今年も健やかなる一年になりますよう、よろしくお願いします。
…といいつつ、出来れば去年末までに出したかった…。
最終話です、どうぞ。
2025/09/19 追記修正しました。
ブシン祭。
数年に一度、周辺国より腕利きの剣士達が集い、その技を競う国際大会。人種も国籍も、年代も過去出場者も関係ない、ただ鍛え上げられた実力が導く結果のみが真実となる兵たちの祭典である。
街はブシン祭の出場者、ブシン祭を見物しようとする者で溢れ、酒場は昼間から酒盛りに興じ、商店街はブームに惹かれた観光客たちの賑わいで満ちている。そんな熱気に包まれていて、コウは一人浮かない顔で歩いていた。
少し足が疲れた、とベンチに腰深く沈み込み、背もたれに体を預ける。人だかりでごった返す街の盛況も、訪れた剣士達が誇示する闘気に目もくれない。ただボーっと青空を流れる雲を見るだけ。
女神の試練の日から数日後、アイリスと喧嘩をした。
目を覚ましてから騎士団からの事情聴取が終わり一段落した時、体を動かしてみる機会があった。医者からは絶対安静と言われていたが、どうしても確かめたいことがあった。だから夜中に患者着を脱いで、全身に丹念に巻かれた包帯を剥ぎ取った。
デルタとかいう獣人に刺された箇所、胸から腹にかけてバックリと割れた刺傷のある場所には歪に閉じた傷と鱗のように腹を覆う鎖帷子がある。触れてみると帷子はわずかに胎動しているのが伝わる。今朝包帯を替えに来た看護婦が気味悪がって話していたが、これもかさぶたのように徐々に小さくなってきているらしい。まるで傷を塞いで体内に戻っていくかのように。
生体融合型、そうアルファが語っていた。良くは分からないが自分の中にアーティファクトがあって、それが傷を癒し、体を元通りに直しているらしい。そして師がこれを作り自分の体に埋め込むために、多くの悪魔付きを生み出しては殺してきたことも。
試しにとその場で逆立ちしてみる。抵抗されないようにと手足も入念に折られていたはずだが、今ではすっかり人一人の体重に耐えられるほどに回復している。背中から倒れこむように立ち上がっても何の問題もない。腹も数日すればきっと傷は無くなっているだろう。そう思ってベットに戻ろうとした時、ドアを開けたアイリスと眼が合ってしまった。
安静にしていろと言われたはずだ、といつにもない剣幕で詰め寄ってきたアイリスを何でもないとあしらおうとする。だがその度にアイリスの勢いは増し、鬱陶しくなったコウはどうせ死なないのだから心配される云われは無いから帰れと、語気を強くしてしまった。ふと表情が抜けたアイリス、ここで自分の失言に気づいたコウは弁解しようとしたが、その時には頬に痛みが走っていた。
初めて叩かれた。コウは頬を抑えて、アイリスは手を震わせ呆然となる。その後はグレンが引き剥がしたため覚えていない。それから二人は会っていないし、コウもずっと病室にいた。しかし定期的に中の様子を見られ、リハビリ時間以外の運動を禁じられた軟禁状態。次第に体を大きく動かせない現状に鬱屈し始めてきたコウは堪らず窓から飛び出した。偶々通りがかった退院患者の腰を抜きながら街へ飛び出したコウ。しばらく人ごみをかき分けながら走ること数分。
何度目かの溜息を零して空を眺めた時、驚くような声に背を押された気がした。
「うぉお!?」
振り返ってみると、全身金色の鎧を纏い頭に羽根の髪飾りを付けた金髪の男が、こちらを見て青ざめている。何が起きたのか分からないが、取り敢えず目が痛い。思わず目を細めながら話しかけてみた。
「何だお前…」
「お、おぉ…バトルパっ…!?」
金髪男はコウをじろじろ見るなりブツブツ呟きながらこちらをじろじろ見ている。もう一度声を掛けると、我に返ったように髪をかき上げた。一々目が痛い。
「すまない取り乱した。俺はゴルドー・キンメッキ。こんなところで何をしている?もう選手は────」
「ゴールド金メッキ?」
「ゴルドー・キンメッキだ」
そんな名前だからギラギラしているのか、と思ったら聞き間違いだった。だがゴルドーの輝きから目をそらすように青空へ視線を戻した。
「何やってんだっけ…」
「は?」
「いや外出たのは良いんだけど、どうしたらいいか分からない」
「ど…何処かに監禁されていたのか?」
「監禁?いや出ちゃダメだって言われてたんだよ…もう動けるのに」
「おぉう…そうか」
何故監禁と言う発想が出るのか、安堵するゴルドーを訝しむコウはふと自分の腕を見た。まだとってもらっていない腕の包帯がちらりと見える、どうやらあらぬ誤解をさせたらしい。両袖のボタンを付けて包帯を隠していると、ゴルドーがこちらを覗き込んでいた。
「ブシン祭に出るわけじゃないんだな?」
「ブシン祭…あ、そうだ」
「何だ…?」
ゴルドーが口にした単語に、コウは立ち上がった。確かブシン祭にはアイリスが出場するらしい、喧嘩中の身の上とは言え、ちょっと様子を見に行く位大丈夫だろう。
「ブシン祭の場所まで案内してくれないか?」
「まさかお前も参加してんのかよ…」
「そうじゃないけど、確かアイリスがそこにいるからさ」
「違うのかよ…っていうかコブ持ちかコイツ」
何処か安堵したような表情からジトリとした目でこちらを見るゴルドー。コロコロ表情の変わる奴だなと関心していると、スイッチを切り替えるように頭を掻いたゴルドーはコウへ肩を回した。
「まぁ良いさ…なら案内ついでに、ブシン祭の楽しみ方を教えてやろう」
「良いのか?」
「ああ。この常勝金竜ゴルドー・キンメッキに任せておけ」
「じょうしょうきりゅう?」
「常勝、
グイと引っ張られてベンチから離れるコウ。出場選手として顔の知れたゴルドーの行く手は遮られることはなく、人ごみの中をスイスイ進んでいくことが出来、思ったより早く会場へ着いた。
会場の中も観客と選手が入り乱れて、ゴルドーに捕まれたまま中を移動していくが、本当に色々な人間が来ている。やたらトゲトゲした鎧を着こんだ男、眼帯を突けた傷だらけの男に、青い髪の目立つ女。皆剣を携えているから、ブシン祭の参加者なのだろう。
「まずブシン祭を楽しむには、選手のデータ集計が欠かせない」
「でぇた?」
「ああ、俺は勝つために集めているが、見るためにデータを集めても面白いんだ」
コウを引き寄せたゴルドーが耳元でささやく。彼は周囲を見渡すと、ある一人の剣士を指さした。
「例えばアイツ…今すれ違ったツギーデ・マッケンジー。その自信漲る眼光と表情、フィジカルの強さは彼のマッスルバランスを見れば一目瞭然だ」
「確かに力は強そうだよな。」
コウは視線を後ろに向ける。先ほどすれ違ったツギーデ・マッケンジーは、服の下からでもわかるほど体を鍛えていることが解った。素の筋力は確かにコウ以上だろう、ゴルドーのご高説を聞きながら首を縦に揺らした。
敵と戦う時、相手の身体特徴や武器から、彼我の戦力を見極めること。これは如何なる戦士にとっても重要な事であり、経験を重ねれば重ねるほど洗練されていく。ゴルドーはこの重要性を強調した。
「バトルパワーは…ざっと3000台だな」
「ばとるぱわぁ?」
「戦闘力を数値化したものだ。いい数値だぞ、因みに俺は4330」
「じゃあ俺は?」
あの男が3000位と言うのなら、この男や自分はどのくらいなのだろうか。ゴルドー口の端を引くつかせながらコウを見るのだが、なぜかさっき会った時のような何処か値踏みするような目が気になった。
「お前は…」
「俺は?」
「は…」
「は?」
「……………………823だ」
大分間を置いた宣告に、コウはジト目になった。はっきり言おう、まだ入院を強いられる患者の自分はツギーデより強い。たとえ彼がどれほどの筋力と技量を持ち得ていようとも勝てるという自負がある。それなのに彼の三分の一以下のバトルパワーと診断されるのは甚だ遺憾だった。
「お前ホントに強いのか?」
「失礼な奴だな、当たり前だろ?」
ゴルドーは口を尖らせながら選手控えへ入っていく。途中係員が関係者以外は要れないと咎められるが、何故か荷物持ち認定して荷物を持たせてきた。なぜ自分が、不貞腐れながらも致し方ないので荷物を運び、彼の支度を手伝うことにした。どうやら次が彼の試合らしい。
「まぁ特等席で見ておくといい…この常勝金竜、バトルパワー4330のゴルドー・キンメッキの力を!」
身の丈ほどの大剣を納めた車輪付きラックを手渡し、意気揚々と入場口を駆け上がるゴルドー。逆光に晒されこれまでにない眩い光を放つ彼の後姿を見送り、取り敢えずは言われた通りその雄姿を拝もうと入場口にもたれ掛かり────、
「負けてんじゃん!」
「ぐふぉ」
戻って来て、息を吹き返したゴルドーに追い打ちをかけた。
確かにゴルドーの力は中々のモノだった。試合の最後に出したあの金色の竜を思わせる膨大な魔力、コウが見て来た剣士の中でもかなりのモノだった。だがゴルドーの鎧がギラギラ反射して相手の動きが見えず、気づいたら負けていた。
「バカな…アイツのバトルパワーは17のハズだぞ。それなのにこの俺が…」
自身の敗北を受け膝から崩れるゴルドー。先ほどまでの自信は脆くも打ち砕かれ、今や見る影もなく項垂れている。そのしぼんだ姿を見たコウは、思わず吹き出してしまった。
「お前変な奴だな」
「お前に言われたくないぞ…」
少なくとも何処からか逃げ出してきた怪我人よりかは変ではない。だが一切の嘲りがない笑みを浮かべるコウを見ていると、ゴルドーもつられて苦笑いした。そうだ、試合は終わったが、この得体の知れない生意気なガキにはいろいろ教えて挽回していけばいい。立ち上がったゴルドーはサラリと金髪を輝かせた。
「で、お前は愛しのアイリスちゃんに会えそうなのか?」
「いや、多分見つかったらマズいから、遠くからバレないようにしようかなって」
「バレたらって…そういやコイツ逃げ出したって言ってたな」
込み入った事情を持っていることを思い出し、ゴルドーは唸る。どうしてこんな面倒臭い奴を連れてきちゃったかな~、とブシン祭に出ないことに安堵して調子に乗った自分を責めるがもうどうにもならない。どうにかして『彼氏を監禁する女の様子を見に来る包帯まみれの当事者』という、この得体の知れないドロドロ痴話喧嘩を切り抜けるのか、ゴルドー・キンメッキの新たなる戦いが始まった。
「コイツは丁度いい!」
先ずはゴルドー、何故か顔を赤らめていた顔見知りに声を掛けた。こうもドロドロした色恋は一人では太刀打ちできない、助っ人が必要だ。幸い彼女は女性だ、異性による忌憚のない意見は重要だろう。
女剣士アンネローゼ・フシアナスは訝しみながらもまだ一度も剣を交えたことのない男へ駆け寄った。何事か、とゴルドーは仔細を説明すると、彼女は心配した顔でコウに大丈夫だったかと声を掛けた。そうだ、先ずは安心させ味方であると認識させることが大事だ。ゴルドーはうんうんと頷いた、流石は元軍人だ。
「…で、貴方は何処から抜け出したの?」
「病院」
「そう、この坊主は病院に監禁され…え、びょういん?」
だが不健全そうな青年の口から出た健全そうな場所の名前にゴルドーは困惑した。どういうことだとアンネローゼが問い詰め、コウの吐いた情報にどんどん力が抜けていく。そこにいたのは監禁された哀れな男ではなく、只のやんちゃ不良少年だった。
「今すぐ病院に戻りなさい」
流石は元軍人、大人の対応だった。当たり前のこと、というよりややこしいことこの上ない。包帯巻いた男がベンチで黄昏ていたら、それは何か大事と勘違いしても仕方がない。そうだ自分は悪くないとゴルドーは内心自己弁護した。
しかしコウはアンネローゼに対し、顔をしかめながら歯向かった。
「もう動けるし何ともないぞ」
「それでもお医者さんから許可は得てないのでしょう?なら戻りなさい」
「いや戻りたくないんだけど」
「そんな子供みたいなことを言ってないで、早く戻りなさい。そのアイリスって子を心配させたらダメ────」
「安心していただきたい。まだ団長のお耳に入れていないので」
「それでも早く戻ったほうが………?」
不意に混じったゴルドー以外の第三者の声に、アンネローゼの注意が後ろに向く。振り返ると緑の外套を着た傷顔の巨漢が、両者の間からコウを見ていた。思わぬ人物の登場にゴルドーは声を上げた。
「し、獅子髭グレン!?何でここに…」
「いやはや申し訳ない。アイリス王女の護衛をしていたのですが、少し小耳に挟んだんですよ」
「小耳に?」
「…王女の心配を無視して、勝手に病院を抜け出した奴がいると」
ニコニコと笑みを浮かべながらグレンは二人の間を通ってコウの肩を掴む。服にしわが出来るほどの握力に、コウはただただ脂汗を流すだけ。せめてできる抵抗は、そっぽを向くぐらいだった。
「なぁ…コウ?」
「……ぷい」
剣呑とした二人、彼らの様子を見たゴルドーの中で点と点が急速に結ばれる。
獅子髭グレンと言えばミドガル王国屈指の剣士、嘗て戦場で名を馳せ、今はアイリス・ミドガル王女が率いるという『紅の騎士団』に属しているという。そんな大物とコイツ知り合いだというのか、いやちょっと待てよ、確かこの小僧初めて会った時なんて言った?『ブシン祭会場にアイリスがいる』?
ゴルドーは近くに張り出されたトーナメント表を見る。アイリスとは観客ではなく、参加者ではないのか?そして該当者は、一人しかいないはずだ。
「アイリスちゃんて…アイリス、ミドガル?」
「第一王女、殿下?」
震える声で確認を取る二人。グレンは笑みを浮かべたまま人差し指を口元に当て、コウはそのままそっぽを向いたまま。黙して示された事実に、二人は震える口を抑えた。
「「はあああああぁぁぁぁぁ────!?!?!?」」
防げてない大声に周囲の注目が集まる。気まずくなった三人はグレンの誘導の下、空いている応接間までそそくさと駆け込みドアを閉めた。ため息をついたグレンは巻き込まれた二人に頭を下げた。
「本当に、申し訳ない。ウチの愚息がご迷惑をおかけした」
「よもや武功名高い獅子髭グレンの義息、そしてアイリス王女の顔見知りとは…この常勝金竜ゴルドー・キンメッキが見抜けなくても致し方のないことです」
「…剣関係ないから、こればっかりはね」
謙遜するゴルドーに痛烈なツッコミを見舞うアンネローゼ。口だけの小競り合いを始めた二人を置いてグレンは振り返った。事の元凶は応接間の椅子にドカリと座って、ぐったりしている。不遜な態度を怒るべきなのだろうが、そう捉えるには覇気が無さ過ぎた。
「コウ…取り敢えず団長には伝えないでおいたから、バレないうちに帰れ」
「…アイリスは?」
「…負けないさ、知ってるだろ?」
「…………だよな」
コウは元気が抜けたように笑った。何時もの快活さを感じられない彼の肩に手を置いて、グレンは笑いかけた。
「王女も、気にしていたぞ。お前の事」
喧嘩した相手のことを話題にされたからか、ふとコウから笑みが消える。だが何でもないと言い訳する様に、また笑いかけた。
「気にしなくてもいいのに」
「怪我は体だけじゃない。折角なんだから、剣も事件も忘れて、しっかりと休んでおけ」
「……簡単に言うなよ」
「お前はもう少し周りを見ろ。誰もお前が足手纏いだから遠ざけるんじゃない」
ポンと叩く手を掴む。大きい手だ、と少し名残惜しそうに優しく払いのけると、言い争いをやめたのかこちらを見ていた二人の間剣士を通り過ぎドアを開ける。
「知ってる…だから嫌なんだ」
閉まる戸からポツリとつぶやいた言葉が嫌に響いた。その後徒歩で病院まで戻ると、待ち構えていた紅の騎士団と医者一団からの長い長い説教を受けることになり、更にそのまま診察室へ詰められてしまい病室に戻れたのは月明りが頂点に達したころだった。
次の日。ブシン祭の予選が終わり、本戦に向け更なる盛り上がりを見せる中、コウは窓にもたれ掛かっていた。街の賑わいは昨日以上だと病院越しでもわかる、だがガラスに映った看護師の睨む目にコウはため息をついた。
確かに許可なく抜け出したのは悪いとは思っている。にしても中にまで監視の目が行き渡るのは少し抵抗がある。そんなに信用がないのか、とこちらを睨む看護婦の視線に不貞腐れていると病室のドアが開いた。
「よ!また窓から脱走か?」
「ギラギラ…どうしたんだ」
「ゴルドー・キンメッキな」
隙間からあふれ出た輝きに目を細めながら、突然の来訪者に声を上げた。何故彼がここにいるのか、そんな疑問を他所にゴルドーはベットの近くから椅子を引っ張ってドカリと座った。
「お前の親父さんに頼まれてな。ブシン祭終わるまで見ててくれないかって」
「暇だから監視役に成れって頼まれたのか?」
「中々ない体験だぞ。この常勝金竜ゴルドー・キンメッキが付きっきりなんだからな」
「常勝ってお前負けたじゃん」
「案ずるな、ゴルドー・キンメッキの不敗神話…」
「だから昨日敗けたじゃん」
「一々突っ込むんじゃねぇよ、ったく可愛くねーな」
顔をしかめながら、ゴルドーはベットの側の果物籠に手を伸ばす。一番近くにあったリンゴを取ると表面を少し拭いて嚙り付く。
「兎に角!お前が脱走しないように見張ってろって
「もうしないって…というかグレンは親じゃないし」
「お前なぁ…あの獅子髭グレンの養子ってんだから相当箔付いてんだろ?だからこんな病院に入れてんだから」
「そうだけど…入院しなくてもどうせ死なないらしいし…」
「一回はお義父さんって言ってやれや……まぁこの様子じゃあもう抜け出すのは無理だろうしな。ほらバナナ食うか?」
「それ俺の籠だぞ…もらう」
籠から差し出されたバナナを受け取って皮をむく。もともとコウの見舞いの品のハズだが、何故かゴルドーが勝手に選んでいる。この見た目は麗しい魔剣士の図々しさに眉をひそめながらも取り敢えずバナナは美味しいので半分ほど頬張ることにした。
そうしてしばらく無言で過ごしていた二人だが、リンゴをかじり終えたゴルドーが残った芯をゴミ箱へ投げ捨てると、まだバナナを食べていたコウの肩を叩いた。
「……何があったかは知らないが、五体満足でバナナ齧れるだけマシだろ。」
「何だよいきなり」
「魔剣士なんてピンからキリまでいるが、俺レベルの奴なんて片手で数えるくらいしかいない。魔力を使えたからって一生腐ったままの奴だっているし、途中で運悪く強い奴に当たって死ぬ奴もいる」
そう語るゴルドーは、普段の目立つ光々しさはない。相変わらず鎧は光を反射しまくっているが、何時もの微笑を浮かべずにこちらを流し見ている。これまでの経験則なのだろう、確かにあの会場にはゴルドーより弱い剣士も、逆にゴルドーが呼び止めた女剣士レベルの強い奴もいる。そして彼らが塵芥に思える怪物もまた存在する。
「だから俺は、実力差だけは見誤らねーようにしてきた。勝てないなら勝てないでやり過ごす、無理に勝負を挑むなんて馬鹿か死に急ぎ野郎のやることだ」
それが魔剣士として研ぎ澄ましてきた、ゴルドー・キンメッキの強さの哲学。
自称“常勝金竜”、他称“不敗神話”の異名を取る彼は、勝てる相手とそうでない相手を見極め、勝ちを確実に獲る。勝てないと判断した相手にはあれこれ理由を付けて戦わないようにする。卑怯と言われようと彼我の実力差を決して見誤らないようにする、それがバトルパワー4330の剣士が名を挙げて来た秘訣であった。
「だから気を落としてんじゃねーよ。命あっての物種だ、大事にしねーと折角のリンゴがマズくなる」
ゴルドーはコウの怪我の原因は知らない。グレンが頼む際に大分濁していたが、誰かと闘ったうえでの負傷と言うのは察することが出来た。もしブシン祭に出場していたのなら速攻で棄権を申し出たであろう程に強いコウが入院するような相手など会いたくもないが、負けたことをいつまでも引きずる様を見せつけられるのは嫌味に思えてイライラする。
ゴルドーはコウを小突いた。気持ち強めに突いたからか体が大きく傾くが、コウは戻ることなくそのまま項垂れる。ゴルドーは大きくため息をつくと、一瞬コウがこちらを睨んだように思えた。
「相手が、俺を殺そうとしてても?」
「恨みを買うなんてよくある事だ。有名税だよ、寧ろありがたく思っとけ」
「俺が、生まれちゃいけなかったとしても?」
「知るか、監禁の次は宗教か?ウケねぇんだよ、もうちょっと設定練り直せ」
「俺のししょーが!…………大勢殺した最低最悪の人間でも、そう言えるのか?」
ガバリと起き上がったコウは何処か縋るような目で声を荒げた。掴んだベッドの手すりが歪むのを気にせず頬杖を突くゴルドーに詰め寄った。
何が気を落とすな、だ。何も知らない癖に好き勝手言ってくれたが、コウの意識は乗っかかった重みは決して消えないし、消すことは彼女たちが許されない。コウがアルファを追おうとしていたのではない、アルファがコウを狩りに来ていた。6番席次の弟子として、ディアボロス・チルドレンとして生まれた罪を、死をもって清算させるために。
だがそんなことを言ったところで解るはずもなく。ゴルドーは頭をガシガシと掻いた。
「だから知らねーっつってんだろ!お前の師匠が何してようが、お前に関係あるのかよ?」
その反論にコウは言葉を詰まらせた。関係ない筈がない、彼の男とコウは長い時をあの小屋で過ごした。だからこそ、こんなに痛くて苦しい呪縛がコウに絡みついているのだ。
「檻の中から助けてもらった…いっぱい弄られたところを直してもらった…あったかいご飯をくれた」
目を覚ました時に映った安堵する6番席次。それが“コウが生まれた日”に初めて見たものだった。
親の顔なんて知らない、何処で済んでいたかもわからない。思い返すのは横ばいにされている自分を取り囲む男たちと、彼らが手にする注射器の数々。そして体中を内側から這いまわって、まるで掘り進めるかのように作り替えられていく悍ましい感覚だけ。
そしてそれらの余韻が抜けたころには冷たい檻の中にいた。体中が痛い、体を庇っても吹き付ける冷風が着実に体力を奪っていく。時折自分と似たような子供たちが入れられ段々奥へ奥へ押し込められていったが、数日もすれば子供たちは動かなくなるか、石ころでもつまむように檻から引っ張り出されて一人に戻る。檻の前を通りがかる大人は、皆一様に向ける目はガラス玉のように透き通った虚無。弱る姿すら気に留めない彼らの態度に、コウの精神は闇に落ちた。
だからあの日、初めて向けられた生ぬるいような視線に惹かれたように思えた。誰もが通り過ぎていく中で、ただ一人自分を見下ろす人影、彼がこちらへ向けるあの目は、今思えば憐れみだったのかもしれない。結果論だが、それはコウの意識を引きずり出すには十分だった。
こちらの反応に気づいた6番席次の驚きの顔を見てからの記憶はない。ただ気が付いたときにはあの死臭はびこる牢の中ではなく、蝋燭と暖炉の光に照らされた小屋の布団の中にいた。
「…剣を教えてもらった…狩りの仕方も、文字の読み方も、数の数え方も…あそこでいろんなものを貰ったんだ」
それからは小屋での生活が始まった。最初は環境の変化に戸惑い恐れたコウだったが、6番席次は温かい食事を提供し、怪我や不調を治療し、コウがやがて自力で動けるまで真摯な対応を続けた。どうして自分を助けたのか、小屋を出てある程度の運動が出来るまでに回復した時に聞いたことがある。6番席次は最期までその理由を濁したが、その時は決まっていつも何処か恥ずかし気に頬を赤らめていた。それを見て分からないが、コウはどことなく安心感を覚えていた。
小屋のある山を走り回れるようになってから数日経った頃、コウはいつもより早く目を覚ました。特に蟹川家があったわけではない、だが遠くから微かに風を切るような音がする。まだはっきりとしない頭から命令して外へ出ると、そこで6番席次が素振りをしていた。普段温厚な男からは想像もつかない覇気と剣さばき、この時初めて剣と言う存在に触れたコウだったが、彼の動きにどうしても惹かれ、強く憧れた。自分も彼のようになりたい、素振りを終えた6番席次へごねにごね倒し、何とか承諾を得たコウは天に昇るのではと言うぐらいに跳びあがった。
こうしてコウと6番席次の師弟関係が始まり、山奥の大自然の中での修業が始まった。最初は基礎となる体つくりの為、山の麓から頂上までの走り込みだった。コウとしては速く剣を振るいたかったが、師匠はそれを固く禁じ『剣を教えるのは山の往復を短時間で出来るようになるまで』と約束した。当時は無理難題だと途中で逃げ出したくなるようなこともあったが、剣を教えてもらいたい一心で耐え忍び続けた。すると体は次第に過酷な山の中になれていき、一年経つ頃には一日の準備運動代わりに山の往復をするほどにまでなった。
師匠は決して手加減はしない。始まった剣の訓練も、継続した山の走り込みも、一切の妥協なく厳しい鍛錬を課した。目隠しでの投石の迎撃や、呼吸の出来ない水中での乱取り、森奥に潜む魔獣相手の実戦。どれも山登りの成功経験が無ければ途中で挫けていただろう。師から教わり、学びを実践して、着実に自分の糧となる感覚を噛み締める。濃密な時間を過ごしながら、二人の絆は深まって行った。
「でも、そんないい人でも、他の誰かにとっては最悪の極悪人で…殺されても仕方のない人だった。その弟子の俺も…きっと、間違いなく悪い奴なんだよ」
コウは師匠から多くのモノを貰った。ご飯も、知識も、戦う術も。それらが恐らく、多くの屍の上に成立したものであることに気づかず。
いや、何となくではあるが察してはいた。自分を助け出した人物は決してまっとうな人間ではない事を。それを証明するようなことは幾つかあったにも関わらず、認めたくなくて長らく目をそらし続けていたのだ。
一度だけ、ジャックが持ってきたベールをかぶった檻の中を覗いたことがある。師匠がアーティファクトを作るために必要なモノであることを耳にしたコウは、近づかないようくぎを刺されていたが興味本位で覗くことを思いついた。幸いその時は二人の意識が檻から逸れている。コウは狩りの中で教わった気配を消す術で近づき布をめくり上げた。
見えたのは蠢く肉塊。魔物の死骸を内側から膨らませたように醜く肥大したソレは、心臓の鼓動のようにグニャグニャと蠢いている。今まで見たことのない得体の知れなさに硬直していると、肉の中に埋もれていた黒い瞳と目が合った。悍ましいものと目を合わせている、だというのに目が離せない。グニャグニャはこちらへ体を伸ばそうとしてきたことに気づくと、コウの体は檻から引き離された。
振り返ると師匠が顔を青くしている。小屋の玄関の側まで引きずられ中をのぞいたことを強く咎められてから、檻もグニャグニャも見ていない。後に王都で『悪魔憑き』という不治の病であることを知るのだが、コウはあれが牢の中にいた時に感じたものと同じ、恐ろしい何かであることを直感した。
師匠は悪魔憑きを地下室へ連れ込んでは、不老不死の為に手にかけ続けた。そして自分はそれを察しながら見て見ぬふりをしてきた。そう考えればアルファの言い分も納得できる。その時点で自分も、自分の体を弄り回したあの大人たちと同類なのだ。
話し終えたコウは窓の外を見た。きっとゴルドーも軽蔑しただろう、だがそのことを間近で見ることが怖い。しかし話したのは自分と目だけ動かすと、ゴルドーは身をわずかに伸ばしてハァと大きくため息をついた。
「あのな…そんなこと俺に言われても困るんだよ!俺ら昨日会ったばかりだぞ?初対面にそんな重い話ぶち込んでくるな!」
「話せって言ったのお前だろ!」
「言ってねぇよそんな重い話!いきなり過去語りされて気持ち悪いんだよ!」
病室であることも憚らず大声を出す二人。今のは話すべきだと空気を読んだのに、話すなとはどういうことか。流石に割って入ろうとした看護婦の仲裁を聞かず、ゴルドーは良しと意気込むと立ち上がって胸を叩いた。
「よぅし!お前にはこのゴルドー・キンメッキの常勝金竜伝説を語ってやろう!」
「いきなり!?」
「そうだ!この俺の武勇伝を聞きゃあお前も俺に弟子入りしたくなるはずだ!今なら俺の舎弟ぐらいにはしてやらんでもないぞ!」
「何で一々上からなんだ!俺多分お前より強いぞ!」
「いーや、グチグチ引き摺ってるお前なら片手で充分だ」
ゴルドーは胸を張った。昨日負けたばかりだというのに、一体何処からそんな自信が出て来るのか。疑問に狼狽えるコウにゴルドーはニカリと眩しく笑いかけた。
「師匠がなんだ。極悪人だろうが変人だろうが、誰に教えられたって、結局最後に剣を振るうのはお前だろ?」
「…え」
「他人に生殺与奪を握らせるな。必死こいて生き抜いて、その極悪師匠とやらにザマーミロって言ってやりゃ良いんだお前は」
「ししょーもう死んでるけど」
「じゃあ余計死人なんかの為に殺されてやるなよ!みんな頑張って生きてんのに自分だけ死んだら馬鹿みたいだろ」
そう言ってファサリと髪をかき上げるゴルドー。最早見慣れたと感じるようになってしまったギラギラ様だが、今回は不思議と鬱陶しく感じられなかった。それよりもこの男の言葉がすとんと胸の中に落ちた気がして、幾らか重かった体が楽になった気がする。不意にゴルドーと目が合うと、得意げに鼻を鳴らした。
「せいぜい教訓にすればいい…このゴルドー・キンメッキの常勝金竜伝説を!」
「敗けたけどな!昨日!」
「うるせぇな!ネチネチ弄ってくるんじゃねぇ!」
ゴルドーは言い返そうとしたが、顔を真っ赤にした看護婦が「いい加減お静かに願えますか!」と割り込まれて凄まれたため、しおらしくなった二人は大人しく黙りこくるしかなかった。
だがこの次の日は、ベットから動かずに午前を過ごした。医者の問診と触診によればもう明日には退院できるらしい。昨日の看護師が隣で心底安堵したような表情をしていたことに申し訳なさを感じながら、コウはベットに体をうずめる。昨日まで動かないと気が済まなかったはずなのに、今日は胸に蠢く嫌な感覚はない。このまま明日まで静かに過ごせてしまうのではないかと思うと、逆にそわそわし出した時、病室のドアが開いた。
「また来たなギラギラ」
「おう!ゴルドー・キンメッキの登場だ、それだけじゃない。今回は特別ゲスト…」
昨日に続き再びの来訪。今日は彼以外にももう一人、青い髪の女剣士が見舞いにやって来ていた。何でも病院から出ていくところをゴルドーに出くわして、話している中で様子を見に行こうという話になったらしい。
「お前は…」
「どうやらちゃんと大人しくしているようね」
「たしか…アンネローゼ、ふしあな…ふしあな?」
「フシアナス。まぁある意味そうだったけども」
惜しいところまで覚えていた。どっちにせよ失礼だが、アンネローゼは特に気にした様子はない。どころか同意するような言葉にコウは首を傾げた。
「大丈夫か?何かあったのか?」
問いかけてみると、何でもないように彼女は語り出した。今日のブシン祭での一幕、自身の敗北を。
べカルタの七武剣と謳われた女は、諸国を放浪して己の腕を研鑽し続けた。その果てに更なる強さを得て、女神の試練にも聖域は自分の実力に応えてくれた。確実に強くなっている、アンネローゼは肌で実感する手ごたえを噛み締めていた。
「お前いたか?」
「いたわ」
「…俺あそこにいたけど、居なかったような」
「いや有名だぞ。さては寝てたなお前?」
「…………………………………寝てない」
「寝てたわね?」
しかし“あの男”は自分が培った強さを遥かに凌駕していた。
最初に“あの男”を見たのは予選、ゴルドーとの対戦の時。僅かながらに見えた彼の動作、一つ一つはとても小さいもので下手をすれば偶然が重なったものにしか見えなかったが、それらの動きは確実にゴルドーの剣を躱し彼を下した。アンネローゼの隣で観戦していた腕利きの魔剣士でさえ見抜けず、予選決勝で惨敗した技巧と速度。どういう原理なのか問い詰めようとしたところ、ここまでの動きは地面がめり込むほどの重りを付けた上での動きだと明かされた。
まだ実力を半分も見せていない。その事を突きつけられたまま本選第一試合で二人はぶつかる。得られた僅かな情報から、圧倒的速度が彼の強さと考察したアンネローゼはソレを断つべく剣を振るう。いかに速かろうと足を狙えば速さは生かせない、少なくとも負けはない。だが“あの男”は、ジミナ・セーネンは総てにおいてアンネローゼの想定を上回った。
速さも、力も、最後に賭けたカウンターも迎撃する技術も。その全てが感嘆に値するほど美しいものだった。今は届くことのない領域、新しい目標としては高く見上げることしか出来なくとも、いつかは必ず辿り着く。
「私は負けてよかったと思っているわ。自分に足りないものに気づけた…あっちこっちフラフラするよりべカルタで一から鍛え直すのも良いかもね」
「……負けたのに嬉しそうだな?」
「ええ。負けて全部終わりなんてないわ。また次もある。それまでに強くなればいい」
「そういうものなのか?」
コウの疑問にアンネローゼは清々しく笑った。
「そういうものよ、だって死んでないもの。ね?」
「そこは同感。このゴルドー・キンメッキ、ここで終わる男じゃないさ」
「ならいつかあなたとも手合わせしたいわね」
「良いだろう…もうしばらく武者修行したらな」
「直前になって棄権は無しよ」
ちゃっかり逃げ道を塞がれたゴルドーは苦笑いし、それを見たアンネローゼもつられて頬を緩める。同じ相手に惨敗した二人、だが悲壮を一切漂わせない前向きな雰囲気に、僅かに胸が暖かく痛んだ。
「でもそんなに強かったんだな…ジミナって言ったか?」
「ええ。私でも全力を引き出せなかった」
「揃いも揃って同じ奴に負けるとはなぁ…どうなってんだよアイツは」
「でも必ず追いつく。あの領域にね。」
本当に眩しい。こういう前に進んでいける人は、カッコイイのだ。アンネローゼも、ゴルドーも、彼女も。
「剣士を目指すなら明日はちゃんと見ておきなさい。そのジミナと王女の試合がある筈よ」
そう声をかけたアンネローゼは手を振って病室のドアへ向かう。もう帰るのだろうか、コウより先にゴルドーが呼び止めた。
「もう行くのか?」
「ええ、戻るにも伝手を探さないと…善は急げよ」
「見ないの?確かブシン祭明日までだろ?せっかくなら三人で観ない?アイリスの試合」
「そうだな…って俺も?」
「…違うのか?」
「いやいや、俺は退院するまでお前の様子を見てろって獅子髭に言われてるだけ!何で退院してまでお前の面倒見なきゃいけねぇんだよ」
「一緒に見ないのか?一人で見るより楽しいし、そのジミナって奴…まだ本気出したこと無いんだろ?」
コウとしては単純に一緒に行ける人が欲しかった。グレンたちは仕事で忙しいだろうし、アレクシアはどうしているのか分からない。多分あの同類エルフとクルクル生徒会長と一緒に教団を調べるのを頑張っているだろうから邪魔しては悪い。そうなると誘えそうなのは目の前の二人位だった。
二人はアイリスの対戦相手に関して知っている。一つでも話題を共有できる相手がいれば試合観戦が楽しくなるし、ゴルドーはそれ抜きでも自分に結構絡んでくるから、頼めば付き合ってくれるものだと思っていた。だがゴルドーはポカンとしたかと思えば、急にニヤニヤしながら近づくと、いきなり肩を抱き込んだ。
「そうか…いいだろう。このゴルドー・キンメッキが病み上がりの舎弟に付いて行ってやろう」
「いや違うんだけど」
「照れるんじゃない。昨日の常勝金竜伝説を聞いてお前も俺に弟子入り────」
「俺のししょーは一・人・だ・け!」
馴れ馴れしく頭を撫でて来るゴルドーの頭をぺちぺちと叩く。だが意に介すること無く生暖かい視線を向けて来るから気持ち強めに叩いてもまだ離れない。これはしつこい奴だ、コウはアンネローゼへ振り向いた。
彼女は突然始まった小競り合いに苦笑していたが、悩ましく首をかしげる。速くべカルタに戻りたいのなら強く止められなさそうだが、果たして。
「一日だけよ」
人差し指を立てたアンネローゼの返答に、コウは笑顔で感謝した。
だったのだが。退院当日、コウは二人と一緒にブシン祭会場へ走っていた。なんてことはない、待ち合わせ場所を間違えてしまったのだ。待ち合わせ場所を噴水のある場所と予め指定し、コウもそれに合わせて医師の診察や準備を済ませた。多少医者から『しばらく剣を振るうな』と念入りに念を押されたため思ったより時間を食ってしまったが、走ればなんとかなるレベルの遅延だ。コウは噴水に辿り着いてゴルドーたちを待った。
しかし約束の時間になっても来ない。アンネローゼが手間取っているのだろうかと考えたが、10分、20分経っても来ない。おかしいと思い噴水周りを散策しても、それらしき人物は誰もいない。仕方ないのでコウは迷った時の最後の手、大きく息を吸い込んで声とともに一斉に吐いた。
────ギラギラァ!どぉこだあああああぁぁぁぁぁ!
────お前がなあああああぁぁぁぁぁ!
────んん??
どうやら噴水の反対側にいたらしい。常に対極になるように移動してしまったから噴水の中央に座する彫刻が影になって見つからなかったようだ。
「もう始まってるし…」
アンネローゼが時計を確認すると丁度試合開始時間だった。逸る気持ちのまま会場に入ったコウは係員を飛び越えて観客席に走る。慌てる係員を二人が止めている間に。コウは階段を駆け上がり観客席に手すりにブレーキを掛けた。
雨降りしきる会場のグラウンドの中央に、黒い鎧の男がいる。痩せ細った手足をだらりと降ろし、伸びっぱなしの髪の間から見える目は落ち窪んでいる。どことなく掴み処のない剣士、あれがジミナと言うのだろう。
「ジミナがあそこで…王女様は…」
追いついたゴルドーが目を凝らす。試合が始まったと言ってもまだ数十秒ほど、あれだけ未知の相手なら王女も簡単に手出しできない、つまり二人そろって試合開始地点に立っている筈と思ったが、そこにはいない。故にグラウンド中を見渡してみると、
「なんか…遠い?」
グラウンドの端っこにいた。何故そんなところにいるのか。注視してみると、様子がおかしい。抱えるように剣を構えた彼女は一歩踏み出そうとして、躊躇うように足を引く。手を動かそうとしても、藪でも突くかのように前へ出しては引っ込めるだけ。まるで何かを恐れているように、その場に立ちすくんでしまっている。
普段の凛々しい彼女から想像できない姿に、まさかビビっているのか、いやそんなはずはないと客席から不安が零れる。彼らには理解できない、剣を握ったことのない者たちには。
「何だアイツ…!?」
「私と闘った時以上…まだ先がある!?」
「アイツ…まだ手ぇ抜いてたのかよ!」
コウたちはグラウンドで起きていることに息を呑んだ。
アイリスは斬られている。視線、僅かな揺らぎ、生命が起こす脊髄反射から放たれる気配。その一つ一つがアイリスの首を切り落とし、手足を裂き、致命打を与え続けていた。無論本当に斬られているわけではない、剣士同士の高度な読み合いの末に辿り着く、もしもの世界を体感しているだけ。だが当事者にしか分かりえぬ世界は、長く剣を振るった者にとってはもう一つの現実と差異はない。
蹂躙。王国最強と謳われるアイリス相手だからこそ通じる、正しくなぶり殺しだった。
それ自体はいい。気配の切り替えは時に音もなく相手に迫るため、時に相手を威圧するのに十分効果的だ。虎もネズミもやっているようなことだが、コウは震えるあまり手すりを歪ませた。奴は初めて見る筈だ。その戦い方も当然初見、なのに頭の中にチラつく既視感。脳裏から掘り起こされる警告。
何故、
「アイリィ────ス!」
叫んでいた。観客席から煽られた不安をかき消さんばかりに。アレは危険だ、剣士や騎士とは明確に違い過ぎる。
コウの声に気づいたのか、アイリスがこちらを向く。頼む、退いてほしい。無様と笑う奴は黙らせる、臆病と蔑む奴はぶっ飛ばす。誰にも彼女をあざ笑わせないから、どうか…そう願いを込めたコウへ、アイリスは笑いかけた気がした。
魔力が噴出する。赤い力の根源で、剣を構える姿に淀みはない。何時もの勇士に所々安堵の声が漏れ、会場は熱狂する。大してジミナは動かない。目の前に迫る膨大な魔力を前にしても、眉一つ動かさない。光と陰、赤と黒が重なり、ぶつかり合った先に。
倒れるアイリスにジミナは剣を突きつけた。歓声も、罵倒もなく。静寂を雨音が支配する。打ち付ける事実に誰もが呆然とし、言葉を失った。
「王女が…負けた」
ただ一人を除いて。
「…って、おい暴れんな!落ち着けって!」
「貴方が今行ってどうにかなる訳ないでしょ!」
観客席から飛び出そうとするコウを、二人掛かりで取り押さえる。拘束を抜け出そうと鼻息荒く藻掻くコウだが、病み上がりに魔剣士二人は分が悪かったのか、観客席から引きずられるように離され、近場の壁に抑え込まれた。それでもなお足掻き続けるコウの頬へアンネローゼの平手が走る。
「気持ちはわかるけど、頭を冷やしなさい!負けたのよ、王女は!」
「良く分からねぇが…アレはしょうがねぇよ、な?誰だってこういう時があるさ」
勢いを削がれたコウの肩を揺らすゴルドー。真っ赤に染まった視界から血の気が引き、急激に力が抜ける。もう抵抗しないと判断した二人が離れると、コウはその場にへたり込んだ。
「…」
正直気が収まらない。今だ胸の奥でふつふつと憤りがくすぶり続けいる、それだけにアイリスの敗北はコウにとって衝撃だった。最後に至ってはジミナは無手でアイリスをねじ伏せていた。コウもよく使う手だが、あそこまで洗練された技は見たことが無い。実際に相対したらと思うとゾッとする。気づいたら転がされているのだ。
額から流れる汗をぬぐい、コウは嘆息する。グラウンドの彼女は大丈夫だろうかを憂いていると、空気が重く淀んだのを感じた。
「何だ?」
ゴルドーの怪訝な声に顔を上げると、どうも周りが騒がしい。剣を携えた者が廊下をせわしなく移動している。彼らが動くたびに伝わる緊迫感、その中に感じ取った匂いにコウは立ち上がった。
何故気づかなかった。噛み締めた奥歯の間から、匂いから連想したものを口にする。
「死体か…?」
「死体?そんなもんあるわけ…っておい!」
地を蹴る轟音に、ゴルドーが手を伸ばす。遠ざかる二人を尻目に壁を蹴って方向転換、コウは匂いが濃い方へ引き寄せられるように疾走した。
走るたびに強烈になっていく死臭。壁伝いに剣士達を追い越しながら、匂いの元へ誰よりも早く辿り着く。そこには見知らぬ黒いローブの男たちが血に沈んでいた。何が起きている、誰にやられた?疑問に警戒をあらわにするコウは気配を感じた。咄嗟に剣を蹴り上げ構えた。誰かいる、だが殺気はないのは何故だ?
訝しんでいると、現れたのはミドガル魔剣士学園の生徒だった。皆何かから逃げるように走って来て、通り過ぎる。恐らく警備に駆り出されていたのだろう、彼らが逃げ出す存在がこの先にいる。コウは生徒たちの来た方向をさかのぼった。
来賓席までたどり着いたコウは開け放たれたドアから中へ飛び込む。そこには身なりの良い顎髭の男と、彼に剣を突きつける黒い人影。
「何でお前がここにいる────シャドウ…!」
あの日と同じ黒い外套、黒い剣。寸分違わぬ姿で奴はまた目の前に現れた。
その姿を頭が認識した途端、全身が揺らいだ。あの時突き付けられた気配がコウの生存本能に働きかける。遅れて着いたゴルドーを見ると首を振りながら後ずさりしている。シャドウを相手取ればどうなるか悟ったのだろう。
ココは逃げるべきだ、そう頭がうるさく響く。勝てない相手とは戦わない、それは一つの真理だ。
だが今は、この言葉を言い訳にしてはならない気がした。
震える腕を殴りつけて黙らせると、剣を持ち帰る。刀身を腕に密着させ、一気に跳躍する。上手く力が出ないがそれでも並の魔剣士を上回る速さでシャドウの前に回り込むと、背中で持ち替えた剣を突き出した。
くるりとシャドウは剣を回す。それだけでコウの突きをいなし、続く上段からの切り降ろしを躱す。がら空きの首へ黒剣を添えようとするが、コウは地面から跳ね返った剣を肩に乗せて防いだ。一瞬動くが停まるシャドウ、好機と黒剣を掌底で叩き落として回転、距離を詰めて袈裟懸けに斬りかかる。今度はこちらが首を狙おう、だが既にシャドウは屈みこんで背後を取っていた。咄嗟に逆手へ持ち換えて逆袈裟を防げたのは奇跡だろう。
「ほう…あの時の」
フード越しの赤い眼光がコウを見る。ゾッとするようなほど深い色合いに引き込まれそうになるが、弾かれた剣の感触で我に返る。懐へ入る陰、横薙ぎの一閃を柄頭で何とか抑えると、力を逃がすように手首を捻って切っ先をシャドウへ向ける。だが顔面への一撃はわずかに首を傾けただけで躱され、逆に鳩尾を殴られる。吐き出された空気、折れ曲がる上体。何とか意識を保ち、続く剣線を円を描くように払いのけながら一呼吸。順手に持ち替えた剣で肉薄した。
再び鍔ぜり合う両者の剣。剣にかかる力を指先で感じ取り、次の一手へ動くことを妨害する。近距離で放たれる無数の死の予測、それを野性で払いのけ剣気を突きつけようとするが、当てる未来が捉えられない。
「悪くない…」
関心、からの蹴撃。両者距離が空き、コウは割れた窓まで追いやられる。恐らくここから入って来たのだろう、雨風に背中を打たれるコウへ、シャドウは悠然と両手を広げた。構えもクソもない無防備な体勢、それがコウに最大級の警鐘を打ち鳴らす。先の無駄のない動き、その上位の剣が来る。
腰を低く落とし、切っ先を下におろして手首を添える。相手の手の内が分からない間は長引けば長引くほどこちらに不利なのは自明。ならば技を使わせない。最短最速で懐に飛び込むしか勝機すら見えないだろう。
一歩、一歩と距離がつまる。だが双方動かぬまま、ただただ戦意を研ぎ澄まして相手の動きに注視する。余計な雑音が小さくなり、感覚が鋭敏になる。発せられていた闘気は徐々に収束し、相手の動きが揺るがず風の流れまで鮮明になって────。
「だが勇気と蛮勇は紙一重だ」
鮮血が迸った。
視界が上へぐらりと傾く。足に力が入らない。踏ん張ろうと力を込めるたびに、胸についた袈裟懸けの傷から血が飛び出ていく。
「その身に刻め、己の無謀を」
「…?」
今何をされた?
剣が速くて防げないとか、重くて押し切られたとかの話ではない。
鮮明に思い返せるくらいに太刀筋は見えていた。だが防ぐという動作も取れず、躱すという発想さえ湧かなかった。シャドウは
背中で窓ガラスが割れる。目の前で剣を交える銀髪のエルフと陰の者が遠ざかり、衝撃と痛覚が遅れてやってくる。やがて遥か離れた場所へ激突するまでの間、遠のいていく意識の中で。
聞きなれた誰かが自分を呼ぶ声だけは、はっきりと聞こえた。
目を覚ます。最初に感じたのは熱気だった。頬に刺さる暑苦しさに首を回すと、一面炎に包まれていた。火を掛けられたのか、思わず立ち上がりあたりを見渡すと、そこはブシン祭の会場ではない。燃え盛る家屋、崩れ落ちる屋根、そして先ほどまで寝転がっていた地下室への入り口。この場所をコウはあれから訪れていない。
「小屋?」
『そう、お前が育ち、巣立った場所』
コウの呟きに応えるように声が響く。空間全体を震わせるような重低音に耳を抑えながら振り返ると、聖域で出会った白銀の騎士が立っていた。竜を彫り込んだひし形の意匠を全身にちりばめた甲冑の男は、炎の中で悠然と構える彼の表情は兜に遮られ見えない。だが聖域の時と明らかに纏う雰囲気が違うのは確かだ。
『絶望と復讐の旅路の始まった場所だ…』
「ししょー…じゃない?」
『私が何者か…些末事を気にする余裕はない』
師の姿をしてそれを否定する鉄血騎士はゆらりと腕を上げる。片から肘、手首と伸ばしていき、最後は人差し指をコウに向けた。
『私は、お前のなけなしの希望を砕きにやって来た』
「なけなしの、希望?」
どういうことか、問い詰めようとして炎に遮られる。急に勢いが増した炎に腕で庇うと、不意に炎が消えた。急激に引いていく熱に腕を降ろすと、もう既に小屋ではない。前後左右、一面暗闇に包まれた世界でコウは後ずさった。距離感覚も平衡感覚も狂いそうなほどの漆黒に頭を抑える、取り敢えず立ってはいるようだから足に伝わる感覚だけをとよりに辺りを見渡して、ギョッとした。
シャドウがいた。この暗闇の中で気づけたのは彼が纏うローブから洩れる金色の輝きと、全身から立ち上る存在感故。何故ここにいるのか、辺りに武器など落ちているわけもなく無手で構える時、彼の足元に何かが蠢いていることに気づいた。
ソレは全身を血に汚しながらも震える手でシャドウのローブを掴む。流れ出ている血の量からして虫の息なのだろう、だがシャドウを離すまいと手に力を籠め、桃色の髪が流れる頭を上げた。
「シェリー…?」
声が震える。どうして彼女がここに、あんなに血を流して倒れているのだ。シャドウはシェリーを見下ろしていると、不意に剣を逆手に持ち替えて彼女の背中に掲げた。
「…やめろッ」
刺される、そう悟ったコウは走り出す。この距離なら間に合う、体全体を使って突っ込めば引き剝がす位は、だが行く手を剣閃で遮られた。
『お前は…何一つとて守れも狩れもしない。人にも獣にもなり切れない、お前には』
鉄血騎士はコウの道を阻むと、踵を返してシャドウへ歩み寄る。そして彼に倣い剣を逆手に持つと、合わせるように振り下ろした。
目の前で血が噴き上がる。心臓を貫かれた体から生気が抜け、ペタリと崩れる。血の勢いが収まるのを見届けたシャドウは踵を返す。動かなくなったシェリーへ駆け寄ろうとした時、つま先に何かぶつかり横転した。
前へつんのめったコウは顔を上げる。するとそこは先ほどの暗黒世界ではなく、見慣れた王都の舗装された地面。周囲も見慣れた街並みが広がるが、立ち込める暗雲が不安を駆り立てる。活気にあふれているはずの街の静けさにコウは走り出した。
さっきから何だというのだ。小屋にいたと思ったら目の前でシェリーを殺され、かと思えば王都に戻っている。明らかに異常な世界で走り続けていると、走る人々を見つけた。自分以外にも人がいた、彼らなら何か知っているのかも知れない。
向かう先へ走ると既に大きな人だかりが出来ている。何かの集まりだろうか、声をかけてみてもまるで反応が無い。自分を認識していないのか、困惑するコウを他所に彼らは何かを注視している。止む負えない、コウは近くにいた男二人の肩に手を置き、勢いをつけてよじ登った。
彼らの視線の先にあったのは断頭台。肉厚の刃を血に濡らしている所から、誰かが処刑されたのか。だがコウが気になったのはその周辺の人間。一人は鉄血騎士だと分かったが、分からないのは他の二人。
「アルファ…アレクシア!?」
何故あの二人が並んであそこに立っているのだ。困惑するコウを置いて世界が動く。壇上にいた鉄血騎士は断頭台へ屈みこみ、先ほど斬首したばかりの首を掲げると、大衆は一斉に沸き上がった。
「国家を脅かした罪により、今この者の処刑が執行された!」
「よくやったァ!」
「ざまぁみろ教団の手先め!」
「何が紅の騎士団だ!」
「俺達を苦しめた売女が!」
アレクシアの宣言に民衆は首への怨嗟を打ち上げる。人々が罵詈雑言をぶつける相手の顔を見て、コウは瞠目した。彼らが処断したのは赤髪の女、アレクシアと仲睦まじい筈の家族だった。
「アイリス…」
『たとえどれほど剣が上達しようと…人々と関わりを持とうと…力なきものは淘汰され…儚くも力によって踏みにじられてゆく』
掲げられた首を振りかぶると、コウへ投げつけた。胴に命中したコウはそのまま吹き飛ばされ、暗闇へ戻される。再びの黒世界の中で、光の無くしたアイリスと目が合った。本当に彼女なのか、震える手で首に触れようとした時、ギロリと生首がこちらを睨んだ。
『抱いた夢も…紡いだ希望も…培った尊厳も…それらへ費やす命も…!』
いきなり喋り出した首にコウは後ずさる。だが体を引き上げる腕にも湿った感触に囚われる。振り返ると血まみれの手がコウを掴んでいる。顔を上げた血まみれのシェリーと目が合うと、彼女の顔が崩れ醜く膨れ上がる。思わず手を振り払うと、既に周りには似たような肉塊がブクブクと膨れ上がりながら呻き声を上げていた。
悪魔憑き。嘗てその威容からグニャグニャと評した、師の被害者たち。コウを囲うように現れたソレの目が一点だけを見つめる。まるで師の咎を代わりに贖えと訴えかけているようで、コウは思わず耳を塞いで目を逸らした。
『全ては不老不死の悪夢実現の為の肥やしに過ぎない。食われ、絞られ、吐き捨てられる…それが世の真理、あの小屋でお前が6番席次から学び、鍛え続けてきたものよ』
背後から冷たい気配、振り返る前に膨大な魔力に吹き飛ばされる。悪魔憑きたちをかき分けて吹き飛ばされた煌牙見たのは、兜を脱いだ鉄血騎士。絹のように細く、月明かりのように輝く髪を揺らしながら、因縁のエルフが死の鎧を着て剣を突きつけて来た。
「アルファ…なんでその鎧────」
『剣を取りなさい。全てを切り開くのは、貴方が持つ獣の剣のみ』
切っ先が示す先に在ったのは紅剣、紅い両刃刀と紅いグリップ、それを繋ぐ丸い鍔と中に描かれた参加系を二つ合わせたような紋様。そして中央に輝くひし形の赤い宝石が震えるコウを映していた。
『仇を屠り、敵を喰らい…敗者の血と弱者の肉を糧にしなければ、貴方は生きることさえ出来はしない』
アルファはゆっくりと、先ほどのシャドウのように歩み寄ってくる。その眼は聖域の時と同じく、美しさの中に冷たく研ぎ澄まされた意志、ここで因縁を終わらせるという凄みがあった。
『取りなさい。それしか貴方に道はない。私と同じ復讐に塗れた者、その輪廻を生み出した虐殺者の弟子には』
どちらにしろ周りが肉の壁では逃げ場はない。コウはよろけながらも立ち上がり、紅剣に飛びついた。戦わなければ、今度こそ死ぬ。
だが必死に剣を抜こうとするコウの意思に反し、紅剣はビクともしない。押しても引いても、揺らしても抜ける気配はない。四苦八苦している間に背後から風切る音が迫り、咄嗟に飛びずさる。だがアルファは振り下ろした剣は地面を砕いて、衝撃でコウを吹き飛ばした。
醜い肉壁に勢いを殺され、転がり落ちるコウ。全身を打ち付ける痛みに身もだえる間もなく、剣を振りかぶるアルファが見えると、慌てて立ち上がり逃げ出す。迫る轟音と、行く手を遮る悪魔憑き達に挟まれ、惨めに這うよう回避に徹するしかないコウ、だがやがてバランスを崩した瞬間、全身から鮮血が走った。
まただ、またあの結果だけを押し付ける剣が全身を切り刻む。膝を付き、両手で何とか体が倒れないようにするが、それが限界。近づいてくる足音に身じろぎすらできず、荒らんだ呼吸に胸を上下させるだけ。
剣を取らねば死ぬ。だがそんな隙は無い。そもそも体が動かない。広がる血だまりが遠い出来事のように歪んでいき、世界が冷え込んでいく。何故、こんなにも弱いのか?何故、いつも届かないのか?何故、ししょーは自分を拾ってアーティファクトなんて埋めたのか?何故、どうして…
自分なんかを、生かしたんだろう?
────いつまでも唸るだけじゃ、誰もアンタを受け入れないわよ
ハッと歪んだ視界が元に戻る。手に落ちた血と涙、二つの煌きに自分が映る。みっともなくもぐちゃぐちゃな己、彼女が見たら呆れながら失笑するだろうなと顧みて、コウは鼻を啜った。顔についた諸々を袖でゴシゴシとぬぐい取る、そうだ、唸るだけでは、泣くだけではダメだ。
顔を上げる。丁度目の前に切っ先、ゆっくりと振り上げられたソレは首筋目掛けて振り下ろされた。コウは目を閉じ、ふうと息を吐くと、
────負けて全部終わりなんてないわ。また次もある
「ッ!」
一歩。前へ出て腕を交差させると、振り下ろされた剣、その握り手を止める。まさか止める気力が残っていたのか、目を開いたアルファは剣に体重を掛けるが、重みを流されて肘打ちを受ける。そして腰を回るように背後へ回られ、蹴りで距離を開けられた。
起き上がって手を伸ばした先、抉れた地面に刺さったままの剣を掴む。アルファの一撃で緩んだのか、或いは違う理由か、今度は容易く抜けた剣で追撃を打ち払うと、その喉元に切っ先を突きつけた。
だがコウの剣はアルファの喉を裂かない。裂こうとすれば左胸に突き立てられた銀剣が心臓を断つだろう。だが例えそうなっても、その眼に宿った鈍い明りは消えはしない。
────只暴力を振るうのは獣だ。だが暴力を振るわない選択が出来るのが、人だ。
「俺は…お前に勝ちたい」
『そう、仇を取るために』
「最初はな…でも、今はそうじゃない」
始まりは悍ましくも怨念に満ちたものだったのだろう。事実そうだし、今でも思い出そうとすると頭が割れそうになる。
教団と呼ばれた彼らがしでかしたことは許されざることだ。その悪行に加担した師もまた許されざる人だ、その事実は変わらない。だが罪人と責めるには、コウは彼と時間を共にし過ぎていた。
師匠がどうして自分にアーティファクトなんかを埋め込んだのか。どうして自分を助けたのか。どうして大勢の悪魔憑きを生んだのか。どうして教団に入ったのか。考えれば師匠の事は何も知らないのだ。あの笑顔に映る影の意味も、気づかないまま彼と鍛えた剣を振るってきた。
────師匠がなんだ。誰に教えられたって、結局最後に剣を振るうのはお前だろ?
「でも今は。行かなきゃいけない場所がある!」
でも、それでも今生きている。彼が教えてくれた術で、与えてくれた鎧はコウを生かし、グレンに、アイリスに、アレクシアに、みんなに会わせてくれた。今だってそう、こうして迫る殺意を凌ぎ、剣を振るってアルファを押し始めることが出来ている。
いつもの彼女ならもっと早い。鎧を着ているから?違う、三度、彼女と相対した勘が伝えて来る。アルファは自分を力でねじ伏せることが出来る、だから師匠の鎧と言えど扱うのは容易い筈だ。
「ここを出て…剣を取って、戦わなきゃいけない…!勝つとか負けるとか、許せないとかじゃなくて…」
この幻が言ったことは事実だろう。きっと獣であれば仇討ちの為に全てを投げうてただろう。逆に人であればただ街ですれ違うような人々に紛れて平々凡々と生きていくことが出来ただろう。でも、どっちになれなくても良いのかもしれない。人の心を貰って、それを守りたくて、その為に獣のように剣を振るう。
────約束して…君は、ずっとそのままの、君でいて
“コウ”としてこの世界に生まれた奇跡が、繋がる気持ちが、新しい世界への幕開けとなる。
「俺は今…アイリスを助けに行かなきゃいけないんだ!」
鼓動が高鳴る、もう誰にも止められない。世界がひび割れ、光と闇が混沌としている。大地を揺るがして、
「だからッ、そこを退け!」
一突き、甲冑に空いていた切れ込みに剣を突き立てる。傷口から魔力が溢れ出し刺さった剣を押し出そうとする。だが掌を柄頭に押し当てて、一気に突進。鍔まで剣を押し込むと、思い切り引き抜いた。
瞬間、混ざり合った世界が完全に砕け散った。一面白世界に目がくらむ。だが次第に目が慣れていくと、コウはゆらりと歩き出した。方向も当てもない。けれどわかる、何処へ向かえば帰れるのか。何処へ走れば赤毛の彼女の元へ行けるのか。
歩みが疾走へ変わる。もう迷いはない。現実への一直線をコウは駆け抜けて行く。
『そうだ……強くなれ』
もう見えない、聞こえない激励に見送られて。
────最終安全装置「勇気」解除確認。
────No.006:生体融合型鎧王「INFERNO」、全安全装置解除確認。現時刻を以って融合対象個体、仮称:コウを正規所有者と認定し、使用権限を正式譲渡。
────貴方の心の儘に、いつでも行けます…
守ると決めた。もうこれ以上傷付けないために。
正しくあると決めた。その在り方に望みを掛ける声に応えるために。
強くあると決めた。────守りたいから。
始めてこそ対抗心があった。これまで培った剣技、常識を容易く打ち破られたことへの怒りもあった。だから側に置いた、魔力操作を教えるという名目で彼の強さの秘密を見たかった。もし彼の強さの秘密を知ることが出来れば、それを自分は取り込むことが出来るのではないだろうか。
だが幾度剣を重ねるたびに彼の非常識さが浮き彫りになるだけだった。型も何も無い様なでたらめな剣技、その合間を縫うように繰り出される外法な徒手空拳、何より見た全てを喰い殺さんばかりの野生的な眼光。もう人の剣ではない、如何なるものを寄せ付けない血に飢えた獣。正直魔力が使えなかったことに安堵してしまったほどに、彼と言う存在が何処か遠くのものに思えた。
だからか、彼が魔剣士達をいきなりかつ一方的に叩きのめしたと聞いた時。駆け付けた現場で一人佇むコウの姿が何処か小さく見えたのに驚いた。周囲には血まみれの魔剣士達が呻きのたうちまわっている、早く医者を呼ばなければならないのにコウから目が離せない。何時もの殺気に塗れた野獣じみた力強い目とは程遠い、こういう顔もするのかと不謹慎にも考えてしまうほどその時の彼は弱々しいものだった。
それから騎士団の証言からコウには罰則が下り城への出入りを禁じられた。再び鍛錬の時間は一人になり、黙々と剣を振るう日々。だが悪くも刺激的過ぎた日々とあの日の彼が頭から離れず合間を縫って様子を見に行こうとした時、一人の使用人に呼び止められた。曰く彼女はあの場にいたらしく、騒動の発端は魔剣士達がコウに執拗にちょっかいを出したことが原因だという。その中で彼の師を貶す発言をしてコウが逆上するように仕向け、数の差にものを言わせた腹いせを目論んだらしい。結局返り討ちにあったが、それでも責任は押し付けられると踏んだようだ。
もしそうなら責任はこちら側にある。仔細を確認するために一路コウの元へ向かう、その道中で思いがけず公と出会った。何故か妹と一緒だったことは意外だったが、事のあらましを聞こうとした時彼の方から提案があった。危害を加えた者たちへの謝罪をしたいというのだ。
────あいつらの言ったこと、今でも許さない。けど…ここは殴るだけじゃダメなんだろ?
そう言った彼の顔は剣を交えた時とも剣士達を打ちのめした時とも違う、翳るの無い何処かすっきりとしたものだった。
退院した剣士達へ謝罪に回ってからコウは次第に変わり始めた。相変わらず交わす剣はべらぼうだし、一般常識は所々欠けている。しかし最初の頃よりは積極的に人々に関わろうと四苦八苦し、時折自分やグレン、妹などにもどうすればいいか頼り始めた。人に謝りたいときはどうすればいい、贈り物をしたいのだが何を送ればいい、近所の諍いを止めたいのだが妙案はないか…一つ一つは些細な事だった。だがその中で思い通りにいかず悩む彼、予想外のことに直面して驚く彼、泣く彼、笑う彼を見るたびに胸が暖かくなるのを自覚した。
そうだ、どんなに剣の才があっても彼も一人の人間だ。尊敬する人を貶されれば怒るし、悪いと思ったことは反省し直そうとする。そうやって人と関わるごとに自然と気持ちを露わに出来るようになっていく普通の子供なのだ。出来ることならこのまま、辛い過去を忘れて人々の中で笑って生きていてほしい。修練の刹那に見えるようになった笑うコウに頬を緩めながら切に願った。
だが運命は、過去は彼を逃がさなかった。
アルファ。コウの育ての親にして剣の師匠の仇。自分でも止めを刺しきれなかった怪物を、膨大な魔力で人に戻して見せた金髪のエルフ。自分を観客と嘲り、黙って見ていろと宣われた時はカッとなった。ふざけるな、自分は部外者などではない。この王都を守る者であり、彼の────。
だが二人は戦いの場で出会い、剣を交える。ここ数年で彼の動きが大分見えるようになってきた自分を以てしても間に入ることが出来ない壮絶な殺り取りの中で、彼は押されていた。横やりが入ったから決着はつかなかったが、あのまま続いていたらどうなるか想像したくない。崩壊した街の中心から妹の無事を確認できるまで生きた心地がしなかった。
ブシン祭で才を示し、国の未来は安泰ともてはやされても、肝心な時には何もできない。続く学園襲撃時にも、現場が魔力が封じられる空間に隔離されていたために中に残っていただろうコウに託すことしか出来なかった。自らの無力を悉く思い知らされるようで胸が痛かった。まただ、また自分は何もできなかったのだ。
そして事件が収束し学園が閉鎖された後、退院したグレンがあるものを見つけた。
ルスラン・バーネットの日記だ。
表紙が少々煤けていたが、ページは欠けていない。ほぼ全焼したと聞く副学長室から出て来たにしては保存状態が良すぎるソレを開くと、書き記された内容に目を疑った。
『あの6番席次の弟子がシェリーと接触した。以前協力を断ったあの男の下いた少年とここで再開するとは、運命の悪戯を疑わざるをえない。幸いにも本人は私の事を忘れているようだが、強欲の瞳と並行して行っていた彼の監視も手間が省けそうだ。』
『小僧がシェリーと関わり始めてから数日経った。どうやら思った以上に仲良くなっているらしい。そのまま彼の体のアーティファクトに興味を持って調べてもらえればこの上ないのだが…それにしても同じ教団の者に育てられたものが同じ学び舎で青春を送るとは、何とも滑稽なことだ』
『らちが明かなくなってきたから、それとなく本人に聞いてみた。どうやら小僧自体、自分の体の中にアーティファクトがあることを知らない、無自覚状態らしい。何と言うことだ、あの老いぼれは私の病の治療は断った癖して、こんな奴を人体実験したのか。私に渡してくれれば、わざわざ始末した女の娘など育てなかったというのに』
『かのアーティファクトは融合者の感情によって性能が左右されると聞く。実に不合理な機能だが、あの小僧の目の前でシェリーを殺せば僅かでも反応があるのだろうか。強欲の瞳が完成次第、腕慣らしついでに試してみるとしよう』
思わず催した吐き気を抑えるので手いっぱいになった。嘗て感じたことのない、粘着質で悍ましい邪悪はこんなにも近くで息を潜め、彼を、彼の友人たちをあざ笑い続けていたのだ。こんな真実を告げられようものか、だがここには世界の真実の一端が記されている。公表するべきだが、それはコウやシェリーを深く傷つけることになる。使命と情の狭間で懊悩する合間に日記は忽然と消え、結局真実を公にはできなかった。
だが間違いなく教団と呼ばれる存在は実在する。それも宗教的にも政治的にも根深く、唯一残っていた物的証拠ですら容易く隠ぺいが出来るのだ。果たして自分と即席の直轄騎士団だけで対処できるだろうか。
いや、するしかない。この国と、そこに住まう人々を守らねばならない。
その為にもブシン祭に勝つ。リンドブルムから運び込まれ眠るコウの傍らでそう誓う。自分の大切なものを守るため、自分に希望を託す人々の為に、力を示す以外に自分に出来ることはない。故に必ず勝つ。勝って示すのだ。この国を荒らし、人々に危害を加えようとするものたちへ、護国の騎士がここにいると…。
だというのにこれは何だ。自分は倒れて剣を首に添えられている。何が起きたのか、動きは見えていた。だが対応する前に決着はついていた。余りにも呆気ない決着、目の前の現実が受け入れられなかった。
騒めく観客、来賓席へ飛び込むジミナ、そして彼の変装を解くシャドウと、程なく自分の側まで落ちて来た血まみれの青年。
「…………コ、ゥ?」
光の無い眼が見えた時、頭が真っ赤に染まった。許さない、どれだけ培った強さをコケにされても、道具頼りと蔑まれても良い、私の大事なモノを傷つけたお前だけは、この手で。
手にしたミスリルの剣に刻まれたルーンが燃え滾る。ブシン祭会場から街へ、走る列車を股にかけ、武の神と謳われた
「こんな、好き勝手に…王都中で暴れまわって…ただで済むと思っているのか!」
傷ついた国旗の下で剣に縋る。体は悲鳴を上げもう満足に戦うことはできない。完膚なきまでの敗北だった、今まで経験したことが無いほどの屈辱と絶望が胸から溢れるのを抑える。
「今頃、王都中の騎士に動員がかかっている…この王都の総てが…ミドガル王国総てがお前の敵だ!もう何処にも、お前に逃げ場はないっ!」
せめて気持ちだけは、と叫んだ。たとえ幾度泥にまみれても、心に最後に残ったものを支えに立ち上がろうとする。
だが、アイリス・ミドガルは泥の苦さを知らない。地の下から天上を見上げることが教える惨めさと無力を知らない。獣を知り、手懐け愛でた程度で怒る程度の温室育ちには、この現実は直視できない。
シャドウが震える。違う、恐怖するのは彼じゃない、世界だ。
哄笑。天を裂き、地を割るほどの。
「逃げる?誰が?どこへ?────何故!」
瞬間、世界は陰に包まれた。彼を中心に魔力回路が走る、道に、運河に、空に。瞬く間に王都を覆う紫煌の魔力の中でシャドウは唯我独尊と漂う。
「これは…こんな…ッ」
有り得ない、街一つを覆うほどの魔力など、人間が持っていていい筈はない。だが世界を包む紫の破壊の奔流が脳髄まで事実を突きつける。これはアーティファクトで増強したと安易な代物ではない、と。
もしこれが一斉に放たれたらどうなる?騎士団で対応?できる筈がない。いや人間がどうこう出来るような存在ではない。正しく天災、厄災、魔人、或いは…。
「遊びは終わりだ…………?」
だが最後の存在が頭に思い浮かぶ前に、シャドウの姿が揺らいだ。何があったのか、目を凝らすと、誰かが首元にしがみ付いている。鬱陶し気にシャドウがそれを振ろ降ろすと、しがみ付いていたものは壁伝いに勢いを殺しアイリスたちの前で尻もちをついた。
「コウ……?」
「痛たたた…着地が…なんか体しっくり来ないな…」
死んだと思っていた青年は背中を摩りながら立ち上がる。服は血まみれ、額から流れた血もそのままだというのに平気で動いてシャドウに飛びついた青年に困惑した。無事と喜ぶよりやせ我慢を疑う姿だ。
一方振り返ったコウは、一瞬警戒をあらわに剣を構えた。対象はアイリスの隣、共に戦ってくれたエルフに対してだ。
「君、何処から来たの?」
「…………アルファ、じゃない?」
「アルファ?私はベアトリクス」
「違う人?そっくりさん?」
「君何処から来たの?」
「え、あそこから、ピョ~ンって」
「……ピョ~ン?」
「……ピョ~ン」
ブシン祭会場の方角を指さしながら、間の抜けた擬音を繰り返す二人。どうやらアルファとベアトリクスを勘違いしたらしい。アイリスも一瞬間違うほど似ているとは思ったが、ここで一触即発にならなくてよかった。だが直ぐに剣呑とした空気に戻る。
「でも良かった……まだ逃げないでいてくれるんだな、お前」
コウは顔を上げる。視線の先には剣を掲げたままこちらを睨み下げるシャドウ。二人の間で起きること、想像できない筈はない。
「…コウ、逃げなさい!その傷では無理です!」
「…大丈夫、もう塞がったから」
「早く逃げて!アレには、シャドウには…っ!団長命令です、この街から速く────」
「ベアトリクス、だっけ?アイリスの事、頼んでいい?絶対手が離せなくなるから」
すがるような命令を無視してベアトリクスを一瞥する。ベアトリクスは何も言わずに首肯するのを確認すると、ありがとうと言ってコウはシャドウと向き合った。
「下がれ…分かっているはずだ」
「…覚えてたんだな、俺の事。弱いから忘れてると思った」
「お前では勝てない…あの日、一合を躱さずに敗北した、臆病者には」
「解ってるよ…聖域のししょーでも多分こんなことはできないと思うし…あ、でもあっちは縮めてこっちは広げてるから…うん?ま、どっちでもいいや」
実際の所、一概に比較はできない。報告でしか聖域の出来事を知らぬアイリスからしては判断など出来ようもないが、正直アレと同格など思い当たらない。魔力を使ったことのないコウが頭をひねったところで解るものではない。それでも、コウは切っ先を突きつけた。
「でも…今じゃなきゃ、今お前と闘わなきゃダメなんだ」
背中越しの彼は真っすぐで、余りにも頼もしく見えてしまう。彼にも街を覆う魔力が見えているはずだ、アレに勝てる存在がこの世界にいるとは思えない。それ以前に彼は病床で…不安が頭を回り続けるのに、その背中から目が離せない。ダメだ、彼をこの鉄火場に立たせてはならない。その為に自分は戦ってきたはずだ、なのに、どうしても今は彼に縋ろうとする心が湧いてしまう。
「もういい────」
うんざりしたような声音が耳に響く、その頃にはシャドウはコウの背後にいた。只剣を振るう、それだけで首を撥ねるという結果を押し付ける、ごくごく自然な剣。アイリスが絶望に叫び、シャドウの剣が振り切────
「…?」
────ることはなかった。
シャドウは飛びずさり、目を細める。振り下ろした剣の先、揺ら揺らと揺らぐ炎がある。いや炎ではない、魔力で出来た赤い揺らぎの中で何かが結晶していく。
それは背を覆うほどの大きさの赤い固まり、背びれを思わせるモノを挟むように骨ばった鉄が付いている。訝しむシャドウの代わりに、ベアトリクスがその浮遊体の名前を連想した。
「これは…」
「
甲冑が起こす揺らぎに引っ張られ、シャツがはだけて胸元が露わになる。晒されたのは嘗て誰にも読むことが出来なかった奇怪な紋様。
ミドガル王国でも、知恵に明るい他国でも解き明かせなかった未知の言語、アイリスは知らない、もし読める者がいたとしたらその者はこう読むことを────。
「……
燃え盛るような地獄の業火。罪人を悔い改めさせる断罪。
そしてそれを背負う、鎧の王を纏う戦士の
「二度…お前は、俺の前で人を泣かせた」
一つ、二つ、三つ、四つ。
彼の周囲で炎が上がり、それぞれが手甲、脛当、胸当てへと固まっていく。鎧たちはコウの周りを旋回しながら、じりじりとシャドウとコウの間合いを開けていく。
正眼に構えた剣、その鍔に描かれた六芒星に親指を掛ける。パチと小さくはじくと反転していた正三角形が一つになり、丸い鍔が両横へ展開した。
「俺の知ってる人、俺の好きな人達、笑ってたり、頑張るところが好きだったのに。俺が何にも出来なかったせいで目いっぱい泣かしちゃった…だから」
両手を大きく掲げ、柄頭に左手の甲を添える。胸元まで引いた剣を斜めに構え、腰を落とすとコウは目を閉じた。
「だから、お前と戦う。勝つからとかじゃなくて…ここでお前に挑まなきゃ、俺は只の馬鹿な野良犬のまんまだから」
彼の意識が、内に蠢くモノを通して鎧と繋がる。全身が燃え上がるような高揚感に誘われて、紡ぐのは目覚めの祝詞。
「────“赫醒”!」
赤き旋風、収束する。炎上する火柱と化したソレを振り落とし、残り火を剣で振り落とす。
現れたのは、何時もの彼ではなく。
禍々しい竜を模した異形の鎧を纏い、一回り大きくなった紅の騎士。全身を覆うように装着したそれこそ、手記に記載されていた生体融合型アーティファクト、その完全起動状態の姿だろう。
「大言壮語…主従揃って、借り物の道具頼りか…」
『借りたんじゃない…受け継いだんだ!』
その姿を、アイリスは見ていることしか出来なかった。
砕け散った心の残響が目から零れ落ちるままに…。
瞬間。
黒き竜鱗に包まれて、纏うは紅蓮の火炎鎧。この世界には存在しない、
これは今までの奴らとは違う。決して“陰”とは相容れない“ナニか”であると。
『行くぞ』
剣を構え、飛び掛かるコウ。紫天の下で黒剣と紅剣が交錯する。僅かながらの鍔迫り合い、シャドウは足を引くと、近場の建物へ向かって押し込んだ。
壁を打ち抜きながら、体が宙に投げ出されながらも剣を振るう。宙を舞う破片を足場に剣戦を重ね合う二つの影は地に降り立つと、頭上より降りかかる瓦礫を払いのけた。
一瞬遮られる視界、砕ける瓦礫の影からシャドウが斬りかかる。背後からの一撃、決して躱せない背後の一撃を鎧で受け止めるが、衝撃でつんのめる。踏ん張ってコウが振り返る頃にはもうシャドウは背後から剣を突き立てていた。
あらゆる武闘の技を極め、辿り着いた究極の剣技を以てしても、鎧がある以上肉体へ致命打は与えられない。しかし衝撃は金属の中の体を揺り動かし、抵抗への気勢を削いでいく。
「追いつけていない…」
「鎧に、慣れてないの…!?」
劣勢に陥ったコウの姿に誰かが言葉を失う。
そもさん彼の戦い方は速さを重視したものだ。しかし足の速い生き物に重しを乗せたら遅くなる、考えなくても至極当然の理だ。ましてや身一つで戦っていた男が突然全身鎧で戦いだしたらどうなるか、最早噛ませ犬にすらならない惨めな様を披露するしかない。
「読める…読めるぞッ!」
このような鉄塊には、自然の剣すら不要。言外に指揮棒を振るうかのように剣を振れば、相手は圧倒的実力差という剣線の交響曲を奏でる。正直適当に振ってさえいても総ての攻撃をいなせるだろう。
「何もかもが雑だ…あの金メッキの方がまだいい」
極めつけは指二本で止められるパワー。人差し指と中指で挟んだだけで動けなくなるなどお粗末と言うほかない。嘆かわしいと力なく首を振ると、全身から濃密な魔力の波を放ち鎧騎士を吹き飛ばした。
「LESSON1、魔力は四肢から最小限に…」
この世界の人間は魔力操作が余りにも大雑把だ。魔力をただ出すだけで身の丈を超える高さへ飛びあがり、剣を介せば銃より有能な兵器になり得る、それだけで満足してしまっている。だが魔力の可能性はこんな低次元のものじゃない。粘土のように練り上げ、風船のように膨らませ、コンプレッサーのように圧縮すれば街一つなんて簡単に吹き飛ばせるのはついこの間証明済みだ。
要は高い潜在能力を持つリソースを、いかに効率的に使うかだ。足に出力を絞れば千里さえ半日もかからない、二人の距離を縮めること等造作もない。
「LESSON2、懐に入れば力も技術も、魔力さえ不要ッ!」
横一閃、装甲に覆われていない脇腹を切り裂く。人は手の伸びる場所の防御は出来ても、体の内側まで防御は届きにくい。いったん懐まで潜れば腹も胸も脇も関節も斬り放題殴り放題、一手一手好きな部位を確実に潰していくワンサイドゲームと化すのだ。
肘を斬られ腕が下がり、続けて膝を突かれてコウは膝を曲げる、よりも前にシャドウは倒れる顔を膝蹴りで打ち上げると鳩尾へつま先をめり込ませて打ち上げる。ジェット噴射のように打ち上げられるコウ、くの字に折れ曲がった背中をシャドウがこちらを見下ろしていた。
「鉄屑如き、その辺のちり紙同然…LESSON3、受ける気があるのかァ!!!」
裂帛の気合と共に木偶の棒を蹴り落とす。技術もクソもない、その辺の追剥ぎでも出来る下段蹴り、だがこれだけでコウは建物へ激突し、建物は木っ端みじんに崩落する。
立ち上るキノコ雲の中心でコウはのたうち悶える。陰と闘うと法螺を吹いておきながらこの様とは、シャドウは取りこぼされた紅剣を取り上げると、立ち上がろうと手を突いたコウへ突き付けた。
「力とは!己が手で鍛えぬいてこそ、初めて力として意味を成す!」
どれだけ剣の腕で名を上げようとも、どれだけ上質な武器を持っていようと、どれほど常識外と言われるアーティファクトや薬物に頼ろうと、最後にものをいうのは自己の研鑽によって得た、生の肉体が発する力のみ。それが実践できていない人間がこの世界には多すぎる。
この男も同じだ。いや使い方さえ分かっていないのならばあの二人以下と言っても良い。それを受け継いだだと?
「受け継ぐなど弱者の妄言…所詮借り物の力など、最強の前には無りょk───」
悠然と語るシャドウの紅剣が突然掴まれた。予想外の反抗に眉をひくつかせるが、そこから押しても引いても動かない。面倒になって腕を切り落とそうと黒剣を振り下ろすと、今度はこちらも掴まれた。
振りほどこうとコウの全身を揺さぶっても、頑なに刀身を離さない。ならば逆に全体重を掛けて切り裂こうと力を込めていき、コウの足が沈んでいく。しかし踝まで埋まったところで止まると、じりじりと右へ左へ揺れながら立ち上がっていき、口元を割って牙の隙間から吼えた。
『オオオオオォォォォォ────────────!!!!!!』
五月蠅い、黙らせるべく膝を喉に撃ち込もうとするが、俯いたバイザーに封じられる。鐘でも叩いたような重く低い音が響く中、今度はつま先を鳩尾に刺して今度こそ黙らせようとした時、手から紅剣が抜けた。
「?」
足に力を入れ過ぎたか?違う、見ると手のスライムが溶けて生身の掌が露出している。何かをされたのか、相手を見ると、掴んでいた黒剣を握りつぶしていた。
こめかみに柄頭が迫る。首をわずかに傾ければ躱せる、だがこれは本命ではない。柄を掴み、まるで槍のように突き出した一撃を生成し直した剣で防ぐ。力を逃がして脇へ切り込むが、剣を即座に立てられて防がれる。ならばとごく自然に後ろへ回り込んで膝裏を突き崩そうとするが、剣を地面に突き立てて曲芸のように逆立ちして躱して見せた。
「…これは」
動きがよくなっている。先のようなぎこちなさが無い。決してこちらを傷つけるような一撃で一歩抜いてくるわけではない。むしろ勢いだけならばこちらの攻勢は変わらない筈だが、こちらの一撃が中々入らなくなり始めた。マラソン選手が横に並んで抜く抜かれるかのデッドヒート状態、悪く言えば膠着し始めている。
シャドウは知らない、鎧は成長する。
生体融合型は融合者の身体情報、平時及び戦闘時の癖、精神状態を認識・学習し、常に融合者が最大限のポテンシャルを発揮出来るように逐次調整される。コウが前へ進むことを望めばそれに応え、殻へ閉じこもることを選べば身を守るために戦闘能力に制限を掛ける。心持ち一つで翼にも鎖にも変わりうる性質を持つが故に、初回を除いて特定の感情の発露が確認されない限り全機能に使用制限が掛けられていた。
だが大自然の中で下地を整えて、小屋から巣立った少年は青年へと育つにつれ知った。
大切なものを奪った者への「怒り」を。
世界中に存在するだろう、自分以上の強敵に対する「恐怖」を。
そしてその双方を上回る、怒りに焼かれる恐ろしさを知り、無力を思い知らされても尚、前へ進む「勇気」を。
『ハッ!』
「シッ!」
天地を戻した紅剣と黒剣がぶつかり合う。先と同じ競り合い、だが満ちていく気迫がシャドウを飲み込もうとしている。このままでは戦いの主導権が移るかもしれない。
このままでは、の話だが。
「ふんッ!」
『っ!?』
突然シャドウの背中から翼が生えた。剣を跳ね除けて喉元を掴むと一気に浮上する。振りほどこうとしているようだ、柄頭で殴られるが意に介さず手ごろな高さで放すと、空いた指を鳴らした。
瞬間、虚空から浮き出るように現れた紫の剣がコウへ斬りかかった。まるで水晶のような輝きを放つそれを身をよじって躱すが、別の紫剣で背中を切りつけられる。落ちながら周囲を見渡すと、王都の空中を埋め尽くさんばかりに紫剣が切っ先を向けている。
今、王都中にシャドウの魔力が満ち満ちている。従来空気中では霧散する魔力でも、この空間内なら形も数も変幻自在。コウは正しく、シャドウの腹の中でじっくり消化待ちの獲物ということだ。
体をグンと伸ばして体制を整えるコウ。四方八方から迫る紫剣を、時に弾き、時に蹴り飛ばしていなすが、数が多すぎる。次第に流しきれずなり、遂に一列に並んだ紫剣の殴打を受け防御を砕かれてしまった。
体を大きく投げ出されたコウへ紫剣が殺到する。せめてと体を大きく縮め、胴への直撃だけは逸らそうと────。
────スライム製可変マント、展開します
『~~~~~っ!!!』
全身に紫剣が突き刺さる、その時。背中からせり出た突起から出現した黒い繭が切っ先をずらして空中分解させる。両腕を広げ繭を破るコウ、破られた黒いスライムは形を変え、蝙蝠を思わせる大きなマントへと変化した。
マントを翻し、地上すれすれを滑空するコウ。空を飛んでいるのか、状況に戸惑うが、背後から迫る破砕音に振り返った。シャドウは今だ翼を広げ、紫剣を連れ添って迫っている。どうしようか、と前へ向き直ると試験が日本、待ち構えていたかのように地面に突き刺さっている。激突する、コウは直感的にマントを傾けると剣の間を潜り抜ける。
────腰部アンカーワイヤー、使用可能です
腰の装飾をひねり、ぱしゅッと空気の噴く音が響く。近くで一番高い建物に刺さったワイヤーに引っ張られ、上空高く引き上げられる。釣られるように上昇する陰と紫の魔力。このまま逃げ続けることは不可能、マントを広げて上昇を抑えると、迫る魔力の波へ突撃した。
紫剣の壁を潜り抜けて、飛翔するシャドウと剣を叩きつけ合う。空中で火花が散り、二つの飛影は離れていく。肩から噴き出す血に仮面の下をしかめながらコウは旋回、再びシャドウへ向かい剣を交わす。今度は防げた、だが力で押し切られた体は回転しながら地に墜ちていく。回る視界に近づく黒へ足を振ると、剣に激突。運よく躱すことが出来たコウは地表近くでマントを広げた。
街の通りを右へ左へ曲がりながら、何とか紫剣を巻こうとするコウ。だが一向に減る気配のない魔力の塊たちは執拗にコウを追って街を切り裂いていく。このままでは街が壊れる上にいずれ追いつかれる、どうすればいいか思案するが、目の前に走った一つの煌きに慌てて身を翻した。バランスを崩したコウは街灯を数本薙ぎ倒し、紫剣たちはコウが飛ぶはずだった進路を通り過ぎていく。
『!?誰…』
完全な不意打ちだった。まさか仲間か、コウはすぐさま立ち上がる。アレクシアの時もアルファとその仲間たちが大勢いた、シャドウがいるなら彼女たちだっている筈だ。どれだけの人数がいるかは知らないが、シャドウで手一杯なのに対処しきれるだろうか?絶望感を振り払いながら、立ち上がろうとしている人影へ警戒した。
「さっきからドンパチやりまくって…街をぶっ壊してんじゃないわよ化物!」
『…え本当に誰?』
本気で知らない人だった。硬直するコウ、対して彼女は剣を構えたままこちらを睨んでいる。アレクシアでもここまで殺気に漲った眼はしない、目だけで人を殺せるのではなかろうか。
だが長い黒髪の彼女が来ているのは魔剣士学園のモノだ。間違いなくシャドウガーデンではない。だが同時に対処の難しい厄介な存在であることを認識した。この剣幕では話してどうにかなるとは考えられない。
「彼女に続け!」
「囲えばこっちのモノだ!」
『ちょ、違…』
彼女の行動に充てられたのか、周りの剣士達が次々に抜刀。コウを包囲すると各々剣をぶつけて来た。当たったところでどうということはない、だが妙に連携の取れた動きをしてくる上に、剣士達をあしらう合間に縫ってくる女剣士の一撃が妙に鋭い。鎧を着ていても受けたくない一撃に注意しつつ、剣士達を傷つけてはならないという状況にコウは歯噛みした。
うち一人の腕を掴んで、後ろに回し抑えこむ。人質を取ったと思ったのか、剣を構えたままこちらの出方を窺う剣士達、だがコウの目についたのは頭上、シャドウが翼を広げたままこちらを見下ろしているところだった。
シャドウが手を振り下ろすと紫剣が道に沿って突撃してくる。ここにいる剣士達ごと自分を斬る気か、コウは剣士を放した。
『ヤバい!』
剣士達をかき分けるようにいなすと、振り返りざまに両腰のアンカーを射出。剣士達をに巻き付けて拘束するが、やはりか、女剣士だけは潜り抜けてこちらに剣を突き立てて来た。今だ痛む腹に剣先を押し込まれ僅かに呻くが、もう紫剣が直ぐそこまで迫っている。止む負えない、コウは念じると彼女を剣ごと懐へ引き込み、マントを最大まで展開。両端を頭上で合わせると、紫剣を次々跳ね返した。
断続的に続く衝撃を押し堪え、攻撃が止むのを待つコウ。彼の腹に引き込まれた女剣士は、掴まれた剣を引き抜こうと腹を殴りつけた。
「何のつもり!?」
彼女からしたら、街を荒らす紅い化物に何故か庇われているのだ。いい気分じゃないだろうと呻きながら背中に意識を向けると、最後の一本が弾かれた。コウは抑えていた剣を放すと、殴られる衝撃のまま後退。アンカーを通りの建物に刺して跳躍した。
宙の紫剣を踏み台にシャドウの元まで一直線に駆け上がる。シャドウは待っていたとばかりに上段から剣を振り下ろし、コウは下段からの切り上げで迎え撃った。
「殊勝な男だな。自分に剣を向けた相手をわざわざ守るとは」
『別に、イイだろ!?』
鍔迫り合いの中漏らした言葉に苦言を呈するが、両者蹴り合って距離を取る。シャドウの側では紫剣が次々と生み出されてはコウを貫かんと射出されていく。今だ減らぬ、どころか増していく殺気の塊に対し、コウは三度マントを展開した。
紫剣を次々打ち払い、背後からの不意打ちを躱して逆に乗っかる。紫剣とシャドウの位置を確認しながら足場を破壊し、空へ投げ出される体を風に乗せる。大分滑空も慣れて来た、このまま飛び続けていれば少なくとも街への被害はない筈だ。あの女剣士の言葉を噛み締めながらコウはマントを感覚で傾けて紫剣同士がぶつかるように仕向けた。
背後で爆裂する魔力に押されて加速、八方から迫る紫剣を切り裂く、殴り飛ばす、蹴り砕く。空の大立ち回りを繰り広げるコウ、対してシャドウは残った紫剣を集めると、円状に繋げてフリスビーのように投げつけた。紫剣より大振り、それでいてより高速の
『こっ……のおおおおおぉぉぉぉぉ────!』
剣越しに迫る円輪を弾くと第二、第三の円輪を切り裂く。振り抜き様に体の向きを変え、弾いた最初の円輪へ剣を振るおうとするが円輪は突然ほどけてシャドウの剣と繋がる。二、三度シャドウの周りをのたうち回った蛇腹剣は空ぶったコウの背中を切り裂いて建物へ墜落させた。
『~~~~~っ…魔力ってこういうこともできるのか…』
起き上がり空を見上げる。魔力の有無、どうあがいても埋まらないアドバンテージを前にしても、だがコウは足を止めない。建物から建物へ、降り注ぐ魔力の塊を打ち返しながら飛び降りるとワイヤーを射出。地面にぶつかるギリギリまで伸ばしてから巻き取り、反動を活かして空へ飛び出した。
眼前には翼をはためかせながらこちらへ迫るシャドウ。バネが跳ねあがるように空中で剣を激突させシャドウを押し出すが、華麗に反転したシャドウに勢いをいなされ背中を晒してしまう。全身に蛇腹剣が巻き付く、ガリガリと鎧を走り、火花と共に脳をかき回しながら引き寄せられると、強烈な踵落としで地面へ叩き落とされた。
痛みと吐き気にあえぐコウ、だが体からほどけていく蛇腹剣を抱え込み、全身を錐揉み回転させてシャドウを引き寄せる。剣を放しシャドウの頭を抱え込むと最後のアンカーを射出。互いに巻き付けたまま地へ引き込むように落下していく。
地面をえぐり取りながら落ちた二人は少し離れた場所でバウンド、やがて留まる。遠くで何かが刺さるような落下音を耳にしながらも両者立ち上がった。
「窮鼠猫を噛む、か…」
『そうだな…でも』
「?」
『ここなら誰も関係ないから、好きなだけ魔力も剣も使えるだろ』
コウの指摘にシャドウは辺りを見渡す。一部崩壊しているが、ここはブシン祭会場。何時の間に戻ったのか、いや、戻したのだ。既に観客は避難を終え、騎士団たちも自分を追って外へ出ているはずだ。ここにはもうシャドウと、コウしかいない。確かに誰も関係なく被害は抑えられるだろう。
左の手甲が割れると、中から三並びの爪が展開される。爪を構えるコウ、シャドウはふうと剣を崩すとバールに変えた。
「良いだろう…お前の全てを曝け出せ!」
────腕部鉄爪、起動
この男のたくらみが何処にあるか、だが敢えて乗る決断をした。例え何を企んでいようと、全て利用してねじ伏せるまで。
開幕は両者のストレートパンチ。ノックバックからすかさず細かなジャブに切り替えて、互いの一撃をいなしていく。拳と爪、リーチの異なる波状攻撃を叩き落としながら、バールを鎧に引っ掛けて攻撃を打ち込む。曲がった部位で殴れば幾ら硬かろうが相手は仰け反るし、トンファーのように持てば爪も防げる。やはりバールには無限の可能性がある。
足を蹴り払い、浮かんだ体を殴り飛ばす。吹き飛ばされた上体が外周に激突する。地面にずり落ちる間もなく距離を詰めたシャドウは引っ掛けた頭を外周に押し付けて走り出した。ガリガリと客席が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。だがシャドウはまるで意に介すことなく手を放そうとするが、途中で壁を蹴ったコウが反転して背後を取った。
振り向くこと無く爪を防ぎ、バールで引っ掛けて腕を固めようとするが腕を引かれて引き込まれる。この瞬間膝を打ち込んでやるも、彼もまた拳を打ち込み距離が開く。だが再び腕を引き頭上を回って腕を固めに行くが、コウもまた固められないように立ち回りパンチを絶えぬよう打ってくる。
とことん洗練されたシャドウの在り方と相反する、我武者羅に拳を打ってくる戦闘スタイル。余りにも真っ直ぐな在り様で、防ぐなど容易だ。だが、何故だ?何故、こうも心を震わせる?
「貴様を倒すことに意義はない…我らは我らの敵を屠るのみ」
突き出された爪をバールごと打ち砕いて一撃が胸装甲を貫く。距離を取ろうと振り下ろされた腕を掴んで、肘を思い切り逆方向へ捻じ曲げる。片腕が使えなくなったコウは蹴りを入れようとするが、膝もまた叩き折られる。片手片足が使えなくなり蹲るコウの首に腕を回したシャドウは思い切り胸元まで引き上げた。
「真の敵を見誤るな…さもなくばお前に待つのは────」
囁くように語りかけながら首を絞める。藻掻くコウに意を介さず圧をかけ続け、やがて力が弱まってきたのを感じ取ると、振り返らせて指を胸に当てた。ピンと整列した指先に流れる血管に至るまで張り巡らした魔力、それを握りつぶすように拳を突き出した。
「────滅びのみだ!」
空気が揺れ、騎士の背後で会場が消し飛ぶ。僅かに後ずさったコウの体が、糸の切れた人形のように崩れ落ちる。防御とは無関係に打ち込まれた魔力の波動は感覚に直接作用し意識を刈り取った。臓器も一部機能不全かもしれないが、最早立つことは無いとシャドウは踵を返した時、腕が何かに引かれた。
まさか、振り返って下を向くと外套の裾を掴まれている。余りの気持ち悪さに振り払おうとするが、引っ張った勢いで逆に手首を掴まれる。
『解っ、てる…お前らは、正しいことを…していると思う』
よもや残っているはずのない気力だけで首を持ち上げながら騎士がこちらを見た。割れたバイザーの奥から覗く瞳は済んだ緑色に輝いている、バイザーの中に施された甲冑の装飾のハズだが、何処か力強くこちらを見ているように思えた。
『それで悪い奴がいなくなるなら、それは…いいことだっ。でも、お前らの、正しさで…泣く人がいる…苦しむ人がいる』
「それが世の理だ。この世は弱肉強食。陰に潜み、陰を狩らねば、陰に喰われるのみ」
『お前らが死ねって言うなら云万回でも死んでやる…俺は悪い奴らしいからな…それでも!』
掴んだ手を放し、拳を振るう。力強さも精細さもないパンチだ、首をわずかに傾けて胴に撃ち込む。先と同じ魔力を乗せた一撃が直線状の建造物を薙ぐ。しかし眼光から闘志は消えず、全身から揺れるように燃え立つ魔力の揺らめきは決して消えない。理解できないと首を力無く振ると、もう一撃とフックを打ち込んだ。
ガクリ、震える膝がくず折れて倒れ込む。果たして偶然か狙ったのか、当たるはずだったシャドウの一撃は頬を逸れ、半ば反射で上がっていたコウの手に真紅の魔力が籠る。
魔力は四肢から最小限に、懐に入れば力も技術も要らない────。
『お前が誰かを傷つけるなら、泣かせるなら!遊びじゃない!誰でも何でも、俺が戦う!』
コウのストレートが胸板に刺さる。一直線に、何の小細工なしに放たれた一撃に、シャドウはようやく身を仰け反らせた。
今度こそ頽れるコウ。その視線はシャドウを映して離さない。シャドウは殴られた胸に手を当てたまま固まっていたが、しばらくしてだらりと腕を降ろした。
「いいだろう…!」
底冷えするほどの低音でつぶやいたシャドウはおもむろに人差し指を立てる。絶対者の如く指先を下へ向けると、ぷっくりと膨れた雫を一滴切り離して足元に落とした。
同時にシャドウは浮遊する、翼もなしに、ただ両手を広げて天を仰ぐように。攻撃してこないことに疑問を持つコウは治りきっていない肘と膝を叩いた。激痛と共に骨があるべき場所へ嵌まった感覚を感じ取る、だがこの間もシャドウは攻撃してこない。その気になればトドメなど容易い筈だし、何より遊びではないと言った。まるで聖教者のように神を仰ぐような姿、まるで祝福が訪れるのを待ち構えているようだ。
待ち構えている、いや、待っている?
『…!』
瞬間、突如として空いた大穴がブシン祭会場を飲み込み始めた。フィールドが、観客席が、極光を放つ大穴の中に飲み込まれていく。嘗て多くの魔剣士達がしのぎを削った会場は、ものの数秒で姿を消した。
核を込めたスライムスーツを雫ほどの大きさで切り離して、時間差で圧縮された魔力を放出する。嘗て王都で放った最初の奥義に比べれば範囲こそ狭い、きっかりブシン祭会場の外周までに破壊は留まり、周辺への衝撃もない。目算で数秒しか雫の中に推定核を抑えられないらしいが、初めてにしてはよくやったんじゃないだろうか?
だが陰の実力者は動かない。核に挑むための奥義を一直線に受けたのだ、アレで生きているはずがない、良くてミンチだ。そう訴えかける理性を上塗りする様に胸から湧く熱が、まだ去るべきではないと告げている。
そして期待が現実になる瞬間を目に、シャドウは吐息を漏らした。
大穴の奥、不自然に盛り上がった瓦礫の中から奴は出て来た。全身は黒く焦げ、動くたびに節々から血が噴き出し、剣や爪は総て半ば折れたまま。それでも両足を地に着け、両拳を握り、血に濡れた目でこちらをまっすぐと見つめている。
「いいだろう…!」
飛翔する。もう誰にも追いつけないほどの速度で雲を吹き飛ばし天まで上り詰めると、都を一望できる場所で制止。出現させた剣を起点に魔力回路を走らせた。
「仰ぎ見よ!知るがいい…地を砕き、天を穿つ、我が至高にして究極たる、最強無比の一撃を!」
宣言、王都を包む魔力のフィールドが縮小していく。切っ先に集まっていく魔力は輝きを増し、最早もう一つの太陽として輝きを増していく。正真正銘、究極至高で最強無比、空色さえ手の上で弄べる最後の一撃だ。
ふたつの輝きを前にコウは膝をつく。割れた兜から滝のように血を吐き、喉奥に詰まったものをひねり出した。びちゃびちゃと撥ねる肉塊、恐らく臓器がいくつかやられているのだろう。本当に人としての原形を留めているのが奇跡だ。
『絶対止めてやる…!』
折れた剣先から“炎”が溢れ出す。節操もなく折れた先から洩れていくソレ、だがコウはその様子を見つめると両腕で柄を握りなおした。無駄に放出された熱気は徐々に収束し、刀身の幅とさほど変わらない太さまで収束していく。先のクロスカウンターで垣間見た革新、無自覚だが彼は見えない入り口を手探りでこじ開けようとしている。
だがそれでも、まだ足りない。あの一撃を迎え撃つには街灯の篝火にさえ劣る。何か足りない、この研ぎ澄まされた熱を届けるためには────
「コウゥ────!」
振ってきた声に騎士が顔を上げる。見ると金色鎧の男が彼に手を振っていた。金色鎧は手にした大剣を振りかぶると、思い切り投げ渡した。
窮地に駆け付ける仲間。だが現実はそこまで悠長ではない、今だ会場の穴はギリギリ陰の世界だ。現れる紫剣、行く先は丁度穴の中。大剣を受け取った騎士の体を打ち砕こうと迫り…
────武装認証、開始。
────材質、全長、重量…完了。
────接触式魔力回路転写、開始。これより再構築、開始。…完了。
旋回、黄金の壁が剣を弾く。即席の盾に紅い閃光が混じり、やがて回転を止めた時、手にしていたソレは形を変えていた。
金と赤、二色の竜が背中合わせに絡み合い、天に昇る様を描いた対戦略兵器用即席武装。
それは核を切るための剣。陰の実力者の奥義を受け、学び、青年の強い願いに応えた破陰の一振り。
慣らしに一閃、振り切ったコウは斬核刀を構えると走り出す。機関車に並ぶ速さで助走をつけ穴の端で跳躍、シャドウに迫ろうとするが高さが足りない。放物線を描きながら落ちていくコウ、だが落下先には既に三つの猛者たちが。
「舎弟────!来いッ!」
『舎弟じゃねぇ────ッ!』
ゴルドーが抱えるように両手を組んで、アンネローゼとグレンがそれを支える。普段の彼なら不格好としない動き、だが剣を貸し与えた以上、ゴルドーは舎弟(仮)の晴れ舞台を着飾ってやらねばならない。
着手、同時に陥没。両腕が取れそうな重量に三者三様に悶える。だがここで屈するな、大地を踏め、腰を据えろ、歯を食いしばれ。ありったけ魔力も気力も込めて腕を振り上げるのだ。
お前達の腕から飛び立とうとしているのは、希望への一太刀である。
「「「行っ…………けえええええぇぇぇぇぇ────!!!」」」
気合根性、鎧王飛翔。一瞬遅れて、空気を揺らすような轟音と共に圧縮された魔力が爆ぜる。音を裂き、鳥を追い抜き、天と地を縮めんばかりに加速したコウは、シャドウの懐へ迫る。
だが、逆転の演出には少し“貯め”過ぎた。
既に魔力収束は終わっている。核をその手にする術は一滴の核から学習済み。街一つ分ともなれば雫と言えずとも鉄球位にまで圧縮は可能だ。それを浮遊させることも、表面でバカデカい剣をいなすことも。
魔力球を滑り、シャドウの遥か頭上へ逸らされるコウ。だが空中で即座に反転、太陽を背に勢いを殺すと、自由落下に剣圧を掛けた。小細工なしの大上段、まさに降り注ぐ真紅の流星。迎え撃つは遠く離れたかの地より再現された人類科学の叡智。
瞬間、
二度、間隔を置かず奥義を使ったのは今回が初めてだ。最初こそ立て続く連戦に食あたり気味だったが、中々予想以上のモノを魅せられ少し気分が高ぶったのだろう。だが魔力の良い実戦勉強になった、と奥義を二度も使ったことへの反省とした。
核の光が今だ空を覆い、世界は色を取り戻せていない。
しかし光の中に黒点が一つ。それは徐々に大きくなり、回転しながらこちらに迫ってくる。
シャドウは一つ、失念していた。嘗て煉獄騎士を生み出した
闇の制裁者と対を成す赤いマントの男ー然り。
遠い銀河の彼方からやって来た光の宇宙人然り。
五色の力を束ねる無敵のチーム然り。
悪から生まれた同族殺しの咎を背負う仮面の怪人然り。
愛と平和のために戦うその存在は…
「そうか」
それは光に背を向け、陰を追い求める以外の生き方を捨てた男唯一の失策であり、微睡みの中で彼の者が見続けた光がもたらす
だからこそ。
「お前が…────の」
『おおおおおぁぁぁぁぁ────!!!」
その胸に一振りの剣が突き立てられるのだ。
「────────────見事だ」
それは純粋に漏れ出た賞賛だった。
長い苦心と研鑽の末に編み出した戦略兵器に対抗するための切り札を、高速旋回による捨て身の突撃戦法で何とかしてしまったのだから、本当に驚かされた。ただの1エピソードのサブキャラかと思っていたが、シドの中で密かな格上げがされていく。
何より打ち付け合った剣から伝わる思いがシャドウを、影野実を震わせる。
もうあの日の、一度も剣を交えずに負けた端役は、もういない。
ただ見世物の光に膝を折ったあの女とも、ブシン祭の引き立て役たちとも違う。
彼は、彼こそ自分に足りなかったものを持つ男。陰を深める“光”。誰もが一度は焦がれ、時と共に劣化する思いの体現者。だが肉体が衰えようとも心が萎れても、必ず心の中で永遠に残り続ける存在。
即ち────。
「しかと見届けた、お前は強い」
「いや、俺は弱い」
鎧砕かれながらもシャドウの胸へ切っ先が食い込むのと、防衛本能に反応したスライムスーツがコウを八つ裂くのは同時。
「お前がどこへ向かうか、興味が湧いた」
「でも、またお前がアイリスを、誰かを泣かせに来るなら容赦しない」
「何時でも来い、暴竜の騎士よ。この最果ての向こうで待っている」
「来るなら来い。俺は────アイリスの騎士だ」
その言葉を最後に、青年は地に墜ちた。
剣を抜き、シャドウは胸を摩る。彼の付けた傷は地面に激突するまでの間で治癒する。他の殴打の傷も蚊に刺されたほどの腫れしか残らないだろう。だが不思議と、この傷を治癒しようと体は動かなかった。
外套を翻す。フードに隠した少年のような万感の笑みを悟られることなく、陰の実力者は青天の彼方へ去った。
遠ざかるシャドウが何処か絵空事のように思える。落ちる体も、流れる血も、全身の傷が訴える痛みさえも。このまま落ちたら流石に死ぬのだろうな、とぼんやりと考えながら、思い浮かぶのは一人。
(アイリス…大丈夫かな?)
ぶってでも自分を関わらせないようにしたのだ、きっと怒っているだろうし、心配もしているのだろう。会ったらちゃんと謝らないとな、と考える頭が地面に激突する、その直前体がふわりと浮いた。
「…っ?」
血に濡れた視界が塞がる。何だろう、と金臭さでイカれた鼻がかぎ取った匂いに安心感を得る。次いで聞こえた割れる音の後、開けた光の中に彼女が見えた。
「コウ!?コウ!しっかりしなさい!誰か、医療班を早く!」
「あ、ぃ…いっ」
「喋らないで、じっとしていなさい!」
名前を呼ぶのもおぼつかないコウの傷を抑えるアイリス。自分だって怪我をしているはずなのに、彼女の後ろで割れた窓を眺めながらコウは力なく笑いかけた。
「ごめ、ん…負けちゃっ……た」
「違う、負けてない…貴方は、ッ、ちゃんとシャドウと闘えていた!」
「でも…まだ、弱いから…さ」
「弱くないから…貴方は、十分強いから!だからっ…もう…これ以上…っ…!」
ポロポロと涙をこぼし、言葉が続かなくなる。縋るように嗚咽を漏らすアイリスをみて申し訳なくなった。結局彼女を守れていない、これではシャドウはおろか、アルファや教団にも勝てないだろう。
グレンは心配するだろう、アレクシアは姉を泣かせたと責めるだろう。だから咎めをちゃんと受けよう、叱りもしっかりと聞こう。それが全部終わったら、ちゃんと謝ろう。
この未知の世界で最初に自分を向き合ってくれた、大好きな貴女に。
────じゃあさ、ししょー…約束!大きくなったら、ししょーのゆめ叶える!
────馬鹿言うなよ…俺のことはいいから、コウは自分の事を
────俺がやりたいの!俺はそーゆー人間になる!
────大変だぞ?善だの悪だの、損得とか妙なしがらみばっかり付いて回るし…
────うん。でもゆめが叶ったら、ししょーのゆめは悪いゆめじゃなくなるでしょ?ししょーがうれしいことなら、俺もうれしい!
────────じゃあ、託そうかな?俺の夢
託された夢を叶えるために。自分を思う人たちを守るために。
「強く…なりたい…」
貴女の涙を止めること。それが彼の最初の戦い。
この惨敗より、叙事詩は幕開けとなる。
世界の片隅の国、ミドガル王国。
今この世界に、世界を破滅させんとする者たちの魔の手が迫っている。
これは陰に潜み、陰を狩る者たちの物語。
そして陰から生まれた
「随分とやんちゃをするなリズ。全く…おちおち寝てもいらんねぇなぁ」
この世界の何処か。蝋燭に照らされた薄暗い場所で、全身白ずくめのフードの男は煤けた本を閉じた。手を放すと本は上へと昇って行き、ボトリと頭上の壁へぶつかる。その本を拾い上げたのは男と上下逆さに立つ藍色のロングコートだった。
「鉄血騎士が残した
「これで少しは手間が省ける…か。いないと思ったらこいつを回収していたのか」
「まさかそんな日記が残っていたとはねぇ」
「白々しい、お前が残したんだろう?」
頭上から降り注ぐ凄まじい殺気、白ずくめの男はそれを見上げながら意に介さない。
「何でそんなことをするのさぁ」
「惚けるな。バーネット嬢と煉獄騎士のことを第一王女に教え、動揺させた所を徐々に教団へ引き込む…大方そういうシナリオだったんだろう。陰険なやり口だ」
「だとしたら脚本家は相当意地が悪いなぁ。
「あくまでもシラを切るか」
「シラも何も、ホントに知らなかったんだぜぇ?あの男マメだったんだな」
「安心しろ。お前に、嘘と張ったりと騙し討ち以外期待は無い」
「俺もお前の生真面目さと腕以外期待してないから、俺達お似合いだなぁ」
ワザとらしく肩をすくめて見せるが、ふと何かに気づくと笑みを消して跳躍した。しかし体は足元を離れて延々と上昇し続け、あわや天井に激突するところで反転、重力に逆らうように減速して、ゆっくりと地面へ着地した。
跪くように動かない白ずくめの男の隣で、ロングコートの男が真似るようにしゃがみ込む。二人の前には何時から其処に置かれていたのか、不気味な様相をした悪魔の置物がその眼を輝かせていた。
「魔人の子たちに告ぐ」
限界まで見開いた目が輝き、こめかみまで裂けた口からしわがれた声が響く。
「ディアボロスの意思に反する者…シャドウガーデンと煉獄騎士を始末する為、残された遺産を総て回収せよ」
短く、そう締めくくったら最後。置物は全身を罅割れさせ、跡形もなく破裂した。二人は立ち上がると部屋の扉を開け、月明り輝く夜空の下歩き出した。
「そして向かうは紅月輝く無法地帯、末代まで語り継ぐ…饗宴が始まる、とさ?」
「さっきから誰に語っている?」
「紡がれない物語程、虚しいものはないだろう?」
「聞く奴などいるまいに…」
「オイオイいい加減に泣いちゃうぜ?」
「この俺に、容赦は無い」
再び浮かべた薄ら笑いに嘆息する。ロングコートの男は何処からともなくランスを取り出すと、護拳を周回する様についたリングを回す。それに倣い白ずくめの男は鉄仮面を取り出すと、自身の顔に着けた。
その日、一つの歴史ある古城が消えた。
なお近くを通り過ぎた盗賊崩れの証言によれば、城の周りを蜘蛛と魚の怪物が浮遊していたという。
『
『
陰の実力者が降臨する世界で、夢の残骸たちが動き出す────。
煉獄騎士インフェルノのイメージ、どれが合いますか?
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ナンバー①
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ナンバー④
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