「この先だ」
階段を下りた先に佇む、一枚の扉。扉越しでも、何者をも寄せ付けない威圧感が伝わってくる。
私たち四人は呼吸を整えると、各々武器を握りしめた。そして先にユウリが一歩前に出て、扉に手をかけた。
重厚な扉をゆっくりと押し開く。その途端、殺気とも瘴気ともつかない混沌とした空気が流れ込んで来た。
「……あれが、魔王」
無意識に呟いた私の喉は、すでにカラカラだった。
扉の向こうは、まさに王の間にふさわしい荘厳な空間だった。部屋の装飾や壁紙は当時のネクロゴンド王国の栄華を感じさせるほどの気品に溢れ、天井には職人の粋を極めた豪華なシャンデリアが吊り下がっている。しかしその装飾品のどれもが、圧倒的な瘴気により華やかさと美しさを失わせていた。
そして、部屋の最奥に高くそびえる玉座。そこに鎮座していたのは、ローブを着た異形の怪物。一見すると魔法使いにも見えるが、その緑色のローブから覗く土色の皮膚と、一本の大きな角を生やした巨大な頭は爬虫類を思わせる。しかし大きくぎょろりとしたその目には、底知れぬ知性と冷酷さを湛えているように見えた。
『ついにここまで来たか、勇者よ』
その存在が口を開いた瞬間、空間が震えた。声というよりは、直接脳を揺さぶるような重低音に、無意識に足が震える。
『人間ごときが、我が配下の者共を悉く倒すとはな。しかし、この大魔王バラモス様に逆らおうなどと、身の程をわきまえぬ者たちじゃ』
魔王がゆっくりと玉座から立ち上がる。その瞬間、圧倒的な圧力が私たちの全身にのしかかった。
『ここに来たことを悔やむがよい。再び生き返らぬよう、そなたらの腸を食らい尽くしてくれるわ!!』
ばさり、と魔王のローブが翻る。その瞬間、戦いの火蓋は切って落とされた。
「行くぞ!!」
ユウリの声を皮切りに、私たちは一斉に戦闘態勢に入った。
ユウリとナギがバラモスに向かって走り出す。後方ではシーラが賢者の杖を前に突き出し、精神を集中させている。そして私はと言うと、ユウリの声が響くより先に、星降る腕輪の力を解放していた。
私は床を強く蹴り、自分でも驚くくらいの瞬発力で駆け出した。
そして誰よりも速くバラモスの懐へと潜り込むと、黄金の爪を装着している右手を振りかぶり、バラモスの腕めがけて横一線に払った。
ザシュッ!!
ドサ、とバラモスの右腕が床に転がる。黄金の爪の威力を十分に発揮出来た達成感に、気分が高揚する。
「うらあっ!!」
ビシィッ!!
その隙に、バラモスの背後に回り込んだナギがドラゴンテイルで奴の頭部を打ち払った。鋭い刃を鎖にした彼の得物は、バラモスの皮膚に無数の傷を与えた。
「ヒャダルコ!!」
続いてシーラの氷結呪文がバラモスの両足と床を繋ぎ止める。氷塊はバラモスの下半身までも凍らせ、身動きできない状態にさせた。
ザンッ!!
そこへ、畳み掛けるようにユウリがバラモスの巨体を袈裟懸けに斬り伏せた。稲妻の剣によってつけられた傷口から、ローブ越しに紫色の血が滲み出す。
『く、くく……』
しばらくして、身体中血だらけの魔王の肩が震え始めた。まさかこの程度の攻撃でやられるとは思っていないが、想像以上にダメージを与えられたようだ。
『くはははは!! この程度か!! 所詮虫けら以下の人間どもが!!』
「!?」
すると、哄笑するバラモスの身体に、黒い霧のようなものが漂い始めたではないか。その霧はバラモスの傷口を覆い包むと、みるみるうちに修復した。私が薙ぎ払ったバラモスの右腕も、驚異的な速さで再生していく。
「そ……、そんな……!」
黒い霧はさらにシーラの放った氷塊をも霧散させた。
「くそっ、あれだけの傷を一瞬で治しやがって……!!」
その再生速度は、かつてサマンオサで戦ったボストロールの比ではなかった。抉り取ったはずの肉が、まるで時間を巻き戻すかのように盛り上がり、再生していく。普通の魔物なら瀕死のダメージのはず。それをバラモスは一瞬で全快させてしまったのだ。
『我が魔力の前では、どれほどの攻撃を与えようとも全て無意味に等しい。――では、今度はこちらから行くぞ!!』
バラモスの指先から、闇を溶け込ませたような禍々しい色の光が灯る。その光はどんどん大きくなり、人の頭の大きさほどの光球となる。
刹那、私の全身の産毛が逆立った。逃げなければ――。そう本能的に悟った瞬間、凄まじい圧を放つバラモスの口が大きく開かれた。
「イオナズン!!」
――その瞬間、視界が真っ白に塗りつぶされ、世界から『音』という概念が消えた。
それが自身の目と耳が許容できる範囲を超えた結果だということに、私は最後まで気が付かなかった。
遅れてやってきた凄まじい爆風と熱風。それらが合わさり、私の鍛え上げた体をまるで木の葉のように軽々と吹き飛ばした。
「がはっ……ぁ……!」
床を何度もバウンドし、城の柱に背中を叩きつけられた。肺の中の空気が無理やり押し出され、視界がチカチカと明滅する。
口の中に広がる鉄の味に吐き気を催す。視界は次第に滴る血で覆われ、全身が焼けるように痛い。そんな朦朧とする意識の中で、私は見た。
今まで自分がいた場所が、たった一撃でクレーターのように抉れている。舞い上がる粉塵の向こう側で、魔王の哄笑が響く。
――お願い、立ち上がって! こんな所で、倒れるわけにはいかないんだから!!
私は恐れと痛みで震える拳を握りしめながら、必死に自らを鼓舞した。腕を床に突き立て、歯を食いしばりながら身体を起こす。
――そうだ、皆は!?
辺りを見渡すと、ナギは全身傷だらけで倒れており、少し離れた所ではシーラも頭から血を流しながら横たわっている。そしてユウリは、一人魔王に刃を向けながらも、私たちを庇うようにその場に立っていた。
『ほう……。さすがは勇者と言ったところか』
驚嘆の声を上げるバラモス。しかし、その言辞と態度は明らかに嘲弄している。
「シーラ!! 俺が奴と戦ってる間に、皆の回復を頼む!!」
「……」
ユウリの声に、微かにシーラが握る杖が動く。けれどそれきり、声すら上げることもできずに呼吸をすることで精一杯だ。
このままだと皆死んでしまう!! まずはシーラに薬草を使わなきゃ……。
『だが、ここで生き永らえたとて無意味! このまま地獄の業火に焼かれて死ぬがいい!!』
バラモスは高らかに叫ぶと、その大きな口で息を思い切り吸い込んだ。
「させるか!!」
バラモスの次の攻撃が来る前に、ユウリが
――だけど、あの攻撃はきっと……!!
「ダメっ!! 伏せて!!」
力を振り絞って叫んだ私の声が響くのと、バラモスが顎を開くのは同時だった。バラモスの口から、赫灼と燃える炎が吐き出される。そして巨大な火柱となった炎は、魔王へと立ち向かう勇者をやすやすと飲み込んでしまった。
それは炎というより、猛り狂う濁流だった。バラモスの口から溢れ出した白熱の火柱が、爆風にさらされた床を舐めるように広がっていく。
ユウリを飲み込んだ炎は、瞬く間に私たちをも巻き込み、まるで嵐のように私の身体を焼き尽くしていく。
「ああああっっ!!」
先ほどのイオナズンで受けた傷も癒えぬまま、紅蓮の炎が私の身体に容赦なく痛みを与える。
肺に吸い込む空気そのものが、焼けた鉄のように熱い。一瞬で肌の水分は蒸発し、舐めるように皮膚を焦がしていく。
あまりの激痛に、意識が朦朧としてくる。私の中の生存本能が、『危険』だと告げている。――このままだと、本当に死ぬ。
その時、炎の壁の向こう側から、誰かが叫ぶ声が聞こえてきた。すると、次の瞬間――。
「――バギマ!!」
刹那、爆風が荒れ狂った。バラモスが吐き出し続けていた『激しい炎』が、巨大な真空の刃によって真っ二つに切り裂かれる。
紅い世界を二つに分断させたのは、ボロボロの身体で杖を突き立てているシーラだった。
「シーラ!!」
私は驚いて目を見開いた。
押し寄せていた灼熱の壁が、彼女が次々と生み出していく風の刃によってじわじわと押し戻されていく。やがて幾重にも重なった風は一つの大きな旋風となり、荒れ狂う炎を巻き込んで、ついには巨大な火柱となり天井へと跳ね上げた。
炎は天井を余すことなく焼き焦がしたあと、役目を終えたかのように消えた。静寂が、私たちの周りを包む。
今までのバギマとは比べ物にならない。これがシーラが扱うバギマの真の力なのだろうか。
「ベホイミ!!」
さらにシーラの声に呼応するかのように、私の身体の周りに暖かい光が集まっていく。爆発と炎によって焼かれた肌が、みるみるうちに元の状態に戻っていく。今までの
「ありがと、シーラ!!」
「ミオちん……。ユウリちゃんとナギちんを……回復してる間に……、バラモスを……お願い……」
振り向くと、シーラは口の端に血を流しながら弱々しい声で答えた。杖に全体重をかけている彼女は、今にも倒れそうなくらいフラフラしている。けれど、魔王を見据える瞳に迷いの色はなかった。
彼女が命がけで私を回復してくれたのだ。私もその思いに、応えなければ。
「わかった!!」
私は力いっぱい頷いてバラモスに向き直る。私の背中越しに、シーラが回復呪文を唱える声が響いた。
『ほう……。少しはやるようだな。――だが、その程度ではわしには勝てぬ』
ぶわりと、全身の毛が逆立つ。今まで以上の殺気が私に降り注がれていく。けれど、今の私に逃げるという選択肢はない。バラモスを倒す、ただそれだけの理由で猛然とバラモスに向かっていった。
「はっ!!」
星降る腕輪の力を借りながら、バラモスの間合いに入る。私の頭目掛けて腕を払うバラモス。それをすんでのところで躱し、身を捩りながら拳に力を込める。バラモスに一瞬の隙が生まれた瞬間、私は黄金の爪を装備した手で正拳突きを叩き込んだ。
バラモスの脇腹に黄金の硬い爪が食い込み、そのまま肉をえぐり取るように横払いした。この武器でなければ、魔王の硬い皮膚を貫通することはできなかっただろう。しかしえぐり取るまでは行かないまでも、数本の深い傷を負わせることに成功した。
『この……虫けらが!!』
バラモスが手をこちらにかざし何やら口を動かしている。それが呪文詠唱の予備動作だと悟った私は、足を蹴り上げ牽制し、バラモスの動きを止める。当たりこそしなかったものの、呪文が中断されたバラモスは一歩後退し、再び手のひらをこちらにかざした。
『バシルーラ!!』
「!?」
見えない衝撃波みたいなものが、私の身体を後ろに吹き飛ばした。今まで
すぐに起き上がるが、バラモスはすでに次の呪文を唱えようとしている! 私は急いで起き上がり、バラモスのところまで全速力で駆け出した。
だが、バラモスはにやりと不気味な笑みを浮かべると、こちらに向かって口を開けた。
『メダパニ!!』
途端、視界が歪み、頭の中がクラクラし始めた。一生懸命走ってるのに、バラモスからだんだん遠ざかっていく。身体が思うように動かなくなり、意識も遠のいていく。
――自分が自分じゃないみたい……!!
まるで操られているような感覚の中、私の足はひとりでに仲間の方へと進んでいく。
「ダメッ、ミオちん!! こっちに来ちゃダメ!!」
目の前に、杖を持ったシーラが叫んでいる。けれどそれが私に対して言っているという認識はなかった。シーラの声が、私の耳を右から左へ通り過ぎる。それどころか景色が歪み、大好きな仲間たちが、かつてアリアハンの外で戦った化け物たちに見え始めたではないか。
皆はどこ? 早くシーラを見つけて……、あれ? シーラって、だれだっけ……?
混濁した記憶が、私の判断を極限まで鈍らせる。黄金の爪を振りかぶる私の影が、目の前にいる誰とも知らぬ人物の表情を曇らせていく。その瞬間、誰かの絶叫が聞こえた気がした――。