ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。 作:ごすろじ
――魔法都市オイサースト近郊。森林地帯。
一級魔法使い選抜試験まで、残り三週間。
湿った針葉の匂いが満ちる森を、二つの影が駆け抜けていた。
枝が裂け、踏み砕かれた腐葉土が跳ねる。
その騒音を置き去りにするように、先頭を進む小柄な少女が梢から梢へ飛び移っていく。
「姉ちゃん、待ってくれよ! 速すぎるって!」
「蹄の跡が新しい。そんな速度じゃ、逃げる魔物に追いつけない」
「俺は姉ちゃんみたいに木の上を走れねぇんだよ!」
「言い訳するな、愚弟。最強の戦士ならできたぞ」
「久しぶりに出たよ、それ!実際にできそうだから反論できねぇ!」
リーニエは地面へ一度も足を着けず、枝から枝へ軽やかに飛び移っていく。
一方のシュタルクは、正面へ立ち塞がる藪を肩から突き破り、倒木を踏み砕きながら直進していた。
純粋な速さではリーニエに大きく劣る。
しかし、持ち前の頑丈さを頼りに、障害物を避けるのではなく、踏み砕き跳ね飛ばしていく。
太い枝が折れ、大量の針葉が宙へ舞い、結果として大きく引き離されてもいなかった。
「愚弟……森が可哀想」
「枝を蹴り折りまくってる、姉ちゃんにだけは言われたくねぇよ!」
二人が森へ来た理由は単純だった。
魔法都市の北西部で、大型の野獣が目撃されたのである。
正式な討伐依頼を受けたわけではない。
一級魔法使い試験に向けて修行する魔法使いたちを横目に、暇を持て余した二人が遊び半分で狩りへ出ただけだった。
もっとも、リーニエにとって遊びと実戦訓練の境界はほとんど存在しない。
彼女は足元の枝を大きく撓ませ、その反発を利用して跳躍した。
数本先の枝へ降り立つと、そこで不意に動きを止める。
追いついたシュタルクも急停止した。
地面には、成人男性の胴体ほどもある巨大な蹄の跡が残されている。
抉れた土はまだ湿っていた。周囲の草は倒れ、折れた根からは新しい樹液の匂いがする。
リーニエは枝から飛び降り、足跡の傍らへ着地した。
「まだ、そんなに時間は経ってない」
「分かるのか?」
「なんとなく見れば分かる」
シュタルクも隣へしゃがみ込み、見よう見まねで地面へ顔を寄せた。
土の窪みを睨み、折れた草を摘まみ、匂いまで嗅いでみる。
「……全然分かんねぇ。えっと、でかい猪か?」
「そう。たまにはフルーフの肉以外を食べてもいいかも」
「食うのかよ」
「狩った命は無駄にするな。ってアインザームが言ってた」
リーニエは黙って、地面に残された痕跡へ目を走らせた。
巨大な足跡は北西へ続いている。
その先を確かめようと、顔を上げた瞬間……頬を、針のように鋭い風圧が撫でた。
「――伏せて」
直後、二人の頭があった高さを不可視の衝撃が水平に薙いだ。
飛来音はなく、魔力の光さえ見えない。
それなのに一拍遅れて、背後の木々だけが次々と内側から弾け飛んだ。
幹の中心が円形に抉れ、湿った木片が射線に沿って四方へ飛び散る。
リーニエは両手を地面へ突き、射線の外へ逃れるように後方へ跳ねた。
一度、二度、三度。
連続した後方転回から地面を蹴り、小さな身体を梢より高く打ち上げる。
「うおっ!?」
シュタルクも反射的に前転した。
二発目の不可視弾が頭上を掠め、赤い髪を数本だけ刈り取っていく。
「危ねぇ!」
最初に穿たれた幹から飛び散る木片の向きを見て、シュタルクは射線を推し量った。
そのまま勢いを殺さず、射手との間を遮る大木の裏へ滑り込む。
直後、三発目が飛来した。
シュタルクが背にした大木が激しく揺れ、幹の半ばまで深い亀裂が走る。
「なんだこれ!魔法か!?」
「人間の魔法」
梢の上まで跳び上がったリーニエは、鋭く目を細めた。
通常の魔力探知には、何も映らない。
射手は山の傾斜と木々へ紛れ、魔力まで巧妙に隠している。
距離は最低でも数十キロ先。並の魔法使いなら、攻撃された方角すら正確には掴めないだろう。
それでもリーニエの目には、不可視の攻撃が通過した空間へ、糸のように残された微量の魔力が見えていた。
残留魔力の線を逆向きにたどる。
一発目、二発目、三発目。
複数の軌跡が、森の彼方にある一点へ収束していた。
その先が射手の位置だ。
リーニエが目を凝らすと、数キロ先の木陰で、次弾の構築に向けて体内の魔力を集束させる人間の姿が見えた。
独特な魔力操作の癖。
それを見た瞬間、リーニエには奇襲犯の見当がついた。
「……私の弟子のくせに」
空中で身を捻り、近くの枝へ着地する。
右腕を横へ伸ばすと、その掌中で魔力が細く収束した。
形成されたのは、一本の投げナイフだった。
「バレないとでも思ってるの」
リーニエは狙いを定める素振りすら見せず、腕を振り抜いた。
魔力の投げナイフが空気を切り裂く。
枝葉を散らすことすらなく、触れた幹の中心だけを正確に穿った。
遅れて細い破裂音が幾重にも連なり、一本、二本、十本と、木々の奥へ一直線の風穴が開いていく。
投げナイフはそのまま射線の彼方へ消えた。
◇◇◇
数十キロ先の射線上。
甲高い音と共に、六角形の防御障壁へ亀裂が走った。
リーニエの投げナイフは障壁へ深々と突き刺さり、表面に蜘蛛の巣状の罅を広げた後、ようやく魔力の粒子となって崩れる。
「どんな投げナイフの射程だ……相変わらず洒落にならねぇな」
木陰へ身を潜めていたヴィアベルは、罅割れた防御障壁を見て頬を引きつらせた。
隣では、シャルフが呆れ果てた様子で額を押さえている。
「だから言っただろう、ヴィアベル。絶対に気づかれると」
「十発くらいなら平気だと思ったんだがな。三発で露見するとは恐れ入ったぜ」
「もう十分だろう。次は投げナイフでは済まない。槍か弓か……最悪の場合、斧が飛んでくるぞ」
「仕方ねぇ。ここまでだ。出るぞ」
「これ、まさか俺まで巻き込まれるのか?」
「同じ場所に隠れていた時点で共犯だ」
「勘弁してくれ……」
二人は飛行魔法で宙へ浮かび、リーニエが穿った木々の隙間を縫うように移動を始めた。
◇◇◇
「よぉ、師匠。奇遇だな」
数分後。ヴィアベルとシャルフは、何食わぬ顔でリーニエの前に姿を現した。
ヴィアベルは片手を上げ、久しぶりに知人と出会ったような軽い調子で挨拶する。
「討伐依頼の出ている野盗と見間違えた。悪かったな」
「……」
「それにしても、こんなところで会うなんて偶然もあるもんだ」
「……」
「なんだよ、その目は」
「下手な言い訳」
リーニエの姿が消えた。
「――げっ」
ヴィアベルが上を向く。
既にリーニエは、傍らの幹を足場にして高く跳躍していた。
スカートを翻し、上空からヴィアベル目掛けて一直線に落下する。
「おい、待て。殺す気――」
リーニエの踵が、ヴィアベルの脳天へ垂直に叩き込まれた。
鈍い衝突音が森へ響く。
「どぅあっ!?」
ヴィアベルの身体は凄まじい速度で地面へ落下し、土煙と共に腰まで地中へ埋まった。
「ヴィアベル!」
シャルフが反射的にそちらを見る。
その一瞬で、リーニエは空中にて身体を捻っていた。
ヴィアベルの頭を踏み台にして再び跳ね上がり、遠心力を乗せた脚を振り抜く。
「待て待て待て!奇襲の訓練だと言い出したのはヴィアベルで、俺は止め――」
「同じ部隊なんでしょ。なら同罪」
リーニエの足の甲が、シャルフの頭頂部へ突き刺さった。
「うぼぉあっ!?」
シャルフも地面へ叩き落とされ、盛大な土煙を巻き上げた。
リーニエは二人の間へ軽やかに着地する。
汚れた靴底を気にするように、地面へ数度擦りつけた。
「この偉大な最強の師匠に不意打ち。偉くなったね、弟子」
「ぐっ……相変わらず、容赦がねぇ……」
地中から這い出したヴィアベルが、頭を押さえながら呻く。
額から血が流れていたが、咄嗟に防御魔法と受け身を組み合わせていたため、命に別状はない。
「実戦形式の訓練にちょうどいいと思ったんでな。身体が鈍らねぇようにしておきたかったんだよ」
「私を訓練相手にした?生意気。続けてあげる。二対一でいいよ」
リーニエの目から光が消えた。
「待て待て。本当に悪かった。俺たちも三週間後の一級試験を受けに来たんだ。ここで、深傷を負う訳にはいかねぇ」
「鍛錬不足。今の蹴りも避けられないようじゃ不合格」
「戦士の試験じゃねぇ、一級魔法使いの試験だ。普通の魔法使いは空中で白兵戦なんてしねぇし、二回も軌道を変えねぇんだよ」
「うだうだ言うな」
「相変わらず言葉が通じねぇ……」
大木の裏で様子を窺っていたシュタルクが、恐る恐る姿を現した。
戦闘が終わったと判断したのか、戦斧を背中へ戻して近づいてくる。
「なぁ、姉ちゃん。知り合いか?」
「一応弟子。北部で軍人してる魔法使い」
リーニエは指を差し、端的に紹介する。
続いてシュタルクを親指で示した。
「これはシュタルク。私の愚弟。ついでに弟子」
ヴィアベルはシュタルクの角のない頭を見た。
次にリーニエの二本角を見て、もう一度シュタルクへ視線を戻す。
シャルフも全く同じ動きをした。
「……はあ?」
二人の声が綺麗に重なる。
弟であり、弟子。しかも明らかに人間だ。
リーニエの家族関係や交友関係が、フルーフを筆頭に軒並み意味不明であることを、二人は長年の付き合いで嫌というほど知っていた。
だが、それにしても説明が足りなさすぎる。
「あー……まあ、そう言うなら、そうなんだろうな」
数秒の沈黙の後、ヴィアベルは考えることを放棄したように頷いた。
リーニエの言動へ一つずつ真意を求めていては、身が持たない。
シャルフも無言で肩を竦める。
「そういうものなのだろう」
「納得すんのかよ……」
困惑するシュタルクをよそに、ヴィアベルは立ち上がって服の土を払った。
そして鋭い目つきで、シュタルクの頭から足元までを観察する。
「……シュタルクだったか。お前、いい面構えしてるな」
ヴィアベルはシュタルクの周囲を一周し、薄く笑う。
足運び、重心、敵の攻撃へ即応するための、無意識に空けている間合い。
それらを見比べた後、断りもなくシュタルクの上腕を掴んだ。
指先で筋肉のつき方と古傷の位置を確かめていく。
「じっとしてろ。別に取って食いやしねぇ」
「すげぇ既視感……。なぁ、魔法使いなのに、戦士のことなんて分かるのか?」
「北じゃ、魔法使いだから後ろで杖を振ってりゃいい、なんて甘い戦場ばかりじゃねぇ。前衛が死ねば、次に前へ出るのは俺たちだ」
シャルフも反対側へ回り、シュタルクの立ち姿を観察した。
「若いが、姿勢に無駄が少ないな。前面に古傷が集中している。大物を相手に、正面から戦い続けたのか?」
「まあ……そんな感じだけど」
「手も見せろ」
ヴィアベルはシュタルクの手を取り、掌を確かめた。
斧を振り続けて硬くなった皮膚。何度潰れ、再生したのかも分からない肉刺。
「こりゃ、ただの戦士じゃねぇな」
「この愚弟は、一応、魔族最強の戦士を倒した。私が保証してあげる」
ヴィアベルとシャルフの表情が変わった。
リーニエの言葉が誇張ではないことを、二人は知っている。
「魔族最強の戦士……リヴァーレか。……あぁ、そうか。お前が例の戦士か」
「伯爵も言ってたけど、『例の』って何だよ!?俺、どういう伝わり方してるんだ!怖ぇよ、姉ちゃん!絶対に噂が独り歩きしてるって!」
ヴィアベルは気にせず、シュタルクの肩を何度か叩いた。
「大したもんだ。その辺の戦士より、遥かに多くの修羅場を潜ってやがる」
「嬉しくねぇ……倒したことは否定しないけどさ。けど、姉ちゃんと一緒だったことは知っておいてくれ」
「そうかよ」
ヴィアベルは肩を竦めた。
その横から、リーニエがヴィアベルの後頭部を平手で叩く。
「ねちねち絡みつくな。気持ち悪い」
「紹介したのは、あんただろうが」
「それとこれは別。馴れ馴れしい」
「本当に意味の分からねぇ師匠だぜ……」
◇◇◇
四人は、そのまま共同で魔物を探すことになった。
ヴィアベルたちが森にいた理由も、リーニエたちと大差はない。
勘を鈍らせないための魔物狩りであり、実戦訓練が目的だ。
もっとも、遠方にリーニエの姿を発見したヴィアベルが、これ幸いと奇襲を仕掛けた時点で、本来の目的は半ば忘れ去られていたのだが。
しばらく足跡を追ったところで、シャルフが膝をついた。
巨大な蹄跡の横にある樹皮へ触れ、付着した黒い欠片を指先で摘まむ。
「外殻の一部だ。右前脚を木へ擦りつけている。古傷か、何かしらの異常があるらしい」
「突進させるなら、そっちへ姿勢を崩せそうだな」
ヴィアベルが答えた直後、木々の向こうで巨大な影が動いた。
「いたぞ。前方八百。例の猪だ」
全長は十メートル近い。
黒褐色の身体を覆う外殻は、鉱石をそのまま切り出したように分厚い。
呼吸するたび、二本の牙の隙間から白い蒸気が噴き出しており、歩くだけで地面が震えた。
「どうする、師匠」
「愚弟にやらせる」
リーニエは近くの岩へ腰掛け、脚を組んだ。
「俺!? フリーレンもフェルンもいないのにか?」
「知らない。この二人にでも頼って」
リーニエはヴィアベルたちへ顎を向ける。
「即席パーティーかよ」
ヴィアベルは呆れながらも、すぐに杖を構えた。
「いいぜ。ちょうど大魔族を殺した戦士の実力が気になってたんだ。シュタルク、簡単な指示以外は好きに動け。後は俺たちが合わせる」
続いてシャルフへ視線を向ける。
「右前脚を狙え。完全に止める必要はない。姿勢だけ崩せ」
「了解した」
「……わかった」
「経験で言えば、俺が隊長として最適だ。異論があるなら聞いてやる。ないなら指示に従え」
ヴィアベルの声色が変わった。
粗野な態度はそのままだが、その視線は既に野獣だけでなく、味方全員の位置を捉えている。
大猪が四人の存在に気づき、前脚で何度も地面を掻く。
土煙が舞い上がり、轟音と共に巨体が突進を開始した。
「来るぞ!」
シャルフが杖を振るう。
周囲の草木から無数の花弁が舞い上がり、大猪の右前脚へ絡みついた。
一枚一枚は薄い花弁にすぎない。
しかし幾重にも重なったそれは強靱な縄となり、外殻の隙間へ食い込みながら脚を内側へ引く。
大猪の巨体が僅かに右へ傾いた。
だが、突進は止まらない。
花弁の縄が一枚ずつ引き千切られていく。
「流石に止まらないか」
「止める必要はねぇ。姿勢を崩せば十分だ」
ヴィアベルは迫り来る巨体を真正面から見据えた。
その視界へと、大猪の全身を収める。
「『
大猪の全身が、見えない鎖に縛られたように硬直した。
それでも完全には止まらない。
突進の勢いだけで地面を削りながら、ヴィアベルへ迫ってくる。
「今だ、シュタルク!右の牙へ叩き込め!」
「指示が大味すぎるだろ!」
シュタルクが地面を蹴った。
一歩で土を爆発させ、二歩目で景色を置き去りにする。
拘束された大猪の真正面へ躍り出ると、巨大な戦斧を大きく振りかぶった。
「おいおい、馬鹿正直に正面から行くのかよ」
ヴィアベルは驚きながらも、防御魔法を構築しつつ後退する。
普通は側面から行くものだと、シャルフも叫ぶ。
「正気か。正面から受け止められる質量でじゃないぞ」
シュタルクの戦斧と、大猪の牙が激突した。
衝撃波が周囲へ吹き荒れ、轟音が轟く。
戦斧を通して、腕から肩へ骨を痺れさせる衝撃が突き抜けた。
シュタルクの足元が沈み、踵が地面を深く抉る。
それでも、一歩も退かない。
右前脚を拘束された大猪の力は、僅かに横へ逃げていた。
シュタルクは傾いた側へさらに踏み込む。
腰を回し、全体重を斧へ乗せ、巨大な刃が右の牙をへし折る。
衝撃はそのまま頭部へ伝わり、鉱石のような外殻に亀裂を走らせた。
亀裂は瞬く間に頭部から胴体へ広がる。
外殻が砕け散る中、戦斧が大猪の頭蓋へ食い込んだ。
シュタルクは雄叫びと共に斧を振り抜き、その巨体を地面へ叩き伏せる。
大地が揺れ、大量の土と落ち葉が舞い上がる。
しばらく脚を痙攣させていた大猪は、やがて完全に動かなくなった。
ヴィアベルは魔法を解き、ゆっくりと杖を下ろす。
「おいおい、いったい、どんな怪力してやがんだ……」
「し、死ぬかと思ったぜ……」
シュタルクは痺れる腕を振りながら、リーニエを振り返った。
「姉ちゃん、どうだった?」
「まあまあ。七十点」
「そろそろ満点くれよ……」
◇◇◇
討伐した大猪は、その場で解体することになった。
シュタルクが戦斧の背で外殻を割り、シャルフが魔法で巨体を固定する。
その間にリーニエはナイフを外殻と肉の境目へ走らせた。
切り口から、濃い獣脂の匂いが立ち上る。
「意外だぜ。料理なんてできたのか」
ヴィアベルが感心したように言う。
「私を何だと思ってるの?」
「斧を振り回して、万年リンゴ食ってる魔族だろ」
リーニエのナイフが戦斧となり一瞬で、ヴィアベルの首元へ止まった。
「首、刎ねられたいの原始人。私は都会派魔族。簡単な料理くらいできる」
切り分けた肉へ塩と香草を擦り込み、部位ごとに異なる太さの枝へ刺していく。
脂の多い肉は高い位置へ、赤身はやや火へ近く。
表面だけを強火で炙った後は、串を遠ざけて余熱を通す。
滴り落ちた脂も無駄にせず、別の肉へ塗り戻していた。
「肉を火へ放り込むこともしない田舎魔族と一緒にするな」
「都会派魔族ってなんだ……?」
シャルフが魔法で火を起こす。
日が傾く頃には、森の中へ香ばしい匂いが漂っていた。
四人は焚き火を囲み、焼いた肉を食べながらシードルを回し飲みし駄弁る。
頭上では、針葉樹の隙間から赤い夕空が覗いている。
薪が弾けるたび、火の粉が夜の近づく森へ舞い上がった。
シュタルクは、対面に座るヴィアベルたちへ視線を向ける。
「二人は北の魔法隊なんだよな。普段は何をしてるんだ?」
「主に魔族と魔物の討伐だ。必要なら人間とも戦う。村の防衛、街道の確保、避難民の護衛。金を出す奴がいりゃ、そいつの為に動くこともある。軍人なんでな、基本上からの命令が絶対だ」
「大変そうだな。二級魔法使いなんだろ?楽な仕事なんて、他にいくらでもあるんじゃないのか?」
ヴィアベルは肉を噛み切り、シードルで流し込んだ。
「やらなきゃ、俺の後ろにいる奴らが死ぬからだ。言っとくが、義務感とか正義のため、そんな御大層な理由じゃねぇぞ」
焚き火の中で、薪が音を立てて弾けた。
ヴィアベルは炎を見つめながら続ける。
「ガキの頃、好きだった女に約束した。それだけが理由じゃねぇが……きっかけなんて、そんなもんだ」
「好きな人か……」
「馬鹿みてぇな話だろ。向こうは約束なんざ忘れてるかもしれねぇ」
その言葉とは裏腹に、自嘲の色はなかった。
ヴィアベルは笑い、空になった瓶の口を親指でなぞる。
その目だけは焚き火ではなく、もっと遠い北の故郷を見ているようだった。
「それでも、あいつが帰りたいと思った時、帰れる場所を残しておきてぇ」
ヴィアベルは足元の枝を拾い、焚き火へ放り込んだ。
「戦う理由なんて、そんなもんでいい。世界平和だの、人類の未来だの、でかい言葉を背負う必要はねぇ。目の前の奴を死なせたくない。帰ってくる場所を残したい。約束を破りたくない。それだけで十分だろ」
「……ヴィアベル。あんた、見た目よりいい奴なんだな」
「俺は善人じゃねぇ。いつだって、自分の都合で動いてるだけだ」
「その感じ、少しフルーフさんに似てるな」
シュタルク本人としては褒めているつもりだが、その何気ない一言で、ヴィアベルの笑顔が消えた。
「……おい。こいつ、殴っていいか?」
「愚弟を勝手に殴るな。拳が砕ける」
「そういう問題じゃねぇんだよ……」
◇◇◇
食事を終えた四人は、暗くなる前にオイサーストへ戻ることにした。
ヴィアベルとシャルフは梢の上へ浮かび、飛行魔法で街の方角を目指す。
リーニエはその真下を、枝から枝へ軽やかに駆けた。
シュタルクだけは地面を走り、藪も倒木も構わず正面から踏み越えていく。
「そういえば、ヴィアベル。師匠は、なぜ一級試験の開催地にいるんだ?」
「そりゃ、こんな場所に来てんだ。一級魔法試験が目当てだろ。下の二人は戦士だ、必然的に連れが参加してくるんだろうよ」
「まさか、あの二人か?……はぁ、波乱の予感だな……。死なないように気をつけるか……」
やがてリーニエが、跳ね回るのに飽きたのか、地面へ降りてきた。
そのままシュタルクの隣を走り始める。
シュタルクは忙しない姉を横目で見た後、少しだけ表情を引き締めた。
「なぁ、姉ちゃん。ちょっといいか」
「何?フェルンを番にして、私の農園へ永住する話?子供は何人?」
「なんだよ、その話!?どこから出てきた!」
リー二エからぶっこまれる変化球に出鼻を挫きかけるが、シュタルクは息を整え、気を取り直す。
「前に言ってただろ。命の張りどころを見極めろって」
「言ったかも」
「俺はずっと、前に立って攻撃を受ければ守れると思ってた。だけど、それだけじゃ駄目だ。俺が倒れなくても、敵を止められなきゃ、いつか俺の後ろまで攻撃が届くだろ。領主様の前で、あれだけ言っちまった以上、俺も覚悟を決めたい」
シュタルクは走りながら、背負った戦斧の柄を握る。
リーニエは前を見たまま、黙って聞いている。
「俺は丈夫だ。大抵の攻撃なら耐えられる。けど、格上や大人数を確実に仕留める切り札がない。フリーレンやフェルンを狙われたら、対応しきれねぇ」
シュタルクは一度、唇を噛んだ。
「愚弟は耐えて殴り返すのが得意。格上を仕留める切り札がないのは、最初から分かってるでしょ」
「あぁ、でもそれじゃ駄目だ。命を張るだけじゃなく、その命で勝ち切れる力が欲しい」
シュタルクはリーニエを真っ直ぐに見た。
「だから姉ちゃん。俺に力を貸してくれ」
リーニエは返事をしなかった。
二人の足音だけが、夕暮れの森を進んでいく。
やがて彼女は、走りながらシュタルクの横顔を見た。
「愚弟。そこまで言うなら、死ぬ覚悟はある?」
シュタルクはすぐには答えなかった。
怖くないと言えば嘘になる。死ぬことは怖い。
これからも、フェルンやフリーレンと旅を続けたい。
アイゼンやリーニエ、シュトルツや父親とも……まだ話したいことがある。
「覚悟があるかは、分からない。死ぬのは怖ぇよ、できるなら絶対に死にたくない」
「……」
「それでも、俺が死ななきゃ守れない瞬間が来たら、その時は逃げないって言える。守りたいものを守り通せるなら、最後に倒れたっていい」
リーニエは前へ向き直って、すぐには答えない。
死にたくないと言いながら、それでも守りたいもののためなら逃げない。
その矛盾を抱えた目は、かつてリヴァーレへ立ち向かった時と同じだった。
リーニエは小さく息を吐いた。
「……いいよ。戦士として、その心意気を買ってあげる」
シュタルクの顔が明るくなる。
「ただし。一度だけ」
リーニエの声音に、普段の軽さはなかった。
シュタルクは息を呑む。
「一度使えば、二度目はない。フルーフでも絶対に間に合わない。それでもいいの?」
僅かな沈黙の後、シュタルクは恐怖を押し殺さず、そのまま頷いた。
リーニエは前を向き、夕闇の迫る森を駆ける。
そして、シュタルクの斧に触れ、淡い光が包む。
暫くその状態が続き、手を離し、一拍を置き告げる。
「愚弟。本当に命を張るべき時が来たら、こう唱えろ――」
リーニエは「これもあげる」と呟き、指から指輪を外すと、シュタルクに向かって投げ渡す。
ダイヤルのような、回転機構のついたリングをマジマジと見つめ、握りしめた。
「お前は絶対に死ぬけど。精々気合を入れて死になよ」