俺はお婆さんの家を後にしてから、さらにヤーナム市街の奥へ。
市街を最初に見た時は異常性はあれどただ暗い街としか見えていなかったが、奥に進むにつれて、そこにはより深い狂気が眠っていた。
俺は今下水道らしき、地上が吹き抜けになったレンガ造りの、排泄物や悍ましく汚い物が流れる泥の道を歩いていた。
歩く分には特に問題はないが、とにかく。兎に角鼻が取れるんじゃないかと思うほどに異臭が充満している。
「くっそ……鼻抑えてても臭えとかどうなってんだよ……」
しかし何故俺は下水道を歩いているのか。それはここを歩くしか街の構造的に奥には進めないからだ。
いやそこは街の構造以前の問題だろとツッコミたくなるのは分かる。だが、この街は普通じゃない。至る道が門や扉で閉められているせいで普通のアクセスができないんだよな。
そう俺はどうにか嘔吐感を抑えつつ、下水道を進んで行くと。その先に普通ではない物を見かける。
既にこの街はイカれてると言っても過言ではないが、俺の目に映る物は、何故お前がどうしてそこにいるんだと。
どう考えても理解が追いつかないものだった。
「アアァ……アァ……」
体型は恐らく男でもあり、女でもある。服装からすれば恐らく貧乏な暮らしをしていたのだろうか。
泥まみれで痩せ細った身体なのに、まだ生きて、苦しそうな声を上げながら俺に手を伸ばしてくる。
「アァァァッ!」
しかしそれもまた殺意。どうしてこの人がこんなことになってしまったのかは定かではないが、逆も然りなんだろうな。
「こっちにくるな!」
だがそんな人も助けようととは思わず、突き放す自分はどう考えても仕方が無い。汚いものは避けようとする。人間の性だろう。
ただ敢えて殺すことはせず俺はそこから逃げるようにしてさらに奥へ進んでいった。
下水道を抜けるとまた一つの石橋を抜けて、明かりの付いた家屋があったので声を掛けると、すぐに少女の声が聞こえた。
しかし声は酷く寂しそうで覇気のある声とは到底言えないものだった。
「あなた、だぁれ? 知らない声……でも懐かしい匂いもするの。
もしかして獣狩りの人かな? だったら、お母さんを探して欲しいの」
「え、お母さん? こんな夜に外に出たってのかい?」
俺は少女と分かれば優しく聞こえるように口調を変えて会話をする。
「うん。こんな夜だからお父さんを探すんだって。……それからずっと帰って来ないの……私ずっと……でも、寂しくって」
正しくこんな夜だ。少女のお母さんがお父さんを探すために外に出てから帰ってこないだなんて。
考えたくはないが嫌な予感しかしない。でも俺はとりあえず少女に答える。
「分かった。なら探してくるよ。夜は危ないからね。お母さんの特徴とか分かるかな?」
「本当? ありがとう! お母さん、真っ赤な宝石のブローチをしてるんだ。大きくてすっごく綺麗なんだから、きっとすぐに分かると思うよ」
少女の声は少しばかりか明るくなる。真っ赤な宝石のブローチをした母親。ブローチが綺麗なんだと印象深いことを言うところから、きっとお母さんと仲が良いのだろう。
「それで、それでね。お母さんを見つけたらこのオルゴールを渡して欲しいの」
少女から小さなオルゴールを渡され、なんて懐かしい物なんだと俺はふと小さなネジを回して鳴らしてみる。
音は小さく、曲は短いが、まるで子守唄のような可愛げのある曲で、なんだか獣狩りの夜で荒れ荒んだ心が和らぐような気がした。
「お父さんの好きな思い出の曲なんだって。もし、私たちのことを忘れちゃっても、この曲を聴けば思い出すはずだって。
それなのに忘れて行くなんて、おっちょこちょいなお母さんだよね。
それじゃあお願いね。狩人さん」
少女の最後の言葉には好きなお母さんに対しての冗談と言うべきか。
少しだけ元気を取り戻したような明るい声だった。
「あぁ、わかった。すぐに見つけてくるからここで待っててね」
俺はそう言って少女の元を離れ、小さなオルゴールと共に、真っ赤な宝石のブローチという情報だけを頼りに、少女の母親探しに出た。
今までは生きて、死んで、殺してを続けすぎてあと少しでどうにかなってしまいそうだと。
自分の精神が壊れるのを必死に抑えていた所に、少女の声と母親探しという頼み事は、ほんの少しだけ俺の心に日常という安らぎが戻った気がした。