レイアムランドの巫女
アッサラームを出発してから、約ひと月。レイアムランドまでの船旅は、驚くほど順調だった。しかし魔王との決戦まで後わずか。それまで最後の戦いに向けて準備をしなければならない。
今の私のレベルは29。今まで幾度となく魔物と戦ったとは言え、魔王を相手にするにはこれでも低いくらいだろう。少しでも不安を取り除くために、私は一人トレーニングに励もうと、甲板に出た。
甲板には、先客がいた。後ろ姿を見てやっぱりなと思ったが、なぜか今日はいつもと様子が違っていた。いつも甲板にいるときはひたすらトレーニングをしているのに、今はトレーニング用の木剣を腰に下げたまま船縁にもたれかかり、空を見上げている。
「ユウリ。トレーニングしてないなんて、珍しいね」
私が声を掛けると、ユウリはゆっくりと振り返った。いつもの無表情だが、なんとなく元気がないように見える。
「どうしたの? 何かあった?」
なんとなしに尋ねてみたら、ユウリは私と目を合わせると、伏し目がちに小さくため息をついた。
「ラーミアを復活させることができたら、この船旅ももう終わりになるな」
ポツリと話すユウリの表情は、どこか寂しそうだ。
「……そうだね。ラスマンさんたちとはこれでお別れだね」
そこまで言って、ユウリがどうして元気がないのか、なんとなくわかった気がした。
「この船に乗ってから、もう一年半経つもんね。いざ離れるとなったら、寂しくなるなあ」
この船旅だけではない。魔王を倒したら、この旅自体も終わる――。ユウリやシーラ、ナギと一緒に旅を続けられるのも、あと僅かなのだ。
「……ユウリは魔王を倒した後、何をするつもりなの?」
あまりにも唐突な質問だったからか、ユウリは目を丸くした。
「……考えてなかった。ただ魔王を倒すことを目標に生きてきたからな」
「自分の実力を確かめるために、旅に出たんだっけ?」
「そうか、お前にはそう話してたのか。……今思えば思い上がりも甚だしいな。旅に出たときは自分一人で魔王を倒そうと思ってたんだから」
「今はそんなこと、思ってないよね?」
念を推すようにに尋ねると、彼は苦笑した。
「ああ。今の俺にはお前たちがいるからな」
旅立つ当初なら絶対に聞けなかった言葉。その一言で、彼が私たちをどれだけ信頼しているかが分かる。
「四人で必ず魔王を倒そうね!」
「ああ」
私ってば、つくづく現金な奴だなと改めて思う。自分の力を認めてくれて、信頼してくれることが嬉しくて、さっきユウリにした質問の答えを聞くのをすっかり忘れてしまったのだから。
その後しばらく私はユウリのトレーニングに付き合った。結局この旅が終わったら何をしたいのかわからなかったけど、もし願うなら、運命や使命に縛られず、ユウリには自由に生きていてほしい。……いや、彼ならきっと、しがらみを振りほどいてでも自分の道を歩くことを選ぶだろうけど。
マックベルさんから教えてもらったレイアムランドという場所は、氷に覆われた大地だった。
船から降りて氷の大地に足を踏み入れる。天気は快晴だが、地上の空気は凍りつくほどに寒い。私たち四人は白い息を吐きながら、ひたすら歩き続けた。
やがて、氷に覆われた塔が見えてきた。カンダタたちがいたシャンパーニの塔に比べたら随分と小さい塔だった。マックベルさんが住みたいと言っていたが、確かに人が住むにはちょうどいい広さなのかもしれない。
塔の前でじっと見据えるユウリが、ぼそりと言った。
「エロジジイの話だと、人がいたんだよな」
「うん。しかも複数いたみたいな言い方だったよ」
「……」
扉は閉ざされている。一応ノックをして確認したが、中からの反応はなかった。
「中に入るぞ」
ユウリは当然のように最後の鍵を使い、扉を開けた。中に入ると、すぐ目の前に上へと上る階段があった。マックベルさんが見たという祭壇は、きっとこの上にあるのだろう。
階段は思ったより長く、三階分はありそうだった。ユウリを先頭にして、どんどん上っていくと、開けた場所に出た。
階段を上った先は、一つの広い空間だった。天井を見上げると中央に大きな天窓があり、真っ青な空が一面に見える。そして円形の部屋に沿うように等間隔に配置されているのは六つの金色の台座。当然ながら台座の上には何も置かれていない。ここにオーブを載せるのだろう。
そしてその六つの台座の中央には、金の柵で覆われた別の台座があった。金の柵で覆われた台座には何もないはずなのに、なぜか奇妙な気配を感じた。
そして金の柵の前には、巫女の装束を着た二人の少女が立っていた。
「ようこそ、いらっしゃいました」
「アリアハンの若き勇者よ。あなたの歩みの音は、すでに私たちの耳に届いていました」
氷が触れ合うような、硬質で抑揚のない声が響く。
双子なのだろうか、全く同じ顔の二人の少女たちは小柄で、ホビット族のノルドさんやグラハムさんよりも頭一つ分小さい。まるで等身大の人形が立っているかのような無機質な雰囲気を纏う彼女たちは、果たして何者なのだろうか――。
ユウリが一歩前へ出ると、彼女たちの視線が、まるで精巧なからくりのように同時に彼を捉えた。
「俺はユウリ。魔王を倒すために、不死鳥ラーミアを蘇らせに来た」
ユウリは二人の巫女に名を名乗ると、鞄からオーブを一つ取り出し、彼女たちに見せた。
「ラーミアを蘇らせるためのオーブはここに六つ揃っている。あの祭壇にオーブを置けばいいのか?」
巫女たちは、勇者の瞳をまっすぐに見つめた。その無機質な眼差しの中には、使命感という名の鋭い光が宿っていた。
「私たちは」
「たまごを守る者」
「わが主が目覚める時まで」
「このたまごをずっと見守ってきました」
交互に話す二人の巫女は目を瞑り、祈るような動作をした。すると、彼女の後ろ、金の柵で囲われた台座の上に、白くて丸い物体が突然現れたではないか。
『!?』
「これが、たまご?」
驚いた私は思わず呟く。台座の上に置かれた大きなミルク色のたまご。人一人が中に入れるくらいの大きさのたまごなど、今まで見たことがない。そんなたまごが突然今目の前に現れたのだ。
「今、レムオルの呪文を解除しました」
レムオル? と隣にいたシーラに問うと、「姿を消すことができる呪文だよ」と教えてくれた。
「勇者よ」
「そのオーブを金の台座に捧げなさい」
凛とした声で言い放つ巫女たち。その雰囲気に圧されるように、ユウリは六つのオーブを金の台座へと載せた。
ユウリがすべてのオーブを台座に載せたのを確認した巫女たちは、そろって祈るような仕草をした。
「六つのオーブを台座に捧げたとき」
「伝説の不死鳥ラーミアが蘇るでしょう」
巫女たちの高らかな声が響き渡った途端、六つのオーブが眩く光り輝いた。赤、青、緑、紫、黄、銀色の六つの光はやがて中央のたまごに集まっていき、六色が合わさって皓々たる光を放った。
「私たち」
「この日をどんなに」
「待ち望んでいたことでしょう」
光を放ったたまごは、次第に小刻みに震えだした。たまごの殻にヒビが入り出し、さらに動きが大きくなっていく。
「さあ、祈りましょう」
「さあ、祈りましょう」
ぴき、ぴしっ、という音がどんどん増えていく。たまごの殻には無数のヒビが生まれ、ついには大きな音を立てて砕け散った。
――これが、不死鳥ラーミア……!!
「時は来たれり」
「今こそ、目覚めるとき」
割れたたまごから現れたのは、雪のように真っ白な羽根を持ち、頭に炎のような鶏冠を持つ、大きな鳥だった。
ピィィー!
ラーミアは澄み渡るような鳴き声を上げると起き上がり、大きな翼を広げた。
「大空はお前のもの」
「舞い上がれ、空高く!」
二人の巫女の力強い声により、一陣の風が塔の天窓を破り、雪風が舞い込む。たまごの殻を破り自由を手にしたラーミアは、それが本能とでもいうように足で台座を蹴り、灰色の空に向かって羽ばたいた。翡翠色の尾羽を煌めかせながら飛んでいく様は、まさに神の使いのように見えた。
「綺麗……」
無意識に私は感嘆の息を漏らす。なんて幻想的で、神秘的な光景なんだろう。他の三人も、まるでラーミアに魅入られたかのように空を見上げている。
「伝説の不死鳥ラーミアは蘇りました」
「勇者とその仲間たちよ。オーブを手に入れた貴方がたには、ラーミアに乗る資格があります」
「心正しき者だけが、その背に乗ることを許されるのです」
ラーミアのいる空を仰ぎながら、巫女たちは言う。使命を果たした彼女たちのその瞳は澄んでいて、何かが抜け落ちたあとのような透明さに満ちていた。
「さあ、ラーミアが貴方がたを待っています。外に出てご覧なさい」
巫女たちの言葉に倣い、塔の窓から外を覗く。空高く舞い上がったラーミアは、塔の周りを螺旋を描くように下降しながら地面に着地した。
「ひょっとして……、あの背中に乗るの?」
シーラが恐る恐る呟く。振り向くと、彼女の顔は少し青ざめていた。
「あー、そっか。シーラお前、高いところあんまり好きじゃないんだっけ?」
「言っとくけど、ナギちんのせいだからね? ガルナの塔で曲芸じみたことしてたの、覚えてないの?」
「あれは仕方なかっただろ。それに、あの時とは違って、ラーミアは空を飛ぶんだぜ? 最高じゃねえか!」
キラキラと瞳を輝かせながら、ナギが窓からラーミアを見つめる。私も高いところは平気な方だが、あんな大きな鳥の背中に乗って飛ぶだなんて、想像もつかない。
「とにかくラーミアのところに行ってみるぞ」
先にユウリが踵を返し、階段の方へと向かう。だが、階段を下りる手前で立ち止まり、少女たちの方を振り返る。無機質だった彼女たちの顔には、初めて人間らしい「影」が落ちていた。
それはラーミアを見守る役目を終えて彼女たちに本来の感情が戻ったからなのか、それともラーミアという雛が旅立ち、残された親鳥の寂しさのようなものが彼女たちの心にも生まれたのだろうか。けれど、使命という殻が剥がれ落ちた今の彼女たちの表情には、間違いなく変化が生まれていた。
「ありがとう、若き勇者よ」
「神の使いはきっと貴方がたの助けとなるでしょう」
「わが主が蘇った今、私たちの役目は新たに眠りの器を守らなければなりません」
「それまで私たちは、ここでオーブとともに静かにその時を待ちます」
巫女たちは静かに目を閉じると、同時に口を開いた。
『レムオル』
二つの声が重なった瞬間、少女たちの姿は消え、金の台座にささげられた六つのオーブも跡形もなく消え去った。レムオルは姿を消す呪文と言っていたから、姿が見えないだけでここには存在しているはずだ。
彼女たちは役目を終えたあとも、ここでオーブを守り続けるのだろう。それこそ私たちが及びもつかないほどの途方もない歳月を。
「……行くぞ」
空の台座を背にしながら、ユウリは階段を降りた。姿の見えない少女たちがいる部屋はあまりにも空虚で、まるで世界から見捨てられたかのような、深い寂寥に包まれていた。