ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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▼第66話▶リーニエ&シュタルク

 

 

――魔法都市オイサースト近郊。森林地帯。

一級魔法使い選抜試験まで、残り三週間。

 

 

湿った針葉の匂いが満ちる森を、二つの影が駆け抜けていた。

 

 

枝が裂け、踏み砕かれた腐葉土が跳ねる。

その騒音を置き去りにするように、先頭を進む小柄な少女が梢から梢へ飛び移っていく。

 

 

「姉ちゃん、待ってくれよ! 速すぎるって!」

 

「蹄の跡が新しい。そんな速度じゃ、逃げる魔物に追いつけない」

 

「俺は姉ちゃんみたいに木の上を走れねぇんだよ!」

 

「言い訳するな、愚弟。最強の戦士ならできたぞ」

 

「久しぶりに出たよ、それ!実際にできそうだから反論できねぇ!」

 

 

リーニエは地面へ一度も足を着けず、枝から枝へ軽やかに飛び移っていく。

一方のシュタルクは、正面へ立ち塞がる藪を肩から突き破り、倒木を踏み砕きながら直進していた。

 

 

純粋な速さではリーニエに大きく劣る。

しかし、持ち前の頑丈さを頼りに、障害物を避けるのではなく、踏み砕き跳ね飛ばしていく。

太い枝が折れ、大量の針葉が宙へ舞い、結果として大きく引き離されてもいなかった。

 

 

「愚弟……森が可哀想」

 

「枝を蹴り折りまくってる、姉ちゃんにだけは言われたくねぇよ!」

 

 

二人が森へ来た理由は単純だった。

魔法都市の北西部で、大型の野獣が目撃されたのである。

 

 

正式な討伐依頼を受けたわけではない。

 

 

一級魔法使い試験に向けて修行する魔法使いたちを横目に、暇を持て余した二人が遊び半分で狩りへ出ただけだった。

もっとも、リーニエにとって遊びと実戦訓練の境界はほとんど存在しない。

 

 

彼女は足元の枝を大きく撓ませ、その反発を利用して跳躍した。

数本先の枝へ降り立つと、そこで不意に動きを止める。

 

 

追いついたシュタルクも急停止した。

 

 

地面には、成人男性の胴体ほどもある巨大な蹄の跡が残されている。

抉れた土はまだ湿っていた。周囲の草は倒れ、折れた根からは新しい樹液の匂いがする。

 

 

リーニエは枝から飛び降り、足跡の傍らへ着地した。

 

 

「まだ、そんなに時間は経ってない」

 

「分かるのか?」

 

「なんとなく見れば分かる」

 

 

シュタルクも隣へしゃがみ込み、見よう見まねで地面へ顔を寄せた。

土の窪みを睨み、折れた草を摘まみ、匂いまで嗅いでみる。

 

 

「……全然分かんねぇ。えっと、でかい猪か?」

 

「そう。たまにはフルーフの肉以外を食べてもいいかも」

 

「食うのかよ」

 

「狩った命は無駄にするな。ってアインザームが言ってた」

 

 

リーニエは黙って、地面に残された痕跡へ目を走らせた。

巨大な足跡は北西へ続いている。

 

その先を確かめようと、顔を上げた瞬間……頬を、針のように鋭い風圧が撫でた。

 

 

「――伏せて」

 

 

直後、二人の頭があった高さを不可視の衝撃が水平に薙いだ。

飛来音はなく、魔力の光さえ見えない。

 

 

それなのに一拍遅れて、背後の木々だけが次々と内側から弾け飛んだ。

幹の中心が円形に抉れ、湿った木片が射線に沿って四方へ飛び散る。

 

 

リーニエは両手を地面へ突き、射線の外へ逃れるように後方へ跳ねた。

一度、二度、三度。

 

 

連続した後方転回から地面を蹴り、小さな身体を梢より高く打ち上げる。

 

 

「うおっ!?」

 

 

シュタルクも反射的に前転した。

二発目の不可視弾が頭上を掠め、赤い髪を数本だけ刈り取っていく。

 

 

「危ねぇ!」

 

 

最初に穿たれた幹から飛び散る木片の向きを見て、シュタルクは射線を推し量った。

そのまま勢いを殺さず、射手との間を遮る大木の裏へ滑り込む。

 

 

直後、三発目が飛来した。

シュタルクが背にした大木が激しく揺れ、幹の半ばまで深い亀裂が走る。

 

 

「なんだこれ!魔法か!?」

 

「人間の魔法」

 

 

梢の上まで跳び上がったリーニエは、鋭く目を細めた。

通常の魔力探知には、何も映らない。

 

 

射手は山の傾斜と木々へ紛れ、魔力まで巧妙に隠している。

距離は最低でも数十キロ先。並の魔法使いなら、攻撃された方角すら正確には掴めないだろう。

 

 

それでもリーニエの目には、不可視の攻撃が通過した空間へ、糸のように残された微量の魔力が見えていた。

残留魔力の線を逆向きにたどる。

 

 

一発目、二発目、三発目。

複数の軌跡が、森の彼方にある一点へ収束していた。

 

その先が射手の位置だ。

 

リーニエが目を凝らすと、数キロ先の木陰で、次弾の構築に向けて体内の魔力を集束させる人間の姿が見えた。

 

 

独特な魔力操作の癖。

それを見た瞬間、リーニエには奇襲犯の見当がついた。

 

 

「……私の弟子のくせに」

 

 

空中で身を捻り、近くの枝へ着地する。

右腕を横へ伸ばすと、その掌中で魔力が細く収束した。

 

 

形成されたのは、一本の投げナイフだった。

 

 

「バレないとでも思ってるの」

 

 

リーニエは狙いを定める素振りすら見せず、腕を振り抜いた。

魔力の投げナイフが空気を切り裂く。

 

 

枝葉を散らすことすらなく、触れた幹の中心だけを正確に穿った。

遅れて細い破裂音が幾重にも連なり、一本、二本、十本と、木々の奥へ一直線の風穴が開いていく。

 

 

投げナイフはそのまま射線の彼方へ消えた。

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

数十キロ先の射線上。

甲高い音と共に、六角形の防御障壁へ亀裂が走った。

 

 

リーニエの投げナイフは障壁へ深々と突き刺さり、表面に蜘蛛の巣状の罅を広げた後、ようやく魔力の粒子となって崩れる。

 

 

「どんな投げナイフの射程だ……相変わらず洒落にならねぇな」

 

 

木陰へ身を潜めていたヴィアベルは、罅割れた防御障壁を見て頬を引きつらせた。

隣では、シャルフが呆れ果てた様子で額を押さえている。

 

 

「だから言っただろう、ヴィアベル。絶対に気づかれると」

 

「十発くらいなら平気だと思ったんだがな。三発で露見するとは恐れ入ったぜ」

 

「もう十分だろう。次は投げナイフでは済まない。槍か弓か……最悪の場合、斧が飛んでくるぞ」

 

「仕方ねぇ。ここまでだ。出るぞ」

 

「これ、まさか俺まで巻き込まれるのか?」

 

「同じ場所に隠れていた時点で共犯だ」

 

「勘弁してくれ……」

 

 

二人は飛行魔法で宙へ浮かび、リーニエが穿った木々の隙間を縫うように移動を始めた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「よぉ、師匠。奇遇だな」

 

 

数分後。ヴィアベルとシャルフは、何食わぬ顔でリーニエの前に姿を現した。

ヴィアベルは片手を上げ、久しぶりに知人と出会ったような軽い調子で挨拶する。

 

 

「討伐依頼の出ている野盗と見間違えた。悪かったな」

 

「……」

 

「それにしても、こんなところで会うなんて偶然もあるもんだ」

 

「……」

 

「なんだよ、その目は」

 

「下手な言い訳」

 

リーニエの姿が消えた。

 

「――げっ」

 

 

ヴィアベルが上を向く。

既にリーニエは、傍らの幹を足場にして高く跳躍していた。

 

スカートを翻し、上空からヴィアベル目掛けて一直線に落下する。

 

 

「おい、待て。殺す気――」

 

 

リーニエの踵が、ヴィアベルの脳天へ垂直に叩き込まれた。

鈍い衝突音が森へ響く。

 

 

「どぅあっ!?」

 

ヴィアベルの身体は凄まじい速度で地面へ落下し、土煙と共に腰まで地中へ埋まった。

 

「ヴィアベル!」

 

 

シャルフが反射的にそちらを見る。

その一瞬で、リーニエは空中にて身体を捻っていた。

 

ヴィアベルの頭を踏み台にして再び跳ね上がり、遠心力を乗せた脚を振り抜く。

 

 

「待て待て待て!奇襲の訓練だと言い出したのはヴィアベルで、俺は止め――」

 

「同じ部隊なんでしょ。なら同罪」

 

リーニエの足の甲が、シャルフの頭頂部へ突き刺さった。

 

「うぼぉあっ!?」

 

 

シャルフも地面へ叩き落とされ、盛大な土煙を巻き上げた。

リーニエは二人の間へ軽やかに着地する。

 

汚れた靴底を気にするように、地面へ数度擦りつけた。

 

 

「この偉大な最強の師匠に不意打ち。偉くなったね、弟子」

 

「ぐっ……相変わらず、容赦がねぇ……」

 

 

地中から這い出したヴィアベルが、頭を押さえながら呻く。

額から血が流れていたが、咄嗟に防御魔法と受け身を組み合わせていたため、命に別状はない。

 

 

「実戦形式の訓練にちょうどいいと思ったんでな。身体が鈍らねぇようにしておきたかったんだよ」

 

「私を訓練相手にした?生意気。続けてあげる。二対一でいいよ」

 

リーニエの目から光が消えた。

 

「待て待て。本当に悪かった。俺たちも三週間後の一級試験を受けに来たんだ。ここで、深傷を負う訳にはいかねぇ」

 

「鍛錬不足。今の蹴りも避けられないようじゃ不合格」

 

「戦士の試験じゃねぇ、一級魔法使いの試験だ。普通の魔法使いは空中で白兵戦なんてしねぇし、二回も軌道を変えねぇんだよ」

 

「うだうだ言うな」

 

「相変わらず言葉が通じねぇ……」

 

 

大木の裏で様子を窺っていたシュタルクが、恐る恐る姿を現した。

戦闘が終わったと判断したのか、戦斧を背中へ戻して近づいてくる。

 

 

「なぁ、姉ちゃん。知り合いか?」

 

「一応弟子。北部で軍人してる魔法使い」

 

 

リーニエは指を差し、端的に紹介する。

続いてシュタルクを親指で示した。

 

 

「これはシュタルク。私の愚弟。ついでに弟子」

 

 

ヴィアベルはシュタルクの角のない頭を見た。

次にリーニエの二本角を見て、もう一度シュタルクへ視線を戻す。

 

シャルフも全く同じ動きをした。

 

 

「……はあ?」

 

 

二人の声が綺麗に重なる。

弟であり、弟子。しかも明らかに人間だ。

 

 

リーニエの家族関係や交友関係が、フルーフを筆頭に軒並み意味不明であることを、二人は長年の付き合いで嫌というほど知っていた。

だが、それにしても説明が足りなさすぎる。

 

 

「あー……まあ、そう言うなら、そうなんだろうな」

 

 

数秒の沈黙の後、ヴィアベルは考えることを放棄したように頷いた。

リーニエの言動へ一つずつ真意を求めていては、身が持たない。

 

シャルフも無言で肩を竦める。

 

 

「そういうものなのだろう」

 

「納得すんのかよ……」

 

 

困惑するシュタルクをよそに、ヴィアベルは立ち上がって服の土を払った。

そして鋭い目つきで、シュタルクの頭から足元までを観察する。

 

 

「……シュタルクだったか。お前、いい面構えしてるな」

 

 

ヴィアベルはシュタルクの周囲を一周し、薄く笑う。

足運び、重心、敵の攻撃へ即応するための、無意識に空けている間合い。

 

 

それらを見比べた後、断りもなくシュタルクの上腕を掴んだ。

指先で筋肉のつき方と古傷の位置を確かめていく。

 

 

「じっとしてろ。別に取って食いやしねぇ」

 

「すげぇ既視感……。なぁ、魔法使いなのに、戦士のことなんて分かるのか?」

 

「北じゃ、魔法使いだから後ろで杖を振ってりゃいい、なんて甘い戦場ばかりじゃねぇ。前衛が死ねば、次に前へ出るのは俺たちだ」

 

シャルフも反対側へ回り、シュタルクの立ち姿を観察した。

 

「若いが、姿勢に無駄が少ないな。前面に古傷が集中している。大物を相手に、正面から戦い続けたのか?」

 

「まあ……そんな感じだけど」

 

「手も見せろ」

 

 

ヴィアベルはシュタルクの手を取り、掌を確かめた。

斧を振り続けて硬くなった皮膚。何度潰れ、再生したのかも分からない肉刺。

 

 

「こりゃ、ただの戦士じゃねぇな」

 

「この愚弟は、一応、魔族最強の戦士を倒した。私が保証してあげる」

 

 

ヴィアベルとシャルフの表情が変わった。

リーニエの言葉が誇張ではないことを、二人は知っている。

 

 

「魔族最強の戦士……リヴァーレか。……あぁ、そうか。お前が例の戦士か」

 

「伯爵も言ってたけど、『例の』って何だよ!?俺、どういう伝わり方してるんだ!怖ぇよ、姉ちゃん!絶対に噂が独り歩きしてるって!」

 

ヴィアベルは気にせず、シュタルクの肩を何度か叩いた。

 

「大したもんだ。その辺の戦士より、遥かに多くの修羅場を潜ってやがる」

 

「嬉しくねぇ……倒したことは否定しないけどさ。けど、姉ちゃんと一緒だったことは知っておいてくれ」

 

「そうかよ」

 

 

ヴィアベルは肩を竦めた。

その横から、リーニエがヴィアベルの後頭部を平手で叩く。

 

 

「ねちねち絡みつくな。気持ち悪い」

 

「紹介したのは、あんただろうが」

 

「それとこれは別。馴れ馴れしい」

 

「本当に意味の分からねぇ師匠だぜ……」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

四人は、そのまま共同で魔物を探すことになった。

ヴィアベルたちが森にいた理由も、リーニエたちと大差はない。

 

 

勘を鈍らせないための魔物狩りであり、実戦訓練が目的だ。

もっとも、遠方にリーニエの姿を発見したヴィアベルが、これ幸いと奇襲を仕掛けた時点で、本来の目的は半ば忘れ去られていたのだが。

 

 

しばらく足跡を追ったところで、シャルフが膝をついた。

巨大な蹄跡の横にある樹皮へ触れ、付着した黒い欠片を指先で摘まむ。

 

 

「外殻の一部だ。右前脚を木へ擦りつけている。古傷か、何かしらの異常があるらしい」

 

「突進させるなら、そっちへ姿勢を崩せそうだな」

 

ヴィアベルが答えた直後、木々の向こうで巨大な影が動いた。

 

「いたぞ。前方八百。例の猪だ」

 

 

全長は十メートル近い。

黒褐色の身体を覆う外殻は、鉱石をそのまま切り出したように分厚い。

 

呼吸するたび、二本の牙の隙間から白い蒸気が噴き出しており、歩くだけで地面が震えた。

 

 

「どうする、師匠」

 

「愚弟にやらせる」

 

リーニエは近くの岩へ腰掛け、脚を組んだ。

 

「俺!? フリーレンもフェルンもいないのにか?」

 

「知らない。この二人にでも頼って」

 

リーニエはヴィアベルたちへ顎を向ける。

 

「即席パーティーかよ」

 

ヴィアベルは呆れながらも、すぐに杖を構えた。

 

「いいぜ。ちょうど大魔族を殺した戦士の実力が気になってたんだ。シュタルク、簡単な指示以外は好きに動け。後は俺たちが合わせる」

 

続いてシャルフへ視線を向ける。

 

「右前脚を狙え。完全に止める必要はない。姿勢だけ崩せ」

 

「了解した」

 

「……わかった」

 

「経験で言えば、俺が隊長として最適だ。異論があるなら聞いてやる。ないなら指示に従え」

 

 

ヴィアベルの声色が変わった。

粗野な態度はそのままだが、その視線は既に野獣だけでなく、味方全員の位置を捉えている。

 

大猪が四人の存在に気づき、前脚で何度も地面を掻く。

土煙が舞い上がり、轟音と共に巨体が突進を開始した。

 

 

「来るぞ!」

 

 

シャルフが杖を振るう。

周囲の草木から無数の花弁が舞い上がり、大猪の右前脚へ絡みついた。

 

 

一枚一枚は薄い花弁にすぎない。

しかし幾重にも重なったそれは強靱な縄となり、外殻の隙間へ食い込みながら脚を内側へ引く。

 

 

大猪の巨体が僅かに右へ傾いた。

だが、突進は止まらない。

 

花弁の縄が一枚ずつ引き千切られていく。

 

 

「流石に止まらないか」

 

「止める必要はねぇ。姿勢を崩せば十分だ」

 

 

ヴィアベルは迫り来る巨体を真正面から見据えた。

その視界へと、大猪の全身を収める。

 

 

「『見た者を拘束する魔法( ソルガニール)』」

 

 

大猪の全身が、見えない鎖に縛られたように硬直した。

 

 

それでも完全には止まらない。

突進の勢いだけで地面を削りながら、ヴィアベルへ迫ってくる。

 

 

「今だ、シュタルク!右の牙へ叩き込め!」

 

「指示が大味すぎるだろ!」

 

 

シュタルクが地面を蹴った。

一歩で土を爆発させ、二歩目で景色を置き去りにする。

 

拘束された大猪の真正面へ躍り出ると、巨大な戦斧を大きく振りかぶった。

 

 

「おいおい、馬鹿正直に正面から行くのかよ」

 

 

ヴィアベルは驚きながらも、防御魔法を構築しつつ後退する。

普通は側面から行くものだと、シャルフも叫ぶ。

 

 

「正気か。正面から受け止められる質量でじゃないぞ」

 

 

シュタルクの戦斧と、大猪の牙が激突した。

衝撃波が周囲へ吹き荒れ、轟音が轟く。

 

戦斧を通して、腕から肩へ骨を痺れさせる衝撃が突き抜けた。

シュタルクの足元が沈み、踵が地面を深く抉る。

 

それでも、一歩も退かない。

 

右前脚を拘束された大猪の力は、僅かに横へ逃げていた。

シュタルクは傾いた側へさらに踏み込む。

 

 

腰を回し、全体重を斧へ乗せ、巨大な刃が右の牙をへし折る。

衝撃はそのまま頭部へ伝わり、鉱石のような外殻に亀裂を走らせた。

 

亀裂は瞬く間に頭部から胴体へ広がる。

外殻が砕け散る中、戦斧が大猪の頭蓋へ食い込んだ。

 

シュタルクは雄叫びと共に斧を振り抜き、その巨体を地面へ叩き伏せる。

 

大地が揺れ、大量の土と落ち葉が舞い上がる。

しばらく脚を痙攣させていた大猪は、やがて完全に動かなくなった。

 

 

ヴィアベルは魔法を解き、ゆっくりと杖を下ろす。

 

「おいおい、いったい、どんな怪力してやがんだ……」

 

 

「し、死ぬかと思ったぜ……」

 

シュタルクは痺れる腕を振りながら、リーニエを振り返った。

 

「姉ちゃん、どうだった?」

 

「まあまあ。七十点」

 

「そろそろ満点くれよ……」

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

討伐した大猪は、その場で解体することになった。

シュタルクが戦斧の背で外殻を割り、シャルフが魔法で巨体を固定する。

 

 

その間にリーニエはナイフを外殻と肉の境目へ走らせた。

切り口から、濃い獣脂の匂いが立ち上る。

 

 

「意外だぜ。料理なんてできたのか」

 

ヴィアベルが感心したように言う。

 

「私を何だと思ってるの?」

 

「斧を振り回して、万年リンゴ食ってる魔族だろ」

 

リーニエのナイフが戦斧となり一瞬で、ヴィアベルの首元へ止まった。

 

「首、刎ねられたいの原始人。私は都会派魔族。簡単な料理くらいできる」

 

 

切り分けた肉へ塩と香草を擦り込み、部位ごとに異なる太さの枝へ刺していく。

脂の多い肉は高い位置へ、赤身はやや火へ近く。

 

表面だけを強火で炙った後は、串を遠ざけて余熱を通す。

滴り落ちた脂も無駄にせず、別の肉へ塗り戻していた。

 

 

「肉を火へ放り込むこともしない田舎魔族と一緒にするな」

 

「都会派魔族ってなんだ……?」

 

 

シャルフが魔法で火を起こす。

日が傾く頃には、森の中へ香ばしい匂いが漂っていた。

 

 

四人は焚き火を囲み、焼いた肉を食べながらシードルを回し飲みし駄弁る。

 

 

頭上では、針葉樹の隙間から赤い夕空が覗いている。

薪が弾けるたび、火の粉が夜の近づく森へ舞い上がった。

 

シュタルクは、対面に座るヴィアベルたちへ視線を向ける。

 

 

「二人は北の魔法隊なんだよな。普段は何をしてるんだ?」

 

「主に魔族と魔物の討伐だ。必要なら人間とも戦う。村の防衛、街道の確保、避難民の護衛。金を出す奴がいりゃ、そいつの為に動くこともある。軍人なんでな、基本上からの命令が絶対だ」

 

「大変そうだな。二級魔法使いなんだろ?楽な仕事なんて、他にいくらでもあるんじゃないのか?」

 

ヴィアベルは肉を噛み切り、シードルで流し込んだ。

 

「やらなきゃ、俺の後ろにいる奴らが死ぬからだ。言っとくが、義務感とか正義のため、そんな御大層な理由じゃねぇぞ」

 

 

焚き火の中で、薪が音を立てて弾けた。

ヴィアベルは炎を見つめながら続ける。

 

 

「ガキの頃、好きだった女に約束した。それだけが理由じゃねぇが……きっかけなんて、そんなもんだ」

 

「好きな人か……」

 

「馬鹿みてぇな話だろ。向こうは約束なんざ忘れてるかもしれねぇ」

 

 

その言葉とは裏腹に、自嘲の色はなかった。

ヴィアベルは笑い、空になった瓶の口を親指でなぞる。

その目だけは焚き火ではなく、もっと遠い北の故郷を見ているようだった。

 

 

「それでも、あいつが帰りたいと思った時、帰れる場所を残しておきてぇ」

 

ヴィアベルは足元の枝を拾い、焚き火へ放り込んだ。

 

「戦う理由なんて、そんなもんでいい。世界平和だの、人類の未来だの、でかい言葉を背負う必要はねぇ。目の前の奴を死なせたくない。帰ってくる場所を残したい。約束を破りたくない。それだけで十分だろ」

 

「……ヴィアベル。あんた、見た目よりいい奴なんだな」

 

「俺は善人じゃねぇ。いつだって、自分の都合で動いてるだけだ」

 

「その感じ、少しフルーフさんに似てるな」

 

シュタルク本人としては褒めているつもりだが、その何気ない一言で、ヴィアベルの笑顔が消えた。

 

「……おい。こいつ、殴っていいか?」

 

「愚弟を勝手に殴るな。拳が砕ける」

 

「そういう問題じゃねぇんだよ……」

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

食事を終えた四人は、暗くなる前にオイサーストへ戻ることにした。

ヴィアベルとシャルフは梢の上へ浮かび、飛行魔法で街の方角を目指す。

 

 

リーニエはその真下を、枝から枝へ軽やかに駆けた。

シュタルクだけは地面を走り、藪も倒木も構わず正面から踏み越えていく。

 

 

「そういえば、ヴィアベル。師匠は、なぜ一級試験の開催地にいるんだ?」

 

「そりゃ、こんな場所に来てんだ。一級魔法試験が目当てだろ。下の二人は戦士だ、必然的に連れが参加してくるんだろうよ」

 

「まさか、あの二人か?……はぁ、波乱の予感だな……。死なないように気をつけるか……」

 

 

やがてリーニエが、跳ね回るのに飽きたのか、地面へ降りてきた。

そのままシュタルクの隣を走り始める。

 

シュタルクは忙しない姉を横目で見た後、少しだけ表情を引き締めた。

 

 

「なぁ、姉ちゃん。ちょっといいか」

 

「何?フェルンを番にして、私の農園へ永住する話?子供は何人?」

 

「なんだよ、その話!?どこから出てきた!」

 

リー二エからぶっこまれる変化球に出鼻を挫きかけるが、シュタルクは息を整え、気を取り直す。

 

「前に言ってただろ。命の張りどころを見極めろって」

 

「言ったかも」

 

「俺はずっと、前に立って攻撃を受ければ守れると思ってた。だけど、それだけじゃ駄目だ。俺が倒れなくても、敵を止められなきゃ、いつか俺の後ろまで攻撃が届くだろ。領主様の前で、あれだけ言っちまった以上、俺も覚悟を決めたい」

 

 

シュタルクは走りながら、背負った戦斧の柄を握る。

リーニエは前を見たまま、黙って聞いている。

 

 

「俺は丈夫だ。大抵の攻撃なら耐えられる。けど、格上や大人数を確実に仕留める切り札がない。フリーレンやフェルンを狙われたら、対応しきれねぇ」

 

シュタルクは一度、唇を噛んだ。

 

「愚弟は耐えて殴り返すのが得意。格上を仕留める切り札がないのは、最初から分かってるでしょ」

 

「あぁ、でもそれじゃ駄目だ。命を張るだけじゃなく、その命で勝ち切れる力が欲しい」

 

シュタルクはリーニエを真っ直ぐに見た。

 

「だから姉ちゃん。俺に力を貸してくれ」

 

 

リーニエは返事をしなかった。

 

二人の足音だけが、夕暮れの森を進んでいく。

やがて彼女は、走りながらシュタルクの横顔を見た。

 

 

「愚弟。そこまで言うなら、死ぬ覚悟はある?」

 

 

シュタルクはすぐには答えなかった。

怖くないと言えば嘘になる。死ぬことは怖い。

 

これからも、フェルンやフリーレンと旅を続けたい。

アイゼンやリーニエ、シュトルツや父親とも……まだ話したいことがある。

 

 

「覚悟があるかは、分からない。死ぬのは怖ぇよ、できるなら絶対に死にたくない」

 

「……」

 

「それでも、俺が死ななきゃ守れない瞬間が来たら、その時は逃げないって言える。守りたいものを守り通せるなら、最後に倒れたっていい」

 

 

リーニエは前へ向き直って、すぐには答えない。

死にたくないと言いながら、それでも守りたいもののためなら逃げない。

 

その矛盾を抱えた目は、かつてリヴァーレへ立ち向かった時と同じだった。

リーニエは小さく息を吐いた。

 

 

「……いいよ。戦士として、その心意気を買ってあげる」

 

シュタルクの顔が明るくなる。

 

「ただし。一度だけ」

 

 

リーニエの声音に、普段の軽さはなかった。

シュタルクは息を呑む。

 

 

「一度使えば、二度目はない。フルーフでも絶対に間に合わない。それでもいいの?」

 

 

僅かな沈黙の後、シュタルクは恐怖を押し殺さず、そのまま頷いた。

リーニエは前を向き、夕闇の迫る森を駆ける。

 

そして、シュタルクの斧に触れ、淡い光が包む。

暫くその状態が続き、手を離し、一拍を置き告げる。

 

 

「愚弟。本当に命を張るべき時が来たら、こう唱えろ――」

 

 

リーニエは「これもあげる」と呟き、指から指輪を外すと、シュタルクに向かって投げ渡す。

ダイヤルのような、回転機構のついたリングをマジマジと見つめ、握りしめた。

 

 

「お前は絶対に死ぬけど。精々気合を入れて死になよ」

 

 

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