君の騎士になりたくて!   作:邪道キ

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だ・か・ら!気づけシャドウ!
それ厨二病じゃないの!お姉さんマジなの!

やはり第二期でも腹をアトミックされた作者が書いた第二弾。

10/30 加筆修正しました。


中編:The Prophet

────/4/────

 

 アイリス・ミドガル。

 ミドガル王国第一王女として生を受け、将来王国を統べる者へと即位することが宿命づけられた少女。周囲より生まれたころより期待の眼差しを受け、彼女もまたその思いに応える為に日々心と体を鍛え続けている。

 そんな彼女が今相対しているのは一人の少年。質素な服を纏い背丈は自分の胸程、髪をかき上げて見えた顔はどことなく幼さが抜けない。そんな少年が口を尖らせて眉毛をハの字に曲げて剣を構えていた。

 

 2週間前、地方への遠征任務から帰還してきたグレンが保護したという少年コウ。発見された際は出血多量かつ切傷と火傷を負い意識不明だったが、3日後に意識が回復。事情聴取したところ、両親は知らず、師匠なる人物に育てられていたところ、アルファと言うエルフに師匠は殺害され、自身は辛くも逃げ出したのだという。

 証言を基に周辺を衛兵が捜査したところ、師匠と少年の二人が住んでいたと思しき小屋の焼け跡が発見。同時に師匠と思しき両腕の無い丸焦げ死体も発見された。遺体を見たグレンは急ぎ詳細を調べたかったが、元々の任務もある。これ以上帰還が遅れるのは良くないと周囲に諫められ、後は近くの衛兵たちに任せ渋々王都へ戻ることになった。行く当てのなくなったコウを連れて。

 

 最初こそ慣れた場所を離れることを渋ったコウだが、グレンの必死の説得と検分の為に見せられた師匠の遺体を見たことで、師の弔いを自分で行う条件に承諾。一路王都にてこれからの処遇を決めようとした矢先に、修練中のアイリスに出くわして先ほどの『下手くそ発言』が出てしまった。

 

 これに怒ったアイリスの指南役がグレンの諫めも聞かずに『山奥の棒きれ遊びが口出しするな!』と激昂。するとコウも煽り始めてしまい売り言葉に買い言葉。瞬く間にアイリス対コウの試合が本人のあずかり知らぬところで決まってしまった。

 アイリスも止めようとしたがいつになく興奮した指南役に『王国最強になられるお方の威光をお示しください!』と迫られてしまい、当のコウも、

 

「俺剣好きだし、ししょーとよくやってたから負けないぞ」

 

 と承諾したため、断るに断れずこうして両者剣を構えること相成った。

 

 正直言って、試合開始寸前になってもアイリスは納得していなかった。確かにこれまで培ってきた技術を『下手くそ』呼ばわりされたのは傷ついたが、相手は子供だ、無知くらい幾らでもあるだろう。それにまだ怪我が治ってない、良くて病み上がりの筈だ。まるで弱者を甚振る様な所業に強い抵抗があるが、ここまで盛り上がった場を収めるほどの気概と威厳は若輩の彼女にはまだなかった。

 

「それでは…」

 

 自分の剣術指南が両者の間に立ち、ピシッと片手を挙げる。モヤつく心を収めアイリスは剣を正眼に構えた。ルールはどちらかが参ったというまで、だが長引かせる気はない。狙うのは武器、手から弾いて終わらせよう。相手を極力傷つけずに勝負を終わらせる一手を思案している彼女に対し、コウは剣を同じように構えながら首をひねっていた。うんうん唸りながら剣を眺めると、不意に順手から逆手に持ち、一歩足を引いた。

 

「う~ん、やっぱこっち」

(逆手?)

 

 コウが見せた構えにアイリスは訝しむ。が腕が振り下ろされるのを感知して気を取り直した。振り下ろされる腕が地面と水平になり、指先が地面へ向けられる。その間の時間が引き延ばされていき、両者、相手の一挙手一投足へ意識が注がれていった。そして、合図が響く。

 

「初め!」

 

 アイリスの鼓膜が震えた瞬間、コウの姿が消えた。速い、瞠目するアイリスの腹を風が押す。咄嗟に顎を引くと、懐まで飛び込んできたコウの鋭い目と目が合った。

 

(速────)

 

 半ば脊髄反射だった。鍛錬で染みついた動きが腕を引かせ、迫る一撃を受ける。突き上げられた剣の柄は弾かれるが、コウはそのまま手首だけ跳ね上げて刀身を向けて来た。刀身がぶつかりアイリスの剣が上段へ逸れる。コウは剣を順手に持ち替えると、アイリスの剣を打ち降ろして、そのまま切り上げた。

 首を狙った逆袈裟を大きく仰け反って躱すことが出来たが、ここまでの動きに度肝を抜かれた。怪我人の動きではないし、逆手持ちの相手は初めて、何より流れるように迫る戦意、どれも訓練では経験しえない未知との遭遇が、アイリスの防衛本能を刺激する。

 仰け反った勢いを殺すことなく反転すると、そのまま地面を蹴ってがら空きの背中に剣を叩きつけた。咄嗟の事だった、だが力んだ腕から放たれた“力”は振り向いたコウの防御を押し切り、反転させ背中から落とした。しまった、思わず臍を嚙んで相手を見るが、コウは剣を口にくわえると両手を頭の後ろについて、両足をアイリスへ蹴り出した。

 

 ポカンと口を開けた大人たちを他所にアイリスは大きく後退する。背中から落ちて即座に動ける、恐ろしく頑丈だがこれは好機だ、体勢を立て直しながら呼吸を整え、内なる力を、魔力を解放する。最早手加減などしていられない。アイリスの中で培われた矜持がぐつぐつと煮え始め、魔力の奔流が全身を覆った。

 

 赤く輝く閃光が地面を走り、振り下ろされた剣が風を薙ぐ。ただそれだけで地面を抉った一撃を見たコウは、飛びずさりながらも思わず構えを解いた。

 

「凄いな、さっきもちょっと出てた…何だコレ」

「貴方、魔力を知らないの?」

「マリョクっていうのか!」

 

 ほへ~と感心するコウ。一気に空気が軽くなるが、全身への魔力供給はやめられない。

 

 彼はここまで魔力を使っていない、否、様子からして魔力自体を知らないようだ。知らない物は使いようが無いが、この世界の魔剣士として魔力を使えることは基礎代謝と同じだ。魔力の有無で同じ剣士でも雲泥の差が生じるほどに、魔力と言う力は大きなものだった。

 だが彼は魔力無しに、魔力を使う自分と同等以上に戦っている。目にも留まらぬ速さ、練り上げられた技量、咄嗟の対応力、全て身体能力のみで賄っているのだ。現に今も、

 

「もっと見れるかな、ソレ?」

「…っ!」

 

 一気に空気が張り詰める。再び剣を逆手に持ち替え、腕に刀身を密着させながら、体を後ろに引いて腰を落とす。先ほども見せた構えだが、今はその意味が解る。これは速く相手に懐に飛び込み、その体を切り刻むための独自の剣術。既にアイリスはコウの狩猟領域(キルゾーン)に入っていたのだ。

 

 だが弱点もある。スピードを重視する戦い方故に彼は剣を逆手に持つ、つまり順手より攻撃のリーチが短く、彼女へ当てるためにはほぼゼロ距離まで詰めなくてはならない。即ち、近づけさせなければいいのだ。

 

 再び魔力を剣に込めたコウへ切り込む。だが一撃ではない、二撃三撃と彼が動くだろう方向へ絶え間ない斬撃と衝撃が襲い掛かる。その威力に指南役は驚嘆の叫びをあげるが、コウは構うことなく走り出した。

 

 迷いない行動に驚くアイリスだが、今度は冷静に対処を重ねる。常に一定の距離を保ちながら、行く手を阻むように一撃、また一撃、もう一撃を確実に打ち込んでいく。

 

 一方のコウもまた速さそのままに剣先をそらし、躱し、受け流し続ける。その挙動は空を舞う羽毛のよう、ひらひらりと豪剣の嵐を掻い潜ろうとするが、中々近づくことが出来ない。足を止めようものなら剣に当たらずともその圧でやられる。肌越しに感じる未来予想図が徐々にコウを追い詰め、だがアイリスに致命的一手を打たせない。

 

 だが力と速さの均衡は不意に崩れた。ガクリ、とコウの体制が僅かに崩れる。アイリスの一撃で崩れた地面に足を取られたのだ。アイリスはコウの剣目掛けて腕を振り上げ、剣に打ち付ける。これは防がれるだろう、何せ単調な一撃だ。だが上手く踏ん張れないコウにとっては絶対に防ぎたい一撃。コウは剣を水平に構えて迎え打つはず。

 

 剣士ならばそれが最も確実だから。

 

「な…!?」

 

 だからこそアイリスはコウの一手に絶句した。ココで防ぐのなら、確実に防御しきる体制をとるはず。だがコウは下から掬い上げるように剣を放した。剣は回転しながらアイリスの剣に衝突し、刀身を軋ませながら弾かれる。剣を放すなんて、有り得ない行動に唖然となるがこんな小細工で彼女の剛剣は止まらない。そのまま剣を振り下ろそうとした時、コウは真っすぐこちらへ地面を蹴った。

 

 空気が凍り付く。これまでの気より明確に濃い気配に、肺の奥まで満たされる。目の前にいるのは爛々と輝く目で神経を刺し、笑う口元から獰猛に唸りを吐く。ようやくつけ入る隙を見たと言わんばかりの、野生の猛獣。

 

 その時アイリスは思い出した、ココ(超近距離)は彼の狩猟領域だったと。

 

 剣がコウの体を斬るよりも速く、腕の間から掌底が顎に刺さる。脳を揺らされ意識を混ぜられて、頬に走る衝撃が遅れる。殴られた、そう思えば右胸に裏拳が、背後へ回るコウへ目を向けた時には、顔を掴まれて背負い投げられた。

 

(非…常ッ、識…すぎる!)

 

 宙を舞い、地面をバウンドしながら何とか踏ん張ろうとするアイリス。手から力が抜けて剣を零しそうになるのを耐えながら、地面を掴んで足を突き出して勢いを殺した。だが魔力は霧散し意識も混濁したままだ。だが負けない、負けられないと立ち上がり顔を上げた。

 

 コウは既に剣を取り、アイリスの頭上へ飛び上がり腕を引いた。平突きの構え、彼のスピードと落下速度を考えれば、必殺であることは明白。大技の後は必ず隙が出来る、ここを凌げば、まだ勝機はあるはずだ。魔力循環が全身に行き渡り、思考がクリアになっていく。アイリスの渾身の突きとコウの突きが交錯した。

 

 そして決着は一瞬、合わさった切っ先から亀裂が広がり、コウの剣が砕け散る。勝った、アイリスは確信した。そもそも先ほどの投擲の時点で剣へのダメージは大きかったのだ。破損は時間の問題であった。

 

 だからこの突き勝負は一瞬で決着がついた。

 

 砕かれたコウの剣、だがコウは空中で手首をひねると、抱えるようにアイリスの剣へ絡みついた。脇を閉め、空いた手で刀身を抑えることでがっちりと固定された剣、その持ち手へつま先が振り子のように打ち込まれる。

 

(まさか…最初から私の剣を!?)

 

 こんな動きは咄嗟に出来るものではない。アイリスの魔力を纏った剣の威力は知ってたはずだし、そもそも上空からの突きなど隙だらけな方法を取らずとも良かったはず。なのに敢えてそれを取ったのは、壊れかけた剣の代わりが欲しかったから(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)だ。

 勢いを殺しきれず、反転するコウ。だが膝を曲げて着地すると、折れた剣を捨て脇の剣を構えなおして、突撃した。防ぐ術などない、串刺される未来にアイリスは思わず目をつむり────、

 

「そぉれまでえええええぇぇぇぇぇ────────!!!」

 

 咆哮。アイリスの前へ躍り出たグレンが剣を水平に構えコウの一撃を受ける。獅子と謳われた男の鍛え上げられた肉体が震え、大地が揺り動かされる。そして交錯した2本の剣が同時に破砕した瞬間、コウはグレンの胸に顔から突っ込んだ。

 ゴンと鈍い音とともに男二人はひっくり返る。衝撃をもろに受けた両者は顔と胸、各々摩るが、コウは我張りと起き上がる。その顔はもう野獣じみた気配は一切なく、我に返ったように口をポカンと開けた。

 

「あ」

「や、やり過ぎだ…王女様だぞ!」

「あ~、この国で一番偉い奴?」

「…の娘さんだ!だからな、ここ来る前にも言ったが本気になるなと…」

 

 グレンが諫めるがいささか遅かった。コウの背後、揺ら揺らと揺れているのは魔力だけではない。ゆっくりと二人が気配の方に目を向けると、顔を真っ赤にして半ば発狂した指南役が剣を抜刀して突っ込んできていた。

 

「貴様ぁ!よくもアイリス様をぉぉ!!!」

 

 コウは立ち上がると逃げ出し、指南役がそれを追う。グレンはその後ろ姿を見送っていたが、ハッとした顔になると、後ろでへたり込んでいるアイリスに声を掛けた。

 

「大丈夫ですか?」

「あ、私は平気です。それより、あの子は一体…」

「はい、ご相談したいのは、彼の指南相手、もとい処遇です」

 

 立ち上がったアイリスは服についた土煙は払いグレンへ手を差し伸べる。まだ少しだけ頭が痛いが、それ以外は何ともないし、こんなことで弱音を吐くほどやわに鍛えてはいない。グレンは王女の無事を確認すると、差し出された手に遠慮して自力で立った。

 

「ご覧の通り、彼は魔力の使い方をまるで知りません。しかしそれを補って有り余る技量と直感力…烏滸がましいかもしれませんが、魔力さえ補うことが出来れば王国一の剣士になれるでしょう」

 

 グレンの評価にアイリスは俯いた。彼女は王国を背負う者として、国を守る者として今日まで研鑽を重ねて来た。既に騎士団の大隊長は相手にならないし、誰もが王国最強と評価を下す水準に到達している自負もあった。だがそれは今日、恐らく妹より年下であろう一人の少年の手で覆された。悔しいがコウは、恐らく誰よりも強い。

 

「しかし不甲斐なくも、私では彼の指南は手に余ります。ですので彼に人の剣を、特に魔力操作を教授できるような人を探しているのです」

 

 たしかにあの獣じみた戦い方ではこの国どころか、どの魔剣士でも手に負えないだろう。今だって自分の指南役が両足を取られて海老反りさせられている。アイリスは唇をかんだ。

 親の顔も覚えていない、育ててくれた恩人も死んだ、行く当てもなく残された剣の腕だけで居場所を得るには相応の立場の者が近くにいたほうが良いだろう。

 

 その時ふと、アイリスに天啓が降りたように感じた。早速グレンに伝えると、意外そうな顔をされた。本当にいいのか、と憂いてくれるグレンへアイリスは首を縦に振った。

 

「…彼を、またここに連れて来れませんか?代わりに私が魔力を教えますので」

 

 こうして週1回、アイリスとコウの交流が始まった。

 

 最初こそコウは『アイリス王女に粗相をしでかした』と城の者からは白眼視され、指南役を始めとした騎士たちと、『こんな狼藉者を側に置いておけるか』とトラブルを引き起こしていた。コウも見知らぬ場所で、見知らぬ他人から忌避の目に晒されながらの生活に慣れないこともあってか、指南役の時以上の乱闘になりかけたり、止めに入ったアイリスとも口を利かないような日も少なくなかった。

 

 しかしコウがアイリスの妹・アレクシアと出会ってからトラブルがぐんと減り、コウもまた騎士たちに挨拶をしたり、城のメイドを手伝ったりと関わっていくようになっていた。代わりに『アレクシア様が狂犬を調教し始めた』と奇怪な噂がまことしやかに囁かれ始めたが。

 

 そうして一年ほど二人での日々が過ぎて。

 コウは今だ魔力を使えなかった。

 

「ごめんなアイリス、マリョク使えなくて…」

「良いのよ、誰にでも出来ないことはあるし。貴方は十分強いわ」

 

 その日、何時になくコウが体育座りして項垂れていた。アイリスはコウの隣に座って慰めるが、正直成果は芳しくない。ここまで鍛錬を重ねても魔力が使えないどころか出てくる気配もないのなら、残念だが魔力の才はないのかもしれない。

 

「でも教えてくれるアイリスに悪いと思うし…使えるようになりたい」

 

 それでもコウは熱心に師事を受けているし、魔力無しでも十二分に強い。初めて剣を合わせた時の喉が灼けるような燃える敵意はもう無い。

 

「ねぇ貴方、前は師匠とどんな修行をしてたの?」

 

 単純に興味が湧いた。何が彼をここまで強くしたのか。師と仰ぐ人物がどのような人物なのか。コウはう~んと唸ると大の字に寝転んだ。

 

「修練場が山の天辺にあるからそこまで登って、着いたら色んな事やるぞ。登る途中で見つけた岩を運んだり、運んだ岩をししょーが投げて、俺が目隠しで打ち返したり…」

「…」

「あと滝を斬れって言われたり、馬と鬼ごっこしたり…逃げるなァ!ってししょーが言ってたけど」

「滝?馬?」

「あと森とか池の中で乱取りしたり」

「池?潜って取っ組み合ったの?」

「はいかつりょー?っていうのを鍛えるらしい。」

「大丈夫なのソレ!?」

「あと狩りに出かけて自分でご飯で狩って来いって言われたり…」

「え~とそれは…剣で?」

「剣で。ホントに危ない奴はししょーがやってくれるけど、それ以外はオレが斬って」

 

 聞けばく聞くほど目が点になる。岩運びや目隠しで投石の迎撃とかはまだいい、滝を斬るとは何だ?馬と鬼ごっことは何だ?それは本当に人間がやるような修行なのか?どうやら彼の師匠は結構苛烈な人物だったらしい。そんな魔境じみた修行のお陰で弟子はこんなに立派になりました、とでもいうのか。納得は出来てもやりたくない、アイリスはひくついた口元を抑えた。

 

 そんな時、コウがポツリとつぶやいた言葉が大きく響いた気がした。

 

「もう一年経つんだよな…」

「え?……え、ええ、今日で丁度一年よ」

 

 不意に呟かれた言葉に面食らうが、アイリスは頷く。今日でコウが王都に来てから一年。過ぎてみればあっという間だったが、思い返せば色々なことがあり過ぎた。だが今となってはいい思い出だと言える、それくらいにはアイリスはコウに対して好感が持てていた。

 楽しかった、だからこそアイリスの表情が曇る。これまで考えないようにしていたことだったが、今なら聞けるのだろうか。

 

「魔力を手に入れて、使えるようになったら…貴方はどうするの?」

 

 アイリスの問いに、コウは真剣な眼差しを向けた。

 

「アルファを探す、かな」

 

 やはりか、アイリスは俯いた。

 

「復讐する気?」

 

 両親の顔さえ覚えておらず、唯一頼れる恩人も殺された。その仇であるエルフはまだ見つかっていない。話によれば彼も戦ったらしいが惨敗したらしい。あれだけ強いコウを負かすほどの相手、ならばコウが魔力を求める理由は復讐の為、アイリスは想像できてしまった。あれだけ真摯に練習を重ねる彼の向かおうとする先が、アイリスが経験したことのない闇の中だというなら…アイリスは体を抱えるように体を丸めた。

 だが当の本人は寝ころんだまま首を傾げた。

 

「分かんない」

「分からない?」

「ししょーを殺したのは許せないし、負けたの悔しいけど…ふくしゅーとかは…良く分かんないしな」

 

 はっきりとしない態度を示し、体を起こすコウ。いつもの無邪気さとも、戦う時の荒々しさとも違う、今まで見たことのない寂寥な少年にアイリスは戸惑った。

 

「でも、アルファと最初に戦った時の、胸とか喉とか、あと頭が沸くような感じは嫌だったな。それに全部持ってかれて、今までししょーといっしょにいた思い出とか無くしちゃいそうで」

 

 どこか遠くを見つめながらコウは胸を掻く。あの日、コウはその体を支配する感情のまま剣を振るった。持てる総てを注いで燃え尽きてでも、あのエルフを仕留めようとして、負けた。技術も、身体能力も、心も、完膚なきまでに。残ったのは傷だらけの体と、黒焦げになった大切な人だったものだけ。

 

「だからグレンがこっちに連れてきてくれて良かったと思う。パンは美味しいし、街は綺麗だし、アレクシアは怖いけど…この街の人は凄い優しい。あそこにいたままじゃ知らなかったことばっかりだから、今は楽しい」

 

 ここに来た当初を思い返すと、コウは苦笑いした。知っている場所も、知っている木々も河も、動物もいない。ましてや人が大勢いることすら恐ろしく思えた。だからコウはグレン以外の人間から遠ざかろうとした。師に教えられた狩りの鉄則に従い、未知の相手は死角より動向を探り、その性質を知ることから始める。敵を知り己を知れば百戦危うからず、だ。

 

 だがそうして生まれた距離感は、周囲の忌避の気持ちを強めていき、コウもまた向けられる視線の気持ち悪さに警戒をさらに強めた。そしてある日、抱えたものが決壊した。初めは興味本位で絡んできた近衛騎士を無視した事だった。進んでも騎士、踵を返しても騎士の包囲網を鬱陶しがり、潜り抜け去ろうとした時、騎士の一人が放った言葉が耳を貫いた。

 

『ロクに挨拶も出来ないとは、大した師匠様だな!死ぬ前に躾位してやればよかったものを、弟子がこれでは無駄死にだな』

 

 途端、あの日の炎が再燃した気がした。相手が大勢だろうと、武装していようと、魔力を使えようと関係ない。手を砕き、足をへし折って、黙らせてやる。身ぐるみを剥がされ、戦意を失い、みっともなく泣きさけぼうと、コウは彼らを狩り取ろうとした。

 

 偶々近くに来ていたグレンとアイリスの仲裁で死人は出なかったが、コウは謹慎を言い渡され家に閉じこもった。閉じられた小屋の中では感じられなかった“悪意”が徐々に心を蝕み、胸が張り裂けそうになる。師のいない世界がこうも醜く辛いなら、こんな場所にはいたくない、と。

 

 その閉塞を打ち破ったのは、一人の来客だった。多分閉じこもった自分を物見遊山気分で観たかったのだろう、あの性格の悪い銀髪の少女の事だ、励まそうなどとは考えていなかったはずだ、絶対。

 

『いつまでも唸るだけじゃ、誰もアンタを受け入れないわよ狂犬。頭を伏せて腹を見せて、服従の態度を見せて初めて人は犬を愛でようとするんだから』

 

 その一言がきっかけで、コウは外へ出た。半ばムキだった、行く当ては無い、街を出ることは叶わない。だからふらふら当てもなくさまよったが、それが結果的に良かったのだろう。

 歩き疲れて、偶々立ち止まったところにあったパン屋。食べようにも身一つで出てしまったから金銭もない。だが店主は物欲しげなコウを見て、一切れのパンを手渡した。コウは最初こそ警戒したが、無理矢理押し付けられたそれを一口含んでみた。出来立てだったのだろう、窯の熱をまだ含んでいだそれはとても甘く、じんわりと体にしみわたっていく。こんなにうまいのはいつぶりだろう、そう思った瞬間、世界が変わっていた。

 

 生き行く人の活気、溢れる笑顔、それを見守る済んだお天道様の光。それはあの小屋で感じていた温かさと同じものだった。

 

「だから俺はここにいるよ」

 

 それからコウは変わった。騎士たちに暴行を詫び、城の中の人間たちとも関わり合いを持つようになった。特にアイリスと、その妹と後で知った銀髪の少女ことアレクシア。魔力習得のためにと言うのもあるが、この二人と過ごした時間が一番長かった。お陰で魔剣士の知識と、人の常識を身に着けることが出来、王都へ来た時とは見違えているんじゃないかと自負できる。最も後者を得るためのアレクシアの“教育”は、未だ熾烈を極めているのはアイリスには内緒だ。

 

「ありがとな…アイリス。いつも付き合ってくれて」

 

 コウは振り返ると、朗らかな笑顔を向けた。陽光を背にした彼は、とても温かく、先までの暗さはもうない。突然の感謝に呆気にとられたアイリスは微笑み返した。

 

「どういたしまして」

 

 そうだ、今はこれでいいのかもしれない。

 いつか彼は再び仇敵と相対し、その因縁の渦中へ飛び込んでいくのだろう。だがその時は、自分たち騎士が彼を守ればいい。必ず彼が、この街へ、自分の元へ戻ってくるように。

 

 アイリスはその温かさを胸に抱いて、鍛錬を再開すべく立ち上がった。

 

────/5/────

 

 そして時は過ぎて、アレクシアがミドガル魔剣士学園に入学した年。王都は揺れていた。

 

 発端はアレクシア行方不明という報だった。日が落ちても寮に返っている気配がなく、騎士団が誘拐事件として捜索を開始したところ、アレクシアの同級生の少年が容疑者に浮上した。成績も剣の腕も目立つ者ではない、地方貴族の生まれというくらいの平々凡々な少年だが、最近アレクシアと交際を始めたらしく、彼女が最後に目撃された時、一緒にいたのも彼だった。

 

 騎士団は彼は尋問し、アレクシアの所在を吐かせようとするも彼は無罪を主張。5日間の懸命な尋問にも口を割らず、状況証拠しか集まらなかったため、一応監視付きで釈放となった。

 

 そして事態が動いたのはその夜。街の8ヶ所で同時に火の手が上がった。集団による破壊活動、そして呼応するように現れた、一体の怪物。王国魔剣士となったアイリスはその醜悪の権化の前に立つ。

 

「グニャグニャ、ね…確かに言われてみればそうかも」

 

 眼前の怪物を前にアイリスは独り言ちる。今しがた胴に一撃見舞ったはずだったが、傷口が泡立つ様に膨れ上がると何事もなかったように立ち上がった。再度、今度は振り下ろされた腕を受け止めながら、剣を立てて真っ二つに割り、そのまま腕を切り落としてみるも、またも傷口から肉が膨れ上がり腕を生やしてしまう。

 

「これでも再生しますか」

 

 その異様に慄く騎士たちを下がらせると、アイリスは剣を振るい続けた。相手は銃弾を弾く肉体を持ち、腕の一振りで舗装された地面さえ容易く砕いてしまう。その上に四肢欠損さえ再生して見せるのだ、勝ち目などない、普通ならそう判断する。

 

 それでもアイリス・ミドガルは、剣を振るわないことを許さない。無造作に振るわれる腕を躱し、建物ほどの巨躯を支える両足を斬る。体勢を崩した怪物を蹴り飛ばし、体をさせようとついた両腕を斬り飛ばす。そして建物に寄りかかって崩れ落ちた怪物へ、持てる魔力を注いだ連撃を打ち込む。胴に負圧づける傷は絶えず泡を吹かせるが、その速さは目に見えて遅くなっていた。勝ち目が見えて来た。

 

「ならば、再生できなくなるまで、このまま────」

「それが苦しめるだけだと…なぜわからない?」

 

 だがその愚直なる姿勢は、一つの陰に咎められる。

 剣を掲げたアイリスの前に音もなく舞い降りたのは、一人のエルフ。黒い布地に金の装飾をあしらったボディスーツを纏い、粉塵舞う闇夜の中でもひときわ輝く金髪を腰まで伸ばしたエルフが怪物へ立ちはだかるように、或いはアイリスを邪魔する様にそこに佇んでいた。

 

「何者だ!」

「……アルファ」

「…?その名前は…」

 

 突然の闖入者が名乗った名前に目を開くアイリス、彼女を無視してアルファは怪物と向き合った。問答の間に腕を再生させた怪物は目の前の邪魔者へ腕を振り下ろす。砕ける大地、舞い上がる風、視界を封じられたアイリス距離を取ると、顔をしかめながら周囲を見渡すように首を傾ける怪物、その頭上遥か高みに跳んでいたアルファの姿を見た。

 

「かわいそうに。痛いでしょう。もう苦しむことはない…悲しむことはない」

 

 刹那、光が爆発したような光が世界を覆った。解き放たれた魔力はアイリスがこれまで感じて来た度の剣士とも比べるのすら烏滸がましい、いやそれ以前に人が発して良い力ではない。瞠目するアイリスの目に映ったのは光と怪物が衝突する刹那、アルファの頬に一筋の光が流れ落ちたところだけ。怪物は包まれた光の中へその身を委ねられた。

 

 眩い光が徐々に納まり、アイリスが目にしたのはアルファと、一糸まとわぬ一人の少女。既に少女の眼には光はなく、その場に頽れたままピクリとも動かない。アイリスが再生するからと切り刻んだから、いやそれ以前に、あの怪物に変じた時から彼女は人としては既に死んでいたのだろう。アルファの埒外な一撃は正しく“慈悲”だったのだ。

 

 突き付けられた愕然たる事実に握りしめた剣の柄がきしむ。だが状況は終わっていない。降りしきる雨の中に消えようとする後ろ姿に我に返ったアイリスは切っ先を突きつけた。

 

「待て!…貴様は、貴様は本当にアルファなのか!?」

 

 ココで彼女を逃すわけにはいかない。この騒動に関わる人間であるのなら勿論の事、このエルフが話に聞いた彼女だというのなら、ここで野放しにはできない。警戒を強めるアイリスに呼び止められたアルファは立ち止まった。

 

「観客は観客らしく、舞台を眺めてるだけで満足していなさい。我ら…シャドウガーデンの邪魔をするな」

 

 僅かにこちらを向いたアルファの視線は冷厳なものだった。ただただ冷ややかに、同じほどの背丈のハズが遥か高みから見下ろされるような威圧感があった。

 言いたいことは言った、と言わんばかりにその姿が闇に溶けていく。アイリスは彼女を捉えようと手を伸ばすが、闇の中でその手は空回って────、

 

「言っとくけど…アイリスはふざけてやってないぞ」

 

 空から声が降ると同時に、アルファの前で何かが落ちた。轟音と共に闇が掻き消え、アルファの姿が立ち止まる。膝を曲げ、着いた右手をゆっくりと離しているのは、アイリスより少し小さいだろうか。ミドガル魔剣士学園の青い制服を羽織った青年だった。

 

「そして俺も…劇は見るよりやる方が好きだ。そっちの方が楽しいもんな」

 

 青年は立ち上がると服についた埃を払って、背中に手を回す。ベルトに引っ掛けていた剣を外して抜刀、反射した光が青年の顔を映す。オールバックにまとめた赤茶髪と鋭い双眸が見えた瞬間、アイリスは思わず声を上げた。

 

「コウ!」

「お待たせ、アイリス」

「…公務中だから王女と…それ以前に貴方、学園にいたはずでしょう!」

「ゴメン、後で言い訳するから。アイリスはみんなの所に行って」

 

 そう言ってコウは笑いかけると、直ぐ笑みを消して刀身に指を添える。片足を下げつつ踵を上げてバネを利かせる、いつでも飛び掛かれる姿勢に対してアルファはどこからともなく黒い剣を取り出した。

 

「久しぶりだな、アルファ。ココで暴れてるの、お前の仲間か?」

「だとしたら?」

「斬る」

 

 即答、開戦の合図となる。コウの平突きが迫るが、アルファは跳躍する。一跳びで3階建てを超える跳躍力、だが伸ばしきった足の甲に生身の手が引っ付いていた。自分を掴んだ、だが事実に慌てることなく掴まれた部分を流動させすり抜けるが、既にコウの体をアルファと同じ場所へ引き上げた。

 

 身を翻し家屋の屋根に着地するコウ。振り向きざまの横凪と、黒剣の一閃が交錯する。数年ぶりに見る彼女はあの日より綺麗で、そして更に強くなっている。たった一合で分かった、埋まっていない実力差、だがコウは構うものかと剣を振るった。

 

 コウは剣を逆手に持ち直すと、回転横薙ぎでアルファと打ち合う。だが三度剣が重なった時、刀身を殴りつけ、続いて柄の石突、拳を打ち込んで後退させる。コウの剣は獰猛無比にして縦横無尽。圧倒的スピードで距離を詰めて剣術と徒手空拳で相手を翻弄、絶え間ない攻撃の連続で反撃の暇を与えない『獣の剣』であり動の剣だ。

 

 だが絶え間なく迫るコウの刃を最小圏の動きで躱し、いなし、受け止める。対するアルファの剣は流麗して俊敏、無駄のない動きで攻撃をいなし、懐に入り込んで剣を振るう。『陰に潜み、影を狩る者』を体現した対照的な静の剣の前では、如何に相手が速かろうと致命打が当たらねば意味はない。これまでも、そしてこれからも。

 

 鍔で剣を打ち落とすと、一歩踏み込む。それだけで肩を斬り、背中を裂く。そして振り向いたところを一刺し、これで終わる。

 

 ここまではあの日と同じ。

 

 金属音、今度はアルファが目を見開いた。剣先は鍔に刺さり、胸元には刺さっていない。コウは順手に持った剣を回して切っ先を外すと、袈裟と左袈裟、真っ向を叩き込んだ。

 これまでのアグレッシブな動きとは異なる、質実な動き。付け焼刃ではない、しっかりと彼の戦い方に組み込まれている。そして一瞬の動揺は、獣は鋭敏にかぎ取る。

 

 一閃、首元への一撃が霞め、髪を数本切り取る。僅かに早く首を傾けたから刃は食い込まなかったが、アルファは前へ転がり込んで距離を取る。彼女のいた場所へ剣閃が煌く、先ほどの自分のように。だが大きく前へ動いたから刺し貫くほど近くはない。立ち上がったアルファと、コウの剣が互いの喉に突きつけられるのは同時。アルファは睨み合いながら、真一文字に結んだ口を開いた。

 

「何故…壇上に上がって来たの?」

「ここは屋根だぞ」

「貴方はあの日、あの男の手から解き放たれた。忌まわしき教団から、洗脳されることなく解放された唯一のディアボロス・チルドレン(魔人の子供)

 

 剣を横にして距離を詰める。首を斬る気か、コウは同じく剣を横たえてアルファの剣を持つ手ごと掴んで動きを止める。しかしコウの手も掴まれ離れず、だがこちらも離そうにも離せず膠着状態に陥る。

 

「なのに貴方はこの(舞台)に舞い戻ろうとしている。教団も、私の事も忘れて、ただ傍観者(観客)のままでいれば、我らがカーテンコールをおろして総て終わるというのに」

 

 話す為に近づいたのか、眉を顰めるコウだが手に籠る力が、魔力が強くなる。瞬間掴み合ったまま突っ込んできた。華奢な体とは思えない力に押し負け屋根から飛び出すコウ、バランスが崩れた所をアルファの両足が刺さり、空転して体を放り投げられる。咄嗟に両手足を伸ばして軌道を修正しようと試みるが、剣を振りかぶるアルファを見て腕を畳んで剣を構えた。お互いに不安定な空の中、しかもどう背伸びしても剣先は届かない筈。だがアルファの剣は突然伸びて、コウの剣を斬った。

 道を挟んだ建物へ落ちていく両者。受け身を取りながら向かい合う二人だが、表情は芳しくない。

 

「何で戦うか…」

 

 砕けた刀身を見ながらコウは思う。先ほどの折剣の一撃には魔力が籠っていた。伸びる剣のカラクリは分からないが、いつも見慣れた輝きよりも濃く、剣同士がぶつかった個所は特に強いものを感じた。思えばさっき押し出された時も、足と手には同じようなものを感じたから、魔力は一点集中の方が強いのだろうか?

 

 ここ数年の修業の末、結局コウは魔力を使えなかった。だが代わりに魔力感知を鍛える方向へ修行をシフト、元々動物的感性の鋭い方ではあったため、僅かな魔力痕を見て相手を特定することが出来るようになっている。お陰でアレクシアからはいまだに犬扱いだが、ここまで出来るようになってまで戦う理由とは何か。

 

 そんなものは決まっている。

 

「そんなの…お前とアイリスがここにいるからだろ」

 

 折れた剣を突きつける。その眼からは意志は消えず、更に敢然と輝く眼光。ただ真っすぐとアルファを見る目に陰りはない。

 

「お前はししょーを殺した。許せなかったし、今もそうだけど…この街に来て、グレンやアレクシア、アイリスと一緒にいて、ここには一杯大事なもの貰ったんだ」

 

 コウはほんの少しだけ目線を降ろす。あちこちで上がる火の手、耳をすませば聞こえる騎士たちの怒号。昼間にパンを買いに行ったときにあった穏やかさは無いことをまざまざと思い知らされる。

 

「だからこの街を壊されたくないし、もう誰もいなくなって欲しくない」

 

 胸中が熱くなるのを感じる。だが嘗て感じた総てを燃やす炎ではないし、もう自分はあれを見ないようにしてきたし、今後も見るつもりもない。体の多くがじんわりと温かくなる熱、それが伝わったのか気が付くと折れた筈の剣へ赤い刃が被さり、紅い剣へと変わっていた。

 

倒すべき敵(お前)がいて、守るべき人(アイリス)がいるから、俺はここで剣を振るう。」

 

 青く熱い決意。少年が青年へと変わり、時を経ても突き動かす衝動。

 

「そう…なら」

 

 それを感じたアルファも剣を構える。もうアイリスに向けた零度の瞳はどこにもない。ただ一点、相対すべき青年への闘志を燃やした碧眼だ。

 

「容赦はしない」

「してないだろ、最初から」

 

 まるで今まで手加減していましたような口ぶりにコウは口を尖らせる。だがコウの戦意は更に研ぎ澄まされ、再び立ち向かうべく屋根を飛び出し。

 

 横から降り注いだ矢の雨に当てられた。突然の急襲、アルファに意識が言っていたコウに防ぐ術はない。紅剣は離れ、元の折れた剣へ戻っていく、

 

「コウ!」

 

 墜ちていくコウを見てアイリスが駆けだす。轟音と共に建物へ空いた穴に跳躍、魔力によって強化された足はやすやすと穴の中へ辿り着き、倒れ伏すコウへ駆け寄った。

 

「しっかりしなさい!」

「大丈夫、何ともない…けどいるな、多分6、7人。アルファと同じくらい強い奴」

 

 これまたいつの間に着けていたのか、両手に紅い手甲を付けたコウが矢を掴んでいる。体には射抜かれた後はないことから、すんでの所で掴んで止めたのだろう。ともかく無事であることを確認したアイリスは内心安堵した。だが状況は何ら変化していない。今だ街の破壊が続いているのを耳にしたアイリスはコウと眼を合わせた。

 

「コウ、アレクシアが攫われました」

「知ってる。誰かに恨まれたのかと思ったけど、アイツらがいるなら違うんだよな?」

「理由は今はいい。兎に角、この騒ぎを収めてアレクシアを救出します…他は騎士団が対応してるけど、正直手に負えません。応援が来るまで、彼女たちを抑えられますか?」

 

 そう言ったアイリスだが、顔は険しい。先の戦闘は僅かしか見ていないがどうやらこちらの劣勢、しかもコウの勘によればアルファと同格の強さを持つ者があと6,7人はここにいるという。騎士団で対応できる範疇を超えている。この状況下においてできる最善手は被害をこれ以上出さない事だ。その為には彼女たちを抑えなくてはならないそれを出来る人間へアイリスは自身の剣を差し出した。

 

 突然差し出された剣に当惑するコウだが、おずおずと受け取って剣を眺める。王国最強として日々政務に励んでいるアイリスがこれを託すことの意味、噛み砕くように頷くと顔を上げた。

 

「きつい…でもやる。折角会えたんだから────」

 

 突然コウが言葉を切った。怪訝そうな顔であたりを見渡すと、突然アイリスの手を取って建物から飛び出した。だが両者の飛距離は伸びず揃って陰に激突しそうになる。コウはアイリスを引いてその体を抱き込むと、壁を蹴ってさらに上空へ飛び出した。

 

 半ばお姫様抱っこされたアイリスは困惑した。体勢もそうだが、それ以上にコウが感じただろう異変を肌で感じることが出来たから。

 

「何…」

「すごいな」

 

 それは禍々しくも仰々しい、紫の光。

 膨大、遠大、超大な魔力の光が大地から漏れ出す。先ほどのアルファさえ目でもない、最早人知を超えた光が街を飲み込んでいく。光に視界を遮られ、光が引いてもしばらく目を開けられず、やっと目が光になれたときに映ったのは、街にど真ん中に空いた大きなクレーターだった。

 無事な家屋の屋根に着地したコウはアイリスを降ろす。アイリスはふらふらと立つと、クレーターの方へ駆け出した。

 

「アレクシア…」

 

 不安に駆られた彼女を追おうとするコウ。だがそれを遮るように陰から声がした。

 

「いずれ、我らの敵の総てがあの光の中にに消える。せいぜい巻き込まれないようにね」

 

 響き渡るアルファの声が頭を離れない。振り払うように彼女を探すがあの光に乗じて逃げたのか、その姿は終ぞ見つからなかった。

 

 こうして王都の一角を焼き払った光と共に、アレクシア・ミドガル王女誘拐事件が幕を閉じた。

 アルファ属する『シャドウガーデン』の存在を世に知らしめて。

 

────/6/────

 

 ここで少し唐突だが、シェリー・バーネットは友達がいない。

 

 幼いころに母を亡くし、ミドガル魔剣士学園副学園長ルスラン・バーネットに引き取られた過去を持ち、今では学園きっての才女と謳われるまでになったアーティファクト研究者。世界へ羽ばたき得る才覚を花開かせるため彼女は多くの時間を費やした。友達がいないのは、そのための対価ともいえる。

 

 だからと言ってシェリー本人は寂しいとは思わなかった。アーティファクト研究は母も専攻していたものだったし、引き取ってくれた義父の支援でアーティファクト研究に携わっていた。優しい保護者に見守られながらの研鑽の日々はとても有意義だったし、母も通った道と自分も歩いていると思うと亡き母と共に入れるような気がした。だから同年代の友人がいなくとも、そもさん話しかけられなくともあまり気にならなかった。

 

 だからそんな自分に関わってくれた人間が珍しかった。それも二人、しかも両方男子。

 一人は血まみれだった。いや何故血まみれだったのか、思い返してみると訳が分からない。けれど前方不注意でぶつかってしまったシェリーに手を差し伸べ、今日の昼頃には何やらプレゼントを渡してきた。たった一回会っただけの自分に、だ。

 そしてもう一人は。

 

「た、食べてみます?」

「コレ食っていいのか?」

「……ど、どうぞ?」

 

 今現在その男の子から渡された茶色い粒をつまんでいる茶髪の青年。

 貰った箱を開け中身を確認していた時、不意に声を掛けられたので振り返ってみると、彼が窓枠に頬杖をついていた。ここまで登って来たのか、それより誰だ、色々考えが巡るが、こんな時どうしたらいいか分からない。悪そうな印象はないが、と物珍しそうな視線に気づいて辿ってみると、自分の指の粒に向けられていた。物は試しと差し出してみると、茶髪の青年はそれを受け取って口の中へ頬り投げた。

 

「む、甘い!」

「甘い?」

「木の実が入ってる!」

「き、木の実?」

「……旨い!」

「…美味しいの?」

 

 オウム返しのように聞き返すシェリー。嬉しそうに咀嚼する彼の様子をみて、では自分もと粒を口に含む。ちょっと苦いが甘い、奥歯で齧るとミルクのやさしさの中に炒った木の実の香ばしさが広がる。今まで味わったことのない多幸感に頬を緩めた。

 

「ところで貴方は誰?」

「ん、俺?俺はコウ、シェリー・バーネットって奴の警護を頼まれたんだけど、知らないか?」

「シェリー・バーネットは、私だけど…」

「すみません!失礼しま…コウ!お前また窓から!」

「やっべ!」

「待てバカ息子!」

 

 部屋へ飛び込んできた獅子のような髭の護衛が、コウを見た途端に声を上げた。気まずい表情になったコウは窓枠から去ろうとするが、グレンはマントの下から縄を取り出すと窓の外へ放り投げた。ヒョロヒョロと伸びた縄はやがてピンと張り、窓の外から驚くような声が聞こえて来た。

 

「あぁれ!?何で捕まえられるぅ!」

「この野生児め!アレクシア様から投げ縄(秘策)を授かった俺から逃げられると思うなよ!」

「ちっくしょーあの悪魔めぇ!」

「あコラ、暴れるな!縄が解け、落ちるぞ!すみません、ちょっと手を貸しいただけませんか!?」

「え、あ、はい!」

 

 引き上げようと力むグレンの頼みに、慌てて縄を掴む。えっちらおっちら力を合わせて、いやほとんど握ってただけだったが逃走者は無事引き上げられ、何事かと心配してきた義父と一緒に目の前で頭を下げられた。

 

「すみません。うちの息子が粗相を…」

「…えっと、窓から入って来て、驚かしてごめんなさい」

「グレンさんその子は…?」

「コイツはコウ。私の養子で、今回警護の手伝いをしてもらおうと思って」

 

 縄で縛られた青年の頭を撫でる。シェリーは自分と年が変わらなそうな彼が自分の護衛の一人であることに驚いた。

 自分は今、アイリス王女の要請によりあるアーティファクトを調べている。ある宗教団体の管理地から見つかったらしく、それと自分を守るために3人の護衛を付けることになったのだが、その三人目が自分と同い年とは思わなかった。思わずルスランを見ると、笑みを浮かべていた。

 

「そうでしたか…見た所ウチの生徒のようですし、シェリーと仲良くしてやってください」

「副理事長…ありがとうございます」

「ありがとなございます!…もっかい言うけど、よろしくな!」

 

 こうしてシェリー・バーネットとの奇妙な出会いと二人の日々が始まった。

 

 護衛と一緒、といっても他の二人も勿論だが、コウは特に護衛という仰々しさは感じられなかったから、息が詰まるようなことはなかった。というより距離感が近いのに決して苦にならないのだ。彼自身アーティファクトの知識が皆無なのだが、その分興味を持って質問してくれる。シェリーも得意を人に教えるのは構わなかったし、研究所を舞台とした小さな教室が開かれることもあった。

 

 そして数日経つ内、学園内がブジン祭の選抜で盛り上がりを見せる中、研究所には細やかな賑わいを見せた。勿論作業は順調に進めているし、その間はコウも話しかけず見守っている。しかし今までの研究所よりも狭く、代わりに温かい空間はシェリーの世界を拡張していった。

 

「アレクシアのこと知りたい?何で?」

「あの…この前のチョコレート、覚えてる?」

「チョコ…ああ!木の実が入った甘い奴!」

 

 そんなある日のことだった。シェリーの方からコウへ相談があると言われた。少し頬を染めたシェリーの様子に尋常じゃないナニカを感じたコウはグレンたちを呼ぼうとしたが、シェリーが慌てて制止。様子見に覗き込んだ騎士のマルコはこちらを見ると、ニマニマしながら締め切ってしまったため、コウの頭には疑問符が浮かんだ。

 

「それを渡してくれた男の子、シド君って言うんだけどね、最近お友達になれたの!」

「お、良かったじゃん!おじさん喜ぶよ」

「うん…だけどね、シド君ってアレクシアさんと…その、付き合ってた?らしいんだけど」

「アレクシアと?大丈夫なのかそいつ?」

「うん、コウ君はアイリス王女と親しいでしょ?何か知らないかなって…」

 

 シェリーに友達が出来た、コウは純粋に嬉しかったが同時に出てきた名前に顔をしかめた。アイリスの次に付き合いの長い女の子、なのだがその関わり合い方は正直暖かなものだけではない、というかギスギスの方が多いと断言できる。コウはどうしようかと腕を組みうんうん唸る。

 

「俺アレクシアから学校で関わるなって言われてるんだよな」

「そうなの?」

「うん。学校でまで駄犬の面倒見たくないって…だからアイツの事あんまり知らないけど…」

 

 そう、とシェリーは俯いた。うんうん二人で唸ること数瞬、コウはパンと手を叩いて立ち上がった。

 

「良し!聞いてみるか」

「…え、誰に?」

「アレクシアに」

「いやでも…」

「手、さっきから動いてないだろ?シェリーは大事な仕事をしてるのは知ってるし…俺に出来ることがあるなら、手伝いたい」

「…コウ君」

「大丈夫!アイツ今なら行っても大丈夫な時間だと思うし。意地悪だけど、優しい意地悪だから」

 

 優しい意地悪、と言う言葉に引っかかりを覚えたが、シェリーは差し出された手をおずおずと握った。グレンとマルコからにこやかに見送られながら二人はアレクシアの元へ赴き、ドアを叩いた。

 

「…っていう訳で来たぞアレクシアー!」

「敬称を付けなさい駄犬!」

 

 入室早々、一撃貰った。

 

「公衆の、面前では、敬称を、付けろって、言ってるでしょ!」

「痛っ、いった!でも、ここお前、とオレ、と、シェリーしかいな…」

「シェリー先輩が、いるで、しょーが!」

 

 何が起きているのかわからなかった。凛として人当たりの良いと評判のアレクシア・ミドガルが、コウの事を駄犬と罵りながら剣の鞘で尻を叩いている。衝撃、情報量の多寡に押し流され固まってしまうシェリー。彼女の様子に気づいたアレクシアは、柄の先をブスリと刺してコホンと咳き込んだ。

 

「あ、あの…突然すいません」

「ウチの駄犬が申し訳ありません。取り敢えず中にどうぞ」

「お前のせいじゃないぐぁえ」

「お黙り。最近はやりのコーヒーがありますから、ゆっくりしていってね」

 

 部屋の中に案内され、シェリーは恐る恐る部屋に入る。研究所の椅子より格段に柔らかいソファーに腰を落とすと、アレクシアがコーヒーを入れたカップを静かに置いた。

 

「アレクシアー、俺の分は?」

「自分で入れなさい、厚かましい」

 

 復活したのか、ぶーたれるコウをバッサリと切り捨てると、アレクシアは一際大きく咳き込んだ。もう先ほどのアグレッシブな彼女はいない。出会った時の、王族然とした凛々しい様子の彼女だ。取り敢えず出してもらったコーヒーをいただいて落ち着こう、とシェリーは砂糖を引き寄せ、5~6個ほど混ぜた。

 

「シェリー先輩、お見えになった理由は想像がつきます。ウチの駄犬の粗相に関しては私が厳重に────」

「違います」

「じゃあアーティファクトの解析が────」

「それも違います」

「アレクシアに聞きたいことがあるんだって。シドって奴の事」

 

 速攻で凛々しさは崩れた。ひくつくアレクシアに気づかないのか、シェリーは顔を俯かせたまま話を続ける。

 

「あの、アレクシアさんは、お付き合いしている男性がいらっしゃったとか…」

「え、ええ」

「も…もしかして、現在もお付き合いされてる…とか…」

 

 不安そうに問いかけるシェリー。コウが見守る中、アレクシアはコーヒーを一口含むと、にこりと笑った。

 

「もう別れました。元々本当にお付き合いをしていたわけではなく、諸事情で付き合っているフリをしていただけですし…」

「…そうだったのか?だからあの時血の池掃────」

「お黙り」

「んごぉ」

 

 突然口の中に何かを頬り投げられたコウ。喉奥にまで到達したそれを摘出すべく頭の後ろを叩く。やがてポンと掌に落ちて来たのは、唾液でねっとりとした角砂糖だった。

 いつの間に手元へ引き寄せたのだ、と感心している間にシェリーが喜色ばった声を上げた。

 

「実は私、先日シドくんとお友達になったんです」

「え!?あ、いや、そ、そうですか…」

「はい!それでお二人のことがとても気になってしまったんです。研究も手に着かなくって、もうどうしようかなぁって…」

 

 頬を染めるシェリーを見たアレクシアのカップが揺れる。ビシャビシャと零しながらカップを置いたアレクシアは、そのままコウを激しく手招きする。何事かと怪訝そうに近づいたコウは、首根っこをがっちりと掴まれて引き寄せられた。

 

「ちょっとどういう事よ!いつの間にあの二人に接点出来てんのよ?」

「なんかチョコ渡されたらしいぞ、でお友達になったんだって」

「チョコレート!?何よそれ聞いてないわよ」

「そりゃ言ってないからな。お前…シドと別れたんだよな?」

「鈍感馬鹿犬はおだまり!」

「痛ででででででで…」

「そもそも!あんたが!私に報告していれば…」

「いやお前学校じゃ関わるなっ痛でででででで」

 

 掴んだ首を腕で固め、そのまま締め上げるアレクシア。苦しさから逃れようとするが、うまく力が入らない。相手は片腕を負傷し、今だギプスで釣り上げているのに。

 この少女の意地悪を前には、コウですらその力を発揮できずに撃沈する。一般常識や作法を教えてもらっている手前反撃するのは恐ろしい、もとい申し訳ないからと納得させているが、今日は一段と締めが強い。

 

 そんな飼い主と飼い犬のじゃれ合いを見ていたシェリーは声を掛けた。

 

「お二人は…仲が、良いんですね」

「「絶対違う」」

「コイツは目を離すとすぐ問題起こすから、しっかり手綱を握ってるだけですよ。アイリス姉様はいつも甘いし…」

「いやお前だって結構意地悪しででででで…」

「シェリー先輩も、何かされたら言ってくださいね。こっちでしっかり締めますので」

 

 ヘッドロックから逃れ愚痴るコウの頬をねじるアレクシア。これ見よがしに王族イメージ崩落の現場を見せつけられたシェリーだが、笑顔で首を振った。

 

「大丈夫ですよ、コウ君はお友達ですし。いつも私の話を聞いてくれたりするんですよ」

「そうですよホントに…ん?」

 

 うんうんと頷いていたアレクシアは信じられないものを見るようにコウを見た。コウも緩んだ指を引っぺがしてシェリーを見て呆けている。

 

「俺、友達?」

「そうですよ…え、違いますか?」

 

 コテンと首をかしげるシェリー。しかしコウは首を振った。

 

「ううん、違わないよ」

 

 その後、仔細説明しろと力を強めたアレクシアを制止してその場はお開きになったが、皆笑いながらその日を終えられたのは確かな事である。

 

 だがそんな穏やかな日々は、5日で終わりを告げた。

 

────/7/────

 

 それは突然だった。

 

 いや、そう思えるほど静かだった。生徒たちは授業を受け、教員たちは各々の職務を全うする。何事もなく時間が過ぎていく中で、異変は着々と進んでいた。

 門番はその命を奪われ、生徒たちは気が付かぬ間に魔力(最大の武器)を奪われ、黒い外套の男たちが大挙して学園を占拠した時には、誰にもなすすべはなかった。

 

 そしてシェリーにもその魔の手が迫る。

 

「我らはシャドーガーデン…あいやシャドウガーディアンだったっけ?」

 

 いきなり窓を蹴破って入って来た赤いバンダナの男はシェリーに問いかけた。アーティファクトは何処だ、と。この男はアーティファクトを狙っている、男のにじみ出る残虐性を感じたシェリーは思わず後ずさり、入れ替わるようにグレンが割って入った。

 

「マルコ!」

 

 部下に命じシェリーを逃がすと、自分は侵入者と剣を躱す。自らを『叛逆遊戯のレックス』と名乗ったバンダナ男は手にした二振りの剣を交互に振りかぶる。だがグレンは迫る刃の波状攻撃を受け流し、わずかなスキに剣を突き入れた。一瞬早く後ずさったレックスだが、胸元には切れ込みが。

 

「ヘェ…魔力も使えねぇのによくやるな?」

「魔力が全てではない。お生憎様、お前以上のじゃじゃ馬相手は日常茶飯事でな!」

 

 歴戦の経験と鍛え上げられた技術、そしてここ数年で培った対応力が、魔力が使えない異常事態下に置いてレックスを圧倒していた。

 この男の物言いからするに、この異常事態を引き起こしているもの、あるいはその一派とかかわりがあるとみて間違いない。剣を握る力を強めると、グレンの顔をまじまじと見たレックスが顎に手を当てた。

 

「顔の傷に顎髭…たしか獅子髭のグレンだっけぇ?ってことはあの出来損ない引き取ったヤツだよなぁ」

「出来損ない?」

「あぁ出来損ないの…コウって裏切り者をなぁ!」

 

 言葉を切ったレックスの突進に剣を構える。先ほどよりも早い、だがグレンは腰を据えて剣を受け止めると、レックスのにやけ顔に頭突きを見舞った。

 

「どういうことだ貴様!コウを知っているのか!?」

「ハァン!その様子じゃ何も話してねぇんだなアイツ!薬漬けにされた、人殺しの弟子ってこともォ!」

 

 離れた二人の剣閃が再開される。先ほどよりも高速化したレックスの刃の嵐に、一撃一撃をかき分けるように迎撃するグレン。だが絶え間ない連撃に徐々に押され始め、遂にドアの淵へ剣を斬り入れてしまった。

 この勝負、狭い部屋の中を戦う場にしてしまったことが勝敗を分けた。剣を使えなくなったグレンの腹に剣が刺さり、廊下へと縫い付けられる。

 

「副団長!」

 

 戻ってきたマルコが悲鳴のような声を上げる。彼は剣を構えレックスを睨むが、彼は新米騎士だ。逃げるよう促すが、その様をケタケタとレックスは嗤った。

 

「まぁ何でもいいけどなぁ。アイツ殺せるなら儲けモンだし────」

 

 レックスは剣の柄に足を駆けるとゆっくり前のめりになる。沈み込む剣に悶えるグレンを見て笑みを深めるレックス。その異様な様にマルコは剣を震わせる。このままじわりじわりと命を吸い上げるように刈り取ろうとした、その時。

 

 グレンの背後の窓が割れ、何かがレックスを吹き飛ばした。何かはグレンに刺さっていた剣を折ると、逆手に構えてレックスを睨む。マルコは我に返ると突入者の名を叫んだ。

 

「コウ君!?」

「コウ!お前…!」

「血の匂いがしたから抜け出した!」

 

 簡潔に応えたコウは、飛び掛かるレックスを受け流し、廊下へ着地させる。ここなら狭い部屋に囚われることはない、レックスは過去最大に頬を釣り上げた。

 

「運がいいなぁ…丁度お前の話をしてたんだぜぇ…人殺しの弟子、出来損ないの3rd(サードォ)!」

 

 叫びと共にレックスの体から輝きが放たれる。彼の体に沁みた赤黒い力は周りに留まると、細く網目状に絡まってドームを作り上げた。それはマルコの認識では有り得ない光景だった。

 

「バカな…魔力は使えない筈!」

「全部無効にする訳ねぇだろ馬ァ鹿!この魔力の網使えねぇんじゃ面白くねェ」

 

 最もぉ、とレックスはコウを見下すようになめずった。

 

「お前みたいな魔力の使えねぇ奴には…関係ねぇ話だけどなぁ!」

 

 駆けだしたコウへ、馬鹿がと毒つく。

 レックスが展開した魔力の網は如何なる者の動きを探知できる。範囲内にさえ入れば後は遊び同然。じわじわ甚振って殺すも、一撃で死を悟らせないことも自由。正しく遊戯なのだ。

 コウが網に振れる。さぁどんな悲鳴を上げる、どんなに惨めに足掻く、どんなに…

 

「魔力…要は毒蛇みたいなものだろ?」

 

 交差するように振られた剣に、折れた剣が挟まれる。コウはそのまま剣をねじると、レックスの構えが崩れた。驚きで目が開かれる、より前にコウはレックスの髪を掴むとそのまま後ろへ回ってしがみ付いた。

 

「森でよく注意されたよ…目をよく見て、動きを見れば何も怖くないってな」

「ぁ、ん…」

「そしてしっかりと後ろを取って…絞め落とす」

 

 首にかけられた腕に力が籠る。首絞めから逃れるために剣を捨て振りほどこうとするが、コウは足を胴体に絡めて頑として離れないよう固定する。廊下の壁に叩きつけられ、地面に擦られる中、その抗いはやがて小さくなる。

 総ての感覚が遠のく中、レックスは見る。ギラリと輝く眼光を。自分を落とした男の顔を。

 こいつは本当に格下の3rdなのか、と。

 倒れ伏したレックスに背を向け、グレンに駆け寄るコウ。しかしグレンは手を振って遠ざけると、強い意志を持った目で命令した。

 

「コウ!シェリー・バーネットはどこかに身を潜めている、探し出していち早く保護しろ!」

「────分かった!グレン死んだらダメだからな!」

 

 マルコに後を託したコウは、レックスをバンダナで縛りシェリーの逃げたと言う方へ走った。この数日間で彼女の紙と鉄が混じった匂いは覚えている。鼻を鳴らしながら走ると、黒い外套の男と遭遇した。

 おそらく見回りだろう、コウは彼が剣を構えるよりも前に顎を打ち意識を狩ると、剣を奪って先に進む。相対しては殴る、蹴る、腕や足を斬る。そうして黒外套の一味を行動不能に追いやりながら、階段を駆け上がり上階へ飛び出すと、

 

「見つけた!」

 

 シェリーと、その背後に迫る黒外套を。

 

 コウの声に振り返った両名は驚きに声を上げた。だが黒外套は直ぐに振り向いてシェリーへ駆け出す。人質に取る気だ、そう考えたコウは剣を投げつけた。

 背を向けた男に剣が突き刺さる。動きが鈍った男から剣を抜き、飛び越えて斬り伏せる。壁へずり落ちるように崩れた男を横目にコウはシェリーへ駆け寄った。

 

「シェリー、大丈夫────」

「ヒぃ!」

 

 伸ばされた手を見てシェリーが悲鳴を上げた。思わず立ち止まると、その理由を悟る。

 ここまで多くの襲撃者を屠って来た。殴っただけで落ちた者もいれば、斬らねば止まらないものもいた。手についた返り血は彼らの生きた証であり、コウが他者に追わせてはならないもの。

 

『只暴力を振るうのは獣だ。だが暴力を振るわない選択が出来るのが、人だ。そして敢えて剣を振るう決断が出来るのが、剣士であり、騎士だ』

 

 ししょーとの狩りで骨身に染み、何時かの折にグレンから教わり得心したことなのに、思わず失念していた。

 

「ご、ごめんなさい!」

「ううん、嫌だよなコレ…どうしよ」

 

 コウは周りを見渡すが、拭えそうなものはない。仕方なくシャツの背中で血をこすりつけ、何とか目立たないようにはした。

 

「ここから逃げよう」

「待って、お義父様のお部屋に行かないと!」

「ダメだ、お前を守れって言われてる!」

「この状況を何とか出来るかもしれない!みんなを、お義父様を助けられるかもしれないの!」

 

 逃げるように促すコウをシェリーが引き留めた。

 

「それホントか?」

「うん!」

 

 シェリーの確信めいた提案にコウは頭をひねる。

 

 グレンにも頼まれたのだからシェリーを守らなければ、だから一刻も早くここから去らなければならない。だが彼女の懇願するような目を前にコウは躊躇った。

 

 コウは魔力が使えないが、それの重要性はアイリスに教わり、アルファから痛いほど思い知った。ここにいる生徒たちは皆、未来の魔剣士を目指し日々訓練を積んでおり、並の襲撃者など目でもない筈。それがこうもあっさりと人質になったのはその優位性を失ったからだ。もし取り戻せるのなら、この戦力バランスは崩れるだろう。

 

 それにみんなを、義父を助けたい、そう告げた彼女にとってルスランは、自分にとってのししょーだということも解っている。それを失うことになれば、どれほど辛いかは言わずとも。あの思いを味わわせたくはない、だからコウは。

 

「分かった、行こう!」

 

 二人は一路副理事長室へ急いだ。途中幾度か外套に遭遇しかけたが、スリッパを投げて気を逸らすこと数度。思ったより状階層に人が配置されていなかったため、息を殺しつつ部屋に入り込めた。

 

「国が保管しているアーティファクトの資料探して」

 

 シェリーの指示に従い、目的の本を探すコウ。それはシェリーが先に見つけ、ページをめくるとある場所で止めた。

 

「あった!『強欲の瞳』…効果範囲にある魔剣士や魔力体から、魔力を吸収して一時的に溜め込むことができる。その結果として、周辺で魔力の錬成が困難になるの」

「これが原因?レックスって奴は使えていたぞ」

「吸収しなくてもいい魔力をあらかじめ覚えさせていれば問題ないよ、けど…」

 

 問題なのは一定まで溜め込んだ魔力を放出することなの、と説明は続いた。

 話によれば強欲の瞳は一定空間内の人間から魔力を吸い上げ、一定量まで貯めると外へ一斉に放出する性質を持つらしい。同時に魔力吸収の効率を考えるなら、強欲の瞳は多くの生徒を人質として集めた大講堂にあるだろうとシェリーは推理するが、もし溜まった魔力が放出されればあたり一帯の者は吹き飛んでしまうらしい。その為ルスラン・バーネットの手により国が保管していた筈だった。

 

「この前の街の穴みたいに?」

「そこまではならないけど、多分大講堂は…」

「ドカン、か」

 

 最近あった魔力の放出を思い出してコウは唸る。あれほどの規模じゃないらしいが、それでも大講堂の人たちはひとたまりもないだろう。ならばどうすればいいのか、コウの疑問に、シェリーは懐から十字架のようなアーティファクトを取り出した。

 

「これって、アイリスに頼まれてたやつ?」

「うん、これは強欲の瞳の制御装置。本来強欲の瞳はこの制御装置を使い、魔力を長期保存するためのアーティファクトだった。今まで魔力は発生させた人から離れると霧散してたけど、この自在に魔力を保存・運用する技術を再現できれば、蒸気機関に替わるブレイクスルーに繋がる!」

「皆を助けられる?」

 

 頷いたシェリーの顔は明るい。今までにない未知の発見、そしてそれが誰かの助けになる。早速使おう、とコウにせかされるが待ってと落ち着かせる。これはまだ未完成、調整しなければ使えない…と言うと何かを思い出したのか、すぐにうつむいてしまった。

 

「どうしよう…調整器具、置いてきちゃった」

 

 アーティファクトは常に研究所で行っていた。先ほどのレックス襲撃で身一つで逃げ出したのだ、本体だけ盛っているのは褒めるべきだろう。

 だがこれでは制御装置は動かせない。落ち込むシェリーを見たコウはおもむろに窓を開けた。

 

「俺取ってくる。確か窓壊れてたよな」

「え?」

「大丈夫、得意なの知ってるだろ?」

 

 安心させるように親指を立てるコウ。シェリーは初めて会った時のことを思い返し、ならばと紙とペンを取った。調整に必要な器具、その簡単な特徴を書き留めるとコウに渡した。

 

「き、気を付けてね!」

 

 シェリーに見送られコウは窓枠を放し、一つ下の窓枠にしがみ付く。横へすいすいと移動しながら、シェリーの研究室へ向かおうと角を曲がった時、思わず手を止めた。

 壊れた窓枠が見える窓の近くに、何人もの黒外套が吊り上げられている。その中にはさっき締め上げたレックスもいたが、皆一様に頭から血を流して死んでいる。まるで見せつけるかのような死に方に顔をしかめながら、コウは彼らを避ける為体を揺らした。ブラブラと振り子のように揺れた体が勢いをつけて、死体を飛び越える。そしてシェリーの部屋に辿り着き、中へよじ登った。

 

 ものが散乱した部屋の中で、紙を取り出す。ここにきて数日、ある程度のモノなら彼女とのプチ授業で教わったから何となくはわかる。それに彼女のきれいな字で書かれた道具の特徴もあるのだ。照らし合わせて、必要そうなものを拾い上げる。それらを調整器具を入れているという箱の中に押し込めると、カーテンを外して背中に括り付けて、再び窓伝いに戻って行った。

 

 無事の帰還を喜ぶ間もなく、道具を受け取ったシェリーは作業を始めた。一度作業が始まるとコウは何もできないため、ドアの側で外の様子を見ていたが、誰もくる気配がない。警戒を怠らずに外へ意識を向け続けて、やがて日が沈み始めたころ。

 

 やった、喜ぶ声にコウは意識をシェリーに向けた。見ると先ほどまで只の装飾のように見えたアーティファクトが輝き始めている。起動した証だ。

 

「コウ君!」

「行こう!」

「ハイ、お義父様を、みんなを助けに!」

 

 二人は顔を見合わせると、副理事長室にある隠し通路を開ける。これでみんなが助かる。希望を胸に抱いた二人は笑顔を交わし。

 

 

 

 コウは決断を誤ったことに気づかなかった。

 

 

 

 確かに二人は隠し通路から大講堂へ乗り込み、強欲の瞳目掛けてアーティファクトを投げつけることに成功した。

 

 途中シャドウガーデンの乱入もあったものの、生徒たちは反撃を開始。乱戦に見舞われたせいかガス管が破裂、学園は火に呑まれたが次々と黒外套たちが屠られていく中でシェリーは気づいてしまった。ルスランがどこにもいないことに。

 

 慌てて炎の中走り出したシェリーの後を追いかけるコウ。邪魔する男も女も斬り捨て、共にルスランを探す二人。どんな状況でも彼女を守る、火を躱し、敵を薙ぎ倒し、そして二人はルスランを見つけ出す。

 

「……!」

 

 燃える副理事長室に立つ黒ずくめの男、長いローブから見え隠れする黒と金の装飾をあしらった服。先ほどシャドウガーデンを指揮していた男、アレクシアから聞いた名は…シャドウ。

 

 何故こいつがここにいる、何故彼の足元でルスランが息絶えている。何故彼の剣が血に濡れている。

 

「っ!?」

 

 答えなど分かっていたはずだった、シェリーの前に出たはずだった、なのに体が動かない。いや、腕が引っ張られる。振り向くと、開きっぱなしのドアに剣が刺さっている。何時の間にこうなっているのか、抜こうとするが、持ち手が滑ってなかなか抜けない。四苦八苦している間に、

 

「期待外れだな」

 

 心底失望した、と低い声が響く。舐めるな、コウは刺さった剣をへし折る。例え折れようと、その刀身は真紅に染まり、一時的に元通りになる。震える腕を叩いて黙らせると、一歩踏み込もうとして、

 

「イヤ!イヤァ!」

 

 聞きなれた声の、聞きたくない悲鳴が足を止めた。喉奥から掠れた声が漏れ、思わず振り返る。

 

「何で…どうして!お義父様!お義父様!」

 

 ルスランの亡骸に縋り付くシェリー。大粒の涙をこぼしながら父の名を呼び掛ける少女、いや、違う。それだけじゃなかった。慟哭が遠のき、ぱちぱちと灼ける音が心音に塗り潰されていく。

 

 そうだ、これを止めたかったはずなのに。剣を取りこぼしたコウの前には。

 

 かの日の、自分がそこにいた────。

 

 

────/8/────

 

 ミドガル魔剣士学園襲撃事件から幾度かの夜明けて。火災によって半壊した学園は休校となり、生徒たちはそのまま夏季休暇に入った。生徒たちは事件から遠ざかるように実家へと戻っていく中、閑散とした学園を見下ろせる屋上に、コウはいた。

 

(動けなかった…)

 

 あの日、シェリーの涙を見てからの記憶はない。気が付いたときにはアイリスの下で日が頂点に達していた。だがあの日何が起きたのか、自分が何をしたのか、今だ震え続ける手が教えてくれる。

 

 アレには…シャドウには勝てない。アイツはアルファなど目でもないほどに強い。それを理解した内なる野性が剣をドアに突き刺したのだ。無策無謀に死地へ赴くことはどんな獣でもやらない。事実生存本能が起こした無意識は間違ってはいなかったのだろう。だが何処かで、違う、と叫ぶ声が震える手で胸を掻きむしらせた。

 

「期待外れ…何を望んだんだアイツ?」

「コウ君」

 

 不意に声を掛けられた。びくりと振り返ると、帽子を被ったシェリーが。出会った時と変わらない微笑だ、コウはそう思いながら笑おうとした。

 

「シェリー…大丈夫か?」

「うん、私は何ともないよ。コウ君が守ってくれたから」

「俺、何にも守れてないぞ」

「それでも…ありがとうって言いたかったの」

 

 感謝を告げるシェリーに口を結ぶ。ダメだ、口元を覆う。震える膝がとうとう折れてその場にしゃがみ込むと、シェリーはコウの隣に座った。

 

「私、留学することにした。後でシド君にも伝えるけど」

「留学?シェリーここ出るのか?」

「うん。もうここにいても、ね。折角だから受けることにしたの」

 

 留学、とは遠くの学校へ一時期向かうこと、と言うのは知っている。随分と急な話のように思えるが、もう彼女には、過ごした学園も、守る大人もいないのだ。

 だが行き先はアーティファクトを専門としているらしい。彼女が得意を活かせるのなら大丈夫だろう、そう思おうとしたコウは気づいた。

 

「どうしても、やらなきゃいけないことが出来たから…必ずそれを果たそうと思うの」

「やらなきゃ…いけないこと」

 

 気づいてしまった。やらなきゃいけない事、そうつぶやいた彼女の目に、映るものに。

 それは嘗て自分が宿したもの。それに身を委ね、自分の存在意義を焼き払おうとしたもの。気が付けば、元気でねと立ち上がった彼女の手を掴んでいた。

 

「…コウ君」

「そっちに行ったらだめだ」

「…もしかして寂しいの?でも────」

「そうじゃない!」

 

 寂しいのはそうだ。折角友達だと言ってくれた、嬉しかった。だからこそコウは立ち上がった。この手を放すわけにはいかない。

 

「そっちに行ったら、やらなきゃいけないことをやったら…おじさんとの思い出も、ここでの思い出も、みんな無くすぞ」

 

 彼女の行く先には、ししょー(大事な人)が死んだ日に燃えあがった、復讐の炎が広がっているのだから。

 

「俺も感じたことがある…アルファにししょーが殺されて、頭が真っ白になって、力が湧いてきた…何でもできそうで、仇も取れる気がして!…けど、結局何も残んなくって…小屋も、ししょーも、全部…燃えて!…無くな、って」

 

 言葉を紡ごうにも、心臓が震えてうまく出てこない。裂けそうな胸を抑えながら、溢れる思いだけが口から漏れ出すのみ。それでも、それでもと言葉は止まらない。

 

「だから、そっちに行くな…復讐をしたら、お願いだから、ここに……」

 

 怖い、たまらなく。また大事な人を失うことが。

 

 言外にそう告げたコウの手を、シェリーは困ったように笑いかけた。

 

「本当に…優しいね」

 

 シェリーはコウの手を掴むと、ゆっくり放そうとする。コウは抵抗しようとするが、シェリーを見て一瞬怯んでしまった。

 その眼には涙が溜まり、今にもあふれそうだった。何とか保っている彼女の笑みは、もう崩れそうで。だが何とかそれを我慢しているのだろう。

 

 コウに、この学園で出来た友達とちゃんと笑顔で別れるために。

 

 でももう駄目だった。目からは涙があふれ、笑顔も崩れる。放したコウの手を両手で包むと、ぽつりぽつりと語り出した。

 

「でも…私ね、お母様も、殺されてるんだ。多分、お義父様と同じ人に。」

「え?」

「だから、私は…必ずシャドウを」

「シェリー!」

「許せないの!……………わかるでしょ」

 

 叫んでいた。だって同じだから。あの事件の後偶然聞いてしまった友達の過去、大切な人をあの黒ずくめの陰に奪われた。

 

 でも言ったところで仕方のないことだ。彼は自分とは違う、この道を歩まないと決めたのだ。シェリーは天を一度仰ぐと、包んだ手を放す。そして彼の小指に、自分の小指を絡めた。

 

「コウ君、約束して…君は、ずっとそのままの、君でいて」

 

 コウは悟った。思い知らされた。泣き笑いを作って、無理して別れを告げて。思い出を思い出のまま、美しいまま胸の中に仕舞って。彼女は、炎へ身を投じるのだ。

 

 嘗て自分が歩みかけた、孤独と怒りの道を。彼女は最早止められない。

 

「ごめんね────さようなら」

 

 その言葉を最後に、小指が離れる。手を伸ばすが、髪にさえ掠らず空を切る。遠のいていく背中には掠れた声しか掛けられず、やがて完全に姿が見えなくなると、手から力が抜けた。

 

「────ぁ」

 

 青年の嗚咽が、澄んだ青空に溶けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 蜘蛛の糸のように幾重にも重ねた運命が繋ぐ先は厄災か福音か。

 

 最果てを決めるのは夢に呪われた者か、又は光翳る未熟な青年か。

 

 だが鍛え上げた牙に真価を問われる時は近い。

 

 それは数多の強者が集う、剣の祭典にて。

 

 …………とさ?

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