日々の甘やかしと享楽から決して逃げることなどしないアイドル王・星野アイ系SS
アイ★✓ @ai_kasuga・50分 |
おはよ★ |
| こ | り | い | き |
うーん、いい朝。私は組んだ両手を上に一伸び、つま先立ちして更に一伸び。身体を縦に思いっきり伸ばしてから緩やかに両手を降ろした。
ヤネ君と一緒にシャワーを浴びて完全に目を覚ますと、身体がとても軽いことを良く実感出来る。調律って凄いなぁ、とても昨晩ヘトヘトに疲れて寝落ちしたとは思えないよ。むしろ最近はこうしないと夜寝付けないんじゃないかと思うことがある。それは言い過ぎかな? でも今日疲れてないけど眠気来るかなぁと心配になる時があるんだよね。身体を動かしてない日とかお昼寝した日なんかは特にそう思う。お風呂に入るまでは。
何で、毎日お風呂からの連戦なの…?
ヤネ君ってやっぱり超人だよね。限界なんてきっと無いんだ。どこまでも互いを感じあって高め合って行けるとこまで登りつめて2人どろどろに溶け合うあの瞬間の悦楽がほにゃららー。
危ない、朝から変な気持ちになるところだった。ヤネ君のせいだよね。私を享楽主義にでもさせたいのだろうか。でもその割に身体寄せ合っても何も手を出してこない時がある。私はそんな時間も楽しみにしているし…何だかそんな時は心が震えてしまうような幸福感に満たされるのだ。あれは身体じゃなくて心だけが繋がっている状態なのかもしれない。いや身体がちゃんと繋がったことなんてないから違いは分らないんだけど!
「…お二人さん?」
私がそんな人体の不思議について想いを馳せていると、廊下から巫言さんがひょっこり顔を出してきた。小首傾げてこちらを不思議そうに見ている。
「あれ巫言さん、どうしたの?」
「いえ、そろそろ朝食が出来上がりそうなので様子を見に来ました」
「ああ。丁度髪のブローまで終えたところだよ」
髪をまとめ上げてシャワー浴びても生え際とか濡れちゃうしね。ヤネ君が上手くドライヤーをかけてくれたんだ。
「良かったです。今日は2人でも短時間で済みましたね」
「うん」
それは本当にそう。マネさんも一緒に入ってないとヤネ君私で遊ぶ時あるからなぁ。私も少しは抵抗すればいいんだろうけど、すぐ力が抜けてふにゃふにゃになってしまう。それでも頑張ろうとすると何故かヤネ君のふにゃふにゃがほにゃらら! するんだよね。困ったことだ。
「流石に今日は無理だろ、これから出かけるんだから。たま姉待たせるわけにもいかないし」
「そうだねー。たままちゃん、待たせると勝手にどっか行っちゃいそう★」
「いや今回はむしろ、勝手にアイを連れて行かれちゃうんじゃないかな」
「そうですよ。つい先程も、どこに隠してはるん、はよぅウチのアイを出しなはれーって、祈織を詰めて遊んでましたし」
「あははっ、何か想像つくよ。たままちゃんの迫力無い詰め寄り方」
「たま姉、意識して眉間に皺を寄せることが出来ない人だからね。それはもう可愛らしい、凄むどころかまるでおねだりでもしてるみたいな光景が見れるよ」
「うわー。なんだろ、まるで自分が慈愛されてしまう慈愛の女神…って感じだね。ふふふっ、見たいなぁその姿」
「まあまあ。今回の里帰りはゆったりとしたスケジュールですから、そんな触れ合いもきっとあることでしょう」
「うん★」
私はつい素で力の入った頷きを見せてしまった。ちょ、ちょっと恥ずかしいな。いつもの演技が入らないだけでやってることは同じなのにね。こんなに気恥ずかしいことだったとは。
「では、朝食を済ませましょう」
巫言さんに促され3人でダイニングへ足を運ぶ。ちょうど舞さんがたままちゃんと祈織さんにスープを提供しているところだった。
「あらアイちゃん、おはよう」
「はよ〜アイちゃん」
「うん、おはよー」
「アイおはよぅ。ここ、ここ」
互いに挨拶を交わしてから席に着く。私はヤネ君とたままちゃんに挟まれる形で、マネさん達はその向かい側。いつも通りの席にたままちゃんが加わった形なんだけど、何故かたままちゃんが主人顔でそう座るよう私にアピールしてくる。ご家庭があって普段居ないことのが多いたままちゃんが、普段通りの席順を指示しているのがどこか可笑しくて、私は思わず笑みが溢れてしまう。
こんな可愛い我が物顔ってあるんだね。今の私は大分自分を肯定出来るようになったけど、それでもたままちゃん見たいな人には憬れを抱いてしまう。たままちゃんを嫌う人ってそもそも世界を憎悪してる人くらいじゃないかな。
「アイちゃん、どのくらい食べれそうかしら。トーストいる?」
遅れて来た組にもスープを配りながら舞さんが話かけてくる。
「うーん。ヤネ君から少し貰う」
舞さんが切り分けるパンって分厚いんだ。4枚切りから5枚切りくらい? 何でも関西ではそれが主流だとか。珍らしさにつられて頑張って食べようとしたこともあったんだけど、私だとその厚さのトーストを朝から食べきるのは難しい。胃が変な心地になる。だからあんなこんなで前よりカロリーを使ってる今でも、気持ち的に朝からそんなに食べれないんだよね。
ちなみにそう聞いてくる舞さん自身はトーストを食べない。仕事で出歩かない自分は進んで炭水化物を取らなくても、主菜副菜に含まれる分で十分だとか。それで頭働かなかったらチョコでも一口摘めばいいんだって。なるほどねぇ。その分昼夜は普通に食べてるみたいだし、そういうのもありなのかな。
まあ私もそれに近い食生活になっているのかもしれない。重要な筋肉を落とさないよう、たんぱく質を重視した献立にされている気がする。主食を食べきれなくてヤネ君に投げるのは許されるけど、その分主菜副菜はしっかり食べさせられるんだ。舞さん的にもその方が腕の奮い甲斐あって嬉しいみたい。間食用にカロリー高いおやつも作れるしね。
だから今日の朝食も私の主食はパンではなく、小さめなオムレツと鳥肉のソテー、それとサラダ代わりの野菜たっぷりなスープ、その全部だ。特にスープは毎朝絶対に飲み干すようにと言われている。朝の水分補給に、あと身体を起こす役割。そして最低限これだけでもきちんと飲めば栄養摂取もなんとかなるよう調整された一品なんだって。味付けのバリエーションも豊富で中身の食材だって変わるのに、流石舞さんだよね。
「美味しい? アイ」
「うん、美味しい。好きな味」
「うんうん。舞〜、アイが美味しゅう〜って」
スープに口を付けた私に早速たままちゃんが感想を聞いてくる。そして私の答えに満足気に頷いたかとおもえば席を立ち、まだキッチンで何かしてる舞さんに向って声をかけた。
このダイニングキッチン、キッチン部分はほぼ独立していている。設備が本格的だから煙対策されているんだ。上にガラガラっと開けるタイプの小窓があって、そこから料理の受け渡しが出来る感じだね。まあ舞さんは配膳まで自分でしたがるから、単に一時的な料理置き場みたくなってるけれど。
まあつまり、たままちゃんはその窓を開けて舞さんに声をかけたのだ。
「美味しいならよかったわ。アイちゃん、そのスープは仕込みから仕上げまで珠夜様に手伝って貰ったのよ」
「そうそう」
「あははっ、そうなんだ。何となくそんな気もしたよ」
「やっぱりアイちゃん好みの味付けになってる?」
「うん。流石はママだね」
「当然やわぁ。アイのことはまるっとお見通しやわ」
「ふふふっ…あっ、珠夜様。これアイちゃんと児屋様の分のトーストです」
小窓からチラッと見えた舞さんは笑いながら丁度焼き上がったらしいトーストをお皿にならべていた。たままちゃんに渡したのはやたらと分厚いトーストが乗ったお皿で。あれならきっと十字に切れ込み入れてくれてるはずだからその一欠片、1/4くらい貰えば十分な感じだねー。流石舞さん、私とヤネ君の分を足した大きさにパンをカットしてくれたんだ。
ちなみにたままちゃんが私をアイちゃんではなく「アイ」と呼ぶようになったのはつい1週間前からのお話で。私が正式に春日アイとなった時からなんだよね。――そう。いよいよ特別養子縁組が法的に成立して、たままちゃんが本当に私のママとなったんだ。
だから意識して私をそう呼んでいる。自分の子にちゃん付けしても全然可笑しくはないんだろうし実際そう呼ばれることもあるんだけど、これはむしろ私に娘となったことを実感させる為に呼んでいるらしい。私を安心させる為に、そう呼んでくれてるんだ。
…ああ。この胸に込み上げてくる感情を、どう言葉にしていいか分からない。
実はここ数週間の私、精神的にとても不安定だったんだよね。ヤネ君に拾われてからずっと身に余る幸せに浸っていたというのに、いざ現実に家族が得られるとなると身が竦むような思いに捉われてしまったんだ。
幸せな夢の世界にいた私が、現実に戻ったら更に大きな幸せに囲まれていた――
そんなこと簡単に信じられるだろうか。無理だよ。信じられるわけないよ。頭では理解していても心身がそれを受け入れてくれない。だってこれは夢だから。夢だから私に都合良いことばかり起きるんだ…その時の私はそう思ってしまったんだ。
勝手に思いを募らせていた人に…待ち望んでいた人に拾われた。その人からの格別な寵愛を一身に受けた。無鉄砲に施設を飛び出した私に最高の保護が与えられた。私が私のままに、輝いて良いんだと支えてくれる人達が出来た。
そんな現実受け止めようにもまず信じきることが難しい。それからの私は、時折発作のように襲い来る強い不安に苛まされることになった。
突然世界から色が失われて、独りぼっちになるような孤独感に襲われることがあった。身体の半分が頭から溶け落ちてしまう悪夢を見て、堪らず声をあげながら目を覚ましたことがあった。もう寝るのが嫌だと、ヤネ君にしがみつきながらベッドの上で身を震わせ続けた夜もあった。
マズイと自覚したのはいつだったか。ファンクラブが始動した辺りから不安に襲われることがあったから、その時にはもうダメだったのかもしれない。曲の発表もあったから何回か様子を見ながら配信したんだけど、メン限中に笑顔のまま涙を溢してしまったんだ。まだ元気な内にやっとかなきゃ今月のメン限配信がゼロになってしまうかもと、ヤネ君の心配を押し切って始めたのにこの始末。情けなくて余計落ち込みそうになったっけ。
急に目が痛くなって…とその場は取り繕えたけど、安静にしとくねーと言って配信は打ち切り。翌日無事をアピールする為に笑ってる写真をTwitterに上げたりもしたんだけど――結局は完全休養に入ることになってしまう。
いやー、大層甘やかされてしまった。
正式に養子となってからは噓みたいに情緒が安定したんだけど、それまでが酷かったからね。ぶり返すのが心配だから…と皆が皆、よりデロデロに甘やかしてきたんだ。
たままちゃんなんてたわわな胸持ち上げて、おっぱい飲むー? とか言ってきたからね、お風呂場で。私もつい真顔で、じゃあちょっとだけ…と返してしまった。たままちゃん、身長はそれなりにあるけど華奢で肩幅ないのに胸がすっごく大きく見えるんだよね。65なのにタプンと掬い上げられるってことは、もう本当に凄い。前から気になってはいたんだ…
――いや、冗談だけどね? でも私もあのぐらい大きくなりたいなぁとか、思ってはいたり。
というかその場には当然ヤネ君もマネさんもいたから、何だか妖しげでおかしな空気が流れそうになってしまった。物の弾みでみんなと新しい関係が始まってしまいそうな――こういうの何て言うんだっけ、インモラル?
流石にそれは困る、関係が複雑になり過ぎて私には難易度高いよ…と思っていたらヤネ君残してみんなそそくさとお風呂から上がってしまった。何でみんなクスクス笑いながら出て行くの…なんて疑問はその後に訪れた情欲の嵐に飲まれて消えた。
――はい。私はヤネ君だけのもので、ヤネ君も私だけのものです…
身と心にしかと刻んだー。初めて2本目の指が入ってきたー。
げふん。うーんと、何だか今…思考が酷く脱線していたような? ついさっきまで胸が熱くなるような思いが込み上げていた気がするんだけど…私のシナプス結合は大丈夫なんだろうか。
まあそんな疑問はあるけれど、取り敢えず今は目の前のことに対処しなくてはならない。私はたままちゃんから、あーん、されたトーストの一欠片に食らい付いてみた。たままちゃんが食べさせたいというなら是非も無し。それはもう、私はママの言うことをきくいい子なんだから。
…やっぱりたままちゃん、私のこと幼児だと思ってるでしょう?
危うくスープまでスプーンで掬われて、フーフーされそうになったりもした。まあ実際されたし飲んだんだけど。
「そういえばアイちゃん、Twitter再開したんだね〜」
そんなこんなでママと戯れていると、祈織さんがスマホで私を激写する手を休めて話し掛けてくる。
「あ、うん。言ってからにすればよかったね。ダメだった?」
「かまわないよ。アイがしたくなったらすれば良いんだ」
そういえばTwitterも暫く触ってなかったんだよね。だから今日の朝、さらっとツイートしたのは久しぶりな出来事だったんだ。
何だか反応見るの怖いなぁ。2週間くらいは待たせているかも。休養入る時ファンの人たち心配してたし、きっと大騒ぎになってるよ。事情はあまり説明出来ないけど後でもう少し呟いて無事をアピールしておかなきゃね。
そして心配をかけたのはたままちゃんの家族も含むから、春日ファミリーその全員と言っていいんだよね。大変な迷惑をかけてしまった。たままちゃんを大分独り占めしてしまったし、青葉君には申し訳なさ過ぎて何と言ったらいいか…私、お姉ちゃんになったのにね。
ただこの青葉君、流石春日一族と言っていいのか分からないけど凄い出来た子なんだよね。パパと瓜二つで信仰とか忠誠を、頭じゃまだ無理でも心で理解してしまっている。私に対して、おそれながらあねさまとよばせていただきます、と言って笑顔で元気良く頭下げられた時はどうしようかと思った。まだ4才だよ? ヤネ君が平然とした顔で頷いてるのを見て更に頭が混乱した。
ヤネ君だってたままちゃんの息子だから可愛がってはいるんだけどね。父親は参考にしても、真似はしなくていい…なんて言って頭撫でてた。意味伝わってるのがまた凄いよね。
そしてそのパパとなる葺夜さん、この人から貰った言葉に私は大変心打たれた。
――私は例えるなら、良き頑固親父のような存在になろうかと思います。つまり普段は娘とろくに口もきかない無愛想っぷりですが、本当に困った時には黙って力になる――そんな存在です。ぜび、覚えておいて下さいね
無愛想じゃないでしょ。見かけるといつも笑顔見せてくれるでしょ。謙遜が過ぎるよ。
感激した私は娘としてパパに駆け寄り抱き着こうと思ったんだけど、何故か途中でゆたか御祖母ちゃんにインターセプトされた。
――さり気なくでしゃばるんじゃない。主治医は私だよ。
ど、どうしたの御祖母ちゃん、急に蓮っぽくない? 40秒で支度しな、とか言いそうだよ。
私は御祖母ちゃんの桃の香りに包まれながら戸惑った。きっと目を白黒させてたね。家族の新たな一面を見てしまった気がする。医者一家の一員であるパパは腕の良い外科医さんらしいから、専門も違うし親子で喧嘩しなくていいと思うんだけどね。
「まあ、ファンの人達待ってたしねぇ。朝から凄いよ、いいねとリプライ」
「そうなるわよね〜、アイちゃんなら当たり前よ」
そうそう、今はTwitterの話だ。どうやらもう反応があったらしい。こういうのってみんな通知をONにしてるものなのかな?
「女王の帰還…そのぐらいの歓迎ぶりですね」
「当然だな。世界で唯一なアイドルの無事を喜ばない方がどうかしてる」
「んー。アイはアイドル王になるん?」
「あははっ、なっちゃおうかなー★ ママも一緒にギター王になろうよ」
たままちゃん、弦が付いてるなら琵琶も琴もギターも一緒なんて言うからね。痺れる才能だよ本当に。なおヴァイオリンは持ち上げっぱなしでかつ固定するのが大変だから嫌だとのこと。ギターが肩下げストラップを使用する楽器で良かったよ。位置を調整出来るなら重さは何とかなるらしい。
「はははっ。ハピニカも撮ったことだし、またデュエットでもするか?」
「そだね。フェスでの突発ゲスト共演だけじゃ物足りないかも」
「ウチならええよー」
「まあ、いずれはそっち名義でのライブも予定してるしね。ギターだけじゃなくてまた一緒に踊る曲も考えておこうか」
そう。実はハピニカ…ハッピー★エレクトロニカ、という新曲でたままちゃんとデュエットしたんだよね。
春日ミュージックホールには改修で床面収納式の電動で昇降するセンターステージ及び花道が設置された。…正直何言ってるのか想像するのが難しかったんだけど、見て分かった。つまりは観客席のど真ん中にあるステージと、そこに行く為にメインのステージから伸びる道のことだ。
彗星★フープもそうだけど、ハッピー★エレクトロニカのMVはこのセンターステージを使って撮影されたんだよね。生のバンドサウンドも良かったけど、並んで歌いながら踊るのも楽しかったなぁ。掛け合いみたいなシーンもあったし、あとたままちゃんの踊りは日本舞踊で極まっているからね。弦楽器と同じく踊るなら何でも一緒、なお人だ。負けないよう私も今まで以上に頑張ったけど、むしろ引っ張られて実力が伸びた気がする。
というか――たままちゃんはまるで神域におわす人だからある意味当然かも知れないけど、マネさん達も上手いんだよねこれが。唄に踊り、どっちも巫女として神に捧げるに相応しい域に達しているんじゃないかと思える。
一度ヤネ君の実家に行った時に見せて貰ったんだよね。何と言ったか…トランス状態? 熱を帯びていく瞳、徐々に力増す身体の動き。場を支配し見てる者まで巻き込むような熱狂の渦が形成されていくあの様――
厳かでゆったりとした儀式の舞も良かったけど、あの思考なんていらないと言わんばかりの無意識は…常にどう見られるかを考えながら身体を動かしてる今の私じゃ出来ない。ちょっと憬れた。
修練と経験を身体に馴染ませ、やがて本質と成す。
そうすれば私もあの域までいけるんだろうか。いずれ出せるようになりたいね。何も考えてないからこそ出る磨き抜かれた魅力で、人の目を惹き付け心をどうしようもなく高揚させる…
してみたいな。それがライブで出来たら、私は正にアイドル王だよ。
「さて、そろそろ出発の時間が近い。準備があるなら早めにね」
「うん」
食事を終えて一段落。ゆっくりお茶してたけど、今日はお出かけの日だ。まあ私に準備なんてないんだけど、たままちゃんやマネさんには私の準備がある。
「服は用意してたもので良いとして、髪…どうしましょうか」
「車とジェット使うからファンに見られる可能性は低いよねぇ。好きにしちゃって良いんじゃない?」
「せっかくだから珠夜様とお揃いにしたら良いんじゃないかしら〜」
「そうしよ。アイ、そうしよ」
今日のたままちゃんは簡単に2つに分けただけの緩いおさげを前に垂らしてる。私より少し短くてふわふわな髪質が、とても雰囲気に合ってるんだよね。
「そうですね。どうしてもアイちゃんの髪を編み込むのは抵抗が…」
「まあ奇跡のロングストレートだし。クセ付けたくないよねぇ」
「したとしてもそれこそ巫言みたく、緩く丸めてアップにするのが限界かしら」
「取り敢えず撫でやすいか、触って弄りやすい髪型にしてくれ」
「児屋は我儘やわぁ」
うん。結局たままちゃんと同じ髪型になった。というか服もサイズ違いで同じの用意されてるじゃん。…茶番くさいなぁ。マネさんたち何で私の前で悩んでみせたの。これ気付いた私の反応見ようとしてない? 別に照れたりはしないんだけどね、髪型と格好お揃いにした程度で。
「アイ、何顔赤くしてはるん?」
「これは赤いな」
「赤いですね」
「赤いわね〜」
「パターン赤、照れてるわこれぇ」
からかいながら写真を取るなぁ★
全く、こういう細かい企みを仕組まなくていいんだよ。少しヤケになって、珍しく私も自撮りをしてみる。…うーん、まだちょっと頰が赤い。ゆるゆるに育てられた涙腺も少し瞳を潤わせているような。
ま、いっか。
「これ、今Twitterに上げていい?」
「どれ…うん、いいんじゃない。このぐらいならみんなの反応に感激したと思われるんじゃないか」
「じゃあ、上げよう」
文章はどうしようかな。…まあ、まずはこれか。
アイ★✓ @ai_kasuga・10秒 |
ただいま★ |
| こ | り | い | き |
一言でいいよね。万感の思いが込み上げてそうな写真付きだし。…あー、もう反応がある。随分とリアルタイムなんだね。凄い凄い、リロードする度にいいねとリプが増えていく。#アイちゃん復活! かぁ。復帰じゃないんだ、ちょっと大袈裟じゃないかな。
「アイが、というよりこいつらが死んだも同然だったんだろ。そこから蘇るとは、何てしぶとい奴らだ…」
「ヤネ君はファンと対立でもしてるの!?」
「まあ、してるようなもんだよね。俺のアイに只ならぬ思いを抱いているんだから」
うーん、このさらりと見せつけてくる独占欲。ドキドキするなぁ。ハラハラじゃなくてドキドキなのが私も大分終わってるよね。囚われてるなー。ヤネ君にそういうこと言われると私の身体は馴らされ過ぎてジュンとしてしまうから迂闊に言わないで欲し…じゃなくて!
「さ、行こうか」
「う、うん」
危ない。こんな理由で変なお願いなんかすると、まだ俺の愛が足りなかったか…とか明後日なこと言い出すからね。また身も心も分からされちゃう。3本目とか入りません。ヤネ君指長いから1本で十分です、ハイ。
「はははっ」
「な、何でこっち見て笑うの…!」
これはマズイよー。今日は養子になってから初の奈良京都旅行なのに。ある意味里帰りなのに。一応一族の人に対して正式なお披露目とかあるかもって言われてるのにっ。
「きょ、今日は挨拶があるんだよね?」
「ん? そんなのしなくていいよ。なんなら大広間にあいつら集めて替わりに新曲MVでも流しとけばいいさ。全員泣いて喜ぶよ」
「そんなお披露目の仕方ってあるぅ!? 」
「結局アイまで神子扱いしてるからなぁ。それで十分でしょ」
ヤネ君は相変わらずだねぇ。まあ確かに初めて訪れた時からそれっぽい反応されたけどさ。今回もあまり大袈裟な慶事みたいにされると困るんだけど、それでもね。私もこれで春日になったわけだから挨拶ぐらいはするのか…と思ってたんだけど。
ちなみにパパと御祖母ちゃんと青葉君は居残りだ。顔見せするなら家族一緒じゃなきゃ変かも知れないけど、パパは丁度手術を控えた患者さんがいるらしいし、孫の面倒を見るために半分休職中の御祖母ちゃんにも目を掛けている一族の妊婦さんがいる。青葉君は普通に通園中だ。
まあそもそもたままちゃんは一代限りの春日本家その2、を興したような立場だからね。たままちゃんだけはヤネ君と同格なんだ。決して分家扱いじゃない。だから例え正式な顔見せがあろうと、その2人がいれば何の問題もないんだって。
「そんなことより観光を楽しみにしておきなよ。今回は時期が中途半端だけど、景色覚えておくとまた紅葉の季節に訪れた際の感動もひとしおだと思うよ」
「なるほどねー。それは楽しみかも」
「そうですね。やはり神社仏閣には朱が映えますから」
「私らは見慣れてるけど、まあ綺麗なものは綺麗だよねぇ」
「私はむしろ京都で食べ物満喫して欲しいわ〜。児屋様の伝手ならどのお店も美味しいし」
「俺というか、元はたま姉の伝手だけどね」
「ウチ、もう予約しといたわぁ」
みんなすっかり旅行気分だねー。いや、これが本来の里帰り気分ってやつなのかな。気負うことなんて何もない…ってことなんだね。
だからまあ私も、リラックスして観光を楽しむことにしようか。ファンの人達にはもう少し待って貰うことになるけど、新曲は上がるし一応CM収録のお仕事もこなしとくからね。配信は…あっ、もしかしてヤネ君の家でも出来るのかな? ちょっと聞いてみようか。せめてメン限は早めにやっておきたい。メンバーに早く会いたい。…ふふっ、私も結構配信者になってきたじゃん?
あとCMの収録はポッキーの第二弾、抹茶味の新作の販促用だ。それっぽい庭園が見える和室…茶室かな? で撮るからこの機会なんだよね。撮影の日程に合わせて顔馴染みのスタッフさん達も現地入りするみたい。
私達はまず車で羽田、ビジネスジェットで関空…なはず。そして迎えの車でヤネ君の家に向かう段取りだ。ビジネスジェットって、つまり貸し切りなんだよね。知った時はびっくりしたよ。お陰で広〜い部屋でゆっくり出来るんだけど…ダメだ、ヤネ君の顔が見れない。隙きを見せたらまだ昼前なのに夜のフライトにアテンションプリーズ! な状況になってしまう。
――よし。その前にやることやっておかなきゃ。
私は再度スマホを取り出して、予定していたツイートを投稿する。
アイ★✓ @ai_kasuga・5秒 |
☆新曲☆ 彗星★フープ
これは私の軌道に乗った、ファンの視点から紡がれる物語――
本日12:00 ヤネ君のチャンネルでUPされるよ★ 凄腕なバンド演奏も見所だ! ↓ #アイ★Songs 彗星★フープ MV / feat.カスガアイyoutu.be/tu68PfOpgk22pt… |
| こ | り | い | き |
どうだ★ これで私が今日最低限やるべきことは終了した。もう少しツイートしときたい気もするけど、それは数時間後の私に期待しておこう。
――あっ。ちょっ…車に乗った途端に手を滑り込ませないで。たままちゃんも隣にいるんだからっ。
「アイ…お気張りやす〜」
私を応援するんじゃなくてヤネ君を止めてよー★ 貴女の娘が毒牙にかかってるんですよ!
「たま姉がそう言ってくれるなら…俺ももっと頑張らないとな」
「何で!? 今の言葉にそんな期待込められてなかったよねっ」
「はははっ、冗談だよ」
ならその手をもぞもぞさせないでよーもう。私は思わずヤネ君に寄りかかるように半分おしりを浮かして悶えてまう。けどそれはディフェンスラインの裏から潜り込んだ恐るべき黄金の中指に、自在に動けるスペースを与えることとなって――あっ。
「アイは中指だけのが好きなんだよね?」
「そっ、そんなこと、一度も言ったことないです! あ、あと、わ――分かったから、せめて動かさないで…」
失敗したー。ファンタジスタに自由なスペースを与えてはいけなかったんだー。私にはもう、運転してる祈織さんになるべく車を揺らさないよう頼むことしか出來なかった。
――こうして私、春日アイの里帰りは波乱の幕開けとなったのであった★