星をなぞる日   作:四樹

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ルクバー:月下にうたう(前編)

ぺち、と何かを優しく叩く音がする。それが感覚となって訪れるまでには少々時間がかかった。そのまま何度か同じ音がして、頬を叩かれていることに気づく。頭の中の回路にライトがついて、回線が巡るように意識を取り戻す。

 

「…もう……朝なの……」

 

ベッドの中、重すぎるまぶたをなんとか開けると、マリルリが起こしてくれたようだ。隣のプクリンは眠ったままなので、今度は自分が優しくなでて起こしてあげてから、ベッドから立ち上がる。眠りから覚ましてくれたり、いつでも一緒にいてくれる二人にありがとうのハグをして、服を着替えて身支度を始めた。

部屋の中の家具や小物は可愛いものだらけだ。ホワイトを基調とし、ゴールドやピンクが差し色に使われている。ベッドにはたくさんのハートのクッションが並べられており、掛け布団にはレースがあしらわれ、少年の可愛らしい雰囲気を体現しているかのようだ。ふと目の前を見つめると、金縁の鏡に写る自分の顔には、なかなか消えてくれない薄い青クマが見える。

 

「かわいくない…なんとかならないかな」

 

寝癖一つない桃色の髪を梳かし、軽く目の下をマッサージする。プクリンがぴょこぴょこと心配そうに鏡と自分を交互に眺めているので、少ししゃがんで目線を合わせた。

 

「心配ないよ。大丈夫」

 

にこっと笑うと足元にはパピモッチが駆け寄ってきた。その口には待っていた「手紙」の返事はくわえられていない。その喉元を軽くなであげてからポケモンたちをボールに戻し、白い鍵の形をしたステッキを持つ。軽く襟を正し、自室のドアを開けるとお辞儀をした男性が一人佇んでいる。

 

「…来てたの」

 

不服そうな少年に(かしず)くその人は、祈るような声を絞り出した。

 

「…オルティガ坊ちゃま……

どうか、どうか奥様と当主様に……」

 

カツンと音がなり、顔を上げるとステッキの上で両手を組む少年…オルティガがじとりとそちらを見ている。

 

「言わないで、って言ったはずだけど。

それに、毎朝部屋まで来なくていいよ。爺やまで変な目で見られたらどうするの?手紙のときだけでいいよ、ほんとに」

「ですが…」

「もう、いいの!なんとかするから。じゃあオレ行くからね」

 

小さな背中はまるで一人になることを望んでいるかのように、大切な人を置いて足早に遠ざかっていった。

 

 

眠れていない日が続いているせいか、身体がとても重く感じる。それでも理想の姿である父を思い出し、背すじを真っ直ぐに伸ばして歩く。教室の自席へ座り、机にステッキを引っ掛けて倒れないようにしてから、ノートを取り出して復習を始めた。

彼の席の近くを生徒が通ると、通れないほどではないが通路を塞ぐ彼の所有物に向かって舌打ちをした。それを無視してノートを眺める姿に、噂声が()(のぼ)る。

 

「邪魔だっつうの。何でいつも持ってきてるんだよ」

「教室は俺の、とか思ってるんじゃね?」

 

こういうとき、弁明をしても通らないことを知っている。寧ろ火に油を注ぐだけなのだ。腹を立てたら負けだと頭の中で繰り返し、深呼吸をしてクールダウンをする。

 

やがて授業が始まり、教室内は静かになった。やっと開放されたと思ったが、程なくして黒板の例題を解いてほしいと先生が言う。すると、先程噂話をしていた男子生徒が手を上げた。

 

「先生、この問題だったらオルティガくんなら解けると思います」

 

薄気味悪い笑い声が教室内に飛び散ったが、聞かないふりをして先生はオルティガを指した。

彼は「分かりません」と言う他なかった。教科書が読めないのだ。(むご)い落書き、破られたページ。眠り足りなくて回らない頭では、先生の解説だけで答えを導き出すことは難しい。

自分を指すようにと促したその生徒は在りし日の友人だったが、今は見る影もない。答えられなくて座る彼に、針を刺すような一言が放たれた。

 

「だっさ」

 

それに反応してしまわぬように、必死で心の中の檻に閉じこもる。挑発を甘んじて受け、その場をやり過ごすことだけを考えた。歯を食いしばり、決して噛み付いたりしないようにと、息が苦しくなっても耐え忍ぶのだった。

 

 

2限目の終わりとともに休憩時間が訪れ、大きな疲労感が重石のように襲ってくる。心も身体も疲れきり、気分も悪いため一人になろうと図書室へ向かう。なんとなくだが、視界の隅が歪み始めているような気もする。そこへ、先程の生徒が立ち塞がるようにやってきた。

 

「ねえ、遊ばない?鬼ごっこしたいけど、人数足りなくて」

 

脳天気な質問に大きくため息をついてしまうところだった。態度でさえも逆手に取られてしまうので、細心の注意をはらう必要があるのだ。軽く咳払いをして時間を稼ぎ、つけまれないような言葉を探す。

 

「悪いけど、他を当たってほしいな。図書室に行きたいから」

 

なんとか言い切ったと思い安堵すると、ふいにあくびが出てしまった。急いで口をふさいだが、隙ありと言わんばかりに挑発の言葉が襲ってくる。

 

「余裕だね!俺らなんか相手にならないんだ」

「…そんなこと、思ってないよ」

「じゃあやろうよ。もし勝てたら、認めるから」

 

急に腕を鷲掴みにされ、ぐいぐいと乱暴に引っ張られたことに、ついに我慢ができなくなってしまった。手を払い除け、相手にステッキを向けながら啖呵を切ってしまう。

 

「無礼だね。服が伸びたらどうするのさ」

「…流石は御曹司、意識高すぎて面白い」

「オマエもだろ。そろそろいいかげんにしてくれる?

つまらない遊びに付き合う暇なんて無いんだけど」

「言ったな?じゃあ、その『つまらない遊び』に勝ってみろよ」

 

今度はステッキを掴まれた。力任せに引かれたことによって身体のバランスを崩し、その場に倒れてしまう。彼が苦しそうに横たわっていてもなお、目線のいやらしさは止まない。汚い物を見るかのような、嫌悪感むき出しの表情が、与えられた苦しみをより強めていく。

ずっと前は友達だったのにと思うと、涙がこぼれそうになる。悲しみと怒りのかけ合わさった、どろどろで重たい何かが身体の中から出てきてしまいそうだ。動けないままでいるとテンポの早い足音が聞こえ、見上げると白衣の先生が立っていた。

 

「大丈夫?顔色が悪いわ。保健室で休みましょう」

 

支えられて立ち上がると、男子生徒はもういなかった。大方先生を見て逃げたのだろうと予想がつく。そんなことよりも今は一人になりたい。先生から手を離し、つぶやくように伝える。

 

「気にしないでください。大丈夫です」

 

その言葉に先生は身をかがめ、小さな声でささやいた。

 

「あなたを見たら休ませるようにと、校長先生から指示があるの。だから来て」

 

彼は観念する他なかった。まさかこんなことまでやっていたとはと、ため息をつきながら保健室へと向かった。

 

 

 

 

仕切り代わりのカーテンを締め、ベッドの広さを確認してからマリルリを繰り出す。状況がすぐに把握できたのか、ベッドの上に飛び乗り、掛け布団をめくっている。こちらへ来てほしいと枕をぽんぽこ叩き始めたので、促されつつゆっくりと横になった。

ひんやり、すべすべとしたマリルリの身体がとても心地よい。うとうととしながらもカーテンを見つめていると、小さい頃から抜けてくれない感覚が襲ってくる。

 

 

「……鳥かごの中、みたい………」

 

 

 

 

大手アパレル会社の御曹司たるオルティガは、両親からの寵愛を一身に受け、とても大切に育てられた。父親と母親の良いところばかりをその身に映したような愛くるしい容姿も合わさり、彼は多くの人を魅了した。

それだけでなく彼自身も努力家であるため、期待に答えようと厳しい習い事も一生懸命にこなす健気な姿が、周囲からの期待を加速させていった。誰も彼もがオルティガを可愛がり、尊い存在として認識していたのだ。

父からの計らいで将来に役立つようにと、大人との接点を多く持っていた彼は、同世代と関わることが極端に少なかった。習い事やお稽古もマンツーマンのスパルタ方式を取られていたため、「友達」を知らないまま幼少期を過ごした。

 

けれども、それで良いとも思っていた。賢い彼は、時間が有限であることを知っていたのだ。父と母のために、家のために頑張ることは苦ではない。ならばもっと力をつけて、ずっと期待や願いを裏切らないでいられるようにと一人で勉強をして過ごすことが増えていった。

 

その時からだ。檻のような、鳥かごの中にいるような感覚を覚えたのは。

孤独ではないはずなのに一人きりで、外の世界がやたらと眩しいのに、怖くて扉を開けられない。鍵だってかかっていやしない。

そのくせに囚われているような、自由への渇望がある。かごの中は矛盾だらけで、そんな自分を許せない。その気持ちを振り切るために、必死で考えた。何を得れば未来で両親の役に立てるかを。

 

ある日、あまりにも頑張りすぎる息子を心配した母は、彼にぴったりの可愛いポケモンをプレゼントした。それがルリリとププリンだったのだ。この子たちがいれば同年代の子との共通点ができると、子供も参加できる社交界へとオルティガを連れて行った。

そこにいる子どもたちは企業の跡取りであったり、由緒正しく続く家柄の次期頭目であったりと、境遇もそっくりだ。それでもオルティガには話しかける勇気が無く、母の後ろに隠れたまま動くことができない。するとお付きの執事が彼に(ひざまず)き、子供用の短いステッキを差し出した。

 

「坊ちゃま、こちらを…」

「爺や…?」

「以前ワタクシが転んで足を悪くしたとき、坊ちゃまはワタクシのために杖を贈ってくださいました。

こちらはその時のお礼でございます。きっと、歩くことを助けてくれますでしょう」

 

母に優しく背中を押され、ステッキを受け取って両手で持つと、丸まっていた背筋が伸びる。視界が広がると、笑顔のポケモンたちが見守ってくれていることに気づいた。同年代の子どもたちが話し合っているところへと、ゆっくりと歩いていく。

 

「あ、あの…。よかったら、混ぜて」

 

自信なさげに俯くオルティガに、一人の男の子がにこやかに答えた。

 

「もちろん!実はね、こっちに来てくれないかなって思ってたんだ!」

 

それをきっかけに、彼の交友関係は広がっていった。

だが、問題はその後に起きた。

 

 

厳しく鍛えられ続けているオルティガの能力が、周囲を圧倒したのだ。勉強も遊びも、何をやっても周りは彼を越すことができない。ポケモンバトルも強く、手持ちのルリリやププリンは彼に追随するかのごとく進化を重ね、かなり早い段階で最終進化を迎えた。

それに戸惑っているのは周囲だけではなく、オルティガ自身もそうだった。近い歳の子は自分と同じくらい、もしくはそれ以上優秀なのだろうと想像していたからだ。

アカデミーに入学してからは、更に周りとの能力差が可視化できてしまう状態となった。テストや休み時間のバトルで、彼に勝る生徒は現れなかった。

 

「また負けた…オルティガくんって、どうしてそんなに強いの?」

 

友達の男子生徒が、ポケモンをボールに戻しながら聞いてきた。

 

「オレだけの強さじゃないから。プクリン、今回かなりがんばってくれてたし。オマエが相手だから、オレたち気合い入ってただけだって」

 

笑顔で返したのだが、相手の顔色は晴れなかった。なるべく気持ちに寄り添ったつもりだったがうまくいかない。焦っていたところに、拍車をかけるような返事が来てしまう。

 

「…勝てるから、言えるんだよ」

 

思ったとおりに行かないことが、オルティガにとってはイレギュラーだった。これまですべてがうまく行くように、工夫をこらして努力を重ねてきたからだ。それが間違いだと言われているように感じてしまった彼は、つい強い言葉を放ってしまった。

 

「そんなこと言うなよ!負けないように、努力したから勝てるんだ!オマエだってそうだろ!?

オマエが本気出したら、負けてたのオレかもしれないのに!!」

 

「努力が足りないって、本気を出していないって言いたいの?」

 

友人からの睨みが胸を貫いた。初めての衝撃に戸惑いを隠せず、冷や汗が手に滲む。相手の目も見れないまま、謝ることしかできなかった。

 

「ごめん、なさい…そんなつもりじゃ…」

 

明らかに猛省している彼に背を向け、男子生徒は歩き出した。

 

「…俺も悪かった。けど、今は一人になりたいから」

 

 

翌朝顔を合わせると、笑顔でいつもどおりに話しかけられ、まるで何事もなかったかのように日常が帰ってきた。お互いに謝れたのだから許されたのかなと思っていると、その日からクラス中の生徒から話しかけられるようになった。些細な日常話や相談事、わからない宿題についてなど、同世代の子に溶け込める日々がやってきたのだ。

アカデミーへの入学後、ここまで安心できる状況は初めてだった。それを維持するためにコミュニケーションについての勉強も始め、マリルリとプクリンにも協力してもらい、自分の気持ちを素直に伝える練習もした。

努力が報われていくような鮮やかな日々に、閉じかけていた心をようやく開けられるかもしれないと感じた次の日、彼は聞いてはならないことを聞いてしまった。

 

 

「ねぇ、オルティガくんって……なんでいつもあんなに偉そうなの?」

 

放課後、忘れ物を取りに向かった教室で、クラスメイトが噂をしている。

 

「相談事とかしても、ずっと上から目線だよね」

「確かに解決してくれるけどさ…なんか、ね…」

「仲良くしておけってお父さんから言われてなかったら、話しかけたくもないよ」

 

胸に刺さった冷たい氷の切っ先が、やがて全身を氷漬けにしていくような感覚に襲われた。ドアの前で身動き一つ取れずにいると、友人の男子生徒が現れ、今までに見たことのないような顔でこちらを見ている。

 

「聞いちゃったか…」

 

しかめっ面のままそう告げると生徒は扉を開け、噂をしていたクラスメイトに合流した。そしてオルティガに聞こえるような声で言うのだった。

 

 

「親が言うから仲良くしなきゃいけないだけ…なんだよね。

意地っ張りで人を見下してばかりのあいつのことなんて、誰が好きになるんだろう」

 

 

その言葉に空気を奪われた。

凍りついたはずの足を無理やり動かして、怒りのままに言葉を放つ。

 

「ずっと、そう思ってたのかよ!!

なんで言わないんだ!なんでだよ!!」

 

「お前が相手だからだよ。離れられたら困るから。俺らは親からお前と仲良くしておけって言われてる。良い家柄の人とつながりがあって損はないからって。

でも、みんな仲良くしたくなかったんだって。改めて接してみたらキツかった、って言ってた。だから今日で終わりにしよう。何もかも」

 

言われていることに理解が追いつかないが、一つだけわかることがある。

もう明日からは、ここで笑える日なんて来ないのだと。

だんだんと身体から力が、魂が抜けるように、頭がどんどん重くなり、痛みを帯びてくる。

 

「…オレの……どこが、だめだったんだよ……」

 

「親以外、全部かな」

 

身体を突き飛ばされて尻もちをついたところを、他の生徒たちに笑われた。呆然としながらも、認めたくない事実に溺れていく。

 

 

誰一人として、「オルティガ」を見てくれている人はいなかった。友人だと思っていた人でさえも。

一人、また一人と、彼に言葉をかける生徒が日に日に減っていき、悪意はエスカレートした。無視や暴言、陰口が飛び交うようになったり、彼を故意に怒らせようとずるい挑発をする生徒もいた。

 

こんなことをされてただでは終われないと、毎晩彼は眠らずに考えた。誰にも見てもらえないのなら、自分だけの個性を作って、それを見てくれる人を探す他ない。己で解決できなければ、父と母を失望させてしまう。

 

そしてついに、今までに手を出したことのない分野を学び始めた。廃材置き場付近を拠点とし、機械工学を身に着けようとしたのだ。

 

人気の少ない場所にテントを張り、廃材をポケモンたちと運んで、自分だけの工房を作るために奮闘した。マリルリとプクリンにも手伝ってもらいながら、なんとか場所を確保する。

 

「服を仕立てるのにも、もっと性能のいいミシンがあれば、きっと役に立てるよね。デリケートな生地にも対応できるようなやつとかもいいな。どんなのを作ろうかな…

いや、それと違うことをしなくちゃ。じゃなきゃ、オレだけの個性にはならないんだから」

 

金槌で板を打ち付け、作業台を作りながら、ポケモンたちに語りかけた。二人は彼が身体を震わせていることに気づき、挟むようにして抱きしめた。

 

「やめてよ…

そんなところにいたら危ないよ。作業が進まないじゃんか…」

 

ぱたりと雫が落ちたとき、誰かが駆け寄ってくる音が聞こえてきた。

音のする方を見ると、なんとパピモッチが人を連れてきている。

 

「坊ちゃま!」

「爺や!?」

 

急いで涙を拭き、そちらの方へと走った。

 

「なんで走るの!?また足を痛めたら……!」

 

見上げたその顔が悲しみに暮れているのを見て、オルティガは感づいた。きっと、クラスでどのような扱いを受けたか知られてしまったのだと。

 

「…坊ちゃまからのお願いが、いつもと違うと思った頃から気づくべきでした…。これは止めなければならない行為です」

 

自分のせいで悲しい思いをさせてしまったと感じた彼は、あえて強気に振る舞った。背筋を伸ばし、片手を腰に当てる。

 

「工具のことについてはお礼を言うよ。用意してくれてありがとう。

でも、爺やはなにもしないで。無論、パパとママにも言わないでよね」

 

「何を考えておられるのですか!?」

 

「オレが今の状況で、黙ってると思うの?オレはオレのやり方で必ず解決してみせる。だから爺やは安心して。大丈夫だから」

 

「ですが…」

 

「お願い、言わないで。お稽古もちゃんと続ける。これはオレがやらなきゃ、意味がないんだ」

 

心配そうな表情が変わりそうにないなと感じていると、「足の悪い人」というキーワードが頭に浮かんだ。話を逸らすことも兼ねて、パピモッチを抱き上げながら一つ頼みごとをする。

 

「バイクを1台、用意してくれない?作りたいものが決まったから」

 

 

 

 

鍵のかかる音が脳内で反響する。はっと目を覚ますと、辺りは昼下がりだ。マリルリにハグをし、ボールに戻してカーテンを開けると、お昼ご飯を食べるようにと先生に指摘されたので、食堂に向かうことにした。

夢のせいで、嫌な思い出ばかりが心の中に現れる。挑発に乗って言い合えば言い合うほど、居場所はどんどん奪われていった。

友達を失ったあの日から、眠る時間すらあまり確保できなくなってしまった。夜になると、自分の個性とは何なのか、果たしてそれはどこにあるのか、努力で手に入るものなのかをどうしても考えてしまう。

食欲が出ないままメニューを眺めても、どれもおいしそうだと思えない。仕方がないのでスープだけでも飲もうと、ステッキを腕にかけミネストローネだけを貰った。

空いている席を見つけ、そちらに向かおうとしたとき、足に違和感が走る。明らかに転んだと思った次の瞬間、衝撃ではなくあたたかい何かに支えられた。

 

 

「大丈夫でござるか?」

 

 

見上げた先には、美しい青い瞳がひとつだけある。吸い込まれそうな輝きに、オルティガはつい口走った。

 

「…きれい…空の色だ……」

 

相手の男子生徒は目をぱちぱちとさせたが、その目線は違う方向へと向いた。つられて見てみると、同じクラスの生徒たちがいる。

 

「大通りは人が多く通るための場所。斯様(かよう)な場所で転ぶとは考えにくいでござるな。…足を、何かで引っ掛けたりしない限りは…」

 

クラスメイトたちはぎくりとして、すぐにその場から離れていった。それもそのはずで、明らかに自分たちよりも高学年の生徒が彼を守ったからだ。

お礼を言わなくてはと改めて相手を見ると、何とも個性的なパーカーを着ている。液体が垂れたような造形は見事なもので、紫や緑、黒といった色の組み合わせのバランスも絶妙だ。

だが、スープも一緒に受け止めてくれたので、お腹のあたりに大きなシミができてしまっている。すかさずトレーとステッキを置いてスマホロトムを取り出し、相手を逃さないようにと手を繋いだ。

 

「やけどはしてないよね?パーカーのブランドは?できれば品番も教えて」

「…何をしておられるのでござる?やけどは大丈夫にござるが…」

「いいから早く。それだけいいデザインだったらすぐ売り切れちゃうし、プレミアつくかもしれないんだから。弁償できないでしょ」

「これは我の手作りでござるから、心配には及ばぬでござるよ」

「はあ!?手作り!?!?」

 

目と口をかっと開くと、相手がびっくりしてる。

だが驚いているのはこちらも同じだ。並のパタンナーでは型紙を起こすことも難しいであろう服を、手作りしたというのだから。

こうなったら最後の手段しかないと、ステッキを回収し、手を繋いだまま走った。

 

目的地のランドリーには幸いなことに誰もいなかった。手袋を外し、服の袖をめくる。相手を椅子に座らせ、仁王立ちをして腕を組んだ。

 

「脱いで。早く!」

「え?」

「早く洗わなきゃ跡になる。今からしみ抜きすればまだ間に合うかもしれない。だから脱いで!」

 

傍から見れば大変危ない構図なのだが、オルティガは至って真面目だった。

見ず知らずの自分を助けてくれた人に、何もしないでいられるわけがない。しかも大切な服を汚させてしまったのだから、やれることをやらなければならない。けれども怒れば怒るほどに、相手はにこにことしている。

 

「また作ればいいでごさるのに」

「オーダーメイドが一番労力かかるの!また生地の厳選から始めるつもり!?」

「それもそれで楽しいでござるよ?」

「それは、否めないけど…じゃなくて!脱げって!言ってんの!早く!!」

「素直は良きこと。全く、愛らしい…」

「しみじみしないで!服を洗わせてよ!…もう!!」

 

癇癪を起こしたオルティガは、相手に許可も取らずにパーカーのジッパーをおろした。そしてフードをめくり上げ、いつもよりも低い声を上げた。

 

 

「いいかげんにしてくれないと、本気で怒るよ?」

 

 

さっきまで感情豊かだった瞳が、一瞬で冷徹と化す。可愛らしい外観にそぐわない仕草が男子生徒の笑顔をかき消した。瞳の奥から伝わる冷たさに驚き、急いでパーカーを脱ぐ。

すると、いきなり上からジャケットをかぶせられた。隙間から見える表情は、何故かとても楽しげだ。

 

「しばらくかけててよ。フードの代わりには小さすぎるけど」

 

まるで先程起きたことが幻であったかのような、化かされたような気持ちになる。ポカンとしている相手を横目に、オルティガはプクリンを繰り出した。シンクに水を溜めつつも指示を出して、高いところに置いてあった洗剤を取ってもらっている光景を眺め、そういうことかと納得をする。

 

可愛さ・愛嬌・健気さの裏に強かな意思を秘めている、怒らせたら怖いタイプのポケモンが、初めて目の前に現れたときのことを思い出したからだ。

 

 

 

 

 

「成る程…妖精(フェアリー)でござったか。

タイプを具現化したような御仁(ごじん)にござるな…」

 

「ほら、早くパーカー貸して!

そうしたら、マスクは取らないでいてあげる」

 

「その悪戯(いたずら)は、御免蒙(ごめんこうむ)りたい…」

 

「言っとくけど、イケメンなのわかってるんだからね」

 

「翻弄も…やめて頂きたいでござる…」

 

 

 

 

 

 

 

 

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