アルファ曇らせでアニメ界隈が湧く中、アルファ曇らせが好きな方々も不快に思う描写があるかもしれません。避けたい方はブラウザバックしてください。
それは、彼の者が在りし日。雪溶け水が川と潺を奏でて久しい頃。彼の者は机に向き合い、片眼鏡の先を覗き込む。拡大された世界でミスリルの基盤に、ひし形の宝石を落とし込むと、波紋が広がるように宝石の輝きが基盤に広がった。
魔力伝達は問題なし。基盤も結晶体も異常がないことを確認すると、額の汗を拭う。ガチャリとドアが開いて風が通り抜けたのはその時だった。
「ししょ~おわったよ~」
「ご苦労様」
ヘロヘロな声を上げたコウがそのまま床に倒れ込む。コウには山登りの間に見つけた岩を運ばせる、筋力と持久力を鍛える訓練をさせていたが、どうやら一通り終えたらしい。窓を見ると太陽が目一杯頭上に昇っているようだ、良い頃合いだろう。
「疲れた~」
「そうだな…時間も良い。ご飯にしようか」
彼の者は机に広げた道具をテキパキと片付け始める。食事を終えたら運んだ岩で新しい鍛錬を始める、続きはコウが寝静まってからまたやろう。さらりと予定を振り返る間に道具箱を閉じ、床の鍵穴を回して地下室の扉を開けた。
「ししょ~ナニコレ」
「ん?ああ、これはな、アーティファクトっていうんだ」
「あぁてぃふぁくとぉ?」
「魔法の道具だよ」
起き上がったのか、コウが机の上を覗き込んでいた。先ほどまで制作していたモノを不思議がるコウに、そう言えば初めて見せたんだっけかと彼の者は思い返した。
「鳥みたい…」
「鳥か…確かにそうだな」
彼の者が作っていたのは掌に収まるほどの小型のアーティファクト。宝石を中心に左右へ広がるミスリルの基盤を翼、下へ伸びる装飾を尾羽に見立てれば、確かに鳥だろう。陽光を反射するミスリスの眩い光、その中で温かく輝くルビーの光に、コウは思わず手を伸ばす。指先が宝石に振れそうな時、後ろから慌てたような大声が響いた。
「触っちゃだめだぞ!まだ未完成だから!」
「うぇ!?」
驚いて振り返ると、彼の者が見たことない慌てようでアーティファクトを取り上げる。今まで聞いたことの無い様な、それこそ修行でケガをしたことを隠していた時位の大声に硬直したコウ、彼の者は驚きから抜け出せない弟子に優しく笑いかけた。
「……出来たらお前に真っ先に見せてやるから、今はご飯だ、な?」
そう言って扉の奥へ消えた男は扉を閉じる。中から鍵をかけた音にハッとしたコウは立ち上がると台所へ向かった。既に昼ご飯の材料は並べてあったため、間もなく戻ってきた師匠と共に刻んで鍋へ放り込む。焼いた魚の油で野菜に火を通し、水で煮詰めて魚たちを戻せばブイヤベースの完成だ。
皿に盛ったブイヤベースの汁に、硬いパンを付けて口に含む。柔らかくなったそれを噛み締めて味わっていると、パンに嚙り付いていたコウが問いかけた。
「ししょーってさ、何時も何やってるの?」
「何だいきなり…藪から棒に」
「ししょーって、俺に山に岩運ばせてるけど…その間ずっと家にいるよな。いつもあぁてぃふぁくとを作ってるのか?」
口に運ぶ手を止めパンを置く。少し考えるように腕を組むと、頷きながら答えた。
「そう、だな…うんまぁ、それが俺の仕事っていうのもあるけど…もう最近は趣味だな~」
「しゅみ?」
「結構楽しいぞ。設計で上手くいったつもりでも、実際に作ると想像通りに行かなくてな。で別の方法を試して。でまた失敗したらもう一回やり直して…そうして自分の頭の中の想像が現実になっていくのが」
彼の者が語る魅力、それを聞きながらコウは会釈した。正直ピンとは来ないが、彼の者が目に浮かべているものは、何時ものように暖かいだけではない。鍛錬で使う木剣のように真っすぐ、だと言うのに何処か朧げに消えてしまいそうな、そんな色々なものが綯い交ぜになった目をしていた。
呆けていると、頭に何かが乗った。見ると彼の者はコウの頭に手を置いてガシガシと撫でてきた。
「勿論体を動かすのも好きだ。お前を鍛えたり、山登りも、釣りもな」
「うん、俺もキツイけど、楽しい!」
「にしても、どうしてそんなことを聞くんだ?」
「う~ん、あぁてぃふぁくとと向き合ってるときのししょー、あんまり楽しくなさそうに見えたから」
「……そう見えたか?結構楽しいけどな」
「うん。俺に稽古つけてる時の方が楽しそう…でもししょー凄い頑張ってたから、何でかなって」
彼の者は手を離すと、横へ目を流した。少し戸惑うようなそぶりに驚くコウ。そんな彼にポツリと言葉を紡いでいく。
「……昔、なりたいものがあってな。自分で鍛えた技と、アーティファクトで多くの人を助けられるような存在になりたい。そんな夢をな、見てたんだ」
「へぇ~!」
「まぁとんだ悪夢だったけどな」
「そんなに悪いことなの?」
「いいや。俺には資格がなかったんだ。それになる資格が…その癖未練だけはズルズル引き摺って……あ、こんなこと言ってもしょうがないよな、忘れてくれ」
あー恥ずかしい、と独り言ちた彼の者は話を切り上げると、皿の中身を掻き込んだ。
今しがた語ったこと、その仔細は当然理解できない。けれど最後の方、彼の者の声が震えていたように聞こえたのはわかる。
誰かを助けることを望んで、それを諦めた。けれどそれは間違いだと、コウは彼の者に笑いかけた。
────じゃあさ、ししょー…
それは、
「────ぁ」
意識が浮き上がる感覚と同時に、瞼が拓く。カーテンから刺す光が部屋の輪郭を浮き上がらせ、ここが小屋のあった森じゃないことを突きつけて来る。夢が覚めたのだ、コウは目をこすりながら布団から起き上がった。
「何話したんだっけ…………」
手の甲についた水滴を拭っても、その日は続きを思い出すことは出来なかった。
聖地リンドブルム。嘗て三人の英雄の一人が魔人の左腕を切り落とした伝説の地。同時に嘗ての戦いで死した英霊たちが眠る美しき墓標でもある。
現在この街では年に一度、『女神の試練』という催しが行われている。周辺国より腕自慢が集まり聖域に眠る英霊たちと、その残留思念を呼び覚まし競い戦う、というものだ。戦い勝ち残れば聖域を管理する聖教より証であるメダルを授与され、将来の食い扶持に困らないとされているが、当然負けることもあり、最悪死にも至る。そもそも英霊たちは集った挑戦者たちの強さに惹かれて現れる、彼らの意思に留まらなければそもそも試練が成立しない。
そして今日、ブシン祭が近づく中、先駆けて『女神の試練』が執り行われようとしている。勇気ある者たちへ、司祭ジャック・ネルソンは開会の宣誓を上げようとしていた。
「気に入らないわね」
「またかよ」
「愚痴くらい言わせなさい…あのハゲ、少しは喪に服してみせたらどうなのよ」
ジャックの立つ檀上、その後ろの来賓席に座る前から聞き飽きたアレクシアの愚痴に顔をしかめるコウ。二人の視線の先にはジャックの、光り輝く頭頂部に向けられた。
「本当なら着いてすぐ監査したかったのに…」
「だいしきょーさんが死んじゃったからワタワタしてるって言ってたよな。アイツちゃんと仕事してたんだな」
「そんなの言い訳よ。私たちをここに釘づけにして証拠をもみ消す気よ」
今日アレクシアはミドガル王国からの来賓としてこの地に赴いている。しかしそれとは別に、聖教の監査も行うはずだった。王都で起きた数々の事件、その手掛かりをわずかでも掴むべく、予てより汚職や孤児の失踪といった黒いウワサを調べようとしたのだ。
しかし前日になって大司教が何者かの手によって殺害される事件が発生した。最大の証人を失ったのは大きな痛手だが、それ以上に聖教は独自で犯人を追うと同時に女神の試練を執行する為と監査を跳ね除けようとしてきたのだ。
思い出しただけで腹が立つ、これでも公務で来たというのに『姫様の道楽に付き合っている場合ではない』と、舐め腐った態度を隠さない禿司祭の態度は。
「まぁ、今はアンタと出会った時のアイツの顔で勘弁してやるわよ…お陰で騎士たちを協会に駐在させることが出来たし」
「すっげぇ驚いてたよな!即興だったけど」
「アンタも、アイツと知り合いなら最初に言いなさいよ!」
「いや俺も驚いたんだぞ。ジャックがここの司祭なの、今日知ったんだから」
苦虫を潰していたアレクシアはフンと鼻を鳴らす。今思い出しても気持ちがスッとする、あのニヤケ面が仰天に変わった瞬間は。
無論二人は今日、偶然再開したのではない。大司教殺害の一報を聞いたアレクシアと騎士団は、これを名目とした妨害をしてくることは予想することは容易かったが、時間が差し迫っている以上対策を講じる暇はない。どうしたものかと考えた時、目に留まったのは無い頭をひねっているフリをしている駄犬だった。
そういえばこの駄犬の知り合いにジャックと言う聖職者がいたことを思い出したアレクシアたちは、一か八かの賭けに出て、勝った。
『あ、ジャック!久しぶりじゃん』
『…ゲェ!?クソガキ何故ここに!』
結果コウを嗾けた嫌がらせにより、騎士団を聖教内に残すことをゴリ押しで了承させることに成功した。これで証拠隠滅を図ろうとするかもしれない聖教の動きに目を光らせることが出来るし、騎士団はただ聖教内に“いるだけ”だから対外的にも問題はない筈だ。気に食わない司祭の鼻をあかしたのだ、それだけでも大金星なのではと内心うぬぼれてみる。
「気に入らないと言えば…」
この駄犬にはあとで餌をやろう、と考えていた時にまたイライラが噴出した。原因は隣で笑顔を振りまくエルフの女、絹のように白い髪をまとめ、肩が露出した緑のドレスを着て観客席へ手を振っている。
「ナツメ・カフカ…今人気の新人作家らしいけど、こういうヤツほど中身はドス黒いって相場が決まってるのよ」
「そうなのか?」
「アンタもよく観なさいよ駄犬。ソツのない立ち振る舞い、新人らしからぬ貫禄、胡散臭いったらありゃしない」
「アレクシアがそれ言ッ!」
「口答えすな…っていうかアンタの方がこういうの得意でしょうが」
一応隣だから聞き耳をたてられているかもしれない、コウの足をヒールで踏んで黙らせる。踏まれたコウは呻きながらも、体勢を崩さず足首を回す。いやに薄い反応に戸惑うアレクシアだったが、気を取り直して何事もなかったように振舞う。
「まぁいいわ…アンタの鼻が鈍ろうが知ったことじゃないし」
学園襲撃以降コウの様子がおかしい。姉からそう聞いた時アレクシアは不思議がった。コウと言う人間は基本アホだ。理性より野生、知性より直感を重視する野生児、コロコロ喜怒哀楽の出やすい子供じみた性格の癖に、妙なところで大人以上に達観している。自分とは正反対の人間ではあるが、それでも自分の調教を受け悪態を突けるくらいには図太い神経の持ち主だ。そう易々とメンタルが不調になるとは考えづらかった、直接様子を見るまではそう思っていた。
これは重症だ、しかも想像以上に。ジャック・ネルソンとの邂逅でちょっと戻ったようだが、それでも普段と比べればまだまだ本調子ではないことは明白。だというのに当人は『何でもない』の一点張り。これでは出逢った頃の狂犬のよう、いや覇気を感じられないから只の腑抜けだ。
「いつまでうじうじしてる気よ馬鹿犬…無遠慮と能天気と打たれ強さがアンタの取り柄でしょ」
「剣の腕は含めてくれないのかよ」
「あんなべらぼうなのを私は認めないわ。ともかく今は私の護衛なんだから、しっかりなさい!」
一喝している間に開会式は終わり、戦士たちが雄叫びを上げる。これより一人一人会場中央の、ア法人へ足を踏み入れ、英霊を呼び寄せるのだ。
一番手が魔法陣に躍り出て英霊に問いかける、自分は見込みある人間かと。しかし呼べば英雄が来るわけではない、聖域は反応を示さず終了の壁が鳴ってしまった。二番手、三番手と挑戦者が現れては消え、頂点に達していた日も地平線へ沈み、星が煌き始めたころになっても続くそれに、コウはうつらうつらとし始めた。
「寝るな!」
「…いや、これ何回やるんだよ。」
「そういうものなのよ」
腹に一撃見舞って叩き起こすアレクシア、だが当の自分も飽きが来ている。先ほどから挑戦者が来ては、何も出ずに退場の鐘が鳴るの繰り返し。これが延々と続いているのに、観客席の声は途切れない。よくボルテージを保てるものだ、半ば感心して落ちてきた瞼と格闘していた時。
『次!ミドガル魔剣士学園生徒!シド・カゲノー!』
読み上げられた名前に覚醒した。
おかしい、シド・カゲノーとは学園からの付き合いで、一時期訳あって付き合っていた。昨日混浴風呂で予期せぬ邂逅をした際も、ブシン祭感染はすれど出場はしないと言っていた。あそこでウソを吐く理由もないし、何故彼が出場しているのか。
「は?」
「しど・かげのー?ってシェリーの友達か」
「何でアイツが参加してるのよ!」
「俺に聞くなよ、そんなの知らな────」
小声で怒鳴られたコウは戸惑った。名前しか知らない奴の動向など知る由もないだろうに、と呆れて言い返そうとした、その刹那。
コウの腕がアレクシアの二の腕を掴む。いきなりの事にアレクシアは驚くが、それ以上にコウもの異変に戸惑った。
「ちょ、ちょっといきなり何よ!」
アレクシアは腕を振りほどこうと、コウの手首をつかんだ。だが揺すっても無理矢理引きはがそうにも力が籠るばかりで一向に離れない。指が腕に食い込み薄っすらとうっ血し始めた時、アレクシアは無理矢理立たされて、コウの後ろへ下げられた。まるで会場の中央から遠ざけられるように。
「痛ッ、馬鹿犬!離しなさい!」
「……来る」
「へ?」
「アイツが来る!」
この感覚を、コウはあの日から忘れていない。だがおかしい、何故奴がここにいる?コウは気配の源を、会場の空に浮遊する黒い影を思い切り睨みつけた。
「我が名はシャドウ……聖域に眠りし古代の記憶を、今宵…我らが解き放つ」
突然の乱入者に場は騒然となった。王都で街に大穴をあけ、ついこの間もミドガル魔剣士学園を襲撃した組織の頭目が目の前にいる。
コウは腰を落とし、剣に手を掛ける。奴が何の目的でここに現れたかは分からないが、もしまたあの日のような事が起きるのなら…喉奥から唸り声を上げ始めた時、アレクシアを掴んでいた手をつねられた。振り返ると、アレクシアが真っすぐとこちらを見て来る。
「離しなさい駄犬」
「何で?」
「自分の身くらい自分で守るわよ」
「今日は俺、お前の護衛────」
「じゃあ!この手で私を守れるの?」
アレクシアは捻るように腕を外す。目の前に掲げられた自分の手は、生まれたばかりの小鹿のように震えていた。抑えようと手を強張らせても、震えは増すばかり。アレクシアはその様に嘆息し、掴んだ腕をコウへ押し付けた。
「怖気づく護衛なんていらないの。自分のことに集中しなさい」
そう言ってアレクシアは反動で倒れた椅子を起こすと、ドカリと座り込んだ。二人が小競り合いをしている間にも状況は動き、聖域の光は赤黒い魔法陣を描き、人型を生み出そうとしている。聖域がシャドウに応えたのだ。
儂は動かしてない、とジャックが狼狽えているが耳に入らない。現れたのは一人の女性。黒ずくめのドレスの上からローブを羽織り、足元まで届くほどに伸びた髪を緩く結わえた紫眼の女性。その名を語ったのはナツメだった。
「災厄の魔女アウロラ。かつて世界に混乱と破壊を招いた女…」
「…おーろら?」
「ア・ウ・ロ・ラ!」
聞き間違いを訂正されながらも、コウの視線は釘付けになる。彼だけではない、今や会場の視線はシャドウとアウロラに注がれていた。今巷を騒がせる話題の男が、今年初めて英雄を呼び出したのだ。最早どこぞの生徒等どうでも良い、血肉踊り、魂震えるエンターテインメントの始まりだ。
「あれは史上最強と呼ばれた魔女だ…おいクソガキ安心しておけ。幾らあの山賊とてアウロラには勝て────」
「そうかしら?女神の試練がシャドウにふさわしい相手として、あのアウロラって女を呼んだのなら…シャドウの力は、世界を破壊した存在に届くということ。」
ジャックの嘲りを遮るアレクシア。アレクシアは誘拐事件の折にシャドウの実力を間近で見ている。その膨大な魔力を、それに囚われない基礎を重視した堅実なる剣さばきを、表向きは学園の剣術指南として辣腕を振るっていた主犯ゼノン・グリフィを圧倒して見せた一部始終を。
だからか、アレクシアは手を後ろへ伸ばすと、コウの襟を掴んで引き寄せた。
「コウ、アンタにはあの二人どう見える?」
「え?……さっきから息が詰まる。動いただけで死にそうな…デカいドラゴンと睨み合ってるような」
「なら、どっちの方が強い?」
「どっちて…」
「よく観なさい!アンタがいつもやってることをやればいいの」
今度は顔を掴まれて、両者を凝視させられる。二人は今だ向かい合ったまま動かずにいる。だがアウロラが手招きすると、彼女の足元から血が噴き出した。
否、血ではない。血のように赤黒い魔力が四方八方へ飛び交い、標的を刺し貫く棘と化す。シャドウは高く飛び上がるとアウロラの攻撃をかわしていくが、彼女もまた逃げ道を塞ぐように次の魔力を操り続ける。これが古代の戦闘技能か、来賓の一人のローズ・オリアナが感嘆の声を上げる中、アレクシアは掴んだ頬に力を込めた。
「私はアイリス姉様じゃないから、優しくなんてしない。その代わり手綱位握っててやるわ」
「…」
「だからその出来の悪い頭に叩き込みなさい。今目の前で起きている現実を」
アレクシアがこちらに向ける目に息を呑む。何度となく顔を合わせた筈だが、これまで以上に虹彩の赤が強いように感じる。いや、似ていた、王都にいる彼女に。そう思うと体にかかっていたカフカがすとんと抜け落ちたのを感じた。
頬から手を外し、コウは改めて二人の戦いを観る。アウロラは無数の攻め手を以ってシャドウを追い立て、シャドウはそれを躱し続ける。一見すればアウロラの攻勢にシャドウはなすすべがないように見える。
だが、どちらにも攻撃が当たっていない。ならば攻勢即ち優勢に非ず。
「シャドウが…勝つ」
「ですって。知ってるでしょ司祭…この馬鹿犬、鼻は効くのよ」
決着は一瞬だった。会場を埋め尽くさんばかりに赤く重なった死線は一瞬にして途切れ、紫の魔力の先からシャドウがアウロラに迫る。その姿を捉えた時には、災厄と呼ばれた魔女は胸から血を噴出して倒れた。
静まり返っていた。唐突に終わってしまった娯楽を前に呆気にとられる観客たち、彼らを我に返したのは、ぱりんと何かが割れる音だった。
それが会場を覆う結界の音だ、そう気づいたときにはソレはあった。ソレは扉、形作られた紋様は輝かしい赤で彩られ、会場ど真ん中に粛々と佇む。その存在感に息を呑んだ。
「まさか…シャドウに聖域が応えたというのか?」
「どういうことだジャック?」
「今日は年に一度の聖域の扉が開かれる日、自在に形を変え、ある場所を変え、求める者、資格ある者に応じて相応しい姿で映される…」
ジャックは決してコウの疑問に答えたわけではない。だが目の前に突きつけられた扉は、ジャックが理解するには少々咀嚼する必要があった。説明じみた独り言を聞いたアレクシアが疑問を呈すると、ジャックの額はギラギラと輝いた。
「聖域の扉は大聖堂の内部に秘されていると聞いていますが…」
「王女、扉とは、実体を持つそれ一つを指すものではないのです。ともかく、信徒たちを外へ出せ!扉に近づけさせるな!皆様も避難────!」
ジャックが指示を出そうとした時、コウは動いていた。抜刀した剣をそのまま背後へ投擲する。だが黄土色の壁に刀身が食い込み、鍔の所で止まっても、黒ずくめの彼女たちは動じなかった。
「今日は随分と…殺気立っているわね」
「アルファ…!」
「シャドウガーデンかっ!」
うち一人、投擲の衝撃でフードが取れた金髪のエルフにコウは唸る。頭目がいるのなら彼女もまたいる、だが問題はその横と出入り口だ。
突き立てられた剣の側にいたにも拘らず呑気にあくびを上げる者と、聖職者たちを足蹴に出入り口へ背を預ける者。種族は獣人とエルフだろうか、アルファに負けずと劣らない気配の濃さからして、王都の時に感じた気配の主、その一部だろう。アルファだけなら何とかなるかもしれないが、三人同時にかかられたら、守り切れないだろう。
アルファはエルフの方へ目配せすると、こちらへ歩んでくる。アレクシアとローズは既に抜刀準備は出来ているが、一歩も動けない。
「悪いけど…扉が閉まるまでの間、良い子にしていてね…お嬢様方」
「じゃあ俺は飛び掛かってもいいんだな」
コウは鞘を外すと、剣の代わりに逆手に構える。一瞬アレクシアの剣を拝借しようかとも考えたが、それでは肝心のアレクシアが丸腰になる。握り心地などあったものじゃないが、無いよりましだ。殺気立つコウを見て、アルファはそっけなく首を傾げた。
「良いわよ…貴方にも付いてきてもらう」
「……………は?」
思わぬ返事に呆気にとられる、それは普段なら有り得ないことだった。敵対者は容赦しない、そう宣言したはずの彼女からの両省の返事、有り得ない筈の思考停止、故に背後から迫る獣人の嘲笑に気づかなかった。
ズブリ、腹に巨剣が突き立てられる。如何に超人的直観と野性的身体能力を持ち合わせていようと、コウのそれは所詮ヒトの領域を出ない。獣とヒト、野性と理性が融合した獣人の一撃に背中から剣を生やして、諸共扉へ押し込まれた。
「コウ!」
「ガキを!?貴様ら一体どういう…」
問いかけようとしたジャックをエルフが取り押さえる。どうやら目的はジャック・ネルソンとコウらしい。どういう訳だか奇縁を持つ二人、そして開かれた聖域の先。目の前で次々と扉へ消えていくシャドウガーデンの後姿を見送るほど、アレクシア・ミドガルはおとなしい淑女ではなかった。
「あんの馬鹿犬!何が…良い子にしてなさいよ!」
アレクシアは傍聴席から飛びあがると、ローズの制止も聞かずに扉へ突入する。嘗て関わるなと釘を刺されていても、今目の前に王都で蠢く闇の手掛かりがあるのだ。みすみす逃すわけにはいかない。
扉を通り抜け、薄暗い場所へ着地する。待っていろと警告した者の乱入、シャドウガーデンは殺気立つが、アレクシアも負けじと立ち上がって睨みつけようとした。が、
「「………………ぁぁぁぁぁあああああ」」
「え?」
振ってきた声に振り返った時、頭上からローズとナツメが覆いかぶさって来た。ドンと地面が揺れて三人がもみくちゃになる。何がどうなっているのか、もぞもぞと動き回る三人の中で最初に復帰したローズは二人の安否を確認した。
「先生大丈夫ですか?」
「いえ、このクッションちょっと硬い────」
「…………踏んでんじゃないわよ」
「大丈夫ですよ、クッションが降って来たようなものですから」
「ぶっ飛ばすわよ」
こんな状況でもソツのない立ち振る舞いと貫録を見せるナツメの尻に敷かれたアレクシアは柳眉を釣り上げた。禿司祭より先にお前から切ってやろうか、と睨むべく顔を上げた時、こちらを見下ろすアルファと眼があった。
そうだ、問題はこの胡散臭い小説家ではない。両手をついてナツメを退かすと、毅然と立ち上がってドレスの埃を取り払った。
「ごめんなさいね、躓いて転んでしまったの。でも、そしたら扉が目の前にあってどうしようもなかったの」
「そこまでする価値が、この子にあって?」
何かがつぶれる音とともに、アルファの元へ何かが転がる。視線をわずかにずらすと、手足が関節を無視した方へ曲がり、全身血に塗れ、血の池に沈む従者の姿が。
余りにも悲惨な様にローズは口元を覆った。ナツメは動じることなくその様子を、何処か冷ややかに見ている。だが近くにいたアレクシアとアルファは分かっていた。巨剣で貫かれた胸が、僅かに上下していることを。
「そうね。いつまで経っても敬称で呼ばない、どれだけ躾けても気の利かない従者以下…その癖剣術だけはべらぼうに強くて、キレたら見境の無い狂犬よ」
「…」
「でも、馬鹿は馬鹿でも役に立つ馬鹿犬なのよ…腹立たしいことにね」
アレクシアはため息を吐いた。本当に腹の立つ駄犬であるが、連れて帰らなければ姉が悲しむ。姉の心にいつの間にか居座ったこの男には存外使い道はある、そう考えるくらいにはアレクシアはコウに価値を見出していた。
アルファは真っすぐとアレクシアを見つめる。だがふと息を吐くと、コウの首を掴んでアレクシアの横を通り過ぎた。
「…なら覚悟なさい…ここから先に待つものを、貴方は知るべき真実の一端」
どうやら同行は許すらしい、緊張の糸が解けたアレクシアは肩の力を抜いた。だが本題はこれからだろう。見渡すと周囲は円柱に包まれたような長い廊下、突き当りには鈍い銀色の扉がある。シャドウガーデンの構成員が先ほどから調べているようだが、明らかに今までの建築技術ではありえない造詣、もう二、三世代文明が進んでいてもおかしくないほどの近代的な場所だった。
「この地は英雄オリヴィエが打ち倒した魔人ディアボロスの残骸、その左腕を封印した地と伝えられている」
「それがどうした…おとぎ話でもしに来たわけでもあるまい」
「ええ、私たちが知りたいのはディアボロス教団のこと」
「…」
「答えられないのは解ってるわ。だから直接見に来たの、最初から総てを。」
アルファが先へ進むと、突き当りの戸の前に何かがある。目を凝らしてみてみると、それは剣を抱きかかえた、一人のエルフの少女の石像だった。
「この像…貴方にそっくりね」
「我々はおおよそ把握している。歴史の真実も教団の目的も、そして何故英雄オリヴィエが…私と同じ顔をしているのか」
「英雄オリヴィエ?これが?男性のはずでは…」
ローズは困惑の声を上げる。リンドブルムの街中にも英雄オリヴィエの名を冠した石造は存在したが、アレは明らかに男だったし、事実歴史書でもそう書いてある。だが何かを察したのか、ジャックの狼狽えようにアレクシアはアルファから目を離さないよう注視した。
「我らも悪魔憑きの真実は知っている。今の秩序を維持したい教団にとってはさぞかし邪魔でしょうね」
「貴様…悪魔付きのエルフごときが…」
「教団の目的が単なる魔人の復活ではないことも察している。しかし…まだ確信はない。だからみんなで直接見に行きましょうか」
そうアルファが扉に手を翳し魔力を流し込むと、扉に魔法陣が浮かび上がる。それによる変化は劇的だった。通路は明るく照らされ、遠くから何かが駆動するような音が聞こえる。今だ動くのか、驚愕するジャックだったが、間髪入れずそれ以上に驚かされることとなる。アルファの横に立つ、石像に模された少女によって。
「遥か昔の、残酷なおとぎ話の世界へ」
────光の中に示されるは、聖域に閉じ込められた
嘗てここは、ディアボロス教団によって身寄りのない子どもたちが集められ、ある実験の被験者になった。白衣を着た科学者たちが試行錯誤し、時に成功を分かち合い、時に愛を育むその傍ら、ガラス一枚隔てられた隔離室の中で、ある子供は目を血走らせて発狂し、ある子供は互いの肉を屠り合い、またある子供は人としての形を失い醜悪な肉塊へと変わり、そして皆一様に死んでいった。
「これは…悪魔憑き」
「…惨い」
目の前で再演された異常にアレクシアとローズは言葉を失う。手を伸ばし世相で届かない場所で無数の子供たちがもがき苦しみ、大人たちはその様子を嬉々としてレポートへ書き留め続ける。そうして生き残ったのはわずかな子供だけ。
「オリヴィエは『ソレ』に適合した僅かな子どもの一人だった」
「ソレとは何?」
「私たちは『ディアボロス細胞』と呼んでいるわ…教団は魔人の細胞を子どもたちに移植する実験をしていたのよ」
横並びの隔離室、その一つにアルファとそっくりの少女が佇む。全身をすっぽり覆う白いローブの下は他の子供たちとは違い異変は無く、微動だにしない人形のような所作は何処か場違いな美しさがあった。
「仕方なかったのだ、魔人に対抗するためには…」
「そういう言い分なのでしょう、教団は。確かにオリヴィエは魔人の左腕を切り落としている」
「おとぎ話は、実在したと?」
「さぁ…この光景も、結局はここに映された主観を反映したもの。」
今目の前に広がる光景も、どこまで真実かは分からない。だが大勢の意識が残留し、混ざり合い、この世界を作っているのならば、限りなく事実に近いのだろう。目の前で剣を取るオリヴィエもまた。
「成長し、ディアボロスの力を得たオリヴィエには一つの任務が与えられた」
「おとぎ話ではディアボロスの討伐、だったわね?」
「本当の任務は新たなディアボロス細胞の搾取」
アレクシアの問いにアルファが答えた。同時に世界がひび割れ、砕けると目に映ったのは暗雲。遠くで爆発が飛び交い、足元には無数の兵士が血を流し転がっている。そして戦場の中心、先ほど爆発の起きた場所で、身の丈を遥かに超える赤黒い左腕が胎動していた。
すると左腕は突如震えると、肉を破って無数の骨を飛び出した。地を這うムカデのようなそれは曇天を突かんばかりに伸びると、研究者と思しきオレンジ色の防護服を着た者たちを次々と虐殺した。全身を串刺しにされ倒れ逝く者たち。彼らが最期に見たのは、大勢の仲間たちが左腕を取り囲み、手にした杖の放つ光で魔人の左腕を縛り上げたところだった。
「教団は古代の高度なアーティファクトで左腕を封じ込んだ…その肉を切り刻み、血を採って研究し、ディアボロス細胞の驚異的な生命力を得るために」
またも空間が割れる。縛られた魔人の左腕は巨大なガラス管の中に液体に漬けられ、その力を封じられている。腕の大きさもそうだが、それを管理する聖域の異様さは遺跡と化した今でも伝わってくる。端で暴くなと叫んで黙らされるネルソンの様子から見ても、ここが最重要箇所らしい。
「そしてその過程で、ある秘薬が生まれた。ディアボロスの血のように赤く輝くそれは、舐めるだけで老いることにない肉体を得られる」
「不老不死…とでも言うのですか?」
「…でもこれは副作用も強く、教団が真に求めるものではなかった」
ココで一度話を区切ったアルファはコウを持ち上げて顔を覗いた。体を動かされ僅かに喉から声が漏れる、意識はあることを確認したアルファは近場の手すりに叩きつけた。
「がっ…!あぁ、アルファ…!」
「起きなさい坊や。ここから先は、貴方は刮目しなければならない」
「俺、が…だっ」
「知りたくない?私が何故、貴方の師を殺したのか?」
膝を踏みつけ立てないようにしてから、見上げるように顔を向けさせる。朦朧とした意識の中、薄らと覗いた目だけはアルファを見据えている。僅かな変化だけでも十分、掴んだ髪をねじって顔を手すりへ向けさせた。
「ねぇ坊や、あそこの人たちを、よく見てごらん」
「ぉ、ぁ…?」
「あそこにいる男…そしてちょっと離れた場所にいる男…見覚えはない?」
手すりの間から見えたのは魔人の腕を封印する柱、その側の台に集まる人だかり。その中央にいた髭を生やした男が台の上で輝く光を手に取って喜んでいる。耳に流れてきた秘薬と言う奴だろうか、血の回らない頭で言われるまま彼らを見ると、落ちかけた意識が引き戻された。
髭の男が秘薬を手に人ごみをかき分けると、集団から少し離れた場所で彼らを見ていた赤みがかった茶髪の男へ駆け寄る。自分の手柄を誇るように男の肩をバシバシと叩く髭と、何処か困ったように笑う赤茶髪。その二人の様子を、コウは見たことがあった。昔住んでいたあの小屋で、来客があった時に。
「ジャック…ししょー?」
いや少し違う、師はあの男ほど若くはないし、髪は真っ白だったはずだ。なのに否定しようとも、心臓が高鳴るたびにアレは嘗て慕った彼の者であると突き付けて来る。
「そう…でも『ディアボロスの雫』と呼ばれた秘薬は、大きく二つの欠陥があった。一つは…一年に一度かしら?定期的に摂取しないと効果を失うという事。」
コウの反応に満足したアルファは手を離すと、懐から小瓶を取り出した。中には髭面の男────若かりし頃のジャックが持っていた秘薬に似た錠剤、だが色がかなり濁っているものが入っている。それが幹部候補に配られる粗悪品であるということは、シャドウガーデン以外では
「そしてもう一つは、一度に限られた数しか生産できない事。彼らが完成の鍵と見ているのは、封印された魔人の体と、私のような英雄の子孫…けれどその中で、ちょっと特異な研究を重ねていた男がいた」
アルファは瓶を仕舞うと再びコウへ向き直る。どことなく悪戯っ気のある妖艶な笑みがこうの視線を外させない。
「その男はディアボロスの雫による不老不死ではなく、アーティファクトを用いた外的要因による強化・進化を望んだ」
その言葉に、コウは頭に電流が走ったように感じた。アーティファクト、友人が得意とし、嘗て師もまた趣味と嗜んだあの鉄細工が思い起こされる。
「アーティ、ファクト…!」
「そして長きに渡る研究の末、彼は完成させていた成果を、自分の弟子に託していたの…ねぇ、飼い主の貴方は気づかなかった?どうして彼が今尚生きているのか」
「は?」
「デルタはとても狂暴でね、私も手を焼いているの。待てと言っても先走って、気が付いたら辺り一面血の海なんてザラよ。」
じとりとアルファはデルタを、巨剣の使い手である獣人を見た。デルタは途端バツの悪そうな顔をして、『弱いそいつが悪いのです!』と弁明し始めた。アレクシアたちがここに突入するまでの間、どうやって甚振ったかを添えて。
正直聞くに堪えなかった。正しく暴君の所業、アルファも呆れたように肩をすくめた。
「それなのに、彼は生きている。とっくに失血死してもおかしくないほど血を流し、手足なんてもうズタズタ。内蔵なんて形保ってるのかしら?」
その場の全員がコウに注がれる。ただでさえ血が無くて気持ちが悪いのに、視線が傷に刺さって来そうで痛い。少しでもマシな方へ気持ちだけでも、と手すりに持たれながら立ち上がった時、アレクシアの後ろから息を呑む気配がした。
「貴方、もう立てるの?」
ローズの驚愕に、コウは自分の体を見た。真っ赤に染まった服をまくると、紅い手甲と脛当が折れた手足を補強する様に、鎖帷子が刺し傷を塞ぐ血小板のように現出している。失血まではどうにもならなかったのか、足に力は入らないが、こんなことは今までなかった。
「それでも死なないのは、貴方に融合したアーティファクトが貴方を生かし続けているから」
アルファが睥睨する先、自分の胸元がはだけて見える。あの日から胸に付いていた奇怪な文字の羅列、それが今は揺ら揺らと蠢いているように見えた。
「そう────。生体融合型アーティファクトの唯一の実験体である貴方を
「…い」
「それが貴方の師匠…教団の最高幹部、ナイツ・オブ・ラウンズ6番席次の正体。そうよね…11番席次殿?」
声を遮ることも出来ず、突き付けられた事実。師と過ごした日々と、ここで見せられた悪魔付きたちが交錯する。否定しようと手すりから手を放すが、体幹がぐらつく。だがまだ否定はできる、コウは旧知の男へ歩み寄った。
「じゃっ…く、答えろ…そう、なのか」
「……」
「答え、ろよ…………ジャックうううううぅぅぅぅぅ────!」
膝を折って倒れ込むコウ。だが這ってでも顔を上げてジャックを問い詰めた。俯いたジャックは震えている、僅かな望みをかけてその顔色を覗き込もうとするが、顔を上げたジャックの顔は真っ赤に染まっていた。
「今更気づいたかこのクソガキ!」
「…っ」
「教団では誰もがその雫から得られる力と、永遠の命を求める!アイツもその一人に過ぎなかったというだけ、寧ろ記憶も心も壊れて廃人寸前だったお前を拾ったことなど、一抹の気の迷いに過ぎぬわ!」
唾を飛ばしながらジャックは吐き捨てた。その様は醜く、コウから藻掻く意志を奪う。
「奴の研究は素晴らしいものだ!不老不死の命に、無限の力を齎すアーティファクト!この二つさえあれば、最早魔人すら我らは超えた存在に昇華する筈だった!」
「クズね」
「それなのに…たかだか出来損ないのチルドレン一人に絆されよって!散々見捨てて来た癖して、そのガキの何が良いというのだ!その小僧に何の価値がある!」
手を封じられていなければその場で地団駄でも踏んでいただろう。それほどの気迫にほとんどの人間が冷ややかな視線を向けた。大勢を犠牲にしたことを開き直り、挙句実験体に八つ当たりをしているのだから、控えめに言ってクズは正しい。だからポツリと漏れたジャックの言葉に誰も耳を貸さない。
「儂らとの日々は…貴様には無為だったとでもいうのか…っ」
聞こえたのは多分コウだけだったかもしれない。その言葉の真意を聞く前にコウの体は起き上がる。首を掴まれているのか、息が詰まる。
「解ったでしょう…自分の師がどれほど最低最悪の人間だったか、どれほど自分が悍ましい命に生まれたか」
自分を軽々と持ち上げたアルファは、その手に剣を構える。前にも見たことのある目で真っ直ぐコウの胸を捉えて、切っ先を突きつける。
「貴方をあの日仕留め損ねたのは私…それが我らに、罪なき誰かに害を及ぼすなら…貴方は死ななければならない宿命にある…今、ここで」
アレクシアたちは止めようとするが、周囲から向けられた黒剣に止められる。歯噛みする中振り上げられた剣、コウにそれを止める気力はもう無く。
「………………え」
アルファは瞠目した。血を噴く自分の腕、傷口から伸びる銀の剣、それを手にした男を。
「何で…」
普段の彼女なら有り得ない隙、男は白衣を翻すと一瞬彼女の視界を奪い、手中の少年を奪い取る。そして男はアルファを蹴飛ばして大きく後退させた。
シャドウガーデンの中でも頭目より直々に力を授けられた幹部『七陰』、その第一席が後退りさせられた。その事実に皆剣を向け直すが、特に瞠目していたのはアルファ、そして拘束されたままのジャックだった。
「何故だ…貴様何故…」
「何故貴方がここにいる…!?」
状況についていけないアレクシアとローズ、彼らの動揺の理由は直ぐにわかることとなる。
コウを抱えた男、振り返った時に見えた顔に覚えがある、というよりついさっき見た。髪は白く、頬にしわが僅かに刻まれているが、あの男は若きジャックが肩を叩いて功績を自慢された男。
そして…コウとアルファの因縁の元凶。
「────6番席次、鉄血騎士!」
「久しいね…こう驚いてくれると、こっそり聖域のシステムを弄った甲斐があったかな?」
アルファの反応に頬を緩める6番席次。その様子は気の良い好々爺らしいが、影の者たちは皆一様に警戒を緩めない。一触即発の中で沈黙を最初に破ったのはジャックだった。
「貴様…まさか自分の魔力を!?この聖域に焼き付くほどの魔力を残していたのか?」
「死ぬ寸前までの記憶を覚えられるかは賭けだったけどな」
してやったり、と笑う6番席次の様子に慌ててフンと鼻を鳴らすジャック。変わらない様子に苦笑しながら、抱きかかえた血まみれの弟子を見た。
「手足は縫合済み、内臓は…うん、ちゃんと逸れている。血は造血させれば何とかなる。コウをよく守ってくれたな、ありがとう────」
目診する6番席次の背にアルファが飛び掛かる。僅かに逸れると立っていた場所に切れ込みが走り、眼前に刀身が迫る。
身を大きくよじりながら剣をよけ、歪んだ手すりに尻を突く。アルファの目にも留まらない連続の突きを足で止め、逸らし、踏みつけ砕く。だが剣は直ぐに形を崩し、再びアルファの手で剣と変わると、横一閃で弟子ごと6番席次を切り伏せようとする。
だが振り切った時には二人の姿はなく、背後で何かが降り立つ気配。アルファは振り返りざまに剣を突きつけた。
「貴方は死んだ、私が殺した」
「その通り、その日の記憶もちゃんとある。ここにいるのは、先ほど君たちが見た記憶同様、彼が歩んできた人生から聖域の魔力に複写された存在に過ぎない」
剣呑な雰囲気を醸し出す二人の会話からして、つまりは女神の試練で現れたアウロラに近い存在だというらしい。それも死の間際の記憶まで、アルファに殺された時の記憶も存在する、ほぼ完璧なコピーと言ってもいい。
「最も俺が出ている間は防衛システムが切れてしまうのだけれどもね。」
「な、なにを勝手なことをしとるんだ!?」
「しょうがないだろう、この体動かすの結構魔力喰うんだから。まぁ今は俺が防衛システムと考えてくれていい」
ジャックの抗議をからからと笑いながら躱す6番席次。目の前に自分を殺した相手がいるとは思えない態度がアルファたちの神経を逆なでにしていく。
「私たちの排除…それが貴方の目的ね…死して尚、自分の功績を守りたいのかしら?」
「いや…もうここには未練はないし、木っ端微塵にしてくれても構わないんだが」
鋭い眼光に睨まれながら少し思案するように首をかしげると、何かを思いついたのか、コウを抱えたままフィンガースナップした。
瞬間、多くの気配が消える。見渡すとアルファとデルタ以外の姿はなく、ジャックの拘束も解けて自由になっている。6番席次はというと、アレクシアにコウを託そうとして危うく頭をぶつけそうな弟子にアワアワしていた。
取り敢えず横たえることにした6番席次はふうと額を拭うと、アルファと向き合った。その手には先ほど彼女の腕を指した銀剣が握られている。ゆったりと正眼に突きつける姿は、もう穏やかな気配はなかった。
「一世一代の弟子の危機…故に私は冥府より舞い戻った。お相手願おうか、シャドウガーデン幹部殿」
感じる、これが本当のナイツ・オブ・ラウンズだ。剣を構えなおし、アルファは内に燃える魔力を練り上げ滾らせる。
強まる猛々しい気配を感じながらも、6番席次はジャックに目線をやって顎をしゃくる。しゃくった先には青く輝く魔法陣が。
「ほら行けよ…御付きはある程度分断したから資料くらいなら回収できるはずだ」
「……死んでも、尚これか…師弟揃って忌々しい!」
言葉を受けたジャックがそそくさと魔法陣の中へ消えていく。逃がすか、手の空いているローズは血気立つが、その勢いは一陣の風に遮られた。
見ると、アルファの剣と6番席次の剣がせめぎ合う。散る火花がこちらまで飛んで来そうな覇気、両者は距離を取ると、再び交錯して剣を重ねた。
目で追うのが困難なほどの攻防、僅かながら見えるのは剣の煌きと、その間に垣間見える両者の動き。初めて会った時からアルファがアイリスを凌駕していることは分かっていたが、驚くのはそれに追随出来ている6番席次。見た目はかなり年のハズだが、動きが機敏過ぎる。
「これが、貴方の全盛期…という事かしら?」
「…あの日と同じ、老体では、ご満足いただけないと思ってね、サバを読ませてもらった」
「随分と優しいのね。でも残念、彼の方が強い!」
「…シャドウと言ったか?アレと比べちゃ大概は有象無象だろ!」
苦笑する間も剣閃は止まらず、両者の間で火花が飛び散る。魔力で強化された圧倒的速度とシャドウ直伝の技術で攻め続けるアルファをのらりくらりと交わしながら致命打を剣で受け流す6番席次。やがて宙返りした6番席次の切り上げがアルファの剣を弾き、大きな隙が出来た。
「そうね…でも有象無象よりまだマシな方よ、私たち七陰はね」
そこへ飛び込んできたのは黒い暴君。両手袋を硬化させた爪は、一振りで人間を肉塊に変える。体を魔力で構成していたとしても同じ、デルタは獲物を切り刻むべく両手を振り上げた。
6番席次は慌てずに重心を前に倒す。一瞬先にデルタの腕の中に飛び込んだ彼は、逆手に持った剣の柄で喉を突くと、くいと手首を撥ねて切り上げる。肩を切られながらも反転し、地面を蹴る。相手は剣を順手に持ち替えて両腕を警戒しているが、それは罠。本命の尻尾を硬化させて剣を防いだ隙に撃ち込んでやろう。弟子と同じ目に合わせてやる、デルタは獰猛に笑った。
剣と爪が重なる。今だ、鋭く研ぎ澄まされた尾を股下から打ち上げ、体を反転させられた。
「あぅ?」
何が起きた?気づくとデルタは四つん這いにされて、尻尾を踏まれている。その上で背中にのしかかった重みを振り落とそうにも絶妙に重心を移動させることで力を込められず、中々抜け出せなかった。
「にしても…躾のなっていない犬だな。苦労するのが解る」
「ヴゥッ、ヴォウ、ァアウ!」
「どれ…君には特に恨みがあるから、ここは一つ!」
デルタに座っていた6番席次は立ち上がると、切っ先をデルタの鼻先に突きつけた。デルタは地を這うように動き回って切り刻もうとするが、振るう風だけで大人を吹き飛ばす連撃は全て切っ先で打ち払われる。まるで猫じゃらしを振って動物と戯れる相手に、デルタは吼えた。コイツ、コケにしている。
アルファが怒鳴っているのも聞かず、縦横無尽に駆け回る。吹き荒れる斬撃の嵐に呑まれた6番席次の頭上で、デルタはコウを貫いた巨剣を生み出した。残像に気を取られている間に頭を叩き割って脳漿を撒いてやる、雄たけびと共に剣を振りかぶったデルタ、6番席次はその様を冷厳に見ていた。
「…伏せ、だ」
巨剣が壁を割り、大地を砕く。ありったけの力を込めた一撃は確実に捉えた。何か言っていた気がするが、死んでしまえば関係ない。がっちりと突き刺さった感触に頬を緩めるデルタ、その頭をが知りと掴まれた。
アルファの手じゃない、疑問より先にデルタは剣へ叩きつけられる。肺の中の空気を押し出され、ダメ押しとばかりに拳を数発、肘で打ち降ろされ、伏せさせられてから蹴り飛ばされる。数度バウンドの後、先回りしたアルファに抱え込まれるデルタだが、胸を抑えながらもきっと彼の方を睨みつけた。
「デルタっ」
「殺す、殺す!ぶっ殺してやるッ!」
暴れるデルタを宥めようとするアルファ。完全に頭に血の上った彼女を御すのは難しい、しかも敵の前で。だがここで仲間を失う訳には断じていかない、一歩一歩悠然と迫る6番席次を睨む。両者の間の大地に無数の切れ込みが走ったのはその時だった。
「おっと」
左肩に出来たの傷を眺めながら後退した6番席次は感心する。ダメージを与えた不可視の一撃を、それを放ったツインテールのエルフを。
「イプシロン…他は?」
「カイたちには資料回収を任せました…三人でこの怨念を祓いましょう」
「怨念とは失敬だな。」
酷い物言いだ、と抗議しながら並び立つ3人を見る。今参戦したエルフ、イプシロンは三人の中で魔力操作に長けているようだ。デルタは言わずもがな弟子と同じ肉体派の完全上位互換だし、アルファは力も技も知恵も回るオールラウンダーだ。如何に全盛期と言えど、覚醒した三人を同時に相手取れば突き崩されるのはこちらが先だ。
「…三対一か…ではこちらも」
6番席次は剣を水平に構えると、ゆっくりと立て、頭上を突く。そのまま手をひねり円を描くと、空が割れ光が溢れた。銀色の魔力を振りまきながら現れたのは長い胴、その先で竜頭が三人を睥睨しながら旋回した。
「人の身では使用不可能な零号…だが屍人であるなれば!」
光の竜は6番席次へ突っ込むと、追突と同時に身を崩す。バラバラに砕けた体はバラバラに霧散していき、中から白銀に輝くモノを生み出した。
「魂鎧合一、騎神降来!遥か世界を隔てた記憶より、我が憧憬、今顕現する────』
現れた光は6番席次と重なり、銀色の鎧として定着する。おとぎ話の英雄を思わせるフルプレートアーマーを纏い、最後に顎当と仮面で顔をスッポリ覆うと背中のマントを翻した。
『
それは嘗て見た憧れを、生まれ変わった地で再現した希望のアーティファクト。まだ何も知らずにいた男が夢とぼかしながら実現させた栄光と青春。
そしてそのために踏みにじられた命の、恨みと呪い、欺瞞と独善の証。
「そんなっ…くだらない鎧の為に…!」
動いたのはイプシロン。彼の周りを大きく旋回しながら生み出した剣から魔力の乗った斬撃を絶え間なく放ち続ける。通常魔力は体外へ出れば霧散してしまう。だが強固に練り上げられた魔力は散ること無く残り続ける。それが不可視の斬撃の正体、『緻密』の二つ名を持つイプシロンの技能であり、魔力の体を持つ6番席次には掠るだけで致命の一打。
だが鉄血騎士は腕を振るい、斬撃を弾いて後方のアルファをけん制。掻い潜って来たデルタの爪と尾剣を剣で受け流して、背中を蹴り飛ばす。入れ替わるように懐へ飛び込んできたイプシロン、体を逸らそうとした先にはアルファの突きが。挟まれた、瞬間鉄血騎士はマントを自分の体に巻き付けると切っ先を逸らし回転。着地のスキを狙った三方からの攻撃にも両腕で止めて見せた。
『如何かな…ちょっと背伸びしてみたのだが』
「……見てくれだけね」
『形から入る主義なんだ。まぁ手厳しい評価だが…これでも鍛えてましたから』
じりじりと圧の掛かる武器を押し返し、構えた剣の柄についた引鉄を引く。刀身に紅い魔力回路が浮かび上がると、刀身から炎が迸り三人へ殺到した。スーツ越しに感じる熱気、特にデルタが大きく後退するが、アルファとイプシロンは構わず突撃。依然炎を纏った斬撃を躱しながら、二人掛かりで追い立てる。
飛び交う魔力の斬撃を操りながら、懐へアルファが飛び込む。アルファが絶え間ない剣戟で相手の一手一手を潰しながら、イプシロンの付け入るスキを作る。魔力と実体剣の波状攻撃で鉄血騎士を追い込んでいく。かと思えた瞬間、二人は唐突に後ずさった。その両手からは湯気が噴き出、剣はひび割れてボロボロ崩れ始める。
シャドウガーデンの構成員が纏うスーツはスライム製だ。魔力伝達率が非常に高く、使用者が魔力を通しさえすれば如何様にも形を変えることが出来る。しかし学園襲撃時のように魔力を吸われてしまえば只のスライムのゼリーに逆戻りするし、何より原材料の関係上、水分を多分に含んでいる。あの炎の剣とやり合い続けては、何れスーツが沸騰してこちらが不利になる。
二人は顔を見合わせると、頷き合う。砕けかけの剣を捨て新しいスライムソードを作ると、走り出すと同時に二人の姿が重なった。一列に並ぶことで背後の動きを悟らせないつもりか、鉄血騎士は引鉄を三回引くと刀身の魔力回路を赤から黄色に切り替える。バチバチと火花を散らしながら突進するアルファを迎え撃った。
振り下ろした剣の先から稲妻が走り、アルファに迫る。二人は魔力を足に集中、二手に分かれて躱すと、身を翻して踵を打ち込む。鉄血騎士は剣を立てて雷の壁を張るが、二人はそれを縫い、つま先から剣を伸ばして胸を突いた。
二人分の魔力の籠った一撃に大きく後ずさる鉄血騎士、好機を見たイプシロンとアルファは両脇にスライムソードを叩きつけ、同時に鎧の隅々にまでスライムを絡めて固定した。
『これはまた…今君縮んだんじゃ』
「うるさい!デルタァ!」
「死ねぇ────!」
デルタの全身が揺れ、服が局部を覆う最低限を残して武器に集約する。巨剣とは言えず、最早鉄塊がふさわしいそれを構え、全ての力を乗せて突貫する。暴君の渾名を持つ彼女の全力の突きに鎧は耐えきれず崩れる。だが鎧は落ちることなく浮遊、鉄塊へとぐろを巻くように飛行すると、デルタを大きく打ち上げた。
鎧は上昇し、デルタを天井へ叩きつける腕をだらりと降ろして落ちていくデルタ、その上で鎧が人型を取りデルタを蹴り落とす。落ちていくデルタ、だが唐突に体を丸めると、上へ向けた足の裏に跳びあがったアルファを乗せた。
獣人の脚力にブーストされ、弾丸のような速度で肉薄する。マントを前に出す鉄血騎士、だがその瞬間アルファは背後を取った。端から見れば瞬間移動と間違う速度、狙うはうなじ。そこへ剣を突き立てて内側から破壊できれば…。
だが鉄血騎士はマントを大きく引くと、鎧と繋げていた金具が外れる。外したマントに魔力を流し流動させると、アルファの剣に巻きつけ切れ味を無くす。剣を抜こうにも変形せず、即座に離すアルファ。だが既に稲妻一閃走った後。落ちていく両者のうちどちらが立っていたかは明白だった。
新たなマントを生やし、立ち上がる騎士。倒れ伏す二人を見て、最後に一人はと見渡そうとした時、剣を振り上げるイプシロンが横から。だが回避は出来ると剣を構えた時、イプシロンの得物が変化した。剣より大きく重い、彼女本来の得物へ。
「────貰った!」
振り下ろされた鎌の先が鎧の胸に突き刺さる。イプシロンは鎌を持ち換えて騎士の腰に足を駆けると、全体重をかけて切っ先を食い込ませる。最早緻密などあったものじゃない力任せの一撃、だが白煙曇る装甲を徐々に傷付け、奥へ奥へ刃を食い込ませる。そしてガクリと刃が落ちた手ごたえと共に、雷撃を纏った裏拳でイプシロンは吹き飛ばされた。
鉄血騎士は刺さった鎌を掌で挟み込み引き抜く。落ちた鎌はどろりと解け落ちるが、アルファは気にすることなく立ち上がった。
「所詮は児戯ね。人の身では扱えない…それはその鎧の機能を維持するために、膨大な魔力を喰うから」
アルファの指摘に、鉄血騎士は傷口を抑える。抑えた右手は小指と薬指が無く、中指は第一関節が取れかけている。七陰三人の執念の猛攻を迎撃し続け、鎧を人型に保てなくなっている証だ。
「このまま戦い続ければ、先に燃え尽きるのは貴方の方!弟子共々、光に焼かれて消えなさい!」
アルファの怒号に、他二人も立ち上がり得物を構えなおす。一度はその異質さに怯んだが、勝機が見えて来たのなら話は別。目に見えて高ぶっていく戦意を前に、鉄血騎士は肩をすくめた。
『仰る通り…ここらが潮時か』
二度、残った人差し指で剣の柄を撥ねると、Xの字に空斬る。一見無意味な行動、だがイプシロンは前に出ると鎌を振り上げる。自分と同じ魔力の斬撃、そう感づいたから迎撃に出た。鉄血騎士はそれを確認してから引鉄を離した。
瞬間、二撃目が一撃目に衝突、拡散する。波長、練り方の異なる二つの魔力の衝突は不協和音を引き起こし、三人は頭を押さえて怯んだ。魔力へ訴えかけるジャミングで纏った黒服が形を失い始め崩れ落ちていくのを確認した鉄血騎士は、まだ指の残っている左腕でスナップした。
瞬間、全てが白くなる。果ても地面も検討の付かない世界で、鉄血騎士は残された二人、コウを抱えるアレクシアへ歩み寄った。
『アレクシア…ミドガルだったか。時間がない、手短に用を伝える』
「禿の同類の言うことが信用できるの、サバ読みジジイ」
『私としては敵愾心むき出しの方が信用に値する。さっきからウチの弟子の寝首を掻こうとしてた誰かさんよりは、真っ直ぐコウを見てくれていた』
「…アンタ、私たちが聖域に入ってからずっと見てたの?だったら…」
『元々女神の試練用の分身だからね。助けるのが遅れたのは、仕様上のご愛嬌と言うことで』
鎧越しに伝わるフランクな態度に困惑するアレクシア、先の不気味な剣さばきといい、つかみどころがない。不審がる彼女を他所に鉄血騎士はイプシロンに刺された傷に指を掛けると、クイと胸装甲を開ける。がらんどうの中に左手を突っ込み、取り出したのは手のひらサイズの丸い
『これを…もしコウが貴方のお眼鏡に適う人物になった時に渡してください。きっと役に立つ』
三本しか無い指を器用に動かしてアレクシアの手を閉じる。その時うめき声と共にコウが目を開けた。今だ動ける状況ではないが、意識を取り戻したコウの頭に鉄血騎士は手を置いた。
『大きくなったな…でもお別れだ』
「…っ…て」
『ここで見せたもの、その全ては事実だ。俺が悪魔付きを生んで、自分の研究の為に殺した…その全ての
「っそ、んな、の…知、ら、ない…ししょっ」
『その上でどう生きるか、自分の意思で決めるんだ。死人は未来を見せられない…まぁしくじり先生みたく、俺みたいにはなるなよ』
コウの頭を優しく撫でながらも、伸ばされた手を押しとどめ胸元に置く。仮面の下の顔は分からないが、ポンポンと優しくコウの頭を叩いて鉄血騎士は立ち上がった。そのまま去ろうとする騎士の後姿にアレクシアは大きく息を吐いた。
「私のお眼鏡に適う?そんなの一生来ないわね!師匠だってんなら、責任持って最後までこの馬鹿を見てなさいよ!手がかかってしょうがないんだから!」
アレクシアは苛立ち紛れにコウを叩く。何時も腹立たしい男が殊勝にも萎れていることに腹が立つが、それ以上にこの騎士の身勝手さが腹立たしい。
勝手に絶望を与えて、後は自分で決めろとほざいてはいたが、結局は自分の罪を弟子に押し付けているだけだ。この馬鹿が姉を泣かせない限りどうなろうが知ったことではないが、このような身勝手は見過ごせない。死人だろうが、いやだからこそ迷惑を掛けずに死ねないのか。
騎士は足を止め二人を見る。しばしの沈黙の後、鉄血騎士は頷いた。
『ではコウ、一度しかやらないからよく見ておけ…お前が歩むべき道を示そう』
再びのフィンガースナップで世界が戻る。だが今度は三人だけではない、先ほど引き離したシャドウガーデンの残りがこちらの存在に気づいて次々抜刀する。多勢に無勢を前に、鉄血騎士は両腕を交差させる。そしてもう二本しか残っていない指で印を結ぶと、裂ぱくの気合と共に頭上に掲げた。
指先から魔力回路が溢れ、聖域を包む。迸る回路が幾重にも重なり、一つの魔力の塊として現出する。それは光を導く、勇気を示す太陽の如く。
「嘘…」
「この光…シャドウと同じ!?」
驚愕する周囲の前で太陽は収束し、やがて人差し指に乗るほどの大きさまで縮む。鉄血騎士は鍔の中央を開けてそれをねじ込むと、大きく円を描いて正眼に構えた。
『我が悔恨に満ちた人生、その果てに得た希望が示してくれた究極奥義────』
あの魔力量を受ければどうなるか、アルファたち七陰は前に出ると残った魔力を集める。しかしその前へ構成員たちが出た。主の光に匹敵する魔力量、せめて肉壁になって彼らを守れれば。そして彼らへ、横一文字の魔力が放たれた。
斬撃はシャドウガーデンたちをすり抜けて、アルファたちに吸い込まれる。三人が光り輝く姿に悲鳴が上がる、光が収まった時、そこにいたのは傷一つない三人。受けた傷も、服を構成するスライムも、まるで時間が戻ったように元通りになっている。どういうことか、三人は騎士を睨み、その様を見ていたアレクシアは思わず顔を真っ赤にした。
「あんだけ見栄きっておいて、何もなしってどういうつもりよ馬鹿師匠!むしろピンピンしてるじゃない!」
『素晴らしいツッコミだ御姫様…その認識、全てが間違いだ』
何処が間違いだ、声を上げようとした時変化は起きた。遠くから音が聞こえる。その音は徐々に大きくなり、聖域を揺らす衝撃となった。
『究極奥義の神髄…それは敵を斬り殺すことに非ず。勧善懲悪、一気呵成。邪なるものだけを…この聖域のシステムを破壊する』
その言葉に動揺が走る。奴は今何と言ったのか?口元をひくつかせたアルファは、両腕を落としていく騎士を睨んだ。
「正気?そんなことをすれば貴方は…」
『当然、聖域に生かされている私も消える。だから言っただろう…一度しかやらないと!』
毅然とした態度で言い放った騎士を見た全員が困惑した。それを他所に腕の無い腕を上げると、シャドウガーデンとアレクシア、双方の後ろに魔法陣が出現する。ジャック・ネルソンが消えた魔法陣と同じものだ。
『さぁ今日の授業はここまで。転移できるだけの力は残した、速く去らねば、今頃心臓部に着いている君たちの御大将がここを吹き飛ばすぞ!』
騎士の言葉にアレクシアとローズは顔を見合わせる。よく見ると目の前の世界がうっすらと紫がかっているように見える。アレクシアは知っている、この光は聖域の心臓部でシャドウが“あの技”を放とうとしている証明だと。
先に動いたのはシャドウガーデン。苦虫を潰したようなアルファが何事か指示を出すと、構成員がぞろぞろと門へ入っていく。ただ一人デルタだけは騎士を威嚇していたが、アルファに襟首をつかまれて無理矢理魔法陣へ押し込まれた。
残されたアレクシアもローズとナツメに連れられ、コウを背負う。天上が崩れ崩落していく瓦礫の奥で、仮面が落ちた6番席次が笑って見送っていた。
『コウを、私の光を頼みます────』
────ちょっと意地悪で優しい御姫様?
「…というのが、私が聖域で遭遇したことの顛末です」
あれから気が付いたときには聖都から外れた森にアレクシアとローズ、ナツメの側で眠るコウが倒れ、氾濫した河川に沈んだリンドブルムが広がっていた。6番席次の言葉を信じるのなら、あの被害は恐らくはシャドウの一撃によるものだろう。
その後騎士団に保護された3人は事情聴取の後、各々の国へ帰って行ったがこれで終わりに出来るわけはない。必ず真相に辿り着く、そのために持ちうる力と知恵を共有しようと誓い合った。ただ一人、コウを除いては。
「…証拠は隠蔽され、奴らが『聖域』と呼んだ場所へはもう…あれほどの規模の施設、表の影響力無しで隠し通せるものではありません」
アイリスに全てを話し終えたアレクシアは、熱気滾る貸し切りサウナの中で一息ついた。聖教の関係者が軒並み教団関係者、聖域に隠された人体実験場を長い期間隠し続けていたというならば、それこそミドガル王国が建つより前に起源を遡らなければならないかもしれない。
「強引でもいい、聖教を調査すべきです!王都での事件と学園の事件、双方の原因究明を大義名分にすれば────」
「同じ事を、私もお父様…陛下に提案しました」
アレクシアの提言に目を伏せるアイリス。当然騎士団から報告を聞いた彼女も動き出してはいた。
「ですが返答は『動くな』の一点張り」
────例え正しい行いを成したとしても…事情を知らぬ者たちが、その正しさを理解してくれるとは限らん。
「そんな…」
「事なかれ主義の陛下らしい。同盟国の王であるオリアナ国王を来賓に迎えて、聖教と余計な騒ぎを起こしたくないのでしょう」
「余計だなんて…」
国王の対応に二人は戸惑った。長い時を蠢き続けていた国家を揺るがしうる脅威が直ぐそこに存在していたというのに、余計の一言で片づけようというのか。父の言葉を反芻しながら、閉じた目を開いた。
「陛下を動かすには明確な証拠を提示するか、あらゆる国難を突破できる力があると示すしかありません…そういう意味ではブシン祭の開催が今年だったのは幸いでしたね」
ブシン祭、其の名にアレクシアはアイリスの策を察した。
アイリスは学生時代に一度、ブシン祭で優勝を修めている。今や一騎士団を率いる立場の彼女が『ブシン祭の連覇』という肩書を手に入れれば、騎士団から更なる支援を引き出すには最適。国際大会での優勝という栄誉を国に齎せれば、国民の支持も盤石になる。
「…そうなれば、陛下も王宮も私の意見に耳を貸さないわけにはいかなくなる」
────お前は己の証しを立てるために、国を危険に晒す道を選ぼうとしていないか?
一瞬チラついた父の言葉を振り払うように拳を握る。必ず勝って、証明して見せる。自分の剣は、何物にも屈しない最強であると。
「ですが姉様…もしまたシャドウガーデンやディアボロス教団が何か仕掛けてきたら…」
アレクシアの不安は尤もだ。これまで大きな催しの裏では、常にシャドウガーデンとディアボロス教団の存在があった。であれば今回のブシン祭にも介入するかもしれない。アレクシアは顔を上げたアイリスを窺った。
「心配は無用です。奴らがどれほど強力なアーティファクトを有していようと…私の剣は負けない」
その発言に、アイリスは耳を疑った。彼らの力はアーティファクト由来のモノではない、恐らく素の力だ。それは女神の試練でも証明されているし、何より自分が生き証人だ。
「姉様、奴らの力はアーティファクトのものだけでは…」
「王都を染め上げた魔力の光…あれは人間が放てる威力ではない。学園の事件同様、巨大な魔力を秘めたアーティファクトが原因としか考えられない」
「しかし、私はシャドウの力をこの目で…」
「私は見たわ。奴らが…アルファがアーティファクトを暴走させた姿を。そう…見たのよ」
自分に言い聞かせるような態度にアレクシアは戸惑った。姉の眼は見ているようで見ていない、何処か別の場所を見ているように虚ろだ。普段感じる強い意志を感じられない姉の様子に一気に不安が広がった。
アレクシアは俯いて手の中を見る。指の隙間から見える赤い輝きを確認すると、大きく息を吸って声を張り上げた。
「私をほったらかしにして逢瀬を重ねた割には、随分とコウをこき下ろすんですね!」
「…アレクシア?」
「意外でした。負かされた相手をみっともなく格下認定されてたなんて。あ~あ、駄犬が可哀そう!」
「だ…いきなり何を…」
「でしたら私が正式に飼い主として引き取りましょーか!…知らないでしょうアイリス姉様。アイツ、私といる時は成すすべなく、いい様にされているんですよ。まぁこれがとても…」
「…ッ、アレクシア!」
底意地の悪い笑みを浮かべたアレクシアに思わず怒鳴るアイリスだが、直ぐ我に返った。アレクシアの向ける目が真っすぐ過ぎて、思わずたじろぎそうになるのを堪えた。
「姉様は知っているはずです。この世界には私たちの理解の及ばない力が存在することを」
「…」
「魔力無しで魔剣士を圧倒できる身体能力を持つコウのような人間がいるのなら、逆に魔力の粋を極めて世界を滅ぼしうる力に手を掛けた人間だって存在する筈…姉様だって解っているでしょう?」
「ですが、そんな人間そう易々と存在していて良いワケが…」
「コウは今戦える状況じゃありません。そうなった場合、シャドウガーデンや教団を相手出来るのは姉様や騎士団しかいませんが…それでも心ともないです」
ハッキリと騎士団ではどうにもならないと言われたアイリスは目を逸らした。だがアレクシアは姉の手を掴むと、諭すように揺らした。ここで言わなければ、大事になりかねない。
「あの駄犬が使えない今、姉様まで目の前の現実から逃げないでください」
「分かって、います」
「…姉様っ」
「そんなことはわかっています!」
アイリスは手を振り払う。髪に隠れた表情が苦悶に歪んでいるのが解る。気まずい雰囲気が流れる中、アイリスは乱雑にタオルを取ってドアに手を掛けた。
「私がッ…私が守ります…国も、国民も…貴方も…コウも…………絶対に」
アイリスが去り、一人取り残されたアレクシアは持っていたタリスマンを見つめる。本当は今日渡すはずだったそれを握りしめながら天を仰いだ。
6番席次の最期の言葉を思い返しつい言ってしまったが、姉の事情も分かる。現状騎士団に欠員が出るような被害はないが、王都の事件や学園の事件では状況ゆえに対応が後手に回ってしまったことから、騎士団の存在を疑問視する声が出ていた。しかも双方の事件に関わったコウの存在から『夜伽相手に現を抜かす小娘』と揶揄するものまでいるという。故に何としても目に見える結果を残して、その懸念を払しょくしたいのだろう、コウを矢面に立たせないために。
重ね重ね言うがコウは忌々しい存在だ。あの馬鹿げた強さもさることながら、いつの間にか姉の心の居座って姉を突き動かす要因となっている。だがディアボロス教団関係者、それも人体実験被験者である過去を知ってまでも彼を貶める気はない、寧ろコウの存在は教団に近づく切り札だ。
だからこそ、
「さっさと何時もみたく能天気に立ちなさいよ、馬鹿犬」
だがその憂いも空しく。
数多の兵が集う、剣の祭典が幕を開ける。