ソリテール様結婚しましょう…貴方が旦那様です。 作:ごすろじ
徐々に鳥の囀りが聞こえ始める薄暗い時間帯。
夜明け前の冷気がまだ石畳に残り、吐く息がかすかに白くなる。
フリーレン達が宿泊する聖都の宿屋の前。
壁に寄りかかった白髪の女が、ジョッキを傾けてビールを飲んでいる。
その傍らでは、二メートルを超える長身の男が静かに書物の頁を繰っていた。
肩を回し、扉を開けて出てきたハイターは、その二人を見てギョッと目を見開き後ずさる。
だがすぐ後には溜息をつき、ズレた眼鏡を直した。
白髪の女と長身の男は、ハイターの姿を認めると、親しげに片手を上げた。「ヨッ」とでも言いたげな気安い挨拶だった。
「……フルーフ。こんな夜更けに会いに来るだなんてどうしたんですか?フリーレンが心配なら、そんな遠巻きで観察するような真似はせず直接会ってはどうですか」
白髪の女、フルーフは困ったように曖昧な笑みを浮かべ、頬を指先でポリポリと掻いた。
傍らにはソリテールとリーニエの姿は無く、別行動で聖都に来ているようだ。
頭のネジが外れたフルーフでも、聖都にドギツイ死臭塗れの魔族を連れてくることは控えたらしい。
「私が?いや……ちょっときついですね。何も言えないですよ、おふざけして茶化していい空気でもないですし、私はこういう空気の時どうしていいかわからないので……」
「はは、確かに、貴女はよく旅の最中も空回りしていましたね。ですが心配はしているのでしょう?」
「それは、そうです。何せ私がヒンメルさんを焚き付けた結果ですしね。バレないように魔力こそ隠していましたが、あのフリーレンが私の雑な魔力制御にすら気づかず憔悴しているだなんて、心配にもなりますよ……」
フルーフはジョッキに入ったビールを口元で傾けながら、宿の扉を見つめる。
いつものフリーレンならば、確実にフルーフの揺らぎまくる魔力を感知して、一直線にこちらに向かってきてもおかしくはないはずなのだ。
しかし宿の中からは物音一つせず、人気すら感じられない。
「心配せずとも、貴女がヒンメルに対して与えた影響は、彼女にもいい影響を与えていますよ。あなたの存在に気づけないほど多くのことを……千年間考えてこなかったことを今考えているのでしょう」
「そうですか、それはよかった……フリーレンにはなんだかんだとお世話になっていますので。余計なお世話で済まなくてよかったです」
「あぁ、そうでした。フルーフ、事前に喪服を用意して下さりありがとうございます。お陰でフリーレンを着の身着のまま参列させずに済みました」
「いえいえ、ハイターさんは聖都中から引っ張りだこで、それどころではなかったでしょう。フリーレンのことですから一着も持ってないだろうと思いましたが、やはり持っていなかったようですね。ですが、まさかアイゼンさんまで用意していないとは思いませんでした。いっそ全員分用意しておくべきでしたね」
「十分です。フリーレンは表情の変化に乏しいです。それは時として彼女をよく知らない人々に冷たい印象を与えます。参列者から心無い言葉が飛び交わないかを心配していましたが、死者を追悼する形式に則っていたおかげか、そういう声も無く無事終えることが出来ました」
「はは。安心しました、私がもしそんなことを聞いてたら手と足の両方が出て、葬式を滅茶苦茶にしてしまっていましたよ」
「……冗談でしょう?」
いや、確かに旧友に対して心無い言葉が聞こえてくれば不快に思う気持ちは理解できる。
しかし、その旧友の大事な人の葬儀で暴れ出すなど、さしものフルーフでも冗談だろうとハイターは問いかける。
しかしそれを否定するように、側にいた長身の男が本を閉じ、静かに首を振る。
『ハイターよ。フルーフであれば躊躇なく拳を振るう。相手が誰であろうと、場が何処であろうと関係なくな』
口は全く動いていない。しかし周囲を漂う白い霧のようなものがハイターの足元を這った瞬間、脳内に幻聴のように音が響いてくる。
威厳のある低く響くような男性の声だ。
ハイターは慣れたものなのか、その声色に冗談が一つもないのを悟り、こいつ本気か……とでも言いたげな引いた視線をフルーフに向けた。
フルーフは気にした素振りも無く、ビールジョッキを傾けゴクゴク酒を飲み続けていた。
「……っと、いいますか。ハイターさん、私が聖都に来てから既にいたんですが。どうして神聖な聖都の街中に邪悪な魔物がいるんですか?平然と歩いてるんですか?私を野蛮人としか思ってない悪口に腹が立ったので、聖なる魔法で滅してくださいよ」
魔物。とフルーフに指を指される男だが、その容姿は人間の男性そのものだ。
魔族のような角もない。薄暗い暗がりの中でも夕焼け色に輝く左目には、確かな知性が宿っていた。
ハイターは特に訂正もすることなく、平然とそれを受け入れ軽口で返す。
「本当にやったら、貴女が私に殴りかかってくるのでしません。彼には、少し僧侶として仕事を手伝って頂くために、私がここに招きました。なにせ、魔王を倒した勇者の国をあげた壮大な葬儀です。上からは、飾られる花や道具なども、一つ一つ聖別が必要とのありがたいお達しが届いたわけです」
「あぁ、なるほど、さぼりたかったから押し付けたんですね?」
「あまり老人をいじめないでください、フルーフ。私もヒンメルの為であれば労を厭うことはしません。ですが年老い肉体的にも限界があります。仕事量が膨大でしたので、信頼でき、なおかつ私と同等かそれ以上の加護を持つ彼に仕事を依頼したまでですよ。しっかり報酬も出していますので不当なことは何もしていません」
フルーフはやたらと老人アピールするハイターに視線を向け、観察する。
確かに実年齢はかなりの高齢だが、まだ背筋は曲がっていないし、足腰もしっかりとしている。
おまけに祭祀服の上からでもわかる程度には筋肉もある。
老人アピールするには余りに屈強すぎるハイターに、フルーフは思わず鼻で笑った。
「頭が柔軟なのか、適当なのかわかりませんね。これは魔のつくソレですよ、いいんですか?聖都の僧侶的には?」
「はは、いいんですよ。なにせ女神様がそれを認めています。彼以上の加護を持つ存在はこの聖都にはいません。女神様を信奉するのであれば、女神様から加護を受けた存在を無下にすることは出来ません。例えそれがどのような存在であろうともです。それを無視することは教義の根幹を否定することですから」
「それ、大司教や他の神官や僧侶に言ったんですか?それともハイターさんの独断ですか?」
「私の独断です。先程の文言は彼の正体が露見した際の言い訳です」
「う、わぁ。とんでもない不良僧侶ですね。ちょっと、体よく使われてるんですよ?貴方も文句の一つでも言ったらどうですか?」
とんでもねぇ、とフルーフは酒のつまみにハイターの話をへらへら笑いながら聞き、腕を組んで黙っている隣の男を肘で小突きまくる。
『私の使命は、受け継がれし想いに背くことはない。たとえ利用されようとも、私の行動と意思は揺るがぬ。全ては女神の定めた摂理へと帰結する。私の行動が過ちであろうと、ハイターの行動が過ちであろうと、それが間違いであればいずれ女神の神罰が下されるであろう。そして……聖都へと合法的に入場出来る機会を逃す手はなかった』
返ってきた返答にフルーフはうげぇ、と嫌そうに眉を歪める。
無神論者であり、自身を殺してもくれない女神など、フルーフにとってはいないも同然。
この手の宗教臭全開の語り口調は大の苦手なのである。
「途中まで宗教キチ構文全開の癖に、最後が俗物過ぎて実に愚か。最後が目当てでしょ……。脳味噌アルコール漬けの不良僧侶と魂まで宗教漬けのキチにこれ以上言うことはないです、両者合意の上ならお好きにどうぞ。こんなのとつるみすぎると女神様から嫌われますよハイターさん」
「ハッハッ……。寧ろ逆でしょう、彼ほど敬虔な使徒を私は知りませんよ。仲良くしたところで罰など当たりません。現に私は健康体です」
「その、とりあえず神罰下ってないからOKみたいなの、この人から学びまし……あぁ、いや元々ですね。神罰が怖い信仰深い使徒は酒浸りで二日酔いになったりしません……。はぁ、すみませんね、こんな朝っぱら無駄話に突き合わせて、私はそろそろ行きますね。ソリテール様をお待たせしていますし」
「そうですか。フリーレンには何か伝えておきましょうか?」
「……いや、いいです。特にありませんし、どうせまたどこかで会うでしょう……。こいつは好き勝手使って頂いて構いませんよ。あぁ、貴方、別に定期連絡とかはいらないですけど、レクテューレさんの診断の日が近づいたら、いつもの街で待機しておいてください、私も行きますので。髪束ってまだあります?」
『承った。髪か……過剰なほど所持している』
そう音を発しながら男は懐から白髪の髪の束を取り出す。
それを確認してフルーフは頷いた。
「それならいいです。…………」
『他に確認すべきことでもあったか?』
無言でマジマジ男を見上げ口をモゴモゴさせるフルーフを訝しみ、霧から問いかける声が聞こえる。
ジョッキの中に残ったビールを一気飲みし、後頭部をガシガシ掻きながら、どこか恥ずかしそうに耳を朱くして男に口を開いた。
「あぁ~………もしかしてお金足りてないんですか?貸してあげますよ?あんなボランティア同然のバカでかい孤児院とタダ同然の葬儀屋なんてしてたら当然ですね、いくら欲しいですか?」
『フルーフ、やめよ。なにも不足は無い、毎度聞かなくてもいいことだ。私が汝の元から独り立ちしてどれ程の年月を経たと思っている……。己の行動に伴う負債程度はどうとでもなる。赤石の破片もまだまだ消費し切れぬほどだ』
その言葉に男はまたか、と言わんばかりに無表情な眉を歪め眉間を揉む。
決して嫌悪感や迷惑がる様子は無いが、気を使いながら悩んで答えているのが見て取れた。
心配してくれているのは本心だと理解していても、何分このフルーフという女は性格がねじ曲がりすぎていて、適当に答えると後々が面倒くさいのである。
ハイターはその様子を眺めながら、おかしそうに微笑んでいた。
「ふぅん。……そう。それならいいですけど。ハイターさんの仕事を請け負うくらいですし、お金に余裕がないのかな?と邪推してしまいました」
『ハイターへの手助けは金銭が不足した故のものではない。ただ困っていると言われた故だ。私も聖都で一度祈りを捧げてみたかったのもある。例え理由がなくとも、困っていると言われれば手助けする他あるまい』
「それ、まだ言ってるんですか?スラムの浮浪者全員に助けてくれと縋り付かれても助けるつもりですか?」
『そうだ。この身は『彼女』が夢見た正義の象徴、であれば一寸の怠惰も許されはしない。善なる者、弱き者に手を差し伸べることこそが使命、贖罪の旅路の中、真なる邪悪に相応の対価を強いることを止める気はない。かの勇者が果たした大業とは縁遠く、私は日の当たらぬ暗闇から幼子の手を引く者と――
「あぁ、もういい!どうせそっから延々と長い惚気ですよね。わかったから脳内に直接幻聴を叩き込んでくるな、黙ってください」
耳を塞いでも五感全体を通して叩き込まれる情報に、フルーフは霧から逃げるように距離を取る。
それを見ていたハイターはやれやれと言わんばかりに呆れ、口を挟んだ。
「フルーフ。いい加減素直になってはどうですか?貴女達の関係は彼から聞いています。先日、完全に和解したと聞きましたよ、そろそろ捻くれずに会話してもいい頃でしょう」
「煩いですよ最年少。はぁ~……何も心配いらないようなので、ハイターさん、これにて失礼します。いい加減帰らないとリーニエ師匠が暴れるかもしれませんので」
それだけ言い残すとフルーフは空のジョッキを男に投げ渡し、帽子を被りスタスタと早足で去っていく。
その背中を眺めながら二人は呆れた様子でフルーフを見送った。
『すまぬなハイター、面倒だが……面倒なだけで聞き分けは良い方だ』
「えぇ、よく知っていますよ。頑固でドライな癖に身内に対しては心配性で甘やかす上、信条も曲げて距離を縮めてくる。そんな方ですからね……貴方も苦労していますね。今はあのソリテールと婚約中でしょう」
酷評なのか褒めているのかイマイチわからないフルーフの評価。
大方合っているからか、男は何も言い返さず軽く頷いた。
最後に付け足されたソリテールについての話が出ると、男は露骨に申し訳なさそうにハイターを見下ろし頭を下げる。
『……そうだったな、その件もすまない。突然押しかけてソリテールとリーニエを紹介した挙句、婚約指輪を見繕って欲しいなどと迫ったようだな』
「あの時は流石に寿命が縮みました。何せあれほどの大魔族は人生の中でも片手で数える程度しか相対したことがありませんでしたから……昔、フルーフから人生の目的を聞いていなければ、断固として断っていたでしょうね」
あれは極平凡な日常、聖都の僧侶として村を巡る最中の出来事。
何の前触れもなくフルーフが現れ、とんでもない死臭を放つ魔族を引き連れ婚約の挨拶と指輪を強請られたのだ。
あの時感じた頭痛は今でも昨日のことのように感じられる。
情報過多で二日酔いなど比較にならない程頭を悩ませた一日だった。
『重ねて謝罪する。フルーフの奴には以後私の方から注意しておく』
「アイン。ソリテールのことですが……貴方は反対はしなかったのですか?他ならぬ貴方であればフルーフも耳を貸すでしょう」
その一言には悪意は無く、ただ古い友人への心配だけが含まれていた。
だが男は断固とした決意を感じさせる瞳でハイターを見つめ、首を横に振る。
『私が、か。……そうだな、その点について断言しておこう。邪魔はしない。もはや個人の感情など介在する余地などない。意見などする気は無い。そして誰にも邪魔はさせない。それがフルーフにとっての幸福であり、唯一与えられた安息への片道だからだ。そして……私と『彼女』との約束事だ。女神の前で誓った約束は違えない。例え加護を全て失おうと貫き通す。私達はフルーフに返しきれないほどの恩がある。当人にはその感覚が全くないようだがな……』
男は明るくなり始める空を眺め、遠い過去に想いを馳せる。
彼女、と呼ばれる誰かを想いながら、男は最後にフルーフのことを思い出し控えめな苦笑いを浮かべた。
「……申し訳ありません、アイン。フルーフの愛する魔族とはいえ、私はどうやらソリテールに対して嫌悪に近い感情を抱いているようです。貴方の前で無粋なことを口にしましたね。さぁ、日が昇りきる前に後始末を終わらせにいきましょう」
『気にする必要はない』
ハイターの謝罪を受け取った男は彼の肩を叩くと、薄明の聖都へと歩み出した。
その長身は、やがて路地の暗がりに溶けて消えた。