薬瓶が割れた音を辿るようにして徐々に近づいてくる足音の正体は獣。
絶体絶命の危機に俺は必死に息を潜めて物陰に隠れ続ける。
右手には武器があるが、人間とほぼ同程度の大きさを持つ獣なんざ、こんな斧一本で勝てる訳が無い。
いや寧ろ俺にはそんな芸当はできない。
「グルルルウゥ……」
来るな来るな来るな来るな……!
必死祈り、蹲り、目を瞑るが、神様は全ての人を同時に助けられる程暇じゃあ無い。
特に匂いに敏感だろう獣の鼻は、俺という人間の匂いを暗闇の中から正確に位置を当てた。
「うわあああぁ! 来るなぁあぁ!」
俺はすぐ顔の隣まで近づいてきた獣の顔面に向かって我武者羅に斧を振るう。
しかし手応えは一切無かった。獣は巧みな動きで俺の攻撃を回避すると、片腕とその鋭い爪で俺の胴体を切り裂いた。
「ぐああああっ!? あぁぁ……腹が……! ひっ!? やめっ」
もう俺の恐怖はどうしようもない程に膨れ上がっていた。今更落ち着くことなんて出来ない。
獣は俺の両肩を爪を立てながら鷲掴むと、大きく口を開けて俺の頭部を噛み砕かんと噛み付く。
その顎の力は凄まじく頭蓋骨が砕ける音を最後に俺の意識は途絶えた。
俺は目をすぐに覚ます。するとそこは俺が病室で目覚める前にいた工房のある場所だった。
何故俺は生きている? いや確かに死んだ筈だ。でも腹や頭の痛みは一切ない。
「お帰りなさいませ。狩人様」
「何が起きているんだ……? お帰りだって……? どうなっている! 俺は何故生きているんだ!」
俺は目の前にいた女性の両肩を掴んで詰め寄る。全くもって理解出来ない。
死んだら今度こそ人生終了だと思っていたら、またここで目覚めるなんて。
「ここは狩人の夢。狩人様は夢に生きる力を持ち、何度でも目覚めるのです。
即ちそれは悪夢。獣を狩り続け、狩りを全うする。それがこの悪夢から目覚める唯一の方法です」
「……??」
なんだ? つまり俺はその狩りとやらを終わらせない限り、いつまでも此処に囚われるということなのか?
冗談キツイぜ……俺には無理だ……死ぬほどの苦痛を永遠に感じながら、終わらせない限り出られないなんて、頭がおかしくなっちまう……。
は、はは、それこそが悪夢ってか?
どうしたらいいんだ俺は……。
俺はあれから仕事に必ず持って来ていたアナデジ腕時計を使って半日ほど眠った。
起きたのは午前六時。俺がいつも出勤日に起きる時間だ。今墓石に触れれば朝になっている筈だ。
俺は気持ちを落ち着かせてからゆっくり墓石に触れる。
白い霧が視界を包み込み、ふんわりと目に映る景色が変わる。
また俺が最初目覚めた病室の担架の上だった。ふと窓の外へ視線を移す。
俺は目を疑った。腕時計では午前六時半を指しているのに、空は暗く星空が見える夜だった。
人形が言っていた“目覚める”とはこのことを言うのだろうか?
明けない夜という悪夢から目覚めるために、狩りを全うせよと。
俺は静かに舌打ちする。せめて朝日さえも拝ませてくれないのか。
だから意を決する。獣なんてクソ喰らえだ。
俺は片手の斧を伸ばして両手持ちに切り替え、病院の入り口。俺を喰らった獣がこちらを向いて警戒していた。
まさか、殺した筈の人間がまたこっちから来ると知っているなんて。心底気持ち悪い。
石ころなんかで死ぬ訳が無いだろ。またいつもの生活を取り戻させてくれる。
俺は苛立ちと怒りを合わせて、明確な殺意を持ちながら、両手斧を持って獣に突進する。
「この畜生がああああぁ!!」
どうせ俺に向かって獣も突進してくるだろうことを考えて、走り込みを途中で止めてから、斧の先端で突っ込んで来た獣を突き刺し、投げ、叩き切る。
「このっ! このっ! うおおぉお!」
獣が床にへたれこんでいる隙を狙って最後の叩きつけを頭部に食らわす。
「はぁ……っ! はぁ……っ! やったぞ……やったぞ!」
獣はそれからぴくりとも動かなくなった。ここに特に罪悪感は感じなかった。なにせ、俺はこいつに一回殺されたのだから。
「獣を、全部、やれば良いんだよな?」
俺は次の敵を見つけに病院の外へ出た。
そこはどこかの街だった。様々な高さの洋風建築の家屋が並び、目を凝らしてみれば教会らしき建物も見えた。
夜で暗くなった街は、民家の窓から差し込む灯りと、街灯だけが薄暗く道を照らし、道端の至るところには鉄と木の棺桶が大量に放置され、地面は血で汚れ、遠くの方を見れば焚き火だろうか?
キャンプファイヤーくらいに火柱を上げた物が見える。
一体ここは何処なんだ? だれかに話を聞ければ良いんだが……。