アリアハンを出てから約二年――。ようやく俺は旅の目的を果たすことができた。
そんな俺が旅を終えてまず成したかったこと、それはアリアハンに戻り、母親にこれまでの旅の報告をすることだった。
久しぶりに見た故郷の家はところどころ傷みや傷が目立っており、時の流れを感じさせた。
軋むドアを開け、部屋の中を見回す。食事の支度をしているらしく、俺の気配には気づいていないのか、部屋の奥にある台所の前で忙しく動いている。
少し小さくなった背中を眺めながら、俺は二年ぶりの相手に向けて声をかけた。
「……ただいま、母さん」
ぼそりと言った俺の一言に、動きを止める。躊躇いながらもこちらを振り向き、俺の姿に気づいた途端、母はその場に崩れ落ちるように座り込んでしまった。
「母さん!?」
突然の事態に俺は慌てて駆け寄る。母は肩を震わせながらも、俺の顔をまじまじと見て口元を緩めた。
「これは夢かしら……。本当に、ユウリなの?」
「ああ。魔王を倒して、ここに帰ってきた」
その言葉を聞いた瞬間、母は俺の胸に顔を埋めて泣き出した。そんな母を抱きしめながら、俺はようやく旅の終わりを実感したのだった。
それから俺は、母に今までの旅の話を話すことにした。話し終える頃にはすでに一日が終わりかけていたが、母はずっと笑顔で耳を傾けてくれていた。
何が面白いのか、と視線で問う俺に、母は慈しむような眼差しを向けた。
「ふふっ。旅の話をする時のあなたは、とても楽しそうだわ。それに少しだけ寂しそう。……良い仲間と出会えたのね、ユウリ」
実の親にそんなことを言われて気恥ずかしくなった俺は、無意識に口を噤む。
――寂しいだなんて、かつての俺ならありえない感情だ。……だが、即座に否定できないのも事実だ。
「魔王を倒して、たくさんお話して、疲れたでしょう。今からご飯を作るから、それを食べて今日はゆっくり休みなさい」
そう言うと母は椅子から立ち上がり、再び台所へと向かった。
年季の入ったテーブルと椅子。シミのついた壁。窓から見える少し様子の変わった庭。かつて生まれ育ったはずのこの家が、なぜか今は他人の住んでいる家のように感じる。
「あ、そうだ。二階におじいちゃんが寝てるから、ご挨拶して来なさいね」
そういえば、俺がこの家に帰ってから、一度も姿を現していない。あの頑丈さと口の悪さだけが取り柄のジジイにしては珍しかった。
「おじいちゃんね、あなたが旅に出てから、急に腰を悪くして、今じゃほとんど歩くことができないの」
俺は思わず振り向いた。そう話す母の顔は、少し疲れているように見えた。
「もしかしたら、あなたがいなくて寂しかったのかもしれないわね」
俺の祖父クラークスは、その昔アリアハン王国騎士団長を務め、部下からの信頼も厚く、剣の腕も一流だった。しかしとある任務で足を怪我してしまい、定年間際になってやむなく引退したという。
そんな武勇伝を子供の頃に延々と聞かされた俺は当時うんざりしていたが、小言の一つも発せずに石のように横たわる今のジジイの姿は、今までの俺の記憶には存在しなかった。
重く静かな寝息を立てるジジイの寝顔は、想像よりも老けていた。二年でこうも変わるものなのか。旅立つ前、俺に親父の形見である稲妻の剣を渡した時の自慢げな顔が、急に朧げになる。
「あら、今日はずいぶんとぐっすり寝てるわね」
一階から上がってきた母が、俺の背後から顔を出してきた。母は俺の脇を通り過ぎ、ジジイのベッドのそばまでやってきて、ジジイを揺り起こした。
「お義父さん、ユウリが帰ってきましたよ。起きてください」
母が二、三度体を揺らすと、ジジイはゆっくりと瞼を開けた。焦点の定まらない目を何とか動かし、母の向こう側にいる俺に目を留める。
「……ユウリ? ユウリなのか?」
聞いたことのないしゃがれ声。しかし俺がここにいると理解した途端、急にジジイは身体を起こした。
「いたたたた!!」
「あらあら、急に起き上がったら腰が痛みますよ」
苦痛に顔を歪めるジジイに、俺はゆっくりと歩み寄る。昔から苦手な人物だったが、俺は無意識にジジイの目線に合わせてしゃがみ、彼の顔をまっすぐにとらえた。
「……魔王討伐の命を果たし、無事に帰って参りました」
その一言を伝えた途端、ジジイの目から涙があふれた。
「……おお、よくやった、ユウリ。お前は父の意志を継ぎ、立派にお役目を果たした。わしはお前を誇りに思うぞ」
そう言って俺の両手を取ると、自分の額に当てて啜り泣いた。俺の手を握るジジイの手はあまりにも細く節くれだっていて、こんなにも小さい背中だったのかと他人事のように眺める。俺はそのか弱い手を振り払うことが出来ず、涙を流し続けるジジイが落ち着くまでずっとそばにいた。
翌日。俺は特にすることもなく、かつての自分の部屋でベッドに体を預けながらぼんやりと天井を眺めていた。
ジジイから手渡された稲妻の剣はバラモスとの戦いで使い物にならなくなったし、親父が残していった兜は昨夜母に手渡した。俺が持っているよりも、母が持っていたほうがいいと思ったからだ。
兜の裏に描かれた親父の直筆のメッセージを読んだ母は「ありがとう」と一言俺に伝えると、兜を抱きしめたまま自分の寝室へと持っていった。
旅立つ前は明るく気丈だった母親は、少しやつれているように見えた。いつも俺に厳しくしていたジジイは満足に動き回ることもできず、孫の功績を涙ながらに褒め称えた。俺がいない間の二年は、二人にとってどれほどの変化を与えたのだろう。
残った魔法の鎧は部屋の隅に無造作に置いてあるが、もう使うことはないだろう。俺には鎧を眺めて旅の余韻に浸るような趣味はないから、そのうち部屋のクローゼットにでもしまい込むつもりだ。
けれど魔王を倒し、武器や装備品を外した勇者というのは、こうも暇なのか。己の存在意義に疑問を抱きながら、俺は魔王を倒す前に交わした仲間との会話を思い出した。
――ユウリちゃんは魔王を倒したら、何がしたい?
――……そうだな。またお前らと一緒に旅をするのも悪くないかもしれないな。
「……」
何故俺はあの時あんな事を言ったのか。今になって後悔と羞恥が襲ってくる。
次に頭に浮かんだのが、ミオの姿だった。旅が終わり、あいつとの接点はいよいよなくなってしまう。だけど俺は、あいつに伝えなければならないことがある。問題は、いつ伝えるかだ。
「ユウリ!! 世界が平和になったからって、修行を怠るとは何事じゃ!!」
俺の頭の中に犇めいていた様々な感情が、ドアを開ける音とともに放たれた、張りのあるしゃがれ声にかき消される。幼いころから耳にした、はた迷惑な声だ。しかし俺ははたと気づく。その声の主は、つい昨日まで弱々しい姿でベッドに寝ていたはずだったからだ。
ベッドから起き上がり、ジジイの顔を見る。昨日とは打って変わって、生き生きとした面構えをしている。忌々しい記憶がよみがえり、俺は不機嫌極まりない顔でジジイを睨みつけた。
「もう修行の必要なんてないだろ」
うんざりした口調で答えると、ジジイは思い切り頭を振った。
「いいや!! 勇者たるもの、平和の世でも常日頃から己を鍛えることが大事なのじゃ!!」
……昨日少しでもジジイに同情した自分を殴りたい。
俺はベッドから降り、鼻息荒いジジイの前まで近づくと、強引に部屋の外へと押し出した。
「魔王を倒したあとくらいゆっくり休ませてくれ」
「なっ、何をする!! おいこらユウリ!! 聞いとるのか!?」
話を聞かない年寄りに何を言っても無駄だと悟った俺は、ジジイの声を無視して部屋から追い出し、鍵を閉めた。昔からこうだったので、いつしか部屋に自作の鍵を作成して設置していたのだ。
「……むう、仕方ないのう」
しかし昔とは違い、ジジイは俺の意思が変わらないと見るや、急に諦めたのか大人しくなった。やがて隣の部屋のドアを開く音が聞こえ、静かになった。一瞬同情しかけたが、すぐに昔の記憶を思い出し、再びベッドに腰掛ける。
俺もいつまでもジジイの言いなりになるわけには行かないからな。それに、俺が魔王を倒したことで、考えも少し改めたのかもしれない。
などとジジイの言動について考えに耽っていると、再びドアをノックする音が聞こえた。まさかまたジジイとは考えにくい。となれば俺の部屋を訪れるのは一人しかいない。
俺はすぐにベッドから降りて、部屋のドアを開けた。ドアの前には予想通り、母が立っていた。だがなぜか、いつも以上にニコニコしている。
「ユウリ。あなたの仲間が遊びに来たみたい」
「は!?」
「やっほ〜♪ ユウリちゃん☆ なんか暇だから来ちゃった☆」
「ご、ごめんね、突然家にお邪魔しちゃって」
母の背後から顔を出して来たのは、全く悪びれない態度のシーラと、申し訳なさそうに謝るミオだった。
「……お前らも暇なのか?」
この二人に俺の実家のことは教えていないはずだが、大方町の人間に勇者の家はどこか聞いて回ったのだろう。突然訪問するのも別段驚きはしない。だが、なぜ暇だからって俺のところに来るんだ?
「お前ら『も』ってことは、ユウリちゃんも暇なの? 世界を救った勇者なのに?」
「なんか……意外だね。ロマリアの時みたいにもっとキャーキャー言われるかと思ったけど」
こいつらの発言は癇に障るが、今は母親がこの場にいるのであまり騒ぎを起こしたくない。俺は極力冷静に答えた。
「もともと俺は町の奴らからは好かれてなかったからな。昨日の騒ぎも、町の奴らがその場のノリで騒ぎ立てた一過性のものだったんだろう」
昨日アリアハンに移動した直後も、最初こそ俺たちを祝福してはくれてたが、それはミオたちを含めたパーティー全体に対してだ。魔王討伐の旅の途中で亡くなった英雄の息子に向けられるものの大半は、どうせ息子も父親と同じ道を辿るであろうという『諦め』の感情、または勇者という特別な職業や俺自身に対する『嫉妬』だ。年の割にはレベルが高い俺を気に食わない奴らも大勢いたし、見た目で近寄ってくる女たちやその女に好意を寄せる男どもも数え切れないほどいる。そんな奴らの嫉妬に対して無視したり返り討ちにしたりするうちに、町の人々に対する俺の好感度は極限まで下がってしまった。まあ別にそれで不都合があったことはないのだが。
『……』
事実を述べたはずなのに、二人はなぜか俺の発言に対し、憐れみにも似た表情を浮かべている。
「そういえば最初にルイーダの酒場に来たときも、ユウリのひと言で冒険者の皆帰っちゃったもんね……。なんか、思い出させてごめん」
悲しそうに頭を下げるミオに、俺は何と答えていいかわからず黙り込む。俺は別になんとも思ってないのだから、お前が落ち込む必要はないだろ。――とは軽々しく言える雰囲気ではなかった。すると、淀んだ空気を入れ替えるように、俺たちの間にシーラが口を挟んできた。
「あ、そうそう! ルイーダさんが、ユウリちゃんによろしくだって!」
「ルイーダ? お前ら、酒場に寄ったのか?」
俺の問いに、二人は大きく頷く。何故か不気味なくらいニコニコとしている。
「う、うん! 夕べルイーダさんのお店で食事したんだ。それで、ルイーダさんにユウリのこと、いろいろ聞いちゃって……」
は!? あいつ、何をこいつらに喋ったんだ!?
「あー、大丈夫。あたしたち口固いから。8歳の夏と12歳の秋のことについては誰にも言わないから」
「待て!! 一体何の話だ!? あいつは一体俺の何を知ってるんだ!?」
確かにルイーダとは昔からの馴染みだが、本人も全く心当たりのない話を他人に話すとか、何を考えてるんだ、あの年増は。
「それとさ、昨日あたしが言った御神託の効果なのか、ルイーダさんのところにたくさんのお酒が届いたんだよ〜☆ すごくない?」
「ルイーダさん、驚いてたね」
「……まさかお前それ、全部飲んだのか?」
「あはは〜、流石に半分くらいはルイーダさんにあげたかな」
「いやいやシーラ、それちょっと盛ってるよね?」
仲間の奇行に、俺は思わず頭を抱える。頼むから俺の地元でこれ以上変な真似はしないでくれ。
そんな俺たちのやりとりを傍で見ていた母の、クスクスとした笑い声が聞こえてきた。
「ユウリは幸せ者ね。こんなに明るくて楽しい仲間がいるんだもの。ねえ、あなたたち。今夜はうちでご飯食べない?」
『え?』
「なっ……、何言い出すんだ!?」
「だって、せっかくだもの。ユウリが皆とどう接してきたか、聞きたいじゃない。あ、でも、二人が良ければだけど」
「暇だし全然オッケー!!」
「あ、その、ユウリが良ければぜひ!!」
期待に満ちた目で、俺の反応を窺う二人。その圧に負けた俺は、深く息を吐いた。
「……おふくろがいいのなら別に構わない」
暇で静かだった俺の一日は、一転して騒がしくなった。だが、以前の俺なら人と接することすら疎ましかったが、こいつらとなら一緒にいてもいいと思えるようになっていたことに、自分が一番驚いていた。
それから二人は母と楽しそうに話をしていた。完全に俺は蚊帳の外だったが、時折俺に話を振るたびに母親の前で二人と話すのが気恥ずかしいと感じてしまい、つまらない返答ばかりしてしまう。そんな俺をシーラはニヤニヤしながら眺めているし、隣にいるミオは心配そうにチラチラと見ている。どうにも落ち着かないので二階に戻ろうと席を立とうとしたら、突然ミオに袖を掴まれた。
「どこに行くの?」
上目遣いでじっと見つめ引き止める彼女の仕草に一瞬戸惑ったが、すぐに我に返り再び椅子に座る。
「そうだよユウリちゃん! もっと話そうよ〜! そういや明日のパーティーって、ダンスとかするの?」
「まあ……、王室主催のパーティーなら大体やってるな」
「あ、でも私はエジンベアでビビに少しダンス教わったから、できるよ」
「あー、そういえば言ってたね。実はあたしもアッサラームでは一通りダンスの稽古やってたんだよね〜☆ ユウリちゃんは?」
「……幼い頃、王女につきあわされて強制的に覚えさせられたな」
途端に嫌な記憶が蘇る。剣の稽古中に突然王女――オデットに呼び出され、嫌々ダンスにつきあわされた子供の頃。あのときはすでに相手が逆らってはいけない王族だと認識していたから、黙って従ってきた。それがかえって彼女の暴走に歯止めが利かなくなったと気づいたときには、すでに遅すぎたのだが。
「そっか〜。てことはダンス初心者はナギちんだけってことだね☆」
「逆にあいつがダンスを踊れたら尊敬するけどな」
「ゆっ、ユウリがナギを尊敬……!? 天変地異の前触れかも……」
などと話していると、またも小さく笑う声が聞こえてきた。
「おふくろ……?」
「ふふ……。ごめんなさいね、あなたたちの会話を聞いてるのが面白くて……」
親父が行方不明になってから、母は笑うことが少なくなった。母がこうして何気ない会話で笑うことが出来る人だなんて、今までの俺なら気づいてあげることすら出来なかっただろう。仲間なんて煩わしいと思っていた二年前の俺からは想像できないほどの変貌だ。
「なんかユウリも嬉しそうだね?」
隣でミオがニコニコしながら尋ねる。いつかお前には伝えなければならないな。俺が変われたのはお前のおかげなんだと。
しばらく話をしたあと母が台所に向かい、それを見かねたミオが母を手伝い始めた。
リビングに取り残された俺とシーラ。しばしの沈黙のあと、シーラが神妙な顔つきで俺の方を向いた。
「ねえ、ユウリちゃん。ユウリちゃんの本当の気持ち、ミオちんに伝えないの?」
「っ!?」
あまりにも唐突な質問に、俺は一瞬身体をビクつかせる。もし心当たりがないのなら動揺したりなんかしないのだろうが、完全にタイミングが悪すぎた。いや、こいつはきっと確信犯だ。
「もう魔王も倒したし、躊躇う理由なんかないよね? モタモタしてたら、取り返しのつかないことになっちゃうよ?」
「わかってる。……明日の夜、伝えるつもりだ」
お互い、『何』かは言わずとも察している。俺の態度に何かを感じ取ったのか、シーラは静かに息を吐いた。
「……うん、ならいいんだ。でもユウリちゃんて、肝心なときにヘタレだからなあ〜」
「お前が俺の何を知ってるんだ」
「でもまあ、そうやってわざわざ宣言したってことは、ユウリちゃんの覚悟は本物だってわけだ」
そう言うとシーラは、安堵した顔をした。
「あたしね、二人には誰よりも幸せになってほしいの。それが、あたしの一番の願い。だから――」
「お前に言われなくてもそうするつもりだ」
きっぱりと言い切ると、今度は苦笑した。
「へへっ。ユウリちゃんらしいなあ」
きっとシーラは、ミオが落ち込んでいた時も親身になってそばにいてくれたんだろう。普段おちゃらけていても、彼女は人一倍仲間のことを思いやっている。そこは素直に尊敬できるところだ。
「……今まで、ありがとな」
「え!? なにそれ怖い!! ユウリちゃん気持ち悪いよ!!」
「……」
あからさまに嫌悪感を示すザル賢者に、俺は再び後悔と羞恥に襲われたのだった。
*めんどくさい性格の勇者の母親に対する呼び方
モノローグでは母、母親など。人前ではおふくろ。母親と二人きりの時は母さんなど、微妙に使い分けてます。