魔族の子の名前がファローフェンって名付けられて一年ほど一緒に旅をしたってことさえわかって貰えばオッケーです(文章読めば書いてありますが唐突なので)
「孤児院を開いたんだってね」
「ええ。せっかく力があるんだもの。それに会話することもできる。フリーレンのおかげね。だからかな。守ってあげたいなって、そう思うの。私魔族なのにね。なんでかしら」
「君は魔族の中でも例外なのかもしれないね」
「ふふ。勇者パーティーに育てられた魔族、なんてね。世間はどんなことを考えるのかしら」
教会の中花束が敷き詰められた棺桶の中で、目を閉じて横たわるヒンメルの姿を見ながら涙を流すこともできないでいるフリーレンの姿を、ファローフェンは、かつてヒンメルがしていたような柔らかな微笑を浮かべ眺めていた。
「私が死んだときは、フリーレンがお墓をつくってね」
「バカだね、魔族の死体なんて残らないよ」
「……そうね」
居た堪れない空気が流れる。どこか困ったように見える表情を浮かべるファローフェンのことを、フリーレンはどうしたんだろうと不思議に感じていた。
「あのね、フリーレン」
「なに?」
「最近ね、気になってることがあって。……弔うってどういう意味なのか、フリーレンはわかる?」
どうしてそんなことを考えるのか。それはもちろん、ヒンメルの死に起因しているんだろう。曲がりなりにも一年ほど一緒に旅をした間柄なのだから。
フリーレン自身たかが10年と思い込んできた歳月の重さを、魔族であるファローフェンはそれより短い1年で感ずるものがあったんだろうか。そう思うとフリーレンはむず痒いような感じがする。このむず痒さも、フリーレンとしては自分のどんな情動に起因するものなのかわからないのだが。
とはいえフリーレンとしても、フランメを始めいくつかの別れを経験してきた。いくら感性に乏しいフリーレンとはいえ、葬儀がどんな意味合いなのかについては都度解釈をしてきたし、一般論でいいならば教示することくらいはできる。
「ファローフェンには教えていなかったっけ。まぁ、私もわかってないんだけど。強いて言うなら、亡くなった人が死後安らかであるようにっていう遺された者たちの祈りかな。人によって込める意味は様々だろうけど、大きくまとめるとそんな感じじゃない?」
「どうして遺体を埋めるの?」
「最初の発想は衛生上の都合だったのかもね。風葬っていう、死体を放置するやり方もあるみたいだけど、地面に埋めた方がよっぽどいい。そこに少しずつ色々な意味を増やしていった。死んでいったひとのために副葬品を並べてみたり、花で彩ったり。それから宗教的な理屈がつけられたりして。それとも……。生きている私たちが亡くなった人のことをさみしいって思うから、いつでも思い出せる場所を残したかったのかな」
「思い出せる、場所。思い出だけじゃダメなのかしら。場所も必要なの?私の場合は死体も残らない。それでもお墓はつくれるのかしら」
そこでようやくフリーレンが先ほどの失言に気づく。
「ああ……ファローフェン。さっきのは失言だったね。訂正する。遺体なんて必要ないんだよ、きっと」
「どういう意味?」
「ファローフェンの前だからね、なんとか尤もらしい意味を教えてあげようと頑張って適当なこと言ってるけどね。本当は私も、わかってないんだ」
「うん」
ただ、それでも。
と、フリーレンは自分の言葉でさらに言葉を紡いだ。
「死んだ人と向き合うための場所であれば墓足り得るんじゃないかなって」
「死んだ人と向き合う、場所。ずっと覚えているだけじゃダメなのかな。私には、よくわからないな」
気落ちするファローフェンの頭を少し背伸びしてポンポンとフリーレンは撫でた。
「人生長いものどうし、理解するための努力はしてみようよ。私も……。うん、たかが10年って」
フリーレンが教会の外に目を遣る。教会の入り口付近ではハイターとアイゼンが談笑をしている。さらにその奥の、教会の庭園には葬儀に集ったたくさんの人たちが涙を流しながら、まるで波のようだった。
「すごいね、ヒンメルは。これが10年なんだね」
勇者ヒンメルの成し遂げた10年にも及ぶ冒険譚は、様々な人々の感情を揺らした。フリーレンは失われた50年を思い、目を閉じた。柔らかな風がそよぐ。温かな陽射しが、ステンドグラスを貫いていた。
不意に雲が陽光を遮って、教会は明るさを数瞬失った。ファローフェンは色の抜け落ちた表情で、じっと人間たちを観察していた。
勇者ヒンメルが死んで2年が経った頃。
フリーレンは、たまたま近くを通りかかったのでファローフェンの住んでいると聞いた街に足を運んだ。
お互い長命ではあるとしても、何が起きるのかはわからない。何者かの襲撃によってファローフェンが命を落とすことだって考えられる。フリーレンもまた然りだ。旧交を温めて思い出話に花を咲かせ、次の約束をする。
ファローフェンは、孤児院を経営していて長期のお出かけなんてできないだろうし、一緒に長旅でもいかないかってことも簡単ではない。だからこそできるだけ会いに行こうと思って、2年経った。
街の様子は賑やかで、活気付いている。
「そこの門兵、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。孤児院ってどこにあるのかわかる?」
「ん、孤児院か?どんな用なんだ」
「勤めている人と知り合いなんだ。それで会いにきたんだけどね」
「確かに院長もエルフだな。まぁ嘘じゃないんだろう。ああ、言い忘れていたがオレはあそこの孤児院出身なんだ」
「へぇ、あの子も立派になったものだね」
少し錆び付いたプレートアーマーに身を包み槍を片手に携える男は「案内するよ」と、フリーレンを先導していく。三叉路を右に曲がり、曲がりくねった道を歩き、次第に道幅も狭くなっていく。
「孤児院ってこんなに遠いの?」
「ああ、あんまり人混みのあるところだとのびのびと子どもが育たないからとか言ってた気がするな」
「へぇ」
この街にあるとは聞いていたが、正確にはこの街から少し離れた、時折人々が散歩で訪れるような場所にあるらしい。街から歩いて25分。
建物の数もどんどん少なくなっていく。そうして着いたのは小高い丘。その上にちんまりと孤児院は建っていた。
探知をかけると、孤児院には覚えのある魔力を感じる。
「あ、やっぱり。フリーレン」
ファローフェンが子供の手を引きながら、孤児院の扉から現れた。角は隠れてエルフのように見える魔法がかかっている。見た目上、フリーレンに似た銀の髪を流している。左腕には支配の石環がつけっばなしになっている。その容姿は、2人は姉妹だと言われれば信じてしまう人もいるだろう。
「どうしたの?こんなところに顔を出してくれるなんて。フリーレンらしくない」
「できるだけ通りがかったら会うことにしてるんだよ、最近はね」
「私達は長命だからいつでも会えるって言いそうじゃない。フリーレンなら」
「そういうのをやめようっていう話」
「ふーん。フリーレンも、変わったわね」
「変わろうと努力してるだけだよ。実際に変わったようには思えない。結局いつも通り旅してるだけ。そもそもハイター、アイゼン、ファローフェン。誰か一人にでも会いにきたのは、今日が初めてだ」
「私が初めて?」
「そう」
「ふーん。ま、とにかく。いらっしゃい、フリーレン。ここに来たからには子どもたちの相手をしてもらうから、よろしくね」
孤児院の中は暖かく、活気に満ちていた。
「ファロおかあさん!これ、うんこ!」
「げんきなトイレができたね。はやく流しなさい」
「ファロおかあさん!男子がいじめてくる!」
「はぁ~。そっちが悪いんじゃん!」
「とりあえず、二人とも話を聞かせてくれる?」
「フリーレン、はい三つ編み」
「おお、上手だね。ありがと」
「この絵はなに?」
「この丘から見えた夕焼けを描いた絵よ」
「ファローフェンが描いたの。なかなか写実的だね」
そうして孤児院での半日が経過した。
夕飯をつくるファローフェンの後ろに何人か集まっている。その様子を見つつ、髪の毛を自由自在に遊ばれ続けるフリーレンは感慨深げに「あの子はとっても成長したんだね」と、フリーレンの膝を枕にしてすやすや眠る子の頭を優しくなでながら、つぶやいた。
夜、ファローフェン、子供たち、全員が一緒の部屋に眠る寝室に、フリーレンも混じって眠っていた。深夜、不意に今日は月蝕の日だったことを思い出して、うたたね程度だったフリーレンは、いそいそと布団から抜け出して家から出て行った。丘を少し降りて、中腹あたりで座ってしばらくまだ丸い月を見ていると、孤児院の木組みの扉の開閉音がした。振り返ると子供が降りてきた。
「こんな夜中に起きてちゃダメだよ。大きくなれないからね」
「うん……」
何かを言いよどむようなそんな気配だった。意を決したように口を開く。
「ファロおかあさんは人を食うんだ」
「なんだって?」
月蝕が始まり薄暗く、どこか空気が赤く染められたような不気味さが世界を包み込んだ。どこからか聞こえるフクロウの鳴き声が、森の方から夜の匂いを運んできた。作り物めいた出来すぎの情景だった。
フリーレンは声を潜めた。
「冗談はいけないよ」
「ぼく、知ってるんだ。ファロおかあさんがエルフじゃなくって、魔族だってこと」
「……。うそだ」
「一階の奥の部屋に、鍵のついたへやがあるの。鍵はこれ。こっそり盗んできたの。ファロおかあさんにみつからないように確かめてみて。多分、知ってるのはぼくだけなんだ」
そう言うと、フリーレンの返事を聞きもせずに、子供は孤児院に戻っていく。
完全に月光が消えてしまって、草を掻き分けるように走る風の音だけが世界に認識されていた。呆然と目を見開くフリーレンに捉えられる光など存在はしない。
翌朝。眠ってしまえばやはりなかなか起きられないフリーレンは、ファローフェンに肩を揺さぶられるようにして目が覚めた。
「ねぇ。フリーレン。部屋の鍵がないんだけど知らないかしら」
「……知らないね。どこの鍵なの?」
「それは内緒。大切な鍵なんだけどね。もう誰が盗んだのかはわかったんだけど、肝心の鍵のありかについては知らないの一点張りで。持ってるんでしょう?って言っても、全然話してくれないの」
「その子は?」
「どこにいると思う?」
にこりと笑ういつも通りの顔がどこか不気味に感じられるのは、きっと昨日の子供から教えられたデマのせいだと信じた。かばんの中に昨夜しまい込んだ鍵を確認する必要があるかもしれない。そう思った。
ファローフェンが子供たちの散歩に行ってしまったのを確認した後、フリーレンは行動を開始した。そして――
「まさか、言った通りだったとはね」
床下に埋まる人だったもの。死後どれほど時間が経過したのか。ファローフェンによるものではないと信じたかった。
「ファローフェン、少ししたらちょっと。話があるんだけど」
「どうしたの、フリーレン。今からでもいいけど」
「ここでは話せないことなんだよ」
「ええ、じゃあ、洗濯物があるのでそれが終わったらでいい?」
「こんな時間から干すの?」
「ええ。なんならフリーレンも手伝ってくれる?」
「ああ、うん」
洗濯物をいっしょに干しながら
「昨日の鍵を盗んだっていう子供はどうしたの?」
「戻ってきたわよ」
「それってどんな子だった」
「……。どうしてそんなに気になるの?」
「いや、なんでもない」
昨日来たばかりのフリーレンには孤児院の子供たちの顔を正確には覚えられなかった。まして子供と出会ったのが夜ともなれば、なおのこと顔は判然としない。しかしちゃんと家に戻っていったのは見た。なのに、鍵をくれた子だと思える子供を一回もみていない。「どこにいると思う?」という質問自体おかしなものだ。しかしあのとき、フリーレンには答える勇気がなかった。
洗濯を干し終わると、フリーレンとファローフェンは連れだって人気の無い林の中で歩いていった。歩いて程度街からも孤児院からも遠い場所に着いて、単刀直入にフリーレンは切り出した。
「ファローフェン、人を食ったね?しかもここ最近だ」
「フリーレン、そう。気づいちゃったのね。それで誰から聞いたの?」
「それは言わないよ。言ったらどうする?」
「別にどうもしないわ。その子を襲うとか考えてる?しないわよ」
「これまで何人殺したんだ」
「1人も」
「嘘だ」
「私、1人も殺してないわ。でもね。人を食べたわ」
「意味がわからないね。どういうことなの」
「さぁ、私にも分からない。食べてほしいって、そう言われたから食べたの」
同じ長命種ということで多少なりとも理解できたつもりでいたファローフェンのことが急速にわからなくなっていく。
「フリーレンたちと別れてからも擬態する魔法の練習ばっかりしてね、少しして完全にエルフに化けられるようになったの。村の人たちも親切にしてくれて。でもやっぱり分からなかった。どうして良くしてくれるんだろうって。笑顔で撫でてくれるの。不思議だなって。だからかな、孤児院を建てて、いろんな子を育ててみたいなって思うようになったの。気持ちがわかれたらいいなって。でもなにも分からなかった」
「それで殺したの?」
「殺してないって言ってるでしょ。話を続けるわね。孤児院を始めても結局ね、分からなかったわ。むかし石環をくれたじゃない?それに子供達を丁寧に育てることって自分で自分と契約をしてね、半ば義務みたいな形で半世紀も育ててきたけど。なのに分からないの。それでね初めて育てた子も病にかかって2年前くらいだったかな死にかけちゃって。今際の際にね、呼ばれたの。食べてほしいって。そう言われて。どこで私が魔族だって知ったんでしょうね。それで」
2年前というとヒンメルの葬式で会ったときくらいか。あのときにはもう人を食べていたのだろうか。
「それで食べたの?」
「ええ。食べたの。それまで何も分からなかったのにね、そのとき初めてわかったことがあったの。ああ、なんて人って美味しいんだろうって」
「……」
「それでね、また最近」
「……食べたんだ」
「そうなの。この前食べちゃった子と仲が良かった子なんだけど、この子はどうも奥様と最近別れてしまったってことで落ち込んでたの。熟年離婚っていうことよね。最初はめげずに頑張りなさいって励ましてたんだけどね、急にあのときの味が頭から離れなくなっちゃって。それで、耳元でね食べてもいいかって囁いたの。そしたら、いいって言うから。それで食べたわ。許可まで取ったんだもの、殺したうちに入らないわよね?とっても美味しかったなあ。やっぱり若くて健康な身体だともっと美味しいのかしらね」
「これからもそうして生きていくの?」
「さあ?分からない。今もね、フリーレンのこと見ながら美味しそうだなって考えちゃってるの」
「……」
「私がここまでフリーレンにベラベラ喋るのはね」
「支配の石環にそうせよと刻まれているから、でしょう?当初は言葉を理解できていないから発動しなかったけれど、言葉を理解できるようになって遅れて効果が発揮された」
「ううんそんなもの関係ない。あなたは私に言葉を教えてくれた、特別な……お母さんみたいな存在だから。孤児院でもね、子供たちが私のことをお母さんって呼んで、お母さんだからっていろんな秘密を教えてくれたの。だから私も、フリーレンにいっぱい秘密を教えるのよ。フリーレン、言葉を教えてくれてありがとう。おかげでいい経験ができたわ」
「……」
「ねぇフリーレン、そんなに落ち込まないで。誰が私のことフリーレンに密告したのか、知ってるのよ」
「……」
「ねえ、葬送のフリーレン。歴史上最も魔族を葬った魔法使い。他の魔族にしたみたいに私を殺してみてよ」
「何を言って」
「私もフリーレンを殺しにいく。ふふ、でもね。お別れじゃないわ。フリーレンとずっと一緒にいたいもの。ちなみにね、密告してくれた子はもう私とずっと一緒なのよ」
言葉の意味がまるで理解できなかった。
(私が育てたこの魔族はいったいこれまでどんな顔をして私を見ていた?)
記憶にあるファローフェンの面差しがすべて塗り替えられていくような感触が、虫のように背筋を這い上った。
「ああ、そうだ。これだけは言っておかなきゃ。私がヒンメルたちと会ったあの場所。本当はね、私は言葉を喋ることができたし、目の前の子供を食べる予定だった」
「……そんなことはありえない。支配の石環の効果がなかったじゃないか」
「あなたたちの気配を感じて、ああ、これは勝てないなって思ったの。正確に何人いるのかは分からなかったし。一か八かの掛けで自分に記憶を操作する魔法をかけたの。100年くらい前かしらね、試しに記憶を抜いた魔族を人間の社会に放り込む実験を何回かしたことがあったんだけど、結局その魔族が人を数人殺すまでは魔族は殺されなかったのよ。もちろん10人魔族がいたら1人殺されないかくらいの確率だったけれど、あのときの私には十分だった」
おかげで私は今もこうしてフリーレンの前に立ってるでしょう?ファローフェンは無邪気に笑いかけた。
「魔族は一つの魔法について研究をし続ける。フリーレンは記憶の欠けた私にそうやって教えてくれたわよね。私でいうとそれが記憶を操作する魔法だった。自分にかけたのはあのときが初めてだったなあ。思い出したのも2年前、あの子を食べたとき。ふふ、よく考えると。私ったらとっくのむかしに何百、何千と人を食べてたのね」
今気づいたとばかりに過去の殺害を思い出すファローフェンに、やはりフリーレンはついて行けないままだった。
「ファローフェン……」
「ああ、フリードって呼んで?これが私の真名。初めて会ったとき、魔力の量は大したことないってフリーレン言ってたわよね?その通りよ。でもね、私の魔法に必要なのは持続的なものじゃなくて瞬間的な出力なの。そして一度でもかけてしまえば有効打になり得る。ね?魔力の大きさなんて関係ないでしょう?」
「当てられた瞬間に戦闘不能状態。厄介な魔法だ」
「ふふ」
ゆらりとファローフェンが手を前に突き出すと、手のひらから魔法が放たれて勢いよくフリーレンに到達する。フリーレンは撃ってくるタイミングを図りながら身体を逸らすことで回避しつつ、防御魔法を展開して、記憶操作魔術を防御魔法で防ぐことができるのかを確認した。幸いにも、防御魔法は有効であるとわかった。
「手のひらをかざさなきゃいけないんだとすれば、魔法の放出までにラグがゾルトラークよりも短かったとして、避けるのに造作ない。常に杖をファローフェンに向けるように私が立ち回ればその程度の優位、何の意味もない。ファローフェン。これはこと戦闘においては欠陥魔法だ」
もちろん隙をつけばこの上ない威力を発揮ことは言うまでもないが、言わない。それにファローフェンも自覚していることだろう。
「やだわ、フリーレン。あなたの娘みたいな存在なのにそんなに殺気立っちゃって。それに私のことはフリードって呼んでって言ったでしょう?」
「フリードなんて名前の娘はいないよ」
「そう。でも、いいかな……。私の魔法は操作する記憶の範囲もある程度操作できるの。フリーレンが私が人喰いだって気づいてしまう前までの記憶を空白にすればなんの問題もないものね」
ああ、それからね。こんなこともできるの。みるみる姿形を変えていくファローフェンは、ヒンメルの姿になっていた。
「やぁ、フリーレン。こんなところでどうしたんだ?」
「変身魔法?いや、どういうこと?これじゃあ本人そのものだ」
「本人そのものって。僕はヒンメルなんだから、当たり前だろう」
不思議そうな顔でフリーレンを見つめるヒンメルに怖気付きそうになる。だが、これはどうあれヒンメルの偽物。ファローフェンの魔法だ。
「魔法を解け、ファローフェン」
そういうとみるみる背丈は萎んでしまって、ヒンメルだった者はファローフェンになっていた。
「記憶を操作するってこういうことよね。私が食べた人の記憶を再生する。それってその人本人に完全になれるってことだと思わないかしら?……あぁ、2年前のお葬式のときにね、ヒンメルの身体を少しだけ食べたの。でもおかげでフリーレンとヒンメルを会わせてあげられたわね」
「……!」
フリーレンは躊躇わずにゾルトラークをファローフェンに向けて発射した。それが開戦の合図だった。
「地獄の業火を出す魔法」
初手からフリーレンはもったいぶることなく高威力の魔法を放っていく。その名の通り地獄から抜け出してきたような業火がファローフェンの逃げ道を奪うように包み込んだ。何の警戒をすることもなくファローフェンはこれを受けて黒焦げになった。それから、間髪入れずに貫くような光が迸った。
「破滅の雷を放つ魔法」
光は心臓を直撃した。容赦の無い一撃にファローフェンはその場に倒れ伏した。確かに恐ろしい魔法を持っているファローフェンだが、少なくともこの数十年間闘いの場からは離れていることは予想できる。闘いの勘・もとい感覚は実践から離れればさび付いていく。それに記憶の再生により、ヒンメルに擬態するというような幻影鬼のような術にせよ、術を使われてしまう前に倒しきれば済む、ということだ。
ならば最初から勝負を決めにいけばいい。
「ふふふふ」
もはや原型も失われかけているファローフェンの姿だったが、次第に次第にもとのファローフェンの姿に戻っていく。治療の魔法、それもこれほどまでの効果を発揮するものをファローフェンは持っているとでもいうのか。
「元の私の姿の記憶を、今の私に転写したの。じゃあ、続きを始めましょうか」
腕を伸ばし手のひらをフリーレンに向けようとする度に、フリーレンはその腕をゾルトラークにより落とし、腕を落とされるや否や、ファローフェンは腕を再生する。広範囲・高威力の魔法で攻めても状況は良くも悪くもならない。
硬直状態。
隙を一度も見せられない分、精神疲労についてはフリーレンが不利だった。どれだけの高威力でファローフェンを圧倒しようと、いくらでも蘇ってくる。魔力の消耗戦に挑まれているようなものだ。しかしいくら効率のいい魔力とは言え、本人の言うとおりに元々の魔力量が多いわけではない。その点で、フリーレン有利の状況。
フリーレンの勝利条件は至極簡単で、ファローフェンが記憶の操作魔法を使えなくなる程度まで、魔法を使い切らせること。そのために、何度も何度もヒンメル、育てた娘のような存在を殺し続けるフリーレンの心労は計り知れなかった。
むかしファローフェンに教えた防御魔法も、おそらくは記憶による再生魔法の方が魔法の効率がいいからというわけで使う気配もない。
(精神衛生的にも、魔力消費という意味でも使ってくれたほうがいいんだけどな)
そこまでバカではないということか。無論、この世界でファローフェンのことを一番よく知っているのはフリーレンなのだが。
「ねぇ。フリーレン。こうして戦うのって初めてよね。親子げんかってこんな感じなのかしら」
「こんな娘は知らないな」
「つれないわね」
「……さっきいったこと全部嘘だってことはないよね」
「信じてくれるの?ありがと。でもね、全部本当なの。……ねぇフリーレン。ヒンメルのお葬式で、お墓についてしゃべったわよね」
「君は結局わからなかったと言った」
「そうね。でもね、分からないって言ったあのときに答えが見つかったのよ。それはね」
ろくでもないことを言うんだろうなと、フリーレンはファローフェンが口を開く寸前まで思っていたし、事実その通りだった。
「私自身がお墓になること!ねぇ、そうすればずっとみんな一緒!そうでしょう?!ヒンメルも私にとって大切だから、食べなきゃ!みんな私の中の記憶としてずっと生き続けるの。素敵だと思わないかしら」
「……」
「フリーレンも思うでしょう?どうしてみんなこんなにも寿命が短いのかって。でも記憶の中ならずっと一緒にいられるの。何百年もずーっと。ねぇ、それの何が悪いの?」
それは違うといいたかったのに、答えに窮してしまった。
「私、フリーレンともずっと一緒にいたいわ。だから、ね?……でも、そうだ。同意!同意がなきゃダメなのよね、人間は。フリーレンがいいよって言ってくれるまで、私ずっと待つから。孤児院なんて放って、今度は一緒に色んなところを旅しましょうよ。フリーレン、私、ヒンメルの3人。いいでしょう?そのうちハイターもアイゼンも死ぬし、その都度私が2人を食べれば、勇者パーティ復活ね。フリーレンが私に食べてほしくなったときに言ってくれれば、何も問題ないわよね」
おかしいことを喋っているはずなのに、フリーレンにはどこがどうおかしいのかを指摘できる気がしなかった。この場にヒンメルがいてくれたらと思う。簡単な方法は目の前のフリードという魔族、もといファローフェンの魔法によってヒンメルを降ろすことだけれど、ファローフェンの行いを認めることになってしまう。
それだけはやっちゃいけないことだ。
けれど、どうすればいい?
フリーレンは呆然と立ち尽くし、完全な隙をさらけ出してしまった。そこへファローフェンが腕を伸ばした。まずいと思うのに、例えばヒンメルの葬式のときもっと気の利いた、もっと良い返しでもできていればこの子の考えを変えることができたのではないか、なんて後悔ばかりが押し寄せてくる。伸ばされた右腕はフリーレンの右頬を掴み取り、少し俯いた顔がファローフェンと至近距離で相対する。
瞳孔と瞳孔とが一直線上に交わり、けれどファローフェンが何を考えているのかフリーレンにはやっぱりわからなかったし、もうわかる必要もなくなるんだなと思った。
「ごめんね、お母さん」
手のひらから魔法が飛び出して、呆気なくフリーレンに直撃した。めぐる思考の中で、なんとなく、これでファローフェンを一人にしてしまうのかと思った。“親としての責任”という言葉が浮かび、
「ごめんね、ファローフェン」
そして意識が奪われて
――しまうこともなく、すぐに意識が戻った。いったいどうなってしまったんだとフリーレンが周囲に注意を向けると、ファローフェンが血を流しながら地に伏していた。返り血はフリーレンの真っ白な服を、孤児院の絵に塗られた赤黒い夕焼けのように染め尽くしていた。
ファローフェンはフリーレンの記憶を操作することで、フリーレンがファローフェン自身にゾルトラークを放つようにした。
身体を魔法が貫通して開いた穴は、風が吹き込むほど空虚に見えた。じゅくじゅくとわずかに見える肉の断面から染み出す人間そっくりの赤い体液が、穴を埋めるような勢いで溢れ出そうとしていた。
「ふふふ。どう、おかあ、さん。私、悪い魔族を、やっつけたわ」
「え」
目の前の状況に頭の追いつかないフリーレンは、膝から崩れ落ちてそのままファローフェンに覆い被さった。わずか十数センチの距離でフリーレンとファローフェンの今まさに生気の抜けていく顔が相対した。ファローフェンの顔に雨が降っているでもないのに雫が垂れ落ちた。
どうして泣いているんだろうと少しだけ不思議そうな顔をしたファローフェンは、痙攣した身体を構うこともなく腕を持ち上げて、フリーレンの顔を拭った。拭った後、力尽きたように腕がどさりと地面に落ちた。ファローフェンは満足したような表情で目を瞑った。肺のあたりでかろうじて上下していなければ、生きているのか死んでいるのかきっとわからなかっただろう。
フリーレンも同じように自分の顔を拭おうとすると、想定していた無色の雫ではなく、代わりに赤黒い液体が指にまとわりついていた。
フリーレンは今地面に叩きつけられた腕を拾い上げてぎゅっと両手で包み込んだ。握る力を強くするほど、ファローフェンの体温が失われていく感触をまざまざと味合わされることになる。握りしめたところで何か変わるでもない無意味な行為なのに、フリーレンは手を包み続けた。ファローフェンも応えるようにフリーレンの指に弱々しく指を絡ませた。
「お、かしいなぁ。こんなつもりじゃ、なかったのに。よろこんでくれるかなって、思ったんだけどな」
薄目で僅かに開けられた瞳は、その長いまつ毛に隠れてしまうせいもあって、視線がどこに向かっているのかわからないけれど、きっと私のことを見ているんだろうなとフリーレンは確信していた。
「どうして、こんなことを……」
ようやくフリーレンが捻り出した言葉はそんな程度のものでしかなかった。
「どうして、ね。あはは。わかんない。そもそも、記おくをあやつる魔ほう使って、どうしたかったの、かしらね。もう思い出せないの。おかあさん、びっくり、した?」
記憶を操る魔法。
今フリーレンの身にも起きたように、使い方によっては人の行動さえも縛ってしまえるほどの効果を持つ魔法。かつてヒンメルたちと共に戦ったアウラの魔法の上位互換にも思える。
結局ファローフェンはフリーレンの手を借りた上での自死を選んだのだったが、直前までの魔法の応酬までは明確に殺しに来ているような容赦なさだった。
だからこそ、こんな状況になった意味がフリーレンにはわからなかった。それがファローフェン自身にもわからないのかもしれない。
「すごく、びっくりしたよ」
「そっか。そうなんだ」
「うん」
「おかあさん、あのね」
「なに」
掠れ掠れの声の中、その言葉だけがずっしりと重かった。
「褒めて、ほしいな」
なんとなくファローフェンの気持ちがわかったような気がした。錯覚だろうか。
「バカ。ほんとうにバカだよファローフェン。こんなことしなくたって、私は……」
ついにファローフェンの身体は崩壊を始めた。
「ばか?……そっか、ばかか。うん、もっと他のやり方が、あったのかな」
身体の崩壊は止めようがない。切断面から黒焦げた箇所が身体全体に広がっていく。魔力の胞子を撒き散らしながら、ファローフェンは空気の中に溶けていく。
フリーレンの白い服を彩った赤黒い模様も次第に抜けていき、元の真っ白な服へ回帰していく。それを見たファローフェンは、諦めた表情で弱く柔らかく口を曲げた。
「ファローフェンは記憶を操る魔法、あるんでしょ?」
「あ……。そっか、そうすればよかったのね。なんで、簡単なこと思いつかなかったの、かしら」
「自分で自分の魔法忘れてちゃ、どうしようもないよ。……それとも私がもっといろんなことをファローフェンに教えてあげられていれば、こんなことにはならなかったのかな」
もっと密にファローフェンと連絡を取っていればこんなことにはならなかったのかもしれない。奇しくも、ヒンメルを亡くしたときに似た鈍痛が全身に降りかかって、打ちのめしていく。
「おか、あ、さん。また泣いてる」
しょうがないなあと、とびっきりの笑顔を浮かべたままファローフェンは光に全身を包み込まれてしまい、瞬きの間にすっかり姿を消してしまった。石環だけがその場所に残された。
小麦色に褪せた雑草たちがさわさわと風に揺らめいている。直に冬が来ればこの場所も不毛となる。その場所をぽつりぽつりと数滴の雫となって水が落ちた。月は雲に翳ることはなく、青白い光を冷たく放ち続けた。
フリーレンはその場所に座りこんで、さっきまでファローフェンが倒れ込んでいた場所を日が沈んだ赤黒い世界の中でずっと眺め続けた。
孤児院に戻ると、子供たちのだれもがファローフェンを覚えていなかった。それだけではなく、ファローフェンの院長という肩書きを持つ人が何年も前からこの場所を一人で守ってきたということになっていた。
ファローフェンが描いたとかいう絵も、いつの間に、夕焼けを朝焼けの白んだ世界に変貌していた。院長は
「誰の描いたものなのかはわからないのだけど、きれいでしょう?」
と、フリーレンに語りかけた。そのときの自分が上手く返答できていたのか、フリーレンにはわからなかった。
一夜にして様変わりしてしまったこの場所で、化かされているんだろうかとフリーレンは不安になった。長い夢でも見ていたのか、今もまだ夢の中なのか。希薄な現実感の中を泳ぐように、子供たちも寝静まった後、痕跡だけを求めて孤児院を回遊していた。
そして、ファローフェンの使っていた机の引き出しからようやく痕跡を見つけ出した。
フリーレン宛の手紙だった。
これを読んでいるということは私はもういないということだと思います。多分フリーレンに殺してもらったのかしら。だとすればきっと私は何かを間違えていて、けれど幸せに死ぬことができたのでしょう。私のことを幻滅した?嫌いになった?育てたことを後悔した?ショックを受けた?どんな形にせよ、悪い魔族は殺されないといけないの。
「人の気持ちも、しらないでさ」
自分というものが勘定に入っているのか入ってないのか。その曖昧さがひどく歪で、これが自分のしでかしたことの大きさだとすれば、私はいったいどうするべきだったのか。
抱え切れない感情を手紙と腕輪を一緒に鞄にしまったら、白んだ朝の世界に、既に子供たちは起き上がっていて孤児院は騒々しくなっていた。昨日まではどこか温かさを感じていた喧騒がどこか褪せて感じる。
(……もう、行かなきゃね)
世話になったねと、ついさっき初めて会ったばかりなのにまるで旧来より関わりを持っているように親しげな院長に声をかけて、フリーレンは再び旅を再開した。
ばいばーいと、孤児院の子供たち全員からの声を背中に受けながら小高い丘を下った。フリーレンもバイバイと手を振ろうと思ったのに、マハトから黄金の魔法を食らったときのように上手く腕は動いてくれなくて、こくりと頷くだけ頷いて踵を返した。
ファローフェンを告発した少年の姿はどこにもなかった。
行き先は決めなかった。
木々は朽ち果て黒焦げになり、ところどころ地面は抉られ土色が露出をしている。緑に埋め尽くされていた場所は見る影もない。フリーレンがハッと気づいたときには、ファローフェンが塵のように消えてしまいフリーレンが膝をついたまさにその場所で立ち尽くしていた。
右手にしっかりとトランクケースを握っていたことが奇跡のように感じられた。
「はぁ」
肺の奥。溜まりに溜まった重たい空気を口から吐き出すと、鼻がツンとした。ゴウっと吹き出した風が、吐いた空気を運んでいく。どこからやってきたか枯葉がつむじに巻き付かれるようにぐるぐるとうずくまっていた。気づけば天候は悪くなっている。
目を瞑れば、お母さんと弱々しくフリーレンを呼びかけるファローフェンの姿が思い起こされる。これまでだって何度となく魔族と対峙してきて、追い詰められた魔族の数割は、おかあさんと音を発して延命を狙った。ファローフェンと魔族、いったい何が違うのだろう。何も違わない?いや、それでも明確に違うことがある。
それはファローフェンがお母さんと呼んだのがフリーレンだったこと。
かつて一年の旅を終え別れるとき、寂しいと言ってフリーレンの服の裾を引くように顔を俯かせたファローフェンの姿を覚えている。あのときもフリーレンはこの魔法を使ったのだった。
(冬に一人きりではさみしい……よね)
フリーレンは石環を地面に埋めて、あたり一帯に魔法をかけた。このときばかりは、フリーレンも「ヒンメルなら……」という言葉を考えもしなかった。
フリーレンとファローフェンの戦闘によって傷つけられた大地は、急激に緑を肥やし、花々は咲き誇り、悲劇の地を何事もなかったのだと塗り替えるように、むごくも色鮮やかに彩っていく。
いつしかその場所は大陸随一の花畑の名所として観光客が後を絶たなくなったと聞くけれど。
風にあおられて、花弁たちが一斉に向いた南東の方角にフリーレンは歩き出した。それは、孤児院にやって来たときとは逆の方向だった。
空をタカが円を描くように飛び回り、遠くからオオカミのうなり声が響いた。街からも孤児院からも距離が離れて、朝だというのに厚い雲が何重にも積み重なって光の遮られた世界。幾重にも続く木々でできた惑いの檻の中で、地面に触れる足の感触だけが確かだった。
口をぎゅっと噤む。
強く風が吹く。あらゆる音の反響が、フリーレンにとって意味を持った声に聞こえた。耐え難く耳を塞げば、僅かな隙間に誘われるように風は耳朶を打ち、忘れるなとフリーレンに囁き続けた。
その声たちの中に混じっているであろう失われた人々の意思に、フリーレンはいつまでも耳を澄まし続ける。
フリーレンの旅は続く
リーニエの魔法が一番わかりやすいですが、魔族の魔法は魔族と人間(フリーレン)とを対比するためにあるような気がしていて、今回で言うとファローフェンとフリーレンの記憶に対する認識の差異です。
ヒンメルが死ぬ前だったら多分フリーレンは迷う必要もなく殺しにいってます。
〜以下蛇足〜
「ハイター様」
「なんですか、フェルン」
「フリーレン様、ときおり夜中にうなされていますよね。呪いでしょうか?」
週に3度は夜中にうなされ起きたときには汗びっしょりになっているフリーレンの姿を、フェルンは不思議に思ったことがあった。夜中、不意にトイレに行きたくなって寝室から抜け出したフェルンが扉越しに聞こえてくる呻き声にどこか恐ろしさを抱いてしまうのは、だらしなく抜けているところは多々あるが、それでも普段超然として見えるフリーレンを知ってこそのことだった。
最近思い出したのが、少し前にハイターが悪夢を見続けるという呪いにかけられてしまった婦人の治癒を行った場面だった。フリーレンももしかすると何らかの呪いを受けているのかもしれない。それで悪夢を見なくて良くなるのではないか。
「フリーレンのことが心配ですか?」
「もうフリーレン様と出会って3年くらいが経ちましたがずっとあんな調子です。はっきり言って異常だと思います」
「……あれは呪いではありませんよ。ただ」
「ただ?」
「私たちも背負うべきだったものをフリーレン一人に押しつけてしまった、ということです」
「どういうことですか?」
「ふふ、どういうことでしょう?」
むっとするフェルンの頭をハイターは撫でてやる。
最近身体が動かなくなってきたと、とみに感じる。
最後に4人で冒険したあのエーラ流星の夜もそう思ったし、3年前フリーレンがひょっこりと聖都まで顔を出し、今日まで続く3人での共同生活が始まった日にもそう思った。日に日に衰えていく身体を実感するのは旧友と久しぶりに再会したときに顕著だ。もう数年と保たない。
それまでに、どうにかできないか。
フリーレンにとってのフェルン。フェルンにとってのフリーレン。
それぞれがうまく作用してくれるのではないかという希望を抱いてはいたものの、フェルンはともかく、フリーレンに関しては一向に快方に向かっている様子がない。賢者エーヴィヒの墓所から見つかった魔導書が「死者の蘇生」でなくても「不死の魔法」でもなくとも、もう少しだけ自分の時間があれば、と感ずるところがあった。だからといって自分に何ができるのかも到底わからない。
死は恐ろしくないと思っていた。なのに、残していくものを思えば途端に怖くなる。
死は恐ろしくないと思っていた。けれど
「フェルン。初めて会ったときのことを覚えていますか?」
「ハイター様とですか」
「ええ」
「あのときハイター様は『あなたの中にも大切な思い出があるとすれば、死ぬのは勿体ないと思います。』と言ってくださいましたね」
ハイターはどこか微睡むような表情で少し口元を緩めた。
「よく、覚えていますね。フリーレンが苦しんでいるのはきっと、そのことでしょう。私は一緒に悲しむことができる立場のはずなんですが」
あのときファローフェンと対峙したフリーレンにしか感じ得ないものを、私たちが共有することは叶わないのかもしれないと、ハイターはその小さな背中を前に立ち尽くしてしまいそうになる。畢竟、共感することができる人間が存在しないのかもしれない。それでも、フェルンならばフリーレンを立たせることができるのではないか。
――フリーレンにとってのファローフェン。フリーレンにとってのフェルン。
もしかすると自分はおぞましい魔法をフリーレンにかけようとしているのかもしれないけれど。
それでも。