「……それにしても、まさかヒックスさんが魔王軍の四天王だったなんて……」
ポルトガでヒックスさんたちの船に乗ってから、ニ年近くもずっと一緒に旅を続けていた私たちだったが、オーブを狙う敵だとわかった今、この怒りとも悲しみともつかない感情をどこに置いてきたらいいのかわからない。それは他の三人も同じだったようで、私の言葉に誰も何も答えることはなかった。
そういえば、船員さん達はどうしているんだろう。彼らはヒックスさんが魔物だったことを知っているのだろうか。いや、知っていたらここまでともについてくることはなかったはずだ。
「……ヒックスは、船を降りる前に船員たちと話をして、先に故郷へ帰れと伝えたそうだ」
もう怪我はほとんど回復したのか、ゆっくりと立ち上がりながらユウリが言った。まだ少し青白い顔色だが、口調はしっかりとしていた。
「それって、どういうこと?」
「……わからない」
ヒックスさんは、どんな意図で船員たちにそんなことを伝えたのだろう。そう思う私の問いに、ユウリは微妙な反応をした。
「ナギ。ここから鷹の目で海岸まで見通せるか?」
「あー、まあ、ここは山の中腹だし、一通りは見通せるぜ。ちょっと待ってろ」
ユウリに指示され、少し高いところまで移動したナギは目を凝らして鷹の目を発動させた。
「……いた!」
「本当!?」
ナギが指差す方向に、小さな豆粒位の大きさの船が下船したときと変わらない位置に停泊している。ヒックスさんの言葉とは反対に、船員たちはここにとどまることにしたようだ。
「ヒックスさんのこと……、伝えた方がいいよね」
「ああ」
私が恐る恐る尋ねると、ユウリは短く頷いた。
もしかしたらヒックスさんは、もう自分は船員たちのもとには戻らない覚悟で故郷に帰るように伝えたのかもしれない。けれど、船がここにあるということは、船員たちはヒックスさんが戻るのを待っているのだろう。彼が本当は魔物だということを知らずに。
船に戻る途中、ユウリはカルロスさんたちの呪いについて私達に話してくれた。あの二人の呪いをかけたのはヒックスさんだったのだと。その話をしたあと、ユウリはポツリと呟いた。
「あいつの実力なら、カルロスたちを殺すことなんて造作もないはずだ。それをせずに呪いをかけたのは……、人を完全に憎みきっていなかったからかも知れないな」
そう言って少し寂しげに目を伏せる。今まで信頼してきたからこそ、失ったものも大きい。私もまたヒックスさんと過ごした日々を思い返し、胸の奥が締め付けられそうになった。
さっきの噴火はすっかり収まり、草木や生き物のいないこの場所は静寂に包まれていた。マグマに飲み込まれるのを恐れていたのか、それとも元々この地には生息していないのか、魔物の気配は一向にない。しんと静まり返った山の斜面を、私たちは辺りを見回しながら下りていく。
「見て! あそこに道みたいのが出来てる!」
シーラの声に、思わず三人は振り返った。ここは一度通った道のはずだが、その時にはなかったもう一本の道が別の方向へと繋がっている。よく見るとその道は噴火によって流れ出たマグマが冷えて固まったものであり、隣の山まで続いている。
「ねえ、あそこの山って……」
「ナギちん、鷹の目使える?」
「今めっちゃ目疲れてるけど……、やってみる」
再びナギが鷹の目で隣の山を見渡す。しばしの後、緊張を解くかのようにナギの息を吐く音が聞こえた。
「なんか……、洞窟みたいのが見えるな」
「!! もしかしてそこが、ネクロゴンドの洞窟なんじゃ……」
「今はひとまず船に戻るのが先だ。早く行くぞ」
洞窟に釘付けになっている私など構わず、ユウリは船のある方へと歩みを進める。それは先ほどまで瀕死の状態で身動きが取れなかった彼と同一人物とは思えないほど、足早に動いていた。
「船長が……、魔物!?」
船に戻り、船員たちを全員招集させて事の経緯を皆に説明すると、皆一様に困惑した表情を浮かべていた。
「えっと……、それは本当のことですか? おれたちは、ずっと今まで船長に化けた魔物と仕事をしてたってことですか?」
船員の一人であるラスマンさんが、俄には信じられない様子で私たちに詰め寄った。他の人達もすぐには納得できない顔でこちらを訴えるように見ている。
「信じられないかもしれないが、事実だ。現に俺はヒックスに襲われ、瀕死の状態まで追い込まれた。何しろやつは、魔王軍の四天王の一人だったからな」
「はあ……」
『魔王軍』と言われてもピンとこないのか、皆生返事を返すのみ。流石にずっと生活を共にしてきた人が魔物だといきなり言われても、鵜呑みにはできないだろう。
ユウリもそれを感じているのか、諦めた様子で小さく息を吐いた。
「ヒックスはお前らに、先に故郷に戻れと言ったそうだな。もしかしたらだが、お前らにこれ以上迷惑をかけたくないからそんな事を言ったんじゃないか?」
『え……!?』
「ヒックスは確かに魔物だが、魔王軍の一員だ。魔王軍の目的は、魔王の脅威となる勇者――つまり俺達を排除すること。一方で、それ以外の人間に危害を加えるつもりはないと言っていた。少なくともヒックスは、お前らに対しては情があったんだと思う」
『……』
その言葉に、この場にいる全員が沈黙した。それは私たちも知り得ない情報だった。今までの魔物は誰彼構わず人間を襲うものだと思っていたから、まさにその常識を覆すような衝撃を受け、誰も声を上げられなかった。
すると、ラスマンさんが私たちの前に出てポツリと言い放った。
「……船長が変わったのは、あなたたちと出会う半年ほど前のことでした。それまでは、仕事が遅いと怒鳴られたり、殴られたりもしました」
『!?』
「あのときの船長は、おれたち下っ端をさんざんこき使って、まるで奴隷のように扱っていました。だけど、ある時から急におれたちに優しくしてくれるようになったんです」
さらに、隣にいたウォルトさんも、私たちに訴えるかのように話し始めた。
「おれたちの船長は、まぎれもなく今まであなたたちと一緒に旅をしてきた、あの人なんです。あの人が魔物であろうとなかろうと、ここまでおれ達を育ててくれたあの人を、今さら嫌ったりなんかしません。最後に船長はおれ達に言い残していました。『もし自分が戻らなくても、お前らは自分のことなど気にせず自由に生きろ』と。だったらおれたちがここに残るのも、おれたちの自由なんです」
それは、予想外の言葉だった。私たちにとって敵であるはずのヒックスさんは、少なくともこの人たちにとってはかけがえのない存在だったのだ。
『……』
しばらくの間沈黙が続いた。やがて、ユウリが口を開いた。
「ヒックスはもうこの世にはいない。だから、この後お前らがどうするかは、お前らの自由だ」
突き放すようなユウリの一言に、船員たちの間に流れる空気が和らいだ。すると、意を決したようにラスマンさんが口を開いた。
「おれたちは、船長に従ってここまで来ました。ですが、船長がいない今、あなたたちと同行する理由はなくなりました」
「ああ」
「でも、ここであなたたちを見捨てるような真似はしたくありません。おれたちの中には、家族を魔物に殺されたやつもいますから。だから……、あなたたちの目的が果たされるまでは、同行しようと思います」
「……いいのか?」
「正直、何が正解なのかわかりません。ですが、おれたちが尊敬している船長なら、そうするかと思っただけです。例えそれがおれたち人間を騙すための策略だったとしても。……その策略のおかげで、おれたちは今まで生きてこられたんですから」
ラスマンさんたちの決意は固いようだった。魔物であるヒックスさんが彼らに残したものは、きっと想像以上に大きなものだったのだろう。それを無碍にできるわけはなく、私たちは無言で頷いた。
「なら……、これからもよろしく頼む」
改めて、ユウリは船員の一人に手を差し伸べた。その手を握り返した船員は、眦に涙を浮かべながら頷いたのだった。
ちなみにオリビアの岬でメンタルやられた船員たちが叫んでいたセリフは、元のヒックスと一緒にいたときの記憶によって発したものです。ヒックスに関する伏線がうまく張れなかったのが力量不足であり心残りです…