ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。 作:ごすろじ
感謝感激でモチベが湧いたので、ドバ餓鬼である作者は続きを投稿します。
翌朝。魔力が回復し、心身ともに十分な休息を得たパーティーは二手に分かれ、決められた巡回ルートを進んで隕鉄鳥の捕獲へと踏み出した。
事前の調査も功を奏し、捕獲は順調に進んだ。
ヴィアベルは隕鉄鳥を魔法で捕縛していく。
羽ばたきひとつで音速に届く小鳥だ。一羽を捉えるたび、拘束に驚いた残りが四方へ散り、他へ逃げられる羽目になったものの、根気強く追い込み、午後になる頃には三羽を確保した。
フリーレンはアウラに習った方法を試し、難なく捕獲する。
隕鉄鳥が好む特定の魔力の波長を指笛の音に乗せ、警戒心を緩めて近づいてきたところを、そっと魔法で包み込むように捕縛したのだ。
アウラ自慢でドヤるフリーレンに、フェルンが「え、それ魔法なんですか?」とツッコミを入れる。
「魔力を使ってるから魔法だよ」というなんとも言えない一幕はあったものの、無事、一次試験の合格条件を満たすことに成功した。
合流地点である濁った湖へ集合し、あとは日没を待つばかりとなる。
全員が思い思いに時間を潰す中、フリーレンは一人、湖の対岸を見つめていた。
昨日まで炎上していた森林が、今では灰と炭の焼け野原と化している。
燃えるものを燃やし尽くしたのか、火の粉一つ見当たらない。
だが焦げた木の匂いはまだ濃く鼻に残り、熱を孕んだ風が吹くたび、灰が舞い上がった。
鳥の声も虫の音もなく、遠くで燃え残った炭がぱちりと爆ぜる音だけが、時折届く。
その不自然な静けさが、フリーレンの首筋の毛を逆立たせていた。
この感覚には覚えがあった。
強大な魔族と対峙する直前――殺気とも魔力ともつかぬ気配。
それが今、確かに背筋を這いずり回っていた。
「どうした、フリーレン。何かあるのか」
デンケンが、視線を逸らさないフリーレンへ怪訝そうに尋ねる。
「いや……。なにか、違和感が」
フリーレンは短く答えたきり、対岸から目を離さない。
何もない。だが、言葉では上手く説明できない不快感が、じわじわと肌の下を這っていた。
湖を越えた先に見えるのは、ただ熱気で満たされた大地だけだ。
強いて言えば、蜃気楼で景色がゆらゆらと歪んでいる程度。
キーーーーン、と極小の甲高い音が、フリーレンの鼓膜の奥を撫でた。
あまりに微かで、経験の浅い者であれば単なる耳鳴りとして片付けてしまっただろう。
だがフリーレンの本能は、その音の正体を掴む前に、既に杖へと手を伸ばさせていた。
考えるより先に、不快感の源へ数十発の魔法を叩き込む。
青白い閃光が束となって、一直線に対岸の熱気の中へと飛んでいく。
湖の上、何もないはずの虚空で、その閃光がぱっくりと裂けた。
見えない刃が、飛来した魔法を一発残らず両断したのだ。
フリーレンはギョッと目を見開き、反射でその場から大きく飛び退く。
デンケンたちもそれを皮切りに、一瞬で杖を取り出して散開した。
耳鳴りが限界まで高まったその刹那、フリーレンの耳元で、鈴を転がすような甘い声が囁かれた。
「バレるとは思っていなかったわ」
声は、すぐ真横から聞こえた。
瞬間、背後の木々が轟音を立ててなぎ倒される。
何かが結界に弾かれる甲高い音。
続いて、パシリ、と何かを片手で掴み取るような乾いた音が響いた。
フリーレンは音のした方向へ杖を向け、間髪入れず魔法を放つ。
閃光は、またしても真っ二つに裂けた。
この距離まで近づけば、もう誤魔化しようがない。
不快感の正体は、本能的な嫌悪だった。
嗅ぎ慣れた、うっとうしいまでの死臭。
死と生が入り混じった、喉の奥に絡みつく臭気だ。
「……ソリテール。なんの真似」
その問いかけと共に、糸のようにか細く絞られていた魔力が、ゆっくりと解かれていく。
濃密な魔力が周囲を満たし、蜃気楼のように歪んでいた景色の中から、翡翠色の髪がゆらりと像を結んだ。
その手には、赤黒い脈とチューブが脈動する大剣が握られており、その周囲には、抜き身の優美な剣が幾振りも滞空していた。
「私達だけで楽しんでしまって、悪いと思ったの。退屈な時間を過ごさせるだなんて、申し訳ないわ」
まったく詫びる気配すらなく、笑顔で宣うのはソリテールだった。
どうやら極限まで魔力と姿を隠蔽した状態で、湖の対岸から一直線に突っ込んできたらしい。
もしあのまま棒立ちしていれば、フリーレンは今頃、上半身を失っていただろう。
フリーレンはその巫山戯た言い分に、魔法で返す。
貫通魔法だ。通常であれば物理で防げるものではない。
だがソリテールは、手にした大剣をわずかに射線上へ添えるだけで、その一発をあっさり裂いてみせた。
「私達は今、試験中です。こういったことは後にしてください」
流石のフェルンも今回はソリテールを擁護するつもりはないのか、杖を構え、視線で帰れと訴える。
いつものように「ソリテール様」と呼ばず、他人行儀なフェルンの態度に、ソリテールは首をかしげ、じっとその顔を覗き込んだ。
フェルンは、説明が面倒なのでこっちを見ないでください、と視線で押し返す。
「前にフルーフが言っていたと思うわ。私達はお祭り感覚で参加しているの。だから、私達以外にも楽しんでほしい」
フリーレンとフェルンは、オイサーストへ来る道中でそんなことを言っていたな、と思い出す。
だが、他の受験者たちにとっては何ひとつ意味を成さない言い分だった。
彼らにわかるのは、目の前の存在がたった今フリーレンを本気で殺しかけたこと、そして気色の悪い視線で自分たちを一人ずつ品定めしていること、それだけだ。
フリーレンとの協定がある上で、ここまで本気で殺しに来たとなれば、高確率でフルーフの許可を得ての行動だろう。
蘇生を前提にした、皆殺し。唐突であり、意味不明。
だが、フリーレンを含めた一部の魔法使いたちは熟知していた。
目の前の魔族は、脈絡もなく、こういうことを唐突にやる生き物なのだと。
「で、殺しにきたんだ。フルーフに止められなかったの」
「えぇ、止められたわ。この人数差、フリーレンもいる、だから流石に無理だと。そう言われてしまった。少しだけ傷ついたけれど、許可自体は貰ってあるの。だから……遊びましょう、フリーレン。私達、友達でしょう?」
「死ね」
フリーレンはそれを聞いて、鼻で笑った。
大方、ソリテールが何気なしに尋ね、フルーフがいつもの軽い調子で返したのだろう。
悪い気はしない。フリーレンもそろそろ、本気で一度この魔族を殺してやりたいと思っていたところだ。
フェルンもフリーレンとソリテールを交互に見つめ、両者に一瞬で火がついたことを悟って、静かに杖を構え直した。
「遺言があるなら伝えてあげる」
「無いわ。ただ、フルーフの大事な友達を殺してしまう謝罪は、考えておかないといけないわね」
双方、ぶっ殺す気満々である。
フリーレンの膨れ上がる殺気に呼応し、その場の全員の敵意が、ソリテール一点へと固定された。
「ちょっと、ヴィアベル。なに、あの女。あの自爆した女のパーティーでしょ。巫山戯てるの?」
ソリテールのパーティーメンバーであるフルーフが自爆して死んだと思い込んでいるエーレは、そのトチ狂った発言に呆れ、足元から幾つもの岩を浮かべながら前に出ようとした。
それをヴィアベルが、冷や汗をかいた腕で押し留める。
「おい、前に出るなエーレ。死ぬぞ。ありゃ、完璧に俺等を殺る目だ」
「……そ、そのくらいわかるわよ」
ヴィアベルは油断なく間合いを保ったまま、背後のシャルフへとハンドサインで指示を飛ばす。
足元に花畑が広がり、その花弁が次々と鋼鉄へ硬質化していった。
デンケンのパーティーも隙なく構え、布陣を展開する。
リヒターは魔法をいつでも発動できるよう地面へ手をつき、ラオフェンは腰を落として、いつでも駆け出せる体勢で待機した。
「デンケン、一斉に叩くか?相手の手の内は見えんが、手数で叩きのめせば魔力は削れる」
パキッ、と音を立てて、リヒターの足元から地面が棘のように尖った。
大地を自在に操るリヒターにとって、この場の環境そのものが武器だ。
四方八方からソリテールを串刺しにしようという算段が、その視線から見て取れる。
並の敵であれば、それだけで終わっていただろう。だが残念ながら、相手は並どころではなかった。
デンケンは止めはしないが、迂闊に動くなとだけ諭す。
「リヒター、お前は確かに優秀な魔法使いだが、自惚れがすぎるな。儂らが力任せに飽和攻撃を仕掛けた程度で殺れる相手ではない」
「爺さん……アレ、絶対にヤバい。下手に近づいたら一瞬で殺される」
ラオフェンの声には、隠しきれない怯えが滲んでいた。
得意とする魔法の都合上、彼女はどうしても敵へ肉薄せざるを得ない。
だが、どの角度から攻め込む想定をしても、その先に待っているのは、自分の体のどこかが吹き飛ぶ光景ばかりだった。
フリーレンの側にいたカンネとラヴィーネも、覚悟を決める。
幸い、ここは濁ってはいるが水辺の近くだ。二人の魔法の特性を、十分に活かしきれる。
カンネが湖畔から巨大な水塊を汲み上げ、ラヴィーネがその一部を瞬時に凍らせて操った。
「言ってる意味わかんないけど……向こうがやる気なら、黙ってやられるなんて、私はゴメン」
「そりゃ誰だってゴメンだろ。やるってんなら、こっちもやるだけだ」
メトーデたちも、避けては通れないと悟り、各々が迎撃体制を取る。
連携を組む素振りはなく、各自が自由に動くつもりのようだった。
ソリテールを黙って見つめていたユーベルは、諦めたように杖を肩へ担いだ。
似たような気配がするからと共感を試みようとしたが、まるで通じあえる気がしない。
根っこの部分から完全な別物であり、相容れない生き物だった。
全員が、本能的に悟っていた。話し合ってどうにかなる相手ではない。
断る……と言えば、その言葉が終わる前に殺してきそうな――そんな確信めいた予感があった。
「死に際の言葉は聞けなさそうだけど、魔法使いとのこういうお話は久しぶり。とても、楽しめそう。皆でお祭りを楽しみましょう」
ソリテールが、身の丈に合わぬ大剣を片手で軽々と構えた。
その瞬間が、合図だった。
まず動いたのはリヒターだ。
ソリテールを取り囲む地表が、生き物のように盛り上がった。
次の瞬間、無数の岩の棘が、四方八方から獲物の中心へと殺到する。
石が砕ける乾いた連続音が、間断なく響き渡った。
ほぼ同時に、ヴィアベルの側からエーレの岩の散弾が撃ち出される。
シャルフの鋼鉄化した花弁が、刃の雨となってそれに続いた。硬質な金属音と、空気を裂く鋭い風切り音が幾重にも重なる。
その隙間を縫うように、デンケン、フリーレン、フェルン、メトーデらの放つ貫通魔法が、真っ直ぐな光の線を幾条も走らせた。
閃光が交差し、空間そのものを網の目に織り上げていく。
そして頭上――カンネが湖から汲み上げた水塊を、ラヴィーネが瞬時に凍てつかせた巨大な氷塊が、太陽の光を遮るほどの質量となって、真下のソリテールめがけて落下した。
逃げ場は、どこにもない。
地表からは棘、四方からは散弾と刃、水平には貫通魔法の網、そして頭上からは氷の質量。
あらゆる方向からの攻撃が、寸分の狂いもなく、ソリテールの立っていたただ一点へと収束していく。
轟音。
それらすべてが、またたく間にソリテールの立っていた一点を押し潰した。
地面が陥没し、砕けた岩と氷片が四方へ跳ね飛ぶ。
土煙が濛々と巻き上がり、湖から蒸発した水気と混じり合って、その一角の視界を白く濁らせた。
手応えはない。
だが、これだけの飽和攻撃だ。通常であれば、原形を留めていないはずだった。
誰もが、次の一手のために息を詰める。
――だが、その静寂を裂いたのは、白く濁った土煙の中からではなかった。
バヂヂッ、と何かの激しく弾ける音。
次いで、視界の端を紫色の光が一閃した。あまりに速く、それが軌跡として認識された時には、既に光は消えている。
音も、光も、まるで見当違いの方向から来た。
全員が反射的に、その光の消えた先へと目を向ける。
そこは――ユーベルの背後にいたラントの、真正面。
手を伸ばせば届く至近距離に、大剣を腰だめに構えたソリテールが、涼しい顔で立っていた。
土煙の中に押し潰されたはずの姿は、そこにはない。
あの瞬間、攻撃の全てをすり抜け、無傷のまま、最も無防備だった一人の背後へと回り込んでいた。
誰も、反応できなかった。
ソリテールは振り上げた大剣を、そのままラントの胴体へと横薙ぎに一閃した。
ラントの胴が、上下に断ち切られた。
斬られた断面から血液のすべてが蒸発するように白い煙が噴き上がり、内臓が弾け飛ぶ。
血飛沫は派手だったが、それが痛みも死も伴わぬ紛い物であることを、事情を知る数人は理解していた。
だが、それを知らぬ者たちの喉は、確かに引き攣った。
彼らの目に、明確な殺意と生存本能が宿る。
それを受けるソリテールは、頬に飛んだ血飛沫を掌で拭い、地面へと弾き捨てた。
その掌の肌が、プスプスと煙を上げて焼け焦げている。
吐く息はわずかに黒く、内臓のあたりまで焼けているようだった。
「アインザームの真似をしてみたけれど。少しだけでも死にそうね……これでは駄目か。――生命創生の章『輪廻の光輪』」
その一言と共に、大剣の一部が緑色の光に包まれ、ソリテールの背後に黄金の光輪が現れて、静かに光を放った。
焼け焦げていた全身が、まるで時間を逆再生するかのように塞がっていく。
傷跡ひとつーー焦げひとつ残さずに。
その緑色の光に、見覚えのない者は少なかった。
僧侶が扱う女神様の魔法。魔力が聖典を経由した際にのみ現れる、あの光だ。
女神様の魔法。
その一言が全員の脳裏に同時に浮かび、揃って目を見開かせた。
「『
先程よりさらに強い雷が、ソリテールの体の内側から堰を切ったように溢れ出した
血管を、神経を、骨の髄までを電流が奔る。
皮膚が内側から焼け、青白い光が全身の輪郭を縁取った。
バチバチと肌の焦げる音が絶え間なく続き、口の端からは黒い煙が漏れる。
本来であれば、心臓が停止し、脳が焼き切れ、その場で即座に絶命していておかしくない。
事実、ソリテールの生命は、一度ならず何度も、停止寸前までいきかけていた。
だが、絶命はしない。
死にかけたそばから、背後の光輪が焼き切れた体を再生させる。
また次の瞬間には雷に焼かれて致命に至る。
致命、再生、致命、再生――その往復が、目にも留まらぬ速さで、無限に繰り返されていた。
もはや、生きているとも死んでいるとも言えぬ状態だった。
焼死体と生身。その二つの間を、ソリテールは絶え間なく行き来し続けている。
そして、その全身を貫く雷そのものと、ソリテールは同化していた。
一歩を踏み出すたび、その姿は雷の軌跡と化して掻き消え、少し離れた場所に瞬間的に再出現する。
人間の目では、点と点が瞬いているようにしか捉えられない。
移動ではなく、明滅。雷の速度で、ソリテールは戦場を跳び回っていた。
致命と再生。
その狂気じみたサイクルを一切乱すことなく、ソリテールはなおも、涼しい微笑みを崩さぬまま、次々と放たれる魔法を躱し続けていた。
「おいおい、女神の魔法が使えるとは聞いてねぇぞ……どんだけ手の内隠してんだ」
「いや、それよりも……あれは剣か。初めて見るな」
デンケンとヴィアベル、シャルフやフェルンにとって、ソリテールと戦うのは初めてではない。
だが、これほど多くの魔法を同時に併用した戦い方を見せられたことは、一度もなかった。背中に嫌な汗が伝い、鼓動が急速に速度を上げていく。
ヴィアベルたちが次に放たれる魔法を警戒する一方で、デンケンは生理的な嫌悪を催すプレートのような大剣そのものを警戒した。
だが、エーレはそれ以前に、今まさにソリテールが使用している魔法に対して、異常者を見るような目で驚愕していた。
「ば、馬鹿じゃないの……一体どんなイメージよ」
あの速度、あの軌跡。
雷系統の魔法によるものだろうと予測自体は出来る。
しかし、全身の内部を雷で満たし、焼き尽くしたところで、待っているのは死だけだ。
雷で内部を満たし、雷そのものの速度で動くなど、絶対的にあり得ない。
だが、魔法はイメージの世界だ。出来ると思い描けば、出来てしまう。
手本となるイメージ像が目の前にあれば、なおのこと、思い描いた通りに現実へと反映される。
それでも、普通は出来るはずがなかった。
死んでもおかしくない激痛の渦中で、イメージを一切揺るがせず、動揺の欠片も見せずに行使し続けるなど――あまりに人間性が欠落していなければ、成し得ない芸当だった。
「化物が。つまり人間じゃないということだ」
リヒターが、さらに細かく、より回避不能な岩石の刺突を、地面から無数に繰り出した。
どれだけ速かろうが、回避する隙間そのものを潰してしまえば容易い。
原則、ひとつの高難度魔法と別の魔法の並列行使は、同時に成せるものではない。
脳内でひとつのイメージを強固に保っている限り、別のイメージなど作り出せるものではないからだ。
無理に行おうとすれば、不発に終わるか、魔法の質そのものの減退を招くだけ。
それが基本。魔法使いのセオリーだ。
なまじ優秀なリヒターは、己の経験を通して、それを絶対の法則だと信じ込んでいた。
「一つの魔法の汎用性を極めた、素晴らしい魔法使いね。『
リヒターの魔法に返すのは攻撃でも防御でもない、民間魔法の同時三連発だった。
ひとつひとつは何でもない魔法だが、それらが重なり合うことで効果は重複し、相手のテリトリーそのものを侵す魔法へと変貌する。
迫っていた鋭利な刃が、その根元からぐずぐずと軟化し、ソリテールへ届く前にへたり落ちていく。
リヒターは、常識の外にある光景を前に、完全に呆然とした。
ほんの一度、瞬きをする。
次に目を開けた時には、魔力を凝縮した拳を大きく振りかぶるソリテールの姿が、すぐ目の前にあった。
――こいつ。さっきから戦士のような動きに、僧侶の魔法……魔法使いじゃないのかッ。
そんな思考を最後に、胸に凄まじい衝撃が走った。
拳がめり込む。胸骨を起点に、衝撃が肋骨の外周をぐるりと一周するように奔り、体内のすべての骨が内側から爆ぜるように砕け散った。
声を上げる暇すらない。肺の空気が、砕けた骨とともに口から押し出される。遅れて激痛が脳を焼き、両脚が地面を離れて、体が力なく宙へと投げ出された。
――その、なすすべもなく浮いた空中で。リヒターは背後から迎え撃たれた。
滞空していた大剣が、彼の落下地点を先回りするように殺到したのだ。
一本目が、背後から右肩の付け根を貫き、胸から切っ先を突き出す。
二本目が左の脇腹を、三本目が腿を刺し貫く。
逃げようのない体は、突き立った刃に串刺しにされたまま、地に落ちることすら許されず、宙のただ一点に磔にされた。
手足を、胴を、合計五つの大剣が、深々と縫い止めている。
傷口から溢れた血が、剣の刀身を伝い、切っ先からぼたぼたと地面へ滴った。
リヒターの体が、痙攣ひとつせず、力なく刃に垂れ下がる。
そして、五つの剣が示し合わせたように、ゆっくりと半回転した。
刃が肉を裂き、骨を断つ。
湿った音がいくつも重なり、縫い止められていた体は、その回転に引き裂かれ、もはや人であった原形を保てぬまま幾つもの塊となって、宙でばらばらと散らばった。
血の霧が、赤い虹のように広がる。
リヒターの操っていた地表の棘は、主を失って支えを断たれ、音もなくずるずると崩れ落ち、ただの岩と土へと戻っていった。
ラオフェンは、リヒターの危機に、ソリテールよりも早く魔法で駆け出していた。
だが、駆けた、と思った瞬間には、もう遅かった。
高速で歪む空間を抜けた先、ラオフェンの視界いっぱいに広がったのは、宙で音もなく分解されていくリヒターの死骸だった。
手足が、胴が、四方へ引き裂かれて散っていく。
その凄惨さに、ラオフェンの足がわずかにもつれる。
だが、ここまで接近して、後戻りなどできない。
棍にも似た杖を渾身の力で振るい、ソリテールの側頭部を砕こうとする。
手に伝わってきたのは、焦げた空気の匂いだけを残して掻き消えた残影を撫でる、空虚な感触だった。
「優しく、勇敢ね……『
背後から、耳にへばりつくような甘い声が囁かれた。
ラオフェンは杖を回旋させ、体ごと背後へと撓らせる。しかし、当たらない。
背後に向けた視線の先にあったのは、ソリテールの姿ではなく――リヒターであったものの、成れの果てだった。
血液が撓り、全身が捻れ曲がった、血と肉でできた人間の槍。
それが上空から、まっすぐラオフェンの眼前へと降り注いでいた。
ラオフェンは、それが何であるのかを認識することすらできぬまま、脳天から串刺しにされる。
ピクピクと全身を痙攣させた後、微動だにしなくなり、生命の活動が停止した。
「え……なに。え」
血腥い実戦経験の乏しいエーレは、目の前で立て続けに起きた光景に顔を青ざめさせ、口元を押さえた。
飛び散る血、骨と肉の軋む音、鼻腔を突く生々しい香り。そのすべてが、彼女の思考を一瞬でショートさせる。
俯きかけた顔をなんとか上げる。
だが、その目と鼻の先には、滑るように飛来してくる一振りの剣があった。
エーレ自身にも、わかっていた。
こんな致命的な隙をさらして、無事でいられるはずがないと。
意識だけが異様に研ぎ澄まされ、スローモーションにしか見えない剣を眺めながら――エーレは、あっさりとその生涯を終えた。
地面に、首と胴体が別々に落下する。
生々しい音と共に爆ぜ、血溜まりとなって広がった。
彼女が操っていた岩塊が、支えていた魔力を失い、ぼろぼろと崩れて地面へと帰っていく。
明滅を繰り返し戦場を跳び回るソリテールだったが、その足が、ある一歩を踏み込んだ瞬間――ぴたりと、動きが止まった。
濁った水が、ソリテールの両脚を絡め取っていた。
膝下を分厚く覆い、まとわりつく水。
それは、灰と泥にまみれた地面と見分けのつかぬほど広範囲に薄く這わされていた、ほんの一枚の水の膜だった。
カンネが先刻から、ソリテールに悟られぬよう、地面の起伏へ沿わせて広げておいたものだ。
これだけ派手に動き回っていれば、いつか必ずその上を通過する。その一瞬を、カンネはずっと待っていた。
ソリテールの足が水膜を踏んだ刹那、それまで死んだように広がっていた水が、爆発的に脚へと駆け上がり、絡みついたのだ。
「――ラヴィーネ!」
叫ぶより早く、ラヴィーネの杖が振り下ろされていた。
みしり、と音がする。脚へ絡んだ水が、見る間に白く凍てつき、ソリテールの両脚を太い氷の塊の中へ根元から縫い留めた。
一瞬の隙だ。
ラヴィーネはもう一方の手を天へ突き上げ、掲げていた特大の氷の杭を放った。
巨大な刃が、逃げ場を失ったソリテールめがけ、真上から圧し掛かるように落ちていく。
――獲った。
カンネとラヴィーネの喉が、そう鳴りかけた。
だが、ソリテールは、二人へと場違いなほど穏やかな笑みを向ける。まるで出来の良い生徒を褒めるかのような生暖かい視線。
降ってくる氷塊にも、足に絡む水にも、まるで関心を示さない。ただ、右手の指を軽く立て、それを小さく弾いた。
対処はたった、それだけだった。
周囲に静かに滞空していた無数の大剣が、その合図に応じて一斉に向きを変え、カンネとラヴィーネの二人めがけて、猛烈な速度で飛んでいった。
「あぶね……!?」
「間一髪、かな」
二人はとっさに、体の前へ何重もの防御魔法を展開する。
飛来した大剣は、その障壁をまるで薄紙でも突き破るように、次々と貫通。
何枚重ねようが意味を成さない。だが――剣は、二人の胸へ食い込む寸前で停止した。
防御魔法に挟まった剣が、心臓のすぐ前で前へ進もうとギシギシと金属音を奏でる
冷たい金属の切っ先が、呼吸のたびに上下する胸元へ、あと指一本分まで迫っていた。
障壁を破ってなお、届かなかった。
二人は詰めていた息を、細く長く吐き出す。心臓が、喉元で跳ねていた。冷や汗が背を伝う。
頭上では、ラヴィーネの放った氷の杭が、なおもソリテールへと落下し続けている。
まだ、終わっていない。この隙さえ活きれば――そう思った。
「『
ソリテールが、何気なく、まるで通りすがりに挨拶でもするように、そう呟いた。
たった、そのひと言で。
二人の眼前で止まっていた剣、その切っ先に、黒い点がじわりと滲み出す。
点は瞬く間に膨れ、臨界に達した刹那――極太の閃光となって、真横に解き放たれた。
至近距離。避ける間も、悲鳴を上げる間もない。
閃光は、カンネとラヴィーネの上半身を、肩から上を、そっくり丸ごと消し飛ばした。
骨も、肉も、断面を残す暇さえなく、光に灼かれて掻き消える。焼けた血の匂いすら立ち上らぬほどの、一瞬の消失だった。
二人が支えていたものが、同時にすべてを失う。
カンネが天高くまで汲み上げていた巨大な水柱、ラヴィーネが落下させていた氷塊――術者を失った水と氷は、標的へ届くことすらないまま、宙で行き場をなくし、ばしゃり、ずしゃり、と重い音を立てて、濁った湖面へ崩れ落ちていった。
後に残されたのは、二人分の下半身だけだった。
腰から上を失ったそれらは、糸の切れた操り人形のように、二つ並んでその場に立ち尽くす。
焼き切られた腰の断面から、湯気が細く立ち昇っていた。
やがて片方が、次いでもう片方が、支えを失って前のめりに傾ぎ、どさりと、力なく地へ崩れ落ちた。
崩れ落ちた二人へ、ソリテールは一度だけ一瞥。
別れの挨拶をするかのように手を振りニコリと微笑んだ。
足の氷を蹴り砕くと、空気の爆ぜる音を残し、翡翠の姿は再び雷と化して掻き消える。
その掻き消えた残像めがけて、生き残った者たちの飽和攻撃が容赦なく注ぎ込まれた。
だが、明滅するソリテールを捉えるには、手数があまりにも足りていない。
放たれた魔法のことごとくが、無人の空間を貫き、ただ地面を抉り、木々をなぎ倒すだけに終わった。
そして、軌跡が、次に狙いを定めたのは――メトーデとユーベルの二人だった。
雷速で迫りくるその進路を、二人は真正面から迎え撃つ。
連続する直線機動を先読みし、その動きを絞り込むように、周到に弾幕を張り巡らせて、じわじわと誘導していった。
「ユーベルさん。観察して、わかったことがあります」
メトーデは飛来する刃を紙一重で躱しながら、傍らのユーベルへと語りかけた。
声には、この惨状にそぐわぬほどの落ち着きがある。
「彼女は別段、戦士として強いという訳ではありません。戦士の真似事をしているだけです」
「ふーん。どっちにしろ厄介なことに変わりはないと思うけど」
ユーベルは杖を肩に担いだまま、気のない相槌を打つ。
だが、ソリテールの軌跡を、片時も逃さず魔力感知で追い続けていた。
「大きな違いがあります。彼女は、剣を操作する魔法を得意としているようです。見て下さい――」
再び紫電が二人の間を走り抜け、メトーデとユーベルは左右へ大きく跳んで躱す。
焦げた空気の匂いが、二人の間を通り抜けていった。
「踏み込みの際、足腰の運びと、剣先の軌道が、わずかにずれています。本物の戦士なら、体の中心から剣先までが一本の線で繋がるものです。ですが彼女のそれは、剣が先に動き、身体が後から取り繕うように追従している。要するにあの動きは、剣を操作し、自身はそれらしい挙動を添えているだけ。ならば、剣への魔法を妨害すれば、自ずと動きは止まります」
「いや、私にはそんな動き見えないんだけど……。魔法使いの天敵は戦士だってわかった上で、剣で戦ってた訳だ。相当性格が悪いね」
ユーベルの口の端が、面白がるように吊り上がった。
「ですが、とても有効です。相手が戦士と思い込まされれば、こちらはそれを前提に立ち回らなくてはならなくなる。魔法使いが、戦士の間合いで戦わなければならない。それは、計り知れない心理的重圧を生み出しますから」
言い終えると同時に、メトーデは数度、短く息を吐き、その場で軽く跳んで呼吸を整えた。
狙いは、既に定まっている。あとは、剣に触れる一瞬さえ作れればいい。
その一瞬を、メトーデは自らを差し出し作り出す。
紫電が再び迫る。避けられない、と体は告げていた。
だが被弾を前提に、最小限に抑えることは出来る。
身を捩った一瞬……右肩が丸ごと切り飛ばされた。
鮮血が噴き出し、焼けた断面から白い煙が上がる。
だが、その激痛が脳へ届くよりも早く。
肉が刃に触れた、そのほんの微かな一瞬。剣の制御へと干渉しソリテールの操る大剣の軌道が鈍る。
その刹那をユーベルは、待っていた。
肩を斬られ倒れ込むメトーデの背後から、ユーベルの杖が音もなく振り抜かれる。
不可視の絶対の刃。
それがソリテールの首すじへと、一直線に奔った。
いかにソリテールであろうと、体勢を崩したこの瞬間だけは、回避が間に合わない。
すでに刃は、その白い首元へ到達している。
だが。
ソリテールは、その迫りくる刃の気配を確かに感じ取りながら、迫るユーベルの方へと視線を流し、舌先で弧を描くように自らの唇を舐めた。
逸らすでも、弾くでもない。
それどころか、ソリテールは首を差し出すように、その刃の中へ真っ直ぐ自ら踏み込んできた。
これには、ユーベルも呆然とした。
ソリテールの首が、抵抗ひとつなく、あっさりと切断される。翡翠色の髪が舞い、白い首が宙を舞う。
殺った――そう思ったのは、コンマ数秒。
切り離された首、その下の胸元で。
細い紐に通された赤い石が、パキリと軽い音を立てて割れた。
刹那、紫電が爆ぜる。
走り抜けた雷は、目の前のユーベルを、肩を斬られていたメトーデを、そして少し離れて控えていたパーティーの残る一人までをも、瞬時に舐め尽くす。
ずるり、と。
その場にいたパーティー全員の首が、示し合わせたように、揃ってズレ落ちた。
刃が届いていたのは、確かにこちらだったはずなのに。
斬ったはずのユーベルたちだけが、首を失って崩れ落ちていく。
そして、頭を失ったはずのソリテールが、涼しい顔でそこに立っていた。
いつの間に繋がったのか、その首には、傷ひとつ残っていない。
「ふふ、殺されるとは思わなかった」
そう口にしながら、ソリテールは自身の首筋を指で少し撫で、そこに滲んだ微量の血を拭って、舌先で舐め取る。
一度、確かにその首は落ちたというのに。浮かべた微笑みには、亀裂ひとつ入っていなかった。
その静けさは、この戦場で流れたどの鮮血よりも、見る者の背筋を深く凍てつかせるのだった。
フリーレンは、その一部始終を、上空から底冷えするような視線で見下ろしていた。
フェルンが無数の一般攻撃魔法で、ソリテールの視界を覆い尽くすほどの弾幕を放つ。
だが、当たらない。ソリテールは防御魔法すら展開せず、その全てをスレスレの紙一重で避け続けていた。
「言葉通り、遊んでいるのね。アイツがわざわざあんな自傷を伴う魔法を使う意味はないし、使うような奴でもない。嬲り殺すでもなく、どれも一撃で終わらせてる」
「魔法の実験か何かでしょうか……魔力の消耗が、目に見えて激しいですね。制限しているとはいえ、あれではすぐに底をつくはずです」
死屍累々。
眼下の惨状を前に、遠距離を維持し、視界を捨てて魔力感知のみの迎撃に徹する二人は、表情ひとつ変えず、まるで世間話でもするようにソリテールについて語り合う。
感じるものが、まったくないわけではない。
だが、それで動揺するようなことは微塵もなかった。
要は、慣れているのだ。
常人が見れば嘔吐必至の光景だが、昔からフルーフの気色悪い死に様を数え切れぬほど見続けてきた面々は、その手の耐性が完璧に出来上がっていた。
おまけに、フルーフが背後に控えているという事実が、彼らの生死観を一時的に大きく狂わせている。
この場でのソリテールの行動が、フルーフの蘇生ありきの前提で行われていることを、現状生き残っている面々は、完全に理解していた。
あの性悪が、話もせず、痛めつけもせず、死に際の言葉すら聞こうとしない。
ソリテールの気質と、フルーフの性格。その二つを重ね合わせ、面々の脳裏には、ひとつの結論が浮かんでいた。
――トラウマも、ショックも残さぬよう、一瞬で終わらせる。それが、フルーフから出された条件なのだろう。
そこまで思い至り、生き残った面々は一様に、そこまで二人の関係性について推理できてしまう己の状況に、何とも言えない気分になった。
「魔法の併用、高速切替の連続じゃなくて完全同時。フェルン、あれの種はわかる?防御と飛行みたいな単純なものじゃなくて、かなり高度な術式とイメージで構築される魔法を使っているようだけど、普通なら不可能だ」
「……あの剣ですね。似たものを知っています。女神様の魔法も、恐らくはアレが関係しているんだと思います」
フリーレンの問いに、フェルンはソリテールの手元を見つめた。
視線の先は、あの大剣。初めて見るはずなのに、あの無数のチューブのような連結には、猛烈な既視感があった。
フェルンは、それが自身の持つ黒い杖と同種のものだろうと確信する。
あれは、剣の形をした杖だ。それも、脳の一部を組み込んだ、冒涜的な禁忌の集合体。
術式もイメージも全く異なる魔法を、劣化なく、束ねている。
その異常を支えているのが、あの杖だとすれば、すべての説明がつく。
フェルンの持つ杖も、イメージを必要とせず魔力を流すだけで発動する。やろうと思えば二種程度までなら魔法の併用も可能だ。
だが、それはあくまでフェルン一人のために調整された一品の性能。
応用性という面において、ソリテールの持つ杖は、フェルンのものよりも遥かに上だろう。
連結された脈動する線の数からして、組み込まれた脳の断片は、ひとつやふたつでは済まないはずだ。最悪、数十以上に及ぶ可能性すらあった。
信仰心の欠片もないソリテールが、女神の魔法を使えるとは思えない。
となれば、魔法の並列も、女神の魔法も、すべての起点はあの杖にある。
「そう。ならやっぱり、メトーデがやっていた通り、剣をどうにかしないとだね。堅実な戦い方をしてこないなら、やりようはある」
「わかりました。私はフリーレン様のサポートに回ります。デンケン様とヴィアベル様は、完全に魔力を隠蔽して潜伏していますね。こちらに合わせてくれると思います」
「うん。まぁ、私が何かするまでもないと思うけどね。全員、優秀な魔法使いみたいだし」
視線の先では、一人で自在に浮遊するソリテールの剣から逃げ回り、必死に対処し続けるシャルフの姿があった。
流石はリーニエに扱かれているだけあって、反射神経がよく、とにかく視野が広い。飛来する刃を屈んで躱し、身を捻り、時に鋼鉄の花で受け流す。
「ちょ、ちょぉー……!? 俺一人で無理に決まって――」
その悲鳴じみた一言を最後に、シャルフは、いつの間にか間合いへ踏み込んでいたソリテールに、掌で頬を張られた。
ゴキッ、と鈍く首の折れる音が木霊する。
シャルフは白目を剥き、口から泡を吹いて、そのまま前のめりに倒れて絶命した。
死に様としては、この場で最もマシな部類だっただろう。
うつ伏せに倒れ伏したその体の、首だけが、あり得ない角度で天を仰いでいた。
その時、茂みを蹴り、森林の陰から飛び出した影があった。
ヴィアベルだ。
タイミングを見計らい、完全にソリテールを視界へと捉える。
「よくやったシャルフ。『
魔法の光輪がソリテールを絡め取り、身動きひとつ取れなくさせる。
だが――この魔法は、彼女にとって既知のものだった。とうの昔に、完全に解析し終えている。
一秒後には、光の輪はポロポロと端から崩れ、あっさりと崩壊していった。
「ハッ、秒で解除しやがって。こっちの手の内がバレてる以上に、殺りづれぇもんはねぇなッ」
剣が動き、それに追従するようにソリテールの全身が捻られ、斬撃の初動へと入る。
ヴィアベルの頬に、つう、と冷や汗が伝った。だが、それよりも早く、上空から声が降ってきた。
「ヴィアベル。後はこちらに任せろ。『心と体が入れ替わる魔法』」
瞬間、ソリテールの視界が、青空一面に切り替わった。
それも、下が空で、上が地面。
ソリテールは、即座に状況を理解した。
精神を入れ替える魔法。今、自分は慣れないデンケンの体に入れられ、魔力は最小限まで抑え込まれている。その上、地面との衝突まで、残りわずか数秒。
「ふふ、デンケン。頭が可怪しいのかしら。このままではこの体が死んでしまうわ」
「ぐふぅ……ふん、お前にだけは言われたくはない。ほれ、さっさと解析してみたらどうだ」
地表を見上げれば、ソリテールの体に入ったデンケンが、偏屈そうな笑みを浮かべて鼻で笑っていた。
デンケンの意識は、今にも激痛に飛びかけるソリテールの体を必死に動かし、忌々しげに大剣を投げ捨てて、湖の中へと沈める。
「楽しいわ」
衝突まで、残り数秒。
この体で死ねば、精神も共に死ぬ。すなわち、負けだ。
ソリテールは、デンケンの体のまま笑みを浮かべ、静かに目を瞑った。
解析、解除、術式の逆転。
民間魔法の解除ごときに手間取るような要素は、ソリテールという魔族には存在し得ない。
瞑っていた目を見開くと、そこには先程と同じ景色、同じ感覚が戻っていた。
手元に剣はないが、周囲に滞空する無数の剣は、いまだ健在だった。
ヴィアベルと、落下してくるデンケンへ向け、刃が旋回する。
空を裂き、規則正しく隊列を組む刃の羽根。
それらが二人へと殺到する。だが、遠方から無数の閃光が煌めき、その刃のすべてを、一瞬で撃ち落とした。
剣が地面へ、木々へと突き刺さっていく。
この速射、この精密性。ソリテールは弟子の成長を確かに実感し、口の端に笑みを浮かべた。
互いが粒のように見える距離の中、フェルンとソリテールの視線が確かに交差する。
だが次の瞬間には、その視界が白一色に塗りつぶされた。
ソリテールの眼前に、いつの間にか杖を構えたフリーレンが現れ、魔力を凄まじい密度で集約させていたのだ。
「無粋ねフリーレン。感慨や余韻という感情を知らないの?一度学んでみることを勧めるわ」
「知ってる。お前を殺したあと、堪能させてもらうから」
魔法陣が回転し、眩く光り輝いていく。
皮肉なのか、本音なのか判然としないやり取りを交わし、二人は同時に笑みを浮かべた。
ソリテールは、制限していた魔力を一気に解放する。
その密度を極限まで圧縮し、身の回りに天然の魔力防壁を構築した。
「儂のことは忘れたか、ソリテール。これで終わりだ」
「我慢比べがしたきゃ、付き合ってやるよ」
落下していたはずのデンケンが、逆さのまま空中でピタリと静止し、杖を向ける。
ヴィアベルは、ソリテールの脇腹へと杖先を突きつけていた。
どちらも、既に発射体勢に入っている。
この超至近距離で、魔力が尽きるまで撃ち続けるつもりなのだろう。
ソリテールの掌が、フリーレンの頭部を狙って伸ばされる。
四人分の魔力が、それぞれの形を成し、放たれようとした――
その、四人が衝突する寸前だった。
「申し訳ありませーーーん皆さん! そろそろ蘇生リミットです!!」
遠くから、場違いなほど呑気な声が聞こえ、何かが高速で空を飛来した。
女の死体だった。
その場の全員が、ほとんど反射的に「フルーフ」という名を紡ごうとした、まさにその刹那――飛来した死体が、黄金色に発光する。
破裂音が鼓膜を叩き、生温い衝撃波が、その場にいた全員の身体を宙へと攫った。
威力こそ、ほとんどないが、肌を撫でる熱と鼻をつく血の焦げた臭いだけは、まぎれもなく本物だった。
臨界寸前で拮抗していた四人を、まとめて吹き飛ばすには、十分すぎる一撃だった。
決着は、全員を巻き込む小さなキノコ雲とともに、あっけなく終わった。
それを、少し離れた場所から見ていたフェルンは、目を据わらせ、湖の水面を全力で駆けてくるフルーフの姿を見つけた。
間髪入れず、その足元へと杖を向け、無言で魔法を放つ。
水面が勢いよく爆ぜ、フルーフは盛大に吹き飛んだ。
「……はぁ~~~~~~……」
遠くから叫び声が聞こえる中、フェルンは腹の底から重い溜息をひとつ吐くと、そっぽを向いて、ゆっくりと地表へ降りていった。