遡ること、少し前――。
「――誰も踊らないのなら、わたくしと踊ってくださる?」
幼い頃から何度も耳にした、女性にしては少し低い声。その口から発せられる彼女のわがままに、俺はどれだけ苦労してきたことだろう。
その手を振り払うこともできたのにしなかったのは、幼い頃から恩義のある陛下の前で不躾な真似は出来ないと思ったからに他ならない。
俺は極力感情を捨てながら、なるべく彼女から視線を逸らして一歩踏み出した。小さい頃何度も一緒に付き合わされた曲のステップを、今でも無意識に覚えているのが余計に腹立たしい。
曲に合わせてお互いが近づき、離れる。端から見れば息の合った完璧なダンスだが、そこに意思の疎通は一切ない。オデットと最後に顔を合わせたのは六年前。俺を女性不信にさせたあの出来事以来会っていない。それから彼女から呼び出されることはなかったし、こちらから彼女に会いに行くこともなかった。だから今彼女が何を考えているのか、なぜ今になって俺とダンスを踊ろうとしたのか、意図がわからない。ちらりと視線を目の前の女性に向けると、その瞳は驚くほど冷静に俺を見つめていた。
「そんなに警戒しなくても、もうわたくしはあなたのことを、なんとも思っていませんわ」
耳元まで顔を近づけながら、オデットが囁く。俺は思わず顎を引いた。
「……あなたに振られたあと、とある貴族令息と婚約したの。最初は嫌でずっと拒否してたけど、あなたが魔王討伐の旅に出ると聞いて、諦めて承諾したわ」
「……」
「本当はあなたがわたくしに興味がないって、気づいていたわ。でも、わたくしが王女であることを理由に、あなたを縛りつけていた。今思えば、希少なアクセサリーを手元に置いて、自分が価値のある存在だと認めたかっただけだったのかもしれないわね」
曲調が変わり、今度は聞いたことのない曲が流れる。なんとなく足を動かすが、オデットの話が頭の中に響き、曲が何も耳に入ってこない。
「あの頃はあんなにあなたを求めていたのに、今は全く興味がないの。あなたがオルテガのようにもうここには戻ってこないかもしれないと思ってしまったから。だから今、こうしてダンスをしているのも、社交辞令。それと、あなたへの気持ちに区切りをつけるためでもあるわ」
すました顔で話しながら、そつなくダンスを踊り続けるオデット。そこにはもう、俺に対する執着は感じられなかった。
オデットは……、最後まで自分勝手な人だ。散々振り回しておきながら、俺をアクセサリー呼ばわりして、しまいには興味がないと言い放つ。今まで彼女にとらわれていた自分は何だったのかと、唐突な喪失感に襲われる。
ここまで勝手なことを言われたら、こちらも何か言い返さないと気がすまない。俺は意を決して口を開く。
「……王女殿下。あなたと関わってから、女性に対して苦手意識を持つようになりました。正直あなたのことは……、今でも苦手です」
「ふうん。しばらく会わない間に随分言うようになったわね」
「ですが旅をしていろんな人と関わる中で、考え方も少し変わりました。それに今は……、好きな人がいます」
なんの駆け引きも脈絡もない、言いたいことをただ言っただけの言葉。言い終わったあと互いの視線が合い、王女の変わらない表情が目に入る。
「そう。ならよかったわ。いつまでもわたくしのせいにして独り身でいるようなら責任を感じてしまうから」
そこまで言うと、オデットは俺から視線を外して踊りに専念するようになった。俺もまた、これ以上話すことはないからと、曲が終わるまでただ淡々と踊り続けた。幼い頃王女に付き合い、嫌というほど聞かされたメロディーが、この時ばかりは心地よく聞こえた。
曲が終わり、王女であるオデットは他の来賓と踊るため、俺から離れた。踊りだけでなく、彼女との因縁がこれで一区切りついたような、奇妙な達成感を抱いた。
肩の荷が下りた気分になり、俺は辺りを見回す。俺が踊りたい人は王女などではない。ヘレン王女らしき声も聞こえたが、今は構ってる暇はなかった。
あいつは――、ミオはどこにいる?
どうして俺はすぐに彼女の手を取らなかったのだろう。いつもと違う大人びた雰囲気のドレス姿に見惚れながらも、気の利いた言葉一つ伝えられず臆してしまったからだろうか。もしそうなら、俺はとんだ大馬鹿野郎だ。
だが、いくら見渡しても彼女の姿は見つからない。すると、フロアの隅で不思議な踊りをしている一組の男女を発見した。
「お前ら、何やってるんだ?」
俺は呆れながら、見た目に不釣り合いな情けない動きをしているナギと、それを支えるシーラに声をかけた。
「何って、ダンスだよ、ダンス!! 今日初めてやった割には上手いだろ?」
「お前のはどう贔屓目に見てもサルが酔っ払っているようにしか見えないが」
もしくは歩いたばかりの子ザル(バカザル)を支えようとしている飼い主(シーラ)だろうか。そもそも普通の冒険者がダンスを踊れるほうが珍しいのだが。
「そんなことよりユウリちゃん!! なんでミオちんそっちのけで王女様と踊ってんの?」
「っ……!」
図星を突かれ、二の句が継げない俺。ぴしゃりと言い放つシーラの言葉に、俺は言い訳のしようもなかった。あの場で断れば陛下の顔に泥を塗る行為に等しいなどと、いくら彼女に言い繕ったところで許してくれるとは思っていない。昨日散々釘を差されたにもかかわらず、取り返しのつかない事態を招いてしまった責任の重さを、俺は改めて痛いほど感じていた。
「文句ならあとで聞く。それよりミオはどこだ?」
しかしシーラはバツが悪そうに視線を泳がせている。言い淀んでいたが、しばらくしてようやく口を開いた。
「ごめん。余計なこと言いそうだったから途中で離れちゃった。でもさっき、オードブルがあるテーブルの近くに立ってたはず……」
シーラの視線を追うように、俺もミオがいたと思われる場所を見る。だがいくら見渡しても、ミオらしき姿はいなかった。
「おい、どこにもいないぞ!?」
「あれ!? さっきまでいたと思ったんだけど……」
あらゆる場所を見回してみるが、彼女の姿はどこにもない。焦りが募り、不安が広がっていく。
「なあ、ミオたちならあそこにいるぜ」
その時、隣にいたバカザルが鷹の目を使ったのか、目を凝らした状態で話しかけてきた。よくやったバカザル、と言いかけて、俺はバカザルのさっきのセリフを思い出す。
「ミオ『たち』? 他に誰がいるんだ!?」
「えっと……、知らねえ奴だけど、なんか妙に親しげに見えるぞ」
俺はすぐさまバカザルの見ている方向に顔を向ける。そこには足元のおぼつかないミオと、見知らぬ貴族の男が、寄り添うように二人並んで立っているではないか。
「……………………」
「ゆ、ユウリちゃん? 顔が怖いんだけど」
俺はしばし黙考した。どうすればあの男を事が大きくなる前に葬ることができるか。十近いプランを数秒の間に考えると、覚悟を決めた俺は貴族たちの間を縫って、二人の元へと歩きだした。
だが、俺が追いつくより先に、二人は大広間を出ていってしまった。確かあの向こうはバルコニーに続く通路になっていたはずだ。
急いで後を追う。だが、薄暗い廊下を歩く二人の姿を見た途端思考が停止した。
どういうわけか抵抗できない彼女に対し、男は必要以上に背中や腰を撫でまわしていた。露骨な下心に殺意すら覚えた。
そして男が彼女の顔を覗き込み、距離を急速に詰めようとしたその瞬間——俺の中で何かが弾けた。
「……離れろ」
俺は二人の間に強引に割り込み、男の肩を掴んで荒々しく引き離した。
男が驚愕に目を見開く。どこかで見たことがあるような気がしたが、今はそんなことどうだっていい。
「……俺の仲間に、気安く触るな」
男を射殺さんばかりの視線で睨みつける。これで言うことを聞かなければベギラマの一発でもお見舞いしようかと思ったが、男は意外な言葉を口にした。
「ユウリ!! お前……、また邪魔をするつもりなのか!!」
「
俺の言葉に、今度は男のほうが逆上した。
「覚えてないのか!? オラトリス伯爵家のイヴァンだ!! 三年前、おれの婚約者を奪っただろ!?」
「悪いがお前のことは知らないし、その婚約者のことも知らないな」
ああ、またいつもの言いがかりか。恋人に振られたことを口実にして、俺に恨みを持つ貴族連中の一人なのだろう。いちいち相手にする気にもならない。
「この……!! おれはなあ、あれから婚約解消されていまだに独り身なんだ!! お前が女を奪ったせいでな!!」
かつての婚約者を女呼ばわりする男など、婚約解消されて当然だと思うのだが。
「それより彼女から離れろ。彼女は俺の仲間だ」
するとイヴァンとかいう男は、にやりと薄ら笑いを浮かべた。
「へえ? お前みたいな外面だけの性悪男でも、そういう顔をするんだな」
そこまで言うと男は、俺への当てつけかのように、ぼんやりと立っているミオの肩を抱き寄せた。
「この子はお前の恋人か? ……いや、どっちでもいいか。せっかくならお前にも味わってもらいたいからな。大事な人を目の前で奪われる絶望を」
男の顔がミオに急速に迫る。だが遅い!
「ベギラマ!!」
ぼおっ!!
「あちっ!!」
俺の放ったベギラマが、男の頭に直撃する。と言ってもいつも俺がバカザルに放つ程度の威力であり、殺傷能力はほとんど無い。被害を挙げるとすれば、せっかく整えたセットがカリフラワー状態になったことくらいだ。
「これでも一応魔王を倒してるからな。お前のような一般人に後れを取るはずがない」
「ひっ……!! うわああああああ!!」
頭がカリフラワーになりショック状態となった男から、ミオを引き剥がす。男はわなわなと体を震わせると、
「く……くそっ!! なんでおれがこんな目に……。覚えてやがれ!!」
などと今どき三流悪役でも吐かないような捨て台詞を吐きながら、玄関ホールに向かう階段を降りていった。
「やれやれ……。なんで俺の周りにはああいう奴らばかりが寄ってくるんだ……」
どっと疲れが出た俺は、がっくりと肩を落としながらゆっくりと振り返ろうとした。
「ユウリ……!」
「……っ!!」
振り向きざまに、突然ミオが後ろから俺を抱きしめてきた。背中から伝わる温もりに、硬直して動けなくなる。
だが、彼女からすれば、見知らぬ男に迫られそうになったのだ。以前も似たような目に遭っていたし、心細く感じても仕方がない。それにきっと、ここにいるのが俺でなくても、きっと同じ態度を取っていただろう。冷静になった俺は彼女の拘束から離れ、正面に向き直る。
「おい、大丈夫か? あいつに変なことをされなかったか?」
「あいつ……?」
ピンときていない様子で、ミオはとろんとした目を向けながらぼんやりと呟いた。……ん? こいつ、なんかいつもと様子が違わないか?
顔は赤く、間抜けな顔がさらに二割増になっており、さっきから足元もふらついている。俺は彼女が倒れないように両肩を支えた。彼女の顔が間近に迫ると同時に、微かに酒の匂いが漂う。
――まさかこいつ、酒を飲んだのか!?
そう言えば、今まで彼女が酒を飲んでいるところを見た記憶がない。ザル賢者とさらにザルなバカザルのせいで人が酔うとこうなるのかを失念していたが、おそらく大した量は飲んでいない。なのにこれほど酩酊状態になるなんて、どれだけ酒に弱いんだ。
仕方ない。このまま立っているわけにも行かないし、どこか休める場所に連れて行くしかない。
俺はミオを横抱きにして、近くに休める場所がないか探し始めた。しかし、当然ながらそう都合よく見つかるはずもない。しばらく歩いていると、なにやら俺の腕の中でもぞもぞと動き出した。
「あれ? 私……」
目が覚めたのか、辺りをキョロキョロと見回すミオ。そして俺と目が合って初めて、俺に抱えられていることに気づき、顔を真っ赤にさせた。
「えええええ!? ユウリ!?」
慌てふためくミオを落とさないよう、俺は必死で堪える。正直この『お姫様だっこ』と言う奴は、かなり腕に負担がかかって辛いのだが(しかもドレスも重い)、少しでも彼女に負担のかからない運び方を考えたら自然とこうなってしまった。
しかしミオはさすがに恥ずかしかったのか、俯きながら俺に「降ろしてほしい」と小声で言った。そんな彼女の恥じらい方を見て、唐突に自分のしていることが恥ずかしくなり、すぐに言われた通りに降ろした。
「ご、ごめん!! ちょっとさっきまでの記憶があんまりないんだけど、私何かやらかした!?」
「いや……、ただ酒を少し飲んだみたいだが」
どちらかと言えばやらかしたのは俺の方だ、とは言わず言葉を飲み込む。
「あああ、記憶がないと思ったら、やっぱりやらかした……。私、昔間違って実家でお酒飲んだことがあって、その時の記憶が全然なかったんだよね。それ以来、親にお酒は飲むなって止められてるんだよ」
そうぶつぶつ言いながら、頭を抱えるミオ。確かにこれほどまでに下戸ならば、俺でも止めるだろう。だが、自分でもなるべく飲まないようにしていたのなら、きっとさっきのクズ男が彼女に飲ませたのだろう。こんなことなら髪の毛を焼き払えばよかったと、今更ながら後悔した。
「不可抗力だったんだろ。それより、まだパーティーは終わってない。一度広間に戻るか?」
あとでシーラたちと合流して、説明してやるか。などと考えていたのだが――。
ミオはふるふると首を横に振り、縋るように俺を見つめた。
「……お願い。もう少しだけ、そばにいて」
遠慮がちに言った彼女の言葉に、俺の心臓が大きく跳ね上がる。
なんだ!? まだ酔ってるのか!?
俺は動揺を極力隠し、彼女の意図を必死に推察した。だが、異性との距離感が常にメダパニ状態の彼女の真意など、いくら考えても分からない。
けれどいつになく熱のこもった視線に、俺は胸の鼓動が速くなるとともに、今まで溜め込んでいた気持ちが急速に膨らんでいく。
「戻ったら、またユウリが遠い人になっちゃう気がして、嫌なの。さっきだってたくさん女の人に囲まれて、王女様とダンスして……。そんなユウリを見るのが、私にはすごく辛い」
酒のせいだろうか、ミオはいつになく感情をあらわにしていた。そして彼女が俺のことをそんなふうに見ていたことに、衝撃を受けていた。
胸が締め付けられる。身体が熱い。今まで溜め込んでいた想いが、溢れそうになる。
「俺が王女と踊ったのは、陛下のいる前で断れない状況だったからだ。……俺が踊りたいと思った人は、一人だけだ」
俺は小さく震えるミオの手を、両手で力強く握りしめた。
「俺が踊りたかったのは、ミオ。お前だけだ」
「え?」
「お前があの男に連れ去られそうになったとき、胸が張り裂けそうだった。俺がそばにいれば、お前を危険な目に遭わせずに済んだんだ」
ミオの瞳が揺らぐ。俺は彼女をじっと見据えて言った。
「俺はこれからも、お前とずっと一緒にいたい」
ずっと溜めていた気持ちを、今ここでお前に伝えなければと、あいつ――ルークに殴られた時から決意していたんだ。
「お前が好きだ、ミオ」