体を機械化した男を連れて、最期にふさわしい土地を探すことに決めた。
船が浮上する。
街の東の沖合に泊まっていた
重力制御機構によりその質量からは想像もできない身軽さで動く船体は静かに体を傾けて、発射体勢を完了させた。
「本当に浮いてる。花鶏も見てる?」
「うん、見てる」
街西部にある展望エリアに、二つの人影があった。
一つは楽し気に飛び跳ねながら船を見ている、十代後半ほどの容姿をした小柄なワンピースの少女。喜色一面で手すりから身を乗り出そうとするほどに興奮している。
もう一つは、三十代後半の男だった。少女よりも頭二つ大きいその体からは、身じろぎする度に
展望エリアを貸し切りにしている二人は、ほとんどの人間が乗り込んだであろう船を見ていた。
「あれ、今からでも発射中止になったりしないか?」
「無理ね。もう衛星軌道で待機している非接触式重力歪みカタパルトが起動してるし、予定通り午後には地球を飛び出していくはずよ」
「あ、そう……」
男に理屈は分からなかったが、それでも飛ばない道はないということだけは理解できた。
どうやら人類の希望となる方舟の一つは、問題なくあの暗い星の向こう側へ旅立つことができるらしい。
はるか上空の機械に吊り上げられていく船を見ながら、今日何度目になるかも分からないため息をつく。
「どうしたの、花鶏」
「どうしたの? じゃない」
宇宙すらも戦場にした百年前の灰は大気を覆いつくし、地球はもはや現代の人類を支えるだけの恵みを持たなくなった。
戦いの果てにその数を減らした人類は、遠い彼方の
全人類を載せることを前提とした船ではあるが、地球に残りたいと考える人間もいる。彼もその内の一人だった。
随分前に
最後くらいは自由な人生というものを謳歌したくて、家族や友人に今生の別れを告げたのはそう遠い過去のことではない。大枚をはたいて買った中古のキャンピングカーに乗り、方々を一人で旅しながら余生を過ごす予定だった。
自身の最期がどうなるのかは彼自身も分からなかったが、もとより死の淵からギリギリで引き揚げられた命だ。今の時間すらもおまけのようなものに過ぎなかった。
「陽南、分かってるのか?」
「分かってるって? 何を?」
男──花鶏──は、その様子に再びため息をついた。
彼はもう長くない命だ。だが、目の前にいる少女──陽南──はそうではない。傷跡の見えない白い肌はまだ艶やかで、その肉体はもう数十年は優に生きていくことができるだろう。
花鶏は、金属の指を船へと向けた。
「あれ、陽南の乗る予定だった船」
「ええ、そうね」
船はもう発射シークエンスに移行を完了した。既に入り口は封鎖されて、これから目的地であるGJ 3054bに辿り着くまで開くことはない。
仮に今から向かったところで、もうあの船に乗れる余地は全くなかった。
空も大地も汚染されている上、人までいなくなってこれから荒廃していくことが確定しているこの星で生きていくのは簡単なことではない。特に、これまで労働もしたことがない鳥籠の少女なんて、これまで通りの生活を送ることができるわけがなかった。
陽南にもそれは分かっている。 愚かではない。世間知らずではあるだろうが、それでも現状を認識できていないわけでもない。
「何そんな余裕そうなんだよ。陽南、一人で暮らしたこともないでしょ」
「もちろん」
「料理は? 洗濯は? そもそも働ける?」
「無理じゃないかしら」
「じゃあ、なんでそんな余裕そうなんだよ…………」
だが、全てを理解したうえで、彼女はここにいた。
恵まれた家庭環境、自分の世話をしてくれる使用人達。育ちのいい学友達。多少の妥協はあれど、それなりに幸福に暮らしていけるであろう船の生活。そのすべてを投げ捨てて。
「でも、花鶏がいるじゃない」
「は?」
「もしかして、私を置いて旅に出る気? 貴方って、自分の好きな女の子がナンパされてても何もしないタイプだった?」
それでも、彼女は危機感のない無垢な笑顔を花鶏に見せた。
二人はキャンピングカーに乗って、人気のない市街を走っていた。
既に近隣の人間は船に乗って飛び立った後だ。街灯はついておらず、ただ車のライトだけが前方を照らしていた。
「まずは、私の分の荷物を用意するところからよね」
「……本当に俺と一緒に来る気か?」
「私、花鶏がいなかったら二日で行き倒れる自信あるけど?」
「それは勘弁してくれ」
「でしょ? だから、私のお世話よろしくね」
花鶏はアクセルを踏んだ。
もう人がいないため、信号も機能していない。都市のあらゆる機能は正常に停止させられていて、動くことはないだろう。
「それで、どこか物資の当てはあるのか?」
「家にキャリーバックを隠してるから、取りに行ってくれる?」
「……もしかしてこれ、計画的な犯行?」
「ただの独り立ちよ」
「それなら両親に挨拶くらい済ませておけよ。どうせしてないんだろ」
「お父様もお母様も、別に私のことはあまり心配してないわよ」
「お前、それは──」
続く言葉は出てこなかった。
否定すべき内容だったし、実際心配していることを花鶏は知っていたが、それを知ったところで陽南の認識を変えられる気もしなかった。花鶏が陽南に口で勝てたことなど、一度もなかった。
彼が諦めたと分かると、陽南はすぐさま「そうだ」と話題を変えた。
「お酒も飲んでみようと思うんだけど、花鶏持ってる?」
「おい未成年」
「貴方も私も三十五歳じゃない」
「書面上はな。体はまだ十七かそこらだろうが」
「誤差よ誤差。それに飲んだところで取り締まる人がいるわけでもないし。持ってないの?」
「ない。運転しながら旅する予定だったから、あんまり飲むつもりなかった」
「じゃあ、後でそれも調達しましょう」
「はいはい」
陽南はあれこれと注文を付けながら興味深そうに車内の設備をつついていた。
窓を開けて身を乗り出してみたり、ダッシュボードを開けて中を点検している。先ほど弄っていたスピーカーからは、前の持ち主が忘れていったらしい音楽データが再生されている。カントリーミュージックだった。
「陽南」
「なに? 違う曲が良かった? 音量大きい?」
「いや、そうじゃなくて」
「なに? 初めてのドライブデートでのぼせちゃった?」
「そうでもない!」
強い語気で否定したが、その楽し気な表情は全く崩れる様子が見えなかった。
からかわれているだけだと自分に言い聞かせて、花鶏は小さくため息をついた。
「どうして残ったんだ?」
陽南が付いてきているのは花鶏にとってあまりにも予想外だった。
先ほどから聞いていれば、この脱走が事前に計画されていることくらいは予想がついた。
だけど、その理由は聞いていなかった。
陽南は周囲を弄る手を止めて、助手席に改めて座りなおした。
「夢がね、あるの」
「夢?」
「終の棲家を探すこと」
花鶏はその言葉をすぐに変換することができなかった。
「最期はね、好きな人と一緒に、二人で静かな場所で暮らしながら迎えるのがいいと思うの」
「……それで?」
「湖畔に建ってる、庭の花が綺麗な木造のお屋敷が理想なんだけど、それは流石に欲張りすぎかな?」
「湖畔はともかく、花は無理だろ。……で、その終の棲家とやらを探したいわけ?」
「そう」
「まだ十七なのに?」
「ええ、まだ三十五なのに」
「知ってるか? 書面上の年齢って、実はあんまり意味がないんだぞ?」
「でも、まったく気にされないわけでもないでしょう?」
「それはそうだが」
「確かに船に乗ったら、これまで通りの生活が送れるはずだけど、それじゃ死んでるのとあんまり変わらないと思って」
陽南はまさに箱入り娘だった。
元よりあまり自由のない生活ではあったが、永い眠りから覚めた後は更に露骨な生活環境だった。
とはいえ、花鶏がそれを強く責めることはできなかったが。
「花鶏の旅って、別に目的地もないんでしょう?」
「それは、まあ」
「ならいいでしょ? 私の旅に付き合ってよ」
「俺、もっと明るい感じの空気で旅したいんだけど。そんな終活みたいな……」
「貴方の旅だって残りの時間使うってだけなんだから、終活と変わらないでしょ」
「違う。全然違うわ」
「だったら、好きな子を置いて一人で行っちゃうの?」
「お前、困ったらすぐそれ言うの止めろよ」
「だったら否定すればいいじゃない」
「…………」
「私、間違ったこと言ってないでしょ?」
花鶏は沈黙を貫いて、陽南はそれを見て楽しそうに笑った。
市街地を超え、住宅地に入ってしばらく行くと周囲よりも二回り以上大きな洋館が見えてきた。陽南の家だった。
正門前に車を停めて降りる。路上駐車に対して切符を切る警備システムも既に動作を停止している。
鍵を開けて中に入ると、陽南はそのまま屋敷の脇にある離れの方に向かった。
「離れの方に置いたのか?」
「誰も来ないから、忘れ物として見つけられることもないと思って」
事実、離れはキャリーバック以外の家具も一つ残らず置かれたままになっていた。
埃は溜まっているが、掃除さえすればすぐにでも拠点にできそうな状況だ。
「手つかずじゃないか。船に持って行かなかったのか?」
「これたぶん、花鶏のためのはずよ」
「俺のため?」
予想外の返答に思わず聞き返した。
陽南はキャリーバックの様子を確認しながら話を続ける。
「花鶏もうちの鍵、持ってるでしょ?」
「挨拶に行ったとき、返さなくてもいいとは言われたが……」
「多分、困ったときにここに来れば生活できるようにしてたんだと思う。だから、多分非常用の電源とか、非常食もあるはずだけど」
「聞いてないんだが」
「鍵を持たせたので、言ったつもりになってただけよ。お父様、花鶏には言葉にしなくても伝わると思ってるところあるから」
「そうだったのか……」
陽南はキャリーバックを持って外に出た。
「とりあえず私はこれだけで大丈夫。花鶏も何か必要そうなものがあったら、持って行っていいけど」
「いや、いいよ」
「そう?」
花鶏は静かに首を振った。
元よりこの体を機械化する際に世話になっている身である。これ以上返せない恩を抱える気はさらさらなかった。
「じゃあ、行きましょうか」
「ああ」
花鶏は陽南からキャリーバックを受け取って、屋敷を出る。
陽南が先に車に乗るを確認すると、花鶏は後ろからキャリーバックを載せて、小さく屋敷に一礼した。
車に戻ってエンジンをかけると、花鶏はチラリと陽南に視線をやった。
「それで、終の棲家とやらの候補は決まっているのか?」
「一応、いくつか気になっている場所はピックアップしているの」
陽南は助手席でタブレットを取り出して、キャンピングカーのナビゲーションシステムに情報を送信した。
表示されたホログラムディスプレイに全国地図が表示され、いくつかのピンがドロップされている。
「これ、どれも結構距離あるんだけど」
「お父様との繋がりの中で、私の好みに合ってそうな家に住んでる人の家をピックアップしただけなんだけどね」
「おいそれいいのかよ」
「どうせ本人達も二度と帰ってこない家なんだから、別に大丈夫でしょ」
「おいおい」
「後は、私達みたいに地球に残った人達に情報収集しながら、良さそうな場所探しましょ」
陽南は映っているピンの内の一つを指さした。
「とりあえず、目的地はここにしましょう。北の一番近いところ」
「それでも、結構な距離あるんだけど」
県を三つほど跨ぐ位置にあるそれは、目的地の中で二番目に北にあるポイントだった。
「燃料足りない?」
「いや、燃料問題は付きまとうと思って、天板にソーラーパネル積んだハイブリッド式にしているから大丈夫。でも、毎日は走れないから充電期間をはさみつつ向かう予定」
元より一人旅の予定だったので、あらゆる計算を一人分でしていた。二人になった場合、この旅が問題なく続けられるのか、花鶏には分からなかった。
ナビゲーションシステムの経路を設定する。
システムの画面が遷移して、車道に矢印が乗るように表示が切り替わった。
「別に急ぐ旅じゃないし、下道でいろいろ見ながらゆっくり行くぞ」
「私とのハネムーンはたっぷり楽しみたい派?」
「結婚してねぇだろうが」
花鶏は経路を確認しながら強い語調で返した。
「ねぇ、花鶏」
「どうした? とりあえず出発は明日にして、今日はもうここで寝るぞ」
「ううん。そうじゃなくって」
真面目そうな雰囲気を感じ取って、花鶏はナビゲーションシステムから視線を外した。
「私と一緒に、旅してくれる?」
「いや、それ俺に────」
「花鶏」
花鶏は沈黙した。
あれこれ言っているが、この屋敷もあるのなら陽南は一人でもそれなりに生活できるだろう。
いつか限界が来るかもしれないが、それすら花鶏に面倒を見る必要はない。
「花鶏の言葉で聞かせてほしいの」
陽南は静かに笑っていた。
花鶏の返答なんて分かり切っていると言わんばかりの表情は、やはり選択肢を用意している人間のそれではなかったが、確かに花鶏の答えは答えるまでもなく一つに決まっていた。
「私と一緒に、終の棲家、探してくれる?」
花鶏は小さくため息をついた。
二十年以上を棒に振った。
せめて残りの人生くらいはと思ったが、目の前の少女はそれすらも許してはくれないらしかった。
「…………分かった。一緒に行こう」
「ありがとう。そう言ってくれると思ってた」
花鶏にはなんとなく分かっていた。
これは、終の棲家を探す旅だ。
「それじゃ、今日はもう寝ましょうか。初夜だからって、がっついたらダメだからね?」
「しねぇよ!」
怒鳴りながら二人で後方のスペースに移動する。
通常のベッドは一つしかなかったが、非常用のベッドが備わっているから寝る場所には困らないはずだ。
「俺の方がデカいから、俺がこっちで、陽南はそこの非常用のベッド使え」
「……一緒に寝ないの?」
「狭いだろうが!」
「仕方ないわね」
花鶏にはなんとなく分かっていた。
──最期はね、好きな人と一緒に、二人で静かな場所で暮らしながら迎えるのがいいと思うの
これは、花鶏の終の棲家を探す旅だ。
〇
三十五歳、独身
首から下のほとんどの部位を
現在のボディを更新するだけの資金を自力で捻出できないため、ボディの寿命が来るまで一人で旅をしてひっそり死ぬことを目指していたが、初日で計画が潰えた。
〇
三十五歳(肉体年齢:十七歳)
二十年弱コールドスリープしていたため、肉体の年齢自体は若い。裕福な家の箱入り娘。
日常を捨てて、終の棲家を探す旅に出ることに決めた。好意に付け込んで花鶏を困らせるのが好き。