ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。   作:ごすろじ

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本来は初期プロット的には、オイサースト側も色々やる予定となっていたんですが、これ以上話しを膨らませるのもどうかと思うので、ほぼ全カットで畳んでいきます。


▼第76話▶嵐の前

 

 

雲の海を泳ぐ龍の背で、ソリテールは仰向けに寝かされていた。

 

 

巨躯がうねる度、鱗の平面が緩やかに持ち上がり、また沈む。

船底に似た上下動が、折れた肋へ一定の間隔で痛みを送り込んでくる。

 

 

高度の風は刃のように冷たく、それでいて鱗の下からは炉のような熱が伝わってきた。

冷気と体温に挟まれ、傷口だけが妙な熱を持っている。

 

 

周囲は白一色。

時折、雲の切れ間から遠い地表の緑が覗いては、すぐに霧へ塗り潰されていった。

 

 

その上で、アウラがソリテールの傷を処置している。

 

傍らに広げられた応急バッグから、縫合針と糸が抜き出された。

 

 

「リーニエ。針を消毒しておきなさい」

 

 

押し付けられたランプの火へ、リーニエが億劫そうに針先をかざす。

鉄が焼け、焦げた油の匂いが薄く立ち上がった。

 

 

その間に、アインザームが指先から細い水流を落としていく。

乾いて張り付いた血が溶け、鱗の溝を伝って赤い筋が流れ落ちる。

 

洗い終えた患部へ霧が一撫でし、幻影が全身の感覚を鈍く塗り潰した。

 

 

痛覚が遠のいた隙に、アウラの手が動く。

 

眼球は既に使い物にならないと判断し、器具をねじ込み摘出する。

完全に切り離し、破棄。ドロリと裂けた眼球が風に乗って、地表に消えていく。

 

続いて腿の穴、脇腹と右目に走る裂傷への処置。

糸が肉を引く感触だけが、麻痺の底で鈍く伝わってきた。

 

 

縫い終えた箇所をアインザームが女神の魔法で癒着させ、最後にアウラが火傷へ軟膏を塗り込み、清潔な布地を巻き付けていく。

薬草の青臭さが、血の鉄錆と混ざって鼻先へ残った。

 

 

淀みなく処置を終えたアウラへ、ソリテールは満足げに頷く。

魔王軍時代、死者の軍勢をフローラルな香り漂うゾンビ騎士団へ仕立て上げていただけあって、その手際は流石のものだった。

 

 

「流石は聖女アウラ。私の義娘ね」

 

「口も縫ってやろうかしら」

 

 

喧嘩を売っているのかコイツは――そう言いたげに、アウラの口角が引き攣れた。

アウラの右手からギチギチと指の関節を鳴らす音が、聞こえてくる。

 

 

その後ろで、見張りに立っていた南の勇者が、ソリテールの聖女呼びに同意するように、うんうんと深く頷いていた。

 

 

だが、今のソリテールは文字通り瀕死だ。

アウラは握り込んだ拳をゆっくりと解き、ソリテールの胸元をまさぐる。

 

 

「ソリテール、アンタ赤石もってないじゃない。使ったの?リーニエか私のを使うしかないわね」

 

 

死を一度限り回避出来る保険の石だが、瀕死時に飲み下すことによって蘇生レベルの回復も可能だ。

落ちた腕や欠損した眼球まで再生するかは未知数だが、少なくとも回復に要する時間は大幅に短縮出来る。

 

 

アウラがリーニエへ視線を向ける。

 

 

リーニエは無言で胸元の石を両手で握り込み、そのまま踵を返して背を向けた。

丸まった背中が、誰が渡すか、という圧をびりびりと発している。

 

 

視線だけの睨み合いが数秒。

アウラは仕方ないとばかりに、自身の石を取り出した。

 

 

「いえ、いいわ。傷は残しておいて」

 

だが、口元へ近づけられた石を、ソリテールは唇を噤んで飲み込まない。

 

「はぁ……痛くないわけじゃないんだから、何を意地張ってんのよ」

 

「動けなくなると困るわ。今、それを飲むと動けなくなる。それは駄目」

 

 

ソリテールの精神は、現状絶妙なバランスで成り立っていた。  

死を間近に感じる恐怖、絶対強者を前にした萎縮。それらにより本能が怯え縮こまっている。

 

 

腹の底が冷え、呼吸は浅く、逃げろとだけ繰り返す声が骨の内側で鳴り続けていた。

 

 

だが、動ける。

 

これをある種の興奮状態だと、ソリテールは仮定している。  

手負いの獣が抱える復讐心。仕返しをせずにはいられない執着心。  

 

 

傷口と喪失感がそれらをより引き立たせ、生存本能と狩猟本能のようなものがせめぎ合っているのではないか。

 

 

勿論確証などないが、此処で緊張を解くような真似は得策では無いことを、ソリテールは直感で悟っていた。  

少なくとも、この状況が続く限りは動けるのだから、それだけでも重傷のまま留まる価値はあった。

 

 

やるべきことはそれ程多くはない。実質的に一つ、二つ程度だ。

 

 

これから始めることなど、何もない。  

半年後と宣言したが、ソリテールは今後の半年を全て回復に専念するつもりだった。

 

 

アウラはジッとソリテールを見た後、諦めたように石を胸元へ戻す。

 

 

「まったく、意味わからないわね。アンタの精神状態って本当に可怪しいんだから」

 

「アインザーム、アレ持ってるでしょ。とりあえず、魔力だけでも回復させとくわよ」

 

 

代わりに、アインザームへ掌を向けて催促する。

アインザームは自身の体内から布包を取り出し、紐をほどいて広げた。

 

 

そこには長く赤い結晶が束になって収められている。

こちらもフルーフが作り出した石の一つだ。蘇生する機能こそないが、瞬間的に魔力を回復させることが出来る代物である。

 

 

アインザームはそれを二本摘み、手渡した。

 

 

『二本だ、それ以上打てん。魔力が汚染される』

 

「合併症の話でしょ、心得てるから安心して。全快までは期待していないわ。コイツ自身治す気がなさそうだし」

 

 

アウラは結晶を握り直し、ソリテールの胸元へ突き立てる。

 

出血はない。赤い結晶は肉へ吸い付くように沈み、輪郭を失いながら溶けていく。

 

 

直後、冷えた水を血管へ流し込まれたような感覚が胸から広がった。

指先まで届いた頃には、それは芯を持った熱へ変わっていく。

 

 

空になっていた器が、外側から押し広げられて満たされていく。

渇きが引いていく感覚と、内臓を掌で押し上げられるような圧が同時に来た。

 

 

二本目が打たれ、第二の処置が終わる。

アインザームは残りを布へ包み直し、紐を結ぶ。

 

 

「出血による魔力流出と、枯渇寸前だった魔力への処置は終わり。後はアンタが自力で治しなさい」

 

「流石はフルーフの娘ね」

 

「それは否定しないわ」

 

 

アウラは顎を僅かに上げ、当然だと言うように胸を張った。

ソリテールは怪訝な表情を浮かべる。

 

 

同じ親であるはずなのに、どうして父親に相当する自身への当たりは、これほど冷たいのか。

思考が絡まっていく。

 

やはり年頃の娘の思考は父親には難しい。書物に書いてあった通りである。

 

 

「ツルギはどうしたの?」

 

「リーニエから連絡を貰った後、先ず鳥類の魔物で関所の結界を海面から迂回して街に戻って貰ったわ」

 

「それはよかった。私達も街に戻りましょう」

 

 

アウラも南の勇者も、色々と説明が欲しい状況ではあった。

だが、ソリテールは安静にしていなければならない。

 

 

今も気管に血が溜まっており、時々咳へ血が交じる。

無理に聞き出すことは出来なかった。

 

 

アインザームは龍の鱗を片手で掴んだまま、ただ遠くを見ていた。

何かに思いを馳せるその面持ちへ、ソリテールは声をかける。

 

 

「……アインザーム。あの中身を視たの?」

 

 

アインザームがソリテールを見る。

眼窩の暗闇で揺れる夕日色の光は、悟ったように静かに凪いでいた。

 

中身が何を指しているかなど、態々口にするまでもない。

 

 

『全てではない。だが……私が私として成すべきことだけは理解出来た。ソリテール、汝は……嫌という程理解しているのだな』

 

「私のことは、私が一番よくわかっているわ。……何を考えるかもね。だけど、その記憶は後で共有して欲しいわ」

 

『当然だ。……これは権利ではない、義務だ。我々にはそれを知る義務がある』

 

 

それっきり、アインザームは再び遠くを見つめた。

 

龍のうねりに合わせて霧の輪郭が揺らぎ、身体そのものが半分ほど薄れかける。

終わりを悟った老人のように、朽ちゆく枯れ木のように、ただ静かに佇んでいる。

 

 

ソリテールはそれ以上何も問わず、視線を白い空へ戻した。

やがて、リーニエへ声をかける。

 

 

「リーニエ、通信機は持ってきてる?」

 

「持ってきた。フルーフが貴重品だって煩かったし」

 

 

リーニエが、不自然に膨らんだスカートのポケットへ手を突っ込む。

取り出されたのは、掌へ収まる大きさの魔道具が二つ。

 

 

金属の外殻には細かな術式が刻まれ、角の塗装は擦れて下地が覗いている。

魔王軍との戦争時、最前線の少数の指揮官が所持していた貴重品。帝国が遺した、数少ない長距離通信を可能とする魔道具の完動品だ。

 

 

「フリーレンとデンケンに繋がるものね。他は?」

 

「二つが限界だった。全部池に沈めといたけど」

 

 

もう入手出来ない帝国の遺産が、池の底で泥を被っている。

ソリテールは軽く目を瞑った。眉間に、深い皺が寄る。

 

この魔道具には、複製対策が施されており、中を解析しようとすれば自壊するのだ……つまり量産は出来ない。

今では、フルーフが昔火事場泥棒で集めた分が現存する全てだった。

 

 

ヴィアベル宛も欲しかったところだが……それでも、必要量としては十分だ。

二、三回やり取りが出来れば、それでいい。

 

 

「……大丈夫。これでも十分」

 

龍の鼻先へ立って進路を命じていたアウラが、鱗を踏み鳴らしながら戻ってくる。

 

「帰るにしても、最短で一週間を超えそうだわ。異論はある?」

 

「無い。急いでいないから、リンドブルムを無理に飛ばさなくていいわ」

 

 

本当に、急ぐ意味など無かった。

なんならゆっくりでも全然構わないのだ。それ程、ソリテールにはこれからやることがなかった。

 

 

「ゼーリエや怪我については大体予想できるからいいけど……他についての説明はいつしてくれるのかしらねぇ?」

 

「大事なことだから、ミリアルデとツルギも集めてするわ。私もアインザームから色々と見せて貰わないといけないものが多そうなの」

 

 

ソリテールの視線に釣られて、アウラもアインザームを見る。

彼は何を発することもなく、静かに頷いた。

 

リーニエは……いつの間にか、横になって寝ていた。

風音に混じっていびきが聞こえてくる爆睡具合だ。

 

 

「わかったわ」

 

アウラはそれだけ口にすると、再び前の方へと歩いていく。

 

「ところでアウラ、仕事はクビになったの?」

 

 

まるで、父親と娘の世間話。

ピキリと額へ筋を浮かべたアウラが、振り返って否定する。

 

 

「なに、心配するお母さんみたいな、下らないこと聞いてるのよ。伯爵には事情を話して長めの休暇を貰ったわ。南の勇者も合わせてね。しょうもないことを言わず寝てなさい」

 

 

何を失礼なことを聞いてくるのか、この社会不適合者。

そんな言葉が透けて聞こえてくるような声色だった。

 

 

ソリテールは、ふふ、と短く笑って目を閉じた。

 

 

龍の呼吸に合わせて、鱗の床が緩やかに上下している。

薄い風の音。遠くで交わされる誰かの声。リーニエの寝息。

 

 

それらの輪郭が一つずつ朧気となり、遠ざかっていく。

 

 

極限状態の瀕死だったこともあり、身体は抵抗もしない。

意識は一呼吸のうちに、白い雲の底へ沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

――魔法都市オイサースト。

 

 

試験官不在という異例の中断を挟んだ第二次試験だったが、半刻も経たぬうちにゼンゼが零落の王墓へ戻り、試験は再開された。

 

 

もっとも、迷宮の主は既にソリテールによって殺され、複製体も残らず消え失せている。

零落の王墓が未踏破迷宮として恐れられていた理由は、もう何一つ残っていなかった。

 

今やそこは、最深部への道を阻むもののない、ただの遺跡に等しい。

 

 

最大の障害が失われた以上、残る受験者たちが最深部へ到達するまで、そう長い時間はかからなかった。

ゼンゼは迷宮の損傷と、最深部へ集まった受験者たちを順に確認する。

 

 

「経緯がどうあれ、到達条件は満たされている」

 

髪や衣服に積もった砂塵を払いながら、彼女は淡々と告げた。

 

「第二次試験は、全員合格だ」

 

 

こうして第二次試験は終了した。

 

それから数日後。

最終試験を目前に控えたゼーリエは、終始上機嫌だった。

 

 

無論、表情そのものは普段とほとんど変わらない。

相変わらずの仏頂面で、部下へ向ける言葉も淡泊だった。

 

 

ただ、長く仕えている者には、その理由まで察しがついた。

零落の王墓の外で起きた戦い――それが一端だった。

 

 

あの日。ソリテールたちを乗せた龍が戦場から十分に離れた後、ゼーリエは周囲の魔法使いたちを退かせた。

その場に残ったのは、ゼーリエと、黒い布地に覆われた異形の怪物だけだった。

 

 

対峙した瞬間から、空気は魔力に軋んでいく。

怪物の魔力は単純な総量だけならば、ゼーリエさえ軽く上回るほどの規模だった。

 

 

ゼーリエの放つ魔法が森を薙ぎ、大地を抉る。

対する異形の炎は土壌を融かし、単純な魔法一本で全てを飲み込む。

 

 

魔法が衝突するたび、大気が破裂する。

光と熱が森林を押し倒し、地面へ刻まれた亀裂は数百メートル先まで伸びていった。

 

 

弾け飛んだ岩石は空中で砕かれ、さらに細かな砂となって雨のように降り注ぐ。

 

 

戦いの最中、ゼーリエは常に笑っていた。

異形の目的が、ソリテールたちを逃がすための時間稼ぎに過ぎないことは、戦い始めてすぐに理解していた。

 

 

そこに勝利への執着はない。ゼーリエを倒そうとする意志もない。

ただ一歩も退かず、進路を塞ぎ、必要な時間だけを稼いでいる。

 

 

事実、龍の魔力反応が十分に遠ざかると、異形は追撃を試みることなく姿を消した。

 

 

実に潔い引き際だった。

まるで、この戦いに何の感慨も抱いていないと言わんばかりに。

 

 

だが、ゼーリエにとっては違った。

数千年もの間、彼女は常に迎え撃つ側だったのだ。

 

 

挑戦者を待つ者であって、自ら挑む側へ立つことなどなかった。

そのゼーリエが、久方ぶりに挑戦者となった。

 

 

一手を誤れば死ぬ。

見誤れば、自分の命が奪われる。

 

 

忘れていた緊張と高揚は、戦いから数日が過ぎても消えなかった。

指先には、今も魔法を撃ち合った感触が残っている。

 

 

思い返すたび、心臓が僅かに速く脈打った。

 

 

誰の目にも明らかなほどではない。

それでも、纏う空気が僅かに緩んでいると気取られる程度には、ゼーリエの機嫌はよかった。

 

 

そんな中、ゼーリエはフルーフに関する情報を集め始めていた。

 

呼び出されたのは、第一次試験へ参加していた二級魔法使いエーデル。

 

 

試験にこそ落ちたものの、彼女は精神操作魔法を生業とする一族の出身であり、精神魔法の専門家だった。

他者の記憶へ触れ、その精神構造を読み取る技量に疑いの余地はない。

 

 

ゼーリエはエーデルを、人目につかない一室へ連れていった。

 

窓のない部屋。

 

淡い魔法灯の下、フルーフは拘束されたまま寝台へ横たわっている。

意識があるのかどうかも判別できないほど微動だにせず、胸元が僅かに上下する様子だけが、辛うじて生命の存在を示していた。

 

 

「こやつの記憶を読めばよいのじゃな」

 

「そうだ。深入りするな。分かる範囲だけでいい」

 

 

ゼーリエは短く答える。

エーデルは寝台の横へ椅子を置き、フルーフの額へ指先を触れた。

 

 

精神へ干渉する際の抵抗はない。

精神防壁も、記憶を守るための魔法も感じられなかった。

 

 

それにもかかわらず、触れた瞬間、エーデルの身体は大きく跳ねた。

 

見開かれた瞳から焦点が消える。

 

指先をフルーフの額へ触れたまま硬直し、次いで糸の切れた人形のように床へ崩れ落ちた。

 

 

そのまま、エーデルは三日三晩目を覚まさなかった。

意識を取り戻したのは、最終試験が始まる直前のことだった。

 

 

「――ッ、ぅえ……!」

 

 

目覚めた途端、寝台の脇から身を乗り出し、胃の中身をすべて吐き出した。

三日間眠り続けた身体は重く、喉は乾き切っている。それでも吐き気は止まらない。

 

 

胃が空になり、胃液さえ出なくなっても、喉を痙攣させながら何度もえずき続ける。

血の気を失った顔には脂汗が滲み、指先は自分のものではないように震えていた。

 

 

エーデルは顔を上げることもできないまま、激しく首を横へ振る。

 

 

「あんな……記憶を読むなど……二度と御免じゃ……」

 

 

声には、深い恐怖が刻まれていた。

精神魔法の専門家である彼女が、他人の記憶へ触れることそのものを拒絶するほどの何かを見たのだろう。

 

 

「何が分かった」

 

エーデルは震える息を整え、途切れ途切れに答えた。

 

「ソリテールは……必ず来るじゃろうな」

 

そこだけは、断言できるらしい。

 

「何を犠牲にしてでも、取り返しに来る。あれは……そういう魔族じゃ。まるで蛇のように執念深い」

 

「異形の姿はあったか」

 

「読めたのは、膨大な記憶のうち直近百年ほど。それも、断片的なものだけじゃ……」

 

 

エーデルが読み取れたのは、フルーフの膨大な記憶のうちの断片に過ぎない。

その範囲では、ゼーリエを上回るほどの魔力量を持つ異形の存在は確認できなかった。

 

 

「言っていた特徴の存在は、見えなかった。少なくとも、触れられた記憶の中には……おらん」

 

 

それ以上、エーデルは何も語らなかった。

何を見たのかと問われても、口元を押さえ、再びえずくだけだった。

 

 

ソリテールは必ず来る。

本人もまた、半年後に戻るとゼーリエへ宣言している。

 

 

さらに、ゼーリエを上回るほどの魔力を持つ異形の怪物も、ソリテールたちへ明確に味方していた。

 

 

後に、エーデルが読み取った記憶から、ゼーリエはこれまで把握していなかったアインザームをはじめ、フルーフの周囲に集う複数の異質な存在についても知ることとなった。

 

 

一方で、デンケンやヴィアベルとの関係までは露見しなかった。

フルーフの長い生涯において、彼らと接した時間はあまりにも短く、エーデルが拾った記憶の断片から抜け落ちていた。

 

 

だが、それでも十分な情報と根拠だった。

半年後、間違いなくオイサーストで大規模な衝突が起きる。

 

 

その一点に、疑いの余地はなかった。

大陸魔法協会は最終試験後、戦力を招集し、来るべき戦いへ備えることを決めた。

 

だが、事情をそのまま公表することはできない。

 

フルーフを巡る奪還戦。北部高原の街を治める大魔族。正体不明の異形。

あまりにも事情が複雑に入り組んでいる。

 

 

そうした背景を一から説明するよりも、魔王軍残党による総攻撃と公表した方が、戦力を招集する名目として都合がよかった。

それが真相を覆い隠すための方便に過ぎないことを、ゼーリエと一部の協会上層部は理解している。

 

 

しかし、大魔族がオイサーストへ攻めてくるという核心に嘘はない。

 

 

「半年後、魔王軍の残党がオイサーストへ総攻撃を行う」

 

 

大魔法使いゼーリエは、そう予言した。

その言葉は、大陸魔法協会の聖都支部へも水面下で伝えられることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

第二次試験を終えた、その後に行われた最終試験では、受験者が一名ずつ、大陸魔法協会の創始者である大魔法使いゼーリエとの面談へ臨んだ。

 

 

試験内容は面談、ただそれだけだった。

しかし、ゼーリエと正面から向き合うこと自体が、並の魔法使いにとっては試練に等しい。

 

 

魔力を制限している状態でさえ感じ取れる、長い年月を積み上げた膨大な魔力の気配。

相手の才能も、研鑽も、思い描く魔法の高みさえ見透かすような瞳。

 

 

それらを前にし、何を示せるかが採点基準となっていた。

力量差に気づく感性、恐怖を越えて未来を思い描く野心、ゼーリエの興味を引くものなら、なんでもよかった。そこで何一つ示せなかった者は……容赦なく不合格とされた。

 

 

合否の理由は詳しく語られない。

ゼーリエが不要と判断した時点で、面談は終わる。

 

 

フェルンもまた、一人で面談室へ足を踏み入れた。

部屋の中で座るゼーリエは、フェルンの魔力を一目見ただけで、僅かに目を細めた。

 

 

魔力制御の精度。相手の実力を見抜きながら、一切臆さない胆力。

その内側に秘められた、常人とは異なる魔法の可能性。

 

 

何より、フェルンはゼーリエが制限した魔力の揺らぎに気づいていた。

ゼーリエにとって、紛れもない才能の原石だった。

 

ゼーリエは上機嫌に口を開く。

 

 

「フェルン。私の弟子に――」

 

「お断りします」

 

 

最後まで聞くことなく、フェルンは即答した。

声は冷静だったが、強い拒絶を感じさせた。

 

 

目の前にいるのは、フルーフへ死の魔法を施し、その身柄を今も拘束している相手だ。

どれほど偉大な魔法使いであろうと、そんな人物から何かを授かりたいとは思えなかった。

 

 

ゼーリエは怒りもせず、それ以上勧誘を続けることもなかった。

フェルンは最低限の礼儀として一礼し、返事を待たずに退出した。

 

続いて、フリーレンが面談室へ入る。

 

 

ゼーリエとの対面は、実に千年ぶりである。

フランメの師であり、神話の時代から生き続ける大魔法使い。

 

互いに知らぬ仲ではない。

だが、フリーレンにとって印象のよい相手でもなかった。

 

 

フリーレンはゼーリエの言葉を聞くより先に、室内へ視線を巡らせた。

 

 

壁際。扉の陰。ゼーリエの周囲。

フルーフの魔力の痕跡は、少なくともこの部屋には残されていなかった。

 

 

それを確認すると、フリーレンは無言でゼーリエへ中指を立てた。

 

 

「話すことはないよ。ゼーリエ」

 

 

合否を告げられるより先に、自ら扉を開けて退出する。

ゼーリエは呼び止めなかった。

 

無礼を咎めることも、不合格を言い渡すこともない。

 

こうして最終的に、一級魔法使いの資格を得たのは九名。

 

 

デンケン。リヒター。ヴィアベル。シャルフ。メトーデ。フリーレン。フェルン。ユーベル。ラント。

 

 

合格者の中には、ゼーリエからの弟子入りを断ったフェルンも、面談を早々に切り上げたフリーレンも含まれていた。

 

一級魔法使い選抜試験を終えた後、大陸魔法協会は所属する魔法使いたちへ、オイサーストへの招集をかけ始めた。

 

 

各地の任務から離脱可能な一級魔法使いには、招集命令が下される。

二級以下の魔法使いにも任意招集がかけられ、参加者には相応の金銭報酬が約束された。

 

 

そのうち二級魔法使いには、追加の報奨として、次回の一級魔法使い選抜試験における第一次試験の免除まで提示されている。

 

協会の知らせが貼り出されると、魔法使いたちの間には緊張が走った。

魔王軍残党の総攻撃。

 

 

その名目が、どこまで真実を表しているのかを知る者は少ない。

ただ、大陸魔法協会の創始者であるゼーリエが、大陸規模で魔法使いを集めようとしている。

 

 

その事実だけで、半年後に起こる戦いの規模を察するには十分だった。

 

 

各地から招集された魔法使いたちが、本格的にオイサーストへ到着し始めるのは、早くとも数か月後になるだろう。

 

 

表面上、オイサーストの日常は何一つ変わっていない。

だが、その平穏の裏側で、半年後の決戦へ向けた歯車は、既に回り始めていた。

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

オイサーストの宿、その一室。

窓から差し込む夕陽が、床と卓上を橙色に染めている。

 

 

フリーレンはフェルンと向かい合って座り、卓上へ地図を広げていた。

本来なら、ここから再び北を目指すはずだった。

 

 

一級魔法使いの資格を得たことで、北部高原へ入る条件も整っている。

これで高原へ立ち入り、旅を再開できる。

 

 

だがフリーレンは、北へ続く道が記された地図を静かに折り畳んだ。

紙の擦れる音が、狭い部屋へ響く。

 

折り畳まれた地図の上へ手を置き、仲間たちを真っ直ぐに見据えた。

 

 

「私は、ここに残るよ」

 

「どうしてだよ?」

 

 

シュタルクが顔を上げ、呆気に取られた様子で口を開く。

 

 

訳知り顔のフェルンと違い、シュタルクは本当に意味が分からないという表情を浮かべていた。

そこでフリーレンは、シュタルクへ情報を共有していなかったことを思い出す。

 

 

これまでに起きたこと。ゼーリエのこと。フルーフが置かれている状況。

ソリテールがフルーフを奪還するため、半年後に再びオイサーストへ来ること。

 

 

フリーレンは余計な感情を挟まず、分かっている範囲を順に説明した。

シュタルクは真剣な表情で話を聞き、やがて俯き気味に考えをまとめ始める。

 

 

「だから、ソリテールからの連絡を待たないといけない」

 

「半年後?私も、そこは聞かされていません、フリーレン様。ソリテール様は生きているんですか?」

 

「生きてるよ。短くだけど、通信で話したから。要約すると半年後、突撃してくるってさ」

 

フリーレンは折り畳んだ地図を卓上の端にずらし、話を続ける。

 

「フルーフを助けるためには、ここから離れられない。だから……勝手で悪いんだけど、この旅はここで終わりにするべきだ」

 

 

少なくとも、半年後の戦いが終わるまでは北へ進めない。

最悪の場合、オイサーストが墓標を刻む終着点となりえる。

 

 

それでも、フランメとの約束を破り、友人を置き去りにして進むという選択肢はフリーレンにはなかった。

二人には、ゼーリエやフルーフとの間に昔から続く因縁めいたものは存在しない

 

 

これからするのは戦争だ。それも、人類に反旗を翻すに等しい行いだ。

だからこそ、ここでフリーレンは自分との縁を完全に切っておくべきだと考えた。

 

 

「フェルンとシュタルクは、先に街を出て」

 

 

フリーレンは二人を見た。

旅を続けられないことは残念だが、年長者としてはこれが正解だと信じ……二人を突き放す。

 

 

「一級魔法使いになったフェルンには、ゼーリエの招集命令へ従う義務がある。でも、そんなものに従わなくていい。一級魔法使いの資格は、北部高原へ入るために欲しかっただけだしね。ハイターやアイゼンの所へ行ってもいいし、故郷に戻って暮らしてもいいと思う。止められても、二人をオイサーストから逃がすだけなら、私一人でもできるから」

 

 

一息で言い切り、きっぱりと後顧の憂いを断つ。

だが、眼の前のフェルンはフリーレンの口が回る度に頬が膨れ上がり、言い終わる頃にはフグのように膨らんでいた。

 

 

「嫌です」

 

フェルンは頬に溜まった息を鼻から吹き出し、フンす、と聞こえそうな憤慨した様子で答えた。

 

「フェルン」

 

「フルーフ様は変態ですが恩人です。ソリテール様にも、リーニエ様にも恩があります。そんな方々を見捨てて、故郷へ帰れとおっしゃるのですか?」

 

 

フェルンは胸元で両手を重ねる。両親も、帰るべき故郷も、信頼出来る恩師も健在だ。

だが、それらがあるのは、フルーフ達がいたからこそだ。

 

善意がなかろうが、偶然だろうが、それが事実だ。

恩を受けた身で……背を向けて逃げるだなんて。一体これから先、どんな顔をして生きて行けと言うのか。

 

恥晒しにも程がある。そんな生き方は両親からも、ハイターからもフェルンは教わっていない。

 

 

「事情を知りながら逃げた私が、どんな顔をしてハイター様や故郷の方々へ会えばいいんですか」

 

 

フルーフは変態でアホだが、幼少期から良くしてもらった記憶がある。

ソリテールは、魔法の道へ進む切っ掛けを与えてくれた師でもある。

 

恩の他にも、助けにいかなければという感情的な面や、ソリテールの弟子として役立ちたい、そういった義務感などもあった。

残りたい理由は一つではない。フルーフという人間を助けたいのは、フェルンだって変わらないのだ。

 

まるで、自分だけが背負わなければいけない罪のような、そんな顔をするフリーレンをフェルンは詰める。

 

 

「事情を知ってしまった今、尚更見捨てて逃げることはできません」

 

フェルンは静かに、断固とした声色で告げた。

 

「それに私は、一級魔法使いとなりました。招集命令を受けている以上、ここに残ります」

 

 

腕を組んだまま一度腰を浮かせ、椅子へドスンと勢いよく座り直す

意地でも動かない意思表示のようだ。

 

続いて、シュタルクが背負っていた戦斧を下ろし、腰を下ろした

 

 

「俺も残るよ」

 

「シュタルクは、一級魔法使いじゃないでしょ」

 

「そうだけど、そういう話じゃねぇよ。前衛、いるだろ?」

 

 

シュタルクは少し困ったように笑う。

それでも、フェルンと同じように、フリーレンから目を逸らさなかった。

 

 

「さっきの話だと……たぶん、姉ちゃんもここへ来るんだろ?」

 

これはソリテールとフルーフが深く関わる話だ。あの三人は常に一緒だった。

リーニエだけがオイサーストへ来ないなど、あり得ない。

 

「姉ちゃんが戦うかもしれねぇのに、俺だけ逃げるなんて無理だ」

 

そして、フェルンへ視線を移す。

 

「それに、フェルンが残るなら、俺も絶対に残るぜ。約束だってまだ全然果たせてないんだ」

 

「シュタルク様。私を理由にしないでください。そのせいで、残るしかないのなら逃げて下さい。私は誰かの重荷にはなりたくありません」

 

「違うって。フェルンだけじゃねぇよ」

 

シュタルクはフェルンとフリーレンを見た。

 

「フリーレンも、姉ちゃんも、フルーフさんもだ。俺にとっても、ここに残って戦う理由は一つや二つじゃないんだ。皆、知り合いだ。それに、俺は俺のためにも、ここに残らなきゃならない。パーティーの戦士として最後まで、皆の前に立つ。でなきゃ、師匠に殺されちまう」

 

 

命を張るべき時が来たなら逃げないと、既に決めている。

随分と早い訪れだったが、その約束をここで曲げるつもりはなかった。

 

シュタルクもフェルンと同じだ。

どうでもいい相手などではない、助けたいと思える相手なのだ。

 

 

「二人とも、死ぬかもしれないよ」

 

 

フリーレンが静かに告げる。

そこに冗談は含まれてはいない。

 

 

「わかっていると思うけど、私はゼーリエを裏切る」

 

夕陽が、フリーレンの横顔を赤く染め、陰影が顔に差す。

 

「あの人は、私とフルーフに昔から親交があったことを知っている。フルーフはフランメの一番弟子で、私の姉弟子だ。ゼーリエから見れば揃って孫弟子なんだから、当然だけどね。……それでも、私が魔族に協力するとは考えていない」

 

「どうしてですか?」

 

「私の村は、魔族に滅ぼされたからだよ」

 

フリーレンは淡々と答えた。

 

「昔の私は、今より少しだけ尖っていてね。ゼーリエが知っているのは、その頃の私だ。だから私が、フルーフを助けるために、魔族側と手を組むなんて考えないはずだよ。そうでなければ、わざわざ私をここに縛ろうとはしない」

 

 

フリーレンは暗に、敵は人間だと二人に伝える。

人を殺す可能性だってある。寧ろ殺さねば、生き残れない環境に身を置く可能性の方が大きい。

 

 

「今すぐじゃないけど、私は大陸魔法協会の魔法使いたちを敵に回すことになる。ここに残るっていうのは、そういうことだよ」

 

 

これは、フリーレンなりに覚悟を問う言葉だった。

さらに一拍を置き、続けた。

 

 

「お尋ね者になるかもね。だけど、それがフランメとの約束だし、友達のためだから。――戦いが始まったら、私でも二人を守り切れる保証はない。引き返すなら今だよ」

 

 

フリーレンが言いたいことは、言い終わった。

改めて二人の顔を見るが、そこには、変わらない二人がいた。

 

 

「分かっています」

 

フェルンは、覚悟を決めた声で答えた。

 

「人間同士で、ってことか……想像もしたくねぇな」

 

シュタルクは顔を顰めるが、それでも、すぐにフリーレンを見返した。

 

「でも、だからって皆を置いて逃げるのは、もっと嫌だ」

 

 

フリーレンはしばらく二人を見つめた。

なんとなく、どれだけ説得しても、考えを変えないだろうと分かってしまう。

 

 

フェルンもシュタルクも、言われるままに守られるだけの子供ではない。

自分で考え、自分で道を選び、その先にある危険まで引き受けようとしている。

 

 

やがてフリーレンは諦めたように肩を落とし、ほんの僅かに口元を緩めた。

 

 

「……しょうがないね」

 

 

その声には呆れが混じっていた。

だが、二人を追い返そうとする響きは、もうどこにも残っていなかった。

 

 

卓上へ置かれていた北への地図が、窓から入る夕方の風に揺れる。

折り畳まれた紙の端が、僅かに持ち上がっては、また卓上へ落ちた。

 

 

三人の旅は、ここで一度足を止める。

 

 

その先へ進むために。

フリーレンたちは魔法都市オイサーストへ残り、半年後に訪れる戦いを迎えることとなった。

 

 

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