歩き出して暫く後……ふと、足音が戻ってきた。

 

さっき出て行った時よりも、慌ただしく速い。

靴が床を蹴る硬い音が通路に響き、少しずつ近づいてくる。

 

通路の角から、シュタルクが現れた。

 

息が少し乱れていた。

 

おろしたままの赤銅色の前髪が額に張りつき、こめかみに薄く汗が滲んでいる。

内ポケットの辺りを右手で押さえたまま、早足で向かってくる。

 

フェルンは振り返り立ち止まった。

近づいてくるシュタルクを見つめ、口を開く。

 

 

「どうしたんですか? 外に行ったんじゃ――」

 

 

シュタルクは答えず、フェルンの前で足を止めた。

息を整える間もなく、再び片膝をついた。

 

二度目だ。

数分前と同じ通路、同じ場所、同じ石の床……だが、シュタルクの纏う空気だけが明確に違っていた。

 

シュタルクの右手が、フェルンの左手を取った。

練習で叩き込まれた型通りの所作ではなく、もっと素朴で、もっと不器用な、ただ相手の手を取るだけの粗さがあった。

 

 

「フェルン」

 

 

シュタルクは、深く深呼吸を一つする。

それだけで乱れた呼吸は落ち着いていた。

 

強く目を閉じ、見開く。

そして決意したようにフェルンを見上げ視線を合わせた。

 

 

「誕生日の時の、ブレスレット。花言葉を知らないまま渡して、悪かった」

 

フェルンの目が、僅かに見開かれた。

 

「あの時は本当に何も知らなかった。意味があるなんて考えもしなかった。そのせいでフェルンのことを怒らせちまった……それが、ずっと引っかかってた」

 

 

シュタルクの左手が、内ポケットから小さな革袋を取り出した。

紐を指先で解き、中身を掌の上に転がす。

 

橙色の石が嵌め込まれた、銀の指輪。

 

丸みのある花弁の意匠。

燻された台座が、午後の光を受けて鈍く光っていた。

 

 

「もう、買い直すなんて言わねぇけど……。新しく、プレゼントを用意したんだ」

 

 

シュタルクは薄く笑った。

 

照れではなかった。気負いもなかった。

ただ、ようやく言えるという安堵に似た、静かな笑みだった。

 

 

「カランコエって花だ。花言葉も、今度はちゃんと理解して選んだ」

 

 

フェルンの視線が、掌の上の指輪に吸い寄せられていた。

橙の石が暖かい色がフェルンの瞳に映り込む。

 

シュタルクは、指輪を手にフェルンを見上げた。

 

シュタルクの瞳には、迷いも、気後れも、自分を卑下する色もない。

ただ決めたことを実行する決意だけが、真っ直ぐにフェルンに向けられていた。

 

 

「俺は……フェルン、お前を守る」

 

 

シュトルツの言いつけどおり、その言葉は飾られていなかった。

言い訳じみた言い回しも、叩き込まれた作法も、一切がそこにはなかった。

 

シュタルクの指が、フェルンの左手の薬指に触れた。

 

指輪を、ゆっくりと滑り込ませていく。

 

銀の台座がフェルンの肌に触れた瞬間、金属特有の冷たさが指先を掠めた。

だが、すぐに体温が移り、じわりと温もりに変わる。

 

橙色の石が、フェルンの指の上で静かに光を放っていた。

 

嵌めた。左手の薬指に。

フェルン――混乱の極み。

 

その意味を、シュタルクは理解していなかった。

 

フルーフから「指輪、でしか?あぁ……指輪は左手の薬指に嵌めてあげるものですよ。応援してます!」と世間話的に教えられ。

リーニエには「とりあえず、そこに嵌めろ。たぶん、そういうもの」とだけ指差された。

 

二人の助言を律儀に実行した結果がこれだった。

 

シュタルクは手を離し、立ち上がった。

 

買ったはいいが中々言い出せなかったが、ようやく言えた。

シュタルクはサッパリとした、爽やかな表情で微笑んだ。

 

 

「なぁ、フェルン」

 

 

声が、少しだけ柔らかくなる。

一拍、間を置き決意が満ちる。

 

 

「俺はお前に怒られてばっかりで、頼りないのかも知れない。だけど、俺は戦士だ。だから、フェルンのことは絶対に守る」

 

 

続けてなにかを言うとしたが、これ以上は蛇足だとシュタルクも理解していたのか、それ以上は何もいわないことにした。

 

貴族のような品のある、飾りに満ちたものではなかったが、兄であるシュトルツの言いつけどおりだ。

シュタルク自身もこれでいいと納得し、静かに立ち上がった。

 

 

「……それだけだ。悪い、もう済んだことを掘り返して」

 

 

軽く謝罪をしてシュタルクは踵を返した。

 

靴音の音が遠ざかっていく。

猫背でもなく、ふらふらともしていない。

 

真っ直ぐな背中が、午後の光の中を静かに歩いていった。

 

通路の角を曲がり、姿が消える。

足音が薄れ、やがて聞こえなくなった。

 

フェルンは……動けなかった。

 

右手が、胸の高さで止まったまま宙に浮いている。

視線が定まらず、橙色の指輪とシュタルクが消えた通路の角を、何度も何度も往復していた。

 

表情こそ変わっておらず、眉は動かず口元も引き結ばれたままだ。

だが、耳が赤かった。

 

耳の付け根から先端にかけて、じわじわと熱が広がるように朱が差している。

白い肌の上で、その赤みだけが、隠しようもなく鮮やかだった。

 

フェルンは、長い間そこに立っていた。

 

窓から差し込む光の角度が、ほんの少しだけ変わるまで。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

同時刻。

 

屋敷の二階、東側通路の角。

壁の向こう側に四つの人影が折り重なるように張りついていた。

 

一番上から順に、僧侶ザイン。

長身を活かして壁の角から首だけを突き出し、通路の先を凝視している。

 

その下にシュトルツ。

中腰で壁に背を預け、角から片目だけを覗かせていた。

 

さらにその下、しゃがみ込んだフルーフが両手を壁につき、角の隙間から顔半分を出している。

最下段にはリーニエが地面すれすれの高さで腹這いになり、角の根元から通路を覗いていた。

 

四人とも全力で気配を殺し、縦列で塔のように連なっていた。

 

十代の少年少女の恋路を覗き見るために、大人と魔族が壁の角に積み重なっている。

客観的に見れば異常な珍光景だった。

 

通路の先では、シュタルクが二度目の片膝をついたところだった。

内ポケットから小さな革袋を取り出し、紐を解く。

 

 

「指輪だと……シュタルク、よし、いけ!いいぞ、シュタルク!もう告っちまえ!付き合っちまえーーーッ!!」

 

 

ザインは右手で握りこぶしを作り、胸の前で震わせる。

声量を極限まで落とし、小声で叫んでいた。

 

 

「いけーーッ! 抱けぇ! 抱けぇ!抱けぇぇ!」

 

 

フルーフが両拳を握りしめ、壁の隙間から身を乗り出した。

目尻に涙すら浮かべている。他人の恋愛沙汰に感情移入しすぎて、当事者より興奮していた。

 

 

「なんだ、せ◯くすか?こんな所で交尾するな愚弟」

 

 

リーニエは腹這いのまま、棒読み気味に呟く。

 

シュトルツの手が三人の後頭部を順番に押さえた。

ザインの首根っこを掴み、フルーフの肩を押し込み、リーニエの後頭部をぽんと叩く。

 

 

「……色々行き過ぎだ。聞こえるだろ、全員じっとしていてくれ」

 

 

低く、しかし切実な声だった。

弟の大事な場面を、この三人の奇声で台無しにされてたまるかという兄の執念が滲んでいた。

 

三人はしぶしぶ口を閉じた。

少しの静寂が戻る。

 

通路の先で、シュタルクの掌の上に橙色の石が光った。

フェルンの手を取り、指輪を――

 

ザインとシュトルツの呼吸が、同時に止まった。

壁の角から突き出した四つの頭が、微かに前へ傾ぐ。

 

 

「お、おいおい……」

 

 

ザインの声が戸惑いに裏返った。

目を見開き、通路の先を凝視している。

 

 

「シュタルクの奴、左手の薬指に嵌めやがったぞ。あれ、意味わかってんのか?」

 

 

シュトルツもギョッと目を見開いた。

壁の角から身を乗り出し、弟の所作を確認する。

 

確かに、左手の薬指だ。

 

フルーフが目をぱちくりさせた。

困惑の色はなく、むしろ当然だろうという顔をしている。

 

 

「何言ってるんですかザインさん。愛の告白なんですから左手で合ってますよ。シュタルクさんから相談されたんです、フェルンさんに指輪を渡したいけど、どの指に嵌めればいいのかって。左手の薬指に嵌めてあげるものですよって教えました」

 

 

ザインの顔がゆっくりと歪んだ。

アホのような食い違いが発生していることを瞬時に察した。

 

 

「私も、左手に嵌めとけって言った。ソリテール様とフルーフもそこだから」

 

 

リーニエが腹這いのまま、同意する。

 

ザインの口が半開きになった。

二人の顔を交互に見比べ、それから通路の先のシュタルクを見る。

 

 

「いやいや、既婚者だから当然だろ。あそこは結婚指輪を嵌める場所だぞ……」

 

 

ザインの視線がシュトルツに向いた。

 

この場で唯一、事の経緯を知っている人間だ。

リーニエも一から十まで知っている当事者だが、言動が適当すぎて視線すら向けられなかった。

 

 

「シュタルクのお兄さんよ。俺は偶然居合わせただけだから詳しくは知らないが、今のアレ……愛の告白ってことで合ってるのか?」

 

シュトルツは壁にもたれたまま、眉間を指で押さえた。

 

「いや、違う。シュタルクは純粋にプレゼントを新しく贈り直したかっただけだ。花言葉を正しく理解したうえでな。それだけの話だった……はずなんだが」

 

 

花言葉と聞いた瞬間、ザインは自分の顔を指差した。

脳裏に、自分自身の声が甦る。

 

――お前が選んだブレスレットの意匠、あれは鏡蓮華だ。花言葉は久遠の愛情。恋人に贈るものだぜ。

 

あの一言がなければ、シュタルクは引っかかることもなく、指輪を買うこともなく、左手の薬指に嵌めることもなかった。

 

 

「……花言葉がどうこう言ったせいか? つまり……俺のせいか」

 

 

自分を指差したまま、ザインの声がさらに小さくなった。

やべー、とでも言いたげに頬をかく。

 

フルーフが両手で口を覆った。

赤い瞳が見開かれ、四方八方に瞳孔がぐるんぐるんと泳ぐ。

 

 

「え……告白じゃなかったんですか……あ、え、じゃあ私のせいですか? 左手の薬指って言ったの、私ですよね?」

 

 

自分を指差し、顔面蒼白になるフルーフ。

善意の助言が盛大な誤解の導火線になっていたことに、ようやく気づいたようだった。

 

言い訳を口には出さない。出さないが、内心では叫んでいた。

――だってシュタルクさんの魂、あの時もの凄い決意に満ちてたんですよ。あんなの勘違いするでしょうがー!と。

 

リーニエは腹這いから上体だけを起こし、二人に人差し指を向け鼻で笑った。

 

 

「お前らが悪い。私は悪くない」

 

「先生。とりあえずそこに嵌めろ、と言ったのは先生でしょう。適当なことを言った先生も同罪だと思いますが」

 

 

シュトルツの指摘に、リーニエの指がぴたりと止まった。

数秒の沈黙の後、何事もなかったかのように指を下ろし、腹這いの姿勢に戻った。

 

シュトルツは後頭部を壁に預け、明後日の方を仰いだ。

どうするかな……これ、と表情が雄弁に語っていた。

 

 

「マズいな。重くないプレゼントを必死に選んだのに、別の意味でとんでもなく重くなった」

 

 

ザインが腕を組み、渋面を作った。

通路の先ではシュタルクが立ち上がり、何か最後の言葉を告げている。

 

背中は真っ直ぐで、堂々としていた。

 

本人だけが、自分がやらかしたことの重大さに気づいていない。

いや、やらかしたのは、シュタルクではなく、下の二人だが……とシュトルツが内心ツッコんでいる内に、シュタルクは笑顔を浮かべて立ち上がった。

 

 

「フェルンの奴、なんだかんだ言いながらもシュタルクに対して満更でもないからな。今の一連を額面通り受け取ったら……これから相当苦労するだろうな、シュタルクの奴」

 

 

堪らずザインが煙草を咥えようとするも、隠れている最中だったと思い出し、懐に戻した。

 

フルーフが両手を合わせ、目を閉じた。

祈るような、弔うような、曖昧な姿勢だった。

 

 

「シュタルクさん、申し訳ない……南無……結婚式はうちでやっていいですよ」

 

「愚弟には交尾して繁殖して私の農園を手伝って貰う」

 

「ハイターさんに挙式の進行でも教わっておくか……」

 

「何を言ってるんだ、この三人……」

 

 

シュトルツが額に手を当て、深く溜息を吐いた。

弟の恋路を心配しているのか、この三人の思考回路を心配しているのか、もはや自分でもわからなかった。

 

通路の先で、シュタルクが踵を返した。

真っ直ぐな背中が遠ざかっていく。角を曲がり、足音が消えた。

 

四人は壁の角に張りついたまま、しばらく動かなかった。

 

ザインは天井を睨み、フルーフは合わせた手をスリスリ。

リーニエは腹這いのまま床であぐらをかき、シュトルツだけがシュタルクの消えた通路の先を見つめ続けていた。

 

 

「……で、どうするよ。教えてやるか?」

 

 

渋い顔のザインがヒソヒソと三人に呼びかける。

シュトルツが首を横に振った。

 

 

「今さら『左手の薬指は結婚の意味がある』なんて教えたら、あいつは勢いで返してくれと言い出す。そうなったら、色々取り返しがつかないことになりそうだ……」

 

「そりゃそうか。フェルンの前で指輪を外させるなんて、前の比じゃないくらいに拗れるのは目に見えてるからな」

 

「放置。私関係ない。変なことに変なこと言っても変になるだけ」

 

 

リーニエは怒涛の「変」三連打を決め、関係ないとばかりに三人から横ばいで距離を取った。

腹這いからすっと立ち上がり、服についた埃を払う。

 

 

「先生にしては、まともなことを言うな」

 

「私は常にまとも。お前らがおかしい」

 

フルーフは壁にもたれたまま、天井の梁を数えていた。

 

「まぁ……シュタルクさんもフェルンさんも、いい子ですからね。きっと、大丈夫ですよ。……恐らく殺傷沙汰にはならないと思います」

 

「恐らく、ってなんだよ」

 

ザインが苦笑し、四人はようやく壁の角から離れた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

それから数日が経った。

 

意外なことに、フェルンのシュタルクに対する態度は変わらなかった。

 

相変わらず「シュタルク様」と呼び、相変わらず辛辣な感想を述べ、相変わらず溜息をつく。

 

フェルンは馬鹿ではない。

二度三度あれば嫌でも学習する。

 

あのシュタルクが、指輪を嵌める位置を理解した上で贈ったとは考えにくい。

 

誕生日の一件を思い返せば明白だ。

今回だって、その鉄を踏んでいるに違いないとフェルンは確信していた。

 

左手の薬指は、どこかでそこに嵌めるものだ、と知ったか、大抵の人はそこに指輪をしているだとか……深い意味を考えずに実行しただけに違いない。

 

フェルンはシュタルクという人間を、もう二年以上間近で見てきた。

あの真剣な目も、真っ直ぐな言葉も、全部本気だったのだろう。

 

そして本気で「守る」と言いたかっただけなのだろう。

 

 

「シュタルク様は……餓鬼ですからね」

 

 

無意識に笑みを漏らしながら、指輪を見つめ、改めてそう結論づけた。

 

ならば、そこまで気にする必要はない。

 

シュタルクの無知と無神経さは、今に始まったことではない。

真に受けるだけ損だ。深く考えない。考えないったら考えない。

 

――なのに。

 

左手の薬指に嵌められた橙色の指輪は、外されることなくそこにあった。

 

燭台の灯りに照らされた橙の石が、指の上でほんのりと光る。

その度に耳の奥が熱くなり、唇がきゅっと結ばれた。

 

朝も……身支度を整えながら指輪に目が留まる時間が、少しだけ長くなった。

橙色の石に朝陽が当たると、温かい色が指の上でじんわりと広がる。

 

それを眺めて、何かを考えるでもなく、ぼんやりと数秒が過ぎる。

 

あれからシュタルクの態度は何一つ変わらない。

嵌められた指輪を見ても、純粋に喜ぶだけだ。

 

――やっぱり、何も考えていなかったんだ。

 

フェルンは確信を深める。

 

確信を深めるたびに、溜息が一つ増える。

溜息が増えるたびに、シュタルクを見つめる時間が僅かに長くなる。

 

その視線の湿度が以前より遥かに高くなっていることに、シュタルクは一切気づいていなかった。

 

当の本人は、指輪を渡せたことで晴れやかな気分になり、作法の練習にも身が入り始めていた。

ガーベルからも「いい感じですな」と珍しく褒められ、シュタルクは上機嫌だった。

 

フェルンの態度が変わらなかったことも、シュタルクにとっては安心材料だった。

変に気まずくならなくてよかった、と素直に胸を撫で下ろしていた。

 

――フェルンに怒られなくて、本当によかったぜ。……でも、なんか最近首筋を無言で見られてて、別の意味で恐わいんだよな……なんなんだ、あれ。

 

本人だけが、心の底からそう喜んでいた。

どこかの某大魔族を彷彿とさせるネッチョリとした視線で首筋をガン見されること意外は……。

 

社交界まで、あと一ヶ月。

 

城塞都市フォーリヒの日々は、相も変わらず騒がしく、穏やかに過ぎていく。

 

 

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