シービーがいっぱいコレクション   作:タマホー

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自由なウマ娘はトレーナーと距離を感じている

 最近トレーナーの様子がおかしい気がする。例えばこれは校門前で会った時の話。

 

「これから散歩か?」

「今回は河川敷の方をブラブラしてくるよ」

「そう言っていつの間にか山に登ってたりするからなぁ。気をつけてな」

 

 これがルドルフやマルゼンスキー、エースが相手なら普通の会話で終わる。だけど、いつものトレーナーなら「ついて行っていいか?」と聞いてくるはずだ。

 

 考えてみれば、契約してかれこれ三年も経っている。トレーナーにしてみれば散歩に付き合わなくても、充分アタシの価値観や態度は理解できたということなのかもしれない。元々の生活に戻ったと言うべきなんだろうけど、話相手がいなくなった違和感は存在以上にアタシの後ろをつきまとってくる。

 

 面白いものを見つけた時。昔のアタシなら、いちいち振り返ることはなかったんだなと少し驚く。そこに叩く肩がないと、行き場を失った手をプラプラと揺らすしかない。

 

 改めて、随分長い間、アタシはトレーナーと一緒に散歩をしていたんだと思わせられるよ。

 

 それともう一つ。トレーナーがいなくなった代わりに少し奇妙なことが起きている。アタシのファンだというトレセン学園の生徒からの贈り物が、結構心をくすぐる物になってきたんだ。

 

 というよりアタシが気に入った物そのものをくれるようになった。気持ちに応えられないからと断っているアタシも、そうなると、つい受け取ってしまう。お陰様で一人暮らしのお財布は潤っているけど、少し不気味だね。

 

 他にも散歩中に「シービー先輩」とよく声をかけられるようになった。今までトレーナー以外の知り合いに出会うことはほとんどなかったので、これもまた驚いたことだ。アタシが面白いと感じるものが世の中にも浸透してきたのなら、嬉しい反面、どこへ行っても誰かにいられることになるので少し嫌気は差してるかな。

 

 ……そうか。もしかしたらトレーナーは、他のウマ娘と同じようになったアタシの行動が簡単に読めるようになったのかな?

 

 もうアタシの散歩に付き合わなくても良いとか、そんな感じでついてこなくなったのかもしれない。そうだとなると、少し……ううん、結構寂しいかな。

 

 

1

 お気に入りの静かなカフェで一刻を過ごした後、なんとなくトレセン学園の方へと歩みを進める。外周を走っている子に軽く手を振りつつ、河川敷の方へと向かおうかなと悩んでいると、正面から荷物を抱えたトレーナーがやってきた。

 

 アタシを自由だと人は言うけれど、トレーナーだってかなりラフな方だ。草臥れたワイシャツに色褪せたズボンがお気に入り。雨が降っても傘を差さず、代わりに長いタオルを持ち歩いているような男だもの。

 

 人付き合いは悪そうだけど、それは見た目だけ。出走前、急に気分が乗らなくなって勝負服を脱ごうとしたら、トレーナーは「じゃあ俺が走ってくるかな」とアタシのハットをちょこんと自分の頭に乗せたりするお茶目なところもある。

 

 それがよく似合ってた。ひとしきり笑ったアタシが落ち着くと、彼はそのまま出走する子たちの走りの特徴やレースの展開予想を伝えてくれた。

 

 するとどうだろう。楽しそうな未来を聞いているうちに、萎えていたアタシの勝負心がくすぐられてくる。脚がウズウズしてきたところで、トレーナーはハットをクルリと回してアタシに差し出してくれる。そんな見事な紳士ぶりに乗せられていることすら心地良くて、失ったやる気が蘇ったのは初めての経験だった。

 

 ノリも良くて会話も弾む。けれど掴みどころがないとよく言われるらしい。トレーナーという仕事は横や縦の情報交換が大事だからと、それなりに苦労してるとか。

 

 でもまあ、そもそもアタシとトレーナーの出会いからして変わってるよね。雨飛沫に誘われて、グラウンドを一人で走ってるうちに併走したくなって。観客席にポツンと人影が見えたから喜んで駆け寄ったら、ずぶ濡れの男がこっちを見ていたのだから。

 

「良い天気だな。まさに散歩日和だ」

 

 まさにそんな感じで、アタシの走りを見ていたんだもの。そんなトレーナー、面白くないわけがないよね。

 

「トレーナーはすごい荷物だね」

 

 大きな袋が二つ、そっと引き上げられる。ヒトにとってはかなり苦労しそうだ。

 

「ちょっと野暮用で」

「運ぶの手伝ってあげるよ」

「大丈夫。シービーの散歩の邪魔はしたくないよ」

「ふーん」

 

 取り立てて普通の会話だ。でも社交辞令にしか見えない笑顔でそう言われると「もうアタシとの散歩はつまらない」と言われたような気がして、なぜか強い不快感を抱いてしまった。

 

「邪魔、か」

 

 だから自分でも驚くくらい、剣呑な声が出た。トレーナーは面食らったように私を見つめたまま動かないし、無言が耐えられなくなって何か冗談でも言おうかと思った、その時だ。

 

 学園の敷地内から、数人のウマ娘がトレーナーを目指して走ってきた。フジキセキの言葉を借りるならまだまだ可愛いポニーちゃんと言ったところかな。

 

「トレーナーさん、遅いですよー!」

「みんな一通りのメニュー終えました! 次の指示を……って」

 

 臙脂色のジャージ姿のウマ娘たちは、ずいぶんと小さい。おそらくデビュー前の子たちなんだろう、トレーナーから荷物を奪った気の利く子がアタシを見て、ニコニコしていた表情を驚きのものへと変えていく。

 

「わぁ?! シ、シービーさんだぁ!?」

「ど、どうしてここに?!」

 

 若いウマ娘がたくさん。これで何もないはずもなく……なんて、声の大きい二人に軽く手を振りつつ、アタシはトレーナーにニヤリと笑いかける。

 

「へえ〜、そういうこと」

 

 アタシはキャリア3年目を終えて、トゥインクルシリーズを一通り走ったウマ娘で、三冠に加えて天皇賞秋を勝った。世間からスターウマ娘と見られているように、トレーナーもきっと普通の評価は下されない。その名前は売れているだろうし、つまり目星のウマ娘を見つけてチーム作りをするには絶好のタイミングってこと。

 

「いやこれには……説明させてくれ」

「説明いらないでしょ。というか、別に悪いことじゃないんだし」

 

 アタシがレースで自由であるように、トレーナーが自分だけのチームを作りたいと思うことは自由。そうか、この人はデビュー前のウマ娘が三冠という夢を預けたいと思われるような存在なったんだね。

 

 何だか鼻が高くなったような気がしないでもないかも。

 

「しかし全く気づかなかったな。よっ、人気トレーナー!」

「待ってくれ、キミは勘違いを……」

 

 でも気になることがある。トレーナーのチーム作りに興味はないけれど、元々担当しているアタシはこれからどんな扱いになるんだろう。トレーナーがチームを作って、担当していたウマ娘がお払い箱になったという話は聞いたことがない。普通に考えたら、チームの主軸として活動するのかもしれない。

 

 アタシが集団行動に向いてないことはトレーナーもわかってくれてるはずだけどな。

 

「トレーナー、アタシのトレーニングとか出走手続きとかは、これからもしてくれてるの?」

「当たり前だろ。いや、というか……」

「そっか。なら安心した」

 

 胸の支えがとれたアタシはその場を去ろうとした。でも何にもないところを躓いてしまい、それを彼の教え子となる二人が支えてくれた。

 

「おっとと、ごめんね、ありがとう」

「あ、あの!!」

「ん、何?」

 

「「よかったらシービーさんも走りを教えてくれませんか?!」」

 

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。けど、デビュー前の子たちが現役のアタシに憧れるのは当然か。

 

「うーん、今は気分じゃないや。走りたい時なら喜んで併走するんだけどね……」

「シービー」

「もちろんトレーナーからのお願いでも断るけど?」

「いや、そうじゃなくて……」

 

 トレーナーは頭を掻き、観念したようにため息をついた。

 

「実はこの子たちの他にあと20人ぐらい、グラウンドで練習しているんだ」

 

 耳を疑う言葉にアタシはつい、後輩たちの肩を強く掴んでしまった。

 

「ひゃう?!」

「シ、シービーさぁん……!」

 

 なんだか艶やかな声が聞こえたけど、そんなことに反応はできない。

 

 20人?

 いくらなんでも多過ぎない?

 

「この子たちはみんな、シービーに憧れてる。キミのような走りを、担当の俺に欲しいって言って来たんだよ」

 

2

「……嘘でしょ?」

 

 幼いウマ娘に手を取られ、たどり着いたグラウンドには、確かにウマ娘が2列になってコースを走っていた。アタシの姿を確認すると、最前列から連なるように脚が止まっていき、やがて勢いよく走ってきた。

 

「「シービー先輩〜!!」」

 

「おお。これだけ揃うと壮観だね。まさか本当だとは思わなかったよ」

 

 苦笑いをしているトレーナーから歩きながら聞き出した内容は、つまり、こういう事だった。数週間前、トレセン学園にミスターシービーがいっぱい現れた。気分でもないのに「ミスターシービーがしたことがあるから」と雨の中を走ってみせたり、忘れてたわけでもないのに「ミスターシービーが怒られてたから」と課題をしなかったり、アタシの真似をする子たちだ。

 

 シチーが止めた方が良いと言ってくれたけど、アタシに何か害があるわけでも……まあ課題の件は「学生は先生に迷惑かけるものである」から置いとくとして、ともかく他人に迷惑をかけているわけではないのだから自由にさせておいたんだ。

 

 当然だけど、アタシの真似なんて辞めた方が良いに決まってるよね。気分でもないのに雨の中を走りまわれば誰だって体調を崩すし、課題をしていないと補習や追加の課題が出されるわけで自分のために使える時間は減っていっちゃう。側から見てると面白かったブームはすぐに止んで、1人また1人と、アタシの真似をする子は少なくなっていった。

 

 でも気付かないうちにそのブームが再燃していたみたいだ。きっかけはルドルフやエースと争った有馬記念で、今度はアタシの走りに憧れを抱いたんだとか。

 

 そしてこの子たちは1回目のブームの時、トレーナーが「シービーの走りを真似したくはないのかな」と呟いていたのを目敏く覚えていた。この世界で1番アタシの走りを知っているのは確かに担当トレーナーなわけで、つい1週間前の帰宅途中、彼は20人近いウマ娘に囲まれてトレーニングをつけて欲しいと迫られたんだって。

 

「それじゃ、アタシはここで見てるからみんな頑張ってね」

「「はい! それじゃ……シービーさんー!! さいこ! さいこ!」」

「はは、何あの掛け声」

 

 興奮していたみんなと軽く戯れた後。休日解放されているグラウンドには強豪チームよろしくウマ娘たちがインディアンランニングで末脚を鍛えている姿がある。ラチの内側で指示を飛ばしているトレーナーを見つめながら、アタシは彼の付き合いが悪くなった理由がようやく腑に落ちていた。

 

 最近散歩についてこなかったのは、この子たちの面倒を見てたからだった。こんな性格でも無意識のうちにも将来に不安を覚えていたみたいで、宙に浮いているようだったアタシの脚もだいぶ強張りが和らいでいる。

 

「しかしトレーナーも人が良いね」

「自分の脚質に合わなくても、追込の走り方を感じておくことは今後の財産になるからな。前回のシービー祭よりは遥かに意味があることに思えたら、どうしても断り切れなくて」

「へー……本当は?」

「知ってるか? 本気で迫ってくるウマ娘って……めちゃくちゃ怖いんだぞ」

 

 暗がりに外灯は一つ。息を荒げたウマ娘たち。生々しい描写は相当なトラウマの証で、臙脂色のジャージでなければ失神していただろうとは本人談。ほとんど強制的に教官の講習のようであれば時間を作ると約束させられたみたい。

 

「あはは、そりゃそうだ」

 

 うん。実にトレーナーらしい言い分に納得できる。でも改めて冷静になると、彼女たちがアタシの走りに憧れているだけではないことがわかってきてしまった。走りに集中せず、すれ違う度にアタシを見てくる子しかいない。トレーナーも気づいているらしく「これは……」と少しショックを受けているようだった。

 

「あらら、どうやらアタシはお邪魔みたいだね」

「さっきまでみんな真面目に走ってたんだが……もしもチームを作る時には、シービーに憧れて入ってくる子には注意しないといけないな。良い勉強になったよ」

「その勉強のついでにアタシが好きな物も教えてる、と」

「へ?」

 

 彼が買ってきた袋の中身を軽く漁ってみる。

 

「どれもこれもアタシが散歩中に見つけたお菓子だらけだね」

「あー……いや……それは、シービーが食べ物でどんな調整してるか説明してたら、お菓子とかも拘りあるんですかって聞かれて……みんな真剣だったから、答えないわけにもいかなかった。今日も実際に食べてみたいとせがまれてな……」

 

 ま、そんなことだろうと思った。

 

「アタシが散歩で行きそうな場所も喋ったでしょ」

「それは喋ってないよ! あの子たちならウロつきかねないだろう?」

「なら、トレーナーがよく行く場所は?」

 

 トレーナーの顔が青ざめていく。これもこんなことだろうと思ったよ。

 

「しゃ、喋ったというか……俺が休日にリラックスしてる場所は、聞かれた……けど」

「それさ、アタシのお気に入りの場所とは違うわけ?」

「……えっと」

「違うの?」

「……一緒、です」

「最近、アタシの行く先々でトレセン学園の生徒が待ち構えてるのは知ってた?」

「……知らなかった。本当にごめん」

「やっぱり全部トレーナーのせいだったんだね。トレーナーが勝手にアレコレ喋ったんだ」

「申し訳ありませんでした」

「アタシから散歩の自由を奪ったんだからね。許さないよ」

「……そもそも担当であるシービーに相談しなかったのがマズかったな。キミなら彼女たちが俺に近づいてきた理由に気づけただろうから」

 

 でも、とトレーナーは肩を下ろす。

 

「言い訳をさせてもらうと、みんなにシービーみたいに走りたいって言われて、嬉しかったんだ。柄にもなく、はしゃいだというか……彼女たちに盲目になってた。こんなだからシービーにも迷惑かけたんだろうな」

「迷惑?」

「ほらシービーのことが知りたくて散歩について行って、最近ではなし崩し的にずっと続けてきただろ?」

「毎回ついていっていいか聞かれても、そんなの今更な感じだよ」

 

 距離を感じていた謎は解決したけど。邪魔とか迷惑とか、トレーナーがこんなことを言い始めるようになった理由は分からない。また新しい謎が増えてしまった。

 

 けど。

 

「トレーナー」

「ん?」

 

 どう考えてもあの子たちが関わってるような気がした。

 

「もしかしてあの子たちに何か言われたの?」

 

 目が泳いだ。表情にも確かな狼狽が見えたので、どうやら当たりみたい。

 

「アタリ?」

「……なるほどと思わせられただけで、何か言われたってほどじゃないよ」

「だったらそれを教えてよ」

 

 トレーナーは呻き声を上げる。ジッと見つめているとやがて彼は耐えられなくなったように口を開けた。

 

「……俺がいることで、シービーが行きたい場所に行けないんじゃないかって言われたんだ」

「何、それ? トレーナーがいようがいまいが、アタシが行きたい場所は関係ない」

「思い切り走りたい時に、俺がいたら走れないとか……」

「走りたくなった時、アタシがトレーナーのことなんて気にすると思う?」

「そういえば実際、何度か置いてかれたっけかな……」

「そうだよ。そして最後には満足したアタシにトレーナーは追いついた。何の問題もなかった」

「他にも、俺が邪魔になることがあるかもしれない。男がいると入り辛い場所とかあるだろ?」

「そんな場所ある?」

「化粧品売り場とか……下着売り場……とか?」

 

 思わず口が開きっぱなしになってしまった。

 

「は? もう一回言って?」

「だから……下着売り場とか、あんまり男が入るべき場所じゃないとこだよ」

 

 何でそんなことを心配されるのか、まったくもって理解できなかった。

 だけど、トレーナーがそんなところにまで付き合っている姿を想像してみて、

 

「ぷっ」

 

 笑わずにはいられなかった。いつも飄々としてるトレーナーがそんな心配してること自体が面白すぎるよ。彼としては真剣に悩んでいたみたいで、アタシを睨みつけてきているけど、それがまた良い笑いのスパイスになってしまう。

 

「わ、笑うことないだろ。言われてみて、改めて俺はシービーに付き纏い過ぎだと思ったし、キミの時間を奪っているかなと反省してるんだ」

「あー、面白すぎるね。やっぱりアタシのトレーナーはこうでないと!」

「ちゃんと聞いてる?」

「なんだっけ……トレーナーがアタシと下着売り場に行きたいって話だっけ?」

「全然違うけど?!!!」

 

 本気のツッコミにまた一笑いさせてもらう。バツが悪そうにアタシを見ている姿もアタシには絶賛好評中だ。

 

「でもまあ、アタシも同じだ。そう言われると、この3年間トレーナーに付き纏われていたんだって再認識した」

「だろう? 今後は気をつけるからさ」

「そう? ならそうしてよね……けど、それにしても」

 

 立ち尽くしていたトレーナーに上着を預ける。それから備品を漁り、蹄鉄に履き替えた。

 

「シービー?」

 

 何か言いたげなトレーナーを視線で制する。ラチを飛び越えると、ちょうどファンの子たちがやってきた。

 

「みんな集合!」

 

 追込に慣れているアタシはあんまり気にならないけど、このインディアンランニングというトレーニングはかなりキツいみたい。みんなの息が整うのを待って、アタシは両手を鳴らす。

 

「今から鬼ごっこをしよう」

 

 当然、疲れ切っているみんなの表情が曇る。

 

「アタシが鬼になって今から30秒数える。この中から一人でも追いつかれずに3周できたらみんなの勝ちで……そうだな、全員とツーショットしようかな?」

 

 でも、その曇り顔も気分屋のアタシの一言で思うまま。耳を閉じたくなるぐらいの興奮した声に、本当にアタシのことが好きなんだなと思わせられる。

 

 嬉しいね。こんなにも沢山の子に憧れてもらえるのは。

 でも。

 

「負けたら金輪際、アタシとトレーナーに近づかないでね」

 

 みんなの表情が笑顔のまま凍りつく。出来ることならこの子たちのことは放っておきたい。アタシに憧れるのも自由だし、走りを真似しようとするのも自由だ。

 

 だけど、アタシの気持ちを代弁したつもりになっているのはいただけない。アタシがアタシであること。みんながみんなであること。その線引きはしっかりさせてもらわないとね。

 

「シービーさん……?」

「あ、あの、私たち……その……」

「シービーさん怒ってる……?!」

「ア、アンタがトレーナーさんにって……」

「みんなで決めたじゃない! 私一人のせいにしな──」

 

「1」

 

「「「ひぃ?!!!!」」」

 

「2」

 

 数え始めると、ゲートに収まり切らないほどのウマ娘たちがターフの上を駆けていく。とはいえ本格化もままならない子が多くて、ハンデには1分はあげるべきだったかもしれない。

 

「シービー! 待て! デビュー前の子に無茶をさせないでくれ!」

 

 トレーナーはいつになく剣呑な眼差しでアタシの目の前を大の字になって塞いだ。

 

「まだ体の出来上がってない子たちを多人数で競争させるのは危険すぎる!!」

「クイズ」

「えっ?」

「終わったらトレーナーにクイズを出すから、よろしく」

「まっ──」

 

 大回りでトレーナーを避け、アタシは走り出した。チラリと後ろを振り返ってみると、彼はこちらを追いかけることもせず、グラウンドの外を目指して走り出している。

 

 さすがの判断。この後に起こることを、ちゃあんと理解してるんだね。

 

3

 考えてみれば。グラウンド3周なんて、長距離を走ったことのない子たちにとっては無理難題だった。だから勝負は想像していた以上に呆気なくアタシの勝ちで終わってしまった。

 

 今、ターフの上には20人近いウマ娘が倒れている。うっかりしてたと思う。でも早々に追い抜かれた子も、こうしてちゃんとゴールをしていることは、ただ憧れてくれているだけじゃなかったんだって、ほんの少し感動する景色だ。

 

 投げ出されている脚という脚の隙間を縫うようにして、グラウンドに戻ってきたトレーナーは大量の水分を配っている。気分が悪かったり怪我はしていないかを確認している姿を、ラチに寄りかかりながら見ていたアタシは、彼の傍に近づいて腕を引っ張った。

 

「シービー、なんて無茶を……」

「問題です。本物のミスターシービーはどれでしょう?」

「え?」

「終わったらクイズするって言ったよね」

 

 両手を広げて一帯を差し示す。累々と倒れているウマ娘たちの真ん中で、トレーナーは依然として困惑した表情をアタシに向けている。

 

「本物どーれだ?」

「……いくら姿や態度を真似たって、誰もキミのようにはなれないさ」

 

 アタシにはわからないけど、好きが生じでやり過ぎてしまうことはあるんだと思う。だからアタシの真似をする子たちに対する怒りなんてほとんどないし、今無理をさせたのはトレーナーを騙した罰で、それももう許せること。

 

 その代わり怒っている相手は他にいる。こんなにイライラしてるのは、日本ダービーが終わってから顔を合わせたエース以来だ。

 

「なんでトレーナーは、この子たちの言葉を鵜呑みにしたの?」

 

 大事なことだなんだ。アタシはいつになく、意識して剣呑な眼差しを向ける。

 

「アタシは自分の時間はちゃんと取ってる。これまで一回だってトレーナーのことを邪魔に思ったことなんかないんだ」

 

 誰が何を思おうが自由だと思っているアタシには、承認欲求というものが欠如しているみたいで、SNSなんてものは一つもやってないし、遠くの誰かと繋がりたいとかいう気持ちもない。会える距離にいる人がアタシの全てで、そもそも携帯電話自体をあんまり活用していない。

 

 カレンチャンやアストンマーチャンみたいに、他者に自分のことを共有する気持ちは全くわからない。そういった活動を否定するどころか、たまに見せてもらう投稿は確かに可愛くてキュンキュンするけど、自分で何かを発信しようという気にはならない。

 

 でもそんなアタシも、ほんの少しだけ。誰かに面白いと思ったものを伝えたいと思えるようになっていた。

 

 アタシにとっての投稿は、それはトレーナーの肩を叩くことで。

 アタシにとってのいいねは、たぶんアタシが指差した向こう側の景色にトレーナーが喜んでいたり、ビックリしていたり、困惑していたりする表情なんだ。

 

 無茶苦茶に笑って。たまに悲鳴をあげさせられるような面白いものをトレーナーにも見て欲しい。彼のいろんな反応を見てみたい。

 

 例えば、こんなに怒ってみせているアタシが、飲み物を握りしめているトレーナーの手に触れてみたらどうなるんだろうとか。

 

「シービー……」

 

 片手では覆い尽くせなかった。なら、両手で包み込めばいい。

 じゃあ次は?

 思いのままに胸の中にフワフワしてる言葉を伝えてみる?

 

 別に語彙は堪能じゃないよ。その代わり、アタシは心のままに言葉を伝えることは割と得意なんだ。

 

「アタシにとって、トレーナーと一緒に過ごす時間は──」

「待った」

 

 トレーナーの伏せられていた瞳がアタシを真っ直ぐに見つめて、優しく、手を振り解かれた。

 手のひらを通っていく空気は冷たい。

 

「……こんなこと、シービーに言わせようとするなんて。俺はどうかしてた」

「やっと気づいた?」

「ああ……だから言わせてくれ」

 

 大きく、トレーナーは息を吸う。

 

「大地へ弾むような走りと同じくらい、俺はシービーと一緒に過ごす時間が好きだッ!!」

 

 広い空に大声が響き渡る。これ以上ないくらい明瞭な気持ちの伝え方はアタシのモヤモヤしていた気持ちを吹き飛ばしてくれた。

 

「わお、それは大きく出たね」

 

 そして彼は深く頭を下げて、そしてアタシに手を差し出す。

 

「これからもシービーの散歩に、お邪魔させてください」

 

 ふわふわと揺れ動く髪の毛。お父さんもトレーナーもアタシより身長が高いから、あまり気にならなかったけど、こうしてみると、あるべき場所に耳がないことはやっぱり不思議。

 

 伸び切った指先は学級委員長もご機嫌な花丸バクシンもの。スタミナ切れをしていた、いっぱいのミスターシービーたちも、上半身を起こしてトレーナーを見つめている。なんで君たちが頬を赤くしているのかな。

 

 さてと。言葉尻は取られてしまった。彼のお願いに対するアタシの答えはいつも通り。なんだけど……何か違うことをしたい。

 

 例えば油断し切っているその手をとって、思い切り投げ飛ばしてみるとか。

 怪我をさせてしまいそうだからやめようか。

 

 顔が真っ赤なシービーたちの前で抱きついてみる?

 うーん、思ったより面白くないかも。

 

 もう考えることに飽きた。というより、それよりも大切なことがある。アタシはトレーナーの手をペシリと叩いて、もう片方の手にあったスクイズボトルを奪い取る。

 

 そしてそれを有難く頂戴する。3周も走ったんだ。すっかり喉も乾いてた。

 

「こりゃ甘い」

「普通のスポーツドリンクだ。いつものやつじゃないよ」

「なるほどね。まあ、たまには良いよね」

 

 それでも喉を通っていく心地良い冷たさには変わらない。目を閉じれば、ターフの上を過ぎていく風の音がよく聞こえてくるし、この場所にこそアタシの求める自由がある。

 

 風が生きていたのなら。彼らは自分がどこまで走ってきたのかを覚えているのだろうか。

 

 きっと気ままに吹き抜けていくんだろう。アタシならそうする。誰よりも先頭に立ち、一番風を受ける時。アタシの髪も、骨も、肉も脚も。何もかもが体から無くなる。ついには自分がミスターシービーであることすら忘れてしまうことすらある。

 

 何もかもを脱ぎ捨てたアタシは自由を求める気持ちすら失って。ふと騒がしさを感じて、耳があったことを思い出して、そちらの方へと風向きを変えるんだ。

 

 声の主を探すため、今度は目玉を思い出す。そうしたら手を振っている人を見つけて、応えるための腕を、体を思い出す。

 

 長い耳、よく見える瞳。おまけに長い尻尾が生えている。そこでアタシは、ようやく自分がウマ娘であることを思い出して。

 

 でもまだ胸の内側はポカンとしている。その人の声も興奮し切った笑顔を見ていると、何だかよく知っているような気がしてくる。馴染み深くて、見ていると幸せな気持ちになる。

 

 目を開けてみる。トレーナーはアタシに向けていつものように笑っている。

 

「トレーナー、今日のアタシの走りはどう?」

 

 それはたぶんアタシの感情そのものだ。だからアタシは。

 

「良い走りだったよ」

 

 アタシこそが自由を愛するミスターシービーということを思い出せる。

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