ラジオも消して騒音を断った車内では、時折1人の少女がたてる寝息だけがBGMだ。騒音対策を施した特注車がこんなにも役に立つ日がくるとは、思い付きで指示した過去の自分を褒めてやりたくなる。そんなことを思う程、今の俺は満ち足りた気分になっていた。
額に掛かる前髪を、軽く払って整えてあげる。
そんな行為だけで幸せを感じられる現状に、俺は深い満足感を得ていたのだ。俺の聴力…というより脳の認識では例え寝ていようが人とは煩い音を立てているもので、この少女のように心地良い音調に整っているのは稀だ。相性が良いというのもあるだろう。認識しないよう意識を制御することはあっても、もっと聞きたいと自ら意識を向けることになるとは…まさにその存在はたま姉並の奇跡にあたる。
――ついに見つけた、俺の一番星を。
まったく、欧米にまでわざわざ足を運ぶこともなかったか。海外でのライブ活動はそれはそれで新鮮でもあったが、俺にとって最も重要な探しものがこんな近くで見つかるなんて…こんな近くに、居たなんて。
眠かったら寝ていいよ。会社着いたら起こしてあげる。
そんな声をかけたら、少女はすぐさま俺の右肩に寄り掛かって寝息を立て始めた。辺りは徐々に車の姿が増え、信号に捕まる回数が増えている。渋滞が始まっているようだ。
これならむしろ、暫く着かなくてもいいな。
見た目より大分幼さを感じさせるこの少女…やはり精神的に弱っているのだろう。あれだけの情念を抱えてまともに生きていくのは辛過ぎる。
「――君に、心の安寧を」
だから俺は、声に確かな力を込めて囁く。今この一時の休息が、君の心に安らぎをもたらすようにと――
☆☆☆
アメリカから帰国した俺の為にわざわざ奈良から会いに来てくれた姉に連れられ、俺と秘書達は渋谷へ買い物に繰り出していた。
星に導かれたんよー。
とのことだが、正直たま姉が渋谷で何買うんだと疑問に思っていたところ、案の定ふらふらと店を冷やかすだけの存在になっており、逆に俺や巫女共…秘書達がたま姉の為に服や装飾品を選んでいるような状況になっていた。
うーん、いらへんよー。
そこを何とか! 似合うから! という感じで奮戦したものだが、あまり効果無し。では子供関係の物を…と考えたが渋谷は別に子供向け商品を多く扱っている街でもない。おまけに子供は4才の男の子だというのに、今度はジュニア用の少女服のほうに興味を示したりする始末。
もう大人しく雑貨でも見に行くか…となった所で、急にたま姉が飲み物が欲しいと騒ぎだし、ある有名チェーン店となるカフェの前で車を停めさせたのだ。
――これが、たま姉の持つ、不可思議な力だ!
全く俺はいつまでたっても、姉の世話になっている気がするな。小さい頃から常に面倒をかけていたが、今回はまたとびきりの手助けをして貰った気分だよ。
何せたま姉がいなかったら俺は、この運命の少女を――俺の一番星を、見逃していたかもしれないのだから。
あーもう、絶対手に入れる…!
正直その時の俺は、長年の願望の成就を前にして余裕など全くなかった。むしろ正気でもなかった。
彼女の身から聴こえる旋律にスターとなる素質をガンガンに感じ取っていたのに出てきた言葉は、「君がどうしても欲しい」だ。口から出す言葉の順番を間違えてしまった。君を抱きたいとか言い出さなくて本当によかった。話を聞いて貰う為のチップとして300万くらいそのパーカーのポッケに突っ込むところだった。慣れないはずのチップ文化に染まりすぎたか。日本でやったら完全にパパ活だった。――普通に、ヤバかった。
まあその後は何とか欲望…情熱? を抑えながら話をつけて、俺達は無事この少女…星野アイを捕獲して会社に移動することになった。
アイちゃん、ウチの娘になるよー。
車内でアイが眠りに落ちた後、暫くしてたま姉がまた預言めいた言葉を口にする。流石に今日のたま姉をみて、誰もこれが冗談だとは思わない。秘書達もその言葉の意味を理解しようと考えているし、俺も「いや、俺の女にするんだが?」などとは思わない。むしろたま姉の言うことは良く理解出来る。
「もしかして…家庭環境が劣悪、なのか?」
たま姉は応えない。だが、違うとも口にしない。多分ほぼあっているのだろう。アイが奏でるあの音色、時折見せた暗い瞳…一般的な生活環境で育ったらそうはならないはずなのだ。
それを踏まえてたま姉の言葉の意味を考えれば、俺達がしなければいけないことが分かる。
「巫言、養子縁組にも種類あったよな?」
ウチの一族は一応名家だからな。御家存続の為に…とかでわりかし身近な話でもある。
「ありますね、実親に親権が残るか残らないかで分かれたと思います」
「祈織?」
「あー特別養子縁組は、条件が…その…」
「大丈夫。アイは今、なにがあっても [起きない] 続けてくれ」
「…身寄りがもういない場合。もしくは…仮に、虐待の証拠などが確認できれば…ウチの一族は歴史と信用、そしてまさに保護も兼ねた多くの特別養子縁組の実績があります。…やりようによっては、ぶん取ることも可能かと」
芸能の世界って色々あるからな。本当にクソな話ではあるが、子供が芸能の世界から逃げ出したい…ということもあれば、親から必死に逃げ出した先が芸能の世界…ということもあるわけだ。
「全てはアイから話を聞き出せてからになるが、おそらくはその選択を取ることになる。準備を」
「はい」
「了解でーす」
「ウチ、こっちに住むよー。あの児屋スペシャルなマンションはんでええよ」
「…ああ、あのマンションはんね?」
信用出来る一族だけに抽選で利用させてるデザイナーズマンション。俺も帰国後またそこに住もうかと準備してたところだし、最上階は丁度2戸…2家族用になっていて部屋数も多いしそれぞれ十分な広さを確保したスイート仕様になっているから、俺達アイ秘書組と、たま姉家族用でぴったりだな。
…でも幾らなんでもマンションにはん付けはどうなの? たま姉はん?
「そうですねー。既に縁組希望者が保護しているという証明の為にもそうして頂けると助かりますよぉ。あと贅沢言えば珠夜様のお義母様であるゆたか様も連れてきて頂ければ完璧ですね。なんせこちらは女性の心身に詳しい産婦人科の医師まで一緒に住んで見守っている、と言いはれますから」
「なるほど…言い方はアレだけど、文句つけられないよう養育の実績をガチガチに固めてしまうわけね?」
「そう! なんせ家庭裁判所を相手にしなきゃいけないしね。これから半年以上の保護実績を積む。養母となる珠夜様は23才、養父となる葺夜様は28才だから年齢条件もオッケー。アイちゃんの年齢が…あれ? いくつ?」
「あ…まだ聞いてないですね」
「う、うーん。まあ流石に15才より下でしょうから、これもオッケー。後はアイちゃんの実親が…まあ劣悪な環境なら、いてもそれこそ保護実績で勝ち取れます!」
うん。まあアイをぶん取るのは確定だが、なるべくアイに負担がかからないように事を運ばないといけないな。
「…よし、やってやるか!」
俺はぐっすりと眠るアイのおでこに、決意を込めたくちづけをした。
「あー! や〜ら〜れ〜た〜。ウチの娘に何するんやぁ〜」
「…児屋様?」
「ちょ、ちょっとバラすのやめて下さいよ、珠夜はん!」
☆☆☆
――クソがっ! 誰か護ってやれる大人はいなかったのかよっ!!
俺は完全に八つ当たりのような苛立ちを募らせていた。怒りを表に出さないよう抑えるので精一杯で、アイにこんなこと喋らせた自分の無神経さにまた腹が立つ。
――でもお母さん、釈放されても迎えに来てくれなかったんだぁ
目がチカチカする。頭の中が揺れに揺れて吐き気が止まらない。この苦しみを激情のままに吐き出してしまいたいところだが、それは駄目だ。何故ならまだアイは、自分の心を押し殺し我慢をしてしまっているからだ。俺と一緒に愚痴を垂れてすっきり、なんてことになるわけがない。
12才のアイが小さい頃、と言っているからそれは幼児期の遠い記憶の出来事なのかもしれない。しかしこれは、だからこそ心の痛みや傷を、完全には忘れることが出来ないたぐいの話となる。あんな乾いた笑みを浮かべていたんだ、心の傷は大きく深い。
であれば、こちらはなるべく平静に今出来ることを進めなければいけない。そしてアイの側からゆっくりと、その感情をはき出させないといけない。
…難しいな、きっとそれはダムが決壊したような勢いになってしまうだろう。失敗すれば完全に心が壊れてしまう。俺が支えたとして、はたして耐えてくれるだろうか…
何か、アイの希望となってくれる要素があればいいんだが…
敢えて言うなら、この事実をアイの方から打ち明けてきたというのは悪くない傾向だろう。俺の提案を断るだけなら理由は何だっていい。こんなこと素直に話す必要などないのだから。だからこれは間違いなく、自分のことを知って欲しいという心の要求が喋らせたものだと思われるのだ。その辺りをとっかかりに、何とか出来れば…駄目だ、これ以上考えても情報が少なくて手の打ちようがない。
こうなればとにかく俺が、アイを守るということを伝えよう。アイに寄り添えるということを伝えよう。俺の胸の内を正直に伝えて、絶対にアイを受け止めてみせるという意思を示そう。
――だって俺は、君を迎えに来たのだから。
君が望むその全てを、俺が叶えてあげる。…歌? もちろん君の為なら幾らでも謳ってみせよう。理不尽な怒りだって受け止めるさ。君が言いたいことは全部言って貰って構わない。泣かれたっていい。詰られたっていい。いくら責められたって側にいる。君を愛しているから逃さない。君に愛されたいから、離さない。
――君がそう望むなら、俺の全てを君に捧げよう。
だからどうか、愛する一番星よ。君の全てを――俺に下さい。