ザンッ!!
背中が、生温かい液体に塗れる感覚。それが血液だと認識するのに、幾秒もの時間が必要だった。
「え……?」
振り向いて、後ろを見る。目の前には、醜悪な顔で私を見下ろすバラモスの姿。そして、私とバラモスの間に立っていたのは、血に塗れた剣を握りしめてバラモスと向き合っているユウリの姿だった。
「魔王のくせに、随分と卑怯な真似をするんだな」
返り血を浴びたままのユウリは背後の私に目もくれず、剣についた
『くっ……。まだ生きておったか、勇者よ。だが貴様らが生き永らえるのも、ここまでだ』
バラモスが手をかざす。あの予備動作は先ほどのバシルーラと同じものだ。
ユウリを守らなきゃ――。しかし、私の意思とは反対に、私の身体はなぜかユウリを標的に腕を振り上げている。
――ダメッ、このままだと、ユウリを攻撃しちゃう!!
私の悲痛な思いとは裏腹に、私が装備している黄金の爪はユウリの背中に狙いを定めていた。しかしそれと同時に、バラモスの呪文が完成した!
『バシルーラ!!』
『アストロン!!』
ほぼ同時に、ユウリが自身を鋼鉄に変える呪文を唱える。バラモスのバシルーラと、私の黄金の爪。双方が鋼鉄の身体に受け止められ、膠着状態となる。
――ああ、良かった……。ユウリを傷つけないで済んで……。
だけど私の身体は依然として言うことを聞かないままだ。判断力が麻痺しているこの状態では、いつまたユウリや他の仲間に攻撃するかわからない。
「ミオ!!」
バシッ!!
後ろから声とともに、背中を勢いよく叩かれた。その瞬間、混迷としていた意識と視界が鮮明になる。
「あ、あれ? 私……」
自分の手のひらをまじまじとみつめる。思い通りに動く自身の指に、私は驚きと安堵で動揺する。
「しっかりしろ!! お前の敵は魔王だろ!!」
私の背後から、息を切らしたナギが叱咤する。どうやら私の背中を叩いたのはナギらしい。そのおかげで、私にかかっていたメダパニの効果は解かれたようだ。
「あ、ありがとう、ナギ……」
「こっちこそ、オレたちが回復してる間に戦ってくれて、ありがとな」
短くそう言うと、ナギは素早くドラゴンテイルを手に持ち、鋼鉄化が切れたユウリの元へと駆けていった。
私は後ろを振り向いてシーラに声をかける。
「皆を回復してくれたんだね、シーラ!!」
私の声に、シーラは小さく笑ってピースサインを見せた。
「あたしは皆を援護するから、安心して戦って!!」
そうだ。私には、頼りになる仲間がいる。たとえ自分が倒れても、助けてくれる仲間がいる。私を頼りにしてくれる仲間がいる。皆がいるから、私はこれまで戦うことができたんだ。
「皆!! 全力で行くぞ!!」
「おう!!」
「うん!!」
「了解!!」
ユウリの声に、気合を込めた皆の答えが重なる。さっきと現状は変わらないはずなのに、力が満ち溢れてくる感じがするのは、きっと仲間との絆がそうさせているのかも知れない。
『くだらん、貴様らの命もここまでだ!!』
私が正気を取り戻している間に、いつの間にか腹の傷を回復していたバラモスが口を大きく膨らませている。さっきの激しい炎を吐くつもりだ!
「二度も同じ目に遭ってたまるか!!」
一足先に走り出たナギがバラモス目掛けてドラゴンテイルを振り下ろす。ナギの攻撃はバラモスの頭に生えている角を叩き割り、やむなくバラモスの攻撃は中断される。
「ユウリちゃん、バイキルト!!」
攻撃倍加呪文により、攻撃力が格段に増したユウリの剣撃がバラモスの左腕を斬り落とした。
だが次の瞬間、斬り落としたバラモスの左腕の切り口から、すぐに新しい腕が生えてきた。
「くそっ! また再生しやがって……」
その時私はあることに気づく。
「ねえ、バラモスの角は再生してないよ!?」
「!?」
どういうわけか、ナギに折られたバラモスの角は、未だ生えていなかった。
「まさか、回復が追いついてない!?」
ユウリの推察により、一つの勝機が見えてきた。この調子で攻撃を叩き込めれば、倒せるのではないか!?
全員が悟った。ゆえに誰も何も言わぬまま、攻撃の手を緩めることなく猛攻を続ける。
「ピオリム!!」
シーラの呪文により、全員の素早さが上がった。私とユウリ、ナギの息もつかせぬ攻撃が次々とバラモスに浴びせられる。
それでもバラモスは不敵な笑みを見せながら、なおも呪文を唱えた。
『メラゾーマ!!』
今度は火炎系最強呪文。巨大な火球が標的であるユウリに向かって放たれる。
さすがにあの大きな火球を避けることは出来ない。しかしユウリは右手を上に高く上げると、すぐさま呪文を唱えた。
「ライデイン!!」
雷撃が、ユウリとバラモスの間に吊り下がっているシャンデリアの鎖を断ち切った。鎖を切られたシャンデリアが凄まじい衝撃音とともに床に落ちたと同時に、バラモスの放ったメラゾーマが直撃する。
その隙に、もうもうと立ち込める煙に紛れるように私とナギが二手から回り込み、バラモスの懐に入る。
『小癪な!!』
バラモスの拳が私とナギ、双方に突きつけられる。そして短く口を動かしたあと、両の手のひらをバッと開いた。
「マホトーン!!」
『バシルーラ!!』
バラモスより先に、煙を断ち切るように正面から飛び出したユウリが呪文を放った。多様な呪文を駆使するバラモスに、呪文を封じ込めるマホトーンは効果てきめんだが、果たして――!?
しん……、と戦闘中にも関わらず辺りが静まる。私とナギが吹き飛ばされてないということは、バシルーラの呪文が封じられたということだ。
『なっ……!?』
よく見ると、バラモスの周囲に透明な霧のようなものがまとわりついているのがわかる。今までのマホトーンでは見られなかった現象だが、レベルアップしたユウリの力なのか、今は呪文の効果が可視化されるようになっている。
「形勢逆転だな」
顔をわずかに歪めるバラモスに対し、ユウリは不敵な笑みを見せた。
――このまま一気に畳み掛ければ、魔王を倒せる!! 勝機を見出した、その矢先だった。
『ふっ……、くはははは!! 甘い、甘いな人間どもよ!!』
バラモスの哄笑が不気味なほどに響く。ひやりとした空気がバラモスから発せられ、私たちは身動ぎすら出来なかった。
『貴様らがこの部屋に入るとき、わしの結界を通ったことを忘れたか? あの結界はな、わしの魔力があまりにも強大故、わしの配下の魔物に影響を与えぬようわし自ら力を封じ込めていたのだよ』
そう言うとバラモスは、右手で軽く指を鳴らした。すると、上の方でパン、という何かが破裂したような音が聞こえた。
その瞬間、重力に押しつぶされそうな感覚を覚え、思わず膝を曲げた。
「うっ……!!」
すると突然、シーラが口元を押さえてその場に崩れ落ちた。慌ててナギが駆け寄りシーラを支えるが、彼女の顔は瞬時にして真っ青になった。
「どうしたの? シーラ!!」
「……まさかバラモスが、これほどの魔力を持っているなんて……」
「魔力!?」
魔力の気配に敏感なシーラの反応を見るに、結界によって封じていた一部の魔力を解放したバラモスは、よほどの脅威なのだろう。横目でユウリを見ると、彼もシーラほどではないが苦い顔をしている。
『本来の魔力を取り戻したわしに、貴様ら人間ごときが生み出した呪文など効かぬ!!』
マホトーンの魔封じの霧が、咆哮とともにバラモスの内側から溢れ出した魔力によって吹き飛ばされた。
バラモスは咆哮と共に、両の掌に先ほどとは比べものにならないほど濃密な、漆黒の雷光を纏った魔力を収束させた。大気が悲鳴を上げ、城の空間そのものがミシミシと軋み、歪んでいく。
『くらえ!! イオナズン!!』
全てを無に帰すほどの爆発を伴う死の球が今、バラモスの魔力を注ぎ込むことによって巨大な闇そのものとなり、部屋全体に解き放たれた。
――これじゃあ防ぎようがない!!
「マホカンタ!!」
シーラの凛とした声が響いたと同時に、私たちの周囲に虹色に光る透明な壁が張り巡らされる。その直後、バラモスが放った最大級の爆発呪文が着弾した。
ドォォォォォォンッ!!
爆発の衝撃が、至近距離で炸裂する。だが、熱波も、衝撃波も、私たちには届かない。
バラモスの放った漆黒の爆発は、シーラが作り出した鏡の壁に触れた瞬間、あざ笑うかのようにその軌道を反転させたのだ。
『なん……だと!?』
バラモスの驚愕の声が、自らが放った爆炎に飲み込まれていく。
『グァアアアアァァァァ!!!』
まさか自分が放った呪文が、跳ね返って自分自身へと襲いかかるとは思わなかったのだろう。魔王の巨体が爆風に包まれ、悶絶する地響きが玉座を揺らした。
「すごい……!! すごいよシーラ!!」
鏡の壁越しに映るシーラの懸命に戦う姿に、私は涙が零れそうになる。
ユウリも、ナギも、シーラも、皆ボロボロになりながらも立ち上がり、戦っている。絶対に魔王を倒すという強い意志が、離れていても伝わってくる。
――師匠!! あなたが私に託した願い、今ここで果たしてみせるから、見ててね!!
イオナズンを反射して役割を終えたのか、マホカンタの壁が消える。それと同時にシーラが膝をついて座り込んだ。
「シーラ!!」
「だ……、大丈夫……。でも、ちょっとだけ……休ませて……」
肩で息をしながらも、シーラは気丈に振る舞う。
「あ……、あたし……。少しは皆の……役に……立ったかな……?」
「当たり前だよ!! シーラのおかげで、私たち助かったんだよ!!」
「へへ……。良かった……」
シーラは賢者の杖にもたれかかりながら、力なく頷いた。もうこれ以上は体力の限界なのだろう。
「ここで待っとけ、シーラ! トドメはオレたちが刺すからな!!」
「ありがと、皆……」
ナギが力強く言うと、シーラは安堵の笑みを浮かべた。彼女が繋いだ勝利への道を、今度は私たちが導く番だ。
「行こう、二人とも!!」
いよいよ最後の決戦に向けて、私たちは走り出した。